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2008年1月31日 (木)

日本の山岳地図-立山を例に I

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1:30,000山岳集成図
「剱・立山」表紙

深田久弥の『日本百名山』がブームになって、山をめざす人が増えたそうだが、山を主題とする地図も競い合うように書店の地図棚を賑わせている。今回、立山黒部アルペンルートに出かけるに際して、いくつか手にとってみた。

「地図展2007 in富山」の会場で売っていたのが、1:30,000山岳集成図「剱・立山」だ。剱岳測量100年を記念して2007(平成19)年7月に財団法人日本地図センターが発行したものだが、原本は国土地理院の製作(同院技術資料の複製という扱い)なので、官製の山岳地図といえる。A1判の両面刷り(A4折図)で、表面には表紙と剱山測量に関する記事、裏面には1:25,000を1:30,000に縮小した地形図を配している。アルペンルートを通常の1:25,000地形図で揃えようとすれば、小見、立山、黒部湖の3面が必要なので、1面で継ぎ目なしに見られるのはメリットだ。

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同 収載範囲

1:30,000(図上1cmが実長300mに相当)という珍しい縮尺になったのは、決定していた用紙サイズの中にできるだけ周辺地域まで取り込もうとしたからだという。その結果、掲載範囲は東が赤沢岳や鳴沢岳(扇沢駅は図郭外)、西は千寿ケ原(富山地鉄立山線の終点、立山駅)、北は猫又山と辛うじて黒部峡谷鉄道の終点、欅平駅が含まれることになった。これでも南の五色ヶ原は残念ながら一部しかかかっていない。

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同 地図の一部

山岳地図だけあって地勢表現はなかなか美しい。等高線に加えて、彩色を高度に応じて連続的に変化させ、ぼかし(陰影)も入っている。完成品に落ち着くまでの試行錯誤の経緯は、同センターの月刊誌「地図中心」2007年6月号で報告されているが、ちょっとした色相や濃度のさじ加減でも全体の印象はずいぶん変わるものだ。別バージョンの彩色地形図が、同センターのHPで公開されている(下記 参考サイト)ので比べてみるとおもしろい。モニター画面では解像度その他で制約があるのを反映しているだろうと思うが、集成図のほうが標高2000mぐらいから濃いめに色付けされて、高さ感覚がよりはっきりと表現されている。

山歩きや観光に必要な情報として記号化されたのは、登山道、バス路線、山小屋、休憩所、駐車場、水場、キャンプ場、宿舎、トイレなどだ。独立記号の多くは白く縁取りをして、濃い塗りのなかでも埋没しないように考慮されたようだ。実長500mのグリッドが全面に施されているので、目分量で水平距離を測ることができるが、あくまで記念図ということか、登山地図にはつきもののルートの所要時間までは採用されていない。一方で描写の正確性についてはこだわりがあって、登山道の位置その他が一部間違っていたというので、訂正版への無償交換を実施したほどだ。

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1:50,000集成図
「立山」表紙

ところで、国土地理院による立山の集成図は、1980(昭和55)年に1:50,000で刊行されたことがある。縮尺が小さい分、掲載範囲は東側が大町や仁科三湖、北が白馬岳まで広がり、その結果、立山・後立山連峰全体の概観図というべきものになっていた。地勢表現は、ベースである地形図の等高線にぼかしを加えている。この時代、ぼかしは手描きだったので、今回の新刊と比べれば精密度の点で及ばないが、山襞をくっきり浮かび上がらせる筆さばきが、むしろコンピュータ描画に勝る立体感を実現していた。彩色は高度ではなく植生の有無を表し、森林には緑、他はベージュを配する。こうすることで、森林限界を越える高峰が、山麓の緑の中におのずと浮かび上がった。

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同 地図の一部

このころは同じような山岳地域の集成図が何種類もカタログ(地図一覧図)に載っていて、ヨーロッパの美しい官製図の向こうを張って、鑑賞に堪える地図を作ろうという意気込みが感じられた。21世紀の集成図もこれっきりの試作品で終わってしまっては惜しいと思う。

山岳集成図「剱・立山」は、国土地理院の地形図取扱店(通販は日本地図センターなど)で購入できる。1980年の集成図「立山」は絶版になっている。

掲載の地図は、国土地理院著作、日本地図センター発行の3万分の1山岳集成図剱・立山(平成17・18年調査・編集)および5万分の1集成図立山(昭和53年編集)を使用したものである。

■参考サイト
国土地理院 山岳集成図「剱・立山」刊行告知
http://www.gsi.go.jp/WNEW/PRESS-RELEASE/2007/0710.htm
国土地理院北陸地方測量部 山岳集成図「剱・立山」の内容訂正とお詫び
http://www.gsi.go.jp/LOCAL/hokuriku/100syuunen/syuseizu2.html
日本地図センター 彩色地形図閲覧  http://net.jmc.or.jp/saishiki/

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2008年1月28日 (月)

立山黒部アルペンルートを行く III

■黒部ケーブルカー 黒部平→黒部湖

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黒部ケーブルカー

黒部湖へのケーブルカーは全線地中区間で、ここまで絶景を思う存分楽しんだ人々にとっては単なる移動手段でしかない。席取りに慌てることもなく、誰もがおとなしく乗り込む。景観に配慮して、とよく書かれるが、それだけならさっきのロープウェイと無粋な駅舎の存在が説明できない。むしろ厳しい気候の山岳地帯で、保守や運行の容易さを優先したのだろう。立山黒部貫光の事業案内によれば、車両は131人乗り、運転時分は5分、延長(斜長)827m、山上側勾配30度25分(587‰)、駅間の高低差は373mある。同社が運営する交通機関はここまでだ。

