2019年8月17日 (土)

オーストリアの狭軌鉄道-ヴァルトフィアテル鉄道 III

ヴァルトフィアテル鉄道 南線 Waldviertelbahn Südast

ヴァルトフィアテルの山中には、大陸ヨーロッパを南北に分ける中央分水界が通っている。南線はこれを越えていくので、寄り添う谷は見るからに深く、線路にも急勾配と急曲線が連続する。景色の穏やかな北線に比べて、全般的にダイナミックで乗りごたえのあるルートと言えるだろう。

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ブルーデルンドルフの給水作業
(帰路撮影)
 

南線の蒸機列車は、北線の前日に当たる第1、第3土曜が運行日だ。距離が43.3kmと長いことから、1日1往復しかない。グミュント Gmünd を昼下がりの13時15分に出発し、終点グロース・ゲールングス Groß Gerungs に15時10分に到着する。復路は17時発で、グミュント帰着が18時45分になる。ニブロク蒸機の奮闘ぶりをたっぷりと楽しめる往復約4時間の長旅だ。

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南線路線図

発車の1時間前にグミュントのターミナル駅に戻ってきたら、ちょうど客車がホーム兼車庫の屋内から引き出され、隣の屋外ホームに据え付けられるところだった。蒸気機関車 Mh.4 にとっては、2週間ぶりの出番になる。6両ある客車(下注)は、窓のそこかしこに予約の貼り紙がしてあるものの、まだまるごと空席の車両も見られる。

*注 列車編成は北線と同じで、2軸古典客車6両、中間部にビュッフェ改造車、最後尾に緩急車がついた。

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グミュント駅
(左)客車の引き出し作業
(右)屋外ホームに据え付け完了
 

定刻を少し過ぎて発車した。北線を右に分けてすぐ、チェコ国境の手前に遺された三角線(前々回の記述参照)を通過する。それから ÖBB線をアンダーパスし、グミュント新市街をかすめ、後はしばらくのどかな耕作地の中を進む。車掌が巡回してきたので、乗車券を買うついでに空席のことを聞くと、次の駅で満席になります、とのこと。

川沿いの林の中を通り抜け、アルト・ヴァイトラ Alt Weitra(旧ヴァイトラの意)の停留所を見送ると、風景は緩やかな起伏を伴った丘陵のそれになる。左手には池があり、岸に点々と植わる木々が、水辺にほのかな影を落としている。

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(左)アルト・ヴァイトラは通過
(右)岸辺の木々が水面に影を落とす
 

ここから線路は、蛇行しながらその丘陵をじりじりと上り始める。60~70mの高低差がある、通称ヴァイトラ坂 Weitraer Berg だ。途中にある右回りのオメガループでは、最もくびれた部分で今通ってきた線路が間近になる。グミュントを出て初めての連続勾配だが、マリアツェル鉄道向けに造られた強力な蒸機にとっては、小手調べのたぐいかもしれない。

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ヴァイトラ坂を上る
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オメガループでは上ってきた線路が見える
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ヴァイトラ周辺の地形図
Image from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA
 

坂を上り切ると、ヴァイトラ Weitra に停車した。13世紀初めに築かれた城下町で、駅の西500m、ラインジッツ川の渓谷に臨む要害の地に城と市街地がある。コーラルレッドのあでやかな塗り壁の保存駅舎も、グミュントを別とすれば、沿線のどの駅よりも堂々としている。車掌の言葉どおり、ここでざっと40~50人の団体客が乗車して、予約席は一気に埋まった。

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ヴァイトラ駅
(左)駅舎はコーラルレッドの塗り壁
(右)大口団体客が乗車
 

駅を出ると、車窓から丘の上にすっくと建つ白壁の城がよく見える。それとともに、このあと渡る2本の石造アーチ橋にも注目したい。一つ目はファイツグラーベン高架橋 Veitsgraben-Viadukt(長さ70m、高さ15m)、二つ目がヴォルフスグラーベン高架橋 Wolfsgraben-Viadukt(長さ72m、高さ14m)という。サイズだけでなく、どちらも7径間で線路がカーブしていて、まるで双子のようだ。列車のデッキからでは全貌を捉えるのは無理だが、アーチの一部を見届けることはできる。

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ファイツグラーベン高架橋を渡る
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(左)丘の上に建つヴァイトラ城
(右)ザンクト・マルティンの教会
 

ヴァイトラから上流で、川は丘陵地を30~40mの深さに刻んで流れているが、ザンクト・マルティン・バイ・ヴァイトラ St. Martin bei Weitra でようやく平たい谷に戻る。少し進むと、シュタインバッハ=バート・グロースペルトホルツ Steinbach-Bad Großpertholz だ。ここは周りに小さな集落しかないようなところだが、鉄道の運行にとっては昔から重要な中継地だった。駅に設置されたパネルの説明文を引用させてもらおう(ドイツ語原文を和訳)。

シュタインバッハとラングシュラーク Langschlag の間(下注)にあるヴァルトフィアテル鉄道の山線は、ユネスコ世界遺産ゼメリング鉄道になぞらえ、愛情を込めて「ヴァルトフィアテルのゼメリング Waldviertler Semmering」あるいは「小ゼメリング Kleiner Semmering」と呼ばれている。

*注 両駅間の距離は11.9km。

最急勾配28‰の狭軌鉄道は、本物のゼメリング鉄道に匹敵する。最小半径86mの数あるカーブで、線路は曲がりくねりながら標高806mまで上る(下注)。その際、大小のブルーデルンドルフトンネルを通り抜け、ヨーロッパの分水界を乗り越える。

*注 当駅の標高は626mで、最高地点との標高差は180mある。

この急勾配線では、重量列車が山を越えるのに、今日でも機関車と機関士に特別な力が要求される。特に重い列車は、昔も今も同じように、いわゆる補機と呼ばれる補助機関車の連結を必要とした。しかし、2000年まで維持されていた貨物輸送で2台目の機関車がないときは、列車はシュタインバッハ駅で分割され、2本の列車でヴァルトフィアテルのゼメリングを越えたのである。

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シュタインバッハ=バート・グロースペルトホルツ駅
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「ヴァルトフィアテルのゼメリング」の説明パネル
(上記和訳の原文)
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「ヴァルトフィアテルのゼメリング」周辺の地形図
Image from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA
 

乗ってきた列車もここで20分ほど停車し、頼みの機関車に対して給水と点検が行われた。その間、乗客はみな車外に出て、思い思いに休憩する。作業の撮影にいそしむ人もいれば、駅舎の横の倉庫で展示しているユニークな木彫りの作品を鑑賞する人もいる。狭い車内ですでに1時間揺られてきたので、手足を伸ばすいい機会だ。

乗車を促す車掌の声が響いて、出発の時刻になった。上り勾配は駅構内の出口からすでに始まっているので、機関車は早くも出力全開だ。その様子を撮影するために線路脇で待ち構える人たちを見送って、列車は深い森に突入していく。

谷間に力強いドラフト音がこだまする中、二つめの支谷を渡るところで、アプシュラーク Abschlag 停留所に停車。森のハイキングに出かけるのだろうか、子ども連れで降りた人がいた。

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急坂での発車は出力全開
アプシュラーク停留所にて
 

短いトンネル(小ブルーデルンドルフトンネル Kleiner Bruderndorfer Tunnel、長さ44m)を抜け、谷の奥へ回り込んだ地点に、ブルーデルンドルフ Bruderndorf の給水所がある。ここはかつて停留所だったが、1986年にそれが2.4km先の集落により近い場所に移転した後、乗降を扱わない給水所になった。谷筋で水源には事欠かないとみえ、給水クレーンの先から、機関車のタンクに入るのと同じくらいの水量が漏れ落ち、大きな水音を立てている。

右側の横取りしたレールの上に大きな木のやぐらが置かれているのは、すぐ先にあるトンネルの検査用足場だという。再び走り出すと、急な右カーブの先に、その大ブルーデルンドルフトンネル Großer Bruderndorfer Tunnel が現れた。長さ262mあり、中は真っ暗で一寸先も見えなくなった。

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ブルーデルンドルフ給水所
(左)給水と同じくらいの量が漏れ落ちる(帰路撮影)
(右)木のやぐらはトンネルの検査用足場
 

最後の山脚を曲がり切れば、機関車の力闘も終わりが近い。切通しを抜けるとにわかに空が開け、列車の行く手に牧草地が広がった。このあたりが最高地点で、同時にヨーロッパ中央分水界でもある。北側斜面はエルベ川 Elbe 水系で、チェコとドイツを通って北海に注ぎ、南側はドナウ川 Donau 水系で、東へ流れて黒海に出る。想像すれば壮大な話で、この鉄道が世界遺産の向こうを張るのもわからないではない。

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最高地点付近を通過
(帰路撮影)
 

列車の歩みは重しが取れたように軽やかになり、ツヴェットル川 Zwettl の谷に沿って降りていく。小ぎれいな集落のあるラングシュラーク Langschlag で、また10分ほど停車した。

駅の側線に、1902年製の複式機関車 Uv.2(ÖBB 298.206)が静態保存されている。案内板によれば、最初この路線で走った後、イプスタール鉄道 Ybbstalbahn へ移籍し、1963年の引退後、ラングシュラークの自治体が保存のために買い戻したのだという。Uv.2は貨車を1両連れていて、その中は備品や歴史資料を集めたささやかな鉄道博物館になっている。給水も乗降もない駅に停車するのは、これらを見学するための時間をとっているのだ。

ヴァルトフィアテル鉄道の施設設備が2010年に州に移管された後、主要な駅建物や敷地などの固定資産は順次、沿線自治体が取得して保存と同時に活用し始めた。南線ではここラングシュラークをはじめ、ヴァイトラ、ザンクト・マルティン、グロース・ゲールングスなど、駅は公共施設として管理され、列車運行時のほか、地元のイベントやコミュニティ活動などにも利用されている。

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ラングシュラーク駅
(左)静態保存の Uv.2、後ろの貨車は鉄道博物館
(右)鉄道博物館内部
 

長い蒸気列車の旅も、いよいよ最後の一区間を残すのみだ。列車はヴァイトラ坂を思わせるようなオメガループを通り、なおも浅い谷を降りていく。そして、集落のへりを回り込むようにして、終点グロース・ゲールングスの構内に滑り込んだ。定刻15時30分のところ、着いたのは20分遅れの15時50分だった。

到着早々、機回し作業が始まる。駅は無人で、鉄道の要員は機関士と助士と車掌の3人しかいない。それで、ポイントの切替えも、機関車の誘導も、客車との連結も、みな車掌の仕事だ。一連の作業が終わると、構内の動きが止まった。乗客は、貨物倉庫を利用した小さな博物館に立ち寄ったり、駅舎で営業している軽食堂の客になる。

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グロース・ゲールングスに到着
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機回しを待つ Mh.4
背景の建物はシアターに改造された旧 車庫
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(左)グロース・ゲールングス駅舎は軽食堂に
(右)貨物倉庫は博物館
 

空いた時間に、町の中央広場 Hauptplatz まで出かけてみた。グロース・ゲールングスは、高原の街道筋に成立した宿場町だ。広場を囲んで端正な建物が建ち並んでいるが、車が頻繁に通過することもあって、リッチャウのような心潤う情景には乏しい。

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グロース・ゲールングスの中央広場
 

ヴァイトラからの大勢の団体客は、さっき駅前に迎えに来たバスで去っていった。観光列車でよく見かける、ハイライト区間だけを体験するツアーだったようだ。それで復路の車内は空席だらけになる。機関車はバック運転だ。途中、ブルーデルンドルフの給水所でたっぷり水を補給した以外、乗客が車外に出られる休憩停車はなく、グミュントまで列車は淡々と走り抜けた。

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帰り道、列車の長い影が畑に落ちる
 

本稿は、Paul Gregor Liebhart und Johannes Schendl "Die Waldviertelbahn - Eine nostalgische Reise mit der Schmalspurbahn" Sutton Verlag, 2017 、鉄道内各駅設置パネル、および参考サイトに挙げたウェブサイトを参照して記述した。

■参考サイト
ヴァルトフィアテル鉄道(公式サイト) https://www.waldviertelbahn.at/

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2019年8月10日 (土)

オーストリアの狭軌鉄道-ヴァルトフィアテル鉄道 II

ヴァルトフィアテル鉄道 北線 Waldviertelbahn Nordast

北線(下注)の舞台は、チェコとの国境に横たわる緩やかな起伏の高原地帯だ。深緑の針葉樹林とそれを切り開いた耕作地が交互に現れ、線路は浅い谷間の小川や池に沿って敷かれている。今回は、毎月第1・第3日曜に運行されている蒸機列車で、グミュント Gmünd から北上しようと思う。

*注 北線、南線は両者を区別するために用いる便宜的呼称であり、正式な路線名ではない。

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気品漂うニブロク蒸機 Mh.4
リッチャウ駅にて
 

列車はグミュント発が10時と14時30分の2本あり、終点リッチャウ Litschau で折り返し13時と16時発になる単純なダイヤだ。1本目の列車に乗るべく、市街地の宿を出てÖBB駅前のターミナルへ向かった。開放的な雰囲気の待合ホールには、すでに多くの客が集まっている。

やがて外側ホームに通じる扉が開いたらしく、ぞろぞろと移動が始まった。オープンデッキつき2軸客車6両、中間部にビュッフェ改造車、最後尾に自転車が積載できる貨車(緩急車?)という編成だが、よく見ると、たいていの客車の窓には予約済みを示す紙がペタペタと貼られている。これなら待合ホールが賑わうはずだ。もちろん、予約していなくても乗車は可能なので、慌てる必要はない。

ニブロク蒸機(下注)を撮ろうと前へ行くと、正面に "Western Express" と書かれた円いプレートを付けていた。観光鉄道らしく、さまざまな催し列車が年に十数回運行されていて、今日はたまたまその日だった。「ウェスタン・エクスプレス」というのが何を意味するのかは、後で知ることになる。

*注 ニブロクは2フィート6インチ(762mm)軌間の日本での俗称。メートル法を用いる大陸系(とりわけオーストリア=ハンガリー)の鉄道では、この軌間を760mmと定義した。

