« 2007年5月 | トップページ | 2007年7月 »

2007年6月28日 (木)

オランダ時代のインドネシア地形図

オランダのアムステルダムにある王立熱帯研究所 Koninklijk Instituut voor de Tropen(略称 KIT、英訳 Royal Tropical Institute)は、長年にわたって熱帯地域の文化資料の収集と研究を行ってきた。その中核に位置づけられるのが、旧オランダ領東インド諸島 Nederlands-Indië、すなわち現在のインドネシアに関する資料だ。世界史の教科書にも登場する1602年の東インド会社 Verenigde Oostindische Compagnie 設立以来、オランダによる支配は1949年の主権移譲まで350年近くも続いた。その間に作られた膨大な歴史資料がここに集積されていた。

近年、この中から地図コレクションがKITのサイトで公開され始め、オランダ本国の旧版地図と同じように精密で美しい地形図や都市図が、人々に知られるようになった。そのことは本ブログ(旧稿)でも紹介したとおりだ。

Blog_indonesia_historicalmap1
1:50,000バタヴィアとその周辺 要塞地図
Garnizoenskaart Batavia (Jakarta) en Omstreken  1940年
Blog_indonesia_historicalmap2
同 凡例の一部

ところが、2011年に転機が起こる。オランダ政府が支出抑制策を打ち出し、そのあおりを喰らって、KITに交付されていた年間2000万ユーロの補助金が廃止されることになったのだ。これにより事業予算が半減してしまうことから、KITは活動縮小の一環として、貴重なコレクションを手放さざるを得なくなった。2013年にライブラリーが閉鎖された後、書籍や資料約25,000冊、刊行物3,300冊、地図11,500枚、地図帳150冊から成るコレクションは、まとめてライデン大学図書館 Universitaire Bibliotheken Leiden(英訳 Leiden University Libraries)に移管された。

嬉しいことに現在(2015年)、地図コレクションのウェブサイトは、ライデン大学の手によって再開されている。そこで改めて、地図の検索方法を記しておこう。例として、首都ジャカルタ Jakarta の地形図を照会するとしよう。ジャカルタはオランダ植民地時代、バタヴィア Batavia と称されたが、このサイトではジャカルタの名で登録されている。

■参考サイト
ライデン大学図書館(KIT 地図収集)http://maps.library.leiden.edu/apps/s7

・By Locationに "Jakarta" と入力、右のボックスから "Indonesia" を選択して、[SEARCH]をクリック。

Blog_indonesia_historicalmap_hp1

・検索結果が表示されるので、ここでは一番上の"1. Jakarta" を選択(クリック)する。

Blog_indonesia_historicalmap_hp2

・Jakartaに関する全ての図面が表示されるので、左のチェックボックスの Type of map(地図の種類)で "topographic(地形図)" 以外のチェックをはずす(画面は自動更新される)。

・これで、ジャカルタをテーマとする地形図のサムネールが一覧表示される。

Blog_indonesia_historicalmap_hp3

・各項目にある "View the Map" をクリックすると、専用画面が起動して、地図が実寸で表示される。

この専用画面には、同じシリーズの図葉が存在するときに、ワンクリックで表示する機能がある。

・隣接図の選択:画面右上の Overview ウィンドウに現れる矢印をクリックする。

・索引図から選択:画面右下の Series ウィンドウ("Click here to enlarge" で拡大可能)で見たい場所をクリックする。

地形図の解像度はそれほど高くはないものの、最大限に拡大すれば細部も問題なく読み取れるレベルだ。インドネシアの幹線鉄道は多くがオランダ時代に建設されているので、地形図上でその軌跡を追えばひととき楽しめる。

最後に、かつてKITのホームページに紹介されていた古地図公開の背景を引用しておこう。

「KITはその著名な古地図コレクションをデジタル化して、オンラインで利用可能にした。オランダのみならず海外の科学者、地図製作者、その他関係者がインターネット経由で、旧オランダ植民地の最大規模の地図コレクションにアクセスできるようになった。地図コレクションのデジタル化は、数年にわたるプロジェクト『KIT特別遺産 Erfgoed Extra』の成果の一部である。外務省の支援によるこのプロジェクトで、KITは、未完だった植民地史料や遺物の整理保存を終えることができた。

KITは(亜)熱帯地方の地図・海図の広範なコレクションを所有している。地形概観図、区分図シリーズ、市街図、主題図、国別国勢地図帳を含め、コレクションは全体で約27,000枚の地図と1000冊以上の地図帳から成っている。このコレクションは、科学調査の用途や開発計画、緊急援助、平和維持活動の策定で参考に供されたほか、陸地・海洋の境界を決定する際の国際裁定の資料としても活用された。古地図部門はコレクションの基礎を成すもので、主としてKITが『植民地社会研究所 Vereeniging Koloniaal Institute』として運営された時期に遡るオランダ領東インド諸島、同アンティル諸島およびスリナムの地図で構成される。この部門には、1850~1950年の地図約15,000枚と地図帳150冊がある。