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威容を誇る黒部ダム

山麓駅も地中深くにあり、降りてからもまだ歩道トンネルが続く。これを抜けるといきなり弓なりにカーブした黒部ダムの上だ。堤頂の長さは492mあって、立派な道路としか見えない。右側、つまり湖の方は山中のおだやかな風景が広がるが、左側に移って手すりから身を乗り出したとたん、眼もくらむ高さに肝を冷やす。堤高186mは、1963年の完成から現在まで日本一のタイトルを譲っていない。記念放水の期間はすでに終わってしまったが、その代わり、険しい峡谷の両側でみごとに色づいた森がどこまでも眼を和ませる。

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ダムを見下ろす展望台から
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黒部湖越しに赤牛岳遠望

通路の東寄りにはベンチが並べてあり、ここで弁当を広げた。今思えば、名物黒部ダムカレーを試食するという手もあったのだが、混雑を心配して富山駅で買ってしまっていたのだ。移動につれて、回り舞台のように景色ががらりと置き変わる。かなりの長旅をしてきたような気がするのに、時計を見ればまだ正午に届いていない。ダムを見下ろす展望台へ、崖っぷちに架けられたつづら折りの階段を上る。破砕帯から引いているという飲み水を口に含むと、乾いた喉に実にうまかった。

■参考サイト
黒部ダム付近の1:25,000地形図
http://maps.gsi.go.jp/#15/36.566400/137.662200

■関電トロリーバス 黒部ダム→扇沢

富山・長野の県境、後立山連峰、赤沢岳直下を貫く関電トンネル(針ノ木隧道)は、黒部ダム建設に際して掘られた資材運搬用のトンネルだ。1964年からトロリーバスが走り、黒部峡谷への観光客を運んでいる。展望台からトンネル内の220段を降りると、乗り場に出る。ここはさすがに混んでいた。今日は月曜日で、早めに行動したこともあって、大きな混雑に遭遇せずにここまで来たので、改札前に溢れかえった人の波には一瞬ひるんだ。まだお昼なのだが...。改札が始まると、ホームで待つ5台(だったと思う)のバスは見るみるうちに立ち客で一杯になった。バスは72人乗りで、延長6.1kmの道のりを16分で走る。

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関電トロリーバスで扇沢へ

13時05分に発車。立山トロリーバスの時と違って、車内は通勤ラッシュのような有様なので、前面車窓などとても望めない。単線トンネルで中間部に対向場所が造られていることだけは辛うじてわかった。扇沢到着直前にトンネルを出て、下り坂を半回転しながら、山あいのターミナルに滑り込む。ターミナルは建物の外にあるので、架線や集電装置などの設備が存分に観察できて、興味深い。

帰宅後、関西電力が作成した黒部ダムのウェブサイトを見たら、「トロバス」の詳細が紹介されていた(下記 参考サイト参照)。見た目はバスだが法的には電車なので鉄道と同じ地上標識が使われていたり、ボディーの裾に描かれた4本の黒い帯のデザインが「黒四(くろよん:黒部ダムの別称)」を表しているなど、トリビアも発見できる。

■松本電気鉄道バス 扇沢→信濃大町

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信濃大町駅へ到着

富山発アルペンルートの最終ランナーは、松本電鉄の乗合バスだ。これも補助椅子を全部倒すほどのお客が乗ったが、なんとか1台に収まった。とすると5台に分乗したあの人出はどこへ消えたのか。立山ケーブルカーの山麓駅で経験したように、団体客にはお迎えのバスが来ていたし、ターミナル付属の駐車場にはたくさんのクルマが止まっていた。独占が解かれると、とたんに公共交通の分が悪くなるのだ。バスが走る道路はもう下り一方、深く覆いかぶさるような谷も徐々に開けて、家並みが見えてきた。ひなびた風情の大町温泉郷を経由して、JR信濃大町駅前には14時05分に到着した。

なにしろ、手持ちのアルペンきっぷは大糸線内のほか下車できないし、明日は仕事だ。糸魚川回りで今日中に京都まで帰るために、駆け足旅行にならざるを得なかった。登山家には笑われるかもしれないが、青空のもと、峻険な山岳地帯がもつ美しさと気高さを自分なりに堪能したので、思い出話がたくさんできた。日本もまだ広いな、とつくづく思う。

■参考サイト
黒部ダム(関西電力HP) http://www.kurobe-dam.com/
黒部ダム > 関電トロリーバス http://www.kurobe-dam.com/trolleybus/

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2008年1月24日 (木)

立山黒部アルペンルートを行く II

■立山トロリーバス 室堂→大観峰

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室堂にて

室堂ターミナルでは少し時間をとって、外に出た。空気はきりっと冷たいけれども、風が弱くて日差しは暖かい。空は澄み雲は高く、立山連峰が目の前に銀白のみごとな大屏風となって展開する。雪が地面をすっかり覆っているが深く積もってはいない。遊歩道の路面はいったん融けたのがまた凍ったのか、磨いたように光っている。地獄谷あたりまで散策しようと軽い気持ちでウォーキングシューズを履いてきた筆者は、足もとがつるつる滑るのを必死でこらえながら、みくりヶ池の縁までたどり着くのがやっとだった(写真下)。

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みくりヶ池から立山連峰を望む

■参考サイト
室堂付近の1:25,000地形図
http://maps.gsi.go.jp/#15/36.576900/137.596400

室堂ターミナルビルの地下からは、トロリーバスで立山雄山の直下を抜けて、黒部川峡谷の中腹に出る。トロリーバスは無軌条電車(レールのない電車)ともいうように、架線から電気を取り込んで動力とするバスだ。日本では1960年代まで各地に存在したが、72年の横浜市営の運行廃止で都市交通の舞台からは完全に姿を消し、以後は関電トンネルを走るものが唯一になった。これから抜ける立山トンネルは1971年に開通したが、当初はディーゼルエンジンのバスが運行されていた。しかし、1996年にトロリーバスに転換されて、トンネルにこもる排ガスの匂いを解消した。

