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2008年10月30日 (木)

オーストリアの鉄道地図 II-ウェブ版

Blog_austria_railmap_hp ウェブサイトで見られる鉄道地図にも言及しておこう。オーストリア連邦鉄道 Österreichische Bundesbahnen = ÖBB、すなわち国鉄のサイトに、全国および首都ウィーンの路線網を描いた地図がPDFファイルで上がっている。

■参考サイト
オーストリア連邦鉄道(旅客部門) http://www.oebb.at/
左メニュー上部の"Fahrplanauskunft"(運行ダイヤ情報)> "Kursbuch"(時刻表)> 線区別リストの最上段に、"Übersichtskarte Bahnnetz Österreich"(オーストリア鉄道網一覧図)、"Übersichtskarte Bahnnetz Region Wien"(ウィーン地域鉄道網一覧図)がある。

ご覧になれば分かるとおり、これは公式時刻表 Fahrpläne の索引図だ。私鉄を含めて旅客営業している全線区と主要駅名、それに時刻表番号が添えられている。時刻表に路線図はつきものだが、オーストリアの場合、表示区分が線区の特性にまで踏み込んでいて、鉄道ファンにとっても興味深い。

オーストリア全図では、太い実線が特急が走る線区、細い実線はローカル列車のみの線区を表している。線幅の差が強調されているので、骨格となる幹線網が一目瞭然だ。実線以外は特殊路線で、破線は狭軌、点線はラック式、一点鎖線は季節営業の観光路線などを指し、鉄道好きの旅心を刺激してやまない。色による分類では、赤で国鉄、緑で私鉄を示している。

これらの記号の組合せを頭に入れると、たとえば国鉄にもナローゲージの地方線が残っていることが読み取れる。マリアツェル鉄道 Mariazellbahn(時刻表番号115)、イプスタール鉄道 Ybbstalbahn(同132)がそうだ。ピンツガウ鉄道 Pinzgaubahn(同230)も2008年版では赤に塗られているが、同年7月から第三セクターであるザルツブルク株式会社 Salzburg AG の運営に移行して、ピンツガウ地方鉄道 Pinzgauer Lokalbahn と名乗っている。

Blog_austria_railmap3 こうして現在もじわじわと地方線整理が進行しているようだが、筆者の手元にある1983年版の鉄道地図と見比べると、特にウィーンの北方、ワインフィアテル Weinviertel 地方での撤退状況はすさまじい(図の上は1983年版公式時刻表より。下は2008年版PDFより)。チェコ方面へ向かう北部鉄道 Nordbahn の西側の丘陵地を覆っていた支線網は、もはや見る影もない。1988年に実施された合理化で、旅客列車が一斉に廃止され、貨物輸送を続ける線区も限定的になっているのだ。

ほかの鉄道地図としては、ヨーロッパ全域の鉄道地図を提供する Trainspotting Bükkes のオーストリア編がある。路線は電化方式、旅客・貨物線、狭軌などを区別し、主要駅も表示されているが、GIF形式の画像なので拡大縮小は効かない。

■参考サイト
Trainspotting Bükkes http://www.bueker.net/trainspotting/maps_austria.php
ウィーン近郊拡大図は下記。
http://www.bueker.net/trainspotting/maps_vienna-area.php

★本ブログ内の関連記事
 オーストリアの鉄道地図 I

 近隣諸国のウェブ版鉄道地図については、以下を参照。
 ドイツの鉄道地図 IV-ウェブ版
 イタリアの鉄道地図 III-ウェブ版
 スイスの鉄道地図 IV-ウェブ版
 ヨーロッパの鉄道地図 V-ウェブ版

2008年10月23日 (木)

オーストリアの鉄道地図 I

鉄道地図のテーマでは各国とも1枚ものの地図から先に紹介してきたが、オーストリアに関しては現在流通しているものはなさそうだ。しかし、かつては「オーストリア鉄道・航路地図 Eisenbahn- und Schiffahrtskarte der Republik Österreich」という連邦鉄道(国鉄) ÖBB 発行の大判地図があった(写真)。

Blog_austria_railmap1
オーストリア鉄道・航路地図 1958年版
Blog_austria_railmap2
同 一部を拡大
右下にゼメリング峠、左上はリンツLinz

