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2008年5月 8日 (木)

ロシアの鉄道を地図で追う

以前、旧ソ連軍参謀本部が作成した地形図でユーラシア大陸を西から東へと旅した(「旧ソ連軍作成の地形図 III」参照)が、今回はロシアの大地を疾駆する鉄道の軌跡に的を絞ってレポートしてみよう。(Map images courtesy of maps.vlasenko.net)

世界最北端の鉄道
ムルマンスク
http://download.maps.vlasenko.net/smtm100/r-36-103_104.jpg
http://download.maps.vlasenko.net/smtm100/r-36-115_116.jpg

旅客列車で行ける北端の駅として有名なのが、ロシア北西部のムルマンスク Мурманск / Murmansk だ。駅の位置は北緯68度58分。サンクトペテルブルクのラドジスキー駅からここまで1438km、約28時間かかる。レールはさらに北に延びて、北緯69度5分のセヴェロモルスク Североморск / Severomorsk の港に達する。

1:100,000(原画像を80%に縮小)
Blog_genshtab_map31
ムルマンスク 1:50,000(×80%)
Blog_genshtab_map32
この1:50,000は現在ダウンロードできない

ペチェンガ
http://download.maps.vlasenko.net/smtm100/r-36-087_088.jpg

しかし、最北端はここではない。ムルマンスク・ニケリ鉄道で西へ150km進んだペチェンガ Печенга / Pechenga 付近にある。地形図で見る限り、その北6kmにある湖のほとりが鉄路の最果てで、69度37分の緯度を示す。D. Zinoviev 氏の鉄道地図ではペチェンガ湾に面する漁港リイナハマリ Лиинахамари / Liinakhamari の名が付されている。

ムルマンスク・ニケリ鉄道はニッケル鉱山のための貨物鉄道で、旅客輸送もしているようだが、ペチェンガへの支線(線形から判断するとこちらが先に開通したと思われる)は貨物専用だ。

コラ半島はノルウェーと国境を接し、不凍港のため軍事施設が点在する地域だが、1:50,000地形図が堂々と閲覧に供されている(本稿では1:100,000を使用)。

100,000(×80%)
Blog_genshtab_map33

■参考サイト
Кольские карты / Kol'skiy maps http://kolamap.ru/
コラ半島に関する地図サイト(ロシア語表記)。地形図(vlasenko.net とは別ソース)や古地図の画像がある。トップページの中央のコラム ТОПОГРАФИЯ/Topography に縮尺1:200,000~1:50,000の地形図が多数収録されている。

タルナフ

最北から2番目は、エニセイ川河口に最も近い港町ドゥディンカ Дудинка / Dudinka から、ノリリスク Норильск / Norilsk を経て、タルナフ Талнах / Talnakh に通じる産業鉄道で、延長約120km、他の鉄道と接続のない孤立線だ。終点タルナフはニッケルなどを生産する鉱業の町で、北緯69度30分。これらの町は現在、外国人が立入れない、いわゆる閉鎖都市に指定されているので、図上旅行以外に方法はない。

1:100,000(×60%)
Blog_genshtab_map34
この1:100,000は現在ダウンロードできない

「皇帝の指」カーブ
http://download.maps.vlasenko.net/smtm1000/o-36.jpg
http://download.maps.vlasenko.net/smtm100/o-36-042.jpg
http://download.maps.vlasenko.net/smtm100/o-36-054.jpg

モスクワとサンクトペテルブルク間649.7kmの幹線は、1851年にロシアで2番目に開通した古い鉄道だ。ロシア革命以前は、建設を命じた皇帝ニコライ1世にちなんで、ニコライ鉄道 Николаевская железная дорога と呼ばれていた。鉄道は両都市間をほぼ最短距離で結んでいるが、ただ1個所、サンクトペテルブルクから200kmの地点に妙な曲線が設けてあった。