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立山トロリーバスに乗る

立山黒部貫光の事業案内によると、バスは73人乗り、最大8両を続行運転する。運行距離3.7km、所要時間10分。起終点間の高低差を134mとしているが、室堂の標高を2450mとして計算したもので、地形図を見ると、これは東500mの室堂山荘が建つ地点の数値だ。ターミナルビルの三角点標高は2432.6mになっている。勾配は最急5.0%、平均3.6%というから、東に向かってかなりの下り坂となっているのだ。

10時30分発の臨時便に乗車した。この時点でアルペンルートの中間点を通過する人はまだ多くないと見えて、4台が縦列になったトロリーバスはいずれも着席定員内だった。トンネルは単線で、中間地点に対向場所がある。窓外に眼を凝らしていると、破砕帯と書かれた標識を通過した。しばらく行くと進行方向に光が見え、出口と思わせるが、直前に左へ大きく曲がってさらにトンネルが続く。この「偽出口」は立山を貫通した地点で、雷殿駅といって以前は客扱いもしていたが、接続する東一ノ越への登山道が崩壊して以来、使用中止となっているのだそうだ。しばらく進み、再び右に急カーブ(終端ループの一部)する地点が大観峰のターミナルだった。

■立山ロープウェイ 大観峰→黒部平

立山雄山東尾根の斜面にある大観峰駅では、黒部川の峡谷と後立山連峰のパノラマが広がる(写真下)。バスを降りて階段を上るとテラスがあり、ここで人々の足が止まる。さらに施設の屋上に展望台もあるそうだが、ここは写真だけ撮って足早にロープウェー乗り場へ向かった。単位時間当たりの輸送力が小さいボトルネックで、待ち時間が長いと聞いていたからだ。

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立山ロープウェイと黒部湖

行列は二手に分けられ、到着した箱に左右両側から詰め込まれる。押し寄せる客をさばくために、乗り込む時間を節約する策だろう。箱は81人乗りで、運転時分は7分、延長(斜長)1710m、高低差488m。この間に支柱はなく、ワンスパンで500m近い高さを一気に降りていく。

10時50分発。運良く最前部に張りつけたので、出発時のヒューンと下方に引っ張られるエレベーター感覚と視覚が合致して、迫力満点だ。うたい文句は、360度の大パノラマが楽しめる「動く展望台」だそうだ。ロープウェーはたいてい動く展望台を売りにしているものだが、前方後方ともに間近にアルプスの雄姿が見られるという点では、他と一線を画している。オレンジの絨毯の行く手に黒部平駅の建物がじわり接近すると、時間を忘れる空中遊覧も終わりだ。

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大観峰を振り返る

ここまで比較的スムーズに来て、時間に余裕が出てきたので、立山の展望を脳裏に刻み込みたいと思い、屋上への階段に足を向けた。確かに、大観峰で時間をかける必要はなかった。筆者が見たところ、黒部平が一番の展望台だ。この地点の標高は1828mで、ロープウェーでかなり下りてきたとはいえ、黒部ダムからはまだ500m近い高さがある。しかも黒部峡谷に突き出した尾根の先端なので、ここも十分に360度パノラマなのだ。

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黒部平より立山連峰を望む

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鹿島槍ヶ岳遠望

西側には立山連峰が振り仰ぐ高さに雪を冠し、中腹は一面、黄と赤と緑のコンビネーションに彩られている。さっきいたばかりの大観峰のターミナルビルが唯一目立つ人工物で、折り返しのロープウェーが上っていくところだ(写真上)。東側を振り返ると、正面には針ノ木岳から鳴沢岳へと続く後立山の峰々が並び立つ。左遠方に軽やかな羽を広げるように鹿島槍ヶ岳が浮かび、右手はるか峡谷の奥にはどっしりと赤牛岳が構えている。眼下はミントグリーンの湖水を静かにたたえた黒部湖だ。ビルの前にはちょっとした広場も整備されて、訪問者は思い思いのアングルで記念写真に収まっていた。

■参考サイト
立山黒部アルペンルート http://www.alpen-route.com/

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2008年1月17日 (木)

立山黒部アルペンルートを行く I

富山ライトレールに乗った翌朝6時過ぎ、筆者は富山地方鉄道の電鉄富山駅の改札前に立っていた。富山県側から長野県大町へ、北アルプスの峻険な山並みを縦断する立山黒部アルペンルートをめざしていたのだ。山に秋と冬が同居するこの時期、雄大な自然美を愛でる悦びは言うまでもないが、乗り物ファンとしては電車、ケーブルカー、トロリーバス、ロープウェイとさまざまなタイプの交通機関でリレーしていくというのが、愉しみを倍にする。

■富山地方鉄道 電鉄富山→立山

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早朝の電鉄富山駅

10月下旬とはいえ、夜間の放射冷却で霜が降りる寸前まで冷え込んだ。寒さ対策として、セーターを着込んだ上からジャケットを羽織り、リュックにはウィンドブレーカーを詰めている。同じ方向に行くらしい中年夫婦は揃いのダウンジャケット姿だ。地鉄の2両編成電車はまだ薄暗い6時28分定刻に発車した。車内はすいていて、早起きの通学生がぽつりぽつりと乗っては降りる程度だ。各駅停車なのでいささかまどろっこしく、いつものように地形図と首っ引きで窓外を眺めていても、時折眠気が襲う。

岩峅寺で交換した電車に高校生の大群がなだれ込むのが見えたが、こちらは静かなままの発車だ。やがて電車は山峡に分け入り、かなりの高さがある鉄橋をそろそろと渡った。それから大量の土砂で埋まった広い川原を左に見ながら、斜面に張り付いた急勾配急曲線の線路を探るようにたどる。終点立山駅が位置するのは、常願寺川と称名川の合流地点にわずかに開けた平地、千寿ケ原だ。最後に少し長めの鉄橋を通って、電車は行き止まりのホームに滑り込んだ。

