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2008年7月31日 (木)

新線試乗記-日暮里・舎人ライナー

にっぽり、とねり。難読地名を連ねた東京都交通局の新線は、長らく軌道系交通機関のなかった地域の期待を一身に背負って、2008年3月30日に開業した。筆者も5月中旬に出かけていき、空中を翔るかのような車窓風景を愉しんだ。少し時間が経ってしまったが、記憶をたどりながらあの小旅行を再現したい。

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駅案内板

日暮里・舎人ライナーは、上野駅から2つ目の日暮里と、荒川を越えた足立区西北端の見沼代親水公園(みぬまだいしんすいこうえん)駅の間、9.7kmを走る新交通システムだ。ルートの大部分は尾久橋(おぐばし)通りの上空を行く。都道58号台東鳩ヶ谷線、通称尾久橋通りは、都心から郊外へ放射状に伸びる都市計画道路(放射11号)として整備された経緯から、ほぼまっすぐ北へ針路をとる。それでこの新線も、西隣の埼玉高速鉄道に比べれば、気持ちのいい直線路を描いている。前面展望だけではなく、全線高架で、晴れた日には筑波山や富士山までよく見えるという展望の良さは、単なる通勤通学路線として扱うには惜しいくらいだ。

さて当日、日暮里駅で京浜東北線を降り、案内に従って北口改札を出ると、右手に新駅への通路があった。土曜の朝8時、郊外行きのホームに上がってくる人はわずかだ。到着した車両が乗客を吐き出した後、悠々と最前列に陣取る。無人運転なので、左1席、右2席の最前列は視界を遮るもののない特等席だ。車両は東京湾の「ゆりかもめ」と同タイプで、小さい箱を5両つないでいる。運転間隔は現在、平日の日中で7分30秒、この程度なら待つのも苦にならない。

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日暮里駅に入る列車

発車すると、半径30mの最急カーブで左に90度曲がって、尾久橋通りに出る。西日暮里にかけては緩い上り勾配で、5丁目交差点付近ではビルの5~6階の高さに達しているのがわかったが、常磐線、京成本線、田端貨物線と次々に越えている既存線路には、ほとんど気がつかなかった。西日暮里で少しお客を拾ったあとは、未来もののアニメの光景のように、そそり立つビルの壁の間を進む。

次は、赤土小学校前。バス停のような駅名なのは、最寄りのそれを踏襲しているのだろう。熊野前も、いわずもがな都電荒川線の電停の名だ。熊野前の手前で尾久橋通りが高架に上がるため、わがライナーは道を譲って右脇に振れる。ビル壁の衝立が消えて、俄然見晴らしが良くなったと思うと、広い川面が視界に広がった。この付近は隅田川と荒川が近接していて、足立小台(あだちおだい)の駅は中州の上にあるように見える。荒川を渡る間もじわじわと上り詰めていくのは、左岸に延びる首都高中央環状線を乗り越す必要があるからだ。このサミットを越えると、ジェットコースターのように50‰の急坂をくねりながら駆け降りて、扇大橋駅へ滑り込む。ただし、全線のハイライトともいうべき両駅間の眺めは、上り列車(日暮里行き)で見るほうが迫力があると思う。

扇大橋から3つ目、西新井大師西(にしあらいだいしにし)で下車して、お大師さんに参拝してきた。東方向へ住宅街を縫っていくと10分強で西新井大師、すなわち総持寺の裏門に着く。途中の道路標識が、おそらくクルマ用なのだろうが、環七の方へ回るように書かれていて紛らわしい。至近に東武線があるからライナーが競合路線になるとも思えないが、名所を駅名に冠したい気持ちはわかる。それにしても、回文と錯覚するようなこの駅名はどうだろう。

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舎人公園駅の広い構内

谷在家(やざいけ)の集落を過ぎると、舎人の旧村までは一面田んぼだったはずだが、今はすっかり市街地化してしまった。その中で、舎人公園周辺だけは緑に覆われて、目が和む空間だ。舎人公園は、丘のように景観修復されたライナーの車両基地を含めて、69.5ha(東京ドーム15個分)という広大な面積を有している。東側にある大きな池のほとりに行ってみると、淡い紅色の睡蓮や黄色の菖蒲が咲き乱れ、あずまやのデッキから釣り人が糸を垂れるのどかな風景があった(右写真)。聞くところでは、西側の敷地は新東京タワー(東京スカイツリー)の候補地の一つにあげられていたそうだが、普通の公園にとどまってよかったのではないか。舎人公園駅は中間駅ながら、ホームは2面3線あり、中線は先述の車両基地へ通じている。