筆者の手元にあるのは1958年版とかなり古いが、縮尺1:600,000で、行政界と水部、山名を表示したベースマップの上に、国鉄の全線全駅を表示したものだ。国鉄線は標準軌・狭軌、単線・複線、電化・非電化を線の形状で区別し、さらにウィーン Wien、リンツ Linz、インスブルック Innsbruck、フィラッハ Villach の管理局別に色分けしている。私鉄やロープウェー、それに路面電車のルート(停留所は省略)ももれなく記載している。

ユニークな点は、駅を示す丸印が、線路のどちら側に駅舎があるかを表現していることだ。余白には主要都市の拡大図も入って、特色9色刷りの詳細かつ贅沢な鉄道地図だった。堀淳一氏の著書で、機能に徹し、「ドイツやフランスのそれとも一味違った美しさを持って」(『地図と風土』p.248、下注参照)いると言及されているとおりだ。

現在、入手できるものとしては、冊子(地図帳)形式の鉄道地図がある。シュヴェーアス・ウント・ヴァル社 Schweers+Wall の「オーストリア鉄道地図帳 Eisenbahnatlas Österreich / Railatlas Austria」、23.5cm×27.5cmの判型、128ページの上製本だ(写真)。手元にあるのは2005年版だが、まだ次の改訂版は出ていない。同社は、ドイツとスイスについても同じ仕様で刊行しているので、都合、鉄道地図帳のドイツ語圏三部作というべきものだ。

Blog_austria_railatlas1
オーストリア鉄道地図帳 2005年版
左は表紙、右は裏表紙
Blog_austria_railatlas2
ザンクト・ぺルテン付近 (裏表紙の一部を拡大)

96ページに及ぶ鉄道地図の縮尺は1:150,000で、同じ縮尺のスイス編とぴったりつながる。ちなみにドイツは1:300,000だ。国土面積の違いもさることながら、狭軌の小鉄道が今なお活躍している両国なので、描写に余裕を持たせた縮尺にしてあるのだろう。

主要都市とその近郊は、この後に1:50,000の拡大図がある。ウィーン、バーデン Baden、グムンデン Gmunden、グラーツ Graz、インスブルック 、リンツ、ザルツブルク Salzburg、フィラッハが用意されている。市内を走るトラムのルートまで書き込まれているが、中間の停留所は別ページの系統別路線図を見ることになる。そのほか、世界遺産のゼメリング鉄道 Semmeringbahn も、1:150,000では連続するトンネルや橋梁のデータが入りきらないのだろう。1:75,000の挿図を使っての特別扱いだ。

巻頭言で、この地図帳のテーマは現役の鉄道網を描くことだと言っているが、廃止・休止線や計画線もできるだけ収録している。

オーストリア最初の鉄道は、1827年にブトヴァイス Budweis(チェコのチェスケー・ブジェヨヴィツェ České Budějovice)~リンツ~グムンデン間に開通した軌間1106mmの馬車鉄道だ。ザルツカンマーグート Salzkammergut で産出する岩塩を運ぶために敷かれたそうだが、特にリンツ以北の国境越えについては、一定の間隔で置かれた交換所とそのキロ程、標高に至るまで、現役の鉄道と同等の詳細データを地図から読み取ることができる。

計画線では、ウィーン西駅~リンツ間の西部鉄道新線 Neue Westbahn が目を引く。すでに供用中の区間もあるが、ウィーンからザンクト・ペルテンSt. Pöltenまでは、長さ11.6kmのウィーンの森トンネル Wienerwaldtunnel をはじめとする大小のトンネルによってドナウの平野に迂回する別線を建設中だ。オメガ線を介在させた現ルートからは最大10km以上も離れている。

もう一つ、大規模なプロジェクトは、同国南部の主要都市であるグラーツとクラーゲンフルト Klagenfurt をつなぐコーアアルム鉄道 Koralmbahn だろう。この間には高速道路が整備されているが、鉄道ではかなり遠回りを強いられる。これを長さ32.8kmのコーアアルムトンネルとドラウ川Drau沿いの新線と既存線の改良で直結しようというものだ。2014~18年の完成をめざしている。

