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2007年1月25日 (木)

ロッキー山脈を越えた鉄道-アルパイントンネル

Blog_dspp_railroad_2 名まえからして高山らしさを漂わせるこの狭軌トンネルは、期待にたがわず、8本のロッキー越えの中で2番目に高い標高3539mを通過している。開通した1882年の時点ではテネシー峠Tennessee Passがトンネルのない旧線経由だったので、アルパイントンネルAlpine Tunnelは大陸分水嶺に掘られた最初のトンネルだった。延長は1772フィート(540m)に過ぎないが、もろい花崗岩地帯で掘削は難航した。全長の8割に木枠の支えを設けるなどしたため、6ヶ月の予定工期が2年に延び、総工費も約30万ドルに昇ったという。

建設したのは、デンヴァー・サウスパーク・アンド・パシフィック鉄道Denver, South Park and Pacific Railroadだ。鉱山ブームに乗り、前回紹介したコロラド・ミッドランド鉄道とちょうどたすき掛けになるような路線設定で、デンヴァーからサウスパーク地方を横断し、分水嶺を越えたガニソンGunnisonまで進出した。軌間3フィート(914mm)の狭軌ながら、本線の総延長は約208マイル(335km)もあった。そのほかにも、当時の鉱業の中心地であったレッドヴィルLeadvilleへ向けて、標高3400m台の分水嶺を二度も越える支線、通称「高地線High Line」を造るなど、チャレンジ精神あふれる鉄道だった。

Blog_alpinetunnel_1 アルパイントンネルをはさむ前後のルートは、そびえ立つ大山脈の斜面を這いながらどこまでも高みをめざしている。変化こそ乏しいが、まるで登山鉄道のシチュエーションのような雄大な風景が、乗客を魅了し続けたに違いない(右図。Map courtesy of the U.S. Geological Survey and the Microsoft TerraServer)。一方、雪と強風にさらされる冬の山越えは困難を極めた。山間部のウッドストックWoodstock駅では雪崩で宿舎が壊滅して13人が命を失うなど、大きな被害にも見舞われた。年表には、冬期のトンネル閉鎖をはじめ、列車脱線、衝突など、心細げな狭軌鉄道の苦闘の歴史が綴られている。結局、1910年11月をもってこの区間は閉鎖された。そして、自動車交通の発達による輸送量の減少で、1937年に全線が廃止となった(レッドヴィル~クライマクスClimaxの短区間を除く)。

アルパイントンネルとそのアプローチ区間13マイル(20.9km)は、近年「アルパイントンネル歴史地区Alpine Tunnel Historic District」として保存と復元が進められ、1996年に国の登録歴史地区National Register of Historic Placesにも指定されている。

ホームページでは、峠の西麓クォーツQuartz(地形図には地名表記がないが、北クウォーツ渓流North Quartz Creekを馬蹄カーブで離れる地点)からツアーが始まる。張り出し尾根を回ると中クウォーツ渓流Middle Quartz Creekの深い谷の上だ。山から滑り落ちる流れと交差する地点には、補給用の水槽Water Tankが設けられていた。悲劇のウッドストック駅跡を過ぎるとすぐ、平たい谷底を利用した馬蹄カーブ(シャーロッドループSherrod Loop)で方向転換する。車道は短絡するが、歩道が線路跡を示している。この先は迫力のある谷壁伝いだが、中でも名所だったのがパリセイズPalisades、すなわち「絶壁」と呼ばれた大がかりな切通しだ。眼下に目をやればきっと足がすくむだろう。ゆるやかな谷間に入り込むとアルパイン駅跡があり、まもなくトンネルが見えてくる。しかし、その入口は岩屑で埋まり、東側の出口も崩壊してしまっている。分水嶺横断鉄道の形見は、時間の経過とともに大自然に還っていったのだ。

■参考サイト
Alpine Tunnel Historic District
http://www.narrowgauge.org/alpine-tunnel/html/
アルパイントンネル付近の地形図(1:25,000、1982年版)
http://msrmaps.com/image.aspx?T=2&S=12&Z=13&X=473&Y=5348&W=2

なお、紙地図は1:25,000が「38106-F3 Saint Elmo」「38106-F4 Cumberland Pass」「38106-E4 Whitepine」の3図葉、1:100,000は「38106-E1 Gunnison」でカバーする。

当時の写真:
from Western History Collection of Denver Public Library
アルパイントンネルの西側
http://digital.denverlibrary.org/cdm/ref/collection/p15330coll22/id/55336
パリセーズ(絶壁)
http://digital.denverlibrary.org/cdm/ref/collection/p15330coll22/id/1521