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舎人公園にて

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見沼代親水公園駅

終点の見沼代親水公園は、埼玉との都県境まであと300mという、東京23区の最北端だ。駅名は、ここを流れていた見沼代用水の跡を整備した公園に由来するが、足立区の資料によると、駅名公募の結果は舎人が1位だったそうだ。1880(明治13)年測量の1:20,000迅速測図でも、一円「村」ばかりの中でここだけが舎人「町」で、古くから中心地だったことがわかる。見沼代用水は、見沼の干拓と引き換えに18世紀に作られた農業用水で、埼玉県行田で利根川から取水し、ここまで延々60kmも流れ下ってきていた。末端ではその機能をとうに失ってしまい、水辺の緑道に再生されたのだ。用水は駅の目の前を横切っている。西側はそこそこ川幅を残しているが、東側は浅い人工水路に遊歩道と並木を巡らしたささやかなもので、広大な舎人公園とは比較すべくもない。

見沼代親水公園駅の先でライナーの走行路はぷつんと途切れている。車両はホームの両面に交互に到着して、また南へと折り返していく。

■参考サイト
東京都交通局-日暮里・舎人ライナー http://www.kotsu.metro.tokyo.jp/nippori_toneri/
見沼代親水公園駅付近の1:25,000地形図
http://maps.gsi.go.jp/#15/35.814500/139.770700
見沼代親水公園駅付近のGoogleマップ
http://maps.google.com/maps?hl=ja&lr=&ie=UTF8&ll=35.8145,139.7707&z=17

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2008年7月24日 (木)

ラトビア最後の狭軌鉄道

1520mmの広軌、いわゆるロシアンゲージが支配するラトビアで、唯一750mmのナローゲージを残しているのが、グルベネ=アルークスネ鉄道 Gulbenes - Alūksnes bānītis だ。定期運行している狭軌鉄道は、バルト三国でもここしかない。原語のバーニーティス bānītis はドイツ語の Bahn(鉄道)に縮小辞をつけたもので、広軌用に比べてめっぽう小柄な車両や施設に対する土地の人々の親近感がよく表れている。場所はラトビア北東部、森の中に湖が点在する道のりを、毎日3往復の列車がのんびりと走っている。鉄道の公式サイトは英語版も充実しているので、それを参考に、波乱に満ちた鉄道の歴史をたどってみよう。

■参考サイト
グルベネ=アルークスネ鉄道(英語版) http://www.banitis.lv/eng/

Blog_banitis_map地元の有力者が興した会社によって鉄道が公式開業したのは、ロシア帝国領時代の1903年だ。当時の路線は、ストゥクマニ Stukmaņi ~ヴァルカ Valka 間212kmもあって、今とは比べ物にならない長大な路線だった(右図)。

ストゥクマニは、ダウガヴァ川 Daugava 沿いにある現在のプリャヴィニャス Pļaviņas で、リーガへ通じる幹線との接続駅だ。列車はそこから北東方向にマドナ Madona、ヴェツグルベネ Vecgulbene(1928年、旧名グルベネに戻る。Vecはoldの意)、アルークスネ Alūksne まで進んだ後、北西に向きを変えてアペ Ape、ヴァルカへ至る。

ヴァルカにはリーガと現ロシアのプスコフ Pskov を結ぶ広軌線が通っていたが、それとは別に開通済みの狭軌線に接続して、現エストニア領パルヌ Pärnu の港への短絡路を確保した。鉄道が内陸輸送の主役であった時代、積み替えせず港まで物資を直送できるのは大きな利点だった。木材をはじめ、とうもろこしや酒その他の農産物が、このルートを通って運ばれた。