■参考サイト
立山駅付近の1:25,000地形図
http://maps.gsi.go.jp/#15/36.583300/137.445400

■立山ケーブルカー 立山→美女平

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乗車整理票

ケーブルカーに乗り換えようと2階へ上がったとたん、改札前のホールを埋める人の多さに圧倒された。団体客はここまで大型バスで乗り付けるからだ。聞こえてくるのは日本語ばかりか、韓国語や中国語も盛んに飛び交う。筆者は京都から「立山黒部アルペンきっぷ」で乗ってきたが、この先は、出札窓口で渡されるバーコードつきの乗車整理票(右写真)が必要だ。ケーブルカーの乗車便が指定されるので、その専用券かと思ったら、各乗り物の改札でもこの整理票を切符の代わりに提示するのだった。

立山カルデラの外輪山の裾野が、弥陀ヶ原から西に大きく張り出した溶岩台地として残っている。先端が美女平で、麓の立山駅からの高度は約500mもある。この斜面を一気に上りきるのが立山ケーブルカーだ。運営者である立山黒部貫光の事業案内によれば、車両は121人乗りで、ルート運転時分7分20秒、延長(斜長)1324m、高低差487m(関電側のHPでは502mで、地形図で読むとこちらが近い)、最急勾配29度14分(560‰)。

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美女平駅に到着

指定された7時40分発はもちろん満員だった。動き出すと、砂防工事用トロッコ軌道のスイッチバックを見ながらぐいぐい上り、すぐに最初のトンネルに突入する。地形図では、トンネルを出た後、進行右側に常願寺川の切り立った渓谷が眺められると読めるが、林に遮られて意外に見晴らしはきかない。上下車両が交換したらまた長いトンネルがあり、結局、車窓の景色は期待したほどではなかった。

■立山高原バス 美女平→弥陀ヶ原→室堂

美女平でバスに乗り換える。環境に配慮して1998年以降、勾配仕様のハイブリッドバスが導入されている。室堂直行便と途中停車便は並ぶ列が違うので、弥陀ヶ原や天狗平に立ち寄る場合は要確認だ。急カーブが連続する難路のため、バスは全員着席方式で、急がなくても立ちんぼうになる心配はないが、可能なら進行左側の窓際に座りたい。弥陀ヶ原を航空写真のように見下ろす1個所(天狗平に差し掛かる標高2160m付近。運転手氏の案内がある)を除いて、おおむね左側に視界が開けるからだ。室堂まで23km、直行便は50分で到着する。

行程の前半は、紅葉まっ盛りのブナやトチノキの林を縫っていく。下ノ小平ではヘアピンカーブのとりかかりで、落差350mと日本一の称名滝が木の間隠れに遠望できる。見える角度がごく限られていて、バスは小刻みに停まりながら乗客全員にサービスしてくれる。しかし、残念ながら朝は日光が上流側から差すため、滝は完全に日陰で、白い筋がなんとか確認できる程度だ。高度が増すにつれて、徐々に高木は少なくなり、灌木と笹原に覆われたなだらかな斜面が現れる。東西4km、南北2kmの広がりをもつ高層湿原、弥陀ヶ原だ。標高はすでに1600~1900mあり、木々は冬の装いに変わっている。

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(左)木の間から見える称名滝 (右)ブナやトチノキの林を縫って

筆者は立山カルデラの展望台に立ちたくて、弥陀ヶ原ホテル前で途中下車した。バスを降りたら、まず停留所にいる係員氏に、次に乗る便を予約しておかなければならない。これも着席制ゆえの手続きだ。展望台へは登山道がしっかり整備されていたが、積もった雪が凍結して、注意していないと滑る。15分ほどで到達した展望台もまた逆光だったが、地図上で想像したとおりの荒々しいカルデラ壁が間近に迫る雄大な眺めだと思った(この景色で驚くのは早かったのだが)。バスを待つ間、ホテル裏の木道をたどりながら、ひんやりした高原の空気を胸いっぱいに吸い込む。西の方角には、うっすらと富山平野も眺められた。

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(左)立山カルデラの眺め (右)弥陀ヶ原ホテル近くの遊歩道にて

筆者は若い頃、美女平から室堂までラックレールの登山鉄道を通すことを空想していた。実際に地形図上にルートを引いてみたこともある。有料道路が全線開通したのは1964年で、時すでに自動車交通優勢になっていたから、現実には鉄道という選択肢はありえなかっただろう。しかし、もし存在したらきっと、日本のゴルナーグラートと呼ばれたに違いないと今でも思う。

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雪の立山連峰が見えてきた

再び車中の人となって、室堂へ向かった。10月下旬にして天狗平から上は完全に銀世界で、まるで別世界に迷い込んだようだ。ここからいよいよ立山連峰が視界の正面に座り、ゆるゆると大きさを増してくる。美女平からの標高差約1460mを上りきり、バスは雪に覆われた室堂ターミナルに9時50分、到着した。

■参考サイト
立山黒部アルペンルート http://www.alpen-route.com/

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2008年1月13日 (日)

或る地図店の閉店

京都の地図専門店が今月末(2008年1月)で地図の販売をやめる。東本願寺にほど近い下京区鳥丸通上珠数屋町東入ルの小林地図専門店、京都ばかりか関西一円の地図ユーザーに知られていた老舗だった。地形図ファンの筆者にとっても、一時代が終わるという感慨がある。

国土地理院の地形図を扱う店はほかにもあるが、全国を揃えているところはごく少ない。現在の地図店事情はよく知らないが、かつて関西で全国の1:25,000が確実に入手できたのはここだけだったと思う。小林のような専門店では、たいてい地図棚はカウンターの奥にあり、店員にこちらの具体的な要望を言って、商品を出してもらわなければならない。一見不便なようだが、最適の地図にめぐり合うには実はこのほうが手っ取り早い。地図にはさまざまな種類があるからだ。それに、大して売れない国土地理院の地図は、セルフサービスの店だと、繰った人の手垢で汚れたり、端が皺々になることがままあるし、出し入れで順序も入れ替わっている。専門店との差は大きい。

