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2008年5月29日 (木)

バルト三国の地図-序章

Blog_balticstates_map バルト三国とまとめて扱われることはあっても、エストニア、ラトビア、リトアニアという国名、さらには三国の地理的な位置関係を知っている人はどれくらいいるだろうか。正直なところ筆者も正確に言う自信はなかった、少なくともこの本を読むまでは。

志摩園子氏の「物語 バルト三国の歴史」(中公新書, 2004年)は、ドイツとロシアの勢力が常に拮抗してきたバルト海の東南岸で、三国のフレームが形づくられていく過程を明解に説き起こしている。筆者の理解した範囲では、三国を区別する主な要素は宗教と言語のようだ。

最も北に位置するエストニアと中央にあるラトビアは、古くはリヴォニア Livonia と呼ばれてドイツ騎士団の入植により開発が進んだ地域だ。現在首都となっているタリン Tallinn(旧名レヴァル Reval、独語読みはレーファル)やリーガ Liga は、13世紀からハンザ同盟に加盟して、バルト海を仲立ちとする東西ヨーロッパの交易の拠点として栄えた。特権階級であったバルト・ドイツ人の影響でプロテスタント(ルター派)の勢力が強い。

一方、南のリトアニアは、隣国ポーランドと歴史を共にすることが多かったため、カトリックが主流を占める。首都ヴィリニュス Vilnius に他の2首都のような天を衝くゴシック教会の尖塔が見えないのは、そのためだ。しかし、言語分布はまた別で、ラトビアとリトアニアがインド・ヨーロッパ語の系統(バルト語派)なのに対して、エストニアは全く出自の違うウラル語族で、対岸のフィンランド語に非常に近いという。

すなわち、三国(とその主要構成民族)の特徴を端的に示すと、

エストニア:プロテスタント、ウラル語族
ラトビア :プロテスタント、印欧語族
リトアニア:カトリック、印欧語族

ということになる。

しかし、現在のような3つの国家としてまとまったのは、それほど昔の話ではない。18世紀、この地域は、プロイセンの領土となったリトアニア沿岸部を除いて次々とロシア帝国の版図に組み込まれ、県(グベールニヤ губерния)単位の地方行政が敷かれていた。第一次大戦でドイツに侵攻されると、片やロシアでは社会主義革命が勃発する。混乱のさ中、ソヴィエト・ロシアは、1918年にドイツを含む同盟国側と結んだ休戦条約で西部の領土を放棄し、三国は独立を果たすことができた。

国際連盟のメンバーでもあった自主国家の歴史は、不幸にも20年余りで中断する。1939年、ドイツとの秘密協定で三国を影響下に置く合意を得たソ連が、1940年、強制併合に踏み切ったからだ。第二次大戦中はナチスドイツに占領されたものの、その敗退後は再び連邦内にとどめられ、疲弊した国土の復興に合わせてロシア人の混住が進んだ。

1980年代の終わりから本格化した民主化の機運は、1990年のリトアニアによる独立宣言へと発展する。ソ連軍の介入を受けたものの、1991年8月、モスクワでのクーデター失敗を契機に、一気に三国の主権回復が実現した。社会主義のくびきを脱した三国は、西欧諸国との強調路線に舵を切り、2004年にNATO、EUへの加盟を果たしたことは、私たちの記憶に新しい。

激動の現代史を反映して、この地域の地図作成も1990年前後を境に大きく変化した。ソ連時代は、連邦の測量機関により、1:1,000,000(100万分の1)といった広域図から1:10,000の市街図まで徹底した基準で整備されていた。軍事機密として一般市民の目に触れることのなかった膨大な資料の片鱗は、現在、「旧ソ連軍作成の地形図 II」に引用したサイトで閲覧することができる。

独立後は、技術者が去って半壊状態になった旧体制の組織を立て直すことからのスタートだった。最初に手がけた地形図は1:200,000で、ソ連図を利用して、エストニアでは1992年、ラトビアも翌年に完成している。国土の基本図としては詳細な地形図が必要だが、正式測量を実施するには時間と費用を要するため、三国の測量局が協調して、まず縮尺1:50,000の写真地図が作成された。スウェーデン宇宙公社 Swedish Space Corporation(SSC)から提供された衛星画像のオルソフォトをベースに、ソ連が残した地形図や新たな現地調査の成果を加えて編集したものだ。地図記号など内容表現は少しずつ違うが、図番体系は三国共通だった。