しかし、帝国末期の世情は不安定で、会社はまもなく、血の日曜日事件に始まるロシア第一革命の渦に巻き込まれる。農村の騒乱に呼応して、鉄道員たちも活動の先鋒に立った。施設が破壊され、会社は蒙った損失を回復できないまま、第一次大戦直前、ついに破産してしまう。1916年、ロシア軍は、ヴェツグルベネでこの線と交差する広軌新線(Ieriki ~ Abrene )を建設するのに合わせて、ストゥクマニ~ヴェツグルベネ間を広軌に変換した。このため、狭軌区間は北半分に短縮された。

1918年にバルト三国は相次いでロシアからの独立を宣言するが、これが狭軌線の運命をまたも翻弄することになる。アルークスネの先で、ラトビアとエストニアの国境線が鉄路を二度も横切ることになったからだ。両国間の協議で、エストニア側に越境した区間の運行管理をラトビアに委ねることが決まり、戦争で荒廃した鉄道は1921年にようやく全線再開に漕ぎつける。ラトビア国内の輸送は順調に推移したものの、パルヌ港が他国領となったため物流の方向が変わり、アペから西側の利用は極端に少なくなった。

第二次大戦、特にその終盤はドイツ占領軍の撤退とソ連軍の空襲で、鉄道の施設は甚大な被害を受けた。しかし、重点的な復旧作業の結果、1945年12月には運行を開始している。1960年代には、ヴァルガ Valga 駅(現エストニア)に引き込むルートが設けられが、同時にこの頃から、自動車交通の発達が鉄道の顧客を徐々に奪い始めた。1970年、長らく閑散区間だったヴァルガ~アペ間が休止、1973年にはアペ~アルークスネ間も運行を取りやめた。

こうして、アルークスネ~グルベネ間だけが残ったが、その理由は、アルークスネに駐留していたソ連軍に物資を供給するためだったといわれる。しかしここにも存続の危機が迫っていた。1987年に、老朽化した車両の整備不良がたたって運行が止まってしまったのだ。すでに鉄道は、工学遺産に指定されていたため、知識人らの熱心な支援活動が当時の共産党中央委員会を動かした。客車が新調され、続いてDL 2両が新たに導入された。

ソ連から再独立した後も、貨物輸送の廃止、旅客列車の削減と、鉄道の規模縮小は進行したが、1998年の国鉄から地方政府への売却、2001年の運営会社設立によって命脈を保ち、2003年には100周年を祝うことができた。地元では観光資源としての期待も膨らんでいるようだ。

Blog_banitis_gulbene 手元にあるソ連製の1:100,000地形図で起終点の部分を示そう。グルベネ Gulbene はドイツ名をシュヴァネンブルク Schwanenburg といい、狭軌線の単なる中間駅が、第一次大戦中に鉄道の結節点となったことでにわかに活気づいた。1926年当時の壮麗な駅舎が今も建っている。地図の北東隅から狭軌線(日本で言う私鉄記号)が延びてきて、グルベネ駅の手前で途切れている。しかし、南西に向かう広軌線(太い実線)がその続きだったことは、狭軌線をそのまま延長するとスムーズにつながることでわかる。

Blog_banitis_aluksne アルークスネ Alūksne は、ドイツ名マリエンブルク Marienburg といい、ドイツ騎士団が通商路を護るため、湖に浮かぶ小島に聖母の名を冠した城を築いたことに由来する。地図で、町の北側の小さな入江にある丸い島がそれで、Pilssala(城島)あるいは Marijas sala(マリア島)と呼ばれている。また、現在のラトビア語の地名は、森の泉という意味だそうで、いずれ劣らぬ優美な名にふさわしいリクリエーションスポットであることは、地図を一瞥しただけでも想像できる。

バーニーティスの運行ダイヤは、車庫のあるグルベネが拠点だ。アルークスネまで片道33.4kmを、途中8駅に停まりながら90分かけて走る。公式サイトのフォトギャラリーに、空中から撮った写真を集めたページがあった。緑の森と開墾地、そして青い湖面のパッチワークを縫うようにして、まっすぐ伸びるかぼそい鉄路が見える。その上を、小さなエンジンが2両の客車を牽いて(推して?)走るけなげな姿が捉えられている。

旅情あふれる小列車に揺られてアルークスネを訪ねるという日帰り旅行のプランを思いついた。しかし、時刻表を見る限り、観光客が利用できそうなのは日中の1往復だけで、アルークスネでの滞在時間はわずか25~30分しかない。駅からの距離を考えると、湖岸の散策どころか、湖を目にしただけで戻るのが精一杯だろう。ならばいっそアルークスネの湖畔で1泊することを考えたい。時を忘れてゆったり過ごす旅が、バーニーティスに一番ふさわしいのだと思う。