それまで梅田の旭屋書店本店に通っていた筆者が、小林を知ったのは、大学に入学する年だった。京都駅の本屋で、地形図はありませんかと聞いたところ、店番の人が「ここには置いてないけど、烏丸六条に地図屋さんがあるよ」と教えてくれたのだ。当時、地図店は烏丸通に面していた(現在の代々木ゼミナールの北側)。広い間口をもった木造の古い店構えで、正面に店の名を毛筆風の文字で書いた大きな看板がかかっていた。カウンターの向こう側では何人もの人が働いていて、そのうちの一人(後に店の主人の奥さんと知った)に、一度出してもらった地図をこれは要りません、と返すと、買わないんですか、と睨みつけるように言われたのを、なつかしく思い出す。

愛想の悪さにもめげず、筆者はその後足繁く通って、節約したバス代でそのつど1枚2枚大事に持って帰った。小売店の地形図を新刊と交換する在庫更新制度が始まる以前、回転の悪い店の地図棚には旧版地図が長く残っていたが、ここならひと月も待てば新刊が入った。在庫管理の手腕もさることながら、それだけよく出ていたということなのだろう。

烏丸通は南北のメインストリートだが、1970年代、五条、六条あたりはまだ2階家が軒を並べていたように思う。しかしバブル期の地上げのあおりだったのだろう、表通りから1本東の不明門通に移転し、しばらくして再度動いて現在地に店を構えた。地下鉄の五条駅からはだんだん遠ざかったが、それでも交通至便の地で、通うのに支障はなかった。せっせと買い集めたことで、1980年には1:50,000地形図が、1991年には1:25,000地形図が全図葉、書棚に揃うまでになった。その後は関心が海外の地形図へ移行して、小林に通う頻度もおのずと減っていった。

店の人によると、かつては学校の需要が盛んで、クラス全員分の地形図の受注が毎年必ずあったが、今は教室で地形図を教えないし、使い方を知らない先生もいるのだそうだ。民間地図なら駅前の大型書店やインターネットショップで手に入り、カーナビや携帯型GPSの普及で地図販売の先行き自体が明るいとはいえない。個人商店にはことさら厳しい時代になっているようだ。膨大な在庫はどうするのか聞いたら、元売に引き取ってもらうのだという。ずらりと並んだ平たい地図棚を見渡して、筆者も一抹の寂しさを覚えた。京都にはもう1つ、左京区の京大近くに、関西地図センターがある。もともと六条の小林から独立した店だが、こちらは盛業中だ。

■参考サイト
関西地図センター http://www11.ocn.ne.jp/~kanchizu/

なお、小林地図専門店のサイトはすでに閉じられている。

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 日本の地形図はどこへ行くのか

2008年1月10日 (木)

新線試乗記-富山ライトレール

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路線図

もう昨年の話になるが、10月に「地図展2007 in富山」に出かけた折に、富山ライトレールに乗ってきた。2006年4月29日に開業して1年以上経っているのに、未乗のまま残っていたのだ。富山ライトレール富山港線は、富山駅北~岩瀬浜7.6km、軌間1067mm、直流600Vの電化線で、日本初の新設LRT路線として登場した。厳密には1.1kmが新設の道路併用区間、残り6.5kmはJR富山港線から転換したものだ。ローカル線存廃問題を、スプロール化回避のための都市政策と結合させたモデルケースとして、その成否が全国から注目を集めている。

富山港線の転換は、北陸新幹線の延伸計画に伴って浮上した。新幹線とJR在来線の高架化事業にあたっては、仮線用地を確保する必要があった。富山港線の敷地が転用できれば民地を買収しなくて済み、地上を走る現在線からの取付け部分の工事費も節約できる。もしJRのまま存続させたとしても、新幹線開通時には並行在来線の運営がJRから分離されるため、JRに残る枝線は営業成績不振で廃止される懸念があった。

一方、富山市は市街地の拡散が急ピッチで進んだため、中心市街地が空洞化し、自動車交通への依存度が高く、都市管理の行政コストも割高となるという悩みを抱えていた。過度のスプロール化を食い止めるために、市は既成の公共交通路線を軸に、その沿線への居住を推進するまちづくり政策を打ち出した。その旗手として富山港線のLRT化構想が具体化していったのだった。

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富山駅周辺の1:25,000地形図
(左)国鉄富山港線時代 1976(昭和51)年
(右)富山ライトレール転換後 2006(平成18)年
  旧 富山港線の奥田中学校前以南は廃止され、路面軌道化された

■参考サイト
富山駅北付近の現行1:25,000地形図
http://maps.gsi.go.jp/#15/36.702500/137.213700

ライトレールの線路は富山駅北口に突き当たる形で止まっている。JR線が高架に上がれば、このまま高架下を直進して正面口に抜ける計画があるのだ。駅の部分は線路が2線あり、マストをモチーフにしたという屋根つきのホームが整備されている。普通鉄道の駅に比べれば実に簡素な造りだが、それが低コストで造れるという利点でもある。まもなく駅前の交差点を渡って2車体連接の電車、愛称ポートラムが入線した。塗装は白地に対して、窓回りに黒、扉回りに車両ごとに異なるシンボルカラーで、アクセントを効かせている。施設も車両も新しい交通機関の存在感を十分にアピールしている。

JRに向かって左側のホームに乗客が吐き出されると、島式の右側ホームで待っていた人たちが乗り込む。杖を突いた老人がいたが、乗降口には段差がないので苦もなく中へ入れる。もちろん車内も完全フラットで、同じ低床でもバスのような無理な始末がない。観察するうちに発車時刻が迫ってきたが、北口仮駅に入居しているショップでグッズを物色しようと、1本見送った。日中は15分間隔で発車しているので、時間を気にする必要もないのだ。

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(左)起点 富山駅北 (右)クロスシートが並ぶ明るい車内