現在では正式測量成果を編集した1:50,000も刊行され(ラトビアは写真地図も更新しているようだが)、さらに大縮尺の地形図整備が進んでいる。ソ連時代のような画一的な地図に比べると、ずいぶんと個性が感じられる仕様になってきた。これから数回にわたって、バルト三国で作られている官製と民間出版の地図を、筆者の手元にあるサンプルで見ていくことにしたい。

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2008年5月22日 (木)

新線試乗記-京都地下鉄東西線+京阪京津線

Blog_kyototozaisen1
東西線の駅案内板
御陵で京津線と合流

今年(2008年)1月16日に開通した京都市営地下鉄東西線の延伸、二条~太秦天神川(うずまさてんじんがわ)間2.4kmは、当面、京都の地下鉄最後の開通区間になるだろう。洛西方面への建設構想はあるが、公営地下鉄最大の赤字に苦しみ、採算性の劣る郊外路線をたやすく追加できるような状況ではないからだ。今回開通した区間にしても、一人の京都市民として見ると、造る必然性に疑問符がつく。沿線は工業または準工業地域で人口の張り付きが限定されるし、500m南に嵐電(らんでん)、1.5km北にはJR山陰本線(愛称 嵯峨野線)が並行する。終点でその嵐電と接続するが、すでに通勤通学客は便利になったJRに逸走していて、地下鉄が十分に潤うだけの需要がすぐさま生まれるとは考えにくい。

しかし、現状を見ただけで将来が占えるものでもない。市交通局は、東の京阪大津線(京津線と石山坂本線の総称)、西の嵐電と組んだ企画切符を売り出して、東西の交通軸が整ったことを盛んにアピールしている。これまで京都市役所前で止まっていた浜大津からの直通列車の運行が、この開通を機に、30分ごとではあるが太秦天神川まで延長されたのだ。これに乗れば、さざ波寄せる琵琶湖岸からゆったり座ったまま、35分で到達することができる。延伸区間のレポートではあまりにあっけないので、筆者もこの切符を使って、自称「劇場路線」である京津線(けいしんせん)~東西線の旅を愉しむことにした。

Blog_kyototozaisen2
浜大津交差点から逢坂山へ向かう

出発は京阪浜大津駅だ。JR大津駅が山手にあるのに対して、こちらは改札を出ると遊覧船の待つ港が間近に見える。京津線は、湖岸に広がる大津市街を縫うLRT風情の石山坂本線と、島式1面のホームを共用している。石山坂本線は若草と青緑の京阪色に塗り分けた2連の軽車両で、毎時8本設定され、日中でもロングシートがそこそこ埋まる。一方、パステルブルーと黄帯が印象的な京津線800系は、車長が少し長く、しかも4両連結の堂々としたスタイルだが、1両に10人も乗っていない。さきほど「ゆったり座ったまま」と書いたのはこのことだ。前後2両のクロスシート車がお薦めだが、最前列、いわゆるかぶりつきの座席はない。

■参考サイト
浜大津駅付近の1:25,000地形図
http://maps.gsi.go.jp/#15/35.011400/135.863900

電車は浜大津駅を後にすると、いきなり道路の交差点の真ん中で90度曲がって、山の方へ向かう。ここから約600mが沿線随一の名物である併用軌道で、さほど広くもない街路上を、全長60mを越える列車が警笛を鳴らしながらクルマと並走するのだ。しかし、見どころはまもなく終わる。半径40mの急カーブで右に折れて、窮屈なホームが千鳥形に配置された上栄町駅に停車だ。

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(左)名物の併用軌道 (右)上栄町の手前で専用軌道へ

続いて800系は登山電車に変身する。京津線には元来2個所の峠があった。そのうち、66.7‰が存在した九条山越え(御陵~三条)は地下鉄乗入れにより廃止されたが、逢坂山(おうさかやま)越えは健在で、その大津方は今も急勾配(一部に61‰)と急曲線が連続する難路だ。JR線を乗り越し、狭く深い谷を国道1号線(旧東海道)ともつれあいながら上っていくと、半径45mの急カーブを右に切って、そのままトンネルに吸い込まれる。抜けたところがサミットで、すぐ大谷駅のホームが控えている。峠の京都方(まだ住所は大津市だが)は、勾配こそ40‰あっても直線が多いので、なめらかに降りていく。

