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2008年5月22日 (木)

新線試乗記-京都地下鉄東西線+京阪京津線

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東西線の駅案内板
御陵で京津線と合流

今年(2008年)1月16日に開通した京都市営地下鉄東西線の延伸、二条~太秦天神川(うずまさてんじんがわ)間2.4kmは、当面、京都の地下鉄最後の開通区間になるだろう。洛西方面への建設構想はあるが、公営地下鉄最大の赤字に苦しみ、採算性の劣る郊外路線をたやすく追加できるような状況ではないからだ。今回開通した区間にしても、一人の京都市民として見ると、造る必然性に疑問符がつく。沿線は工業または準工業地域で人口の張り付きが限定されるし、500m南に嵐電(らんでん)、1.5km北にはJR山陰本線(愛称 嵯峨野線)が並行する。終点でその嵐電と接続するが、すでに通勤通学客は便利になったJRに逸走していて、地下鉄が十分に潤うだけの需要がすぐさま生まれるとは考えにくい。

しかし、現状を見ただけで将来が占えるものでもない。市交通局は、東の京阪大津線(京津線と石山坂本線の総称)、西の嵐電と組んだ企画切符を売り出して、東西の交通軸が整ったことを盛んにアピールしている。これまで京都市役所前で止まっていた浜大津からの直通列車の運行が、この開通を機に、30分ごとではあるが太秦天神川まで延長されたのだ。これに乗れば、さざ波寄せる琵琶湖岸からゆったり座ったまま、35分で到達することができる。延伸区間のレポートではあまりにあっけないので、筆者もこの切符を使って、自称「劇場路線」である京津線(けいしんせん)~東西線の旅を愉しむことにした。

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浜大津交差点から逢坂山へ向かう

出発は京阪浜大津駅だ。JR大津駅が山手にあるのに対して、こちらは改札を出ると遊覧船の待つ港が間近に見える。京津線は、湖岸に広がる大津市街を縫うLRT風情の石山坂本線と、島式1面のホームを共用している。石山坂本線は若草と青緑の京阪色に塗り分けた2連の軽車両で、毎時8本設定され、日中でもロングシートがそこそこ埋まる。一方、パステルブルーと黄帯が印象的な京津線800系は、車長が少し長く、しかも4両連結の堂々としたスタイルだが、1両に10人も乗っていない。さきほど「ゆったり座ったまま」と書いたのはこのことだ。前後2両のクロスシート車がお薦めだが、最前列、いわゆるかぶりつきの座席はない。

■参考サイト
浜大津駅付近の1:25,000地形図
http://maps.gsi.go.jp/#15/35.011400/135.863900

電車は浜大津駅を後にすると、いきなり道路の交差点の真ん中で90度曲がって、山の方へ向かう。ここから約600mが沿線随一の名物である併用軌道で、さほど広くもない街路上を、全長60mを越える列車が警笛を鳴らしながらクルマと並走するのだ。しかし、見どころはまもなく終わる。半径40mの急カーブで右に折れて、窮屈なホームが千鳥形に配置された上栄町駅に停車だ。

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(左)名物の併用軌道 (右)上栄町の手前で専用軌道へ

続いて800系は登山電車に変身する。京津線には元来2個所の峠があった。そのうち、66.7‰が存在した九条山越え(御陵~三条)は地下鉄乗入れにより廃止されたが、逢坂山(おうさかやま)越えは健在で、その大津方は今も急勾配(一部に61‰)と急曲線が連続する難路だ。JR線を乗り越し、狭く深い谷を国道1号線(旧東海道)ともつれあいながら上っていくと、半径45mの急カーブを右に切って、そのままトンネルに吸い込まれる。抜けたところがサミットで、すぐ大谷駅のホームが控えている。峠の京都方(まだ住所は大津市だが)は、勾配こそ40‰あっても直線が多いので、なめらかに降りていく。

家並みに囲まれる頃には、車庫のある四宮(しのみや)、そしてJRとの乗換駅である京阪山科が近づく。地下鉄が開通するまでは、東からJRで来て三条、四条の繁華街へ行く客がホームでたくさん待っていたものだが、今は人影もまばらだ。乗換えは地下鉄山科駅の利用が定着したらしい。京阪は地上にあって便利なのだが、列車本数もさることながら地下鉄との合算で運賃が跳ね上がるのが敬遠される理由だ。つまり、京津線はドル箱区間を京都市に明け渡して、もともと流動の小さい区間に、2倍の輸送能力がある列車を走らせている。どう見ても採算のとれる話ではないのだ。

