2017年8月12日 (土)

ミッドランド線 II-アーサーズ・パス訪問記

古い話で恐縮だが、2004年3月にニュージーランド南島を訪れたとき、クライストチャーチ Christchurch からアーサーズ・パス Arthur's Pass へ、バスと列車で日帰り旅をした。前回のミッドランド線 Midland Line とトランツアルパイン TranzAlpine の記事の付録として、そのときの様子を綴っておこう。写真も当時のもの(一部はネガフィルムからのスキャン)であることをご了承願いたい。

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アーサーズ・パス駅に停車中の、クライストチャーチ行きトランツアルパイン

サザンアルプスを横断するミッドランド線は、前々からぜひ乗ってみたい路線の一つだった。とはいえ、全線往復は一日がかりで、私たちのような幼児連れには辛いし、地形図で確かめると、車窓の見どころは前半に集中している。乗るのはアーサーズ・パスまでとして、滝を見に行くミニハイキングと組合せれば、気分も変わっていいのではと考えた。

最初、往復ともトランツアルパインにするつもりで、1か月前にトランツ・シーニック Tranz Scenic 社のウェブサイトで予約を試みたが、すでに往路は満席だった。仕方がないので、列車に近い時刻で運行しているバス会社を探し出し、Eメールで予約を入れた。無料のピックアップサービスがあるというので、泊っているクライストチャーチのB&B(ベッド・アンド・ブレックファスト、いわば民宿)まで朝、迎えに来てほしいと依頼した。

それで今朝は、返信メールで指示された7時30分に間に合わせるために、早起きする必要があった。7時からの朝食を大急ぎで済ませて宿の玄関で待っていると、通りの向かいに "Coast to Coast" と社名を掲げた、送迎用らしきマイクロバスが停まった(下注)。列車なら市街のはずれにある駅まで出向かなければならなかったから、これはラクチンだ。私たちが最初の客で、そのあと大聖堂前のほか数個所で次々と客を拾って、ほぼ満席の20人ほどになった。

*注 ちなみに2017年8月現在、このルート(朝、クライストチャーチ発、グレイマウス行き)には、Atomic Shuttles Service のバス便がある。
http://www.atomictravel.co.nz/

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スプリングフィールド(右下)~アーサーズ・パス(左上)間の1:250,000地形図
国道(赤の太線)は、鉄道(黒の太線)から離れた山間を通ってアーサーズ・パスに向かう
Sourced from NZMS262 maps 10 Grey and 13 Christchurch. Crown Copyright Reserved.

時刻表によると、クライストチャーチの発車時刻は8時ちょうどだ。アーサーズ・パスには10時30分に到着し、そのままグレイマウス Greymouth まで走破する(下注)。どこで大きいバスに乗り継ぐのだろうと、ずっと地図で軌跡を追っていたのだが、そのうち家並みが疎らになり、郊外へ出て行くではないか。

*注 列車の時刻はクライストチャーチ8:15→アーサーズ・パス 10:42なので、所要時間はほとんど変わらない。

やがて運転手は道端に車を止めて、切符を売り始めた。そう、このマイクロバスがそのまま山越えをするのだった。バス停はあってなきがごとし、だ。客を最寄りから拾い、しかもアーサーズ・パスまでの運賃は、60 NZドルかかる列車の半分以下の25ドル(当時のレートで1,800円)。人口の少ないこの国らしい実に小回りのきいたサービスで、これでは列車が太刀打ちできるはずがない。でも、こんなに繁盛しているなら大きなバスにすればいいのにと思う。

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(左)アーサーズ・パス方面のバスのリーフレット。大型バスが描かれているが...
(右)実際に走ったのはマイクロバス

バスは、畑がどこまでも広がるカンタベリー平野の直線道を、時速100kmで飛ばしていく。1時間ほど走ったところで、ようやく前方に山並みが現れた。アルプスの前山を越す標高942mのポーターズ・パス Porter's Pass だ。鉄道がワイマカリリ川 Waimakariri River の峡谷に沿って走るのに対して、道路は西にそれてこの峠を越える。

胸突き八丁の険しい勾配をローギアで登って行くと、えもいわれぬ色合いの山並みが迎えてくれた。アルプスの東側は乾燥気候で、樹木が育ちにくく、山肌が崩壊しやすい。それで、岩石の露出したところはグレー、草の生えたところは黄金色や黄緑色になり、水彩画の趣きを見せているのだ。

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ポーターズ・パスを越えて、サザンアルプスの山懐へ

峠を下りてしばらく進むうちに、草で覆われた丘に異様な形の巨岩が立ち並ぶキャッスル・ヒル Castle Hill が見えてきた。ここでフォトストップを兼ねた休憩がある。乗客はみな狭い車内からつかの間解放されて、嬉しそうだ。このあたりは盆地状の土地だが、河川の浸食で起伏が激しく、道路は大きく迂回しながら谷を渡る。

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キャッスル・ヒルから、雲がたなびくサザンアルプスを望む
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(左)剥き出しの巨岩が並ぶキャッスル・ヒル (右)山間で静かに水を湛えるピアソン湖

静かに水をたたえるピアソン湖 Lake Pierson を過ぎ、改めてワイマカリリの広く平たい河原に出る頃、対岸に私たちが乗れなかった西行きトランツアルパインの疾走する姿が小さく捉えられた。次善策で選んだバスの旅だったが、こうして列車では見られない景色を鑑賞できる印象深いものになった。

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(左)ワイマカリリ川上流。川を横断する鉄橋が見える
(右)対岸にトランツアルパインの姿が

10時30分、時刻表どおりにアーサーズ・パスのバス停(正確には峠ではなく、峠の手前の集落)に到着した。バスの窓から列車を追いかけていた頃はまずまずの天気だったが、峠の空は変わりやすくて、時折しぐれが襲う。カフェでミートパイ、サンドイッチとコーヒーを注文して、早めの昼食とした。

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(左)アーサーズ・パスのカフェ前からハイキングに出発
(右)グレイマウス行きトランツアルパインが通過

晴れ間が覗いたところを見計らって、デヴィルズ・パンチボウル滝 Devil's Punchbowl Falls を見に出かけた。パンチボウルはポンスを入れる鉢のことで、滝の名は「悪魔の大鉢」といったところだろう。滝壷まで大人の足で30分ほどの距離だ。西海岸へ通じる国道からわき道にそれるとまもなく、峠から流れ下ってくるビーリー川 Bealey River ともう一つの谷川を連続して渡る。鉄材でトラスを組んだ歩道橋だが、わが子は一目見て「てっちょー(鉄橋)」と叫んだ。目指す大滝が正面に見えている。

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デヴィルズ・パンチボウル滝とトラスの歩道橋

途中までは立派な木製の階段が整備されていて快調だったが、やがて大きな石が転がる本格的な山道となった。上り一辺倒ではなく下り坂もある。ベビーキャリアで重心が高くなっているので、慎重に進まざるを得ない。落石注意の看板の先で林がとぎれて、いよいよ滝が全貌を現した。高さ131m(下注)、見上げる高さから一気に落ちてくる。水しぶきばかりか、雲に覆われた空から霧雨まで吹きつけてきた。来合わせた青年に家族写真を撮ってもらう。

*注 高さの数値は、DOC "Discover Arthur's Pass - A Guide to Arthur's Pass National Park and Village" による。

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(左)石が転がる山道を行く (右)滝壺前に到着
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見上げる高さのデヴィルズ・パンチボウル滝

15時半に鉄道駅まで戻ってきた。発車時刻は15時57分なのだが、すでにトランツアルパインはホームに停まっていた。行きに見かけたときは客車を12両つないで堂々たる編成だったのに、帰りはたった3両とさびしい。それにここアーサーズ・パスはまったくの無人駅で、駅舎はあれど売店などはない。車内に持ち込むお菓子と飲み物を買いたいと思っていたので、当てが外れた。

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(左)アーサーズ・パス駅へ戻ると列車はすでに入線していた
(右)旧駅舎の写真パネル。現駅舎は旧駅舎の焼失後1966年に建築

列車は予約済みだが、座席指定は現地で行われる。始発駅なら窓口で行うはずのところ、ホームに出ていた車掌氏に名前を告げて、ボーディングパスを受け取った。

車内に入ると、日本のグリーン車以上の大型席が片側2つずつ、テーブルをはさんで向かい合わせに並んでいる。狭軌の車両にこの設備なので、通路は人一人通れるくらいの幅しかない。列車が動き出しても、私たちの向かいの席には誰も乗ってこなかった。見るとあちこちに空席がある。出発前に見たウェブサイトでは満席と表示されていたので、どうやらボックス単位で予約を入れているようだ。

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トランツアルパイン車内。テーブルつきボックスシートが所狭しと並ぶ

出発すると列車はビーリー川の谷を下っていき、まもなくワイマカリリの広い河原に出る。朝来るときにバスの車窓から追跡したあたりだ。やがて川と国道から離れて雄大な風景の高原地帯に入っていく。

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(左)初めはワイマカリリの広い河原の際を走る
(右)キャス Cass から川を離れて高原を行く

次はいよいよ大峡谷だ。右手に、大地を深く刻み込んだブロークン川 Broken River が現れる。これを高い鉄橋でゆるゆると渡ると、今度は左手はるか眼下に、さきほど別れたワイマカリリ川が明るいブルーの太い線を大きくくねらせている。窓の開かない客車を脱出して、連結された荷物車のデッキに移ったが、そこはカメラを手にした乗客が入れかわり立ちかわり集まる展望台と化していた。

長めのトンネルをいくつか抜けると、支流を渡る高い鉄橋がある。ワイマカリリがオーム字形に蛇行していて、まるで上空に飛び出したかのような角度から眺めることができる。最後の眺めは、この峡谷がカンタベリー平野に出て行くところだ。谷の中に封じ込められていた水の力が一気に解放され、網流の限りを尽くす様子が遠望された。

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(左)ブロークン川の鉄橋を渡って峡谷へ (右)峡谷になったワイマカリリ川に再会

スイスの列車も楽しいが、それに匹敵するほど、ダイナミックな景勝ルートだ。朝充電したデジカメが列車に乗る前に電池切れになってしまい、その後はアナログカメラでちびちび撮ったため、車窓写真がもうひとつパッとしないのが唯一の心残り。

平野に出たスプリングフィールド Springfield で、静かなはずのホームがにわかにざわついた。窓越しに覗くと、3両目を占有していた日本人団体客の一行が下車して、駅前に停車した観光バスに移動していく。ここから先の車窓は単調なので、先を急ぐツアーにさっさと見切りをつけられたわけだ。

やがて左にゆるゆるとカーブしてサウス・メイン線 South Main Line に合流し、工場や倉庫の中を走って、18時ごろクライストチャーチ駅に到着した。定刻18時05分より少し早い。駅舎は新しくモダンなデザインの建物だが、ホームは片面1線の簡素な造りだ。駅前に路線バスなどは来ていないので、シャトル Shuttle(当地では乗合タクシーのこと)を捕まえて宿へ戻った。

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クライストチャーチ駅に到着

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 ミッドランド線-トランツアルパインの走る道

2017年8月 6日 (日)

ミッドランド線 I-トランツアルパインの走る道

南北500kmにわたって連なるサザンアルプス Southern Alps。ニュージーランド南島の背骨を成すこの大山脈を果敢に横断する鉄道路線が、1本だけある。それがミッドランド線 Midland Line で、南島最大の都市クライストチャーチ Christchurch に近いロルストン Rolleston と、西海岸のグレイマウス Greymouth の間 211km(下注)を連絡する。最高地点は標高700mを超え、幾多のトンネルや鉄橋で険しい地形と闘う同国きっての山岳路線だ。

*注 路線距離(正確には210.94km)は "New Zealand Railway and Tramway Atlas" Fourth Edition, Quail Map Company, 1993 による。なお、英語版ウィキペディアでは212km(132マイル)としている。

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DXC形機関車が重連で牽く運炭列車がワイマカリリ川を渡る
Photo by TrainboyMBH at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0

西海岸の北部には炭鉱が集中しているが、あいにく積出し用の良港に恵まれていない。そのため、採掘された石炭は専用のホッパ車に積み込まれ、貨物列車でミッドランド線を経て、東海岸の港リトルトン Lyttelton まで運ばれる。それで、同線は重要な産業路線になっている。

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ミッドランド線の歴史は1870年代に遡る。当時、南島では、クライストチャーチからダニーディン Dunedin、インヴァーカーギル Invercargill に至る現在のメイン・サウス線 Main South Line が開通し、そこから内陸の町や村へ、支線が続々と延びていた。1880年1月に開通したスプリングフィールド支線 Springfield Branch(ロルストン~スプリングフィールド 48.6km)もその一つで、これが後にミッドランド線の根元区間になる。

1880年代に入ると、今度は島の東西を結ぶ鉄道建設の機運が高まった。1884年には、ルートとしてワイマカリリ川の谷 Waimakariri Valley を遡り、アーサーズ・パス Arthur's Pass を越える案が採択されている。だが、その間にそびえるサザンアルプスが建設の最大の障害になることもまた、十分に認識されていた。

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ミッドランド線(ロルストン Rolleston ~グレイマウス Greymouth)および周辺路線図
旗竿記号は後述するトランツアルパインの走行ルート
土地測量局 Department of Lands and Survey 発行の鉄道地図 南島1983年版に加筆
Sourced from LS159 Railway Map of South Island, Crown Copyright Reserved.