■参考サイト
バーニーティス、空からの写真 Foto no gaisa  http://www.banitis.lv/lat/galerija_aero.htm
アルークスネ公式サイト 市街図 http://www.aluksne.lv/dome/karte1.html

アルークスネ付近のGoogleマップ
http://maps.google.com/maps?f=q&hl=ja&ie=UTF8&ll=57.4156,27.0464&z=14

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 バルト三国の地図-ラトビアの地方図・市街図

2008年7月17日 (木)

バルト三国の鉄道地図

バルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)の鉄道は、ソ連時代、カリーニングラード州とともにバルチック鉄道 Балтийская железная дорога / Baltic Railway の管轄下にあったが、1991年の再独立によって、各国に移管された。三国を合わせた面積は175,000平方キロで、そこに約700万人が住む。1平方キロ当たりの人口密度は40.4人と、北海道(66.8人。面積には北方四島を含む)の6割ほどにしかならず、旅客鉄道が生き残る環境としてはかなり厳しいと想像される。ガイドブックなどには、各都市間の移動はバスが中心で、鉄道は本数が少なく使いにくいと書かれていることが多い。

Blog_balticstates_railmap いったいどの路線が、どれぐらいの頻度で運行されているのだろうか。各鉄道会社の2008年夏ダイヤを参考に、地図上に落とし込んでみたのが、右の図だ。すべての系統を網羅できたか心許ないが、およその傾向は読み取れるだろう。

どの国の路線網も太字で記した首都を中心にしており、タリン Tallinn とリーガ Rīga の近郊では比較的頻度の高いダイヤ(通勤電車)が組まれていることがわかる。しかし、距離が100kmを越える区間になると、1日数本の中・長距離列車が運行されているだけだ。早朝に地方を出て首都へ、夜に首都から地方へ戻るというような設定では、首都を足場にする旅行者のニーズに合わない。

図では国際列車を省略しているが、三国の首都間を行き交う「首都特急」などは夢の話で、列車の目的地はロシア方面に限られているのが実態だ。モスクワとサンクトペテルブルク行きはどの首都からも出ているし、ロシア本土とカリーニングラード州を連絡する列車はリトアニア国内に停車していく。

首都間は無理でも、せめて三国間の国境を越える列車がないかと探したが、見つかったのは、ヴィリニュスからラトビア東部の都市に停車してサンクトペテルブルクへ行く1往復と、リーガからエストニア国境にある双子町ヴァルカ Valka へ足を伸ばす3往復だけだった。ヴァルカから先、タルトゥ、タリン方面へ行く定期列車は設定されていないので、今のところ鉄路でラトビアからエストニアへ回遊することは不可能のようだ。

このように、バルト三国相互間の旅客往来に鉄道が関与する割合は極めて小さい。それが影響しているのか、鉄道地図も、三国の全体像が見えるものは刊行されておらず、トーマス・クックのヨーロッパ鉄道地図 The Thomas Cook Rail Map of Europe のレベルか、そうでなければ、鉄道会社が作成したものを個別に当たるほかないようだ。

エストニア
国有のエストニア鉄道 Eesti Raudtee / Estonian Railways の輸送部門は貨物に特化されており、旅客輸送には別途数社が関わっている。南西鉄道 Edelaraudtee / South-West Railway は、タリン Tallinn ~パルヌ Pärnu およびヴィリヤンディ Viljandi 間を経営(施設保有、旅客・貨物輸送)しているほか、エストニア鉄道の管理下にある東のナルヴァ Narva、東南のタルトゥ Tartu へも旅客列車を走らせている。

また、首都タリン近郊では、電気鉄道 Elektriraudtee / Electric Railway による通勤電車があり、首都とサンクトペテルブルク、モスクワを結ぶ各1往復の夜行列車は、ゴーレール社 GoRail が運行している。

エストニア鉄道の公式サイトには、古い鉄道地図があたかも現行のものであるかのように掲載されていて、誤解を招きそうだ。南西鉄道と電気鉄道のサイトにも、自社運行区間の簡単な路線図がある。なお、イギリスのクエールマップ社 Quail Map のシリーズに、エストニア鉄道地図(1枚ものの印刷図、1997年版)がある。