はじめにスイスやドイツ編と同一仕様と書いたが、中にはユニークなものもある。複線のときに列車が通る方向が矢印で示されているのだ。その理由は、幹線の場合、ドイツやハンガリーは右側通行、スイスやイタリアは左側通行だが、オーストリア国内では混在しているからだ。ウィーン起点で見れば、ドイツへ直通する西部鉄道 Westbahn は右側通行で、ゼメリング峠越えを擁する南部鉄道 Südbahn は左側通行だ。ゼメリングの向こう側、ブルック・アン・デア・ムーア Bruck an der Mur でケルンテン州 Kärnten 方面への幹線が分岐するが、こちらは西部鉄道に合わせて右側通行に変わる。

もちろん、複線といってもいわゆる双単線方式なので、双方向に運転が可能なのだが、こういう特殊事情も鉄道地図にはちゃんと表現されている。旅行に携帯するには不向きだろうが、オーストリアの鉄道を研究しようとするなら、座右の書であるのは間違いない。

■参考サイト
シュヴェーアス・ウント・ヴァル社 http://www.schweers-wall.de/

ブドヴァイス~リンツ~グムンデン馬車鉄道(ドイツ語版Wikipedia)
http://de.wikipedia.org/wiki/Pferdeeisenbahn_Budweis–Linz–Gmunden
道路や列車の通行方向については次のHPの説明が詳しい。
Which side of the road do they drive on? http://www.brianlucas.ca/roadside/

注:堀淳一氏が言及しているのは、鉄道地図に触れた次の著書。
 『地図と風土』(そしえて, 1978. p246-248)
 『一本道とネットワーク』(作品社, 1997. p306-311および巻頭カラー図版V.6.11)

★本ブログ内の関連記事
 オーストリアの鉄道地図 II-ウェブ版

 シュヴェーアス・ウント・ヴァル社の鉄道地図帳については、以下も参照。
 ヨーロッパの鉄道地図 VI-シュヴェーアス+ヴァル社
 ドイツの鉄道地図 III-シュヴェーアス+ヴァル社
 スイスの鉄道地図 III-シュヴェーアス+ヴァル社
 イタリアの鉄道地図 II-シュヴェーアス+ヴァル社
 フランスの鉄道地図 VI-シュヴェーアス+ヴァル社

2008年10月16日 (木)

オーストリアの衛星画像アトラス

地図帳(アトラス)というと、社会科の授業で使うような世界地図帳を思い浮かべる人も多いと思うが、筆者が探しているのは、もっと大縮尺の、等高線の入った地形図で構成された地図帳だ。区分図を1枚ずつ買い求めるよりコストや収納の点で断然優れているし、地名索引で位置の特定も容易だ。地形図地図帳 Topographic atlas は、ラインナップが充実しているオランダをはじめ、いくつかの国で刊行されている。しかし、今回紹介するような衛星画像と地形図を対比した地図帳は他に見たことがない。

Blog_austria_bildatlasオーストリア衛星画像アトラス Österreich Satelliten Bildatlas」、2004年に刊行された144ページ(見返しを含まず)のハードカバー本だ。巻頭言によれば初版は1988年で、今回はその改訂版だそうだ。判型は25×35cmで、ほぼB4サイズに相当する。編集はザルツブルク Salzburg の GEOSPACE出版、刊行はローター・ベッケル社 Lothar Beckel。

メインとなるのは、見開きに配置した衛星画像と地形図だ。左ページにランドサットが撮影した解像度15mのカラー画像、右ページに同一地域を描いた1:200,000官製地形図(前回紹介した)を原寸で収める。全土が48面に分割されている。

衛星画像は解像度が高くシャープに表現されているが、縮尺が小さいので、たとえば集落などはマスでしか捕らえられない。しかし、地表状態の大きな傾向をつかむにはこれで十分だ。地形図は、道路を色塗りして判別しやすくした「道路着色版 Ausgabe mit Straßenaufdruck」を使っている。以前の記事(「オーストリアの1:50,000地形図」)で観賞用に適していると書いた版だ。これを衛星画像と並べることで、情報の相互補完が可能になった。たとえば、地形図では地物や地名、道路の種別などが確認できる一方、衛星画像はありのままの地表、たとえば地形図には表しにくい地形や耕地のパターンもつぶさに読み取れる。