財源不足の政府に代わって、1886年にニュージーランド・ミッドランド鉄道会社 New Zealand Midland Railway Company が設立され、建設契約が交わされた。会社はロンドンで資金を調達して、工事に着手する。しかし1900年に政府への施設引渡しが完了したとき、線路は、西側こそ峠下のオーティラ Otira まで達していたが、東側ではほとんど前進していなかった。

なぜなら、ブロークン川左岸までの約13km (8.5マイル)には、ワイマカリリ川 Waimakariri River が造った大峡谷が横たわっていたからだ。線路は峡谷の肩に当たる比高100mの段丘上に敷かれる計画だったが、それでも迫る断崖と深い支谷を通過するために、16本のトンネルと4本の高い鉄橋が必要となった。最も壮観なステアケース橋梁 Staircase Viaduct は、川床からの高さが73mもある。

結局、工事は政府が引継ぐことになり、1906年10月にこの区間が完成を見た。さらに線路は延伸され、キャス Cass に1910年、峠の手前のアーサーズ・パス駅には1914年に到達した。

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川床からの高さ73mのステアケース橋梁
Photo by Zureks at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0

残された課題は、アーサーズ・パス(アーサー峠)をどのように越えるかだった。峠の標高は920mあり、かつ両側の河川勾配は著しく非対称だ。水平距離5kmの間に、東側(下注)では200m下るのに対して、西側は450mも急降下する。この激しい高度差を克服する方法として、すでにミッドランド鉄道会社の時代に、索道方式や、リムタカのようなフェル方式またはアプト式ラック(いずれも1:15(66.7‰)勾配)が検討されていた。

*注 トンネルは地形の関係で南北に向いているが、ここではアーサーズ・パス駅方を東、オーティラ駅方を西と表現する。

しかし、貨物の大量輸送をもくろんでいた政府は、特殊鉄道案には否定的で、1902年に長さ8,554mの単線トンネル(下注)を建設する案を決定した。これは当時大英帝国では最長、世界でも7番目の長大トンネルだった。しかも内部はオーティラに向けて、終始下り1:33(30.3‰)の急勾配という異例の設計だ。蒸気機関車では煤煙でとうてい運行に適さないため、この区間のみ直流1500Vで電化されることになった。

*注 トンネルの長さは、前掲の "New Zealand Railway and Tramway Atlas" に拠る。なお、IPENZ公式サイトでは8,529m、ウィキペディア英語版では8,566mとされている。IPENZサイトには5マイル25チェーンとも書かれており、これは8,549.64mになるため、Atlasの値が最も近い。

オーティラトンネル Otira Tunnel は、1907年に着工された。5年で完工する予定だったが、アルプスの破砕帯を突破する工事に難渋し、請け負った建設会社が倒産してしまう。政府は、建設工事をまたも直轄事業とせざるを得なかった。第一次世界大戦中も戦略的な観点から工事が続けられ、1918年に貫通。着工から16年目の1923年8月に、ようやく開通式を迎えた。

上述の理由で、トンネルを挟むアーサーズ・パス~オーティラ間だけは、開業時から電気機関車の活躍の場だったが、改良DX(DXC)形ディーゼル機関車の投入により、1997年に電化設備は撤去された。現在、この区間ではDXCの5重連が、ホッパ車(運炭車)を最大30両連結した貨物列車を牽いて、峠のトンネルを上っている。

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ディーゼル機関車DXC 5356号機(先頭車、ピクトン駅にて)
Photo by DXR at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0

一方、ミッドランド線を通る唯一の旅客列車が「トランツアルパイン TranzAlpine」だ。キーウィレール KiwiRail 社が「ニュージーランドの大いなる旅 The Great Journeys of New Zealand」のトータルブランドのもとで、運行している。トランツアルパインとは、ヨーロッパでアルプス横断を意味するトランスアルパイン Transalpine の ns の綴りを、ニュージーランドの略称 nz に置き換えた造語だ。

1日1往復のみの設定だが、驚くことではない。なにしろニュージーランドでは、長距離旅客列車は絶滅危惧種と言ってよく、南島にはこれを含めて2本しか残っていないからだ(下注)。トランツアルパインは絶景の中を走ることで知られるが、それどころかこの国では、旅客列車の走行シーンが見られるだけでも貴重なのだ。

*注 もう1本は「コースタル・パシフィック Coastal Pacific」。ピクトン Picton ~クライストチャーチ間で、9月~4月(夏季)に1日1往復設定されている。しかし、2016年11月の地震による土砂崩れのため、2017年8月現在運休中。これとは別に、ダニーディンを拠点にするダニーディン鉄道 Dunedin Railway がメイン・サウス線とその支線で、観光列車を走らせている。

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アーサーズ・パス駅に入線するトランツアルパイン
Photo by User: (WT-shared) SONORAMA at wts wikivoyage. License: CC BY-SA 3.0

トランツアルパインの運行は1987年に始まった。改装したての車両が投入され、従来の古びた急行列車のイメージを一掃しての登場だった。以来、ニュージーランドで最も人気のある観光列車として、他の便が縮小や廃止の憂き目にあう中、しぶとく生き残ってきた。

運行区間は、クライストチャーチ~グレイマウス間の223km(139マイル)。途中7駅に停車する。一部区間がパックツアーに組み込まれ、団体客も乗ってくるので、乗車には事前予約が望ましい。

2017年8月現在のダイヤでは、西行きがクライストチャーチ8時15分発、グレイマウス13時05分着で、所要4時間50分。折返し東行きが同駅14時05分発、クライストチャーチ18時31分着で、所要4時間26分だ。所要時間が往路と復路でかなり違うのは、単線のため、貨物列車との交換待ちがあるからだろう。

現在のクライストチャーチ駅は3代目で、ロータリーになった広場の前に、簡素ながらスマートな駅舎が建っている。メイン・ノース線 Main North Line とメイン・サウス線の分岐点に近く、列車運用上は好都合な位置だが、町の中心部から西へ2.5kmも離れていて、駅前に路線バスすら来ていない。列車本数があまりに少なく需要がないのに違いない。

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クライストチャーチ駅
Photo by Matthew25187 at en.wikipedia. License: CC BY-SA 3.0

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クライストチャーチ市街の1:50,000地形図
中心部の大聖堂広場 Cathedral Square と旧駅 Former station site の位置を加筆
Sourced from Topo50 map BX24 Christchurch. Crown Copyright Reserved.

発車して1時間余りは、カンタベリー平野の広大な耕作地の中をひた走る。車窓を眺めても全く気づかないが、この一帯はサザンアルプスから流れ出るワイマカリリ川による大規模な開析扇状地で、扇頂に位置するスプリングフィールド Springfield では、すでに標高が383mに達している。

スプリングフィールドを出ると山が迫り、路線の歴史で紹介したワイマカリリ川の大峡谷に入っていく。西行きの列車の場合、展望は右側に開ける。このスペクタクルな景観は、スローヴンズ・クリーク橋梁 Slovens Creek Viaduct を渡ったところで、ひとまず終わる。

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ブロークン川橋梁を遠望
Photo "TranzAlpine 2011" by Bob Hall at flickr.com. License: CC BY-SA 2.0

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ワイマカリリ峡谷の1:50,000地形図
Sourced from Topo50 map BW21 Springfield, BW22 Oxford. Crown Copyright Reserved.

山中の浅い谷を通り抜けて、谷幅いっぱいに広がるワイマカリリ川と再会する。まもなくこの川を横断し、支流ビーリー川 Bealey River の谷を遡ると、路線のサミットである標高737mの駅アーサーズ・パスだ。山岳観光の玄関口でもあるので、降車する客が多く、車内は急に閑散とするだろう。帰りの列車まで約5時間半あるから、クライストチャーチから日帰り旅行も可能だ。

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キャス周辺の1:50,000地形図
Sourced from Topo50 map BV21 Cass. Crown Copyright Reserved.
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アーサーズ・パス周辺の1:50,000地形図
Sourced from Topo50 map BV20 Otira. Crown Copyright Reserved.

ビーリー川を渡るやいなや、列車はオーティラトンネルに突入する。下り一方の長く騒々しい闇を抜ければ、山間のオーティラ Otira 駅に停車だ。さらに降りていくと、タラマカウ川 Taramakau River 本流の谷に出るが、線路は海へ向かう川には従わず、北へ向きを変える。

沿線で唯一、車窓に穏やかな湖面が広がるのが、モアナ Moana 駅の前後だ。鱒釣りで知られるブルナー湖 Lake Brunner だが、その景色はすぐに後へ去り、列車は、湖から注ぎ出すアーノルド川 Arnold River の岸をゆっくりと下っていく。スティルウォーター=ウェストポート線 Stillwater–Westport Line に合流してからは、グレイ川 Grey River に沿って最後の走りを見せる。

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モアナ駅から見たブルナー湖
Photo "TranzAlpine 2011" by Bob Hall at flickr.com. License: CC BY-SA 2.0

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モアナ周辺の1:50,000地形図
Sourced from Topo50 map BU20 Moana. Crown Copyright Reserved.

両岸に山が迫り、右へ分岐した線路(ラパホー支線 Rapahoe Branch)が川を渡っていくのを見送ると、まもなく道路を斜め横断して、グレイマウス駅に到着する。ここも片面ホームの簡素な駅だ。なお、さらに遠方へ足を延ばす人には、駅前から、インターシティ InterCity 社が運行するフォックス・グレーシャー Fox Glacier 行きとネルソン Nelson 行きのバス便がある。

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グレイマウス駅
Photo by User: (WT-shared) SONORAMA at wts wikivoyage. License: CC BY-SA 4.0

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グレイマウス市街周辺の1:50,000地形図
Sourced from Topo50 map BT19 Runanga, BU19 Kumara. Crown Copyright Reserved.