言い伝えによると、皇帝は最初に設計者の描いたルートが気に入らず、自ら地図の上に定規で直線を引いた。そのとき、置いた指の周りをなぞったために、そこだけ線が歪んでしまった。怯えた設計者は指摘もできず、線路はそのまま曲げて建設されたのだという。

しかし、伝説が作り話であることは、1:100,000地形図を見れば明白だ。盛り土と切り通しの直線的な連なりが当初のルートを示している。事実、この迂回線は、4連の機関車を必要とした急勾配を解消する目的で、開通から26年後の1877年に完成したものだ。しかし2001年に、列車の高速化を進めるために再び直線に戻されて、距離が5km短縮したそうだ。

1:1,000,000(×25%) 矢印が「皇帝の指」カーブ
Blog_genshtab_map35
拡大図 1:100,000(×80%)
Blog_genshtab_map36

ウラル山脈の欧亜境界
http://download.maps.vlasenko.net/smtm1000/o-40.jpg
http://download.maps.vlasenko.net/smtm1000/o-41.jpg
http://download.maps.vlasenko.net/smtm50/o-41-109-1.jpg

シベリア鉄道がウラル山脈を乗り越える地点に、ヨーロッパとアジアの境界を示すオベリスクが建っている。車窓から見える一瞬のシャッターチャンスを狙う旅行者も多い。

幸運にもこの辺りは1:50,000地形図が使えるので探してみると、ペルヴォウラルスク Первоуральск / Pervouralsk とスヴェルドロフスク Свердловск / Sverdlovsk(現名称はエカテリンブルク Екатеринбург / Yekaterinburg)の間、370mの等高線を線路が横切るところ(図に矢印)に、"Вершина" すなわちサミットの注記がある停留所(?)と記念碑の記号が見つかった。広域図と照合すると、変哲のないなだらかな鞍部の西側はカスピ海に注ぐボルガ川水系、東側は北極海に流れ下るオビ川水系で、実に雄大な分水界なのだった。

1:1,000,000(×80%)
Blog_genshtab_map37
拡大図 1:50,000(×80%) 矢印が欧亜境界のサミット
Blog_genshtab_map38

バイカル湖を廻る鉄道
http://download.maps.vlasenko.net/smtm1000/n-48.jpg
http://download.maps.vlasenko.net/smtm1000/m-48.jpg

東をめざすシベリア鉄道は途中、バイカル湖によって行く手を阻まれる。現在のルートはイルクーツクから南下して湖の西端に達するが、1905年に完成した初期のルートはアンガラ川を遡り、湖岸にぴったり張り付いて、湖を半周していた(詳細は本ブログ「バイカル環状鉄道」参照)。

1:1,000,000(×60%)
blog_circumbaikalrailway_map1
青が1898~1900年開通の、湖を船で連絡する初期ルート
赤はそれに代わる1901~1904年開通のバイカル環状鉄道
緑は現在のシベリア鉄道である1949年開通の山越え新線

バム鉄道、ロシア最長のトンネル
http://download.maps.vlasenko.net/smtm200/o-49-36.jpg

第2シベリア鉄道ともいわれるバム鉄道 БАМ / BAM(正式名はバイカル=アムール幹線 Байкало-Амурская Магистраль)で、バイカル湖畔から東へ約300km。セヴェロムイスキー山脈を貫く同名のトンネル Северомуйский туннель / Severomuysky Tunnel は、1977年に着手され、永久凍土を掘り進む難工事の末、2003年にようやく開通した。15343mあり、ロシアで最も長い。

トンネルの完成までは標高1100mを越える峠の上を越えていたが、旧線は40‰の急勾配があり、補助機関車を必要とする難所だった。貨物優先のため、乗客は峠の手前で降ろされ、20kmの未舗装道を車で運ばれたという。1989年、勾配を18‰以下に抑えた迂回路が完成して、旅客列車も走るようになった。しかし、悪魔の橋 Чёртов мост と呼ばれる橋梁をはじめとして急カーブが連続し、依然としてツンドラ地帯の峠道が運行上の隘路であることに変わりはなかった。新トンネルの開通により、2時間半かかったこの区間の所要時間が、わずか15分に短縮された。