家並みに囲まれる頃には、車庫のある四宮(しのみや)、そしてJRとの乗換駅である京阪山科が近づく。地下鉄が開通するまでは、東からJRで来て三条、四条の繁華街へ行く客がホームでたくさん待っていたものだが、今は人影もまばらだ。乗換えは地下鉄山科駅の利用が定着したらしい。京阪は地上にあって便利なのだが、列車本数もさることながら地下鉄との合算で運賃が跳ね上がるのが敬遠される理由だ。つまり、京津線はドル箱区間を京都市に明け渡して、もともと流動の小さい区間に、2倍の輸送能力がある列車を走らせている。どう見ても採算のとれる話ではないのだ。

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京阪の路線図(一部)
東西線乗入れ区間は破線で記載

すいたままで山科を発車し、東海道線のガードを急カーブでそろそろとくぐると、前方に地下への洞口が迫る。地下鉄東西線に合流する御陵駅はまもなくだ。地下区間のホームはホームドアで覆われていて、安全性の点では申し分ないが、電車というより水平に動くエレベータのようで、筆者には親近感が湧かない。地下鉄に変身した800系は、京都市街を西進していくが、終始車窓は暗闇だ。途中のレポートは省略してさっさと新規開業区間に飛ぼう。

JR嵯峨野線との連絡駅二条の次は、西大路御池(にしおおじおいけ)だ。京都中心部の交差点地名は、伝統的に南北と東西の通り名を組み合わせる。しかし、この付近は昭和になってから開発された地域で、西大路通は市電の建設とセットで整備され、御池通(延伸部)はその後に作られた。下車して地上に出てみると、交差点東側の出入口はビルへの併設ではなく、広い歩道上に設けられ、エレベータも壁面も内部が透けて見通しがいい。御池通が地下鉄工事に伴い改修されたこととあいまって、明るくあっけらかんとした雰囲気が漂っている。

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(左)ホームドア完備の構内 (右)終点太秦天神川駅

東西線は駅ごとにシンボルカラーを変化させていて、烏丸御池(からすまおいけ)は朱色だが、西に行くにつれて黄色系に移行する。観察すると、二条は山吹色、西大路御池は黄色(ひまわり色)、終点太秦天神川ではレモンイエローになった。このままでは次の駅はほとんど白になってしまうが、初めに書いたように、その心配は当分必要ない。

太秦天神川は再開発地区の下に駅が設けられていて、改札の前にいきなり地上へのエスカレータが待つスマートな施設配置が、それを物語る。地上では、嵐山へ通じる狭い三条通を東側に少し拡張して、嵐電のための屋根つき電停が新調された。待っていると、レトロ調におめかしした単行がやってきた。路面電車を皮切りに最新の地下鉄まで体験した京津線の乗客は、ここで再びなつかしい路面電車に出会うのだ。

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嵐電も新駅で連絡

■参考サイト
京阪大津線公式サイト http://www.keihan-o2.com/
京都市交通局 http://www.city.kyoto.lg.jp/kotsu/
太秦天神川駅付近の1:25,000地形図
http://maps.gsi.go.jp/#15/35.010900/135.714900
太秦天神川駅付近のGoogleマップ
http://maps.google.com/maps?f=q&hl=ja&ie=UTF8&ll=35.0109,135.7149&z=17

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2008年5月15日 (木)

新線試乗記-JR西日本おおさか東線

今年(2008年)も首都圏と京阪神圏で新線の開業が相次ぐ。折に触れてこのブログに乗車記録を加えていこう。

去る3月15日に開業したJR西日本のおおさか東線に乗った。新幹線は別として、JRグループの新規開業はほんとうに久しぶりだ。2000年の仙石線あおば通延伸以来ではないだろうか。全線が青空区間(高架と盛り土)だが、それも既存の貨物線を旅客用に再整備したのだと聞けば、合点がいく。大阪市周辺で開発の手が加わっていない土地などほとんどありえないので、そうでもなければ地上を走らせることは不可能だったろう。最終的には、新大阪から関西本線(愛称 大和路線)の久宝寺(きゅうほうじ)までの20.3kmとなる計画だが、その南半分、放出(はなてん)~久宝寺9.2kmが、今回先行して営業を開始している。

