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2008年9月18日 (木)

台湾 阿里山森林鉄道を地図で追う

台湾中部にある阿里山(現地読みはアーリーシャン)は、雄大な山岳風景を満喫できる観光地として知られる。阿里山とは一個の山名ではなく、大塔山、對高山、祝山などのピークに囲まれた一帯を指す地名だが、南北に連なる山並み全体の名称、阿里山山脈としても使われている。ここに、軌間762mm(2フィート6インチ)のナローゲージ、阿里山森林鉄道(正式名は阿里山森林鐵路)がある。本線の嘉義~沼平間の延長は72.7km。最急勾配62.5‰、最小曲線半径40mの厳しい線形で、支線の祝山線を加えると、麓の平野から山上まで実に2421mもの高度差を上る世界屈指の登山鉄道だ。

全体図
Blog_alishanrailway_map0

日本時代(日治時期)の1906年に、豊かな森林資源を開発する目的で建設が始められた鉄道は、1914年に阿里山(現 沼平)まで到達した。続いて林場線と呼ばれるいくつもの支線が建設され、鉄道は毎日、大量の伐採木を嘉義の北門駅にあった製材所に運び込んだ。特にベニヒ(台湾紅檜)は腐りにくいことから珍重され、巨木が日本の社寺建築に多く用いられた。しかし、1960年代までには適材が枯渇してしまい、林業は振わなくなる。

一方、観光や登山の基地としての阿里山は、戦前、すでに台灣八景の一つに選ばれたように、早くから注目を集めていた。鉄道開通後まもなく、労働者や山村の住民のために、貨物列車に客車をつなげた混合列車が編成され、一般人も利用するようになった。林業から観光業への転換が図られる中、森林鉄道は、山にアプローチする唯一の交通手段となり、1970年代の最盛期、1日5~6往復の旅客列車を走らせても、ほとんど満席状態だったという。

ところが、1982年に麓からの自動車道路(阿里山公路)が開通したことで、その地位は、瞬く間にバスやマイカーに奪われてしまう。鉄道なら3時間半近くかかるところを、バスは2時間少々で着き、便数や運賃も優位だったからだ。鉄道を運営する林務局嘉義林区管理処は、乗車効率を上げるため、最終的に本線の定期列車を1往復に絞りきった。その代わり、クルマが入れない阿里山周辺を観光用に開放する政策をとり、1983年から眠月線、1986年から祝山線で旅客列車の運行を開始した。狙いは当たって、両線とも本線以上の利用者を呼び寄せた。

長らく国の機関の管理下にあった森林鉄道は、今年(2008年)6月、BOT方式により民営に移された。運営会社のサイトによると、今年7月に起きた台風災害から復旧する9月からは、本線も3往復に増便するとしている。有名な鉄道ゆえに、ウェブサイトに旅行記が多数あがっているので、車窓や車両のことはそちらに譲り、ここでは地形図で驚異の登山鉄道のルートを追ってみよう。地形図は日本時代の陸地測量部発行1:50,000を使用する。

図1: 竹崎~交力坪
Blog_alishanrailway_map1

縦貫線と接続している嘉義から14.2km先の竹崎までは平地線で、牛稠溪の谷中平野に沿って田園の中を坦々と進む(地図は省略)。竹崎で、登山鉄道の常として機関車を後尾に付け替えた列車は、発車後まもなく牛稠溪の鉄橋を渡り、いよいよ登坂を開始する。図1でルートを見ると、阿里山から西に長く延びる支脈の裾に取り付き、尾根まで一気に駆け上がっていく。見やすいように、引用した地形図では尾根筋を薄茶色の帯で塗ってみた。濃く太い帯は支脈本体だ。

獨立山ループ Dulishan Spiral
Blog_alishanrailway_map4

途中にある獨立山ループ(右図参照)はこの鉄道の最大のハイライトで、張出し尾根に対し、とぐろを巻くようにして高度を稼ぐ。設計者が険しい山を前に、どう克服しようかと思案していたところ、木陰にカタツムリが這っているのを見つけ、その形からインスピレーションを得たという「伝説」があるそうだ。三重のスパイラルは世界でも類を見ないもので、しかも最後は8の字に回っている。あまりに複雑すぎて、縮尺1:50,000では糸が絡まったようにしか表現できていない。先ほど通過したスイッチバック式の樟腦寮駅が何度も車窓に現れるので、乗客も回転していることを実感する。

第13号隧道で主尾根の下を潜り抜けると、まもなく尾根上に位置する標高904mの梨園寮駅だ。竹崎から直線で7kmしか隔たっていないのに、巧みなルート設定によって777mも上ってきた。このあと、東に向かって主尾根が高度を増していくので、しばらく線路は北側斜面の襞を忠実になぞって走る。交力坪駅の前後では、左の車窓に比高500mの深い谷を俯瞰できる。

