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2007年12月27日 (木)

イギリスの難読地名

8月以来続けてきたイギリス特集はこれでひとまず区切りをつける。書き綴る間、気を使ったのは地名の日本語表記だった。英語は、フランス語などとともに綴りと発音の乖離が激しい言語だ。ou に7通りの発音があり(famous,  journey, loud, should, you, flour, tour)、イーと読む綴りは11通りある(paean, me, seat, seem, ceiling, people, chimney, machine, siege, phoenix, lazy)のだそうで、その意味ではフランス語よりもっと難しいかもしれない。

加えて、イギリスの地名はしばしばそのルールからも外れた読み方をするので、日本語に写すときは要注意だ。ロンドン近郊で有名なのは標準時の Greenwich で、グリニッジまたはグリニッチと読む。Buckingham(バッキンガム)や Tottenham(トッテナム)のような h の無音化は、ラテン語系の言語でおなじみだから驚かないが、中心部の Holborn(ホーバン)、北のHampstead(ハムステッド)、西のChiswick(チジック)、南のSouthwark(サザク、地元ではサヴァクとも)は、教えてもらわなければ読めない。Thames Riverも字面ではテイムズだが、正しくはテムズだ。

元来漢字に複数の読み方(音読み、訓読み)を当ててきた日本語では難読地名もむべなるかなだが、イギリスにもまだまだ普通には読めない地名があるのではないか。そう思って調べていたら、英語版ウィキペディアに「非直観的発音をもつ英語地名一覧 List of names in English with non-intuitive pronunciations」というたいそう奇特な項目を見つけた。世界各地の難読英語地名がアルファベット順に、発音記号つきでリストアップされている。

■参考サイト
Wikipedia - List of names in English with non-intuitive pronunciations
http://en.wikipedia.org/wiki/List_of_names_in_English_with_non-intuitive_pronunciations

それによると、イギリス諸島でよく見かける、特殊な読み方をする地名接尾辞が7例あがっている。(原文の発音記号を日本語音に直した。語尾は通常アクセントがないが、慣用に従って長音記号にした)

-burgh ブラ、バラ
城を意味する接尾辞で Edinburgh(エディンバラ)、Middlesbrough(ミドルズブラ)、Scarborough(スカーバラ)など異なる綴りがある。Marlborough はアメリカ煙草のマールボロ Marlboro を連想するが、モールブラと読み、全体が難読だ。なお、カーライル西郊の Burgh by Sands はブルフ、アメリカの Pitsburgh はもちろんピッツバーグ。

-bury ブリー、ベリー
これも burgh の変形で、マンチェスター郊外の Bury(ベリー)をはじめ、Canterbury(カンタベリー)、Newbury(ニューベリー)など。なお、Salisbury はソルズベリーまたはソールズベリー、Shrewsbury はシュロウズベリーまたはシュルーズベリーと読む。

-cester スター
ローマ帝国の砦、陣地に起源を持つ地名。Alcester(オルスターまたはオールスター)、Bicester(ビスター)、Gloucester(グロスター)、Leicester(レスター)、Towcester(トウスター)、Worcester(ウースター)。なお、Cirencester は今はサイレンセスターと読むことが多いが、正式にはシシター。

-ham アム
集落、村を意味する。Birmingham(バーミンガム)、Cheltenham(チェルトナム)、Nottingham(ノッティンガム)、Wrexham(レクサム)など多数。

-shire シャー、シアー
州を意味する接尾辞。Cheshire(チェシャー)、Hampshire(ハンプシャー)、Lancashire(ランカシャー)、Yorkshire(ヨークシャー)など多数。

-wick ィク
集落、村を意味する。Berwick-upon-Tweed(ベリック・アポン・トゥウィード)、Chiswick(チジック)、Keswick(ケジック)、Warwick(ウォリック)など。-wichも同じ意味で、Greenwich(グリニッジ)、Dulwich(ダリッジ)、Norwich(ノリッジ)など。しかし Ipswich はイプスウィッチだ。

-mouth マス
河口(の町)を意味する。イングランドの南海岸には Portsmouth(ポーツマス)、Bournemouth(ボーンマス)、Weymouth(ウェイマス)、Plymouth(プリマス)が並ぶ。

難読地名一覧にはこの後、個別地名がずらりと並んでいるが、多少なじみのあるものだけを挙げておこう。

Beaulieu ビューリー
Derby ダービー(日本語では区別できないが、Darbiと発音する)
Ely イーリー
Guildford ギルフォード(「フォード」にはアクセントがないので実際はフォド。以下も同じ)
Hereford ヘリフォード(ハリフォドがより近い)
Heysham ヒーシャム
Hertford ハーフォード
Keighley キースリー
Launceston ローンス(ト)ンまたはラーンス(ト)ン
Leominster レムスター
Nene ネン(ノーサンプトン、ピーターバラを流れる川の名)
Newquay ニューキー、Torquay トーキー
Reading レディング
Wycombe ウィカム

リストに含まれないものでも、たとえば保存鉄道として知られるミッドハンツ鉄道 Mid-Hants Railway の終点は、Alresford(オールスフォード)だし、まだ他にもあるのかもしれない。日本語で書かれた世界地図帳をいくつか見たが、よく知られたものを除けば表記はさまざまで、地名は本当に一筋縄ではいかない。

2007年12月20日 (木)

マン島の鉄道を訪ねて-マン島鉄道

ダグラス Douglas ~ポート・エリン Port Erin 間24.6km
軌間3フィート(914mm)、開業1874年(ダグラス~ポート・エリン間)

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13号機「キサック」が牽く列車がホームに入ってきた。カッスルタウン駅にて *