■参考サイト
エストニア鉄道 http://www.evr.ee/
 トップページ > EVR Kaartで、旧路線図が見られる。かつての路線網を知るのには役立つが、現況との乖離が大きい。
南西鉄道 http://www.edel.ee/
 路線図: トップページ > Raudteekaart(鉄道地図)  非運行区間を含んでいる。
 路線別時刻表PDF: トップページ > Sõidugraafikud または Sõiduplaanid ja hinnad(時刻表と運賃)
電気鉄道 http://www.elektriraudtee.ee/
 路線図: トップページ > REISIJALE(旅客)> Piletihinnad(運賃)のページ末尾にある。
 時刻表:トップページ > REISIJALE(旅客)> Sõiduplaan(時刻表)
  時刻表検索とは別に、エクセル形式の全駅時刻表 Sõiduplaan がダウンロードできる。
  ダイレクトリンク http://www.elektriraudtee.ee/file.php?2694
クエールマップ社 http://www.quailmapcompany.free-online.co.uk/

ラトビア
国有のラトビア鉄道 Latvijas dzelzceļš = LDz / Latvian Railways の子会社、旅客列車会社 Pasažieru Vilciens / Passenger Train が運行する。リーガから4方向に40~80km圏内までは近郊路線として、通勤電車が走るが、以遠はディーゼル機関車が牽引する中長距離列車で、一部を除いて本数が少ない。特に西の沿岸都市が不便で、リェパーヤ Liepāja へは辛うじて1本が残るが、ヴェンツピルス Ventspils へは全く走っていない。

バルト三国の鉄道の軌間はロシアと共通の1520mm(エストニアは1524mm)だが、かつては狭軌鉄道網も発達していた。東部のグルベネ Gulbene には、定期運行する最後の750mm狭軌鉄道がある(「ラトビア最後の狭軌鉄道」参照)。

■参考サイト
ラトビア鉄道 http://www.ldz.lv/
 英語版でも路線図、時刻表が見られる。
 路線図: トップページ> Passenger traffic > Route Scheme  
 本来は区分ごとの拡大図が表示されるところ、現在は全体図(425KB)が現れる。
 時刻表は検索方式のみ。
旅客列車  http://www.pv.lv/
 このサイトでも同じ路線図が見られるが、上記に比べて解像度が低い。

リトアニア
国有のリトアニア鉄道 Lietuvos geležinkeliai = LG / Lithuanian Railways が国内の旅客列車を運行しているが、他の二国に比べると上下分離や子会社化が進んでいない。近郊電車区間も存在しないが、これは人口分布が首都への一極集中型でないことが一因としてあげられよう。

旅客列車の本数では、ヴィリニュスと第二の都市カウナス Kaunas の間の17往復が最も多く、次がヴィリニュス近郊の観光地トラカイ Trakai 行きの10往復、他は毎日1桁台の列車しか走っていない。貨物輸送は盛んだが、旅客輸送全体に占める鉄道の割合は、ラトビア5.1%、エストニア1.7%に対してリトアニアは1.0%しかなく、EU諸国で最低だ(EU energy and transport in figures - Statistical pocketbook 2007/2008 p.121による2006年のデータ)。

リトアニアにも狭軌鉄道が存在したが、現在は保存鉄道として、アウクシュタイティヤ狭軌鉄道 Aukštaitijos Siaurasis Geležinkelis = ASG / Aukštaitija Narrow Gauge Railway、68.4kmが残るのみとなっている。

■参考サイト
リトアニア鉄道  http://www.litrail.lt/ 英語版あり
 路線図:Passenger transportation > Train stations > Train stations map
 時刻表は検索方式のみ。
アウクシュタイティヤ狭軌鉄道 http://www.siaurukas.eu/

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 ヨーロッパの鉄道地図 V-ウェブ版
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2008年7月10日 (木)

バルト三国の地図-エストニアの旅行地図

バルト三国で最も北に位置するエストニアの旅行地図は、EOマップ社 EOMap とレギオ Regio 社が多く手がけている。サンプル画像を見る限り、地勢表現を省略し、緑地に赤の道路を巡らせるといった地図のスタイルは、よく似ている。