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Western Express のプレートをつけて走る
アルト・ナーゲルベルク駅にて
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(左)2軸客車内部
(右)ビュッフェ車
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北線路線図
 

定刻10時、短い汽笛とともに列車はホームを後にした。ディーゼル機関車も憩う構内を通り抜ければ、まもなく南線を見送って北へ大きくカーブする。1950年に開通したチェコ領を通らない新線区間だが、もう70年近く経つから、風景に完全に溶け込んでいる。市街裏手の草原に沿って進んだ後は、森の中に入り、いつのまにかラインジッツ川 Lainsitz を渡った。

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新線区間を行く蒸機列車
(動画からのキャプチャー)
 

チェコとの国境にある旧 オーストリア税関前を通るも、一瞬のことだ。シェンゲン協定により国境検査が廃止された今は、車も無停車で行き交っている。住宅街の中にあったはずのグミュント・ベームツァイル Gmünd Böhmzeil 停留所もしかり。ここは、旧市街の最寄り駅として設けられ、国境が確定した1920年から2年間は北線の臨時ターミナルを受け持ったほどだが(前回の記述参照)、現在、列車がここで徐行し汽笛を鳴らすのは、単に踏切の手前だからだ。

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国境の旧税関前を通る線路
 

ベームツァイルの住宅街をくねくねと抜けると、もう人家の密集地はない。再びラインジッツ川を渡り、畑地の中をゆっくり上がっていき、まもなく線路は針葉樹の森に埋もれてしまう。車掌が巡回してきたので、さっそく往復の乗車券を求めた。昨日もそうだったが、くれるのはポータブルプリンタから出てくる薄紙のレシートだ。

観光鉄道化されたときに中間の停留所が廃止されたため、最初の停車駅は 8.4km先のノイ・ナーゲルベルク Neu Nagelberg になる。ここもチェコ国境が間近で、何人かのグループが乗り込んで発車した。

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(左)ラインジッツ川のほとりから山手へ
(右)森を切り開いた畑地を上る
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(左)ノイ・ナーゲルベルクに停車
(右)ガムスバッハ川を堰き止めた池が連なる
 

ガムスバッハ川 Gamsbach を堰き止めた池が、谷間に長く連なる。それを見ているうちに、アルト・ナーゲルベルク Alt Nagelberg に到着した。17世紀から、地元産の石英を原料にしたガラス製造の伝統をもつ町で、駅の向かいに、グミュントのターミナルの前庭で見たのと同じ色ガラスのオブジェが並んでいる。北線にとってガラス製品は、かつて木材と並ぶ貨物輸送の主要産品だった。

機関車への給水が始まる。乗客もみな車外に出て、作業を見学しながら思い思いにくつろいでいる。時刻表上の停車時間は7分なのだが、機関車の点検作業も含めて倍の15分は停車しただろう。ようやく「Alle Fahrgäste, aufsteigen!(乗客のみなさん、ご乗車ください!)」と車掌の大声が響いた。全員客車に戻ったのを見計らって、車掌がオープンデッキの閂を下ろしに回る。それから円い標識を掲げて、発車合図の笛を吹く。列車は再びゆっくりと動き出した。

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アルト・ナーゲルベルクで長い給水停車
0kmポストはハイデンライヒシュタイン支線の起点を示す
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(左)停車中もメンテナンスを欠かさない
(右)円い標識を掲げて発車の合図(ブラントにて撮影)
 

駅を出て2km弱の間、右側にもう1本の線路が複線のように並行する。これはハイデンライヒシュタインに至る支線で、非営利団体のヴァルトフィアテル狭軌鉄道協会 Waldviertler Schmalspurbahnverein (WSV) が、夏のハイシーズンに、旧型ディーゼル機関車による「ヴァッケルシュタイン急行 Wackelstein-Express」を走らせている。

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ハイデンライヒシュタイン支線
(左)本線との並走区間(復路撮影)
(右)分岐地点には支線のみ停留所(アルト・ナーゲルベルク・エルゴ Alt Nagelberg Ergo)がある
 

支線の運行日は、この並行区間を利用した両線列車のレースが呼び物になっている。駅を同時に発車して、途中抜きつ抜かれつした後、分岐地点で汽笛の挨拶を交わしながら分かれていく(下記参考サイトの動画参照)。定期運行時代から行われていた余興で、観光列車でも再現されているのだが、残念ながら今は6月初旬、支線はまだ休眠中だ。

■参考サイト
YouTube - アルト・ナーゲルベルクでの同時発車 Doppelausfahrten in Alt Nagelberg
https://www.youtube.com/watch?v=KdpER-j0D_M

その支線が右手に去ると、すぐにまた森が開けて、ブラント Brand 駅に停車した。ドイツ語でブラントは火事、火災のことだが、この地名は山火事によって開けた土地(入植地)という意味だ。

何やら列車の前方が騒がしい。デッキから覗くと、カウボーイハットに覆面の、西部劇に出て来るような格好の男女が乗り込もうとしている。どうやら列車強盗団の襲撃らしい。彼らはおもちゃのピストルをかざしながら各車内を回り、乗客を巻き込んで緊迫の(?)寸劇を繰り広げた。ところが仕事を終えたとたん、客車の前に全員整列し、車掌が構えるカメラにおとなしく収まったのには笑える。

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ブラント駅の西部劇
(左)列車の前方が騒がしい
(右)列車強盗団の襲撃
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(左)ピストルをかざして車内を回る
(右)最後はキャスト一同で記念写真
 

ウェスタン・エクスプレスのこのメインイベントのために、また15分ほど停車した。所定ダイヤからかなり遅れたが、誰一人気に留める乗客はいないだろう。列車は、ライスバッハ川 Reißbach が自然のままに流れる小さな谷を遡っていく。リクエストストップ扱いのシェーナウ・ドルフヴィルト Schönau Dorfwirt と、製材所への引込線跡が残る旧 シェーナウ・バイ・リッチャウ Schönau bei Litschau 停留所(廃止)は、続けて通過した。最後に短い坂道を上り、右に大きくカーブすると、終点リッチャウの駅舎が見えてくる。10時55分定刻のところ、到着は11時20分だった。

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ライスバッハ川の谷を遡る
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(左)シェーナウ・ドルフヴィルトを通過
(右)シェーナウ・バイ・リッチャウには製材所への引込線の痕跡が
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(左)リッチャウ城の望楼が顔を覗かせる
(右)終点リッチャウ到着
 

青空に綿菓子のような雲がいくつも浮かんでいる。きょうは絶好の行楽日和だ。駅舎では、町の人たちが食卓をこしらえて待っていた。シチューとヴュルステル(小ソーセージ)が大鍋で煮えている。列車から降りてきた客で、たちまち受付に行列ができた。豆やサラミをたっぷり煮込んだ酸味のあるシチュー(ボーネンアイントプフ Bohneneintopf)は、素朴ながら食欲を満たすには十分だ。その後、留置してある客車の中の小さな博物館をのぞいて、路線の諸元や歴史のデータを仕入れる。

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(左)帰路に備えて給水作業
(右)給水元は消防署のタンク車
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豆のシチューとヴュルステルが乗客たちを待つ
 

時間にまだ余裕があるので、駅前の坂を下ってリッチャウの小さな市街地へ出かけることにした。それは、地形図で想像していたとおりの、いい町だった。中心にある広場(シュタットプラッツ Stadtplatz)はそれ自体が急な坂道で、高い側に教会の白い塔がそびえ、谷向うにある城の望楼と対峙している。

町の裏手(北側)にはヘレンタイヒ Herrenteich という大きな溜池があり、波静かな水面に雲を映していた。堤の上は木漏れ日揺れる散歩道で、そのまま池の奥のほうまで延びている。木陰のベンチに腰を降ろして、堰から落ちる涼しげな水音を聞いていると、旅の途中であることを忘れてしまいそうになった。

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坂道に築かれたリッチャウ旧市街
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ヘレンタイヒ Herrenteich
(左)雲を映す水面
(右)堤は木陰の散歩道
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堰を落ちる小川
 

帰りの列車は13時発車だ。間に合うように駅に戻ると、列車の予約席は2両きりになっていた。団体で来た人の多くはまだ町でくつろいでいたから、次の便(16時発)に乗るのかもしれない。復路はおおむね下り坂なので、機関車のドラフト音も心なしか軽やかに聞こえる。途中、アルト・ナーゲルベルクの給水時間も短めで、13時55分、列車はほぼ定刻にグミュントのターミナルに戻ってきた。

次回は、南線を訪ねる。

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グミュントに帰着
 

本稿は、Paul Gregor Liebhart und Johannes Schendl "Die Waldviertelbahn - Eine nostalgische Reise mit der Schmalspurbahn" Sutton Verlag, 2017 、鉄道内各駅設置パネル、および参考サイトに挙げたウェブサイトを参照して記述した。

■参考サイト
ヴァルトフィアテル鉄道(公式サイト) https://www.waldviertelbahn.at/
ヴァルトフィアテル狭軌鉄道協会(ヴァッケルシュタイン急行) http://www.wsv.or.at/cms/

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2019年8月 3日 (土)

オーストリアの狭軌鉄道-ヴァルトフィアテル鉄道 I

ヴァルトフィアテル鉄道 Waldviertelbahn

北線 Nordast:
グミュント Gmünd NÖ(下注)~リッチャウ Litschau 間 25.5km、1900年開通
アルト・ナーゲルベルク Alt Nagelberg ~ハイデンライヒシュタイン Heidenreichstein 間 13.2km、1900年開通
南線 Südast:
グミュント Gmünd NÖ ~グロース・ゲールングス Groß Gerungs 間 43.3km、1902~03年開通

軌間760mm、非電化

*注 NÖ はニーダーエースタライヒ Niederösterreich(州)の略。

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蒸機列車がヴァルトフィアテルの森を行く
 
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オーストリアで今なお稼働している760mm軌間の軽便鉄道の中で、ドナウ川の北にあるのは、ヴァルトフィアテル鉄道 Waldviertelbahn だけだ。起点はグミュント Gmünd という田舎町で、首都ウィーンから西北西へ直線で120km(下注)、チェコとの国境がもう目前に迫っている。ÖBB(オーストリア連邦鉄道)の最速列車で行っても約2時間かかるその町から、狭軌のか細い線路が北と南へ分かれていく。

一般輸送はすでに旅客・貨物とも廃止され、今は観光鉄道としての機能しか持っていない。だが、数年前に完成した明るく立派なターミナルからは、嬉しいことに夏のシーズン中、毎日欠かさず列車が運行されている。総延長82kmに及ぶ路線網は、まさしく辺境に残された孤高のナロー王国だ。

*注 鉄道の路線距離は、ウィーン(フランツ・ヨーゼフ駅)~グミュントNÖ 間で162km。

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グミュント周辺の鉄道路線の位置関係

6月最初の土曜日、グミュントを訪ねるために、ウィーンの静かなターミナル、フランツ・ヨーゼフ駅 Franz-Josefs-Bahnhof からチェスケー・ヴェレニツェ České Velenice 行のREX(レギオナルエクスプレス、快速列車)に乗り込んだ。Uバーン(地下鉄)に接続する次のシュピッテラウ Spitterau で多数の客を拾うと、列車はものの数分でウィーン市内を抜け出し、ドナウ右岸の河畔林に沿って走っていく。

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ウィーン・フランツ・ヨーゼフ駅
 

トゥルン Tulln で北を向き、ドナウ川を渡った後は、ヴァインフィアテル Weinviertel の緩やかにうねる丘陵地をじわじわと上る。中でもリンベルク・マイサウ Limberg-Maissau 駅の前後は大きなU字ループで、ちょうど谷向こうの鉄橋を降りてくる対向列車の姿を捉えることができた。

この路線はフランツ・ヨーゼフ線 Franz-Josefs-Bahn といい、プラハとウィーンを最短距離で結んでいる。しかし、山地を横断しなければならず、カーブの多いルートになった。それで国際特急はすべて、距離は長くなるものの高速走行が可能な北部本線 Nordbahn、ブルノ Brno 経由で走っており、こちらは実態としてローカル線だ。

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谷向こうを降りてくる対向列車
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目を和ませる菜の花の絨毯
 

遠望が利くのは、ジクムンツヘルベルク Sigmundsherberg あたりまでだろう。後は、畑や林の交錯する中を延々と走る。今は菜の花の咲く季節で、大地を覆うレモンイエローの絨毯が目を和ませるが、沿線に町らしい町は現れないまま、いつしか車窓は平原の風景に変わっていた。

グミュントNÖ 駅で、乗客のほとんどが降りた。駅舎を出ると、道路を隔てて、大屋根をアーチで支えた正面ガラス張りの建物がひときわ目を引く。「ヴァルトフィアテル鉄道」と書かれたパネルも下がっている。2014年に構内を整理縮小し、新たに造ったターミナルの駅舎兼車庫だ。

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(左)グミュントNÖ 駅到着
(右)ポップに改装された駅正面
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ヴァルトフィアテル鉄道のターミナル
 

建物の中に入ると、案内カウンターもある開放的な待合ホールの奥に、島式ホームを挟んでナローゲージが2線並んでいる。車庫を兼ねているので、線路の出口はシャッターつきだ。これとは別に、建物の外側にも、片側にホームをもつ1本の線路が延びている。後で知ったが、蒸機が牽引する列車はここで乗降するのだった。確かに屋内では、煙がこもってしまうに違いない。

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建物内部
(左)待合ホール
(右)プラットホーム 兼 車庫
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建物の外にある蒸機列車用のホーム
 

乗車券を買おうとカウンターで尋ねると、車内で売ります(下注)、と言われた。客の大半は団体かグループで、席を確保するために予約を入れていて、飛び込み客は少ないらしい。満席になっては困るからと、ウィーンを早めに出てきたが、拍子抜けした。空いた時間に市街へ行って、宿に荷物を預けてくることにしよう。

*注 車掌が手売りするので、現金払いのみ可。

列車に乗る前に、ヴァルトフィアテル鉄道の基礎的知識を仕入れておきたい。

まず、鉄道名になっているヴァルトフィアテルだが、これはこの地方の名称だ。ニーダーエースタライヒ Niederösterreich(下オーストリア)は、歴史的に4つのフィアテル(地方)Viertel に区分され、それぞれ主要産業の名で呼ばれてきた。すなわち、