古地図コレクションの原本を直接精読すれば、常に大きな成果が得られるが、保存という点で見れば、古資料の劣化が進むために好ましくない。あい反する利益を両立させるために、KITは、1850~1950年代の地図・海図のコレクション全体をデジタル化し、それをインターネットでアクセス可能とすることにした。このような取り組みはオランダでは当研究所が最初である。」

Blog_indonesia_historicalmap3
1:50,000 チアンジュールTjiandjoer (Cianjur) 1941年

なお、これらの地形図の一部は、戦時中、日本の陸地測量部が作成した「外邦図」の原図にも使われた。東北大学附属図書館/理学部地理学教室が公開する地図画像の中にそれらが見つかる。下図はその一例で、左が旧KIT所蔵の1:50,000原図(ただし1941年版)、右が同縮尺、同図郭の外邦図(ただし1925年版を4色に複製したと注記あり)。減色化により、見た目の印象は異なるが、地図表現はほぼそのまま利用されているのがわかるだろう。

■参考サイト
東北大学外邦図デジタルアーカイブ http://chiri.es.tohoku.ac.jp/~gaihozu/

Blog_indonesia_historicalmap4
同じ範囲の原図と外邦図(本文中の説明参照)

(2015年3月1日改稿)

★本ブログ内の関連記事
 オランダの地形図
 米軍のアジア1:250,000地形図
 フィリピンの地形図
 米軍のベトナム1:50,000地形図

2007年6月22日 (金)

ベトナム ダラットのラック式鉄道

ベトナム中南部、標高1500m前後の高地に、同国の代表的なリゾート都市ダラット Đà Lạt(Da Lat, Dalat)がある。フランス植民地時代に開かれた避暑地で、ヨーロピアンスタイルの別荘が建ち並び、当時はインドシナの夏の都と呼ばれていた。

Blog_dalatrailway1
個性的なファサードをもつダラット駅舎

Blog_dalatrailway_map1

下界から高原都市への足として建設されたのが、ダラット=タップチャム鉄道 Da Lat - Thap Cham Railway(ベトナム語 Đường sắt Tháp Chàm - Đà Lạt、下注)だ。全長84kmのメーターゲージ(軌間1000mm)で、1932年に全線開通した。ベトナム戦争で被災して廃線となり、後に観光用として復活した一部区間を除いて列車の姿が消えて久しいが、かつて鉄道は、3か所のラックレール区間をもつアジア有数の「登山」鉄道だった。いったいどんな場所を走っていたのだろうか。旧米国陸軍地図局 U.S. Army Map Service(AMS)が残した地形図と現地写真で追ってみよう。

なお、写真はすべて、2015年11月に現地を訪れた海外鉄道研究会の田村公一氏から提供を受けたものだ。ご好意に心から感謝したい。

*注 鉄道は、始点の近くの町の名を採ってダラット=ファンザン鉄道 Da Lat - Phan Rang Railway、あるいはフランス語でラック(歯竿)を意味するクレマイエール鉄道 Crémaillère Railway とも呼ばれる。

全体図
Blog_dalatrailway_map2
原図は1955年版1:250,000

まずは鉄道の建設史を押えておこう。フランスがインドシナでの植民地経営を本格化させたのは、19世紀の終わりのことだ。1897年に総督として赴任したポール・ドゥメ Paul Doumer は、夏特有の酷暑から逃れられる土地を探していた。調査隊が提案したのが、現在のダラットだった。ベトナム中央高原のこの一角は地勢が比較的緩やかで、平均気温も18~25度と涼しく、滞在するには理想的な立地と考えられた。さっそく都市計画が実行に移され、ホテルをはじめ、並木の大通りの周囲に、別荘やスポーツ施設、公園、寄宿学校などが次々に配置されていった。

Blog_dalatrailway2
(左)スアンフオン湖の堤と旧市街 (右)ダラット大聖堂

ドゥメはまた、植民地全体の鉄道整備構想を持っており、その中に保養地への交通手段となるこの路線も含まれていた。調査は1898年に着手されていたのだが、工事が始まったのは1908年になってからだ。最初の開通区間は1913年、タップチャム Tháp Chàm からタンミー Tân Mỹ まで、続いて1919年にソンファー Sông Pha(同 クロンファ Krongpha)まで延ばされて、前半41kmの事業が完了した。