ダグラス Douglas は、かもめの甲高い鳴き声で目覚める街だ。しかし、昨日までの晴天とは違って、けさの港町は雨模様で、海鳥たちの飛び交う姿もなかった。島の南へ行くマン島鉄道 Isle of Man Railway, IMR(下注)に乗るために、路線バスで始発駅へ向かう。駅はダグラス川の河口から1km足らず引っ込んだ位置にあり、街が載る高台から見れば川に臨んだ崖下になる。未開発だった低湿地を利用したのだろうが、海運との接続も考慮されたに違いない。かつて駅前にあった船溜りは、今ではボートやヨットの停泊場所に転用されている。

*注 マンクス電気鉄道 Manx Electric Railway と区別して、蒸気鉄道 Steam Railway と呼ばれることがある。

大時計を埋め込んだ立派な煉瓦アーチの門から階段を下りると、同じ赤煉瓦造りの立派な駅舎が客を迎える(下注)。扉回りをアイボリーとインディアンレッドのツートンできりっと固め、優雅な装飾を施した軒庇にはフラワーバスケットも下がる。鉄道の全盛時代を彷彿とさせる美しさだ。しかし内部は、首都の玄関口にしては意外に狭い。昔の投薬窓口のような小さな切符売り場があり、壁に大きな最盛期の路線図がかかっている。隣はカフェで、天井近くに回された鉄道模型のレイアウトには、19世紀のオープン車両が休んでいた。

*注 高台の街へ通じるこの門は、2016年現在閉鎖されているようだ。

レトロな雰囲気をかもし出す駅舎を出ると、頭端式のプラットホームとの間を仕切る柵のところで、改札をしている。今は雨晒しのホームが1面延びているだけだが、古い写真を見ると、駅舎を背にして左側にもう1面ホームがあり、どちらも覆い屋根が渡されていたことが知れる。かつてはこの駅から島の主要な町すべてが、軌間3フィート(914mm)の蒸気鉄道で結ばれていたのだ。

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ダグラス駅 (左)港に面する正門 * (右)高台の街に通じるアーチの門
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(左)優雅な装いのダグラス駅舎正面 (右)待合室、梁にトラム客車の模型が
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(左)ダグラス駅ホームは1本だけ残った (右)ホームの先には車庫や整備工場がある *

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マン島鉄道会社の紋章
3本の脚はマン島のシンボル
(客車側壁を撮影) *
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最盛期の鉄道・バスの路線図が
駅舎内の壁に掲げてある

島の交通の近代化を牽引したのは、1870年に設立されたマン島鉄道会社 Isle of Man Railway Company だった。会社はまず1873年に、ダグラス~ピール Peel 間11.5マイル(18.5km)を開通させた。ピールは西岸の港町で、線路はダグラスとの間に横たわる回廊のような浅い谷を通る。続いて翌74年に開通したのが、今も残るダグラス~ポート・エリン Port Erin 間(南部線 South Line)だ。本来の計画ではカッスルタウン Castletown が終点だったが、水深の深い岸壁が造成されたポート・エリンの港まで延長するよう計画が変更され、15.3マイル(24.6km)の路線となった。

さらに、ピール線の途中駅セントジョンズ St. John's から、1879年に北東岸のラムジー Ramsey(北部線 North Line)へ、1886年にはフォックスデール Foxdale 鉱山へと、路線が分岐するようになる。両線とも別会社が建設したが、1905年にマン島鉄道に引き継がれ、全部で46マイル(74km)を超える大きな路線網ができあがった。

各線とも初期の運行本数は1日4~5往復だったが、1920~30年代には7往復に増便されていた。イギリス本土へ向かうフェリーに連絡する朝8時前がダグラス駅の最も賑わう時間帯で、2本のホームは、狭苦しい列車(下注)から吐き出された人波で溢れたことだろう。

*注 フェリー接続の列車は、ボートトレイン Boat train と呼ばれて親しまれた。

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ダグラス周辺の地形図
官製1マイル1インチ(1:63,360)地形図 87 Isle of Man 1957年版 に加筆
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ピール周辺の地形図
この時代、セント・ジョンズから4方向に線路が延びていたが、すべて廃線に
官製1マイル1インチ(1:63,360)地形図 87 Isle of Man 1957年版 に加筆

長い歳月が過ぎ、すっかり静かになった始発駅のホームで、ポート・エリン行きの客車が早くもスタンバイしていた。車内に貫通路がないコンパートメントタイプで、1両につき区画が6つ切られている。扉のハンドルは外側にしかない。乗るときはいいが、降りるときはベルトを引いて窓を下ろし、外壁に手を回す必要がある。発車が近づくと車掌が巡回してきて、開いたままの扉を一つずつ閉めていった。こうしてたくさんの扉がバタバタと音を立てる(英語で slam という)ところから、この形式の車両はスラムドアキャリッジ slam-door carriage と呼ばれる。

ややあって、本日の主役となる蒸機が車庫の方から、シュッシュッという軽快なリズムとともに登場した。「ロッホ Loch」の名を戴く4号機だ(下注)。他の仲間とも共通の、先輪1、動輪2の軸配置をもつ小柄な機関車だが、美しく磨かれたインディアンレッド色の車体といい、大きなベル状のスチームドーム(ベルマウス bell-mouth)が放つ黄金色の輝きといい、1874年の開通当時から働く古参の威厳を十分に備えている。

*注 2016年現在、4号機「ロッホ」はボイラー証明書が期限切れのため、運行から撤退している。同年7月の撮影日には、同じインディアンレッドをまとう8号機「フェネラ Fenella」(1894年製)と、ホリーグリーンの13号機「キサック Kissack」(1910年製)が列車を牽引していた。