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路線図

筆者は、奈良から大阪方面行き大和路(やまとじ)快速で、久宝寺へアプローチした。このあたりに足を延ばすこともしばらくなかったので、てっきり快速は王寺~天王寺間ノンストップだと思っていた。久宝寺も、上下ホームが遠く離れて、まるで別駅だった時代しか記憶にない。ここにあった竜華(りゅうげ)操車場はとうの昔に廃止され、跡地の再開発で全く様子が変わってしまった。久宝寺駅はもとの上り線側に高架駅舎と2面4線を構える立派な駅になり、駅前にはバスターミナルもできている。

Blog_osakahigashisen2
久宝寺駅にて

おおさか東線(以下、東線)には、朝夕に奈良~尼崎間の直通快速が設定されているが、訪れたのは平日の日中だったので、新規区間を普通電車が振子のように往復していた。快速が出た後、同じ内側線に、大和路線のカナリア色をまとった東線の6両編成が入ってくる。日中は毎時4本走るが、大和路快速が20分毎なので、ホームを共有する東線の発車間隔は一定になっていない。始発駅から乗り込んだのは、1両に数人だった。

大和路快速はホームを出るとすぐポイントを渡って外側線に移るが、東線電車は直進し、近畿自動車道をくぐると高架に上がっていく。右カーブの途中で最初の駅、新加美(しんかみ)がある。針路が西から北に変わる頃、左後方から関西本線百済貨物駅との連絡線が合流して、遠くまで見通せる長い直線区間にさしかかる。次の駅まで2.7kmも開いている。周辺は今でこそ中小の工場が区画を埋めているが、沿線で最後まで田園風景が見られた地域だ。

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DC牽引の貨物列車とすれ違う

JR長瀬からしばらくは、以前から盛り土で2本の近鉄線をまたいでいた。近鉄が連続立体交差事業でJRの上空を高々と乗り越すようになったので、こちらはもとの盛り土を生かして複線化している。続くJR俊徳道(しゅんとくみち)とJR河内永和(かわちえいわ)の間が、わずか600mしか離れていないのは、どちらも近鉄との連絡駅だからだ。駅名もそのまま借りている。後からできた駅に社名を冠して区別するのは、私鉄ならごく自然だが、JRの場合はまだ違和感がぬぐえない。とはいえ、JR東西線のときに連絡駅をことごとく異なる駅名にして、傲慢な印象を与えたことを思えば、時代は変わったと思う。

次の高井田中央(たかいだちゅうおう)も、地下鉄中央線高井田駅の真上だが、大和路線に同名の駅があるので、ストレートに命名できなかったようだ。中央というのは直交する中央大通からとったらしいが、高井田の古い集落はもっと南にあるので、その意味で「中央」ではない。駅を出たところで、その昔、大和川の流路の一つであった長瀬川を越える。市街地の中に農地がぽつりぽつりと残っているのが眺められる。

やがて大きく左にカーブし始めれば、14分のミニトリップもまもなく幕だ。電車基地へ分ける線路を右に見て、第二寝屋川のトラス橋を渡ると、片町線(愛称 学研都市線)が近づいて、放出のホームに滑り込む。難読駅名の一つだが、関西人には中古車業者のCMでなじみの地名だ。いつしか乗客は増えていて、1両から20人ぐらいが降りた。ここも順方向へは平面で乗り換えられるようにして、直通列車の少ないハンディをカバーしている。

城東貨物線の旅客線化は、武蔵野線の例のように、都心指向の放射状鉄道網に対する環状連絡線として構想されている。あれば便利に使う人もいようが、都心へ向かう輸送量とはとうてい比較にならない。おおさか東線の広報が、奈良から大阪キタへの2本目の直結ルートという側面を強調しているのは、そうした理由だろう。レールはキタを貫いて神戸・宝塚方面へも伸びているので、来年開通する近鉄~阪神連絡ルートの先手をとったともいえる。とはいえ、線内運行中心の現状は、華々しいイメージからはほど遠い。幹線に客を供給するフィーダー線の役回りからどのように脱皮させていくのか、全線開通後を見据えたJR西日本の次なる戦略が楽しみだ。