ここから先は本格的な山岳地帯に入るため、アプト式ラックレールの助けが必要になる。第一ラック区間をはさんだソンファー~エウゾー Eo Gió が開通したのは、9年後の1928年のことで、以後、エウゾー~ドンジュオン Ðơn Dương が1929年、第二ラック区間を含むドンジュオン~チャムハン Tram Hanh が1930年と順次延伸され、1932年、線路はついに目的地ダラットに達した。

図1 山岳地帯のルート
Blog_dalatrailway_map3
原図は1955年版1:250,000

ダラット=タップチャム鉄道の始点となるタップチャム駅は、標高26m、ハノイとサイゴン(現ホーチミン)を結ぶ南北幹線上にある【図2】。地図上で Ga Tháp Chàm と注記されているのが駅の位置だ。ちなみに、ガー Ga は駅のことで、フランス語の gare(ガール、駅の意)に由来する。また、タップチャムとは周辺にある遺跡、チャム族の塔のことだ。駅はフランス語の駅名(以下、仏名と記す)も持っていて、ここはトゥルシャン Tourcham(チャムの塔の意)と言った。

図2 起点タップチャム
Blog_dalatrailway_map4
原図は1965年版1:50,000、グリッド1km間隔、標高データはm単位、以下同じ

幹線から北へ向かって分岐した鉄道はすぐに針路を北西方向に変え、しばらくキンジン川 Kinh Dinh の左岸を遡っていく。タンミーの道路併用橋で川を渡ると、今度は灌木林のゆるやかな丘陵地を直進する。山に近づいたところが、標高186mのソンファー駅 Sông Pha(仏名クロンファ Krongpha)だ【図3】。ソン Sông は川を意味し、駅名はそばを流れる川の名から来ている。構内には側線と三角線が備わり、整備場を兼ねた車庫も置かれた。全線の中間地点であるとともに、難所を控えた運転の要衝であったことが想像できる。

■参考サイト
ソンファー駅付近のGoogle地図
http://maps.google.com/maps?f=q&hl=ja&ie=UTF8&ll=11.8247,108.6984&z=17

図3 第一ラック区間とその前後
Blog_dalatrailway_map5

Blog_dalatrailway3
旧ソンファー駅の車庫
Blog_dalatrailway4
ソンファー旧道の橋は、鉄道橋の移設転用か?

いよいよ目の前に険しい斜面がたちはだかり、最初のラック式区間にさしかかる。ラックの起終点は地形図上で明瞭に判別できるだろう。鉄道は通常、細線に短線を交差させた日本でいう私鉄記号で表されるが、ラック式鉄道は白黒の旗竿型、つまりJR(国鉄)の記号にしてあるからだ。また、添えてある "ĐƯỜNG SẮT RĂNG CƯA" の注記は、ラック・ピニオン鉄道を意味するベトナム語だ。ラック起点の標高は210mほどと読み取れる。

線路は松林の山襞を何度も回り込みながら、2つのトンネル(長さ163mおよび70m)と、描かれているだけでも11の鉄橋を経て、高度差約780mを攀じ上る。最急勾配は120‰あった。ラック区間は9km近く続くため、途中、支流の沢を渡ったところに、カーブー Cà Bơ(仏名クブー K'Beu)という名の中間駅が設けられた。ちょうど碓氷峠の熊ノ平信号場のような位置関係だ。沢から引いた水が、急坂と格闘してきた機関車にたっぷり補給されたことだろう。北側を行く道路もすさまじいジグザグを繰り返しているが、それを縦に横切る青い線が目を引く。これはこの高度差を最大限に利用する水力発電用の導水管だ。

Blog_dalatrailway5
ダニム水力発電所の導水管。第一ラック区間はこの高度差を克服する

上りきったところがエウゾー Eo Gió 駅で、標高991m。仏名のベルヴュー Bellevue(美しい眺めの意)は、急坂を上る間、遠く南シナ海の海岸まで見渡せる眺望の良さから名付けられた。ここでいったん線路勾配は和らぎ、まもなくダニム川 Sông Đa Nhim が造ったやや広い谷に出る。右手遠方には谷を一直線に横断する大規模な堰堤が見える。実はこのダムと、そこから取水するさきほどのダニム水力発電所 Nhà Máy Phát Điên Đa Nhim は、日本がベトナムに対する戦後賠償の大半を費やして1964年に完成させた施設だ。

Blog_dalatrailway6
旧エウゾー(ベルヴュー)駅舎は民家(?)に
(左)ダラット側から見る。右の小道は廃線跡 (右)タップチャム側から見る
Blog_dalatrailway7
がらんどうの旧エウゾー車庫