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(左)ベルマウスのドームを持つ4号機関車「ロッホ」 (右)スラムドアキャリッジに乗車

発車までにどのコンパートメントもふさがったようだ。定刻の10時15分、ゆっくりと動き出した。同僚が休む機関庫を横目に旧ピール線跡を分け、ダグラス川を渡ると1:65(15.4‰)勾配の長い上り坂にかかる。切通しを抜けた先1km足らずが、沿線で唯一、海岸の間近を走る区間だ。海を背景にした蒸気機関車の写真は、必ずここで撮られている。島の南東部は比較的穏やかな地形で、路線はおおかた内陸を通っている。前半はのびやかな丘陵の間の鞍部を縫っていき、後半は海岸平野のまん中を貫く。そのため、車窓から海が見晴らせる時間はごく限られているのだ。

再び谷のはざまに戻り、標高70m足らずのサミットを抜ける。もう一度海が見えるが、かなり遠のいている。途中の小駅はリクエストストップ(乗降があるときだけ停車)だが、利用者は通しの観光客ばかりと思っていたので、どの駅にも客が待っているのには驚いた。地元の男性が一人、私たちのコンパートメントに入ってきたので聞くと、ポート・セントメアリー Port St. Mary の駅裏にある農場へ行くために利用しているという。ささやかながら、列車は住民の足にもなっているのだ。

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サントン駅
(左)ダグラス方を望む * (右)ポート・エリン方は、この道路橋をくぐると下り一方 *

これもよく写真の被写体になっている石造りの跨線橋をくぐって、サントン Santon 駅へ入る。ここを過ぎれば、道は1:60(16.7‰)の下り一方だ。と突然、駅でもないところで列車に急ブレーキがかかり、そのまま動かなくなった。どうしたことかと、乗客たちは窓から首を出す。線路脇の牧場から、無鉄砲な牛か何かが飛び出してきたのだろうか。

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牧場の中で突然急停車

心配をよそに10分ほどで再び走り出し、まもなく対向列車が待つバラサラ駅 Ballasalla にすべり込んだ。列車ダイヤは日中2時間ごとの4往復で、両端駅を同時に出発してここで交換する。小さな村の駅というのに、他にもまして整備が行き届いている。ガス灯風の照明が立ち、駅舎の軒やホームの柵に色とりどりの小花が盛られ、思わずカメラを向けたくなる光景だ。

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バラサラ駅
(左)花で飾られたホーム (右)8号機「フェネラ」と列車交換(2枚とも帰路写す)

機関車が後ろ向きになったダグラス行きを見送って走り出すと、次の停車駅はカッスルタウン Castletown。鉄道の当初の目的地だった町は南部の中心地で、1863年までマン島政府が置かれていたという古都だ。駅からは見えないが、少し街路を歩いて港に出れば、中世の城も公開されている。

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カッスルタウン駅 (左)城下町らしい石造りの駅舎 * (右)13号機「キサック」入線 *
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カッスルタウンの港に面したルシェン城 Castle Rushen *
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城の塔屋からの眺め
(左)南西方向。遠方にアイリッシュ海に突き出たスカーレット・ポイント Scarlett Point *
(右)北方向。駅へ続く街路と東西に広がる平野 *

この先は、遠くに山並みを見やりながら、牧場や農地の広がる中を坦々と進んでいく。ポート・セントメアリーでは、相客が「いい旅を」と言って降りていった。終点ポート・エリン Port Erin までの所要時間は、時刻表どおりなら57分だ。エリンはアイルランドのことで、夕景が美しい入江は、海の彼方にあるアイルランド島を向いている。土産物のほうに気をとられて行けなかったが、同じ駅構内にある鉄道博物館の訪問もきっと愉しい体験になるだろう。

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ポート・セントメアリー駅(左画面外)を出てカッスルタウンへ向かう蒸機列車 *
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終点ポート・エリン駅 *

今は元気に野を駆ける蒸気鉄道だが、第二次世界大戦の後は、自動車交通の発達とリゾート客の減少という荒波に翻弄され、一時廃線寸前まで追い詰められた過去も持っている。マン島鉄道は子会社を通じて島のバス路線の大半を併営していたので、戦後しばらくはその収益で鉄道から出る赤字を埋め合わせていたというのが実情だ。すでにフォックスデール線では1940年に旅客輸送が廃止されていたが(貨物を含めた全面休止は1960年)、1949年の外部専門家による報告書で、ピール線と北部線についても運行を止めるように勧告されていた(下注)。

*注 北部線はマンクス電気鉄道との競合で旅客輸送が不振を極め、ピール線も1911年の鉱山閉鎖で輸送実績が低迷していた。

経費の節約と併せて、寿命が近づく設備の延命のために行われたのは、列車の削減だ。まず夜間や日曜日の列車が廃止され、1961年の冬は南部線を除いて全面休止となり、北部線ではその後もこの措置が続けられた。並行して、蒸気機関車の代役となる中古気動車の導入が進められたものの追いつかず、保守作業を理由に、1966年にはとうとう全線で運行が中止されてしまった。

この事態を憂慮したのが7代エイルサ侯爵 Marquess of Ailsa で、彼は自ら全線を借り受けて鉄道経営に乗り出した。エイルサが私財を投じた1967年の運行再開は、増便実験のような性格をもっていたのだが、残念ながら結果は芳しくなかった。翌68年は再び減便され、特にピール線と北部線については、これが旅客列車運行の最終年となった(下注)。