アトラスでは本編に先立って、「類型的土地景観 Typlandschaften」と題して、特徴のある地形や土地利用を地形図と衛星画像、時には俯瞰写真を交えて解説している。本編のハイライトを集めた21個のサンプルで、地図と実景の関係を感覚的に理解できるようにしているのだ。地図では表現しきれないような個所を二三、Googleの衛星画像を借りて再現してみよう。

ワインフィアテル地方 Weinviertel、レッツ Retz 付近
http://maps.google.co.jp/maps?ll=48.7743,16.01223&t=k&z=12
オーストリア東北部、チェコと接する地方だが、衛星画像だけでもどこに国境が走っているのかがわかる。耕地のパターンが北と南で全く異なるからだ。チェコやハンガリーは社会主義時代の集団農場の地割が広がり、オーストリアは零細な個人所有の農地が多い。縞模様は栽培作物を細分化しているためだ。

Blog_austria_bildatlas_detail1

ピンツガウ地方 Pinzgau
http://maps.google.co.jp/maps?ll=47.2294,12.6000&t=k&z=11
オーストリア・アルプスの一角。画面下で白く輝くのは3000m 級のホーエ・タウエルン山脈 Hohe Tauern。画面上の東西に延びる広い緑の谷はピンツガウ。地形模型のような画像だ。この直線状の谷筋は断層に沿って氷河が侵食した跡なのだろう。山脈から北に張り出した尾根が断層でそぎ落とされて、いわゆる三角末端面を見せている。左肩のスケールバーで画像をズームアウトしてみると、谷筋が直線状に東へ延々と続いている。目で追っただけでも250kmはある。

Blog_austria_bildatlas_detail2

ボーデン湖 Bodensee のライン川 Rhein 河口
http://maps.google.co.jp/maps?ll=47.4991,9.6611&t=k&z=12
スイスアルプスを発したライン川はここでボーデン湖に注ぐ。氷河起源の明るい青色をした水が、湖岸への土砂の堆積を防ぐ堤防に遮られて、3kmほど沖合いで暗い湖水に混じり込んでいる。色の違いがみごとだ。古いライン川 Alte Rhein は画面左手へ分岐している流れで、スイスとの国境線になっている。

Blog_austria_bildatlas_detail3

本編の後は主要都市の拡大画像で、見開き2ページに配されている。ここで1:50 000地形図と対照できれば申し分なかったのだが...。巻末にはしっかりと地名索引が付いて、地図帳の要件を完備している。

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 オーストリアの1:25,000と1:200,000地形図

2008年10月 9日 (木)

ゼメリング鉄道はなぜアルプスを越えなければならなかったのか

ウィーン南駅でリュブリャーナ行きEC「エモナ Emona」号に乗り込んでから、1時間足らず。すでに左側の車窓にはアルプスの前山が連なり、その中腹にときおり架線柱や高架橋のアーチが見え隠れする。これからあそこへ上っていくのだと思えば、自然に心が躍る。パイエルバッハ=ライヒェナウ Payerbach-Reichenau の駅を見送ると、長い橋梁でシュヴァルツァ川 Schwarza を渡りながら180度方向を変えて、いよいよ列車は名にし負うゼメリング Semmering(下注)の難所にさしかかった。

*注 Semmering の日本語表記は、標準ドイツ語風の「ゼメリング」「ゼンメリング」、地元風の「セメリング」「センメリング」などさまざまだが、ここでは日本ユネスコ協会連盟のHPに従う。

Blog_semmeringbahn1
羊腸の道ゼメリングを行く

ゼメリング鉄道 Semmeringbahn は、ウィーン Wien からグラーツ Graz 方面へ向かうオーストリア連邦鉄道 ÖBB の南部鉄道線 Südbahn が、分水嶺を越える区間の呼称だ。日本語で「~鉄道」というと、会社名を連想しがちだが、ドイツ語の Bahn は路線名の感覚で使われている。

峠道はウィーン側、つまり東斜面が特に険しい。麓のグログニッツ Gloggnitz の標高が439mであるのに対して、路線の最高地点は898mと、450mもの高低差がある。この間の距離は直線で10kmしかないが、勾配を22~25‰に抑えるため、迂回によって3倍近い29kmに引き延ばされている。線路はできるだけ地形に逆らわず、半径190mの急曲線を入れて山襞を忠実になぞる。