今でこそダニム川は、ダムと発電所に水を取られて勢いがないが、かつてはもっと水量が豊かだった。鉄道はこの川を、3連の優美なボウストリングトラスをもつ鉄橋で渡っていた【図4】。しかし運行休止後、トラスは解体撤去され、橋脚だけが河原に立ち尽くす寂しい姿を晒している。

図4 ダニム川鉄橋~第二ラック区間
Blog_dalatrailway_map6

Blog_dalatrailway8
ダニム川鉄橋の3連トラスは解体され、橋脚だけが残る

川を渡るとドンジュオン Ðơn Dương(仏名ドラン Dran)駅で、標高は1016m。旧駅舎の壁に残る駅名は、同じく付近にある集落名の「カンラン Cân Răng」と読めるので、どこかの時点で改称されていたのかもしれない。この駅を出るとすぐに、高度差約500mを上る第二のラック区間が始まる。線路は東に張り出した尾根に取り付いた後、最大115‰の急勾配で高度を稼いでいく。しかしそれでも直登することができず、途中で逆S字にルートを曲げることで距離を延ばす必要があった。

Blog_dalatrailway9
切妻屋根がなくなった旧ドンジュオン駅舎。壁の文字はカンランと読める
Blog_dalatrailway10
チャムハンへの急坂を上っていくと、ダニム湖と堰堤が望める

線路は途中で、同じように上ってくる道路と二度交差する。どちらも道路が上をまたぐ立体交差だが、1回目のそれは鉄道と道路が上下たすきがけに交差する構造で、絵葉書の題材にも取り上げられる名所だった。線路が剥がされた今でも、陸橋や切通しは姿をとどめており、列車が走っていた光景を彷彿とさせる(下の写真参照)。約6kmのラックレールで上りきった山上のチャムハン Trạm Hành(仏名アルブル・ブロワイエ Arbre Broyé)は、すでに標高1514mに達している。

Blog_dalatrailway11
第二ラック区間にある鉄道と道路の立体交差付近
線路は正面左に見える切通しを上っていた
Blog_dalatrailway12
同じ地点 (左)道路の下をくぐる急勾配の廃線跡
(右)道路陸橋の上から廃線跡を見る。この先は上の写真の切通しに続く
Blog_dalatrailway13
旧チャムハン駅の車庫。屋根は落ち、物干し場に転用(?)
Blog_dalatrailway14
チャムハン駅からダラット方向に延びる廃線跡の小道

行く手を遮る大きな尾根を路線最長630mのトンネルで抜けた後は、細尾根の上を選ぶようにして線路は北へ進む【図5】。カウダット Cầu Đất(仏名アントルレー Entrerays)の周辺は見晴らしのいい茶畑が広がっている。98mと129mの短い2本のトンネルで、高みをしのいで行くと、ダートー駅 Ða Thọ(仏名ル・ボスケ Le Bosquet)の先に、最後のラック区間がある。こちらは60‰の勾配で100mばかりの高度を上るだけの小規模なものだ。

図5 第三ラック区間の前後
Blog_dalatrailway_map7

Blog_dalatrailway15
カウダット駅手前の道路からダラット方向を遠望。左奥にランビアン山が見える
Blog_dalatrailway16
原形をとどめる旧カウダット駅舎
Blog_dalatrailway17
旧カウダット駅舎 (左)裏側(線路側) (右)駅名も明瞭に読める
Blog_dalatrailway18
旧ダートー駅舎 (左)ダラット側は比較的健全、右の小道が廃線跡
(右)タップチャム側の屋根は崩落
Blog_dalatrailway19
(左)カウダット~ダートー間で道路をくぐる廃線跡(タップチャム方向を望む)
(右)ダートー~チャイマット間で道路に並行する廃線跡の築堤

ラックが外れる直前で線路は再び西へと向きを変える。路線で最も高い地点は、チャイマット(チャイマート)Trại Mát の町の前後にある。駅の標高は1550mだ。なだらかな丘を越え、緩い坂道を下って高原らしい空の開けた土地に出れば、列車は間もなく標高1488mの終点ダラットに到着する。

*注 チャイマットは、地形図に地名が記載されていない。図6の右端(図5では左端)で、線路と国道が近接するあたりに駅がある。

■参考サイト
ダラット駅付近のGoogle地図
http://maps.google.com/maps?f=q&hl=ja&ie=UTF8&ll=11.9414,108.4547&z=18