2007年1月18日 (木)

ロッキー山脈を越えた鉄道-ヘイガーマン峠

コロラド・ミッドランド鉄道Colorado Midland Railwayが1887年にヘイガーマン峠Hagerman Passを越える標準軌鉄道を建設する以前、コロラドの大陸分水嶺Continental Divideを越えていたのはいずれも狭軌線だった。

Blog_midland_railway_3 当時、アスペンAspenの銀鉱やグレンウッド・スプリングズGlenwood Springs近郊の炭鉱が開発され、輸送手段が求められていた。先駆者であるデンヴァー・アンド・リオグランデ鉄道Denver and Rio Grande Railroadの狭軌線はアーカンザス川を遡り、北と南から迂回するようにコロラド川の谷に出ている。後発組のミッドランドは標準軌で輸送能力を高めた上、ロッキーの山並みを3つの峠で越える短絡ルートを選定して、時間短縮効果も狙った。ルート最大の難関が、アーカンザス川最上流のレッドヴィルLeadvilleからコロラド川流域へ抜けるヘイガーマン峠だ。

峠の標高は3635mあるが、鉄道は南1.5kmにある別の鞍部を長さ2161 フィート(659 m)のヘイガーマントンネルで抜ける。それでも高度は3514 mで、両側のアプローチは急勾配とカーブが連続する難路だった。このあたりは6月にならないと雪が完全に消えないこともあり、1899年の猛吹雪では78日間も閉鎖を余儀なくされたほどだ。除雪など線路の維持費用が膨れ上がり、木製の橋梁は湿気で傷みが激しい。さらにライバルのリオグランデが北回り線の標準軌化を進めていた(1890年完成)。

安定的な輸送体制を確立して優位に立つために、早くも改良計画が練られることになった。新線は長さ9394 フィート(2863 m)のバスク・アイヴァンホートンネルBusk-Ivanhoe Tunnelを含む2.9マイル(4.7km)で、この間9.83マイル(15.8km)あった旧線を1/3に縮める画期的なものだった。工事は1893年に完成して、旧線はわずか7年足らず使われただけで休止となった。

路線はその後経営体を変えながらも存続したが、1918年の会社倒産に伴って廃止された。1922年に自動車道に転換された際に、新トンネルも再利用されてカールトントンネルCarlton Tunnelと名乗ったが、最終的に1943年に閉鎖された。

Blog_hagermanpass_1 廃線跡は現在でも車道や登山道として使われているので、地形図上でもたどることができる。1:100,000地形図の上に峠付近のルートを重ねてみた(右図。Map courtesy of the U.S. Geological Survey and the Microsoft TerraServer)。

東側から行くと、人造湖のターコイズ湖Turquoise lakeに一部水没しているが、湖の南岸に沿って斜面を上っていく車道が線路敷だ。バスク渓流Busk Creekを奥に進むと、10796フィート水準点(BM10796)に方向転換する大カーブ(以下、馬蹄カーブ)がある。新線はここからトンネルに入る。東向きの下り勾配だったトンネルは導水路に転用されているようだ。旧線はさらに最大32.4‰の勾配で山を這い上がっていくが、この先は未整備道路unimproved roadとなり、湿地を囲む2つ目の馬蹄カーブでいよいよ「旧鉄道跡OLD RR GRADE」の表示のある、車の通れない山道trailに変わる。高いトレッスルで渡っていた第3馬蹄カーブ、カール(圏谷)にできた池のほとりの第4馬蹄カーブを経て、ようやく分水嶺トンネルに到達する。

峠の西側は一見緩やかそうだが、30‰の下り片勾配が32kmも続く。西方から鉱石を満載した貨車を牽いて上ってくる蒸機にとっては、相当に苦しい道のりだったろう。アイヴァンホー湖Ivanhoe Lakeの北岸で新線と合流したあとも、大規模な方向転換を伴った山道が延々と続いている。

■参考サイト
Colorado Midland Railway - A Short History
http://mywebpages.comcast.net/rstamm4/Short_History_Page.html
 個人サイトにあるミッドランド社史。本稿を書く上で大いに参考にさせていただいた。

ヘイガーマントンネル付近の地形図(1:25,000、1970年版)
http://msrmaps.com/image.aspx?T=2&S=12&Z=13&X=466&Y=5432&W=2

なお、紙地図では、1:25,000地形図の「39106-C4 Homestake Reservoir」「39106-C5 Nast」の図郭にほぼ収まる。1:100,000地形図は「39106-A1 Leadville」。