*注 両線で部分的に行われた石油貨物輸送も1969年限りとなり、1975年に施設は撤去された。

政府はエイルサ卿に対して補助金で支援を続けたが、1971年を最後に彼は手を引いたため、翌72年から再びマン島鉄道が運行する形に戻された。といっても、稼働できるのは今や南部線だけだ。しかも赤字額の大きさから1975年にはカッスルタウン~ポート・エリン間、76年はバラサラ~ポート・エリン間と、運行は需要の残る短区間のみに切り詰められてしまう。どう見ても蒸気鉄道の運命は風前の灯だった。

不安定な運行状況はすでに政治問題化しており、1976年のマン島議会ティンワルド Tynwald の総選挙で争点の一つになった。もしこれで廃止派が多数を占めていたら、鉄道はとうに消えていただろう。開票の結果、存続派が勝利し、成立した新内閣は、鉄道を国有化する方針を打ち出した。翌1977年はこれを受けて、南部線全線で列車の運行が再開された。こうして1978年にマン島鉄道は国に買収され、一足先にこの体制に移されていたマンクス電気鉄道などと同様に、新たな道を踏み出したのだ。

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バラサラ~ポート・エリン間の地形図
官製1マイル1インチ(1:63,360)地形図 87 Isle of Man 1957年版 に加筆

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ポート・エリン駅
(左)給水中の機関車の前で記念写真 (右)かつてアイルランドからの客を迎えた駅舎内 *
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(左)構内の鉄道博物館入口 * (右)同 売店 *
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(左)静態展示の6号機「ペヴリル Peveril」 * (右)客車や鉄道の小道具が所狭しと並ぶ *

島内を走る個性豊かな鉄道群を訪れてみて感心するのは、どの車両も丹念に手入れされ、施設が美しく保たれていることだ。旅行者や鉄道愛好者の熱心な支持もさることながら、島の人たちの鉄道に注ぐ深い愛情と理解がなければ、19世紀の交通遺産を今日まで伝えることはできなかっただろう。旅を終えてもなお私の心には、マン島への憧れが強く残っている。それはきっとこの島を訪れ、古典列車の旅を楽しんだ人々に共通の想いであるに違いない。

(2016年9月10日改稿)

掲載した写真のうち、キャプション末尾に * 印のあるものは、2016年7月に現地を訪れた海外鉄道研究会の田村公一氏から提供を受けた。それ以外の写真は、2007年8月に筆者が撮影した。

■参考サイト
「マン島案内」蒸気鉄道 http://www.iomguide.com/steamrailway.php

★本ブログ内の関連記事
 マン島の鉄道を訪ねて-序章
 マン島の鉄道を訪ねて-ダグラス・ベイ馬車軌道
 マン島の鉄道を訪ねて-マンクス電気鉄道
 マン島の鉄道を訪ねて-スネーフェル登山鉄道
 マン島の地形図

2007年12月13日 (木)

マン島の鉄道を訪ねて-スネーフェル登山鉄道

ラクシー Laxey ~サミット Summit 間7.5km
軌間3フィート6インチ(1,067mm)、550V直流電化、開業1895年

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マウンテンロードからスネーフェル山の眺め。正面奥はバンガロー駅

ノルド語で雪山、Snow hill を意味するスネーフェル山 Snaefell は、マン島の最高峰だ。といっても、標高は2036フィート(621m)しかなく、見かけは草に覆われるこんもりとした山に過ぎない。しかし、アイリッシュ海の中央に位置するところから、大気の澄んだ日には足元のマン島はもとより、イングランド、スコットランド、ウェールズ、アイルランドがすべて見え、心に曇りなければ天国さえ見える、と言い継がれてきた。

19世紀の鉄道フィーバーはこの山をも開発の対象に加えようとした。1887年に、首都ダグラスからラクシーを経て蒸気動力で山頂まで行く路線について、登山鉄道の専門家に調査が依頼されている。作成された計画はマン島議会 Tynwald の承認を得たものの、実現することはなかった。このとき調査を引き受けたのはジョージ・ノーベル・フェル George Nobel Fell という土木技師で、急勾配に対応したフェル式鉄道の発明者ジョン・バラクロー・フェル John Barraclough Fell の息子だった。

この構想は、ダグラスからラクシー Laxey 間 まで鉄道(後のマンクス電気鉄道 Manx Electric Railway, MER)が延長された1894年になって復活した。鉄道を経営するマン島軌道・電力株式会社 Isle of Man Tramways & Electric Power Co. Ltd が、先の調査に基づいて電気動力の登山鉄道を造ると発表したのだ。そのための別組織が設立され、再びフェルが工事の技術監督に招かれた。

スネーフェル登山鉄道 Snaefell Mountain Railwayと呼ばれた路線は、ラクシーからサミット(山頂)駅まで延長4.7マイル(7.5 km)、軌間3フィート6インチ(1,067mm)、直流550Vで電化されていた。全線の85%が1:12(83.3‰)の勾配を持ち、ラクシーから山上まで標高差1820フィート(555m)を克服する。

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(左)標準色の5号車、ユニークなビューゲルを載せる *
(右)開通から1899年まで使われた本来色に戻された1号車。クリームとプルシャンブルーのストライプで、RAILWAYではなくTRAMWAYと書かれている *

工事は山麓と山頂の両方から線路を順次延長する形で行われ、わずか7か月の工期で完成した。開通式は1895年8月20日で、さっそく翌日から一般営業が始まると、たちまち人気を呼び、初年は1日あたり最高900人が山頂に運ばれたという。なお、最初の山麓駅は現在のラクシー駅の位置ではなく、少し上手の車庫の隣にあった(下注)。その後、仮駅を経て、1898年に電気鉄道のラクシー延伸に伴い、新たに造られた現 ラクシー駅に乗入れを果たした。