そびえ立つ断崖と深い峡谷の間には、峠下のゼメリングトンネル Semmering-Tunnel(単線並列)を含めて16本のトンネルと、2層アーチのカルテリンネ橋 Kalte-Rinne-Viaduct に代表される16の高架橋が築かれている。列車は、荘重な構築物に敬意を払うかのように、時速60kmでゆっくりと通過していく。

■参考サイト
ゼメリング付近のGoogle地図
http://maps.google.com/maps?f=q&hl=ja&ie=UTF8&ll=47.6325,15.8339&z=13
 残念ながら峠付近の詳細空中写真はない。

Blog_semmeringbahn_map1
ゼメリング鉄道概要図

南部鉄道は、首都ウィーンとアドリア海の港町トリースト Triest、すなわち現イタリア領のトリエステ Trieste を結んでいた路線だ。皇帝フランツ1世の弟ヨハンがこの路線の建設を強く望んだので、「ヨハン大公鉄道 Erzherzog Johann-Bahn」とも呼ばれる。ゼメリングはルートの中でも、建設が最も難しいとされた区間だった。すでにグログニッツ以東は1842年に、西側のミュルツツーシュラーク Mürzzuschlag ~グラーツ間は1844年に開通済みで、その間に立ちはだかるゼメリングの峠道は、最大12頭立ての馬車で中継していた。

この時代、まだ長い山岳路線の実績はなく、歯軌条(ラック)式か索道でなければ天下の険を越えることができないとさえ思われていたという。命を受けたカール・フォン・ゲーガ Carl von Ghega は、大規模な土木工事を起こす傍ら、勾配に強い機関車の開発競争を進めた。難工事で尊い犠牲者を出しながらも、1854年、ついに開通にこぎつけた。この区間を特に他と区別して呼ぶのは、それだけ工学的にも戦略的にも画期的な事業だったことの証しで、その後、ゼメリングの名は、蛇行しながら山を上る鉄道の代名詞にさえなった。

ゼメリング鉄道は最初にアルプスを越えた鉄道として紹介されることが多い。しかし、この表現から、氷河を戴く大山脈が列車の行く手を阻んでいるように想像したなら、それは無邪気な勘違いだ。この付近はフランス南東部から延々と続いてきたアルプスの東の果てで、周囲のピークもせいぜい1500m程度まで下がっている。峠の標高は984mに過ぎない。

路線と山地の位置関係を知るために、広域図を描いてみた(下図参照)。濃く塗った山地は厳密な標高データに拠ってはおらず、概略であることをご了解願いたいが、鉄道が通過するのは山脈の末端で、アルプス「横断」とは呼べないことが明らかだ。当時は、東に広がるハンガリー平原も帝国領内だった。仮にルートをもう少し東に寄せれば、山越えに伴う艱難辛苦も必要なかったはずだ。なぜ、ゼメリング鉄道はわざわざアルプスを越えなければならなかったのだろうか。

Blog_semmeringbahn_map2
広域図

以下は筆者の推論だが、答えの鍵となるのは、やはり提唱者のヨハン大公だろう。宰相メッテルニヒに疎んじられた彼は中央を離れて、後半生をオーストリア南東部、シュタイアーマルク州の発展に捧げている。州都グラーツには、彼が収集品を寄贈したことから、その名にちなんでヨアネウム Joanneum と通称される州立博物館がある。彼はまた、この町に学校や研究所、銀行や保険会社を設立し、州内で製鉄所や金属加工場の経営を行い、エルツベルク Erzberg の鉄鉱山やケフラッハ Köflach の炭鉱にも関与した。1851年には州都の市長に選出されている。鉄道の誘致は、彼にとって地域振興の大きな柱だったに違いない。

トリエステは、帝国が領土を減らした1860年代以降、自国領に残された貴重な海港として発展し、国内では「世界への窓」に例えられた。しかし、鉄道が構想された19世紀半ばまでは、アドリア海への到達が悲願というほどではなかったと言う説もある。それは1851年、北海沿岸のハンブルクからプラハを経由して、ウィーンまで鉄道が通じていたからだ。工業化が進展していた西欧諸国との交易には北回りのほうが距離的に有利で、期待をもって迎えられた。それに対して、580kmも離れ、港が未整備だったトリエステへ、莫大な費用を投じて鉄道を延ばす目的は、軍事以外にはあまりなかったというのだ。