図2: 水社寮~十字路
Blog_alishanrailway_map2

中間部は両端の見せ場のはざまで、大方の乗客は窓の外に関心を示さなくなるらしい。しかし、ルート選定の跡は興味深い。図2でわかるように、東西に走る主尾根を何度も横断しているのだ。水社寮駅でくびれた尾根の上に乗ったかと思うと、第25号隧道で尾根の南側へ、26号で北側へ、27号でまた南側へ出る。奮起湖駅を出た後も、比較的長い第32号隧道で再び北側へ抜ける。

わざわざこのようなことを繰り返すのは、左右に張り出す尾根筋を大きく迂回せずにさばくための工夫だろう。その奮起湖は鉄道の補給基地であり、駅弁や周辺の竹林でも知られている。車庫にはこの路線で活躍したシェイ型機関車が保管されている。

十字路駅は、南北の麓の村をつなぐ峠道と鉄道が交差することから名づけられた。現在は、ライバルの阿里山公路が最も接近する場所でもある。最初に尾根上に出た梨園寮からここまで23.9km走って630m上ったので、平均勾配は26.4‰だ。その前の竹崎~梨園寮が平均45.2‰だったのに比べれば緩い坂道といえる。特に一つ手前の多林駅とはほとんど高度差がなく、十字路の鞍部を越すのを待つ踊り場のような区間になっている。

図3: 屏遮那~山頂
Blog_alishanrailway_map3

十字路を過ぎると、急勾配が復活する。待避線がスイッチバック式の屏遮那駅を経て、塔山の険しい山肌が迫る第一分道(廃駅)で、線路は行き止まりとなる。図3で引用した旧版地形図には「だいいちすいっち」と駅名が記されている。鉄道最後のハイライトである阿里山火車碰壁、4段連続スイッチバックの始まりだ。現地のサイトでは「之の字形に前進」とうまく表現していた。次の折り返し、第2スイッチは1kmほどで現れるが、3番目の転回はトンネルを介したループ、4番目も二萬平駅前後で180度転回するので、進行方向は変わらない。

さらに2.5km上り詰めると神木駅で、ここが第3スイッチに当たる。線路沿いにあった直径4.7m、樹齢3000年以上というベニヒが、神木と崇められて阿里山の名所になっていたが、落雷で焼け、1998年、ついに切り倒されてしまった。列車は、ここでバックすると、いよいよ阿里山駅に到着だ。標高2216m、クルマで上ってきてもこの近くで降ろされるので、辺りは人通りが多い。本線の戸籍はもとの阿里山駅だった沼平までだが、本線列車はここが終着だ。ただし、1999年の大地震で阿里山駅が損壊してからは、ごく最近まで沼平へ運行が延長されていた。

阿里山駅からは、眠月線が北方へ延びている。1915年に開通し、林場線としては14.3kmの長さがあるが、そのうち10.6kmの石猴まで、蒸機(のちDL)牽引の観光列車が走っていた。1999年の大地震で損壊してから、長らく不通だったが、さきごろ復旧工事が完了したと伝えられる。ルートは阿里山山脈の西側斜面に沿っており、張り出した尾根を長短のトンネルで越えていく。

一方、眠月線の途中、十字分道からは、鉄道の最高地点、標高2451mの祝山まで行く祝山線が分岐している。玉山山脈に昇るご来光を見に行く人のために1986年に開通した新線だが、バスが走る林道を廃止して、鉄道に置き換えたものだ。旧版地形図には描かれていないので、衛星画像と現地の地図を参考にルートを記入した。

阿里山起点で6.3kmの長さがあるが、祝山は沼平駅から直線で1kmしか離れていない。それで、行きは列車で上り、帰りは徒歩で下るという選択肢もあるようだ。他に、水山線が建設中だが、これも昔、沼平からさらに南へ延びていた林場線の一部を、観光用に活用するのだという。阿里山森林鉄道は、今も意気盛んな登山鉄道なのだ。

■参考サイト
臺灣鐵路管理局-阿里山森林鐵道(中国語) http://www.railway.gov.tw/tw/Alishan/page.html
阿里山國家風景區 http://www.ali-nsa.net/

使用図葉:
陸地測量部1:200,000帝国図 嘉義 1934(昭9)製版
陸地測量部1:50,000地形図
 竹崎、阿里山、新高山、以上1927(昭2)測図、中埔 1927、1929(昭2、4)測図
獨立山ループ線概略図は、台湾官製1:25 000地形図「竹崎」およびGoogle空中写真を参考に作成した。

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コメント

リンク先の公式HP見て驚きました。
http://railway.forest.gov.tw/ContentView.aspx?Type=24
「西元年 當代年份 」に関して
中華民国では、西暦1900年から1945年までは、日式元号で表記してるのですね。

いつもコメントありがとうございます。
日治時期に民国暦を用いないのは、民国暦が戦後大陸から持ち込まれたことと関係しているのかもしれません。

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