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京阪の路線図(一部)
東西線乗入れ区間は破線で記載

すいたままで山科を発車し、東海道線のガードを急カーブでそろそろとくぐると、前方に地下への洞口が迫る。地下鉄東西線に合流する御陵駅はまもなくだ。地下区間のホームはホームドアで覆われていて、安全性の点では申し分ないが、電車というより水平に動くエレベータのようで、筆者には親近感が湧かない。地下鉄に変身した800系は、京都市街を西進していくが、終始車窓は暗闇だ。途中のレポートは省略してさっさと新規開業区間に飛ぼう。

JR嵯峨野線との連絡駅二条の次は、西大路御池(にしおおじおいけ)だ。京都中心部の交差点地名は、伝統的に南北と東西の通り名を組み合わせる。しかし、この付近は昭和になってから開発された地域で、西大路通は市電の建設とセットで整備され、御池通(延伸部)はその後に作られた。下車して地上に出てみると、交差点東側の出入口はビルへの併設ではなく、広い歩道上に設けられ、エレベータも壁面も内部が透けて見通しがいい。御池通が地下鉄工事に伴い改修されたこととあいまって、明るくあっけらかんとした雰囲気が漂っている。

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(左)ホームドア完備の構内 (右)終点太秦天神川駅

東西線は駅ごとにシンボルカラーを変化させていて、烏丸御池(からすまおいけ)は朱色だが、西に行くにつれて黄色系に移行する。観察すると、二条は山吹色、西大路御池は黄色(ひまわり色)、終点太秦天神川ではレモンイエローになった。このままでは次の駅はほとんど白になってしまうが、初めに書いたように、その心配は当分必要ない。

太秦天神川は再開発地区の下に駅が設けられていて、改札の前にいきなり地上へのエスカレータが待つスマートな施設配置が、それを物語る。地上では、嵐山へ通じる狭い三条通を東側に少し拡張して、嵐電のための屋根つき電停が新調された。待っていると、レトロ調におめかしした単行がやってきた。路面電車を皮切りに最新の地下鉄まで体験した京津線の乗客は、ここで再びなつかしい路面電車に出会うのだ。

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嵐電も新駅で連絡

■参考サイト
京阪大津線公式サイト http://www.keihan-o2.com/
京都市交通局 http://www.city.kyoto.lg.jp/kotsu/
太秦天神川駅付近の1:25,000地形図
http://maps.gsi.go.jp/#15/35.010900/135.714900
太秦天神川駅付近のGoogleマップ
http://maps.google.com/maps?f=q&hl=ja&ie=UTF8&ll=35.0109,135.7149&z=17

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コメント

ご提示の浜大津付近地図
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=350040&l=1355150
↑を見たら、国鉄東海道線完成当時の「馬場駅」は膳所駅の付近に馬場と言う町名として残ってるのが解りました。
現在のJR大津駅は湖水からの位置が高く湖水輸送と鉄道輸送の連絡には不利なはずですが、
膳所駅付近ならやや低く有利に見えます。
京都~馬場間は鉄道開通当時、きびしい勾配区間でした。
地図でもう一つ、琵琶湖疏水の大津側トンネルは表記の水色の点線が複線ですね。
船の通行可能と言う意味かな?と思いました。

いつもコメントありがとうございます。
ご指摘の通り、1880年に開通した京都~大津間鉄道は、旧逢坂山隧道から馬場(現 膳所)へ下り、スイッチバックして現在の浜大津に至るルートをとっていて、浜大津駅が初代の大津駅です。当時、駅の北側はすぐ湖岸でした。1889年に馬場から東へ直進する陸上ルートが完成するまで、駅前の港から湖北の長浜へ鉄道連絡船が出ていました。現 大津駅は新逢坂山隧道を通る新線(1921年開業)の上に作られた駅です。

琵琶湖疏水のトンネルが地形図で複線に描かれているのは、南側が第一疏水、北側が第二疏水ですね。
トンネル途中から分岐して北に大きく迂回しているのは、低水位でも取水できるようにした第二疏水用の連絡トンネルだそうです(今回調べるまで私も知りませんでした)。
湖岸からトンネルまでのオープン水路は単線に見えますが、これは第一疏水です。第二疏水(地下)と連絡トンネルは北側に近接しているため、トンネルの表示が省略されているようです。

色々教えていただいてありがとうございます。
http://library.jsce.or.jp/Image_DB/card/05_image_list.html
御存知とは思いますが、古い「インクライン」の写真が、上記のページ下段にあります。
http://library.jsce.or.jp/Image_DB/card/05_image/large/05267.html
↑は消滅済みの伏見の「インクライン」です。

インクラインの写真、教えていただいてありがとうございました。
絵葉書の一つに「みとうみ、舟が山へ登ってゐまっしやろ。こんなとこ、たんとおへんえ」とありました。「みとうみ」は見てごらんという意味ですが、インクラインは当時の京都人の自慢の一つだったんですねえ。
伏見のインクラインは国道24号線の用地になり消えてしまいました。残念です。

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