図6 チャイマット~ダラット間
Blog_dalatrailway_map8

地形図には線路の途切れた先に sta(station の略号)の文字が見える。ダラットの現存駅舎は、開通から少し後の1938年に建て直されたものだ。アールデコと現地の少数民族建築の折衷様式が珍しく、2001年に国から建築遺産の指定を受けている。正面の特徴的な3つの尖った屋根は、中央高地のランビアン(ラムヴィアン)山 Lâm Viên の3つの頂きを模したとも、フランス西海岸のトルヴィル・ドーヴィル Trouville-Deauville 駅(1931年築)をモデルにしたとも言われる。玄関に突き出す大きな車寄せポルト・コシェール Porte-cochère が、避暑客が行き交った昔を今に伝えている。

図7 ダラット市街図
Blog_dalatrailway_map9
原図の縮尺1:10,000、1991年出版、データは1967年現在

Blog_dalatrailway20
ダラット駅前広場に入る門
Blog_dalatrailway21
(左)駅舎玄関の大きな車寄せ(ポルト・コシェール)
(右)建築遺産指定の銘板
Blog_dalatrailway22
駅舎内部 (左)多色のガラス窓から外光が漏れる (右)出札
Blog_dalatrailway23
頭端式ホームは1面2線だが、現在、発着は片側のみで行われる

鉄道を運営していたインドシナ鉄道会社 Compagnie des chemins de fer de l'Indochine (CFI) は、山岳地帯の開業にあたって、9両のHG 4/4形蒸気機関車をヨーロッパから輸入した(下注1)。1947年にもスイスのフルカ=オーバーアルプ鉄道 Furka-Oberalp-bahn (FO) から電化で用済みとなった4両のHG 3/4形が、ベトナムに渡った。これらは鉄道廃止後、所在不明になっていたが、1985年に再発見され、一部の車両が1990年にスイスに戻されて現役に復した(下注2)。

ダラット駅には別に、中国を経てもたらされたベトナム国鉄131形蒸機が静態保存されていて、これは日本で1936年に製造されたC12形を改造したものだそうだ(下注3)。

*注1 1924年、スイス機関車機械工場 Schweizerische Lokomotiv- und Maschinenfabrik (SLM) 製5両、エスリンゲン機械工場 Maschinenfabrik Esslingen (MFE) 製2両、1930年にSLM製2両を追加。701~709号機とされた。
*注2 この機関車が里帰りしたフルカ山岳蒸気鉄道については、本ブログ「フルカ山岳蒸気鉄道 II-復興の道のり」参照。
*注3 小牟田哲彦「ダラット高原のミニ列車」『鉄道ジャーナル』2005年9月号 p.124による。

Blog_dalatrailway24
(左)静態保存の131形蒸機
(右)1930年エスリンゲン機械工場製の有蓋貨車は喫茶室に

しかし、植民地鉄道の華やかな時代は長く続かなかった。1940年、日本軍による仏印進駐が始まる。1945年の日本撤退後は、対仏インドシナ戦争と南北分断、そして泥沼化したベトナム戦争と、1976年の国土統一に至るまで、この国は苦難の30年を経験した。

植民地の解体過程で、鉄道の運行はベトナム側に引き継がれていた。しかし、ベトナム戦争中、爆撃と破壊活動の標的にされて次第に使用できなくなり、同線の定期運行は1968年に終了したとされる(1972年説もある)。統一後の復興に際して、象徴となる南北鉄道の再開を優先するために、同線をはじめとする休止線からレール等の資材を転用する方針が示された。現地に残されていた線路は順次撤去され、転用されなかったものもくず鉄として売られてしまった。

現在、路線西端のダラット~チャイマット間7kmでは、列車運行が復活している。1997年に始まった観光企画だ。2004年に取材された上記「鉄道ジャーナル」の記事によると、運行は2~6往復で、ディーゼル機関車牽引の観光列車が片道30分かけて走っている。定員20名の小型車両はオープンデッキが付き、車内には涼やかな木製ベンチと強い日差しを遮るカーテンが備わる。標識に記された「ダラット高原鉄道 Dalat Plateau Rail Road」というアメリカ風の名称には違和感があるとはいえ、由緒ある鉄道の一部が再び避暑地のアトラクションとして定着したのは嬉しいことだ。

Blog_dalatrailway25
(左)DL牽引の観光列車が到着 (右)機回し作業が始まった
Blog_dalatrailway26
古典風に改造されたデッキ付き客車
Blog_dalatrailway27
(左)客車内部 (右)観光列車乗車券
Blog_dalatrailway28
沿線風景 (左)ビニールハウスでは高原野菜を栽培
(右)野の花咲く鞍部を越える
Blog_dalatrailway29
女性車掌が大活躍
(左)出発直後の検札 (右)機回しでは転轍と誘導も
Blog_dalatrailway30
チャイマット到着 (左)二輪車行き交う駅前の踏切
(右)ささやかな駅舎の横で復路に備える