北西部:ヴァルトフィアテル Waldviertel(森林地方の意=林業、鉱業を指す)
北東部:ヴァインフィアテル Weinviertel(葡萄酒地方の意)
南西部:モストフィアテル Mostviertel(果汁地方の意=リンゴ、ナシなどの果実酒醸造を指す)
南東部:インドゥストリーフィアテル Industrieviertel(工業地方の意)

■参考サイト
Wikimedia - ニーダーエースタライヒのフィアテル(エリア図)
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Vierteleinteilung_in_Niederösterreich.png

ヴァルトフィアテルは、ドナウ川 Donau の北側、マンハルツベルク山 Manhartsberg の西側の、文字どおり山がちな一帯を指す。その地方を鉄道が東西に貫いたのは1869年だった。ボヘミアとウィーンを結んで建設された勅許皇帝フランツ・ヨーゼフ鉄道 k.k. priv. Kaiser Franz-Josephs-Bahn (KFLB、下注)、いうまでもなく現在のフランツ・ヨーゼフ線だ。

*注 勅許皇帝フランツ・ヨーゼフ鉄道は、ヘプ Cheb(ドイツ語名:エーガー Eger)~プルゼニ Plzeň(同 ピルゼン Pilsen)~グミュント~ウィーン間およびプラハ Praha ~グミュント間が主要路線で、1884年に国有化された。

鉄道は、グミュントの町の南西でラインジッツ川 Lainsitz を横断し、左岸に駅が設けられたが、それは静かな田舎町を一変させる出来事だった。なぜなら、ただの中間駅ではなく、プルゼニ方面とプラハ方面からの幹線どうしが合流する駅だったからだ。鉄道の運行拠点として機関庫や修理工場が配置され、グミュントはにわかに鉄道の町の様相を呈した(地理的位置は下図1段目参照)。

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ヴァルトフィアテル鉄道のルート変遷
 

経済効果が明らかになるにつれ、周辺の地域でも鉄道建設を求める声が高まるのは、当然の成り行きだった。1895年に公布されたニーダーエースタライヒの鉄道法 Landeseisenbahngesetz で、建設費に対する公的補助制度が確立すると、実際、次々と地方路線が誕生していく。

グミュント周辺では、地元のガラス産業界の要請を受けて、まずグミュントからリッチャウ Litschau とハイデンライヒシュタイン Heidenreichstein に至る北線の計画が具体化された。これは1900年7月に実現した。次いで1902年に南線のグミュント~シュタインバッハ=バート・グロースペルトホルツ Steinbach-Bad Großpertholz 間、1903年にはグロース・ゲールングス Groß Gerungs までの全線が開通した(上図2段目参照)。さらに北と南へ延伸する構想も立てられていた(下注)のだが、第一次世界大戦の勃発で実現せずに終わった。

*注 北線では、ボヘミアのノイビストリッツ Neubistritz(現 ノヴァー・ビストジツェ Nová Bystřice)で既存の狭軌路線への接続、南線では、ドナウ河畔のクレムス Krems やグライン Grein への延伸が構想された。

その戦争中、オーストリア一円の760mm軌間鉄道から機関車や車両が徴発され、バルカン半島の主戦場へ送達された(下注)。しかし、それよりも大きな問題をヴァルトフィアテル鉄道にもたらしたのは、戦後処理だった。

*注 ボスニアには760mm軌間による大規模な路線網が築かれており、そのため、ドイツ語圏ではこの軌間を「ボスニア軌間 Bosnische Spur / Bosnaspur」と呼ぶ。

1919年に結ばれたサン・ジェルマン条約で、ラインジッツ川左岸のグミュント中央駅 Gmünd Hbf(および狭軌線のグミュント地方鉄道駅 Gmünd Lokalbahnhof)とその周辺が、ニーダーエースタライヒから分離され、新生チェコスロバキア共和国(以下、チェコという)に属することが確定したのだ。それに伴い、駅はチェコ語の地名に基づきチェスケー・ヴェレニツェ České Velenice 駅(下注)に改称された。

*注 もとのドイツ語地名であるヴィーランツ Wielands をチェコ語に言い換えたもので、「チェコのヴィーランツ」を意味する。

グミュントが運行拠点のヴァルトフィアテル鉄道にとって、これは頭を抱える裁定だった。1920年7月の条約発効後しばらくの間、チェコ側では列車を空のまま発車させ、国境を越えたオーストリア側の最初の停留所で客を乗せる措置がとられた。しかし、1922年に国鉄が、オーストリア側に以前からあったグミュント・シュタット Gmünd Stadt 停留所を駅に改修するのに合わせ、狭軌の線路も延伸して、ここを列車の起点とした(上図3段目参照)。

ただしこの時点では、機関庫と修理工場はチェコに残されたままで、北線も一部でまだチェコ領を通っていた。そのため、機関車は相変わらず旧駅の機関庫をねぐらにしており、新駅との間を回送で走った。また、北線の列車は、チェコ領を無停車(下注)で通過するコリドーアツーク Korridorzug(回廊列車)の形で、リッチャウ方面へ向かったのだ。

*注 短絡線ができる1947年までは旧駅で折り返していたので、停車はしたが乗降はできなかった。

なお、この間1921年にオーストリア連邦鉄道 Österreichische Bundesbahnen(BBÖ、後にÖBB) 、いわゆる国鉄が成立し、狭軌鉄道も国鉄に引き継がれている。

第二次世界大戦もまた、ヴァルトフィアテル鉄道に多大な影響を及ぼした。第一に、チェスケー・ヴェレニツェの鉄道施設が、空爆に曝されて使用できなくなった。そのため、グミュント・シュタット(1946年に「グミュントNÖ」に改称)に、新たに狭軌用の機関庫と修理工場が整備された。

第二に、回廊列車の運行を嫌ったチェコスロバキアが、オーストリア側における短絡ルートの建設を促した。チェコが費用を負担して新線が造られ、こうして1950年12月から、北線はチェコ領を通らない現行ルートで走るようになったのだ(上図4段目参照)。

なお、新線開通によりグミュントNÖ 駅西方の三角線は不要となったが、車両の方向転換用にまだ残されている。しかし、蒸機は復路でも向きを変えず、バック運転、いわゆる逆機で戻ってくるため、日常運用でこれが使用されることはない。数奇の歴史を秘めた三角線だが、レールはもはや錆びついてしまっている。

三角線とそれに続くチェスケー・ヴェレニツェ駅前までの廃線跡の現状は、下の写真を参照されたい。

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グミュントNÖ 駅西方の三角線(下図①)
気動車が通っているのが三角形の他の一辺
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(左)立体交差するÖBB線の列車から三角線を北望
(右)三角線の西端は国境手前で途切れている
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(左)国境のラインジッツ川を渡る廃線跡遊歩道(②)
右手前にÖと刻まれたオーストリアの国境標が見える。この付近ではラインジッツ川の中心線に国境があるが、鉄橋とその敷地はチェコ領のため、国境線がこうして川の右岸(東側)に張り出している(南にある標準軌線の橋梁も同様)。
(右)チェコ側も遊歩道に(③)
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チェスケー・ヴェレニツェ
(左)街角の路地が遊歩道入口(④)
(右)駅までの廃線跡は公園化され、マロニエの並木が続く(⑤)
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現 チェスケー・ヴェレニツェ駅舎は戦後の再建(⑥)
駅前にあった狭軌線施設も戦災に遭い、解体撤去された
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グミュント周辺の地形図に廃線跡等を加筆
図中の①~⑥は上掲の写真の撮影位置
Image from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA
 

ようやく運行体制を整えたヴァルトフィアテル鉄道だったが、戦後は自動車交通の進展に伴い、緩やかな衰退に向かい始める。蒸気機関車が定期運行を担うオーストリア最後の鉄道(登山鉄道を除く)として、ファンの人気を集めたのもつかの間、1986年にハイデンライヒシュタイン支線を含む北線の一般旅客輸送が、1992年にはハイデンライヒシュタイン支線の貨物輸送が休止となった。2000年には南線の貨物輸送、2001年1月に北線で残っていた貨物輸送の休止と段階的な縮小が実施され、ついに2001年6月9日、南線における一般旅客輸送の終了をもって全線休止となったのだ。

一方、観光列車の運行が1979年に開始されており、一般輸送廃止後は、もっぱら観光による地域開発のために鉄道が維持されている。運行事業者は、州の公営企業であるニーダーエースタライヒ運輸機構有限会社 Niederösterreichische Verkehrsorganisations-Ges.m.b.H (NÖVOG) だが、2010年にはインフラもÖBBから移管されて、鉄道運営の一元化が図られた。

なお、北線のハイデンライヒシュタイン支線(アルト・ナーゲルベルク Alt Nagelberg~ハイデンライヒシュタイン間)については、非営利法人のヴァルトフィアテル狭軌鉄道協会 Waldviertler Schmalspurbahnverein (WSV) が「ヴァッケルシュタイン急行 Wackelstein-Express」の名で走らせている。

狭軌鉄道の車両群は、基本的にグミュントが拠点だ。日常的に使われるのは、1986年ノッツ Knotz 社製5090形気動車3両(VT08、VT11、VT13)で、その塗色から「金色のディーゼルカー Goldener Dieseltriebwagen」と呼ばれる。オーストリアの多くの760mm軌間で運行の主力を担っているものと同形式の車両だ。

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5090形気動車
 

北線で日祝日、南線で水・土曜に走る古典列車編成は、蒸気機関車またはディーゼル機関車が牽引する。前者はクラウス社 Krauss & Co による1906年製のテンダー蒸機で、Mh.1 および Mh.4 の2両が在籍している。もともと山岳路線のマリアツェル鉄道 Mariazellerbahn 向けに造られており、連続勾配・急曲線に適応した性能をもつ。南線の「ヴァルトフィアテルのゼメリング Waldviertler Semmering」と呼ばれる山登り区間が、一番の見せ場だ。後者は1950~60年代製の機械式ディーゼル機関車で、V5とV12の2両が就役している。

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蒸機 Mh.4 が2軸客車を牽く
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ディーゼル機関車 V5 と V12
 

観光輸送に特化されたヴァルトフィアテル鉄道は、シーズン限定の運行だ。2019年の場合、北線は5月1日~9月29日、ハイデンライヒシュタイン支線は7月13日~9月1日、南線は4月27日~10月27日で、しかも7月~9月第1週のハイシーズン以外は平日(水曜を除く)運休になる。また、1日の運行本数も1本から多くて3本までなので、訪問する際は、運行日と時刻表をよく確かめておく必要がある。

では次回、まず北線から、路線の特色や車窓風景について紹介しよう。

本稿は、Paul Gregor Liebhart und Johannes Schendl "Die Waldviertelbahn - Eine nostalgische Reise mit der Schmalspurbahn" Sutton Verlag, 2017 、鉄道内各駅設置パネル、および参考サイトに挙げたウェブサイトを参照して記述した。

■参考サイト
ヴァルトフィアテル鉄道(公式サイト)  https://www.waldviertelbahn.at/
ヴァルトフィアテル狭軌鉄道協会(ヴァッケルシュタイン急行) http://www.wsv.or.at/cms/

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2019年7月27日 (土)

ウィーン地方鉄道(バーデン線)III-郊外ルート

前回の続きで、ウィーン地方鉄道 Wiener Lokalbahnen (WLB)、いわゆるバーデン線 Badner Bahn の郊外ルートを追っていこう。

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グントラムスドルフの併用軌道を行く
 

シェディフカプラッツ Schedifkaplatz 電停を出発すると、WLBの列車は専用線の上を、これまでとは見違えるような速度で走り出す。そして電停を二つ過ごした後、右に折れて南下を始める。最初の直線コースにあるインツェルスドルフ・ロカールバーン Inzersdorf Lokalbahn 電停の周辺は、前回述べたヴォルフガングガッセに代わるWLBの新しい運行拠点だ。駅の北側に修理工場、駅前に新社屋、南側に各200mの留置線6線をもつ車庫が整備されている。

ノイ・エアラー Neu Erlaa で4車線道路を横断し、その左側をしばらく並走する。この道は連邦道B17号線、トリエスター・シュトラーセ(トリエステ通り)Triester Straße という。ハプスブルク帝国の時代、自国領だったアドリア海の港町トリエステ Trieste(現 イタリア領、ドイツ語名:トリエスト Triest)に向かっていた主要道路だ。

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(左)ノイ・エアラー電停の南でトリエステ通りを横断
Photo by Falk2 at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
(右)フェーゼンドルフ・ジーベンヒルテン電停から北望
  左をトリエステ通りが並走する
Photo by Linie29 at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

WLBのルートを大局的に眺めると、起点オーパーからずっとこの天下の大道に沿っていて、途中でマイドリングに寄り道する形になっている。最初は国鉄との間で、煉瓦など取扱貨物の受渡しをするのが主な目的だったのだろうが、マイドリング駅が近年にわかに重要性を高めたことを思えば、ルート選定に先見の明があったと言わずにはいられない。

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WLB線のルートと電停(市街地の電停は省略)
 

輸送の動脈としての役割を並行するアウトバーン(A2号線)に譲ったとはいえ、B17号線は今も交通量の多い道路で、沿線には商業施設が林立する。前回も触れたフェーゼンドルフ Vösendorf のショッピング・シティ・ジュート Shopping City Süd (SCS) はその代表的なものだ。郊外区間の前半、WLBの車窓は、日本にもありがちなロードサイドの風景が続くのだが、その中で、昔からある町の中心部だけは古い駅舎が残っていて(下注)、のんびりと走っていたであろう郊外鉄道の面影をとどめている。

*注 古い駅舎が残るのは、フェーゼンドルフ・ジーベンヒルテン Vösendorf-Siebenhirten、ウィーナー・ノイドルフ Wiener Neudorf(後述)、グントラムスドルフ Guntramsdorf(後述)、トライスキルヘン・ロカールバーン Traiskirchen Lokalbahn(後述)、トリーブスヴィンケル・ヨーゼフスタール Tribuswinkel-Josefsthal など。

