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2008年5月29日 (木)

バルト三国の地図-序章

Blog_balticstates_map バルト三国とまとめて扱われることはあっても、エストニア、ラトビア、リトアニアという国名、さらには三国の地理的な位置関係を知っている人はどれくらいいるだろうか。正直なところ筆者も正確に言う自信はなかった、少なくともこの本を読むまでは。

志摩園子氏の「物語 バルト三国の歴史」(中公新書, 2004年)は、ドイツとロシアの勢力が常に拮抗してきたバルト海の東南岸で、三国のフレームが形づくられていく過程を明解に説き起こしている。筆者の理解した範囲では、三国を区別する主な要素は宗教と言語のようだ。

最も北に位置するエストニアと中央にあるラトビアは、古くはリヴォニア Livonia と呼ばれてドイツ騎士団の入植により開発が進んだ地域だ。現在首都となっているタリン Tallinn(旧名レヴァル Reval、独語読みはレーファル)やリーガ Liga は、13世紀からハンザ同盟に加盟して、バルト海を仲立ちとする東西ヨーロッパの交易の拠点として栄えた。特権階級であったバルト・ドイツ人の影響でプロテスタント(ルター派)の勢力が強い。

一方、南のリトアニアは、隣国ポーランドと歴史を共にすることが多かったため、カトリックが主流を占める。首都ヴィリニュス Vilnius に他の2首都のような天を衝くゴシック教会の尖塔が見えないのは、そのためだ。しかし、言語分布はまた別で、ラトビアとリトアニアがインド・ヨーロッパ語の系統(バルト語派)なのに対して、エストニアは全く出自の違うウラル語族で、対岸のフィンランド語に非常に近いという。

すなわち、三国(とその主要構成民族)の特徴を端的に示すと、

エストニア:プロテスタント、ウラル語族
ラトビア :プロテスタント、印欧語族
リトアニア:カトリック、印欧語族

ということになる。

しかし、現在のような3つの国家としてまとまったのは、それほど昔の話ではない。18世紀、この地域は、プロイセンの領土となったリトアニア沿岸部を除いて次々とロシア帝国の版図に組み込まれ、県(グベールニヤ губерния)単位の地方行政が敷かれていた。第一次大戦でドイツに侵攻されると、片やロシアでは社会主義革命が勃発する。混乱のさ中、ソヴィエト・ロシアは、1918年にドイツを含む同盟国側と結んだ休戦条約で西部の領土を放棄し、三国は独立を果たすことができた。

国際連盟のメンバーでもあった自主国家の歴史は、不幸にも20年余りで中断する。1939年、ドイツとの秘密協定で三国を影響下に置く合意を得たソ連が、1940年、強制併合に踏み切ったからだ。第二次大戦中はナチスドイツに占領されたものの、その敗退後は再び連邦内にとどめられ、疲弊した国土の復興に合わせてロシア人の混住が進んだ。

1980年代の終わりから本格化した民主化の機運は、1990年のリトアニアによる独立宣言へと発展する。ソ連軍の介入を受けたものの、1991年8月、モスクワでのクーデター失敗を契機に、一気に三国の主権回復が実現した。社会主義のくびきを脱した三国は、西欧諸国との強調路線に舵を切り、2004年にNATO、EUへの加盟を果たしたことは、私たちの記憶に新しい。

激動の現代史を反映して、この地域の地図作成も1990年前後を境に大きく変化した。ソ連時代は、連邦の測量機関により、1:1,000,000(100万分の1)といった広域図から1:10,000の市街図まで徹底した基準で整備されていた。軍事機密として一般市民の目に触れることのなかった膨大な資料の片鱗は、現在、「旧ソ連軍作成の地形図 II」に引用したサイトで閲覧することができる。

独立後は、技術者が去って半壊状態になった旧体制の組織を立て直すことからのスタートだった。最初に手がけた地形図は1:200,000で、ソ連図を利用して、エストニアでは1992年、ラトビアも翌年に完成している。国土の基本図としては詳細な地形図が必要だが、正式測量を実施するには時間と費用を要するため、三国の測量局が協調して、まず縮尺1:50,000の写真地図が作成された。スウェーデン宇宙公社 Swedish Space Corporation(SSC)から提供された衛星画像のオルソフォトをベースに、ソ連が残した地形図や新たな現地調査の成果を加えて編集したものだ。地図記号など内容表現は少しずつ違うが、図番体系は三国共通だった。

現在では正式測量成果を編集した1:50,000も刊行され(ラトビアは写真地図も更新しているようだが)、さらに大縮尺の地形図整備が進んでいる。ソ連時代のような画一的な地図に比べると、ずいぶんと個性が感じられる仕様になってきた。これから数回にわたって、バルト三国で作られている官製と民間出版の地図を、筆者の手元にあるサンプルで見ていくことにしたい。

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