次の電車でいよいよ試乗に出る。現在は全区間が単線で、駅前の大通では道路脇を遠慮気味に通過していくが、最初の交差点で右に曲がると、道路の中央に移る。もともと4車線の道幅に軌道敷地を割り込ませた関係上、クルマの右折レーンを避けて線路はS字カーブを描く。まだ慣れていないのか、右折しようとする車が線路にはみ出した状態で停まっている。電車の走行音が小さいのでドライバーが接近に気づかず、接触事故が起こっているのだそうだ。

富山港線の踏切跡の手前で道路併用区間が終わり、左に90度曲がって対向列車が待つ奥田小学校前に停まる。JR時代にはなかった新設駅だ。この先は旧JR線を再整備した専用軌道になり、速度も上がって速度計は最高60km/hまで振れた。昼間の電車にしては客もけっこう乗っていて、地元の足として定着しているようだ。

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(左)インテック本社前の併用軌道
(右)路面から旧線転換区間へは急曲線で接続
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新設の奥田中学校前で列車交換

家並みのとぎれない中をほぼ直線で進み、国道8号富山高岡バイパスが上空をまたぐと間もなく城川原で、再び対向列車の姿がある。富山方にはポートラムの車両基地もあるし、拠点駅の雰囲気が感じられる。城川原を出たところで右手に、富山操車場から来た貨物線がぴたりと寄り添う。旧 大広田駅の手前まで並行して、富山港へ引込まれていたが、今はレールが剥がされて線路敷だけが残る。大広田はJR時代、長い直線から久しぶりの右カーブを曲がるところに駅があったはずだが、ライトレールはカーブの手前(南側)に、貨物線の敷地を利用して、交換駅を作った。国土地理院の地形図ではまだJR時代と同じ位置に駅舎の記号があり、資料だけで改訂したのだと知れる。

東岩瀬駅のホームは踏切を挟んで南北に分かれているが、上り側のホームの向かいには、沿線で唯一古い木造駅舎と一部、高床のホームが保存されていて、新旧の違いが明解だ。次の競輪場前で中年男性がたくさん降りた。JR時代、ここは臨時駅だったが、現在は通年営業になった。ライトレール開通を機に、競輪場は富山駅との間の送迎バスを廃止し、代わりに開催日限定で電車に無料乗車できるICカードを発行しているそうだ。

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東岩瀬は旧駅舎を保存
 (左)新ホームの向いに旧ホームが残る (右)旧駅舎

左に緩くカーブしながら、レジャーボートがもやる岩瀬運河の鉄橋を渡ると、まもなく岩瀬浜に到着する。ホームの裏側はフィーダーバスへの乗降場所だ。電車が6分後に折り返していくと、あたりが急にがらんとしてここが終着駅だということを忘れてしまいそうになる。ここから東岩瀬駅の間は、北前船の回船問屋が建ち並ぶ岩瀬の町や、港や立山連峰の眺望が得られる小さな展望台があって、ライトレールが観光客を呼び寄せている。筆者もまたそれに倣うことにした。

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岩瀬運河を渡る
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(左)終点 岩瀬浜 (右)案内板もスマート

掲載の地図は、国土地理院発行の2万5千分の1地形図富山(昭和51年修正測量および平成18年更新)を使用したものである。

■参考サイト
富山ライトレール http://www.t-lr.co.jp/

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2008年1月 4日 (金)

香港の旅行地図

「香港の地図」を検索してこのブログに行き当たった方には、内容が街歩き用地図の案内でないことを予めお詫びしておきたい。複数の方の推薦によると、市街図の地図帳では通用圖書有限公司の「香港街道地方指南」だそうなので(筆者は実見していないのでコメントできないが)、出版社のサイトを掲げておく。
■参考サイト 通用圖書有限公司 http://www.up.com.hk/

さて、前回、香港の地形図について記したが、それと同時に購入したのが政府測量局である地政總署測繪處 Survey and Mapping Office, Lands Department が発行する「郊區地圖 Countryside Series」だ。タイトルは郊外の地図という意味だが、中身はハイキングルートの表示を中心としたアウトドアレジャーのガイドになっている。西欧の測量局が作成しているような本格的な旅行地図を整備し、きちんと更新しているのは、アジアでは香港ぐらいではないだろうか。日本の国土地理院もたまに刊行するが、あくまで特別版の扱いからだ。

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「郊區地圖」表紙
(左)大嶼山及鄰近島嶼 (右)香港島及鄰近島嶼

香港でハイキングといっても、もっぱらショッピングやグルメを目的に渡航する人にとっては「想定外」かもしれない。しかし、名物のケーブルカーで香港島のヴィクトリアピーク Victoria Peak に登った方は気づかれたと思うが、行政区域内に大小262個もあると言われる島々、そして大陸側の九龍半島も、地形の起伏が甚だ大きい。最高峰は半島中部の大帽山Tai Mo Shanで標高957m、西のランタオ島 Lantau Island にも標高934mの鳳凰山 Lantau Peak がそびえている。こうした山地はほとんど郊野公園 Country Park に指定され、ハイキングやトレッキングのルートが設けられているのだ。海を見下ろす尾根の縦走路は、写真で見るだけでも爽快そうで、旅心を誘う。

郊區地圖は次の5点で全土をカバーしている(下記参考サイトに索引図 map index へのリンクがある)。

 香港島及鄰近島嶼 Hong Kong Island & Neighbouring Islands
 大嶼山及鄰近島嶼 Lantau Island & Neighbouring Islands
 新界西北部 North West New Territories
 新界東北及中部 North East & Central New Territories
 西貢及清水灣 Sai Kung & Clear Water Bay

いずれも版数や刊行年が明示されて、比較的頻繁に改訂版が出されていることがわかるし、今後12ヶ月以内の更新予定リストまで公表されている。実用地図にとってこうしたデータは、鮮度を知るために重要な要素なのだが、商業出版では書かれていないことがままある。その意味でこれは大変良心的といえる。