次回は、ミッドランド線を通って、クライストチャーチ~アーサーズ・パス間の日帰り旅をしたときのことを記したい。

■参考サイト
KiwiRail - The Great Journeys of New Zealand
https://www.greatjourneysofnz.co.nz/
InterCity(長距離路線バス会社) https://www.intercity.co.nz/
IPENZ(ニュージーランド専門技術者協会) http://www.ipenz.org.nz/

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 ミッドランド線 II-アーサーズ・パス訪問記
 リムタカ・インクライン I-フェル式鉄道の記憶
 リムタカ・インクライン II-ルートを追って
 ニュージーランドの鉄道地図

2017年7月30日 (日)

リムタカ・インクライン II-ルートを追って

新線が開通すると、リムタカ・インクライン Rimutaka Incline を含むワイララパ線 Wairarapa Line 旧線区間では、施設の撤去作業が行われ、ほぼ更地化した。平野部では多くが農地や道路に転用されてしまったが、峠越えのカイトケ Kaitoke ~クロス・クリーク Cross Creek 間は公有地で残された。

一方、フェル式蒸気機関車の中で唯一解体を免れたH 199号機は、リムタカの東にあるフェザーストン Featherston の町に寄贈され、公園で屋外展示された。子どもたちの遊び場になったのはいいが、その後風雨に晒され、心無い破壊行為もあって、状態は悪化の一途をたどる。20年が経過したとき、旧線時代を振り返る書物の刊行をきっかけにして、保存運動が始まった。その結果、フェザーストンに今もあるフェル機関車博物館 Fell Locomotive Museum が1984年に建てられ、機関車は改めて館内で公開されるようになった。

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IPENZ(ニュージーランド専門技術者協会)によるリムタカ・インクラインの銘板
Photo by russellstreet at flikr.com. License: CC BY-SA 2.0

忘れられていた廃線跡にも、人々の関心が向けられた。ニュージーランド林務局 New Zealand Forest Service は、博物館開館と同じ年に、クロス・クリーク駅跡へ通じるアクセス道とインクライン跡の整備を実施した。崩壊した築堤には迂回路が設けられ、土砂崩れで冠水していたサミットトンネル Summit Tunnel も排水されて、サミット駅跡まで到達できるようになった。

その発展形が、ウェリントン地方議会 Wellington Regional Council と自然保護局 Department of Conservation が共同で計画した、廃線跡を利用するトレール(自然歩道)の設置だ。1987年11月に、メイモーン Maymorn ~クロス・クリーク間 22kmが「開通」し、「リムタカ・レールトレール Rimutaka Rail Trail」と命名された。H形機の舞台は今や、自転車や徒歩で追体験することが可能だ。

それは、いったいどのようなところを走っていたのか。トレールにならなかった区間も含めて、新旧の地形図でそのルートを追ってみよう。

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リムタカ・インクラインを含むワイララパ旧線のルート
3つの枠は下の詳細図の範囲を示す
Sourced from NZMS 262 map 8 Wellington. Crown Copyright Reserved.

アッパー・ハット Upper Hut ~カイトケ Kaitoke 間

付け替え区間は、アッパー・ハット駅を出て間もなく始まる。ハット谷 Hutt Valley より一段高いマンガロア谷 Mangaroa Valley に出るために、旧線は、境を成す尾根筋に取りつき、ぐいぐいと上っていく。短距離ながら急曲線(半径5チェーン=100.6m)と急勾配(1:35=28.6‰)が続く、リムタカの本番を控えた前哨戦のような区間だ。廃線跡は森に埋もれてしまい、現行地形図では、尾根を抜ける長さ120mのトンネル(Old tunnel の注記あり)しか手がかりがない。しかし、等高線の描き方から谷を渡っていた築堤の存在が推定できる。

トンネルを抜けるとマンガロア谷だ。北に緩やかに傾斜する広い谷の中を、旧線はほぼ直線で縦断し、途中にマンガロア駅があった。地形図でも、断続的な道路と防風林(緑の帯の記号)のパターンがその跡を伝える。

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マンガロア駅跡
Photo by Matthew25187 at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0

現 メイモーン駅の東方から、旧線跡はリムタカ・レールトレールとして、明瞭な形をとり始める。周辺はトンネル・ガリー保養地 Tunnel Gully Reareation Area で、地形図では破線で描かれる小道が錯綜しているが、その中で、車が通れる小道 Vehicle track を表す少し長めの破線記号が、本題のトレールだ。こう見えても、勾配は1:40(25‰)前後ある。

長さ221m、直線のマンガロアトンネル Mangaroa Tunnel で、プラトー山 Mount Plateau の尾根を抜ける。大きく育った松林の間を進むうちに、一つ北側のカイトケ谷 Kaitoke Valley に移っている。旧カイトケ駅構内は私有地になったため、トレールはそれを避けて大きく西へ迂回しており、駅跡の先で本来の旧線跡に復帰する。

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アッパー・ハット~カイトケ間の現行1:50,000地形図
Sourced from Topo50 map BP32 Paraparaumu, BP33 Featherston. Crown Copyright Reserved.
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同 旧線時代の1マイル1インチ地図(1957年版)
鉄道記号の横のT字の記号は電信線 Telephone lines、
橋梁に添えられた S は鋼橋 Steel または吊橋 Suspension、W は木橋 Wooden を表す
Sourced from NZMS 1 map N161 Rimutaka. Crown Copyright Reserved.

カイトケ~サミット Summit 間

サミットに至る峠の西側約12kmのうち、初めの約2kmは一般車も通れる道だ。車止めのゲートを越えると専用林道で、開けたカイトケ谷のへりに沿いながら、パクラタヒ川 Pakuratahi River が流れる谷へ入っていく。

まもなく谷幅は狭まり、渓谷の風情となる。小川を横切っていたミューニションズ・ベンド橋梁 Munitions Bend bridge は1960年代に流失した。以来、林道は川をじかに渡っていた(=渡渉地 Ford)が、2003年、傍らに徒橋 Foot bridge と線路のレプリカが渡された(下注)。長さ73mのパクラタヒトンネル Pakuratahi Tunnel を抜けると、森の陰に新線リムタカトンネルの換気立坑がある。新線はこの直下117mの地中を通っているのだ。

*注 ウェリントン地方議会のサイトでは、徒橋の設置を2003年としているが、現地の案内標識には2004年と記されている。

少し行くと、長さ28m、木造ハウトラス Howe truss のパクラタヒ橋梁 Pakuratahi Bridge で本流を渡る。ニュージーランド最初のトラス橋だったが、火災で損傷したため、1910年に再建されたもので、2001年にも修復を受けている。

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木造ハウトラスのパクラタヒ橋梁
Photo by Pseudopanax at wikimedia

谷間がやや開け、右カーブしながら、長さ70mの桁橋レードル・ベンド・クリーク橋梁 Ladle Bend Creek bridge を渡る。比較的緩やかだった勾配は、ここから最急勾配1:40(25‰)と厳しくなる。直線で上っていくと、また谷が迫ってくる。高い斜面をトレースしながら、山襞を深い切通しで抜ける。

再び視界が開けると、レールトレールは左から右へ大きく回り込みながら、均されたサミット駅跡に達する。現役時代から、集落はおろかアクセス道路すらない山中の駅だったので、運転関係の施設のほかに鉄道員宿舎が5戸あるのみだった。今は跡地の一角に蒸機の残骸のオブジェが置かれているが、H形のものではないそうだ。

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サミット駅跡
Photo by russellstreet at flikr.com. License: CC BY-SA 2.0

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カイトケ~クロス・クリーク間の現行1:50,000地形図
Sourced from Topo50 map BP33 Featherston, BQ33 Lake Wairarapa. Crown Copyright Reserved.
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同 1マイル1インチ地図(1957年版)
Sourced from NZMS 1 map N161 Rimutaka. Crown Copyright Reserved.

サミット~クロス・クリーク Cross Creek 間

峠の東西で線路勾配は大きく異なる。あたかも信越本線の碓氷峠に似て、西側は25‰で上りきれるが、東側は66.7‰の急勾配を必要とした。それを克服する方法が、碓氷峠のアプト式に対して、リムタカではフェル式(下注)だ。この急坂区間をリムタカ・インクライン Rimutaka Incline と呼んだ。

*注 フェル式については、前回の記事参照。

文献では長さ3マイル(メートル換算で4.8km)と書かれることが多いが、これは両駅間の距離を指している。サミット駅を出ると間もなく、旧線は長さ576m(1,890フィート)のサミットトンネルに入るが、トンネル内の西方約460mは、下り1~3.3‰とわずかな排水勾配がつけられているだけだ。残り約100mの間に勾配は徐々に険しくなり、トンネルの東口で下り1:15(66.7‰)に達していた(下注)。このことから推測すれば、フェル式レールの起点は東口近くに置かれていたはずだ。

*注 トンネルは地形の関係で南北に向いているが、ここではサミット駅方を西、クロス・クリーク駅方を東と表現する。

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サミットトンネル東口
Photo by russellstreet at flikr.com. License: CC BY-SA 2.0

トンネルを抜けると、旧線跡は分水嶺の中腹に躍り出る。眼下の谷、向かいの山並み、これから下っていくルートまで眺望できる展望地だ。左に回り込んで、長さ121mのシベリアトンネル Siberia tunnel を抜けたところに、半径100m(5チェーン)の急曲線で谷を渡る高さ27mの大築堤があった。谷は築堤の形状にちなんでホースシュー・ガリー Horseshoe Gully(馬蹄形カーブの峡谷の意)と呼ばれたが、冬は激しい北西風に晒されるため、シベリア・ガリー Siberia Gully の異名もあった。1880年に突風による列車の転落事故が発生した後、築堤上に防風柵が設けられている。

しかし、その大築堤も今はない。廃線後の1967年、暴風雨のさなかに、下を抜けていた水路が土砂で詰まり、溢れた水が築堤を押し流してしまったからだ。そのため現在、レールトレールの利用者は谷底まで急坂で下り、川を渡渉するという回り道を余儀なくされる。谷から突っ立っている異様なコンクリートの塔は、縦方向の水路が剥き出しになったものだという。

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(左)ホースシュー・ガリーを渡っていた大築堤に、防風柵が見える
Photo from archives.uhcc.govt.nz. License: CC BY-NC 3.0 NZ
(右)築堤が流失したため、現在、レールトレールは谷底まで降りて川を渡る
Photo by Matthew25187 at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0

次のプライシズトンネル Price’s Tunnel は、長さ98m(322フィート)でS字に曲がっている。しばらくこうして斜面を下っていくうちに、平坦地に到達する。登録史跡にもなっているクロス・クリーク駅跡だ。フェル式車両の基地があったので、構内はかなり広いが、今はトレール整備で造られた待合室のような小屋があるばかりだ。

なお、旧版地形図には、マンガロアとクロス・クリークを結んで "Surveyed Line or Proposed Rly. Tunnel" と注記された点線が描かれている。これは当初構想のあった約8kmの新トンネルだ。結局、リムタカトンネルはこのルートでは実現せず、クロス・クリークは廃駅となってしまった。

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1955年10月29日、H 199号機が先導する最終列車がクロスクリーク駅を出発
Photo from archives.uhcc.govt.nz. License: CC BY-NC 3.0 NZ

クロス・クリーク~フェザーストン Featherston 間

クロス・クリークから東は、1:40(25‰)以内の勾配で降りていく。残念ながら大部分が私有地となり、旧線跡の多くは牧草地の中に埋もれている。そのため、レールトレールは小川(クロス・クリーク)を渡って対岸に移る。地形図で下端に見える水面は、北島第3の湖、ワイララパ湖 Lake Wairarapa だ。平原に出ると、旧線はフェザーストンの町まで一直線に進んでいた。途中、小駅ピジョン・ブッシュ Pigeon Bush があったはずだが、周辺にぽつんと残る鉄道員宿舎の暖炉煙突2基を除いて、跡形もない。

リムタカトンネルを抜けてきた新線が接近する地点に、スピーディーズ・クロッシング Speedy's Crossing と呼ばれる踏切がある。1955年11月3日、ここで新線の開通式が執り行われた。39kmに及ぶ旧線跡の終点はまた、新旧の交替というエポックを象徴する場所でもあった。

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クロス・クリーク~フェザーストン間の現行1:50,000地形図
Sourced from Topo50 map BP33 Featherston, BQ33 Lake Wairarapa. Crown Copyright Reserved.
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同 1マイル1インチ地図(1957年版)
Sourced from NZMS 1 map N161 Rimutaka. Crown Copyright Reserved.