たとえばウィーナー・ノイドルフ Wiener Neudorf の駅舎は、小ぶりながら、切妻をいくつも交差させた凝った構造が目を引く。妻面の瀟洒な意匠といい、ホーム側の屋根庇といい、鉄道模型にしたくなるような愛らしい建物だ。屋内で新聞やタバコの売店、いわゆるトラフィク Trafik が営業しているのもレトロな趣きを加える。ここを終点とする区間便も多いので、駅舎のウィーン方には、頭端式ホームが設けられている。

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ウィーナー・ノイドルフ駅舎
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ウィーナー・ノイドルフ電停
(左)ウィーン方にある当駅始発の列車が入る頭端式ホーム
(右)バーデン方を望む
 

グントラムスドルフ Guntramsdorf のそれは、寸胴型の切妻造りだが、軒下の葡萄模様の飾りにひと工夫が感じられる。線路側には本物の葡萄の蔓が差し渡され、柔らかいレモン色の壁に彩りを添える。町の西側、ウィーンの森 Wienerwald の南東斜面には葡萄畑が広がっていて、テルメンレギオーン Thermenregion(温泉地方の意、下注)として括られるワインの産地であることを思い起こさせる。

*注 ウィーン盆地と東部アルプスの間の断層を通って、バーデン Baden やバート・フェスラウ Bad Vöslau などの温泉が湧出するため、この名があり、ワインの産地名にもなっている。

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グントラムスドルフ・ロカールバーン駅舎
軒先の柱頭飾りは葡萄の葉を象る
 

話のついでに、グントラムスドルフでは、南にある長さ約400mの併用軌道にも注目したい。ウィーン市内でずっと通ってきたので目に慣れてしまっているが、普通鉄道にそれがあるのは、実は異例だ。そのため、この区間では厳しく速度が制限され、旅客列車は25km/h、貨物列車を通す場合は、19.8‰の下り勾配であるバーデン方向が10km/h、ウィーン方向は20km/h以下で走行しなければならない。

現地で観察してみると、このフェルトガッセ Feldgasse という通りは、車道の幅が線路2本分ぎりぎりだ。車が退避できる余地はどこにもない。しかも中途にあるカーブで見通しが悪いから、通行は要注意だ。走る車がやや飛ばし気味だったのは、列車を警戒しているからだろうか。なお、坂道でレールの溝にはまる恐れもあるので、自転車は通行不可になっている。

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グントラムスドルフの併用軌道
(左)軌道が街路を占領
(右)車は列車の後につく
 

続くアイゲンハイムジードルング Eigenheimsiedlung とメラースドルフ Möllersdorf 両停留所の間では、珍しく線路の両側に耕作地が広がる。わずか700mほどだが、都市化が進む以前の車窓風景が体験できる貴重な区間だ。

*注 メラースドルフは、WLBの旧車両や資料を展示しているトライスキルヘン市立博物館 Stadtmuseum Traiskirchen の最寄り電停でもある。

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両側に耕作地が広がる風景
 

トライスキルヘン Traiskirchen も昔からの町で、同じように古い駅舎が残る。町の東のはずれにあるÖBBの駅(トライスキルヘン・アスパングバーン Traiskirchen Aspangbahn 駅、下注)と区別するために、電停の正式名称はトライスキルヘン・ロカールバーン Traiskirchen Lokalbahn という。ちなみにこのÖBBインネレ・アスパング線 innere Aspangbahn とWLBは、トライスキルヘン駅南方の貨物線でつながっている。

*注 ここを通るインネレ・アスパング線は、平日のみ運行の近郊ローカル線だが、歴史を遡れば、ウィーンとテッサロニキ(ギリシャ)を結ぼうとした壮大な鉄道計画の断片。

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トライスキルヘン電停
 

まっすぐ南下していた軌道が右に左にと大きくカーブを切る頃には、旅もいよいよ終盤だ。左車窓に多数の側線が見えてくる。インネレ・アスパング線から来る貨物列車の目的地だったバーデン・レースドルフ貨物駅 Baden Leesdorf Frachtenbahnhof だが、貨物輸送が途絶えた今は、保線用の資材置き場にされている。

南端にあるバーデン・ランデスクリーニクム(州立病院)Baden Landesklinikum は、2014年に開業したWLBで最も新しい電停だ。線路はここで単線になり、ヴァルタースドルファー・シュトラーセ(ヴァルタースドルフ通り)Waltersdorfer Straße の右端にすっと収まる。ここからは再び路面軌道で、旧市街に向けて西へ最後の2kmとなる。路上最初の電停バーデン・レースドルフ Baden Leesdorf は、南側(進行方向右側)にクリーム色をしたWLB車庫の壁面が長く続いている。

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(左)バーデン・レースドルフ貨物駅は資材置き場に
(右)車庫の壁に面するバーデン・レースドルフ電停
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バーデン市街地のWLBルート
破線は廃止された路線跡
Image from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA
 

前々回にも触れたように、バーデン市内の併用軌道の歴史は古く、バーデン・トラムウェー会社 Badener Tramway-Gesellschaft による1873年開業の馬車路面軌道に遡る。それは、ここレースドルフを起点に、ヨーゼフスプラッツ Josefsplatz を経て、西郊のラウエンシュタイン Rauhenstein に至るものだった。レースドルフ車庫の建物は、馬車軌道が電気運転に転換される際(1894年)に建てられている。

そうと知れば、どうしてこの位置に車庫があるのか、そしてなぜ車庫の入口がバーデン側を向いているのかも腑に落ちる。馬車軌道のころは町はずれで、しかも横にシュヴェヒャト川 Schwechat の水場があり、馬を飼うには格好のロケーションだったに違いない。WLBは1897年にこの軌道会社を買収し、運行設備を引き継いだ。それから1世紀を越えてなお、車庫は同じ場所で綿々と使われ続けているのだ(下注)。

*注 近年では、1986年に列車の長編成化に対応するために増築された。

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レースドルフ車庫の正面
右側はシュヴェヒャト河岸の木立
 

レースドルフ車庫のファサード(正面)は、煉瓦で三基の小塔が組まれ、半円の明り取り窓が三つ開いている。屋根部の縁取りや水平に渡した帯の装飾も、繊細で見ごたえがある。前回紹介した1942年築の旧 ヴォルフガングガッセ車庫のファサード(裏側)も、この歴史的な建物のデザインを継承したことが明らかだ(下注)。

*注 なお、同車庫の表側は、裏側に比べてデザインが単純なため、後年の修復であろう。

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意匠が似る車庫のファサード
(左)レースドルフ車庫
(右)旧 ヴォルフガングガッセ車庫の裏側
 

通りを西へ進み、ÖBB南部本線の高架をくぐると、バーデン・ヴィアドゥクト(高架橋)Baden Viadukt 電停がある。この前だけは複線で、併用軌道区間で唯一、列車交換が可能だ。右手後方には、2004年にスマートな駅舎に建て替えられたÖBBのバーデン駅が見える。WLBの前身の一つ、バーデン路面軌道はヴィアドゥクト電停からこの駅前に入って、バーデン南部鉄道駅 Baden Südbahnhof という電停を設けていたが、1928年という早い時期に廃止されてしまった。

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ÖBB南部本線の高架をくぐる
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ÖBBバーデン駅
 

駅前を含め、バーデン旧市街を取り巻く通りは、ウィーンのそれを真似てリング Ring と呼ばれてきた(実際は矩形に近いが)。リングの南辺に当たるのが、WLBが通っているカイザー・フランツ・ヨーゼフ・リング Kaiser Franz Joseph-Ring で、どことはなしに上品な雰囲気が漂う。ここでは軌道は道路の中央に敷かれている。もとは複線だったのだが、道路交通の妨げになるとして、1968年に単線化されて以来、そのままだ。

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(左)待避線のあるバーデン・ヴィアドゥクト電停
(右)カイザー・フランツ・ヨーゼフ・リングの併用軌道を行く
 

ヴィアドゥクトから約600mで通りから右にそれ、終点のバーデン・ヨーゼフスプラッツ Baden Josefsplatz に到着する。以前あった終端ループは1989年に廃止され、現在は、広場に突っ込む形の2本の頭端線をもつターミナルだ。ループ跡は広場と街路に整備され、痕跡をとどめない。

電停前にはWLBのオフィスがあって、観光案内にも応じてくれる。電停からまっすぐ北へ行く街路は、三位一体柱 Dreifaltigkeitssäule のそびえるハウプトプラッツ(中央広場)に通じる。そこが、バーデン旧市街の中心部だ。

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終点バーデン・ヨーゼフスプラッツ
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(左)頭端式ホームはかつての終端ループの一部
(右)電停横にあるWLBのオフィス
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バーデン旧市街
三位一体柱と市庁舎(中央)
 

■参考サイト
ウィーン地方鉄道  http://www.wlb.at/
ウィーン市交通局  https://www.wienerlinien.at/
Stadtverkehr Austria  http://wiki.stadtverkehr.at/

★本ブログ内の関連記事
 ウィーン地方鉄道(バーデン線)I-概要
 ウィーン地方鉄道(バーデン線)II-市街地ルート

2019年7月20日 (土)

ウィーン地方鉄道(バーデン線)II-市街地ルート

ウィーンの街は、シュテファン大聖堂 Stephansdom を中心として同心円状に拡がっている。そのうち、旧市街をあたかも年輪のように縁取っているのが、リング Ring(英語と同じく環の意)と呼ばれる幅広の環状道路だ。1860年代に古い市壁を取り壊すとともに、その外側にあった緩衝地帯を再開発するにあたって造られた大通りで、国会議事堂、市役所、大学、博物館など街を代表する豪壮な建築が建ち並ぶ。

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ウィーン国立歌劇場(左)の前を出発するバーデン行きの列車
 

ウィーン地方鉄道 Wiener Lokalbahnen (WLB)、いわゆるバーデン線 Badner Bahn のターミナルはその一角、ケルントナー・リング Kärntner Ring の南側にある。電停名「ウィーン・オーパー Wien Oper」は、筋向いで威容を見せるオペラの殿堂、ウィーン国立歌劇場(シュターツオーパー)Wiener Staatsoper から取られている。

ここは昔から旧市街の南口として、市壁があった時代はケルンテン門 Kärntnertor が置かれていた(下注)。今もUバーン(地下鉄)や市電の主要系統が集まる、まさに交通の一等地だ。

*注 ケルンテン Kärnten の名はオーストリア南部の地方(現在は州)名に由来する。門を通過していたケルントナー・シュトラーセ(ケルンテン通り)Kärntner Straße は、ウィーンの目抜き通りの一つ。

ターミナルとはいっても、大通りの一部を使っているので、構造は狭い敷地に2線を並べた簡素なものに過ぎない。進行方向右側がウィーン地方鉄道(以下、WLBという)、左側がマイドリング Meidling まで同じルートを走る市電62系統のホームだ。前後は街路を利用した大きな単線ループで、反時計回りの一方通行になっている。WLBも市電も頻繁運転しているから、遠路はるばる到着した列車でも長居はできない。ものの数分で、後の列車に場所を空けるために出発していく。

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ウィーン・オーパー電停
(左)市内ではWLBと62系統が同じルートを走る
(右)ウィーン市電の電停標識
 

ちなみに、市電の電停は、Uバーンの駅名を取り入れて 「オーパー、カールスプラッツ Oper, Karlsplatz」だ。片やその手前300mに、WLBと62系統の「カールスプラッツ」電停(オーパー方面の列車のみ停車)もあるから、注意を要する(下図参照)。

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ウィーン・オーパーおよびカールスプラッツ周辺の詳細図
赤がWLBのルート
黒はウィーン市電
薄茶はUバーン(地下鉄)
Data source: www.basemap.at, License: CC-BY 4.0
 
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ウィーン市街地のWLBルート(オーパー~シェディフカプラッツ)
薄赤は地下区間
破線は廃止された旧ルート
Image from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA
 

オーパーを発車すると、列車は交差点を左折して、ケルンテン通り Kärntner Straße、次いでヴィーデン中央通り Wiedner Hauptstraße を南下する。4つ目の電停、「ワルツ王」ゆかりのヨーハン・シュトラウス・ガッセ Johann-Strauß-Gasse(下注)の後、軌道は道路の下へ潜っていく。1969年に開通した、ウーシュトラープ Ustrab(舗道下路面軌道 Unterpflaster-Straßenbahn の略)と呼ばれる地下区間だ。

*注 この通りに、ヨハン・シュトラウス2世が1878年からその死(1899年)まで暮らした邸があった。跡地の建物の壁に記念プレートが嵌め込まれている。

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ヨーハン・シュトラウス・ガッセ電停
(左)オーパー方面のホーム
(右)電停の南で地下区間へ潜る
 

地上にはギュルテル Gürtel(帯、ベルトの意)という、ウィーン市街地を半周する環状道路が走っている。19世紀末から20世紀初めにかけて、外側の市壁(リーニエンヴァル Linienwall)の跡地に整備されたもので、リングとそれに隣接するいわゆる2号線 Zweierlinie を「内環(うちかん)」とすると、ギュルテルは「外環(そとかん)」に相当する。シュピッテラウ Spittelau、ウィーン西駅、旧 南駅・東駅(現 中央駅)など、鉄道の主要駅を連絡していて、市内でも特に混雑が激しい大通りだ。

地下区間は、交通渋滞の緩和と列車の円滑な運行を目的として造られた。全体で3.4kmの長さがあるが、そのうちWLBが通過するのは、ラウレンツガッセ Laurenzgasse からアイヘンシュトラーセ Eichenstraße まで4か所の電停を含む約2kmだ。途中のクリーバーガッセ Kliebergasse では、中央駅方面から来る18系統の軌道に急曲線で合流し、次のマッツラインスドルファー・プラッツ Matzleinsdorfer Platz で、1、6両系統を左に分ける。地上の設備をそっくり移設したと言えばそれまでだが、地下の直角分岐というのは非日常感を漂わせる。

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ウーシュトラープ(地下区間)
(左)クリーバーガッセ電停の直角カーブ
(直進は中央駅方面(18系統)、左折はオーパー方面)
Photo by Falk2 at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
(右)アイヘンシュトラーセ、地下区間の西端
 