*注 当時電気鉄道はまだグレン・ロイ Glen Roy(グレン渓谷)の南の旧駅で止まっていて、登山鉄道旧駅との間は約400mの徒歩連絡が必要だった。

こうして登山鉄道は、開業以来常にマンクス電気鉄道と一体で運営され、会社の経営危機に伴い、1957年に国有化されて今に至る。

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1897年の2代目ラクシー駅 (サミット駅舎の展示パネルを撮影) *

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ラクシー~スネーフェル山周辺の地形図
官製1マイル1インチ(1:63,360)地形図 87 Isle of Man 1957年版 に加筆

ラクシー駅は今も2つの鉄道の乗換駅になっている。4本並ぶ線路のうち、北に向かって左側2本が登山鉄道用、右側2本が電気鉄道用だ。マンクス電気鉄道の軌間は3フィート(914mm)で、実際に見ても登山鉄道のほうがやや広いのがわかる。登山鉄道は2本のレールの間にフェル式レールを抱えるため、同じ3フィートに揃えることができなかったのだ。

ぽつんと接続列車の到着を待っている電車は電気鉄道のそれに似たクラシックなスタイルだが、集電装置はトロリーポールではなく、珍しい形のビューゲル(ホプキンソン式ボウコレクター Hopkinson bow collector)を2基付けている。補修を経てはいるものの、開通時に配属された6両(下注)がいまだに活躍しているのには驚く。

*注 本文の記述は2007年現在のため、改稿した2016年の状況を注で補足する。2016年3月30日に3号車がサミット駅から暴走し、バンガロー駅の北方で脱線して大破するという事故が発生した。幸い乗員、乗客は車内におらずけが人はなかったが、運行は当面5両体制を余儀なくされる。

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登山鉄道(左側)とマンクス電気鉄道(右側)の車両が出会うラクシー駅 *
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(左)線路幅(軌間)比較。左の登山鉄道のほうが右2本の電気鉄道よりやや広い *
(右)フェル式センターレールの終端 *

駅には嵩上げしたプラットホームなどはなく、路面電車並みに砂利引きの地面から直接ステップで乗り降りする。日中10時15分から15時45分まで30分おきの発車(下注)で、ダグラスから来る電気鉄道と5分で接続するダイヤだ。山頂までの所要時間は30分。私たちは近くのパブで食事を取って早めに車内に入っていたが、電気鉄道の列車が着くと、乗換え客が続々と移ってきて、座席は一気に埋まった。

*注 30分毎は最繁忙期のダイヤで、中間期は1時間毎となる。ちなみに2016年の運行期間は3月24日~10月30日(中間期は運休日あり)。

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(左)私たちも車内におさまる (右)座席は大人2人で掛けると窮屈 *

ラムジー方面へ去っていく列車を見送って、13時15分発車。同じ北向きに走り出るが、幹線道路A2(ラムジー・ロード Ramsey Road)を横断すると、電気鉄道の複線が右に分かれていく。こちらは直進で、複線に分かれると同時にフェル式レールが現れた。線路の中央に、錆の浮いた双頭レールが横向きに敷かれている。これを車両の床下に設置された水平動輪で両側からはさむことで、急勾配での推進力を高める仕組みだ。建設当時、電車の登坂性能がまだ十分知られていなかったため、蒸気鉄道で使われていたこの方式が採用された。しかし、通常の粘着運転でも十分昇り降りできることがわかり、それ以来このレールは、非常ブレーキをかけるとき以外、用途はない(下注)。

*注 フェル式鉄道のニュージーランドでの採用例を、本ブログ「リムタカ・インクライン I-フェル式鉄道の記憶」で紹介している。

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車両側のフェル式装置 (左)補助ブレーキ * (右)駐車ブレーキ *

この登山鉄道は、イギリスでは珍しい右側通行だ。上り始めてすぐ、左後方に向けて延びる1本の線路に気づく。奥にあるのはこの鉄道の車庫で、非番の電車が休んでいるのがちらと見えた。開通当時はこれが本線で、現 車庫の左隣に山麓のターミナルがあったのだ。

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(左)本線から車庫への分岐線 * (右)現在の車庫 *

視界はしばらく右手に開ける。なだらかな谷の向こう、緑の森の中から異様に大きな赤い水車が顔をのぞかせている。水車の直径が72フィート6インチ(22.1m)もあるというラクシー・ホイール Laxey Wheel だ。島の副総督の奥さんの名にちなみ、レディー・イザベラ Lady Isabella とも呼ばれる。鉱山の縦坑から水を汲み出すために作られたもので、稼働するものでは世界最大なのだそうだ。

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登山鉄道の車窓から遠望するラクシーホイール
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ラクシーホイール (左)直径22.1mの大水車 *
(右)接続するアーチは用水路ではなく、縦坑のポンプにつながるロッドを渡すもの *

2km地点で尾根の張り出しを回り込むと、いよいよ目的地スネーフェル山が右前方に姿を見せる。とはいえ、頂上に電波塔が立つ以外、代わり映えしない山なので、言われなければ気づかないかもしれない。線路は山の左裾にある鞍部に向かっている。すぐ下に見えてくる石造りの建物は、開業当時、鉄道に電気を供給していた火力発電所だ。独自の電源は、1935年に整備された公共送電網からの受電に切り替えられて、廃墟となった。

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(左)右側通行で斜面を上る(後方を撮影) (右)旧 火力発電所跡を通過
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雄大な風景を背負ってけなげに上ってくる電車(マウンテンロードから撮影) *

まもなくその鞍部で、ダグラスとラムジーを直結する道路、通称マウンテンロード Mountain Road と平面交差する。私たちにとっては今朝、路線バスで通ったばかりだが(「マンクス電気鉄道」の項参照)、角度を変えて見るのはまた新鮮だ。踏切に接近すると電車は徐行し、けたたましいベルを辺りに響かせながらごろごろと通過する。すでに標高は412m、山中なので濃霧がかかる日も多いはずだが、警報機のような安全設備はない。