レギオ社については、紙地図に関する情報がウェブサイトにもあまり載っておらず、詳しくは知らないが、全土をカバーする道路地図帳が、1:150,000(スパイラル綴じ)と1:200,000(平綴じ)の2種類ある。1枚もののレパートリーは10点程度のようだが、その中にタリン公共交通路線図 Tallinna ühistranspordikaart / Public transportation map of Tallinn(縮尺1:25,000)が含まれているのが興味をそそる。これは、交通局の窓口などで配布しているような、道路網を描いた市街図の上にトラムやバスのルートを系統番号とともに描いたものだ。

一方、EOマップ社の道路地図帳は、全76ページの1:150,000区分図と1:20,000の主要市街図という構成だ。別に、1枚ものの区分図も刊行されていて、こちらの縮尺は1:200,000、全土を5面でカバーする。

Blog_estonia_saaremaa エストニアの行政区は、本土13郡(マーコンドmaakond)と西岸沖にある島嶼部の2郡(ヒーウマー Hiiumaa =ヒーウ郡、サーレマー Saaremaa =サーレ郡)に分かれている。地名語尾の maa は英語なら land というような意味だ。先述の区分図では島嶼部2郡が1面にまとめられているが、筆者の手元にあるのはそれとは別の、サーレマーだけに的を絞った1:150,000の旅行地図だ(右写真)。カバーは赤をベースに、補色である濃緑の帯を入れた目立つ装いで、最近発行のものはこれで統一されている。用紙は合成紙を使用する。

エストニア最大の島、サーレマー(本島)は面積2,673平方キロで、神奈川県(2,416平方キロ)より少し広い。リガ湾 Liivi Laht / Gulf of Riga をふさぐように広がっていて、本土とは、ムフ島 Muhu を介してフェリーで連絡する。ソ連時代、西側諸国と対峙する閉鎖地域だったことでかえって素朴な風光が残り、それを好んで観光客が行き交うようになったのだそうだ。

EOマップの旅行地図も、道路網を見せるだけでなく、沼地、泥炭湿地、森林・低木林、空地といった地表の状況を描いて、土地のイメージを伝えようとしている。主題である観光情報については徹底的に記号化されて、その数は62個にもなる。見どころ Interesting places は、図上に連番で示され、図郭外に内容リストが載っている。リストや凡例集は、エストニア語のほか、フィンランド語、英、独、露語の5ヶ国語併記で、これを図中に書き込んでしまうと、非常に錯雑としたものになるに違いない。番号検索は不便に思えるが、地図に国際的な通用性を持たせながらも、すっきりと見せるための一つの方策なのだ。

裏面には、島随一の町クレッサーレ Kuressaare の1:15,000市街図(中心部は1:6,000)が載っている。この縮尺なら、町の前面を、4つの稜堡と3つの半月堡をもつ見事な城郭Linnusが守っている様子がよくわかる。本図にしろ拡大図にしろ、等高線のような地勢表現が一切ないことを除けば、過不足のないできばえだ。

EOMAP 社は1991年末に設立、1992年に登記された会社で、官製地図の作成を請け負う技術力をもつ。現在は地理情報(ジオデータ)Geodata、販売 Kaubanduse、土地測量センター Maamõõdukeskus の子会社3社を有し、ジオデータが地図の作成編集、販社が刊行と販売を受け持っている。販社はオンラインショップも開いているのだが、エストニア語版しかないので購入は難しい。それで筆者も、ラトビアのヤーニャ・セータ社に頼ることにした。

■参考サイト
レギオ http://www.regio.ee/
EOマップ  http://www.eomap.ee/
同社ショップ  http://www.eomap.ee/epood/ エストニア語のみ
EOマップ社が提供するタリン市街図 http://kaart.tallinn.ee/

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2008年7月 3日 (木)

バルト三国の地図-リトアニアの旅行地図

Blog_lithuania_briedis_indexmap リトアニア国内の旅行地図が必要なときは、ブリェディス社 Briedis のカタログに当たれば間違いない。道路地図や市街図に関しては、ラトビアのヤーニャ・セータ社の品揃えも決して負けてはいないが、首都ヴィリニュス Vilnius にあるブリェディス社は地元の強みを生かして、旅行者向けの地図を特に充実させているからだ。