■参考サイト
Tracks.org.nz  http://tracks.org.nz/
Cycle Rimutaka - New photos of the Rimutaka Cycle Trail!
http://www.cyclerimutaka.com/news/2015/10/28/new-photos-of-the-rimutaka-cycle-trail
Mountain Biking Travels - Rimutaka Rail Trail - Wairarapa
http://mountainbiking-travels.blogspot.jp/2015/06/rimutaka-rail-trail-wairarapa.html

本稿は、Norman Cameron "Rimutaka Railway" New Zealand Railway and Locomotive Society Inc., 2006、および参考サイトに挙げたウェブサイトを参照して記述した。

★本ブログ内の関連記事
 リムタカ・インクライン I-フェル式鉄道の記憶
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 オーストラリアの大分水嶺を越えた鉄道-ジグザグ鉄道 I
 オーストラリアの大分水嶺を越えた鉄道-ジグザグ鉄道 II

2017年7月23日 (日)

リムタカ・インクライン I-フェル式鉄道の記憶

急勾配の線路を上り下りするために、2本の走行レールに加えて第3のレールを用いて、推進力や制動力を高める鉄道がある。その大部分は、地上に固定した歯竿(ラック)レールと、車体に装備した歯車(ピニオン)を噛ませるラック・アンド・ピニオン方式、略してラック式と呼ばれるものだ。代名詞的存在のアプト式をはじめ、いくつかのバリエーションが創られた。

しかし、フェル式 Fell system はそれに該当しない。なぜなら、中央に敷かれた第3のレールはラックではなく、平滑な双頭レールを横置きしたものに過ぎないからだ。坂を上るときは、このセンターレールの両側を車体の底に取り付けた水平駆動輪ではさむことで、推進力を補う。また、下るときは同じように制輪子(ブレーキシュー)を押し付けて制動力を得る。

■参考サイト
レール断面図
http://www.rimutaka-incline-railway.org.nz/history/fell-centre-rail-system

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線路工夫が見守る中、フェル式区間を上る貨物列車
Photo from archives.uhcc.govt.nz. License: CC BY-NC 3.0 NZ

この方式は、イギリスの技師ジョン・バラクロー・フェル John Barraclough Fell が設計し、特許を取得したものだ。ラック式ほど険しい勾配には向かないものの、レールの調達コストはラック式に比べて安くて済む。1863~64年に試験運行に成功したフェルの方式は、1868年に開通したアルプス越えのモン・スニ鉄道 Chemin de fer du Mont-Cenis で使われた。フレジュストンネル Tunnel du Fréjus が開通するまで、わずか3年間の暫定運行だったが、宣伝効果は高く、これを機に、フェル式は世界各地へもたらされることになる(下注)。

*注 現存しているのは、マン島のスネーフェル登山鉄道(本ブログ「マン島の鉄道を訪ねて-スネーフェル登山鉄道」参照)が唯一だが、中央レールは非常制動用にしか使われない。

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ニュージーランドの植民地政府もまた、この効用に注目した。当時、北島南端のウェリントン Wellington からマスタートン Masterton 方面へ通じる鉄道(現 ワイララパ線 Wairarapa Line)の建設が準備段階に入り、中間に横たわるリムタカ山脈 Rimutaka Range をどのように越えるかが主要な課題になっていた。

ルート調査の結果、カイトケ Kaitoke(当時の綴りは Kaitoki)からパクラタヒ川 Pakuratahi River の谷を経由するという大筋の案が決まった。峠の西側の勾配は最大1:40(25‰)に収まり、蒸機が粘着力で対応できるため、問題はない。しかし、東側は谷がはるかに急で、なんらかの工夫が必要だった。勾配を抑えるために山を巻きながら下る案は、あまりの急曲線と土工量の多さから退けられ、最終的に、平均1:15勾配(66.7‰、下注)で一気に下降する案が採用された。

*注 縦断面図では1:16(62.5‰)~1:14(71.4‰)とされている。

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ワイララパ旧線とリムタカ・インクライン
フェル式を採用したインクライン(図では梯子状記号で表示)は、サミットトンネル Summit Tunnel 東口~クロス・クリーク Cross Creek 駅間のみで、それ以外は粘着式で運行された
Sourced from NZMS 262 map 8 Wellington. Crown Copyright Reserved.

この長さ3マイル(4.8km)のインクライン(勾配鉄道、下注)に導入されたのが、フェル式だ。特殊な構造の機関車が必要となるものの、客車や貨車は直通でき、実用性もモン・スニで実証済みだというのが、推奨の理由だった。当時、山脈を長大トンネルで貫く構想もすでにあり、インクラインは暫定的な手段と考えられたのだが、実際には、フェル式を推進と制動の両方に使用するものでは77年間と、最も寿命の長い適用例になった。

*注 このインクライン区間の呼称については、リムタカ・インクライン Rimutaka Incline のほか、「リムタカ・インクライン鉄道 Rimutaka Incline Railway」や「リムタカ鉄道 Rimutaka Railway」も見受けられる。ただし、下記参考資料では「リムタカ鉄道」を、ワイララパ旧線全体を表現する用語として使用している。

建設工事は1874年に始まり、予定より遅れたものの1878年10月に完成した。これでウェリントンからフェザーストン Featherston まで、山脈を越えて列車が直通できるようになった。

フェル式区間のあるサミット Summit ~クロス・クリーク Cross Creek 間(下注)には、イギリス製の専用機関車NZR H形(軸配置0-4-2)が投入された。開通時に1875年製が4両(199~202号機)、1886年にも2両(203、204号機)が追加配備されている。また、下り坂に備えて列車には、強力なハンドブレーキを備えた緩急車(ブレーキバン)が連結された。これら特殊車両の基地は、峠下のクロス・クリーク駅にあった。通常の整備はここで実施され、全般検査のときだけ、ウェリントン近郊のペトーニ Petone にある整備工場へ送られたという。

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唯一残るフェル式機関車(フェル機関車博物館蔵 H 199号機)
© Optimist on the run, 2002 / CC-BY-SA-3.0 & GFDL-1.2.
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床下に潜れば、センターレールとそれをはさむブレーキシューが見える
© Optimist on the run, 2002 / CC-BY-SA-3.0 & GFDL-1.2.

当初インクラインを通行する列車は、機関車1両で扱える重量までとされた。制限は徐々に緩和され、1903年の貫通ブレーキ導入後は、最大5両の機関車で牽くことも可能になった。しかし、機関車ごとに乗員2名、列車には車掌、さらに増結する緩急車でブレーキ扱いをする要員と、1列車に10数名が携わることになり、運行コストに大きく影響した。また、インクラインでの制限速度は、上り坂が時速6マイル(9.7km)、下り坂が同10マイル(16km)で、機関車の付け替え作業と合わせ、この区間の通過にはかなりの時間を費やした。

ワイララパ線は、1897年にウッドヴィル・ジャンクション Woodville Junction(後のウッドヴィル)までの全線が完成している。ギズボーン Gisborne 方面の路線と接続されたことで輸送量が増え、20世紀に入ると、H形機関車の年間走行距離は最初期の10倍にもなった。

1936年、鉄道近代化策の一環で、ウェリントン~マスタートン間に軽量気動車6両 RM 4~9 が導入された。センターレールに支障しないよう、通常の台車より床を12インチ(305mm)高くした特別仕様車で、速度の向上が期待されたが、実際には時速10~12マイル(16~19km)にとどまった。

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カイトケ駅に到着する軽量気動車
Photo from archives.uhcc.govt.nz. License: CC BY-NC 3.0 NZ

リムタカのボトルネックを解消する抜本策が、バイパストンネルの建設であることは自明の話だった。1898年に詳細な調査が実施され、マンガロア Mangaroa ~クロス・クリーク間を直線で結ぶ約5マイル(8km)のトンネル計画が練られた。1920年代にも再び実現可能性の調査が、30年代には詳細な測量が行われたが、それ以上前に進まなかった。

懸案への対処が先送りされ続けた結果、第二次世界大戦が終わる頃には、リムタカの改良は待ったなしの状況になっていた。機関車もインクラインの線路も、長年酷使されて老朽化が進行していたからだ。1947年に決定された最終ルートは、当初案のクロス・クリーク経由ではなく、一つ北のルセナズ・クリーク Lucena's Creek(地形図では Owhanga Stream)の谷に抜けるものになった。1948年、ついにトンネルを含む新線が着工され、7年の工期を経て、1955年に竣工した。

これに伴い、旧線の運行は1955年10月29日限りとされた。最終日には、稼働可能なH形機関車全5両を連結した記念列車がインクラインで力走を見せ、多くの人が別れを惜しんだ。切替え工事を経て、新線の開通式が挙行されたのは同年11月3日だった。

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インクライン運行最終日に坂を下るH形4重連
Norman Cameron "Rimutaka Railway" 表紙写真

リムタカ迂回線 Rimutaka Deviation は、延長39.0kmあった旧線区間を14.4kmも短縮するとともに、最急勾配は1:70(14.3‰)、曲線半径も400mまでに抑えた画期的な新線だ。その結果、旅客列車で70分かかっていたアッパー・ハット~フェザーストン間がわずか22分になった。貨物列車も所要時間の短縮に加え、長編成化が可能になって、輸送能力が格段に向上した。

新線は全線単線で、トンネルをはさんで西口のメイモーン Maymorn 駅と東口のリムタカ信号場 Rimutaka Loop にそれぞれ待避線が設置されている。リムタカトンネル Rimutaka Tunnel は長さ 8,798mと、当時ニュージーランドでは最長を誇った(下注)。

*注 1978年に東海岸本線 East Coast Main Trunk Line の短絡線として、長さ8,850mのカイマイトンネル Kaimai Tunnel が完成するまで、最長の地位を守った。

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リムタカトンネル開通式
ブックレット表紙
Photo by Archives New Zealand at wikimedia. License: CC BY-SA 2.0

トンネルには、ほぼ中間地点に換気立坑 ventilation shaft があり、旧線が通るパクラタヒ谷の地表面に達している。実はこれは、トンネル完成後に追加された工事だ。この区間はもともと架空線方式の電化が想定されていたが、経済的な理由で非電化のままになった。ディーゼル機関車の試験走行を行ったところ、自然換気だけでは排気が十分でないことが判明し、急遽対策がとられたのだ。

新線への切替え後、列車の往来が途絶えた旧線では、すぐさま施設の撤去が始まった。H形機関車は、長年走り続けた線路の撤去作業を自ら務めた。それが終わると、ハット整備工場へ牽かれていき、そこでしばらく留置された。そして翌年除籍され、フェザーストンの町に寄贈された1両を残して、あえなく解体されてしまった。

まだ使用可能だったフェルレールと緩急車は、再利用するために南島のレワヌイ支線 Rewanui Branch(下注)へ移送された。こうして、リムタカ・インクラインの77年の歴史は幕を閉じたのだった。

*注 ニュージーランドにはリムタカのほかにも、フェル式が使われた路線がある。南島北西部の鉱山支線であった上記のレワヌイ・インクライン Rewanui Incline(使用期間 1914~66年)とロア・インクライン Roa Incline(同 1909~60年)、ウェリントン ケーブルカー Wellington Cable Car(同 1902~78年)、カイコライ・ケーブルカー Kaikorai Cable Car(ダニーディン Dunedin 市内、期間不明)だが、いずれも制動のみの使用だった。

では、旧線はどのようなところを走っていたのか。次回は、インクラインを含む旧線のルートを地形図で追ってみたい。

本稿は、Norman Cameron "Rimutaka Railway" New Zealand Railway and Locomotive Society Inc., 2006、および参考サイトに挙げたウェブサイトを参照して記述した。

■参考サイト
リムタカ・インクライン鉄道遺産財団 Rimutaka Incline Railway Heritage Trust
http://www.rimutaka-incline-railway.org.nz/

★本ブログ内の関連記事
 リムタカ・インクライン II-ルートを追って
 ミッドランド線 I-トランツアルパインの走る道
 ニュージーランドの鉄道地図

 マン島の鉄道を訪ねて-スネーフェル登山鉄道

2017年7月16日 (日)

ニュージーランドの旅行地図 II-現在の刊行図

刊行が終了した DOC の旅行地図に代わって、ニュージーランドでは2017年7月現在、2社がトラック(自然歩道)をテーマにした地図を刊行している。いずれもニュージーランド土地情報局 LINZ の地形図(以下LINZ図、下注)を基図に直接使わず、独自に開発したグラフィックスを駆使した意欲的な製品だ。

*注 LINZ図については、「ニュージーランドの1:50,000地形図」「ニュージーランドの1:250,000地形図ほか」で詳述。

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NewTopo Map表紙Tongariro Northern Circuit
2017年版

NewTopo Map

ニュートポ社 NewTopo(NZ)Ltd. のニュートポ・マップは、全部で41面ある。北島最北端のレインガ岬 Cape Reinga から、オークランド、ウェリントン、クライストチャーチなど都市近郊の山野、果ては南端スチュワート(ラキウラ)島に至るまで、同国のトランピング(徒歩旅行)ルートをおよそ網羅している。もちろん、グレート・ウォークス Great Walks(下注)と称されるDOC推奨の主要トラックも含まれている。