踏切の脇に建つ建物は、唯一の中間駅バンガロー Bungalow だ。自動車道が頂上に通じていないため、マイカー族もここから登山電車に乗れるようにしている。ちなみにマウンテンロードはマン島TTレースのコースで、開催日は線路が閉鎖され、電車は踏切の両側で折返し運転をする。通しで乗る客は、すぐ近くの歩道橋を渡っての徒歩連絡を強いられるそうだ。

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バンガロー駅
(左)大音量のベルとともにマウンテンロードの踏切を通過 *
(右)バンガロー駅での乗降 *

この先は視界が左側に移り、スネーフェル山の斜面を時計回りに巻きながら上っていく。最も風に曝される区間のため、運行が止まる冬は、強風と低温で損傷しないよう、バンガロー~山頂間の架線が撤去される。しかし、山頂には空軍のレーダー基地があり、冬もその保守要員を運ぶ必要があるため、電車の代役となる小型気動車が山麓の車庫に用意されている。

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最後の上り坂
(左)山頂から降りてくる電車とすれ違う (右)マン島の水甕、サルビー貯水池が眼下に

じりじりと上る電車の窓から見える遮るもの一つない景色は、文句なしにすばらしい。ヒースが覆う斜面を雲の影が足早に流れ、痩せた羊たちが無心に草を食む。その背後の谷間にはマン島の水甕サルビー貯水池、遠くにうっすらとアイリッシュ海も望める。急曲線で半回転すると今度は、今上ってきた緩やかな草の谷が視線をラクシーの方へいざなう。と、まもなく「Snaefell Summit House 2036 feet high」と大書した平屋の建物の前で、電車は停まった。終点サミット Summit 駅だ。

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(左)サミット駅の珍しいシングルブレードポイント * (右)サミット駅に到着 *

なにげなく電車を降りたとたん、横殴りの風に体がよろけた。慌てて足を踏ん張ったが、冬場に架線を撤去するという話に改めて納得する。せっかく来たのだから外を歩こうと思うけれども、山頂周辺が自然保護のため通行止めになっている上(下注)、日差しがあるのに吹きつける風が体温を容赦なくさらっていく。ほとんどの乗客は目の前のダイナミックなパノラマに酔う余裕すら無くして、そそくさと駅舎の中に逃げ込んでしまった。電車が下界へ戻るのはまだ30分も後だ。

*注 2016年現在、山頂周辺への立入りが可能になっている。

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駅のすぐ裏手が山頂 *
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サミット駅舎とレーダー施設、戦闘機はオブジェ? *
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サミット駅からのパノラマ
左の谷の先がラクシー、尾根につけられた筋は登山鉄道の線路、右で道路と交差するところがバンガロー駅

(2016年9月7日改稿)

この記事は、Stan Basnett and Keith Pearson, "100 Years of the Snaefell Mountain Railway" Leading Edge Press and Publishing, 1995、および参考サイトに挙げたウェブサイトを参照して記述した。

掲載した写真のうち、キャプション末尾に * 印のあるものは、2016年7月に現地を訪れた海外鉄道研究会の田村公一氏から提供を受けた。それ以外の写真は、2007年8月に筆者が撮影した。

■参考サイト
「マン島案内」スネーフェル登山鉄道 http://www.iomguide.com/mountainrailway.php
マンクス電気鉄道オンライン https://manxelectricrailway.co.uk/snaefell/history/

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2007年12月 6日 (木)

マン島の鉄道を訪ねて-マンクス電気鉄道

ダービー・カッスル Derby Castle ~ラムジー Ramsey 間28.8km
軌間3フィート(914mm)、550V直流電化、開業1893~1899年

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電気鉄道沿線にいざなう昔の広告(ダービー・カッスル駅舎のパネルを撮影) *

オートバイが島の公道を駆け巡るマン島TTレースは、年に一度行われる島最大の行事だ。首都ダグラス Douglas を発ち、時計回りに一周するコースの後半は、北東の港町ラムジー Ramsey からダグラスまで山を越えて一直線に戻ってくる。スネーフェル山 Snaefell から南北に連なる尾根の鞍部を縫いながら、標高400m前後をキープする見晴らしのよい自動車道は、マウンテンロード Mountain Road と呼ばれる。

観光案内所でもらった時刻表と路線図を照合すると、ダグラス~ラムジー間をつなぐ路線バス約25便のうち、北行きは平日の1日3便、南行きは2便だけがX3系統として、急行扱いでそのルートをなぞる。朝9時50分発でラムジーまで乗っていき、戻りをマンクス電気鉄道 Manx Electric Railway (MER) にすれば、車窓が変化して家族も退屈しないだろうと、その日の計画は即座に決まった。

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電気鉄道の山側を短絡するマウンテンロード

X3系統の始発駅は、時刻表に「バンクス・サーカス Banks Circus」と書かれているが、これはマン島鉄道(蒸気鉄道)ダグラス駅の駅裏に当たる。蒸気鉄道が経営難から再建される際に、駅の敷地の一部をバス操車場に転用したからだ。かっきり時刻どおりに来たダブルデッカーのバスに乗り込むと、客は私たちを含めて10名足らずだった。陣取った2階の最前列は最高の展望席だが、郊外に出ると結構飛ばすので、右に左によく揺れる。