リトアニアのエクスカーション適地は、東部の台地と西部の海岸沿いに大きく二分される。東部の一帯は、バルト高地 Baltijos aukštumos / Baltic Highlands と呼ばれる標高150~250m程度の高まりが、北東から南西にかけて横たわっている。森の中に氷河の置き土産である大小の湖が点在し、人々はキャンピングやウォータースポーツを楽しむためにやってくる。アウクシュタイティヤ Aukštaitija 国立公園からモレタイ Molėtai 周辺、そして南部のズーキヤ Dzūkija 国立公園あたりが中心だ。

一方、バルト海に面した西の海岸線は砂浜がどこまでも続いている。夏の首都とまで言われるパランガ Palangaや、弧を描く砂州の上に載るニダ Nida は、バカンス客で賑わうリゾートだ。

旅行地図のシリーズはこれらのエリアをすべてカバーし、今のところ15種出ているようだ(上写真は旅行図裏面にある索引図の一部)。その一例として、アウクシュタイティヤ国立公園 Aukštaitijos Nacionalinis Parkas を見てみよう(中写真)。折図の表紙と同じ面には、観光関連スポットの連絡先と図上位置を示す参照コードの一覧がある。余白に地図の凡例が付されているが、リトアニア語と英、独、露の4ヶ国語表記で、読み取りに不自由はない。

Blog_lithuania_aukstaitija 地図は中面を全面使って、対象となる国立公園のほぼ全域を収めている。縮尺が1:50,000で感覚的に使いやすいだけでなく、10m等高線と標高点が記入され、植生も森林、畑地、採掘・処分場、泥炭湿地、沼地と細分化されて、地形図としても使えるのがいい。もちろん、観光情報は案内所、宿、休憩所、キャンプサイト、貸しボート、釣り場などの記号が設けられ、ハイキングやサイクリングルート、自然観察路 Botanical path、それにカヌーやボートの愛好者のために水上ルートが湖や小川を縫うように描かれている。

筆者がブリェディスを推奨する理由は、まだ他にもある。それは、同社の市街図シリーズの半数以上に添えられている、鳥瞰図形式のイラストマップだ。ラトビアの項でリガ旧市街の絵図を紹介したが、おそらく同じ作者によるものだろう、やわらかいペン画に水彩や色鉛筆で彩色した、どことなくひなびた風情も漂う味わい深いイラストが、旅心を誘う。

歴史都市カウナス Kaunas、西海岸のクライペダ Klaipeda、保養地パランガと琥珀の浜シュヴェントーイ Palanga ir Šventoji、芸術都市パネヴェジース Panevėžys、どこでも鳥になった気分で図上散歩ができる。首都ヴィリニュスはないのかと思ったら、こちらは別の意匠の表紙で「日帰りヴィリニュス One Day in Vilnius」と題した専門地図になっていた。しかも英語版とロシア語版の2種が用意されている。

Blog_lithuania_trakai 観光地も例外ではない。ヴィリニュスの西約30kmにあるトラカイ Trakai は、湖に浮かぶ小島に築かれた古城で有名だ。絵図は通常とは逆の、北から眺める形をとり、美しいシチュエーションを現実以上にロマンチックに描きあげている。親切にも城内の拡大図や歴史解説もついているので、携行するのにこれ以上望むものはないだろう(右写真はその表紙)。同様の地図は、世界遺産登録で旅行者が増加しているクルシュー砂州 Kuršių Nerija / Curonian Spit のニダについても、刊行されている。

リトアニア語のブリェディス briedis は、ヘラジカ Elk, Moose のことだ。シベリアから北欧にかけての森林地帯に広く生息しているヘラジカは、掌のように枝分かれした角と立派な体格で、森の王と言われる。同社の商標にあしらわれた雄雄しいシルエットは、創業者の地図出版にかける思いを託したものかもしれない。実り豊かな成果物の数々を前にすると、その心意気がひしひしと伝わってくる。

■参考サイト
ブリェディス社 http://www.briedis.lt/ リトアニア語のみ
ヤーニャ・セータ地図店(英語版) http://www.karsuveikals.lv/en/
 各市街図のページに入ると、鳥瞰図のサンプル画像も見られる。
アウクシュタイティヤ国立公園 http://www.anp.lt/

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