報道によれば、ベトナム政府は幻の鉄道を全線復活させて、世界遺産の登録をめざすという壮大な計画を持っているようだ(下注)。しかし、ラックレールのみならず、ダニム川を渡る鉄橋もすでにない現状では、実現は夢のまた夢だろう。せめて廃線跡を徒歩や自転車でたどれるような整備ができるといいのだが。

*注 ベトジョー 日本語ベトナムニュース 「ダラット:蒸気機関車けん引の観光列車運行」 http://www.viet-jo.com/news/tourism/091207030215.html 「チャム遺跡~ダラット間の鉄道再建案が承認」 http://www.viet-jo.com/news/tourism/071011061528.html 参照

(2011年3月4日、2016年1月3日改稿)

本稿は、参考サイトに挙げたウェブサイトおよびWikipedia英語版の記事(Da Lat–Thap Cham Railway, Da Lat Railway Station, Da Lat)を参照して記述した。
地形図は、AMS 1:250,000地形図 NC49-1 Da Lat(1955年編集)、1:50,000 地形図6732-II Phan Rang, 6732-IV Ðơn Dương, 6632-I Đà Lạt(いずれも資料は1965年現在)、1:10,000ダラット市街図(1967年現在、1991年出版)を用いた。Map images courtesy of University of Texas Libraries and The Vietnam Center & Archive at Texas Tech University.

■参考サイト
失楽園への忘れられた小道を捜してTRACING THE FORGOTTEN PATH TO THE LOST SHANGRI-LA (資料集)
http://vnafmamn.com/tracing_shangrila.html
同サイトにあるルートマップ(略図)
http://www.vnafmamn.com/photos/railmap.jpg
鉄道の写真集
mekongexpress vietnam photo album - Dalat cog railway
http://www.mekongexpress.com/vietnam/photoalbum/dalatcograilway.htm
Mary and Chris Go East - Crémaillère Railway
http://www.highway57.co.uk/seasia/index?sec=94

★本ブログ内の関連記事
 米軍のベトナム1:50,000地形図
 米軍のアジア1:250,000地形図

 インド ニルギリ山岳鉄道を地図で追う
 フルカ山岳蒸気鉄道 II-復興の道のり

2007年6月14日 (木)

米軍のベトナム1:50,000地形図

Blog_vietnam_50k_hp 旧米国陸軍地図局 U.S. Army Map Service(AMS)が過去に作成した膨大な数の1:250,000地形図が、アメリカ、テキサス大学オースティン校のサイトで公開されていることは、以前に述べた。今回はベトナムの1:50,000地形図が閲覧できるサイトを紹介したい。

それは、同じテキサス州ラボック Lubbock にあるテキサス工科大学のベトナムセンター・アーカイブ(古文書館)The Vietnam Center and Archive, Texas Tech University だ。センター設置の目的は、「アメリカがベトナムで経験したあらゆる側面に関する研究と教育を支援・奨励して、この経験と東南アジアの民族・文化に対して深い理解を促す」(同サイトによる)ことだという。その機能の一つが、ベトナムアーカイブにおけるベトナム戦争、インドシナ、そして合衆国と東南アジアにおける戦争の影響に関連した当時の資料の収集と保存だ。収集対象は文書資料のみならず、写真、スライド、映画のような視聴覚資料、地図にも及んでいる。中でも地図ファンの興味をかき立てるのが、ベトナム全土をカバーしたAMSの1:50,000地形図L7014シリーズのコレクションだ。

資料検索のためのチュートリアルも用意されているのだが、現地に詳しくない筆者は、次の方法で目的を達している。

■参考サイト
The Vietnam Center and Archive  http://www.vietnam.ttu.edu/
トップページ > Digital Materials > Map Collection > Maps Database Search Page
あるいは直接リンク
http://www.vietnam.ttu.edu/virtualarchive/redirects/maps-redirect.htm
右メニューの "Navigate the Country" から North Vietnam または South Vietnam を選択

これで、ベトナム全図(北半または南半)のクリッカブルマップが現れるはずだ。見たい地域(省単位)を選んでクリックすると、その地域の地形図のサムネール画像が表示される。さらにそのいずれかをクリックすることで1:50,000の当該図葉のページにたどり着く。図葉ごとにPDFフォーマットとJPEG画像がそれぞれ低解像度と高解像度の計4種類用意され、閲覧のみならず自由にダウンロードできる。高解像度ファイルはサイズが10MB前後あるので、詳細の判読が可能だ。ただし、鮮明さの点では残念ながらオースティン校に一歩譲る(この記事に掲げた地形図サンプルは、見易いようにレタッチソフトで補正してある)。