すっきりと晴れた空の下、道は緩やかにうねる山並みにとりついて、しだいに高度を上げていく。ブランディーウェル Brandywell の峠に出ると、草原の前方にひときわ大きな高まりが現れた。島の最高峰、標高621mのスネーフェル山だ。登山鉄道の踏切を横断し、ラクシー渓谷 Laxey Glen の向こうに光る海原を右手に眺めながら、しばらく進む。その先は、北端の岬ポイント・オブ・エアー Point of Ayre を遠くに仰ぐ、爽快な下り道だった。

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2階バス正面からの展望。ラムジーの町とポイント・オブ・エアー(北端の岬)

10時40分、予想通りの絶景を満喫した私たちはラムジーのバスターミナルに到着した。分かれ道を南へ戻ると、駅前広場はすぐに見つかった。町の中心から見れば裏手に当たるので、いたって静かなターミナルだ。駅舎は寄棟平屋造りの地味な建物だが、ヴィクトリア朝の文字で書かれた「トラムステーション Tram Station」の駅名看板(下注)がノスタルジックな雰囲気を盛り上げている。

*注 これは、後述するマンクス・ノーザン鉄道の旧 ラムジー駅と区別するためだったが、駅は、東隣(現 駐車場)に存在したプラザ映画館 Plaza cinema にちなんで、ラムジー(プラザ)駅 Ramsey (Plaza) Station  とも呼ばれていた。

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(左)ラムジー駅舎 * (右)ヴィクトリア朝風の駅名看板

鉄道は、延長17.9マイル(28.8km)で、ローカル線にもかかわらず全線が複線だ。歴史を遡ると、1893年に馬車軌道の終点ダグラスのダービー・カッスル Derby Castle ~グラウドル・グレン Groudle Glen 間が開通したのを皮切りに、1894年にラクシー Laxey、1899年にここラムジーまで達している。

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ラムジー周辺の地形図
官製1マイル1インチ(1:63,360)地形図
87 Isle of Man 1957年版 に加筆

最初はマン島軌道・電力株式会社 Isle of Man Tramways & Electric Power Co. Ltd が経営し、ラクシーに設けた自前の発電所から電力を供給していた。当時、すでに町には蒸気鉄道のマンクス・ノーザン鉄道 Manx Northern Railway(1879年開通)の駅があり、ダグラスへの直通列車も設定されていた。しかし、西岸を経由する遠回りなルートのため、時間を要した。東岸のほうが距離的にはずっと近いものの、海際まで張り出した山地が断崖と深い谷を形成する険しい地形が続いている。勾配に比較的強い電車が登場するまでは、鉄道の敷設が難しかったのだ。

電気鉄道の到来は町に新時代をもたらしたが、工事費に加えて設備が高価で、会社は銀行から多額の資金を借入れていた。ところが運の悪いことに、翌1900年にその銀行が破綻してしまう。たちまち会社は資金難に陥り、併営していた採石場やダグラス市内の馬車軌道(下注)を含め、全資産の売却を余儀なくされた。1902年に新会社「マンクス電気鉄道 Manx Electric Railway」が設立されて、鉄道の経営権はそちらに移った。

*注 このとき馬車軌道はダグラス市が購入し、経営が切り離された。そうでなければ、馬車軌道は早々に電化され、電気鉄道の車両が直通していたに違いない。

出だしで躓いたものの、その後鉄道は、第一次世界大戦中を除いて順調に走り続けた。ただし1930年だけは厄年で、4月にラクシーの車庫が火災に遭って多数の車両を失い、9月の大雨では、直営発電所の堰から溢れた濁流が村に大きな損害を与えている。

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ラクシー周辺の地形図
官製1マイル1インチ(1:63,360)地形図
87 Isle of Man 1957年版 に加筆

次の転換期は、第二次大戦の後にやってきた。マン島を訪れるリゾート客が減少し、そのうえ車両や線路の老朽化が進行してきたのだ。改修費用は膨大で、会社はやむなく1955年の終わりに、マン島議会ティンワルド Tynwald に対し、来シーズンをもって運行を中止すると通告した。議会が買収に向けて動き出したことで、電気鉄道は1957年に国有となる。

買収自体はわずか5万ポンドで合意に至ったとはいえ、改修の再見積り額は議会の想定をはるかに超えていた。経費圧縮のために減便ダイヤが実施されたが、あまりに不評なため、翌1959年に早くも元に戻されている。この問題は後々までくすぶり続け、1975年にはいったんラクシー~ラムジー間の休止が決まり、郵便輸送も廃止された。ところがこれが翌年の議会選挙の争点になり、存続派が勝利したことで、77年に運行が再開されるという混乱もあった。また、冬場も平日は走っていたが、1998年に中止となり、これはいまだに復活していない。

現在(2007年)のダイヤは、4月初めから11月初めまでの旅行シーズン限定だ。地域の日常交通手段はとうに自家用車や路線バスに移行し、旅行者や滞在客向けの観光資源として残されているのだ。

待つこと暫し、カーブの向こうから、至ってクラシカルな風貌をした2両編成の列車が姿を現した。トロリーポールが直立する電動車もさることながら、付随車は屋根つきオープンカーだ。趣のある板張りダブルルーフに裸電球、そしてクロスベンチが置かれた客室の側面には安全柵すらない。なにしろこの鉄道の運行は、製造が新しいものでも1906年より下らないというヴィンテージ車両ですべて担われている。

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(左)5号動力車 * (右)40号付随車 *

折返し運転するために、電動車を前に付け直す機回し作業が必要だが、構内には並行する2本の線路の間に渡り線が1か所あるだけだ。これでどうやって機回しするのだろうか。観察していると、連結が解かれた後、運転士は電動車を線路の終端まで進ませた。車掌が降りてポールを回した後、電動車はすぐに後退して渡り線を通り、いったん隣の線路へ移る。またポール回し。次に残っている付随車を運転士が後ろから一押しすると、重力で転がり始める。乗り込んでいた車掌が、線路の終端でブレーキをかける。そこへ運転士が動力車を後退させていって、再び連結、最後にまたポール回しという手順だ。文章にすると結構面倒そうなのだが、操作する本人たちは手慣れたもので、ものの3分ほどで作業は終わった。