*注 ニュージーランド・グレート・ウォークス New Zealand Great Walks は、ワイカレモアナ湖 Lake Waikaremoana Great Walk、トンガリロ・ノーザン・サーキット(周遊道)Tongariro Northern Circuit、ワンガヌイ・ジャーニー Whanganui Journey、アベル・タスマン(エイベル・タズマン)海岸 Abel Tasman Coast Track、ヒーフィー Heaphy Track、ルートバーン Routeburn Track、ミルフォード Milford Track、ケプラー Kepler Track、ラキウラ Rakiura Track の全9路線から成る。

地図は耐水紙に印刷され、折図にして保護用の透明ケースに収められている。用紙はA1判またはA3判で、両面刷のものもある。縮尺は、エリアの広さや自然歩道の長さに応じて1:30,000から1:150,000までさまざまだ。定縮尺でないため、図が替わると距離感覚にややとまどいが生じるが、1kmグリッドが掛けられているので、実用上の問題はないだろう。

地勢表現は、等高線とぼかしで描かれる。等高線は20m間隔で、観察する限りではLINZ図のラスタデータがそのまま用いられている。急傾斜地でも間引かれないので、サザンアルプスのような山岳地帯では線が凝縮され、それだけで立体的に見えるほどだ。しかし、不思議なことに計曲線がなく、等高線に高度値も振られていない。そのため、標高点以外の場所で土地の高度を読み取るのは難しい。

ぼかしは、後述する Geographx社の製作と記されている。LINZ図より総じて柔らかい色合いだが、稜線の影が山麓に落ちるさまをシャープに描くといったユニークな描法も見受けられる。等高線に対する疑問点を別にすれば、地勢表現は明瞭で美しい。かつ色調を抑え気味にすることで、主題である自然歩道や必要な注記を引き立たせる配慮がなされている。

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NewTopo Mapの例 Wellington Outdoors
(c) NewTopo, 2017

地図記号はいたってシンプルだ。車道 road は、赤の縁取りと黄色の塗りで表される。自然歩道は3区分で、ウォーキング・トラック walking track が赤の太線、トランピング・トラック tramping track は同 細線、トランピング・ルート tramping route は点線だ。ルートの所要時間や危険個所などの注記も施されている。施設関係では、山小屋 hut、キャンプサイト、シェルター、トイレ、展望地、駐車場の記号がある。また、図中に頻出する fb の注記は、footbridge(徒橋)のことだ。

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NewTopo Mapの凡例(一例)

NewTopo社のサイト(下記参考サイト)に、刊行図の一覧が挙がっている。更新も比較的頻繁に行われているようで、6割の図葉がこの3年間(2015~17年)の改訂版だ。

■参考サイト
NewTopo  http://www.newtopo.co.nz/

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Geographx Map and Track Guide表紙 Milford Track
2016年版

Geographx Map and Track Guide

Geographx社のマップ・アンド・トラックガイドは、グレート・ウォークスにテーマを絞った全9点で、2013~14年に初版が刊行された。同社サイトではまだ全図葉が初版とされているが、実際は第2版も出ている。Geographx社はウェリントンに拠点を置く地図デザインスタジオで、DOCの展示物をはじめ、さまざまな地図の製作を受託し、世界最大の地図帳アース・プラチナ Earth Platinum では国際的な賞も獲得している。

地図はA1判の耐水紙に両面印刷されている。一部の図葉を除いて、片面がルートの平面図(正射影図)、反対面はより広域の鳥瞰図(斜射影図)という配置だが、一目見て、他の地図に比べて極端に暗い図面であることに驚く。地色になっているのは、くすんだベージュや焦茶を使った裸地や溶岩流と、フォレストグリーンのパターンで表される森林だ。さらに、湖や海などの水部には沈んだサックスブルーが充てられ、氷河や万年雪も純白ではなく灰味がかっている。

このような地色の上に濃いぼかしが掛けられるので、あたかも薄暮の景色を眺めているような錯覚に陥るのだが、地勢を読取りにくいのかというと、そうではない。暗いなりに陰影がうまく表現できている。デザイナーの意図は、むしろベースの明度を落とすことによって、自然歩道や注記を際立たせるところにあるのだろう。

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Geographx Map and Track Guideの例 Milford Track
(c) Geographx, 2017

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Geographx Map and Track Guideの
凡例(一例)

タイトルになっている自然歩道は、最も鮮やかな黄色の実線で描かれる。その他のトレールやルートは同じ黄色を使った点線だ。車道はそれより薄い黄色が置かれる。地図記号はほかに、山小屋(数種類に区別)、キャンプサイト、シェルター、ビジターセンター、トイレ、滝、展望地などがある。施設の記号は大きく、明るい色でよく目立つし、ミルフォードやルートバーン図葉に見られる滝 waterfall の記号は、実景を模した傑作デザインだ(上図の左上方に適用例がある)。

白抜きで描かれた等高線は20mまたは40m間隔で(図葉によって異なる)、一般的な計曲線や等高線数値も具備している。その点で地形図の条件をも満たしているが、強い印象を与えるグラフィックスの上ではあくまで脇役だろう。主な区間の距離や所要時間は、図中ではなく、図の余白にまとめて記載されている。また、タイトルの自然歩道については、山小屋の位置を明示した縦断面図も用意されている。

裏面は、おもて面の描画範囲の周辺も取り込んだ広域図だ。同じように暗い色調だが、こちらは斜めからの投影であることと、視点が上昇し、地表の高度も強調されているので、おもて面よりグラフィックの迫力が増した印象がある。道路や施設の描写はおもて面に準じたものだが、等高線は省かれている。

■参考サイト
Geographx  http://geographx.co.nz/
トップページ > Printed Maps

2種を比較すると、品揃えではニュートポが圧倒的に豊富だ。とりわけトンガリロ国立公園などでは、広域図からエリア限定版まで、行動範囲に応じて数種の図葉から選択することもできる。しかし、グレート・ウォークスに的を絞るなら、Geographxも十分ライバルになりうる。グラフィックも、ニュートポの従来様式がいいと見るか、Geographxの斬新さを評価するかは、好みの分かれるところだろう。

表現されている情報は、図葉によって粗密があるようで、優劣はつけがたい。たとえば、トンガリロ図は、ニュートポにも展望地や所要時間が詳しく記されているが、ミルフォード・トラックでは、DOC図のようにキロ程や展望地のトピックを記した Geographxのほうが勝るからだ。

最後に日本での入手方法だが、ニュートポの製品は同社サイトで直販している。ただし、1面ごとに送料込みの価格で決済されてしまうので、多数購入する場合は、同国内の地図商(「官製地図を求めて-ニュージーランド」参照)に発注するほうが割安になる可能性がある。Geographxのそれは、ポットン・アンド・バートン社 Potton & Burton のショッピングサイト(Geographxのサイトに直接リンクがある)や同国内の地図商で扱っている。

★本ブログ内の関連記事
 ニュージーランドの1:50,000地形図
 ニュージーランドの1:250,000地形図ほか
 ニュージーランドの地形図-ウェブ版
 ニュージーランドの旅行地図 I-DOC刊行図

2017年7月 8日 (土)

ニュージーランドの旅行地図 I-DOC刊行図

国立公園や森林公園をテーマにしたパークマップ Parkmap、山野を行く道に焦点を絞ったトラックマップ Trackmap など、自然保護局 Department of Conservation (DOC) の旅行地図群は、ニュージーランドのアウトドアには欠かせない案内役だった。しかし、その更新は2006年版が最後となった。DOCは紙地図(オフセット印刷図)の刊行事業から撤退し、ビジターセンター等で配布する無料リーフレットを除いて、旅行情報の提供はウェブサイトに移された。今回は、DOCが刊行していた旅行地図の全体像を振り返ってみたい。

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DOCの案内板は緑地に黄文字が目印

これらの旅行地図は、もともと地形図と同じく、土地測量局 Department of Lands and Survey(1987年から、測量・土地情報局 Department of Survey and Land Information)の刊行物だった。当時からDOCは情報提供者として製作に協力していた(下注)のだが、1996年のニュージーランド土地情報局 Land Information New Zealand (LINZ) 設立に伴う事業整理が行われたときに、旅行地図の所管が全面的にDOCに移されたのだ。

*注 DOC設立は1987年。それまで土地測量局が担っていた一部業務と、林務局 Forest Service、野生生物局 Wildlife Service の機能がDOCに統合された。

DOCの旅行地図は、いくつかのシリーズに分類されている(シリーズ名と図葉一覧は、本稿末尾の表を参照)。

国立公園シリーズ National Park series (NZMS 273シリーズ)

国立公園 National Park の区域を図郭内に収めた地図で、トンガリロ Tongariro、アーサーズ・パス Arthur's Pass、フィヨルドランド Fiordland など、全部で 11面が刊行された。測量・土地情報局時代のカタログでは、「国立公園内のエクスカーションを計画する自然愛好者にとって理想的な地図」と紹介されている。

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国立公園地図表紙の変遷
(左から)
旧シリーズ Tongariro National Park 1975年版
新シリーズ(NZMS 273) Arthur's Pass 1980年版
測量・土地情報局時代 Nelson Lakes 1995年版
DOC時代 Egmont 2003年版

区域の面積によって、縮尺は1:50,000~1:250,000と幅がある。内容も図によって異なるが、おおむね地勢は等高線とぼかし(陰影)で表現され、この上に、植生が自然林、灌木林など何パターンかに分けて塗りで表される仕様だ。地図記号では、道路・鉄道、各種トレールのほか、ビジターセンター、宿泊施設、山小屋・シェルター、トイレ、駐車場など、野外活動に必要な情報が示される。後の版になると、裏面に当該国立公園の特徴や、入域時の注意事項などの文章がカラー写真とともに加えられて、ガイドブックの要素を兼ね備えたものになった。

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ピクトグラムを多用した公園地図の地図記号(一例)

NZMS 273シリーズは、1975年の「図番4 トンガリロ国立公園 Tongariro National Park」を皮切りに順次刊行されていき、1993年の「図番8 ウレワラ国立公園 Urewara National Park」で11面が出揃った。既刊図の更新も2006年まで行われた。

NZMS 273は、高度や距離をメートル法で表わすシリーズだが、多くの図葉は、それ以前のマイル・フィート(帝国単位)を使っていた時代から、独自のシリーズ番号で刊行されていた。これは以下の旅行地図にも言えることだ。旧版の刊行は1950年代にまで遡ることができる。

南島アーサーズ・パスの図葉で新旧を比較してみた。下図の上は帝国単位の1971年版(NZMS 194)、下がメートル法の初版となる1980年版(NZMS 273)だ。等高線が、旧版の500フィート(152m)間隔から、新版では100m間隔へと詳しくなり、図左端に見える氷河の描き方も変わったが、色使いなど図の持つ雰囲気は引き継がれていることがわかる。

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公園地図の例
(上)マイル・フィート表示 NZMS 194 Arthur's Pass NP 1971年版
(下)メートル表示 NZMS 273-01 Arthur's Pass NP 1980年版
Sourced from maps of NZMS 194 and NZMS273 Arthur's Pass NP. Crown Copyright Reserved.