■参考サイト
放出駅付近の1:25,000地形図
http://maps.gsi.go.jp/#15/34.688100/135.563200

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2008年5月 8日 (木)

ロシアの鉄道を地図で追う

以前、旧ソ連軍参謀本部が作成した地形図でユーラシア大陸を西から東へと旅した(「旧ソ連軍作成の地形図 III」参照)が、今回はロシアの大地を疾駆する鉄道の軌跡に的を絞ってレポートしてみよう。(Map images courtesy of maps.vlasenko.net)

世界最北端の鉄道
ムルマンスク
http://download.maps.vlasenko.net/smtm100/r-36-103_104.jpg
http://download.maps.vlasenko.net/smtm100/r-36-115_116.jpg

旅客列車で行ける北端の駅として有名なのが、ロシア北西部のムルマンスク Мурманск / Murmansk だ。駅の位置は北緯68度58分。サンクトペテルブルクのラドジスキー駅からここまで1438km、約28時間かかる。レールはさらに北に延びて、北緯69度5分のセヴェロモルスク Североморск / Severomorsk の港に達する。

1:100,000(原画像を80%に縮小)
Blog_genshtab_map31
ムルマンスク 1:50,000(×80%)
Blog_genshtab_map32
この1:50,000は現在ダウンロードできない

ペチェンガ
http://download.maps.vlasenko.net/smtm100/r-36-087_088.jpg

しかし、最北端はここではない。ムルマンスク・ニケリ鉄道で西へ150km進んだペチェンガ Печенга / Pechenga 付近にある。地形図で見る限り、その北6kmにある湖のほとりが鉄路の最果てで、69度37分の緯度を示す。D. Zinoviev 氏の鉄道地図ではペチェンガ湾に面する漁港リイナハマリ Лиинахамари / Liinakhamari の名が付されている。

ムルマンスク・ニケリ鉄道はニッケル鉱山のための貨物鉄道で、旅客輸送もしているようだが、ペチェンガへの支線(線形から判断するとこちらが先に開通したと思われる)は貨物専用だ。

コラ半島はノルウェーと国境を接し、不凍港のため軍事施設が点在する地域だが、1:50,000地形図が堂々と閲覧に供されている(本稿では1:100,000を使用)。

100,000(×80%)
Blog_genshtab_map33

■参考サイト
Кольские карты / Kol'skiy maps http://kolamap.ru/
コラ半島に関する地図サイト(ロシア語表記)。地形図(vlasenko.net とは別ソース)や古地図の画像がある。トップページの中央のコラム ТОПОГРАФИЯ/Topography に縮尺1:200,000~1:50,000の地形図が多数収録されている。

タルナフ

最北から2番目は、エニセイ川河口に最も近い港町ドゥディンカ Дудинка / Dudinka から、ノリリスク Норильск / Norilsk を経て、タルナフ Талнах / Talnakh に通じる産業鉄道で、延長約120km、他の鉄道と接続のない孤立線だ。終点タルナフはニッケルなどを生産する鉱業の町で、北緯69度30分。これらの町は現在、外国人が立入れない、いわゆる閉鎖都市に指定されているので、図上旅行以外に方法はない。

1:100,000(×60%)
Blog_genshtab_map34
この1:100,000は現在ダウンロードできない

「皇帝の指」カーブ
http://download.maps.vlasenko.net/smtm1000/o-36.jpg
http://download.maps.vlasenko.net/smtm100/o-36-042.jpg
http://download.maps.vlasenko.net/smtm100/o-36-054.jpg

モスクワとサンクトペテルブルク間649.7kmの幹線は、1851年にロシアで2番目に開通した古い鉄道だ。ロシア革命以前は、建設を命じた皇帝ニコライ1世にちなんで、ニコライ鉄道 Николаевская железная дорога と呼ばれていた。鉄道は両都市間をほぼ最短距離で結んでいるが、ただ1個所、サンクトペテルブルクから200kmの地点に妙な曲線が設けてあった。