南部鉄道のルートをたどると、当時スロベニアの東部に及んでいたシュタイアーマルク州 Steiermark(図中、緑の点線で囲んだ領域)を見事に貫いていて、大公の意図が如実に表れている。確かに、グラーツが実質的な目的地だったとすれば、ゼメリング経由が最短ルートになる。しかし、高度差の克服という技術上の難題を背負ってまで、峠越えに固執した理由はそれだけではないようだ。遠回りになっても建設が容易なハンガリー平原には、出たくても出られない事情があったのだ。

ハンガリーは16世紀以来、段階的に帝国に編入されてきたのだが、たびたび独立運動を起こしては鎮圧にあっていた。1848年にはフランス2月革命の影響を受けたブダペストでの蜂起が大規模化して、急進的な独立派が実権を握るなど、不安定な情勢がとみに強まっていた。その反乱軍は翌年降伏し、1867年にはアウスグライヒ Ausgleich(和議)により二重帝国として自治権が拡大されるのだが、産業の生命線を通過させるには、リスクが大きすぎただろう。そのうえ現在オーストリアの東端にあるブルゲンラント州 Burgenland は、1921年になってハンガリーからオーストリアに割譲された土地で、19世紀の境界線はもっと西寄りにあった(図中、赤の点線)。

つまり、鉄道を難なく敷けるような平地はオーストリア側には存在せず、アルプスを越えるほかに道はなかったのだ。

それから150年が経ち、エモナ号は今、ゲーガが造ったとおりのルートを走り抜けていく。ゼメリング鉄道は、鉄道初期の課題の解決に貢献したことが評価されて、1998年、世界遺産に登録された。第1次大戦のころにはもう迂回線の構想があったというし、長大な基底トンネルでバイパスする工事も着手されているが、いまのところ、現役引退の予定は示されていない。

■参考サイト
Wikipediaドイツ語版「ゼメリング鉄道」
http://de.wikipedia.org/wiki/Semmeringbahn
魔の山ゼメリング Zauberberg Semmering http://www.semmeringbahn.at/
 英語版あり。ゼメリング越えと鉄道建設の歴史など。
ゼメリング鉄道写真集
http://www.eisenbahnen.at/bilderalben/semmeringbahn.shtml
 Philipp Glitzner 氏の鉄道写真サイト。美しい写真多数。

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 オーストリアのラック式鉄道-シュネーベルク鉄道
 オーストリアの鉄道地図 I
 オーストリアの鉄道地図 II-ウェブ版

2008年10月 2日 (木)

オーストリアの1:25,000と1:200,000地形図

Blog_austria_25k
1:25,000地形図表紙
(左)旧図 バート・イシュル
1994年修正
(右)新図 エッチャー 2008年版

オーストリアの地形図体系で長らく不可解だったのは、国土の3/4が山岳地帯であるにもかかわらず、1:50,000が最大縮尺という点だった。日本や西欧主要国と同じように1:25,000は発行されているのだが、なんとそれは1:50,000の単純な拡大版、いわゆる「でか字」バージョンに過ぎないのだ。

旧図の場合、縦長の1:50,000図郭を上下に2分して、両面に印刷してあり、凡例や説明文を含めて老眼でも支障のない大きさになっている。10年ほど前に現地を旅して1:50,000で山野を歩こうとしたところ、描写が細かすぎて野外では見づらいことに気づいた。試しにこの拡大版1:25,000を使ってみると、確かに細部の地形までしっかり読み取れる。改めて存在意義を認識したのと同時に、2倍に拡大しても表現が粗いと思わせないところに、原図の精密さを実感した。

とはいえ、縮尺が大きくなればなるほど、微細な地形が無理なく表現できるし、隣国スイスのそれを見ても、山岳表現には圧倒的な存在感が出る。本来の1:25,000で迫力のある絵を見たいという想いは消えない。新図への切替えの話を耳にしたとき、もしかすると1:25,000にもオリジナルの編集図が登場か、と期待を抱かせたのだが、そうではなかった。残念ながら旧図と同じ拡大版で、今度は、やや横長となった1:50,000の一図郭を左右に二分割したものが1図葉になった。そしてこれをさらに上下に分け、それぞれを表裏に配して両面刷りとしている。