森林公園シリーズ Forest Park series(NZMS 274シリーズ)

森林公園 Forest Park は国立公園ほど規制が厳しくない自然公園で、本シリーズでは1977~1993年に12面が刊行された。改訂版も2006年まで出されている。縮尺は1:25,000~1:150,000。このうち、タラルア Tararua 森林公園とルアヒネ Ruahine 森林公園は、帝国単位時代から地図があったが、他はNZMS 274シリーズになって初めて製作されたものだ。なお、地図の表紙には、Parkmap とのみ書かれる(下注)ので、国立公園シリーズと区別はつかない。

*注 さらにDOC時代になると、すべての市販旅行地図が Parkmap とされた。

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森林公園地図表紙の変遷
(左から) Rimutaka and Haurangi 1984年版、Ruahine 1995年版、Tararua 2006年版

自然歩道地図シリーズ Trackmap series(NZMS 335シリーズ)

山野を縫う自然歩道(トラック track、下注)のトランピングは、同国の野外活動の中でもとりわけ人気が高い。上記シリーズでも自然歩道は描かれているが、縮尺1:250,000の「フィヨルドランド Fiordland」図葉に含まれるミルフォード・トラック Milford Track のように、小縮尺のため、詳細が描けないルートの情報を補うのが、このシリーズだ。「全国のポピュラーなウォーキング・トラック、トランピング・トラックをカバーする。慎重に詳細を描いた地図は、アウトドアにじっくりとアプローチする徒歩旅行者にうってつけ」とカタログは宣伝している。

*注 トレール trail のことだが、ニュージーランドではトラック track と呼ぶ。そのうち、日帰りできる程度の道はウォーキング・トラック walking track、踏破に何日もかかるものはトランピング・トラック tramping track(長距離自然歩道)と使い分ける。なお、山頂に上るのが目的の道ではないので、本稿では「登山道」の訳語は使わない。

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自然歩道地図表紙の変遷
(左から) Milford 1991年版、Routeburn & Greenstone 1995年版、Kepler Track 2003年版

シリーズに含まれる自然歩道は、ミルフォードのほか、ルートバーンとグリーンストン Routeburn & Greenstone、ホリーフォード Hollyford、セントジェームズとルイス峠 St James & Lewis Pass(下注)、ケプラー Kepler の5面で、縮尺は1:50,000または1:75,000だ。1991~96年に刊行され、最後の更新版は2003年に出された。国立公園シリーズのように、NZMS 335 としてまとめられる以前の単発シリーズも存在する。

*注 正式名はセントジェームズ・ウォークウェー St James Walkway。

主題である自然歩道は、黒の破線で目立つように描かれ、起点からの距離が記される。沿線の宿泊所や山小屋、展望地、トイレなど歩きに欠かせない施設情報とともに、展望地から何が見えるかや小屋の歴史などが赤字で加筆されていて、図上でルートを追っていくだけでも楽しい。

地勢表現は、公園地図と同様だ。残念なことに、1:50,000でも等高線間隔は100mと粗い(下注)。山岳地帯に詳しい等高線を引くと、自然歩道や注記が識別しにくくなるという判断かもしれないが、いささか物足りない。ユーザーからの指摘もあると見え、「詳細な地勢のナビゲーションは、NZMS 260(1:50,000地形図)をご参照ください」と図面に弁解の一言が添えられている。

*注 同国の1:50,000地形図の等高線間隔は20m。

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自然歩道地図の例 Milford 1991年版
Sourced from NZMS map 335-01 Milford. Crown Copyright Reserved.

ホリデーメーカーシリーズ Holidaymaker series(NZMS 336シリーズ)

上記のシリーズ以外の旅行適地の地図をまとめて、ホリデーメーカーシリーズと銘打っている。ホリデーメーカー Holidaymaker とは、休日を楽しむ人、あるいは行楽客という意味だ。縮尺は1:50,000~1:150,000。寄せ集めのシリーズとはいえ、取り上げられたエリアは、北島のロトルア湖群 Rotorua lakes、タウポ湖 Lake Taupo、南島のバンクス半島 Banks Peninsula、クイーンズタウン及び中央オタゴ湖群 Queenstown & Central Otago Lakes など、魅力的な場所ばかりだ。

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ホリデーメーカー地図表紙の変遷
(左から) Lake Taupo 1988年版、Queenstown & Central Otago Lakes 1994年版、Marlborough Sounds 2006年版

これも帝国単位の旧シリーズを引き継ぐものが多いが、NZMS 336シリーズとしては、1987年の「図番9 スチュアート島 Stewart Island」から1996年の「図番2 グレートバリア島 Great Barrier Island」「図番11 コロマンデル Coromandel」までの計9面がある。更新も2006年まで続けられた。

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ホリデーメーカー地図の例 Marlborough Sounds 2006年版
Sourced from NZMS map 336-07 Marlborough Sounds. Crown Copyright Reserved.

公式旅行地図シリーズの各図葉の名称 name、縮尺 scale、版年 editions (部分改訂を含む)の一覧を下表に掲げる。参考までに、現 図葉の前身となる旧シリーズ former series のデータも添えてある。例えば、国立公園シリーズの図番1 Arthur's Pass は縮尺1:80,000、1980年から1996年まで6版ある。右側は旧シリーズで、NZMS 58 の Plan of Arthur's Pass National Park と、NZMS 194 の Arthur's Pass National Park がそれに該当する。

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公式旅行地図シリーズ一覧
University of Auckland - NZ Cartographic and Geospatial Resources Repository の公開資料および Department of Survey and Land Information 製品カタログを参考に作成

冒頭で述べた通り、2007年の業務再構築により、DOCによる紙地図の刊行は中止となった。今でも国内外の地図商でこれらの製品を取り扱っているところがあるが、地図の内容はすでに10年以上更新されていないことに留意する必要がある。現在、DOCは紙地図に代えて、オンライン地図で最新情報を提供している。

DOC Maps - General map viewer
http://maps.doc.govt.nz/mapviewer/

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DOC Maps - General map viewer初期画面

DOCが管理している公共保護地域、国立公園、海域保護地域、海洋哺乳動物保護地域、山小屋とキャンプサイト、自然歩道の情報が閲覧できる。ベースマップはベクトル地図(デフォルト)、空中写真 Satellite、地形図 Topo、地勢図 Terrain から選ぶことができる。また、図中の記号をクリックすると、施設や自然歩道名などの情報が表示される。

このオンライン地図や、DOC公式サイトにあるリーフレット(PDFファイル)で、公園と自然歩道の概要は掴めるようになっている。しかし、トランパー(徒歩旅行者)の間では紙地図の需要も根強くあるらしく、2017年7月現在、2種類のトラックマップが刊行されている。次回は、これについて紹介する。

■参考サイト
DOC http://www.doc.govt.nz/
Land Information New Zealand (LINZ)  http://www.linz.govt.nz/

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 ニュージーランドの地形図-ウェブ版
 ニュージーランドの旅行地図 II-現在の刊行図

2017年7月 2日 (日)

ニュージーランドの地形図-ウェブ版

前2回で紹介したニュージーランドの地形図は、ウェブサイトでも広範に公開されており、居ながらにして表情豊かな大地を図上旅行することが可能だ。サイトには、地形図をシームレスに閲覧するものと、図葉単位で画像ファイルをダウンロードするものがある。

NZ Topo Map(最新地形図の閲覧)
http://www.topomap.co.nz/

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日本の国土地理院に相当するニュージーランド土地情報局 Land Information New Zealand、略称 LINZ は、現行Topo50(1:50,000)、Topo250(1:250,000)シリーズの閲覧サイトを設けている。初期表示されるのは地形図(Topo50)のレイヤーだ。検索窓(上図①)で地名を入力するか、画面右上の+ボタン(上図④)で表示を拡大していけばよい。また、その下の50と250と記されたボタン(上図⑥)で、Topo50/Topo250の表示を切り替えることができる。

レイヤーの追加は、画面右上のドロップダウンリスト(上図②)で行う。日本語環境では、「None」(下層レイヤーなし)、「地図」(グーグルマップ)、「航空写真」が選択できる。ただし、レイヤーを選択しただけでは表示は変わらない。左側のスライドバー(上図③)を使って、レイヤーの透過度を調節する必要がある。

スマートフォンユーザーには、同名のアプリ(NZ Topo Map)も用意されている。地図閲覧は同じように無料だが、ダウンロードは有料になる。

MAPSPAST(旧版地形図の閲覧)
http://www.mapspast.org.nz/

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地形図表示画面
Sourced from NZMS 1 Maps S14 Motueka and S20 Nelson. Crown Copyright Reserved.

このサイトでは、旧版地形図をシームレスに閲覧することができる。ユニークなのは、1949年から2009年まで各10年代の最終日現在の「最新図」を提供する、と謳っている点だ。もちろん、その時点で刊行されていた最新図という意味であり、地図の表示内容が最終日の状態を表しているわけではない。現在閲覧できるのは、

・1959年  NZMS 1シリーズ(1:63,360、1マイル1インチ地図)
・1969年  NZMS 1 シリーズ
・1979年  NZMS 1 シリーズ
・1989年  NZMS 1シリーズおよびNZMS 260シリーズ(1:50,000)
・1999年  NZMS 260シリーズ
・2009年  Topo50シリーズ(1:50,000)
・最新  Topo50シリーズ(1:50,000)および空中写真

の7世代だ。

なお、NZMS 1シリーズが全土をカバーしたのは1975年なので、1959年と1969年の時点では主として山地で未完成(白紙)のエリアがある。1949年時点(NZMS 1初版)の作業は未着手とされているが、その代わりに1949年時点の1:63,360地籍図(NZMS 15)がある。地籍図は、1899年、1909年、1919年時点のNZMS13シリーズもあり、イギリス自治領時代の国土の状況を知る手がかりとして貴重だ。

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初期画面

閲覧画面の主な機能は次のとおり。

・ベースマップ(地図レイヤー)の切替え
 →画面左上のレイヤーボタン(上図②)で表示されるリストから選択
 (今のところ、複数レイヤーの選択はできない模様)

・座標系の切替え
 →画面左上の設定ボタン(上図③)で表示されるリストから選択(座標値は画面右下に表示されている)

・特定地点の図歴表示
 →画面左上の図歴表示ボタン(上図④=表示中の図歴、または⑤=すべての図歴)を選択したうえで、図上の任意の地点をクリック

Map-chooser(最新地形図のダウンロード)
http://www.linz.govt.nz/land/maps/linz-topographic-maps/map-chooser

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LINZはTopo50とTopo250について、紙地図だけでなく、画像ファイル(TIFFファイル、GeoTIFFファイル)、データファイル(シェープファイル)も無償で提供している。これらは本サイトから図葉ごとにダウンロードできる。初期画面のニュージーランド全図に表示されているのは、Topo250の図郭だ。任意の図郭をクリックすると、その図郭に含まれるTopo50の図郭の一覧と、Topo250の画像およびデータファイルへのリンクが表示される。

University of Auckland - NZ Cartographic and Geospatial Resources Repository(旧版地形図のダウンロード)
https://gdh.auckland.ac.nz/

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オークランド大学 University of Auckland のニュージーランド地図・地理空間資源リポジトリ NZ Cartographic and Geospatial Resources Repository では、旧版地図の画像ファイルがシリーズ別、図葉・年代順に整理され、一般利用に供されている。同国で刊行されてきたおよそすべての図葉が網羅され、地図ファン垂涎の一大コレクションになっている。

初期画面では、4つのカテゴリーが表示される。

・New Zealand Mapping Service (NZMS) series maps
 NZMSと呼ばれる地籍図、地形図、航空図等の旧シリーズ

・Land and Survey (L&S) series maps
 L&Sと呼ばれる上記以外の地図資料

・Topographic (Topo) series maps
 Topo50、Topo250等、新シリーズの地形図

・Digital Topographic (Topo) data
 上記新シリーズのデータファイル

1番目のカテゴリーが、いわゆる旧版地形図(NZMSシリーズ)だ。2009年以降に製作されたNZ Topoシリーズは3番目のカテゴリーに属する。また、そのデータファイルは4番目のカテゴリーにある。

リンクから次の画面に入ると、サーバのディレクトリ一覧が表示されてしまい、いささか困惑するのだが、ともかくこのサブディレクトリに、各シリーズ名のついたフォルダ(例:NZMS 001)が格納されている。官製地図のシリーズ名については、次の表を参考にしていただきたい。

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主なニュージーランド官製地図シリーズ

たとえば、NZMS 001のフォルダを選択すると、次はファイル形式別のフォルダだ(geotif:GeoTIFFファイル、jpg:JPEG画像ファイル、tif:TIFFファイル)。ここでたとえば jpg を選択すると、次の画面で各図葉のファイルが現れる。ファイルの命名例は次のとおり。

NZMS001_Index-NI_1943.jpg:
 NZMS 1シリーズの索引図(Index)、北島編(NI=North Island)、1943年版

NZMS001_N1-2_1954.jpg:
 NZMS 1シリーズの地形図、図番N1-2(N1とN2の接合図)、1954年版

したがって、見たい図葉にたどり着くには、あらかじめ索引図で図番を調べておく必要がある。地図画像は300dpiでスキャンされており、細部まで確実に読み取ることができる。

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 ニュージーランドの1:250,000地形図ほか

2017年6月28日 (水)

ニュージーランドの1:250,000地形図ほか

前回紹介した1:50,000のほかにも、ニュージーランドにはいくつかの地形図シリーズがある。縮尺の大きいものから順に紹介していこう。

1:25,000

1:25,000(NZMS 2 シリーズ)は、1マイル1インチ地図である NZMS 1 と重なる時期に、ごく一部の地域で製作されたに過ぎない(下注)。製作期間も1942年から1960年代半ばまでで、少し間が空いて1972年に出た S83-5 Burnham 第2版が最後の更新となった。その後は刊行されていない。

*注 これとは別に、北島のオークランド Auckland では仕様の異なる NZMS 2A シリーズ(1940~51年)が、同じくワイオウル Waiouru では NZMS 2B シリーズ(1940~59年)が刊行されていた。

図郭は、NZMS 1 のそれを縦横3等分した東西15km×南北10km、地勢表現は50フィート間隔の等高線による。NZMS 1 と異なり、密集していない市街地に黒抹家屋の記号が使われており、建物の並び方を読み取ることができる。街中に点々と置かれた赤色は郵便局の位置を示し、Pt の注記も Post Office with Telephone の略だ(下注)。また、街路にかなりの密度で張り巡らされた市電の線路も、鉄道ファンとしては興味深い。NZMS 1 では併用軌道の記載が省略されてしまうから、貴重な図化資料といえる。

*注 凡例によれば、Pt は電話のある郵便局 Post Office with Telephone、PT は郵便・電話局 Post & Telephone Office、P のみは郵便局、t のみは電話局を示す。

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25,000図の例 ウェリントン市街(1952年8月初版)
Sourced from NZMS 2 Map N164/2 Wellington. Crown Copyright Reserved.