当時の写真:
from Western History Collection of Denver Public Library, photo by W.H. Jackson
第3馬蹄カーブ遠望  http://digital.denverlibrary.org/cdm/ref/collection/p15330coll22/id/39154
第3馬蹄カーブのトレッスル橋  http://digital.denverlibrary.org/cdm/ref/collection/p15330coll22/id/39155

2007年1月11日 (木)

ロッキー山脈を越えた鉄道-序章

Blog_colorado_map テレビ朝日系列のミニ番組「世界の車窓から」の旅はいま、合衆国の中央部、コロラド州にさしかかっている。西に向かう交通路はここで、4000m級の高山が屏風のように立ちはだかるロッキー山脈に突き当たる。

最初の大陸横断鉄道は1869年に全通したのだが、東側を手がけたユニオン・パシフィック鉄道Union Pacific Railroadは正面から山脈に挑むのを避けた。そのルートは、北隣のワイオミング州シャイアンCheyenneから大分水嶺盆地Great Divide Basinを通過している。分水界であるクレストンCrestonの標高は2165mあるが、地形は平坦だ。本格的なロッキー越えを企てる鉄道が登場するまでには、あと10年ほど待たなければならない。

現在、西海岸をめざす長距離列車カリフォルニア・ゼファー号California Zephyrは、州都デンヴァーDenverから山を駆け上がり、長さ10kmにも及ぶモファットトンネルMoffat Tunnelを抜けてコロラド川の谷に出ている。これは1928年に開通した新しいルートだ。これほど土木技術が発達する以前は、トンネルをできるだけ短くするために、これ以上無理というところまで山を攀じ登る必要があった。鉄道の起点となったデンヴァーやコロラド・スプリングズでも1500~1800mの高度をもつが、分水嶺を越える峠は最も低いテネシー峠Tennessee Passで3177m、多くは3500m前後だ。高低差もさることながら、冬の気候の厳しさは想像に余りある。

Blog_colorado_railwaymapところが調べてみると、20世紀初めまでにこのような苛酷な分水嶺横断を敢行した鉄道が、驚いたことに8本もあったのだ。手元に「コロラドの鉄道」(Claude Wiatrowski "Railroads of Colorado - Your Guide to Colorado's Historic Trains and Railway Sites" Voyageur Press, 2002)という資料がある。載っている路線図を参考に、この地域の現在と過去の鉄道網を作図してみた(右図)。
休止中を含む現役線は青の実線、観光鉄道になったものは路線名を添えた赤の実線、設備撤去済みの廃線跡は青の点線で描いてある。そして大陸分水嶺Continental Divideを横断する地点には番号を振って、通過高度を付記した。

どうして人々は、莫大な費用をかけてまで山の向こうへ鉄道を延ばそうとしたのか。上記資料の第1章に次のような記述がある。
「鉄道は19世紀の最も重要な技術であり、世界の経済発展の原動力になった。しかし、現代のインターネット企業とよく似ているのだが、鉄道フィーバーが合衆国を通り抜けたとき、それは理由なき熱狂を呼び起こした。コロラドの企業家たちは死に物狂いで国の他の地域と競争することを望んでいて、その答えは鉄道を山中に通すことだった。このような路線はしばしば、その頃あった金や銀の採掘に絡む大きな利益を一部、または全部当てにしていた。また、コロラドの鉄道のいくつかは、当時の偉大な大陸横断鉄道網と連絡するものとして煽り立てられた。」

コロラドの主要都市には精錬施設が立地し、鉄道によって山中の鉱山から原料や燃料が運び込まれた。できあがった製品は横断鉄道を通して東西に運び出されたのだ。鉱業の衰退と道路交通の発達でこれらの路線はほとんど姿を消したが、その一部が観光鉄道として残されたり、廃線跡が登山道に利用されたりして、人々に往時をしのぶよすがを提供している。

これから数回にわたって、地図を片手に、コロラド州における鉄道全盛時代の名残を見ていこうと思う。

2007年1月 5日 (金)

キャス観光鉄道

Blog_cass_map_1 シェイ型蒸気機関車がいまなお運転されているキャス観光鉄道 Cass Scenic Railroad は、アパラチアの深い森を上っていく保存鉄道だ。場所は首都ワシントンの西250km、ウェストヴァージニア州の山中にある。