1:250,000の縮尺でもかなりの地理情報が得られるとはいえ、さすがに1:50 000は、等高線間隔が平野部10m、その他20mとなって、地形や地物の描写精度が格段に高い。例えば、ハノイ Hà Nội 図葉を例にとると、1:250,000では、市街の川向こうにあるジャラム Gia Lâm 空港が記号とその範囲を示す破線だけで示されているのに対して、1:50,000では、滑走路と施設の配置まではっきりわかる【図1】。集落も前者は丸印で位置を示しているだけだが、後者では(総描されているだろうが)家屋の分布まで読み取ることができる。

図1
Blog_vietnam_50k_sample1

空中から眺めて特に目を引くのが、19世紀の城郭都市フエ Huế だ。1:50,000では、旧市街の赤で示される方形の街路とそれを取り囲む青い濠とのコントラストが、どぎついほど鮮やかに描かれている【図2】。鉄道は旧市街の西縁に沿って走るが、駅はフオン川 Sông Hương(香江)を渡った南側の新市街に設けられた。図で Ga Hue の注記があるところだ(Ga は駅の意)。

図2
Blog_vietnam_50k_sample2

地図の製作時期にはかなり幅があるので、利用する際には注意したい。すべて調べたわけではないが、古いもので1960年代、新しいものでは1990年代も見つかる。傾向としては、南部は戦時中の1960年代から70年代初めにかけて、北部は1975年の南北統一以降の図が多数を占めるようだ。製作時期は地図の下部に "Map information as of 1965"(地図情報は1965年現在)などと記されているのだが、ダウンロードページにも図葉ごとの詳しいデータが掲げられている。

一部の図葉は、英語とベトナム語を併記したAMSオリジナル版のほかに、ベトナム語のみのバージョンも利用できる。これは、AMSの成果を利用して、統一後にベトナム(社会主義共和国)が、若干の修正を加えて発行したものだ。社会主義国の中縮尺図は通例機密扱いなので、入手の経緯はどうであれ、たいへん貴重な公開資料といえる。北部の図は主としてこのタイプだが、先述のフエなどは両版とも公開しているから、見比べるのも興味深い【図3】。AMSにはあった tower、Military area など軍事関係の注記が、ベトナム語版では消えている。前者の編集が戦時中の1970年であるのに対して、後者は統一後の1976年なので、撤去・解除されたか、それとも軍事施設は非表示にしたのだろうか。

図3
Blog_vietnam_50k_sample3

最後に、南北の軍事境界線があったベンハイ川 Sông Bến Hải の河口付近の地図を見ておきたい【図4】。図の北辺を北緯17度線が通る。中央を左から右へ蛇行しているのがベンハイ川だ。川の中央に赤の破線で暫定軍事境界線 Provisional military demarcation line が引かれ、両岸には2~3kmの幅で非武装地帯 Demilitarized zone が設定されている。この間を横断する鉄道は"Abandoned"(廃止)、道路や集落も各所に"Destroyed"(損壊)の文字があり、40年前の非情な現実を窺い知ることができる。

図4
Blog_vietnam_50k_sample4

ベトナムアーカイブの地図コレクションは当然ベトナムが主対象ではあるが、隣国との国境地帯(カンボジア、ラオス、中国)のほか、ラオスとタイの国境地帯のAMS版1:50,000も公開されている。右メニューの "Navigate the Country" のカテゴリーにある "Map Countries Index" をクリックし、表示される国別一覧から選ぶとよい。
(2011年3月7日改稿)

地形図は、AMS 1:250,000地形図 NF48-11 Hanoi(1954年編集)、AMS 1:50,000地形図6541-IV Huế(1965年版)、ベトナム官製1:50,000 地形図6151-II Hà Nội(1980年版)、6541-IV Huế(1976年版)、6442-IV Quảng Trị(1969年版)を用いた。Map images courtesy of University of Texas Libraries and The Vietnam Center & Archive at Texas Tech University.

★本ブログ内の関連記事
 米軍のアジア1:250,000地形図
 ベトナム ダラットのラック式鉄道

 フィリピンの地形図
 オランダ時代のインドネシア地形図

2007年6月 7日 (木)

台湾の1:50,000地図帳

Blog_taiwan_atlas1台湾にはたいへん良質の地図帳がある。上河文化股份有限公司が刊行している「台灣地理人文全覽圖(台湾地理人文全覧図)」だ。北島(濁水渓以北)と南島(同 以南)の2分冊になっていて、サイズはB4判に近い26×38cmの大判で各120ページ以上ある。ボリュームもさることながら、コンテンツは全覽圖の名に恥じない充実度を誇っている。