アイヘンシュトラーセの先で軌道は地上に復帰するが、近くに重要な見どころがある。それはヴォルフガングガッセ Wolfganggasse 車庫の跡だ。もとは1942年に都心区間をいったん廃止した際に代替として造られたターミナルで、1947年の全線再開後もウィーン側の車庫として使われていた。敷地内に電停もあり、この前後区間だけWLBは、62系統と別れて独自の軌道を通っていたのだ。

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ヴォルフガングガッセの旧拠点
(左)WLB旧社屋(右)車庫裏側
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かつてのヴォルフガングガッセ電停と車庫
(2018年2月25日撮影)
Photo by Paul Korecky at wikimedia. License: CC BY-SA 2.0
 

しかし、郊外のインツェルスドルフ Inzersdorf に新しい車両基地が完成したことから、ヴォルフガングガッセ車庫と前後の軌道は2018年3月末で廃止された。翌4月1日からWLBの列車は、62系統のルートを通ってマイドリングへ向かうようになった。

今年(2019年)5月末に現地を訪れたところ、まだ電停や車庫はまだ原形をとどめていたが、軌道には草が生え、一部で地面の掘り起こしが始まっていた。北隣の公園を含む車庫跡地約3.5haは、WLB旧社屋のある南側の区画1.4haとともに、市当局からすでに再開発計画が発表されている。車庫は残して商業施設に活用する意向だが、周辺は更地化されて、アパートや老人福祉施設の建設が始まるようだ。

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廃止1年後のヴォルフガングガッセ電停と車庫
(2019年5月31日撮影)
 

アスマイヤーガッセ Aßmayergasse で、上下線は二手に分かれて狭い街区を走り抜ける。500mほどで再び合流すれば、もうÖBBのマイドリング駅が目の前だ。

マイドリングは、かつて南部本線 Südbahn と市電の乗換駅に過ぎなかった。ところが、U6号線(地下鉄)の延伸とSバーン(市内・近郊列車)の充実に加え、近年は、ウィーン中央駅 Wien Hbf と西部本線ラインツトンネル Lainzer Tunnel の完成によって、東西南北すべての幹線(下注)から優等列車を受け入れるようになった。今や、市内交通と近郊・長距離交通の重要な結節点だ。

*注 北部本線 Nordbahn=チェコ方面、東部本線 Ostbahn=ハンガリー方面、南部本線 Südbahn=グラーツおよびスロベニア・クロアチア方面、西部本線 Westbahn=ザルツブルクおよびドイツ方面。

実際、中央駅出発時にはまだ空席が目立つザルツブルクあるいはグラーツ行きのレールジェット Railjet(特急列車)も、次のマイドリングで大勢乗り込んできて、席が埋まる。Sバーンと長距離線の乗換えは中央駅でも可能だが、両者のホーム間にかなりの距離がある。それでホームが近接しているマイドリングでの乗換えが断然便利なのだ。

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(左)ÖBBマイドリング駅
(右)駅前のマイドリング中央通り Meidlinger Hauptstraße
 

そのマイドリング駅に対応するWLBの電停は、おもしろいことに3か所もある(下図参照)。一つ目は東側のデルフェルシュトラーセ  Dörfelstraße で、ÖBB駅東口の前だ。二つ目がずばりバーンホーフ・マイドリング(マイドリング駅)Bahnhof Meidling で、ÖBB駅の実質的な中央口である西口、U6号線、そして駅前商店街に直結している。

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ウィーン・マイドリング周辺の詳細図
赤がWLBのルート
黒はウィーン市電
薄茶はUバーン(地下鉄)
Data source: www.basemap.at, License: CC-BY 4.0
 

WLBの列車はこの後、フィラデルフィア橋 Philadelphiabrücke(下注)でÖBB線をまたぎ越し、その南詰で、オーパーから延々62系統と共用してきた市電軌道と別れる。左へ右へと急曲線が連続するので、3ユニットの長い編成が通ると、まるで大蛇がのたうち回っているようだ。路面軌道では原則的に目視走行だが、ここからは地方鉄道 Lokalbahn で、法規上は普通鉄道 Vollbahn の扱いとなるため、鉄道信号機が現れる。

*注 南部本線の前身、ウィーン=グロクニッツ鉄道 Wien–Gloggnitzer Eisenbahn で最初に使われた蒸気機関車が米国フィラデルフィア市から来たことから、この名がある。ちなみにU6号線のマイドリング駅は、2013年までフィラデルフィアブリュッケ(フィラデルフィア橋)駅だった。

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フィラデルフィア橋を渡れば、市内軌道ともお別れ
 

自前路線の最初の電停は、シェディフカプラッツ Schedifkaplatz だ。名前からは想像できないが、ここがマイドリング駅の三つ目の乗換電停になっている。西口地下道の南端で地上に上がると、この電停の前に出られる。WLBの郊外区間(バーデン方面)とSバーン・U6号線とを乗り継ぐ客は、もっぱらここを利用するので、利用者数はWLBの電停の中で最も多く、年間130万人に上る。近年、施設が改修され、屋根付きのモダンなホームに生まれ変わった。地下道から屋根がつながったので、雨に濡れずに乗り継げるのも人気の理由だろう。

ちなみに、2番目に利用者が多いのは南へ7つ目、大型ショッピングセンター最寄りのフェーゼンドルフ・ショッピング・シティ・ジュート Vösendorf Shopping City Süd (Vösendorf-SCS) で、年間120万人だ。すなわち、この2電停の間が現在、WLBの最混雑区間となっている。

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シェディフカプラッツ電停
 

次回は、シェディフカプラッツから先、郊外区間の見どころを紹介する。

■参考サイト
ウィーン地方鉄道  http://www.wlb.at/
ウィーン市交通局  https://www.wienerlinien.at/
Stadtverkehr Austria  http://wiki.stadtverkehr.at/

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2019年7月13日 (土)

ウィーン地方鉄道(バーデン線)I-概要

ウィーン地方鉄道(バーデン線)
Wiener Lokalbahnen (Badner Bahn)

ウィーン・オーパー Wien Oper ~バーデン・ヨーゼフスプラッツ Baden Josefsplatz 間 30km(ウィーン市電への乗入れ区間 5kmを含む、下注)
軌間1435mm(標準軌)
直流600V電化(ウィーン市電区間(オーパー~シェディフカプラッツ間))
直流750V電化(シェディフカプラッツ~インツェルスドルフ間)
直流850V電化(インツェルスドルフ~バーデン間)
1899年全通、1907年全線交流電化、1945年直流化

*注 路線長については、ウィーン市電区間の正確な数値が不明なため、ÖBB時刻表 1999/2000年版掲載のキロ数によった。

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ウィーナー・ノイドルフ駅
小ぶりな駅舎が郊外色を醸し出す
 

街路を走る路面電車(トラム)を普通鉄道線に乗入れさせて、都心と郊外を乗り換えなしで結ぶ列車運行システムを、トラムトレイン Tram-train と呼ぶ。1990年代にドイツのカールスルーエ Karlsruhe で導入されたのをきっかけに、世界各地に広まった。それが注目されたのは、ライトレールとヘビーレールという規格の違いを現代の技術で克服した斬新な方式だったからだ。

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ところが、今から100年以上も前にこのコンセプトを実現していた鉄道が、オーストリアの首都ウィーン Wien と近郊の保養地バーデン Baden(下注1)の間で、今も走っている。正式にはウィーン=バーデン地方鉄道 Lokalbahn Wien–Baden というのだが、運行会社名から「ウィーン地方鉄道 Wiener Lokalbahn (WLB) 」として知られ、さらにウィーン市民は親しみを込めて「バードナー・バーン Badner Bahn」、すなわちバーデン線と呼ぶ。これから3回にわたり、この古くて新しいトラムトレイン(下注2)を紹介したい。

*注1 バーデン Baden は普通名詞では湯治、水浴を意味し、他にも同じ地名があるため、バーデン・バイ・ウィーン Baden bei Wien (ウィーン近傍のバーデン)と呼んで区別することがある。
*注2 ただし、イギリスのLRT協会 Light Rail Transit Association は、この鉄道をインターアーバン・トラム(都市間トラム)Interurban tram に分類している。

まずは、路線図をご覧いただこう(下図)。

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ウィーン~バーデン間の鉄道路線の位置関係
赤がWLB線(市街地の電停は省略)
 

上方がウィーン旧市街で、ウィーン地方鉄道(以下 WLB)のターミナル、ウィーン・オーパー Wien Oper があるのはその南端だ。そしてこの電停は、ウィーン市電62系統(オーパー Oper ~ラインツ Lainz)の起点でもある。WLBの列車は、市街地を抜けるウィーン・マイドリング Wien Meidling(下注)まで、62系統と同じルートを走っていく。

*注 正確にはマイドリング~シェディフカプラッツ間で62系統の軌道と分岐する地点。

そこから先は自社の専用線になり、郊外の商業地を直線的に南下する。ウィーナー・ノイドルフ Wiener Neudorf、グントラムスドルフ Guntramsdorf、トライスキルヘン Traiskirchen といった昔からある町を経由した後、バーデンの市街地に達する。ここで再び路面軌道となり、旧市街に接した終点ヨーゼフスプラッツ(ヨーゼフ広場)Josefsplatz で旅を終える。全線30km、所要約1時間の道のりだ。

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始発駅オーパー
リング(環状道路)沿いの一等地にある
 

だが、この直通ルートは最初から意図して造られたわけではない。WLB線のルーツは、ウィーン南郊の煉瓦を運んでいた路面軌道と、バーデン市内の路面軌道という、全く性格の違う二つの独立した路線だ。

前者は1886年に開業した、ウィーン・ガウデンツドルフ Wien-Gaudenzdorf(下注)からウィーナー・ノイドルフ Wiener Neudorf に至る蒸気路面軌道に始まる。当時はまだ市街地を半円に囲む外側の市壁 Linienwall が残っており、まさにそれを撤去して、環状道路(ギュルテル Gürtel)と新市街地の建設が進められようとしていた。軌道の主な目的は、ノイドルフにある煉瓦工場から拡張を続けるハプスブルクの首都へ、建築資材の煉瓦を運搬することだった。

*注 現在のU4号線マルガレーテンギュルテル Margaretengürtel 駅付近。

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復元された煉瓦貨車
(トライスキルヘン市立博物館 Stadtmuseum Traiskirchen の展示)
Photo by Karl Gruber at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

しかしその2年後、ウィーン地方鉄道(WLB)が設立され、路線は地方鉄道 Lokalbahn(下注)に性格を変えて、延伸が図られることになる。1893年にはウィーン側でマッツラインスドルファー・プラッツ Matzleinsdorfer Platz へ、1895年には南側でグントラムスドルフへ線路が延びた。

*注 地方鉄道(ロカールバーン)とは、幹線網を補完するために、緩和した規格で認可を受けた地方路線。

一方、バーデンではすでに1873年から、レースドルフ Leesdorf からシュヴェヒャト川 Schwechat に沿ってラウエンシュタイン Rauhenstein へ遡る路面軌道が営業していた。当初馬が車両を牽いていた軌道は1894年7月に電化され、オーストリアで2番目の電化路線となった(下注)。WLBはバーデン乗入れを実現するために、1897年にこの軌道を買収する。そして1899年に、残された間隙であるグントラムスドルフ~バーデン・レースドルフ間を完成させて、ウィーンとバーデンの間を1本の路線で結んだのだ。

*注 オーストリア初の電化鉄道はメードリング=ヒンターブリュール地方鉄道 Lokalbahn Mödling–Hinterbrühl で、1883年開業(最初から電化されており、架線集電では世界初)、1932年廃止。

その後、1906年にバーデン側の終点がヨーゼフスプラッツ Josefsplatz まで、1913年にはウィーン側の起点がオーパーまで延長され、現在の運行区間が確立された。

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バーデン市内の併用軌道
旧馬車軌道時代からの由緒あるルート
 

上の路線図に示した通り、両都市間には、国鉄(現 ÖBB(オーストリア連邦鉄道))の南部本線 Südbahn も走っている。この点で両者は、日本の官鉄とそれに並行して造られた都市間私鉄の関係に似ている。知られているように、こうした私鉄は電車を導入し、運行頻度を高め、停留所をこまめに置くといったサービスを展開して、官鉄から乗客を奪った。

WLBも1906年に全線電化を完成させ(下注1)、1910年に旅客数がピークに達したのだが、この状況は長く続かなかった。というのも、続く1920年代は第一次世界大戦後の国を覆う経済不況に加えて、バスや自動車という道路交通のライバルが台頭する時期だったからだ。WLBは食堂車を運行したり、入湯割引券つき乗車券を売り出すなど果敢に応戦したものの、併営していたバーデン市内の軌道線は休止に追い込まれた(下注2)。

*注1 南部本線の電化は半世紀遅れて、1956年にまず南駅 Südbahnhof ~グロクニッツ Gloggnitz 間で実施されている。
*注2 ラウエンシュタイン線(ヨーゼフスプラッツ以西)は1931年、市内環状線 Ringlinie は1928年、フェスラウ線 Elektrische Baden–Vöslau は1951年に廃止。

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バーデン露天浴場 Thermalstrandbad Baden 前を行く
ラウエンシュタイン線(バーデン=ラウエンシュタイン路面軌道)
(1926~31年ごろ)
Photo at wikimedia.
 