縮尺は1:25,000(香港島は1:20,000)で、歩くための地図としては一般的な精度だ。官製1:20,000地形図のデータを使用しながらも、段彩とぼかし(陰影)を加えることで地形の立体感を強調している。その上にハイキングルートその他の情報を重ねているが、ドイツやスイスのようにいかにも加刷しました、といううるささがなく、周囲の配色と調和してスマートな印象だ。

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「大嶼山及鄰近島嶼」図葉の一部
(c) 2006 Survey and Mapping Office, Hong Kong

ハイキングルートは、実線で表す「主要 major」と、点線で表す「難行、不明顕或季節性蔓生雑草 difficult, indistinct or seasonally overgrown」に大別される。道筋が明瞭か否かを描き分けて、後者なら岩伝いや夏の藪漕ぎの覚悟も必要と伝えているわけだ。この道路記号にさらに人の形のアイコンを添えることで、各々のルートが判別できる。男女2人が並んで歩く絵柄はホンコントレール Hong Kong Trail、ランタオトレール Lantau Trail などよく知られた道、ステッキを持ち歩く人はカントリートレールだ。以上2種は距離を示す標柱も描かれている。さらに、体操姿はフィットネストレール、走る姿はジョギングトレール、大人2人が子どもの手を引く姿はファミリーウォーク、というように仕分けはきめ細かい。

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凡例の一部

これ以外の情報も豊富で、海水浴場、ウィンドサーフィンのような水上スポーツ関連、休憩所、公衆トイレ、キャンプ地のようなウォーキング関連など、さまざまな記号が用意されているのには感心する。香港という地名から連想するのは、林立する高層ビル群や整然としたニュータウンだが、その裏側に、自然感あふれる空間が残されていることを、筆者はこの地図から教えられた。試みたような取寄せ方法が面倒だと思われる向きでも、地政總署測繪處のサイトに販売所のリストが載っているので、香港にお出かけの際に立ち寄ってみられてはいかがだろうか。

■参考サイト
地政總署測繪處の郊區地圖 http://www.landsd.gov.hk/mapping/en/paper_map/cm.htm
 地図見本も見ることができる。
WALK HONG KONG http://www.walkhongkong.com/
 ハイキングルートの写真を見せるコーナーにもリンクしている

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2008年1月 3日 (木)

香港の地形図

香港Hong Kongがイギリスの植民地だったことは記憶に新しい。1842年に香港島が当時の清朝からイギリスに割譲されたのを始まりとして、2度にわたり領域が拡張され、深圳河以南の九龍半島と周辺の島嶼を含む1072平方キロの面積(1989年現在。埋立による陸地化でその後も増加)を有していた。共産主義中国誕生後は西側諸国との窓口の役割をも担ったが、1997年7月、ついに中国に返還された。しかし、基本法により、高度な自治権を行使できる特別行政区 Special Administrative Region と定められ、中国本土とは別の行政、立法、司法権をもち、50年間は資本主義の制度・政策を維持することになった。

官製地形図もその例外ではなく、イギリス施政当時とほとんど変わらないスタイルで刊行され続けており、外国からも容易に入手できるのは嬉しいことだ。ちなみに、中国本土では地形図は機密扱いとされ、市販されているのは市街図や道路地図のような実用地図が中心だ。

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1:100,000地形図の一部
(c) 2005 Survey and Mapping Office, Hong Kong

香港の基本図といえるのは縮尺1:5,000だが、中縮尺図では16面に分割された1:20,000、東西2面に分かれた1:50,000がある。1:100,000からは1面で全土をカバーし、さらに、よりコンパクトな1:200,000、本土の広州市あたりまで図郭を拡大した1:300,000「香港與其鄰近地區 Hong Kong in Its Regional Setting」を揃えている。すべて等高線が入り、1:50,000より小縮尺の地図には地勢を表現するぼかし(陰影)が加えられて、鑑賞に堪える仕上がりだ。言語は公用語となっている中国語(繁体字)と英語の併記で、これは地名、凡例その他の説明文まで徹底している。

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1:20,000地形図 香港及九龍

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1:20,000地形図の索引図

筆者はイギリス時代の1994年に一度購入したことがあったが、そろそろ新しいものをと思い、先月改めて発注した。発行元の地政總署測繪處 Survey and Mapping Office, Lands Department のサイトではオンラインショップも案内されているが、うまくつながらないので、昔ながらのFAXによって発注した。送金は行政区政府宛、香港ドル建てという指定に従い、銀行で作った送金小切手を郵送した。郵便局の香港向け国際送金は、USドルしか取り扱わないからだ。

香港特別行政区は、島嶼部を含めると東西約60km、南北約45kmの広さがある。東京駅を香港中心部の香港島 Hong Kong Island、九龍 Kowloon あたりとすれば、東西はほぼ千葉~立川間に相当し、意外に広い。その中に各種の鉄道が時には山を貫き海を渡って四通八達しており、地図上でそれを追うのも大いなる愉しみだ。

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1:50,000地形図 図則2(東部)

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1:50,000地形図の一部
(c) 2005 Survey and Mapping Office, Hong Kong

前回入手した1992年版の1:50,000と今回の2005年版を比較すると、この間の変貌ぶりが一目瞭然となる。まず香港の空の玄関は1998年に、市街の懐ろに突っ込む形の啓徳(カイタック)空港 Kai Tak Airport から、西部のランタオ島 Lantau Island(中国語では大嶼山)の沖合いを埋め立てた新空港に引き継がれた。2005年版では旧空港の滑走路やターミナルビルは残っているが、滑走路の先端に描かれているのはゴルフ場だ。新空港と九龍・香港島を結ぶ連絡鉄道と快速公路(高速道路)の道程には、新名所となったディズニーランド、本土へ渡る全長2160mの青馬大橋、青衣から九龍西にかけての大規模な埋立地が出現している。鉄道と道路はヴィクトリアハーバー Victoria Harbour に各3本目の海底トンネルを追加して、香港島に達する。