しかし、かつては1:25,000の測量図が存在した。測量局の資料によれば、1923年から1959年までの間に、全土の1/3の範囲で多色刷りの1:25,000が完成していた。サンプル図を見ると、図郭は1:50,000を縦横2等分したもの(緯度経度とも7分30秒)で、等高線間隔は20mとこの縮尺としてはやや粗いが、緩傾斜部では10mまたは5mの補助曲線を挿入している。ドイツ系らしい几帳面な表現で市街地の描写も詳しく、廃版となってしまったのは惜しい。

Blog_austria_schneeberg その名残なのか、現在わずか1面だけの特別図として、1:25,000「シュネーベルク及びラックス Schneeberg und Rax」が刊行されている(右写真は1993年版。現行2006年版は表紙デザインが変更されている)。これは単純拡大でないオリジナルの編集図で、日本のおおかたの集成図と違って、更新も継続されている。シュネーベルク、ラックスとも、首都ウィーンの南西60~70kmにある手ごろなトレッキング適地なので、常に一定の需要があるのだろう。

オーストリアの地形図体系は日本と同じで、1:50,000の次に小さい縮尺は1:200,000になる。これも旧図は経緯度で律儀に切った区分図で、緯度経度とも1度の縦長図郭だった。そのルーツは、1887年から順次整備された「1:200,000中欧一般図 Generalkarte von Mitteleuropa」と称するシリーズに遡る。

当時はオーストリア・ハンガリー二重帝国として、東はトランシルヴァニア(現在のルーマニア北西部)、西はチェコ、北はガリツィア(ポーランド南東部、ウクライナ南西部)、南はボスニア、クロアチアに及ぶ広大な領土を有していたが、中欧一般図は、さらに広い中部ヨーロッパ全域をカバーする265面が製作された。経度表示は当然、フェロ島基準だ。地名表記にはドイツ語が用いられ、たとえば、クロアチアの首都ザグレブ Zagreb はアグラム Agram、スロバキアの首都ブラチスラヴァ Bratislava はプレスブルク Preßburg と記されていた。

Blog_austria_200k
1:200,000地形図表紙
(左)旧図 インスブルック
1985年修正
(右)新図 チロル州 2005年版
Blog_austria_200k_sample
インスブルック付近の地形図画像
(BEV Austrian Map online)

オーストリアの1:200,000旧図はそのうち、現在の領土が含まれる図葉だけを残したものと考えればよい。全部で23面あるが、他国の都市名を図名に採用したのが13面と半数以上にのぼるのも、図名が他国でもドイツ語地名優先なのも、上述の理由からだ。この旧図はすでに廃版となり、州別に編まれた新図8面に置き換えられている。こちらは表紙に旅心を誘う観光写真を配して、注目度を高めようという意図が伺える。1:50,000と同様の精巧な地勢表現が施された地形図は、道路や境界の塗り方やグリッドの引き方が変わった程度で、ほとんど旧図そのまま使われている。

少々難をいうと、1:50,000もそうだが、地図用紙が、細かいエンボスのある独特の光沢紙からふつうの上質紙に変わったため、鮮やかさの点で見劣りがする。また、写真のチロル州 Tirol のように東西に長い州は、2分割して両面印刷してあるが、重複部分がわずかしかないので州の全体像をつかむのが難しい。片面に全体を収めると、用紙が2倍大になり、扱いが煩しくなると考えたのだろうか。

もちろん、経緯度で容赦なく切断されていた区分図時代を思えば大きく改良されているのは確かだ。地勢や交通網を概観するのに手ごろな1:200,000は、もっと利用されていいと思う。

■参考サイト
連邦度量衡測量制度庁 BEV http://www.bev.gv.at/
オーストリアの地形図の種類、入手方法などについては「官製地図を求めて-オーストリア」にまとめた。
http://homepage3.nifty.com/homipage/map/map_austria.html

★本ブログ内の関連記事
 オーストリアの1:50,000地形図
 オーストリアの新しい1:250,000地形図
 オーストリアの衛星画像アトラス
 オーストリアの旅行地図-アルペン協会

 スイスの地形図-概要
 スイスの1:25,000地形図
 ドイツの1:25,000地形図
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