1:250,000

1950年代からの歴史をもつ1:250,000は、現在も更新が維持されている。初代シリーズは NZMS 18 で、1958年から1982年にかけて製作された。図郭は東西180km×南北120kmで、26面で全土をカバーした。地勢表現は、500フィート間隔の等高線にぼかし(陰影)を併用しているが、NZMS 1が未整備だったために等高線が描かれないエリアも散見される。

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250,000図表紙
(左)旧表紙 Christchurch 1982年版 (右)新表紙 Auckland 1997年版

1969年のメートル法採用をきっかけに、ニュージーランドでは1977年から新たなシリーズへの切替えが始まった。1:50,000の NZMS 260 シリーズに対して、1:250,000には NZMS 262 のシリーズ名が与えられた。図郭は東西200km×南北150kmに拡大され、18面で全土をカバーする。1985年に刊行が完了し、その後1998年まで更新が続けられた。

等高線間隔は100mで、ぼかし(陰影)も掛けられているが、NZMS 18 と同じ事情で、1:50,000の整備が間に合わずに等高線が省かれた図葉がある。その代替として、ハイライト(光の当たる側)に橙色、シャドーに灰色を置いて陰影を強調する2色法が試みられた。ここに自生林 Native Forest を表す青みを帯びた緑のアミが加わると、美的にも優れた図ができあがる。

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250,000図の例 トンガリロ山群
1980年初版は等高線がなく、2色陰影法で地勢を表現する
Sourced from NZMS 262 Map 6 Taranaki. Crown Copyright Reserved.
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同 1987年第2版で等高線が入れられた
Sourced from NZMS 262 Map 6 Taranaki. Crown Copyright Reserved.

地図記号は1:50,000のそれを簡略化したもので、デザインは共通だ。小縮尺で実形が表せなくなるためか、空港・飛行場には専用記号が設定されている。さらに国際空港 International airport には赤の、地方空港 Domestic airport には黄色の、それぞれ塗りが加わる。地物の記号でも、各種電波塔、送電線、灯台など、飛行中の目標または障害物に関わるものが取り上げられているのが興味深い。

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Topo250表紙
Auckland 2015年版

このNZMS 260 は、2009年にニュージーランド測地系2000に基づく NZ Topo250 へ一斉に切り替えられ、現在はこのシリーズが流通している。Topo50 と同じくA1判で縦長化されたので、図郭は東西120km×南北180kmとなり、それに伴い、面数は31面に増加した。

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1:250,000の3世代比較 オークランド
(左)NZMS 18 1977年版 マイル・フィート表示、道路は橙1色、注記はセリフ書体で、海に等深線が入る
(中)NZMS 262 1997年版 メートル表示、国道は赤、注記はサンセリフに
(右)Topo250 2015年版 地図表現はNZMS 262を踏襲、ぼかしは薄目に
Sourced from maps of NZMS 1 Wellington, NZMS 260 Wellington and Topo50 Wellington. Crown Copyright Reserved.

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500,000図表紙
North meets South 1988年版

1:500,000

大判用紙を使用し、かつ地図の方位を適宜傾けることによって、1:500,000(NZMS 242 シリーズ、下注)はわずか4面で全土をカバーする。1面に、東西400km×南北500kmという広大な面積が収まる。図名は土地鑑がないとややわかりにくいが、実質的に、Further North=北島北部、The North=北島主部、North Meets South=南島北部、The South=南島南部と考えるといいだろう。

*注 NZMS 242 としてはもう1面、フィジー諸島 Fiji Islands 図葉があった。

前身は1949~73年に刊行された NZMS 19 シリーズ(全7面)で、1976年から NZMS 242 に切り替えられた。後には Coast to Coast というシリーズの愛称もつけられている。1996年の測量事業再編で、1:500,000以下の小縮尺図が更新対象から外されたため、現在、公式サイトでダウンロードできるのはそれ以前の版だ(下注)。

*注 1:500,000は1995~96年版が最新になる。

地勢表現には、300m間隔の等高線(低地では150mのラインも)、段彩(高度別着色)、繊細なぼかし(陰影)の3種の手法が駆使されている。その効果を妨げないように植生表現では、自生林にアミではなく、より隙間の多いパターンが使われている。また、居住地名の注記は、読み取りやすいボールド体(太字)で強調される。ニュージーランドの地形図はどれも美しいのだが、中でもこれは出色の出来栄えと言えるだろう。この図版を利用して、航空図(NZMS 242A)も製作されている。

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500,000図の例 サザンアルプス中央部(1996年部分修正版)
Sourced from NZMS 242 Map 4 the South. Crown Copyright Reserved.

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1,000,000図表紙
South Island 1989年版

1:1,000,000(100万分の1)

1:1,000,000(NZMS 265 シリーズ)は、1980~89年の間に製作され、北島と南島の2面がある。この縮尺では等高線が省かれ、段彩とぼかしで地勢が表される。段彩は、海の深度にも用いられている。残念ながら、ぼかしは粗く、また暗めのトーンのため、山地はともかく、平野部がひどく沈んで見える。せめて道路網や市街地に明色を配すればよかったのだが、前者は薄茶色、後者は黒のアミで、アクセントにもなっていない。1島が1面に収まるという長所はあるものの、地図表現は1:500,000に劣ると言わざるを得ない。なお、裏面には、地名索引が印刷されている。

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1,000,000図の例 クライストチャーチ周辺(1989年版)
Sourced from NZMS 265 Map of the South Island. Crown Copyright Reserved.

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2,000,000図表紙
New Zealand 1996年版

1:2,000,000(200万分の1)

北島と南島を1面に収める1:2,000,000は、シリーズ名 NZMS 266 として1984年に製作され、1986年と1996年に改訂版が出た。地勢表現は段彩と繊細なぼかしによるが、地色が明るいので、上に載る道路網も容易に識別できる。市街地に黄色を配したのも効果的だ。また、文字サイズが小さくなるものの、自然地名も豊富に盛り込まれている。総合的に見て1:500,000を凝縮したような完成度を保っており、ニュージーランドの地理的な全体像を知りたいというときにお薦めできる地図だ。

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2,000,000図の例 南島中央部(1996年版)
Sourced from NZMS 266 Map. Crown Copyright Reserved.

最後に、ニュージーランドの地形図の入手方法だが、紙地図(オフセット印刷図)は、ニュージーランド国内の主な地図商で扱っている。地図商のリストは、「官製地図を求めて-ニュージーランド」にまとめている。また、LINZの特設ウェブサイト等では、閲覧およびデータダウンロードが可能だ。これについては、次回詳述する。

なお、ニュージーランドの官製地形図は、クリエイティブ・コモンズ表示3.0国際ライセンスに従い、旧版と現行版にかかわらず無償利用が可能となっている。その際、LINZは次の著作権表示を付すことを求めている。
"Sourced from [product name]. Crown Copyright Reserved"

■参考サイト
Land Information New Zealand (LINZ)  http://www.linz.govt.nz/

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 ニュージーランドの1:50,000地形図
 ニュージーランドの地形図-ウェブ版

 オーストラリアの地形図-連邦1:100,000
 オーストラリアの地形図-連邦1:250,000

2017年6月24日 (土)

ニュージーランドの1:50,000地形図

ニュージーランドは、2つの大きな島と周辺の小島から成る国だ。北島は本州の約1/2、南島は同じく約2/3の広さがあり、雄大な自然美で冒険好きの人々を惹き付けてきた。代表的な景観を挙げれば、北島ではトンガリロ国立公園やタラナキ山(エグモント山)に代表される際立った風貌の火山群、南島では背骨を成すサザンアルプスの氷河や、西岸の険しいフィヨルドだろうか。変化に富んだ地形はまた、それを写し取る地図に対する興味をも刺激し続ける。

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南島、ミルフォードサウンド
Photo by Wikikiwiman at English Wikipedia.

同国の地形図はかつて土地測量局 Department of Lands and Survey(1987年から、測量・土地情報局 Department of Survey and Land Information)が製作していた。1996年の組織改革により、同局はニュージーランド土地情報局 Land Information New Zealand、略称 LINZ に再編され、その際、測量事業部門が切り離されて、新設の国有企業 テラリンク・ニュージーランド有限会社 Terralink New Zealand Ltd に移管された。1998年からはさらに競争入札で民間委託されるなど事業の扱いは二転三転したが、2007年にLINZの直営に戻されて、現在に至る。

LINZは、ウェブサイトでの全面公開や二次利用の許諾など地図利用の制限緩和を進めるかたわら、採算的には厳しい紙地図(オフセット印刷図)の供給も維持している。多様なニーズに応えようとするニュージーランドの地形図事情について、3回にわたり紹介したい。

ニュージーランドの本格的な地形図作成は、まだイギリスの自治領だった1930年代に始まる。軍事戦略問題を研究する帝国防衛委員会 Committee of Imperial Defence が、全国の詳細な地形図の開発を政府に求めていた。その背景には、アジア・太平洋圏への進出拡張を図る日本に対する強い警戒があった。

航空写真測量による最初の1マイル1インチ地形図(略してワンインチマップ 1 inch map と呼ばれる)は、1939年に刊行されている。これはイギリスの方式に倣った、実長1マイルを図上1インチで表す縮尺図だ。分数表記では1:63,360とされる。NZMS 1(下注)と呼ばれたシリーズは、1947年の国家独立後も作成が続けられ、1975年に360面で全土をカバーした。更新はその後も1989年まで行われた。

*注 NZMS は New Zealand Mapping Service の略。ニュージーランドの政府刊行地図は「NZMS+シリーズ連番」の形で体系化されている。1マイル1インチ地形図は、図郭が東西45km×南北30kmの範囲、地勢表現は100フィート間隔の等高線とぼかし(陰影)による。

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1マイル1インチ地形図の例 南島カイアポイ Kaiapoi 周辺
Sourced from NZMS 1 Map S76 Kaiapoi. Crown Copyright Reserved.