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ラムジー駅での機回し風景(写真5点)
(左)連結を解かれた動力車はいったん線路の終端まで行って折り返し、渡り線を通っていったん隣の線路へ *
(右)ポール回しは車掌の担当 *
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(左)付随車を運転士が一押しして線路の終端へ *
(右)付随車のブレーキは乗り込んでいる車掌が操作 *
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運転士が動力車を後退させていって、再び連結 *

眺望が売り物の鉄道なので、オープンカーの最後尾に陣取る。11時10分、定刻に列車はラムジーを出発した。天気がいいのですっかり油断していたが、走行中は風がビュンビュン通り抜けて、けっこう寒い。住宅地の中を道端軌道のように通り抜け、海べりの高みに上ったかと思うと、牛や羊が草を食む牧場の脇をかすめ、緑濃い谷の中へ分け入っていく。地形図を手にしているので景色の変化はある程度予測できるとはいうものの、どこまでも飽きない眺めだ。後ろを振り返ると、街路にこそ似合うセンターポールのトロリー線が、大自然の空中に張られているというミスマッチも面白かった。

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(左)付随車の車内、板張りダブルルーフに裸電球 (右)座席は簡易なクロスベンチ
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(左)まずは道端軌道を走る (右)街路にこそ似合うセンターポールが大自然の中に

やがて、沿線一番の見どころ、この鉄道の最高地点でもあるバルガム湾 Bulgham Bay の断崖上に踊り出た。線路は海面から約180mの高さにあり、まぶしいほどの大海原が視界を占有する。しかしここは、1967年1月に路盤が崩壊して、半年間乗客が徒歩連絡を強いられた場所だ。いわくつきの難所を今日は無事通過すると、電車は坂をぐんぐん下り始め、左手にラクシー川の深い渓谷に沿うラクシー Laxey の家並みが、そして巨大な赤い水車が見えてくる。並行道路と複雑に交差しながら急カーブを切って、ラクシー駅に到着した。

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沿線随一の眺望、バルガム湾の断崖
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ラクシー駅近くの大型水車、ただし有名なラクシーホイールとは別

私たちはここで途中下車して、登山電車でスネーフェル山に上ったのだが、それは次回記すとしよう。駅のベンチに座って眺めていると、電気鉄道の列車が30分ごとに到着しては、傍らで待つ登山電車へ乗換え客を吐き出して去っていく。周りを高い木立に囲まれ、ひなびた風情の駅構内(下注)も、昼間はなかなかの賑わいを見せている。

*注 西側2線がスネーフェル登山鉄道用、東側2線がマンクス電気鉄道用だが、ホームはなく地面から直接乗り込む。

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ラクシー駅は登山鉄道と乗換えのときだけ賑わう *
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(左)ラクシー駅舎 * (右)出札兼売店のある室内 *
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ラクシー駅でしばし休憩

ダグラスに戻る後半の旅は、1894年に先行開通した区間を行く。しかし、開通当時のラクシー駅はここではなく、駅の南端を限るグレン・ロイ Glen Roy(ロイ渓谷)の向こう側にあった。グレン・ロイを渡る無骨で頑丈な高架橋はまだ建設中だったからだ。現在旧駅跡には、資材倉庫が建っているほかは空地になっている。

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グレン・ロイをまたぐ重厚な高架橋
 (左)一見橋には見えないが * (右)実はかなりの高さがある

再び海を見下ろす高台に躍り出る。しかし、地形がいくらか穏やかなので、風景のスケールとしてはラクシー以北に一歩譲る。その代わり、道路との交差がひどく急角度だったり、谷をヘアピン状に巻いたりと、ルート設定はいっそう軽便鉄道らしさを増してくる。

やがて、グラウドル Groudle の停留所。近くの谷間から出発する保存鉄道グラウドル・グレン鉄道 Groudle Glen Railway の最寄り駅だ。森を抜けると、海から立ち上がった斜面の中腹を走っていく。鉄道とセットで造られた車道が海側に張り付いて、眺望がややそがれるものの、前半のバルガム湾を思い出す。ガラス越しではない生の景色を、風が運ぶ土地の匂いとともに堪能できるのが、この鉄道の最大の魅力なのだ。

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(左)道路と急角度で交差 * (右)ミニ保存鉄道への乗換駅、グラウドル駅 *

ふと前方に目をやると、下り坂のかなたに見覚えのある弧を描くダグラスのプロムナードが白く浮かんでいる。馬車軌道のトラムが待つダービー・カッスル、計1時間15分の夢の旅の終点はまもなくだ。

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ダグラスの町が見えてきた
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終点ダービー・カッスルに到着
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(左)ここでの機回しは通常方式、奥に見えるのは電気鉄道の車庫 *
(右)車庫全景。ハリウッド風の文字看板はアピール力抜群 *
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ダービー・カッスルから南へ延びるダグラスのプロムナード *

(2016年9月4日改稿)

掲載した写真のうち、キャプション末尾に * 印のあるものは、2016年7月に現地を訪れた海外鉄道研究会の田村公一氏から提供を受けた。それ以外の写真は、2007年8月に筆者が撮影した。

■参考サイト
「マン島案内」マンクス電気鉄道 http://www.iomguide.com/electricrailway.php
マンクス電気鉄道オンライン https://manxelectricrailway.co.uk/

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