第二次世界大戦中は、沿線に集積する軍需産業の通勤客で混雑したが、戦争末期にこれらが連合軍の空爆の目標となり、鉄道施設も大きな被害を受けた。全線が復旧したのは、1947年9月のことだった。しかし、貨物輸送が途絶えたうえ、モータリゼーション進行の影響で、1950年代にかけて旅客数も減少が続いた。

輸送実績が持ち直したのは、ようやく1960年代からだ。ウィーン都市圏の拡大によって、沿線で住宅地や商業施設の開発が進んだことが背景にある。それまで日中に1時間空くこともあった列車ダイヤは、1984年に大きく見直された。バーデンまで30分サイクルとなり、連節式車両も初めて導入された。その後、運行間隔は、1989年にウィーン方でピーク時15分、2000年には同 7分30秒まで短縮されている。列車の最高速度も、郊外区間で80km/hに引き上げられた。

1984年のダイヤ改正以前、全線を走破する列車は、片道あたり平日28本(一部はヴォルフガングガッセ Wolfganggasse 入出庫)、休日26本しかなかった。現在は平日73本、休日64本で、区間便も多数設定されている。その結果、1954年に350万人だった年間利用者数は、2014年に1200万人を超え、昨年(2018年)は1270万人に達したという。

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ÖBB線(高架)と交差するバーデン市内の併用軌道
 

中でも、乗客増に貢献しているのが、沿線のフェーゼンドルフ Vösendorf で1976年に開業したショッピング・シティ・ジュート Shopping City Süd(ジュートは南部の意。略称SCS)だ。増設を重ねて、オーストリア最大の商業施設となり、最寄りの電停(下注)は、平日日中でも電車が到着するたびに、ホームが人であふれる。ここはウィーン市域外で、本来ウィーン・コアゾーン Kernzone Wien のみ有効の乗車券類は使えないのだが、SCSのカスタマーカードなどを所持すれば、特別に区間外乗車が認められている。

*注 商業施設と同時に開設されたフェーゼンドルフ・ショッピング・シティ・ジュート Vösendorf Shopping City Süd 電停。略して Vösendorf SCS と書かれることが多い。

WLBの近年の盛況ぶりは、列車編成でも実感できる。現在の運行車両は、1979年から1993年にかけて製造された、いわゆるマンハイムタイプの100形24編成と、2000~2010年に導入されたボンバルディア製400形14編成だ。どちらも両運転台の3車体連節車ではあるものの、時代を反映して、前者は出入口にステップのある高床、後者はノンステップの低床になっている。

輸送力の確保と同時に、バリアフリー環境を保証するために、通常、全線を走破する便は100形と400形を連結した全長50m超の長い編成が用いられる。前後どちらのユニットが低床車(400形)であるかは、電停の列車接近案内の表示でわかるようになっている。混雑する時間帯にはさらに3ユニット連結も投入される一方、区間便は100形または400形の1ユニットで賄われている。2021年から2023年にかけて、新たにボンバルディア製低床車両(500形)18編成が導入され、古くなった100形を順次置き換える予定だという。

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100形とその車内
1+2席で通路が広い
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400形、100%低床で2+2席
Right photo by Paul Korecky at wikimedia. License: CC BY-SA 2.0
 

WLBの鉄道・バスを運営するウィーン地方鉄道有限会社 Wiener Lokalbahnen GmbH は、1942年にウィーン市により公有化され、現在はウィーン都市公社 Wiener Stadtwerke GmbH 傘下の公営企業だ。一方、ウィーン市内交通の運営主体、ウィーン市交通局 Wiener Linien も、組織形態は有限・合資会社 GmbH & Co KG で、都市公社が所有する。すなわち、WLBとウィーン市電は姉妹鉄道の関係にある。敢えて統合しないのは、WLBが市域外に路線を延ばしているからだろう。

乗車券も、市内交通の1回券や24時間券などがWLBでも有効で、市境のフェーゼンドルフ・ジーベンヒルテン Vösendorf-Siebenhirten 電停まで使える(下注)。その先はVOR(東部地域運輸連合 Verkehrsverbund Ost-Region)の運賃ゾーンに従って、別途運賃が必要になる。列車はワンマン運行だが、車内に券売機が設置されているので、無札で乗った場合でも乗車券の購入が可能だ。

*注 言い換えれば、WLBのオーパー~フェーゼンドルフ・ジーベンヒルテン間は、ウィーン・コアゾーン Kernzone Wien(Kernzone 100)に含まれる。

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車内に設置された券売機
右上には"SCHAFFNERLOS(車掌不在=ワンマン運転)"の表示

ライトレールとヘビーレール、二つの顔をもつWLBのルートは、意外に変化に富んでいて興味深い。次回、それをウィーン・オーパーから順に見ていこう。

■参考サイト
ウィーン地方鉄道 http://www.wlb.at/
ウィーン市交通局 https://www.wienerlinien.at/

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2019年7月 6日 (土)

列車で行くアッター湖 II-アッターゼー鉄道

アッターゼー鉄道 Atterseebahn

フェクラマルクト Vöcklamarkt ~アッターゼー Attersee 間13.4km
軌間1000mm(メーターゲージ)、直流750V電化
1913年開通
2018年 アッターガウ鉄道 Attergaubahn からアッターゼー鉄道に改称

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アッターゼー駅からの坂を上る連節車両

前回の到達地カンマー・シェルフリング Kammer-Schörfling 駅前から、アッター湖南端のウンターアッハ Unterach へ行く561系統のバスに乗った。アーガー川の橋を渡り、湖の西岸に沿う地道を淡々と走っていく。20分弱で、アッターゼー・バーンホーフ Attersee Bahnhof という停留所に着いた。アッターゼー鉄道 Atterseebahn の駅前だ(下注)。

*注 湖の名は「アッター湖」としたが、居住地名や鉄道名は「アッターゼー」「アッターゼー鉄道」と記す。

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アッターゼー駅
(左)人影少ない駅前
(右)旧駅舎
 

ここは村の中心から少し距離があり、周りに人家や駐車場が見えるものの、あまりひと気が感じられない。バス停の右手に、古典電車の写真を壁貼りした大屋根の建物が目につく。奥へ回ると、4線を収容する鉄道の車庫だった。西側の2線は運行時間中、開放されて、乗降場を兼ねる。ちょうど、赤帯を巻いた5車体連節の低床車が停車中だ。一方、東側2線は扉つきで、開いているほうを後で覗いたら、旧形車23 111が整備を受けていた。

車庫の横には伝統的な造りの旧 駅舎も残っているが、使われなくなったようだ。切符は車内で買えるし、大屋根の下のホームに待合室代わりのベンチも置かれている。旅客サービスの合理化で、駅といってももはや停留所と大差ない。そろそろ発車時刻だが、少し周辺を歩いてみたいので、1本見送ることにした。

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(左)大屋根の建物は車庫
(右)駅の全貌
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(左)車庫で整備中の旧車
(右)西側は乗降場に使用
 

アッターゼー鉄道は、正式名をフェクラマルクト=アッターゼー地方鉄道 Lokalbahn Vöcklamarkt–Attersee という。通称も、従来は地域名に基づく「アッターガウ鉄道 Attergaubahn」だったのだが、路線のプロモーションのために昨年(2018年)、「アッターゼー鉄道 Atterseebahn」に改められたばかりだ。

起点は西部本線 Westbahn と接続するフェクラマルクト Vöcklamarkt で、沿線最大の町ザンクト・ゲオルゲン・イム・アッターガウ St. Georgen im Attergau を経由して、アッター湖畔のアッターゼー Attersee まで13.4kmを24分で結んでいる。1000mm軌間(メーターゲージ)、750V直流電化、そしてシュテルン・ウント・ハッフェルル Stern & Hafferl 社による運行というプロフィールは、以前取り上げたトラウンゼー鉄道 Traunseebahn(下注)と共通だ。

*注 トラウンゼー鉄道については、「グムンデンのトラム延伸 III-トラウンゼー鉄道」参照。

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アッター湖周辺の鉄道路線の位置関係
オレンジがアッターゼー鉄道
 

車両も同様で、2016年9月から、グムンデンと同形式のフォスロー・キーペ Vossloh Kiepe(現 キーペ・エレクトリック Kiepe Electric)製トラムリンク Tramlink V3が3編成投入され、定期運行を担っている。先述のように、車庫はアッターゼーにある。小規模な修理はここで行われ、全般検査の際は、フォルヒドルフの修理工場へ移送される。

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トラムリンクV3とその車内
 

トラウンゼー鉄道と瓜二つなのは、歴史的な理由がある。ともに「フォアアルペン鉄道 Voralpenbahn」という大規模な鉄道網の一部として計画された路線だからだ。フォアアルペンは、アルペンフォアラント Alpenvorland と同義で、アルプスの前の土地、すなわちアルプス北側の、平野や丘陵が広がる地域を指す。

そのルートは、北西部のリート・イム・インクライス Ried im Innkreis からアッターゼー Attersee まで南下し、アッター湖上を航路でつないで、東岸のヴァイレック Weyregg へ上陸する。それから東へグムンデン Gmunden、フォルヒドルフ Vorchdorf を経て、シュタイア Steyr と進む。今度は北上してザンクト・フローリアン St. Florian、リンツ Linz に至るという、オーバーエースタライヒ(上オーストリア) Oberösterreich の大弧状線構想だった。

このうち、フェクラマルクト~アッターゼー間が1913年1月にアッターゼー鉄道として、グムンデン~フォルヒドルフ間が1912年3月にトラウンゼー鉄道として実現した。さらにザンクト・フローリアン~リンツ間にも電気鉄道(下注)が開通したが、1914年の第一次世界大戦勃発とその後の長期不況により、計画は未完に終わった。

*注 エーベルスベルク=ザンクト・フローリアン地方鉄道 Lokalbahn Ebelsberg–St. Florian(フローリアン鉄道 Florianerbahn)。1913年開通、1974年廃止。軌間は、リンツ市電と直通させるために900mmだった。廃止後、一時保存鉄道として運行されたものの、すでに中止。

開通からしばらく、アッターゼー鉄道を支えていたのは貨物輸送だった。丸太や木材製品のほか、肥料や、沿線の醸造所で造られたビールも扱われた。アッターゼー駅から湖畔の船着き場まで貨物線が延び、近くの製材所から貨車ごと航送する方法で木材が運ばれた。フェクラマルクトに着くと、旅客駅の西にあった貨物駅で、標準軌の貨車に積み替えられた。

トラックへの移行が進み、貨物輸送は1990年代に廃止された。湖畔の貨物線はすでに跡形もなく、フェクラマルクトの貨物駅は、資材置場や留置線に転用されている。

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フェクラマルクト駅西方にある旧 貨物駅跡
 

一方の旅客輸送も、第二次世界大戦後は減少が続いた。しかし、1967年を底にして持ち直し、2015年は年間約30万人が利用したという。2019年7月現在、列車本数は全線通しが平日17往復、土曜10往復、日祝日は6往復だ。ほかに開校日または夏季のみ運行の区間便が若干あり、アッターゼー方ではおよそ毎時1本が確保されている。

区間便はザンクト・ゲオルゲンまたはヴァルスベルク Walsberg 止まりのため、フェクラマルクト方では土休日に2時間間隔となる時間帯が生じる。土休日運休のカンマー線ほど極端ではないものの、幹線から流入する旅行者より、域内の通勤通学者に重きを置いたダイヤだ。

駅から少し歩いたアッターゼーの村で、のびやかな湖の眺めを楽しんだ。午後はこちら(西岸)から見るのが順光だ。ターコイズの湖水にさざ波が立ち、その後ろでは、灰白の岩肌を剥き出しにしたヘレンゲビルゲ Höllengebirge(地獄の山脈の意)が、屏風のように空を限っている。日差しは強いものの、湖面を渡ってくる風が心地いい。

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アッターゼー村の湖岸
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アッターゼー村から湖を東南望
中央奥の山塊がヘレンゲビルゲ
 

名残惜しさを振り切って駅に戻り、列車の客となった。乗客は10人に届かず、定員175名の連節車としては手持無沙汰だ。本来ワンマン運転のはずだが、女性車掌がしっかり検札に回ってきた。

最後尾のかぶりつきで見ていると、列車は、牧草地が広がる緩やかな傾斜地を軽快に上っていく。大きくカーブするまで、蒼い湖面が視界にとどまり続けるのは印象的だ。途中の停留所は、小屋の前に未舗装の乗降スペースがあるだけの、いたって簡素な造りで、リクエストストップのため、たいてい通過する。

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アッターゼー駅出発後、
しばらく湖が見え続ける
 

進行左手に家並みが増えてきた。アッターガウの中心、ザンクト・ゲオルゲンは、駅も島式2線を備えて、拠点らしい雰囲気がある。しかし、1時間間隔のダイヤでは列車交換の必要がないので、短時間停車しただけであっさりと出発した。

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(左)途中の停留所は簡素な造り
(右)ザンクト・ゲオルゲン駅
 いずれも列車後方を撮影
 

また少し上った後、広々とした畑地を貫いて快走する。待避線のある停留所ヴァルスベルク Walsberg を過ぎると、緑の丘のかなたに、湖畔で眺めたヘレンゲビルゲが、高さの揃った山並みとなって再び登場した。のどかで開放的な車窓風景は文句なしにすばらしい。

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緑の丘のかなたに
ヘレンゲビルゲを望みながら
 

やがて線路は下り坂となり、森に覆われた浅い谷間へ入っていった。細かいカーブを次々とかわすうちに、B1号線の踏切を渡る。B1(別名ウィーナー・シュトラーセ Wiener Straße)は、ウィーンからザルツブルクに至るオーストリアの国道1号線で、車が長い列をなして列車の通過を待っていた。

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(左)緩やかな起伏を越えて
(右)B1号線の踏切に車の列
 いずれも列車後方を撮影
 

まもなく左に三角線を分け、右に急カーブすると、終点(戸籍上は起点)のフェクラマルクトだ。山側に小ぢんまりした旧 駅舎と低いホームが残っているが、今は使われておらず、列車は新しいホーム3番線に滑り込む。反対側2番線は西部本線の上り線ホームになっていて、まもなくリンツ行きのレギオナル(普通列車)が到着するはずだ。

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フェクラマルクト駅
左の建物は旧駅舎
 

■参考サイト
シュテルン・ウント・ハッフェルル  https://www.stern-verkehr.at/
Youtube - アッターゼー鉄道(フェクラマルクト~アッターゼー)運転台からの展望
https://www.youtube.com/watch?v=fpQXaVzXFUI
アッターゼー駅は改修前の状況がわかる

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2019年6月29日 (土)

列車で行くアッター湖 I-カンマー線

ÖBB フェクラブルック=カンマー・シェルフリング線(カンマー線)
Bahnstrecke Vöcklabruck–Kammer-Schörfling (Kammerer Bahn)