言い伝えによると、皇帝は最初に設計者の描いたルートが気に入らず、自ら地図の上に定規で直線を引いた。そのとき、置いた指の周りをなぞったために、そこだけ線が歪んでしまった。怯えた設計者は指摘もできず、線路はそのまま曲げて建設されたのだという。

しかし、伝説が作り話であることは、1:100,000地形図を見れば明白だ。盛り土と切り通しの直線的な連なりが当初のルートを示している。事実、この迂回線は、4連の機関車を必要とした急勾配を解消する目的で、開通から26年後の1877年に完成したものだ。しかし2001年に、列車の高速化を進めるために再び直線に戻されて、距離が5km短縮したそうだ。

1:1,000,000(×25%) 矢印が「皇帝の指」カーブ
Blog_genshtab_map35
拡大図 1:100,000(×80%)
Blog_genshtab_map36

ウラル山脈の欧亜境界
http://download.maps.vlasenko.net/smtm1000/o-40.jpg
http://download.maps.vlasenko.net/smtm1000/o-41.jpg
http://download.maps.vlasenko.net/smtm50/o-41-109-1.jpg

シベリア鉄道がウラル山脈を乗り越える地点に、ヨーロッパとアジアの境界を示すオベリスクが建っている。車窓から見える一瞬のシャッターチャンスを狙う旅行者も多い。

幸運にもこの辺りは1:50,000地形図が使えるので探してみると、ペルヴォウラルスク Первоуральск / Pervouralsk とスヴェルドロフスク Свердловск / Sverdlovsk(現名称はエカテリンブルク Екатеринбург / Yekaterinburg)の間、370mの等高線を線路が横切るところ(図に矢印)に、"Вершина" すなわちサミットの注記がある停留所(?)と記念碑の記号が見つかった。広域図と照合すると、変哲のないなだらかな鞍部の西側はカスピ海に注ぐボルガ川水系、東側は北極海に流れ下るオビ川水系で、実に雄大な分水界なのだった。

1:1,000,000(×80%)
Blog_genshtab_map37
拡大図 1:50,000(×80%) 矢印が欧亜境界のサミット
Blog_genshtab_map38

バイカル湖を廻る鉄道
http://download.maps.vlasenko.net/smtm1000/n-48.jpg
http://download.maps.vlasenko.net/smtm1000/m-48.jpg

東をめざすシベリア鉄道は途中、バイカル湖によって行く手を阻まれる。現在のルートはイルクーツクから南下して湖の西端に達するが、1905年に完成した初期のルートはアンガラ川を遡り、湖岸にぴったり張り付いて、湖を半周していた(詳細は本ブログ「バイカル環状鉄道」参照)。

1:1,000,000(×60%)
blog_circumbaikalrailway_map1
青が1898~1900年開通の、湖を船で連絡する初期ルート
赤はそれに代わる1901~1904年開通のバイカル環状鉄道
緑は現在のシベリア鉄道である1949年開通の山越え新線

バム鉄道、ロシア最長のトンネル
http://download.maps.vlasenko.net/smtm200/o-49-36.jpg

第2シベリア鉄道ともいわれるバム鉄道 БАМ / BAM(正式名はバイカル=アムール幹線 Байкало-Амурская Магистраль)で、バイカル湖畔から東へ約300km。セヴェロムイスキー山脈を貫く同名のトンネル Северомуйский туннель / Severomuysky Tunnel は、1977年に着手され、永久凍土を掘り進む難工事の末、2003年にようやく開通した。15343mあり、ロシアで最も長い。

トンネルの完成までは標高1100mを越える峠の上を越えていたが、旧線は40‰の急勾配があり、補助機関車を必要とする難所だった。貨物優先のため、乗客は峠の手前で降ろされ、20kmの未舗装道を車で運ばれたという。1989年、勾配を18‰以下に抑えた迂回路が完成して、旅客列車も走るようになった。しかし、悪魔の橋 Чёртов мост と呼ばれる橋梁をはじめとして急カーブが連続し、依然としてツンドラ地帯の峠道が運行上の隘路であることに変わりはなかった。新トンネルの開通により、2時間半かかったこの区間の所要時間が、わずか15分に短縮された。