歴史を紐解くと、始点のキャスは1901年に製紙会社が拓き、製材で栄えた町だった。この一帯はアパラチアの中でもアレゲーニー山脈 Allegheny Mountains と呼ばれ、木材の需要が高まった19世紀末から20世紀のはじめに、エゾマツやアメリカツガ(米栂)などの針葉樹を求めて開発が進められた場所だ。町の背後にそびえるチート山 Cheat Mountain で伐採する木材を運び出すには、鉄道の敷設が急務だった。開通したのは1901年12月で、坂道に強いシェイ型が導入された。1904年にはスプルース Spruce まで延長されて別の路線と接続し、輸送網が確立した。

その後20年ほどが町の最も賑わった時代で、1,700人が暮らし、山にも1,000人が野営しながら林業に従事していたという。しかし、30年代に入って地場林業の衰退が始まると、製材所はたびたび人員整理を行い、職を失った人々が町を離れていった。1960年、ついに操業が停止され、町そのものも放棄される事態になったことで、鉄道は廃止、機関車もスクラップ化の瀬戸際に立たされた。そのとき、鉄道愛好家が立ち上がってキャス鉄道の州立公園化を訴えた。1962年7月にウェストヴァージニア州が線路や機関車、貨車、機関庫を一括して買い取ることになり、翌年から、材木のかわりに旅客を乗せた観光列車の運行が始まった。現在では、復元した家屋を含めて、キャス観光鉄道州立公園 Cass Scenic Railroad State Park として保存されている。

Blog_cass 鉄道のホームページによれば、ツアーは3種類あって、1つ目が途中のホイッタカー駅 Whittaker までの4マイル(6.4km)を往復する2時間の旅、2つ目がその先の分岐で分かれて、かつてロッキー山脈の東で最も寒いといわれたスプルース廃村を往復する5時間の旅、最後が山上のボールド・ノブ Bald Knob を往復する5時間の旅だ。とれいん6月号増刊『Rails Americana 2』(2006年6月、プレス・アイゼンバーン発行)に、松本謙一氏が臨場感あふれる訪問記を書いておられる。豊富な写真が掲載されているので、USGSの地形図と見比べながら、ルートをたどってみた。

キャスを出るとすぐに、接続していたチェサピーク・オハイオ鉄道(C&O)の線路(廃線)から左に分かれて、谷の中を上り始める。機関庫の傍らを過ぎ、訪問記にある踏切(地形図のBM2534=2,534フィート水準点)を越えて、なおもしばらく穏やかな森の中を進んでいき、左カーブの途中で停車。ここが1段目のスイッチバックだ。逆方向に発車して右に180度向きを変えると、緩い傾斜の草原に出て、また停車。この2段目スイッチバックを出れば、右に大きく回りこんでまもなくホイッタカー駅に到着する。起点との標高差はすでに約250mあるが、この先、さらに50‰の勾配で山腹をひたすら上り詰める。

やがて、シェイヴァーズ支流 Shavers Fork の谷に乗り越す鞍部、すなわちかつてオールド・スプルース Old Spruce と呼ばれた地点に達する。現在の地形図では、ここから右手の斜面にとりつくボールド・ノブ線だけが描かれているが、初期のルートは支流に沿って北へ1.25マイル(2km)のスプルースに通じていた。2つ目のツアーの目的地だ。1922年の旧版地形図ではこちらだけが描かれている。

さて、ボールド・ノブ山頂へ向かう線は、スプルース線と分かれて三角線が残る尾根に達したあと、さらに森の中を上り続けて、展望台のある終点に着く。キャスからここまで11マイル(17.7km)、標高差は2,200フィート(670m)以上ある。木組みの展望台からは、林業の興隆を支えた山また山の風景が広がるはずだ。州で2番目に高いという4,842フィート(1,476 m)の山頂は南西方向に少し登ったところにある。

■参考サイト
キャス観光鉄道州立公園(公式サイト) http://www.cassrailroad.com/
キャス観光鉄道 http://gottrains.com/cassrailroad/
 歴史、蒸機の紹介、写真も多数
ウェストヴァージニア州観光情報(日本語版)にも「キャース州立公園保存鉄道」として紹介がある。http://www.westvirginia.or.jp/tourism/sig/

スイッチバックのあるホイッタカー付近の地形図(1:25,000、1987年版)
http://msrmaps.com/image.aspx?T=2&S=12&Z=17&X=740&Y=5314&W=1
旧版地形図(1:62,500 Cass、1922年版)
http://historical.maptech.com/getImage.cfm?fname=Cass22nw.jpg&state=WV
キャス付近のGoogle地図
http://maps.google.com/maps?f=q&hl=ja&ie=UTF8&ll=38.3965,-79.9144&z=16

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 ワシントン山コグ鉄道 I-ルート案内
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