フェクラブルック分岐点 Abzw. Vöcklabruck ~カンマー・シェルフリング Kammer-Schörfling 間 8.1km
軌間1435mm(標準軌)、交流15kV 16.7Hz電化
1882年開通、2014年カンマー・シェルフリング駅移転(路線長0.5km短縮)

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アッター湖岸のヨットハーバー
カンマーにて

オーストリアの湖水地方、ザルツカンマーグート Salzkammergut で最大の湖が、アッター湖 Attersee だ(下注)。前回までのテーマだったトラウン湖 Traunsee の西15~20kmに横たわっている。南北約20km、東西4kmの広さをもち、面積は46.2平方km。氷河湖起源のため、最大水深は169mもある。

*注 オーストリア全体でも、ボーデン湖 Bodensee とノイジードル湖 Neusiedler See に次ぐ。この二つの湖は国境をまたいでいるので、水面がすべてオーストリア領の湖では最大。

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バート・イシュル Bad Ischl やグムンデン Gmunden といった著名なリゾートのあるトラウン川の谷(トラウンタール Trauntal)に比べると開発は遅れたが、かえってその静けさが好まれて、1860年代には避暑客が訪れるようになる。

1869年に、湖岸の村々に立ち寄る航路が整備され、翌年から外輪蒸気船が就航した。1882年には、ウィーン~ザルツブルク間の皇后エリーザベト鉄道 k.k. privilegierten Kaiserin Elisabeth-Bahn(現 西部本線 Westbahn)から湖に至る鉄道の支線が完成し、湖岸に設けられた終着駅で航路に接続した。交通の便が改善されたことで、多くの中産階級が湖を訪れるようになり、アッター湖は夏の別荘地としても人気が高まっていく。

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湖面に照り返す日差しが眩しい
カンマーの突堤から南望
 

この鉄道支線が、現在の ÖBB(オーストリア連邦鉄道)カンマー線 Kammerer Bahn(下注1)だ。正式名をフェクラブルック=カンマー・シェルフリング線 Bahnstrecke Vöcklabruck–Kammer-Schörfling といい、「カンマラー・ハンスル Kammerer Hansl(下注2)」というあだ名もあった。

*注1 ÖBBの路線については、線名にある Bahn の訳を「~鉄道」ではなく「~線」とした。
*注2 ハンスル Hansl は、人名ヨハネス Johannes の短縮形。ハンスルに特別な意味はなく、「カンマーの太郎」といったニュアンス。

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アッター湖周辺の鉄道路線の位置関係
緑がカンマー線
 

カンマー線の列車は、南部本線のフェクラブルック Vöcklabruck を出て、カンマー・シェルフリング Kammer-Schörfling まで10.4km(正確には10.408km)を走る。実際はフェクラブルックの西2.3km(同 2.267km)地点で本線から分岐するので、支線の実長は8.1km(同 8.141km)になる。

開通は1882年5月のことだ。その5年前(1877年)にトラウンタールを遡ってバート・イシュル方面へ、ザルツカンマーグート線 Salzkammergutbahn が通じており、アッターガウ Attergau、すなわちアッター湖沿岸でも鉄道の到来が待望されていた。

カンマー線(下注)は初め、私設の地方鉄道として造られたが、オーストリアがナチスドイツに併合されて間もない1939年に、他の地方鉄道とともに国有化され、ドイツ帝国鉄道 Deutsche Reichsbahn の路線となった。第二次世界大戦後は、ÖBBリンツ鉄道管理局に属し、1955年7月に、本線と同じ方式で電化されている。

*注 開通時の終点の駅名が、避暑地として名の通った「カンマー Kammer」だったのでこう呼ばれる。その後、自治体名のシェルフリング・アム・アッターゼー Schörfling am Attersee に合わせて、1909年に現 駅名に改称された。

1970年代までは、アッター湖の観光とともに、沿線にある製材工場などの産業が盛んで、旅客輸送にも活気があった。しかし、その後は道路交通への移行や、産業の不振に伴う雇用者数減少などが重なって、カンマー線はひどい不振に陥っていく。

2001年6月のダイヤ改正は、地元に衝撃を与えた。ÖBBが、旅客列車をそれまでの12往復から、一気に平日1往復までカットしたのだ。旅客輸送の存続は、もはや風前の灯火となった。地域交通を維持するためにオーバーエースタライヒ州は、ÖBBに業務委託する形で旅客輸送を続けることにした。その費用は州の予算と、部分的に地方自治体の補助金で賄われる。

この結果、旅客列車は2006年から2往復、2007年12月には5往復に復活した。現在(2019年6月)は9往復まで増便されている。そのうち3往復は昔のように、本線のアットナング・プフハイム Attnang-Puchheim まで足を延ばす。

ただし、運行は平日のみで、土日祝日は完全運休になる。カンマー線に並行して、アットナング・プフハイム駅と湖南部のウンターアッハ Unterach やシュタインバッハ Steinbach などとを結ぶバス路線(路線番号561、562など)があり、カンマー線の機能を補うことができるからだ。

フェクラブルック駅のカンマー線ホームは、1番線の反対側にある頭端式の短い21番線だ。訪れたときには、13時24分発の列車が停車していた。低床3車体連節のボンバルディア社製タレント Talent で、ザルツブルク交通 Salzburg Verkehr のロゴが入っている。ザルツブルクのSバーンとの共用のようだ。当地はオーバーエースタライヒ州で、州は違うのだが、運用上1編成あれば足りるから、近所から借りたのだろうか。

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(左)フェクラブルック駅のカンマー線ホーム
(右)ザルツブルク交通の連節車で運行
 

平日の昼過ぎなので、車内は閑散としていそうなものだ。ところが予想に反して、座席は学校帰りの子どもたちに占拠されて、とても賑やかだった。鉄道に並行するバス路線があっても、一度にこれだけの人数を運ぶことは難しい。そこに、カンマー線の旅客列車がすんでのところで廃止を免れた一つの理由があるようだ。レジャー客が対象でないなら、休日の運休も納得できる。彼らには、湖岸の町や村へ乗換なしで行けるバスのほうがずっと便利に違いない。

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のどかな沿線風景もある
 

発車すると本線に入り、しばらくその上を進む。それから軽く振られて、隣の線路へ移った。視線が本線より少し高くなったところで、左へカーブしていく。リゾート地へ向かう路線というイメージとは違って、沿線には畑や森がある一方、工場や商業施設も目につく。特にレンツィング Lenzing 駅の南には、木材から化学繊維を製造するレンツィング社の大規模な工場群があり、高い煙突から立ち上る白い煙が、遠くからも見える。多数並んだ側線には貨車の列が留置されていて、ここだけ切り取れば、工業地帯を走る路線と思われてもおかしくない。

子どもたちは途中の駅や停留所でぱらぱらと降りていき、最後まで乗っていたのは半数に満たなかった。全線の所要時間は17分、速度が落ち、アーガー川 Ager の鉄橋を渡ると、すぐに終点のカンマー・シェルフリングだった。

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カンマー・シェルフリング駅到着
学校帰りの子どもたちも下車
 

終点駅は、州が実施した地域交通政策の一環で、近年大きく様変わりしている。かつては航路との接続のために、ここからさらに約500m南に進んだ湖岸に駅があった。2014年6月にルートが短縮され、アーガー川の道路橋のたもとに、バスと乗継ぎができる駅施設がオープンした。列車ホームの反対側に、路線バスが発着する。

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(左)移転・新設された駅施設
(右)反対側にバスが発着
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カンマー・シェルフリング駅周辺の地形図に鉄道ルートを加筆
破線は旧線跡
Image from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA
 

では、旧駅やそこへ至る廃線跡はどうなっているのだろうか。新駅に接して、駐車場の敷地が弧を描いており、旧線跡が転用されたことがわかる。その先はアーガー通り Agerstraße の元踏切を越えて、家並みの裏に回るが、線路はすでになく、草の生えた空地が続いている。州道B152号線(湖岸通り Seeleiten Straße)を横断したところが旧駅跡で、施設はすべて撤去され、更地に還っていた。

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旧線跡
(左)駐車場の敷地が弧を描く
(右)アーガー通りの元踏切から家並みの裏側へ

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(左)B 152号線の元踏切から北望
(右)B152号線(手前の道)の先が、更地になった旧駅跡
 

ここまで来ると、アッター湖の波静かな湖面がもう目の前にある。今日は抜けるような青空で、照り返す日差しが眩しく、目に痛いほどだ。湖上連絡船の船着き場から、入江のヨットハーバーを隔てて、湖岸の並木越しに端正な建物が見える。記録が12世紀に遡るというカンマー城 Schloss Kammer で、この地を毎夏訪れていた世紀末の画家クリムト Klimt も描いている。

■参考サイト
ベルヴェデーレ・オーストリア絵画館(公式サイト)-グスタフ・クリムト「アッター湖畔のカンマー城 III」
https://digital.belvedere.at/objects/3112/schloss-kammer-am-attersee-iii
同 「カンマー城への並木道」
https://digital.belvedere.at/objects/8691/allee-zum-schloss-kammer

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湖に臨むカンマー城(右手前の建物)
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カンマー城への並木道
いずれもクリムトの絵のモチーフ
 

隣接する公園のベンチで少し休憩した後は、対岸に来ているもう1本の路線、アッターゼー鉄道を訪れよう。続きは次回に。

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 グムンデンのトラム延伸 III-トラウンゼー鉄道
 フォルヒドルフ鉄道-標準軌の田舎電車

2019年6月23日 (日)

フォルヒドルフ鉄道-標準軌の田舎電車

フォルヒドルフ鉄道 Vorchdorferbahn

ランバッハ Lambach ~フォルヒドルフ・エッゲンベルク Vorchdorf-Eggenberg 間 14.7km(うち 3.8kmは ÖBB線を走行)
軌間1435mm(標準軌)、直流750V電化
1903年開通

前回まで3回にわたり、グムンデン駅からフォルヒドルフまで、トラムの行路をたどってきた。今回のテーマ、フォルヒドルフ鉄道はその続きになるが、起点がランバッハ Lambach なので、そちらから順に話を進めよう。

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ランバッハ駅11番線に停車中の
フォルヒドルフ鉄道の電車
 

その日、降り立った西部本線 Westbahn の中間駅ランバッハのホームはひっそりとしていた。普通列車しか停まらないというだけではない。この駅の西にある急カーブを避けるバイパス線ができたため、特急や貨物など通過列車は構内を通らないからだ。その静かな駅の東側に、屋根も案内板もない、忘れられたような頭端式の11番線がある。フォルヒドルフ鉄道 Vorchdorferbahn の列車は、ここから出発する。

もともとここは、隣の12番線とともに、ÖBB(オーストリア連邦鉄道)ランバッハ=グムンデン地方線 Lokalbahn Lambach–Gmunden(以下、トラウンタール線 Trauntalbahn)と共用していた。トラウンタール線は、トラウン川の谷沿いにグムンデン・ゼーバーンホーフ Gmunden Seebahnhof へ通じる路線だが、旅客輸送は1988年5月に廃止されてしまった(下注)ので、今はフォルヒドルフ鉄道の車両しか入ってこない。12番線は長らく使われていないらしく、ホームは雑草に覆われている。

*注 貨物輸送もシュタイアラーミュール Steyrermühl とラーキルヘン Laakirchen にある製紙工場までで、以遠の区間は実質廃線。

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ランバッハ駅
(左)駅舎 (右)ÖBB線のホーム
 

フォルヒドルフ鉄道は、平日19往復(2019年6月現在、下注)運行されているが、間隔は30分から2時間とまちまちで、活性化前のトラウンゼー鉄道と似た状況だ。経済的に結びつきの強いヴェルス Wels やリンツ Linz など東部方面の列車との接続を優先するダイヤが組まれている。

*注 他の路線と同様、土曜は9往復、日曜祝日は7往復に削減される。

この路線も、地元の交通企業シュテルン・ウント・ハッフェルル社が運行を担っているが、車両や設備が一新されたトラウンゼートラム Traunseetram とは対照的に、現状維持にとどまっているというのが第一印象だ。グムンデン市が再生を推進した前者に比べて、沿線にそれほど有力な自治体が存在しないという事情が影響しているのかもしれない。

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グムンデン周辺の鉄道路線の位置関係
緑がフォルヒドルフ鉄道
 

訪れたときは、細身の旧形車がぽつんと客待ちしていた。標準軌の電車で、車番はET 20 109。1956年製だから、車齢は60年を超えている。しかし車内はそれらしい広さがあり、窓が大きいので明るい。清掃も行き届いているようだ。座席は背中合わせの2人掛けシートで、低い背もたれはレールバスのそれを思わせる。乗り込んだのは朝10時台の便で、初めは他に誰もいなかったが、出発直前に本線の連絡列車から3人が乗継いだ。

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(左)前後を絞ったスタイルの標準軌電車ET 20 109
(右)側窓にフォルヒドルフ往復の表示
 
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(左)運転台、右手前に乗車券発行機
(右)車内は広めで窓が大きい
 

フォルヒドルフ鉄道とトラウンタール線との施設共用は駅構内にとどまらない。ランバッハから次のシュタッドル・パウラ Stadl-Paura まで3.8kmの間、同じ線路を走っている。線路の所有権から言えば、この間はÖBB線なので、フォルヒドルフ鉄道の列車が乗り入れている形だ(下注)。

*注 シュタッドル・パウラ以南のフォルヒドルフ鉄道独自の区間は、連邦政府のほか、州、沿線自治体、シュテルン・ウント・ハッフェルル社等が共同出資するランバッハ=フォルヒドルフ・エッゲンベルク地方鉄道株式会社 Lokalbahn Lambach-Vorchdorf-Eggenberg AG が所有する。

やがて発車時刻になった。ランバッハ駅を後にすると、列車は、側線に留め置かれた貨車の群れを見ながら北東へ走り、やがてゆっくりと右へそれていく。このカーブは長く続き、結局反転して西を向いてから、トラウン川を渡る。地図(下図参照)を見ても不自然な逆行ルートだが、これには理由がある。