北に眼を向けると、九廣鉄路(2007年12月から香港鉄路が運営)の大圍駅で分岐してニュータウンへの足となる馬鞍山線が完成し、上水駅で分岐して落馬洲へ行く支線が建設中とされている。後者は2007年8月に開業して、川向こうの広東省深圳Shenzhenをつなぐ2つ目の連絡路となった。一方、新界西部の元朗 Yuen Long、屯門 Tuen Mun は山向こうの飛び地のような印象の土地だったが、2003年12月に九廣西鉄 West Rail が長大トンネルを伴って開通し、一気に都心と結ばれている。この近辺には20年ほど前からLRTが導入されていたが、新旧の地図を照合すると天水圍方面などにさらに路線の延長が図られているようだ。

わずか10数年でこの変わりようは凄まじいばかりだ。そういえば、地形図そのものも配色は同じだが、全体にトーンが濃くなって、エネルギッシュなイメージが押し出されているように感じる。次の10数年後には、地図はどんな姿を見せているのだろうか。

■参考サイト
地政總署測繪處 http://www.landsd.gov.hk/
官製1:300,000、1:200,000については、最新版をJPEGファイルで無償提供している。
http://www.landsd.gov.hk/mapping/en/download/maps.htm
また、以下のサイトに香港の官製地図に関する情報をまとめている。
「官製地図を求めて-香港」 http://homepage3.nifty.com/homipage/map/map_hongkong.html

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我が官製地図事始め

◆外国地図のたのしみ

Blog_kotohajime1 筆者がまだ田舎の高校生だった1974年、たまたま立ち寄った書店の店先で見つけたのが、堀淳一氏の『地図のたのしみ』(河出書房新社)という単行本だった。ページを繰ると、そこにはスイスをはじめとする各国の地形図がカラー図版で並んでいた。それまで日本の地形図にはある程度親しんでいたが、外国ではそれより数段精緻で美しいものが作られているのだ、とそのとき初めて知った。

 大学受験のために東京へ出かけたとき、試験を終えたその足で、当時渋谷パルコにあったマップハウスに駆けつけ、スイスの1:50,000集成図「ベルナー・オーバーラント Berner Oberland」を手に入れた。堀氏の本で憧れていた地形図がいま目の前にある! そのときの感動がその後数十年の官製地図収集につながっている。マップハウスは一時、大阪中の島の朝日ビルに出店を置いていた時期があり、関西の大学に進んだ私はここにも何度か通って、スイスやイギリスの地形図を買い求めた。

 1978年と80年に、内外交易(株)が「教材用外国地形図セット」という箱モノの企画を立てたことがある。店頭の地図に飽き足りなくなっていた筆者は当然のように飛びついた。けっこう高い買い物だったはずだが、就職したての独身貴族は給料を趣味に注ぎ込む余裕があったのだ。しばらくして送られてきた分厚い紙箱には、珍しい地形図がいっぱいに詰まっていた。一度に見てしまうのはもったいなくて、毎週末に1枚ずつ惜しむように開いていたことを思い出す。

◆個人輸入に目覚める

 海外旅行ができるようになってからも、現地で地図の販売店を探すことを忘れなかった。むしろそれが半ば旅の目的だったかもしれない。列車に乗るときも山野を歩くときも地図なしでは落ち着かない筆者にとって、それまで空想旅行の友だった海外の地形図が現実の伴侶になったのだ。

 しばらくはこうして旅行のときのおみやげだった海外地形図だが、1990年ごろ個人輸入に関する本を読んでいて、地形図もこうして買えるのではないかと気がついた。フランスとドイツの地形図に測量局の住所が載っているのは知っていたので、案内資料を送ってほしいとダメモトでハガキを出してみた。

Blog_kotohajime2するとやがて、索引図の入った詳細なカタログが届いたのだ(右写真)。ドイツ・バイエルン州のそれには丁寧に注文用のハガキまでついていた。さっそくフランス語とドイツ語の素人翻訳にとりかかり、なんとか注文書を書き終えて(これは英語でしか書けなかったが)封書で送った。フランスの方は価格と送料がカタログに載っていたので、郵便振替口座を作って送金の手続きをした。ドイツの測量局には折り返し金額を教えてほしいと書いた。こうして、数週間後には郵便屋さんが、差出人IGN(フランスの地図作成機関)というタグのついた小包を運んできてくれたのだった。

◆地図の効用 

 今では、海外旅行に行くときには、あらかじめ現地の地形図、それも1:50,000や1:25,000といった中縮尺の官製地図をある程度そろえて、計画を練る。街中を歩くには通りの名が記載された民間の市街図のほうが役に立つけれども、街のまわりはどうなっているのか、起伏は?川の流路は?鉄道や道路は? そういった情報を得ることで、その街が立体的に見えてくるように感じる。こうしてイメージを作ってから現地にでかけると、街角ごとに視界に入る風景が、断片ではなく一個の連続した空間に接ぎ合わされていく。地図はその作業のベースになっている。

 街を離れて郊外に出ればもう官製地図の独壇場だ。もともとパックツアーは好まないので、往復の飛行機以外はなんら時間拘束がない。これでもミーハーなところもあっていわゆる見どころだけは押さえるのだが、その後は、地形図で見つけた変わった地形や小さな村を見にふらふらと寄り道する。地図を片手に歩いた道は、あとで地図で見返したとき、まるでそれが記録媒体であるかのように風景が頭の中に再現されるから不思議なものだ。

 もちろん、地図は実体験としての旅行に供するだけではない。とうてい行けそうもないような高山や離島でも地図上でなら空想旅行が可能だし、それもまた楽しい。いやむしろ、今の状況は想像の旅が主体で、現実の旅行はオプショナルツアーなのかもしれない。

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