この付近は1:100,000が閲覧できるのだが、1978年編集のため、新トンネルが予定線として描かれているばかりで、旧線の姿はなかった。1:200 000は1986年に編集されており、改良前の旧線と工事中のトンネルとの関係がわかる。改良後の旧線ルートは資料がないため、衛星画像を参考に筆者が書き込んでみた(図の improved old line)。

■参考サイト
改良後の旧線の現場写真 http://bam.railways.ru/eng/egalery.html

1:200,000(×100%)
Blog_genshtab_map39

大河アムールを渡る
http://download.maps.vlasenko.net/smtm200/m-53-33.jpg
http://download.maps.vlasenko.net/smtm200/m-53-34.jpg

東方をめざすシベリア鉄道の列車はアムール川 Амур / Amur を長大鉄橋で渡って、ロシア極東で2番目の都市、ハバロフスク Хабаровск / Khabarovsk に到着する。1916年に完成した18連のトラス橋は、長さ2590mで当時としてはユーラシア大陸最長だったが、1999年に、長さ2612mの新しい道路併用橋に架け替えられた。地図に描かれているのはもちろん旧橋で、川幅が最も狭まる地点に架橋されていることがわかる。前後の奔放な流路は、広範囲を収める1:200,000の図郭さえもはみ出す勢いだ。

ちなみに、戦略上の理由で、橋に並行する河底トンネル(長さ7km以上)が1942年に完成し、上り線として使用されてきた。地形図には記載がないが、ハバロフスク側の入口は、橋の東のたもとにある短いトンネルの南側と思われる。川岸に背を向けた行き止まりの側線が描かれているが、衛星画像によると、この先にトンネルのポータルが推定される。

1:200,000(×100%)
Blog_genshtab_map40

サハリン島のループ線

サハリン島南部、ユジノサハリンスク Южно-Сахалинск / Yuzhno-Sakhalinsk とホルムスク Холмск / Kholmsk を結ぶ南部横断線は、日本領樺太であった1928年に豊真線として全通した。途中、分水嶺を横断する個所が2個所あり、西側の山越えでは宝台(たからだい)ループ線と通称されるスパイラルを構えている。残念ながら1994年に一部を除き、運行が中止された。

サハリン島の地形図で閲覧できる最大縮尺は1:100,000だ。地図ではスパイラルが平面交差のように描かれているが、実際は上部の線路が鉄橋でまたいでいる(豊真線の詳細は、「樺太 豊真線を地図で追う」参照)。

1:100,000(×80%)
Blog_genshtab_map41
引用したのは1:100,000のI-54-033、I-54-045だが、vlasenko.netには該当図葉の画像がないため、maps.poehali.orgの画像を使用した。

★本ブログ内の関連記事
 ロシアの鉄道地図 I
 ロシアの鉄道地図 II-ウェブ版
 旧ソ連軍作成の地形図 III

2008年5月 1日 (木)

ロシアの鉄道地図 II-ウェブ版

今回はウェブ上で公開されているロシアの鉄道地図を見よう。

Blog_russia_railmap_hp1 一つ目は、ロシア鉄道 Российские железные дороги / Russian Railways の公式サイトに掲載されているものだ。サイトはロシア語版と英語版が設けられているが、鉄道地図はキリル文字を用いたロシア語版しかなく、ロシア鉄道を構成する17の地域支社ごとに1面ずつ作成されている。英語版サイトでは以下のURLがメインページになる。

■参考サイト
Structure (of Russian Railways)
http://eng.rzd.ru/wps/portal/rzdeng?STRUCTURE_ID=174

まず、鉄道網を表現したクリッカブルマップからして、地域支社の名称と相互の位置関係が一目でわかる優れものだ。この地図または下欄のリンクから各地域支社の詳細ページに飛ぶと、地域支社の簡潔なプロフィールとともに鉄道地図が見つかる。

Blog_russia_railmap_hp2 ちなみに、同サイトのロシア語版では、写真集 Фотогалерея / Photo Gallery の中に、鉄道地図だけを集めたページもある。また、この写真集には車両、列車、子供鉄道、施設、鉄道風景など豊富な画像が収められ、ロシア鉄道の素顔を知るのに格好の材料を提供している。