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(左)ランバッハ駅を出発
(右)トラウン川を渡る
  (いずれも列車後方を撮影)
 

ÖBBトラウンタール線は今でこそ支線だが、意外にも、主要幹線である西部本線より歴史が古い。前回や前々回にも少し触れたとおり、ルーツは、岩塩輸送のために1836年に開通したブドヴァイス=リンツ=グムンデン馬車鉄道だ。現在のシュタッドル・パウラが当時、ランバッハ(アルト・ランバッハ Alt-Lambach)駅だった。1855~56年には、リンツ~グムンデン間が蒸気鉄道に転換されている。しかし、ウィーンとザルツブルクを結ぶ皇后エリーザベト鉄道(現 西部本線)が開通すると、並行するリンツ~ランバッハ間は1859年に廃止され、代わりに新設の現 ランバッハ駅からトラウン川橋梁の手前まで接続線が造られた。それがこの逆行ルートだ。

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ランバッハ周辺の地形図に鉄道ルートを加筆
緑色の線がフォルヒドルフ鉄道
Image from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA
 

シュタッドル・パウラでは最も左側の線路に移るとともに、トラウンタール線から分かれて独自ルートへ入っていく。森と畑が交錯する中を、くねくねと落ち着きなく曲がる。線路こそ標準軌だが、線形は軽便鉄道と大差ない。

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(左)シュタッドル・パウラを通過
(右)森と畑が交錯する中をくねくねと
  (いずれも列車後方を撮影)
 

最初に停車したのはバート・ヴィムスバッハ・ナイドハルティング Bad Wimsbach-Neydharting で、起終点以外では唯一の町だ。中間の全駅・停留所がリクエストストップ扱いで、列車交換か乗降がなければ停車しない。乗車券も、駅に自販機などは置いておらず、乗り込んだときに運転士から購入するという、路線バス方式だ。

しばらく段丘の崖際を走り、直線では速度計が50km/hに達した。アウ Au という停留所を通過する。アウは水辺や湿地を表す地名語(下注)だが、オーストリアでは最も短い駅名だという。昔ながらの施設設備かと思いきや、停留所の改修は地道に行われていて、ここにも小ざっぱりした待合所が出現していた。

*注 実際の発音はアオに近い。各地に見られる Aue、Ach、Ache などの自然地名もこれと同源。

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アウ停留所
待合室の壁にも Au の文字が
 

また建物が増えてきたと思ったら、もうフォルヒドルフだ。フォルヒドルフ・シューレ(学校)Vorchdorf Schule で停車して、一人降りた。町の中心へはこの停留所が近い。次が終点のフォルヒドルフ・エッゲンベルクで、車庫兼整備工場の脇を通って到着した。ランバッハからの所要時間は25分。何本かの側線を隔てたメーターゲージの線路で、グムンデン方面へ行く連接トラムが接続待ちをしている。

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フォルヒドルフ・エッゲンベルク駅に到着
 

最後に、この路線の歴史について簡単に記しておこう。

フォルヒドルフ鉄道、正式名ランバッハ=フォルヒドルフ・エッゲンベルク地方鉄道 Lokalbahn Lambach–Vorchdorf-Eggenberg は、1903年9月13日に蒸気鉄道として開業した。建設計画は1897年に地元の交通企業であるシュテルン・ウント・ハッフェルル Stern und Hafferl 社から出されていたが、ランバッハ駅を共用することから、運行管理は当初、国鉄が行った。

しかし、世界恐慌の影響で経営が悪化した国鉄が地方路線の見直しを進める中で、1931年にシュテルン・ウント・ハッフェルル社が運行を引き継いだ。同社は電化工事を実施し、蒸気から電気運転に切り替えた。以来、フォルヒドルフ鉄道は、接続するトラウンゼー鉄道などとともに、同社によって粛々と運行されている。1980年代までは、終点駅の南に位置するエッゲンベルク城ビール醸造所 Brauerei Schloss Eggenberg への貨物線も使われていたが、今は休止状態のようだ。

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同駅の標準軌エリア
奥の建物は車庫兼整備工場
 

次回は、トラウン湖の西隣にあるアッター湖 Attersee へ足を延ばす。

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2019年6月19日 (水)

グムンデンのトラム延伸 III-トラウンゼー鉄道

トラウンゼー鉄道 Traunseebahn

グムンデン・ゼーバーンホーフ Gmunden Seebahnhof ~フォルヒドルフ・エッゲンベルク Vorchdorf-Eggenberg 間 14.9km
軌間1000mm、直流600V電化(ゼーバーンホフ~エンゲルホーフ間)、直流750V電化(エンゲルホーフ~フォルヒドルフ・エッゲンベルク間)
1912年開通、1990年旧 ゼーバーンホーフへ延伸、2018年グムンデン路面軌道と直通化

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ポイントを転換して本線へ
フォルヒドルフ・エッゲンベルク駅にて

トラウンゼー鉄道 Traunseebahn は、正式にはグムンデン=フォルヒドルフ地方鉄道 Lokalbahn Gmunden–Vorchdorf という。名のとおり、トラウン湖畔のグムンデンと、その北東10km強にある田舎町フォルヒドルフを結ぶメーターゲージ(1000mm軌間)の電化路線だ。この地方の主要な交通企業であるシュテルン・ウント・ハッフェルル Stern und Hafferl 社が運行を担ってきた。

終点のフォルヒドルフ・エッゲンベルクでは、標準軌支線のフォルヒドルフ鉄道 Vorchdorferbahn(下注)に接続し、それを通じて、ランバッハ Lambach でウィーン~ザルツブルク間の幹線である西部本線 Westbahn にも連絡している。それで路線図では、西部本線からグムンデン方面に延びる支線のようにも見える(下図参照)。しかし、2回の乗換えを要するため、そのような利用は一般的ではない。路線の主な役割は、フォルヒドルフとその周辺からグムンデンに向かうローカル需要に応じることで、それが建設の目的でもあった。

*注 正式名はランバッハ=フォルヒドルフ・エッゲンベルク地方鉄道 Lokalbahn Lambach–Vorchdorf-Eggenberg。本ブログ「フォルヒドルフ鉄道-標準軌の田舎電車」で詳述。

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グムンデン周辺の鉄道路線の位置関係
オレンジがトラウンゼー鉄道
 

最初にこのルートで計画されたのは、グムンデンからフォルヒドルフを経てさらに東のペッテンバッハ Pettenbach に至る電化鉄道で、1895年のことだ。グムンデン路面軌道が前年(1894年)に開通しており、当然この軌道との接続が想定されていた。しかし、これは予備認可を得たものの、着工には至らなかった。

他方、フォルヒドルフでは、1903年に上述のフォルヒドルフ鉄道が開通し、1908年には同じ西部本線の沿線都市ヴェルス Wels と結ぶ路線構想も浮上していた。そのため、商圏の縮小を案じたグムンデン市が自ら鉄道建設に乗り出し、その結果、1912年3月に開業したのがトラウンゼー鉄道だ。初期の保有車両は電動車2両と付随車2両で、通常4往復、市の立つ日は5往復の列車が走った。

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かつてのトラウンゼー鉄道
グムンデン鉄道史の展示パネルより
 

グムンデン側の起点は、市街の川向うにあるトラウンドルフ Traundorf に設けられた。古い馬車鉄道(下注1)の終点から少し上手で、駅を出て間もなく、その馬車鉄道から転換された標準軌の国鉄ランバッハ=グムンデン地方線 Lokalbahn Lambach–Gmunden(下注2)と合流する。そして、エンゲルホーフまで2km足らずの間、両者は3線軌条でルートを共有した。

*注1 1836年にグムンデンに到達したブドヴァイス=リンツ=グムンデン馬車鉄道 Pferdeeisenbahn Budweis–Linz–Gmunden。ザルツカンマーグートの岩塩輸送を目的としていた。
*注2 ランバッハ=グムンデン地方線は1884年に国有化。当時はまだ馬車鉄道を継承した1106mm軌間だったが、1903年に標準軌に改軌された。トラウンタール線 Trauntalbahn の別称もある。

連絡する2本の鉄道がいずれも標準軌だったにもかかわらず、トラウンゼー鉄道が1000mm軌間とされたのはいうまでもなく、グムンデン路面軌道への乗入れに備えてのことだった。しかし、トラウン川への架橋と市街地横断という難工事を伴うため、延長計画はこの時代には実現しないままとなった。

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旧型車 ET23 112(1954年 SWS製)
 

国鉄ランバッハ=グムンデン地方線(以下、ÖBB線)は、1988年に旅客輸送を終了した。それを受けてトラウンゼー鉄道は1990年に、開業以来のトラウンドルフ駅から、ÖBB線の終着駅だったゼーバーンホーフ(湖岸駅)Seebahnhof に起点を移した(下注)。両線ともランバッハにつながっているので、代替輸送の役割を付与されたのだろう。当時まだÖBB線の貨物輸送が残っていたので、3線軌条の延長工事も併せて行われた。

*注 別途、トラウンドルフ駅近くの本線上に、代替となるトラウンドルフ停留所が開設され、2014年まで使われた。

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グムンデンの路線網と駅の変遷
 

とはいえ、ゼーバーンホーフもグムンデン中心街から見れば川向うだ。また、終点のフォルヒドルフは人口7000人ほどの町に過ぎず、需要の掘り起こしには限界がある。それでトラウンゼー鉄道は最近まで、主に単行の旧形電車が1時間に1本走る程度の、のどかなローカル線だったのだ。

前回の続きで、路線の起点であり、路面軌道との接続点でもあるグムンデン・ゼーバーンホーフから、ルートに沿って変貌ぶりを見ていこう。

トラウンゼー鉄道のターミナルとなって以降も、ゼーバーンホーフは、ほとんどÖBB線時代のまま使われていた。1999年に訪れたときには3線軌条の標準軌側レールはもはや錆びていたから、貨物列車の運行も実質終了していたのだろう。その後、共用区間のÖBB線は2009年2月に正式に廃止され、トラウンゼー鉄道専用となった。

2014年の大改修で、ゼーバーンホーフの旧駅舎はホームもろとも撤去され、新たにトラウンシュタイン通りの北側に島式ホームと待合所が設置された。見かけも運行上ももはやターミナルではなく、中間電停だ。湖に突き出していた構内は、2018年10月現在、更地になっている。

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ゼーバーンホーフ電停
(左)広めのホームが敷地の余裕を物語る
(右)反対側はトラウン湖に臨む
  道路の先が旧駅跡で、現在は更地に
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1999年のゼーバーンホーフ(湖岸駅)
構内は3線軌条が敷かれていた
 

ゼーバーンホーフを後にすると線路は単線になり、右に左にカーブを切りながら、勾配を上っていく。枕木もメーターゲージ用に交換されたので、3線軌条を思い出させるものは残っていない。坂の途中にあったトラウンドルフ電停は廃止され、新たにシュロス・ヴァイヤー Schloss Weyer とレンベルクヴェーク Lembergweg の各電停が開設された。

旧 共用区間はエンゲルホーフ Engelhof で終わるが、同じようにÖBB線の駅とホームが撤去され、2面3線の中間ターミナルに再生された。日中10~20分間隔、毎時4本(土日は3本)のダイヤはここまでで、以遠では2本が間引かれて30分間隔(土日は1時間間隔)となる。西側の1面1線に、そのエンゲルホーフ止まりの列車が発着する。

ちなみに、ÖBB線の駅名はエンゲルホーフだったが、トラウンゼー鉄道の電停はそれと区別するためにエンゲルホーフ・ロカールバーン Engelhof Lokalbahn(ロカールバーンは地方鉄道の意)を名乗っていた。現在、電停や車内の表示はエンゲルホーフ・バーンホーフ(エンゲルホーフ駅)Engelhof Bahnhof になっている。

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エンゲルホーフを発つグムンデン駅行きトラム
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エンゲルホーフ電停
(左)2面3線の中間ターミナル、左1線は折返し用
(右)折返しホームに区間便が停車中
 

直進していたÖBB線(下注)に対して、トラウンゼー鉄道は右へ曲がり、トラウンシュタイン山を右手に仰ぎながら、畑と森の間を走っていく。木製の架線柱に直吊りのか細げな架線、線路の枕木も大半は木のままで、のどかな周囲の景色にしっくり溶け込んでいる。電停の設備だけは更新されているが、リクエストストップのため、乗降がなければ停まらない。

*注 2018年10月現在、駅構内の北端から先ではÖBBの線路が残されている。

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(左)中間の電停も改修済
(右)トラウンシュタイン山を仰ぎながら行く
 

やがて再び上り勾配となり、標高530mほどのサミットに達する。車窓右側にラウダッハ川 Laudach の谷が俯瞰でき、後はこれに沿って下っていくことになる。日中は、近くのアイゼンガッテルン Eisengattern 電停で列車交換が行われるが、倉庫の裏手のような殺風景な場所で、相手が到着すると合図もなく出発した。

坂を降りきったところでラウダッハ川を渡り、道路脇を進めば、左カーブの先にもう、フォルヒドルフ・エッゲンベルク Vorchdorf-Eggenberg 駅の留置された電車群が見えてくる。グムンデン駅から約40分、ゼーバーンホーフから25分の小旅行の終点だ。

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(左)アイゼンガッテルンで列車交換
(右)ラウダッハ川の谷を下る
 

フォルヒドルフ・エッゲンベルクは、運行を司るシュテルン・ウント・ハッフェルル社にとって重要な拠点になっている。十分広い構内にメーターゲージと標準軌の留置側線が何本も並び、側線からつながる車庫兼整備工場も二種の軌間に対応して、大型だ。貨車も含め、新旧さまざまな形式が留置されているが、トラムのホームから駅舎へ通じる通路はその側線を横断していくので、気兼ねなく観察ができる。

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フォルヒドルフ・エッゲンベルク駅構内
左側はメーターゲージ、右側は標準軌車両
 

標準軌の設備はいうまでもなく、この駅に接続しているフォルヒドルフ鉄道のためのものだが、真新しいグムンデントラムの連接車とは対照的に、こちらはまだ1950年代製の車両が現役だ。次回は、軌間は広いのに車両は旧形という、このフォルヒドルフ鉄道について詳述する。

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