最初に縮尺1:350,000の索引図があるが、これからして鑑賞に堪える広域地勢図だ。全体から部分へスムーズに導くという編集上の配慮が感じられる。続いて地図帳のメインである1:50,000の「全覧圖」。全土140面の区分図で、GPS対応の1kmメッシュが入り、隣接図との重複部分を淡色で描くなど芸が細かい。内容も道路地図、観光地図としての性格はもとより、地形図として見ても秀逸だ。

道路情報では郷道(市町村道)にまで番号が添えられ、省道(事実上の国道)や県道には区間距離が併記される。市街地は街路名が細かく記載され、ガソリンスタンドやコンビニ(ロゴマークに基づく記号)のような情報も念入りに拾っている。観光情報としては果樹園、牧場、遊園地、海水浴場から、登山口、キャンプ場、山小屋まで幅広く記号化されている。台湾で使われる漢字は繁体字すなわち日本で言う旧字体なので、注記も大陸中国よりは読めるのがありがたい。

Blog_taiwan_atlas1_legend
凡例。カラフルな観光情報の記号に注目

地勢表現のほうは、日本の1:50,000地形図と同じ20m間隔の等高線で、感覚的に違和感がない。標高点が比較的多く打たれているのも実用的だ。台湾島は九州程度の広さだが、中央に標高3952mの玉山(旧 新高山)をはじめ雲を突く3000m級の山脈がそびえている。等高線に加えられた段彩とぼかし(陰影)で、ダイナミックな地形が目にも美しくかつ手にとるようにわかる。

もう一つ興味深いのは断層線の表示があることだ。921地震(1999年9月21日の台湾大地震)で発生した地表破裂帯も、山脈西側の平野との境に断続的に描かれている。日本の地図帳で、いや世界中探してもここまで盛り込んだ地図帳はないだろう。「全覧圖」のあとには「1:20,000街道圖」すなわち主要都市の市街図、「行政區全圖」いわば分県地図、そして地形を強調した「地理圖」と、丁寧に描かれた地図が続く。巻末に索引と資料集がついているが、百年老樹一覧表だの星空図(星座図)だの、どこまでも特徴を出そうとする姿勢には脱帽する。

Blog_taiwan_atlas1_sample
表紙の一部を拡大
右上から1:50,000 山地の表現(宜蘭縣南澳郷)、同 市街地の表現(台中市)、同 観光地の表現(台中縣和平郷)、1:20,000市街図(台北市大安区)

台湾の官製地形図は輸出に許可が必要で、外国から自由に買い付けることはできない。「基本地形圖資料庫網站」という官製地形図を閲覧するウェブサイトができたが、ID認証がかけられ、外国人には開放されていない。そういう飢餓感を一気に解消してくれるのがこの地図帳だ。上河文化社に発注するときに、「これは台湾における画期的な出版物ですね」と賛辞を送ったら、「そのとおりです。貴国の国会図書館のコレクションにも入っています」と誇らしげな答えが返ってきた。

ちなみに日本から直接購入する方法について書いておこう。上河文化社のウェブサイトに発注書へのリンクがある(詳閱及下載《上河文化特惠訂購單》と記載)。これを印刷し、送付先、決済用のクレジットカードの内容など必要事項を記入して、同社に直接FAXする。メールアドレスを書き添えておけば、追って発送方法(航空便か船便か)の問合せメールが来るはずだ。

■参考サイト
上河文化 全覧圖解讀與研究
http://www.sunriver.com.tw/map_recommend.htm

【追記 2016.3.21】
2001年に初めて刊行された「台灣地理人文全覽圖」はその後改訂を重ね、2016年3月現在、すでに第4版(北島2011年、南島2012年)を数えている。版を追うごとに内容が充実度を深めていく状況は、同社の下記サイトで確かめることができる。配色や注記の密度など地図編集上の改良点に加えて、この10数年間の各地の発展のさまも垣間見られて興味深いものがある。

■参考サイト
台灣地理人文全覽圖,各版本圖資比較
http://www.sunriver.com.tw/taiwanmap/map_01_compare.htm
北島篇各版本圖資比較
http://www.sunriver.com.tw/taiwanmap/map_01_north.htm
南島篇各版本圖資比較
http://www.sunriver.com.tw/taiwanmap/map_01_south.htm

★本ブログ内の関連記事
 台湾の1:25,000地図帳
 台湾の旧版地形図地図帳 I-日治時期
 台湾の旧版地形図地図帳 II-光復初期
 台湾の地形図-經建版

 韓国の地形図地図帳
 香港の地形図
 香港の旅行地図

« 2007年5月 | トップページ | 2007年7月 »

2017年4月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            

BLOG PARTS


無料ブログはココログ