この付近は1:100,000が閲覧できるのだが、1978年編集のため、新トンネルが予定線として描かれているばかりで、旧線の姿はなかった。1:200 000は1986年に編集されており、改良前の旧線と工事中のトンネルとの関係がわかる。改良後の旧線ルートは資料がないため、衛星画像を参考に筆者が書き込んでみた(図の improved old line)。

■参考サイト
改良後の旧線の現場写真 http://bam.railways.ru/eng/egalery.html

1:200,000(×100%)
Blog_genshtab_map39

大河アムールを渡る
http://download.maps.vlasenko.net/smtm200/m-53-33.jpg
http://download.maps.vlasenko.net/smtm200/m-53-34.jpg

東方をめざすシベリア鉄道の列車はアムール川 Амур / Amur を長大鉄橋で渡って、ロシア極東で2番目の都市、ハバロフスク Хабаровск / Khabarovsk に到着する。1916年に完成した18連のトラス橋は、長さ2590mで当時としてはユーラシア大陸最長だったが、1999年に、長さ2612mの新しい道路併用橋に架け替えられた。地図に描かれているのはもちろん旧橋で、川幅が最も狭まる地点に架橋されていることがわかる。前後の奔放な流路は、広範囲を収める1:200,000の図郭さえもはみ出す勢いだ。

ちなみに、戦略上の理由で、橋に並行する河底トンネル(長さ7km以上)が1942年に完成し、上り線として使用されてきた。地形図には記載がないが、ハバロフスク側の入口は、橋の東のたもとにある短いトンネルの南側と思われる。川岸に背を向けた行き止まりの側線が描かれているが、衛星画像によると、この先にトンネルのポータルが推定される。

1:200,000(×100%)
Blog_genshtab_map40

サハリン島のループ線

サハリン島南部、ユジノサハリンスク Южно-Сахалинск / Yuzhno-Sakhalinsk とホルムスク Холмск / Kholmsk を結ぶ南部横断線は、日本領樺太であった1928年に豊真線として全通した。途中、分水嶺を横断する個所が2個所あり、西側の山越えでは宝台(たからだい)ループ線と通称されるスパイラルを構えている。残念ながら1994年に一部を除き、運行が中止された。

サハリン島の地形図で閲覧できる最大縮尺は1:100,000だ。地図ではスパイラルが平面交差のように描かれているが、実際は上部の線路が鉄橋でまたいでいる(豊真線の詳細は、「樺太 豊真線を地図で追う」参照)。

1:100,000(×80%)
Blog_genshtab_map41
引用したのは1:100,000のI-54-033、I-54-045だが、vlasenko.netには該当図葉の画像がないため、maps.poehali.orgの画像を使用した。

★本ブログ内の関連記事
 ロシアの鉄道地図 I
 ロシアの鉄道地図 II-ウェブ版
 旧ソ連軍作成の地形図 III

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コメント

拝読しました。 
1、今まで日本国内では国土地理院の地図が最高で、世界各国の地図も多分同じレベルだろうと思ってたのですが、
ソ連の地図を見ると、大変な情報量で国土地理院よりグンとすごいです。
米国製のソ連地図凡例を見ましたが、川の流速や渡渉距離などを表示してる事に驚きました。
軍事優先などの有利さがあるとは思いますが、一方で日本は面積当たりの人口が多いわけですから、
地図の情報量は増やすのが当然と思います。
2、ソ連地図のダウンロードは、
http://www.sovietmaps.com/Soviewer.htm
↑の「Each session limited to 5 minutes run time」は「無料は閲覧5分以内」と言う意味らしいので、
躊躇しました。

貴ブログは地図の詳しい話があって楽しませていただいてます。

コメントありがとうございます。
確かにソ連地形図の情報量には圧倒されますね。
情報量は調査にかけた金額に比例していると思います。
科学技術も軍用から発達したそうですが、どちらも巨額の軍事予算を優先的に回していた証しでしょう。

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