■参考サイト
鉄道地図一覧(ロシア語版)Схемы железных дорог
http://press.rzd.ru/wps/portal/press?STRUCTURE_ID=820
写真集メインページ(ロシア語版)
http://press.rzd.ru/wps/portal/press?STRUCTURE_ID=119

さて、その鉄道地図だが、行政区分別に塗り分けたベースマップの上に、路線が目立つ赤のラインで引かれ、駅を球状の記号で並べるというものだ。駅名には起点からのkm単位の距離が併記されている。前回紹介した鉄道地図帳と比較すると、同じ地図作成機関ロスカルトグラフィアのコピーライトが表示されているにもかかわらず、表現にはかなりの相違がある。

ウェブ版は、今も述べたように起点からの距離が書かれているが、地図帳は、道路地図によくあるように主要駅間の距離表示になっている。それにウェブ版では小駅(機能していない駅?)が省略されているようだ。路線の描き方で見ると、ウェブ版は地図帳に比べてかなり単純化されていて、時刻表の鉄道路線図という印象だ。ルートは直線的だし、幹線と支線の区別もない。

その点、地図帳は極力実際の経路に近づけた表現になっていて、幹線かどうかも線の太さでわかる。ウェブ版はJPEG画像で、細かい文字が一部読み取りにくいが、印刷物ではその心配はない。このように概して地図帳のほうに一日の長があるのだが、ウェブ版に記載されている亘り線や短絡線が、地図帳では無視されていたりするので、やはり複数の情報源で補うべきだろう。

Blog_russia_railmap_hp3 二つ目の鉄道地図は、距離や方角をデフォルメしたいわゆるスキマティックマップ(位相図)で、旧ソビエト連邦全域をカバーする個人の労作だ。うれしいことに英語版も用意されている。全体では相当大きなサイズになるため、横7×縦8=56枚に分割した画像で詳細を見るようにしてある。

■参考サイト
Russian, CIS and Baltic Railway Map(英語版)
http://parovoz.com/maps/supermap/index-e.html

左上隅に凡例があるが、それによると、まず彩色による区分で、予定線・工事線、廃止線・休止線、旅客輸送をしない単線とする単線、産業用の単線、旅客輸送をする複線としない複線、単線複線が入り混じる線区の別を示す。そして、線の種類による区分で、鉄道フェリー、電化線、狭軌線、3線軌道、ヨーロッパ標準軌道を表す。この組み合わせで路線の性格を詳しく読み取ることができる。例えば、モスクワとサンクトペテルブルクを結ぶ幹線は緑の二重線で描かれているので、全線が旅客輸送をする複線で、かつ1.5~3KV(実際は交流3KV)で電化されていることがわかる。

図上のルートは直交および斜め45度に単純化され、およその方向を示すに過ぎない。中間駅も大胆に省略されているが、その代わり、公式版鉄道地図には見当たらない貨物専用の枝線などがずいぶん発見できる。そのほか、地下鉄のある都市名は太字、路面電車のある都市は斜体で表されていて、都市交通を調べる手がかりになる。

このように、ロシアの鉄道ネットワークの全貌を一望することができる画期的な資料地図なのだが、広大な地域だけに、調べる側としては位置を特定する材料がほしい。だが、路線網以外に書かれているのは、単純化された海岸線と地域支社の境界線のみだ。地域支社の略称が付されているが、ロシア語をラテン文字に転写したもので、例えば、北部鉄道は英訳の Northern Railways ではなくロシア語で「北の」を表すセヴェルナヤ Северная の頭3文字の転写 SEV が使われている。ロシア以外の諸国も同様で、ウクライナに至っては地域鉄道別になっている。筆者は最初、どのあたりの路線網なのか皆目見当がつかなかった。

2種のウェブ版鉄道地図を一言で評すると、前者は旅行者用、後者は調査用だ。用途に応じてお使いになるといい。

★本ブログ内の関連記事
 ロシアの鉄道地図 I
 ロシアの鉄道を地図で追う

 近隣諸国のウェブ版鉄道地図については、以下を参照。
 フィンランドの鉄道地図
 バルト三国の鉄道地図
 ヨーロッパの鉄道地図 V-ウェブ版

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