同国では1969年にメートル法が採用されたが、そのときはまだ、NZMS 1が南島のフィヨルド地方で完成していなかった。そこで、当面このシリーズで全土を覆うことが優先されたという。しかし並行して、メートル法による新しい地形図の研究も進められた。NZMS 1の完成から間もない1977年には、縮尺1:50,000による新シリーズ NZMS 260 の刊行が開始されている。これは1997年に296面で全土をカバーし、2007年まで更新が続けられた。

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NZMS 260シリーズ表紙
(左)旧表紙 Wellington 1986年部分修正版
(中)Topomapロゴ入り Taumarinui 1987年版
(右)新表紙 Te Anau 2000年版

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Topo50表紙
Wellington 2014年版

NZMS 260は足掛け30年間使われたなじみ深いシリーズだったが、2009年9月に、デジタル編集技術の進歩と新測地系採用を反映したNZ Topo50 シリーズ451面に切り替えられた。縮尺は同じく1:50,000だ。地域座標系NZGD49を使用していたNZMS 260に対し、Topo50は、世界測地系WGS84に基づくニュージーランド測地系2000 New Zealand Geodetic Datum 2000 (NZGD2000) で投影されている。そのため、両者はグリッド位置がずれており、互換性がない。

ニュージーランドでも昨今、利用の大勢はオンラインに移行しているが、冒頭で述べたように、新シリーズ Topo50 でも紙地図の供給が継続されたことは注目すべきだろう(下注)。しかも図郭は、NZMS 260が東西40km×南北30kmの横長判なのに対して、Topo50は汎用のA1判を縦長に使っている。東西24km×南北36kmとカバーする面積が小さくなり、その分、面数は25%も増加した。

*注 対照的に、官製旅行地図(ハイキング地図)の印刷版は廃止された。旅行地図は稿を改めて紹介の予定。

在庫管理の手間がかさむにもかかわらず小判化を断行した理由は明らかでないが、表紙に記されている「エマージェンシー・サービス使用 Used by New Zealand Emergency Service」という語句が一つのヒントになる。南オーストラリア州などでも見られるように(下注)、消防や災害救助といった公共分野では紙地図の需要があり、それに応える形で刊行が維持されているようだ。紙寸や折りをコンパクトにしたのも、現場に向かう狭い車内での扱いやすさを考慮した可能性がある。

*注 南オーストラリア州ではエマージェンシー・サービスの名を冠した地図帳が刊行されている。「オーストラリアの地形図-南オーストラリア州」参照。

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Topo50およびTopo250索引図の一部
Topo250(1:250,000、黒枠の範囲)の図郭を縦横5等分したのがTopo50の図郭(緑枠)

では、1:50,000の仕様を詳しく見てみよう。地勢表現は、20m間隔の等高線にぼかし(陰影)が併用されている。等高線は茶色ではなく道路の塗りと同じ橙色で、サザンアルプスなどに見られる氷河と万年雪のエリアでは青に変わる。平野部では10mの補助曲線も用いられる。

地勢を際立たせるぼかしの技法は、1960年代にNZMS 1シリーズの図式改訂で初めて採用されたものだ。NZMS 260までは比較的濃いアミで立体感が強調され、見栄えがしたが、Topo50ではやや控えめになった。色彩では、植生のミントグリーンに、道路記号の塗りとして鮮やかな赤と橙が加わる。この2色の帯は明瞭なアクセントとなって図を引き立てている。

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同国最高峰クック山 Mt. Cook
NZMS260では、氷河が青の等高線とぼかしで美しく描かれる
Sourced from NZMS 260 Map H36 Mount Cook. Crown Copyright Reserved.
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北島東岸マウント・マウンガヌイ Mount Maunganui、陸繫島と砂州上の市街地
Sourced from NZMS 260 Map U14 Tauranga. Crown Copyright Reserved.

地図記号では、まず道路の路面状態を3種に分類するのが目を引く。通常は舗装か未舗装かの2パターンしかないが、ここではアスファルト sealed、マカダム舗装 metalled(砕石舗装のこと、さらにタールで固める場合もある)、未舗装 unmetalled と分けている。また、1車線橋梁 one lane bridge、渡渉地 ford などの記号もあって、原野を貫く一本道といったアウトバックの典型風景を彷彿とさせる。

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Topo50凡例 道路・その他

鉄道記号は、複線に旗竿形、単線に太い線が充てられて、やや違和感があるが、路線そのものが少なく、かつ複線区間は北島の都市部に限られている。そのほか、パイプライン pipeline(地中 underground と地上 above ground の別あり)、送電線 power line(鉄塔 on pylons と電柱 on poles の別あり)、電信線など、線状に延びる施設が細かく分類されているのも特色だ。

水部には、青と赤の×印を用いた冷泉 cold spring/温泉 hot spring の記号がある。また、大型の赤い×印が噴気孔 fumarole、それを〇で囲むと地熱採取孔 geothermal bore を表す。いずれも、活発な火山活動を前提にした記号だ。

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Topo50凡例 水部・植生

Topo50は1インチ地図から数えて3代目のシリーズだが、各シリーズの間で地図表現はどのように変化してきたのか。同じウェリントン Wellington 図葉から、都市と郊外(海岸、山地)のエリアを抜き出してみた(下図参照)。それぞれ左/上は1インチ図であるNZMS 1、中央がNZMS 260、右/下がTopo50だ。

NZMS 1とNZMS 260は、用いられる縮尺や単位(マイル・フィート/メートル)だけでなく、見た目もかなり異なる。特に目立つのは市街地の表現だろう。NZMS 1では、密集していない市街地で、道路と総描家屋をひとまとめにしたような特異な描き方をするが、NZMS 260では灰アミに変わる。実はどちらもイギリス流で、本家の図式改訂が持ち込まれた形だ。また、注記フォントは、セリフ書体(先端に飾りのある)からサンセリフ(飾りのない)になり、鉄道や道路など交通路の記号は太く強調されて、図上での視認性はかなり良くなった。

これに比べて、NZMS 260からTopo50へは、地図デザインも記号も軽微な変更にとどめられ、親和性が高い。ただしよく見ると、都市図ではTopo50 のほうが施設の注記(Schs=学校、Hosp=病院、Substn=変電所など)が充実している。郊外図でも、ウェリントン図葉では海岸の崖(海蝕崖)や山地の沢など、Topo50のほうが情報量が多く、目立たないところで改良の手が加えられているようだ。

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ウェリントン市街
(左)NZMS 1 1974年版 (中)NZMS 260 1983年版 (右)Topo50 2016年版
Sourced from maps of NZMS 1 Wellington, NZMS 260 Wellington and Topo50 Wellington. Crown Copyright Reserved.
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テラウィティ岬 Cape Terawhiti 周辺(ウェリントン西方)
(上)NZMS 1 1974年版 (中)NZMS 260 1983年版 (下)Topo50 2016年版
Sourced from maps of NZMS 1 Wellington, NZMS 260 Wellington and Topo50 Wellington. Crown Copyright Reserved.

次回は、1:50,000以外の縮尺図を紹介する。

■参考サイト
Land Information New Zealand (LINZ)  http://www.linz.govt.nz/

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2017年6月11日 (日)

コンターサークル地図の旅-岩見三内(河川争奪、林鉄跡ほか)

まだ雪のベールのかかる鳥海山の荘厳な姿に感嘆しながら、羽越本線で秋田へ移動してきた。コンターサークルS 春の旅も、きょう5月5日が最終日だ。用意した地形図は1:25,000「岩見三内(いわみさんない)」。雄物川の支流の一つで、秋田市東部を流れる岩見川の中流域を描いている。

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羽越本線の車窓から見た鳥海山

日本の1:25,000地形図は、全部で4,400面以上もある。それで、鉄道、主要道路、あるいは著名な山や湖などが図郭に入っていないと、見てもすぐに印象が薄れてしまう。率直なところ、「岩見三内」もそうした括りの図幅だった(下注)。ところが、お題に挙がったのを機にじっくり眺めてみると、興味深い題材がいくつも見つかる。他のメンバーも各々関心のあるテーマを持ち寄ったので、思いがけなく盛りだくさんの地図の旅になった。

*注 ただし、現在の「岩見三内」図幅は、図郭が拡大されたので、大張野駅前後の奥羽本線が顔を覗かせている。

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秋田市周辺の1:200,000地勢図(平成5年編集)に加筆
茶色の枠は下記詳細図の範囲を示す

朝10時、秋田駅の東西連絡通路の一角に集まったのは、堀さん、真尾さん、丹羽さん、私の4人。駅前から2台の車で出発した。秋田市街を抜けて、県道28号秋田岩見船岡線を東へ。太平山の南斜面を水源とする太平川(たいへいがわ)に沿って、緩やかな谷を遡る。

まず、私のリクエストで、地主(じぬし)という集落で車を止めてもらった。ここに謎の地形があるからだ。現行地形図(下の左図)を見ると、地主の南を、太平川がまっすぐ西へ流れている。それと同時に、集落の西から北にかけて弧を描く土の崖と、一つ北の谷につながる鞍部(=風隙)も読みとれる。これは、かつて太平川が北へ蛇行していたことを示す証拠のようだ。それが、何らかのきっかけで西の谷へ流れ込むように変わったとすれば、西の谷による河川争奪があった、ということになる。

ところが、大正元年の旧版図(下の右図)を取寄せてみたら、驚いたことに、旧流路が実際に細々と残っているばかりか、太平川の本流には、長さ150mほどの隧道が描かれているではないか。石灰岩地形でもない限り、川が器用に地中を抜けていくとは考えにくい。どうやら自然の力による河川争奪ではなく、人間が水路を掘って流路を付け替える、房総半島で言う「川廻し」が行われたようだ。

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地主の「川廻し」
(左)平成18年更新図 (右)大正元年図、太平川の隧道と北行する旧流路が描かれる

しかし、謎はまだ残る。大正時代は隧道だったのに、なぜ今は青天井の谷になっているのか。地図の間違いでなければ、何か理由があるに違いない。

さっそく川岸の農道に出てみた。太平川は水制から先で早瀬となって、勢いよく正面の小渓谷へ落ちていく。雪解け水が混じる今は、思った以上に水量が豊かだ。一方、右手の水田の向こうでは、砥の粉色の地肌をところどころに覗かせた崖が緩い曲線を描く。もとは川の外縁、いわゆる攻撃斜面だったことをしのばせる。

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地主の「川廻し」 (左)太平川の堰 (右)隧道崩壊によって生じた小渓谷

60代とおぼしき男性が、近くの畑で作業をしていた。「あの川は昔、トンネルでしたか」と尋ねると、一瞬驚いた顔を見せながら頷いた。「確かに、子供のころはトンネルだった記憶がある。この地区は建設業をやっている人が多かったので、田を拡げるために自分たちで掘ったと聞いている。だが、山が脆いんで、崩れてしまったんだ」。

普段でもこの水量なら、大雨が降った後はきっと破壊的な水のパワーが生じるに違いない。柔らかい粘土層に掘られたトンネルは、早晩崩壊する運命にあったのだろう。謎解きをしてくれた男性に丁重に礼を言って、私たちは現場を後にした。

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旧流路は正面の土の崖沿いに右へ旋回していた。遠方に太平山を望む

地主のそれは、人の手による河川「争奪」だったが、次は、堀さんがめざしていた自然の争奪跡だ。野田集落の東、野田牧場へ上がる道で車を停めた。太平川は北から流れてきて、この付近で西へ向きを変えている。しかし、浅い谷が南へも続いている。つまり、ここでは野田集落を交点として、T字を寝かせた形で谷が広がっているのだ。そこで、昔は太平川が南流しており、後に河川争奪が生じて西へ流れるようになったという仮説が成り立つ。

典型的な争奪地形の場合、流路が変わると、水量が増した谷(野田のケースでは西の谷)では下刻が激しくなり、上流に向かって深い谷が形成されていく。ところが、野田の地形にはそうした展開が見られず、太平川は、ダイナミックな地形のドラマなど知らぬがごとく、終始ゆったりと谷を蛇行している。どうしてだろうか。

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野田の河川争奪
「風隙」~「繋沢」間が争奪前の谷筋

「地図の風景 東北編II 山形・秋田・青森」(そしえて、1981年、pp.115-117)で、籠瀬良明氏が成立過程を解説している。それによれば、その昔、太平川は南流していた(下図1)。しかし、野田の北東方からの崩壊、土石流、小扇状地といった土砂の押出しによって流れが遮られがちになり、一部が西の谷へ流れ込んだ(下図2)。この状況が続いて南側が閉ざされ、ついに全量が西へ流れるようになった(下図3)。つまり西の谷が力尽くで水流を奪ったのではなく、流路を塞がれた川が「自ら」西へ向きを変えた、というのだ。

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河川争奪の過程(解説は本文参照)
図1~3は「地図の風景 東北編II」p.117の図を参考にした

一段高い野田牧場へ上がれば、一帯を俯瞰できるのではないかと思ったが、斜面の植林が育ちすぎて視界がきかない。「南の谷頭がどうなっているか見たいんです」と堀さんが言うので、南の農道へ廻ることにした。谷頭(こくとう)は谷の最上流部のことで、そこでは水の力や風化作用によって、上流へ向けて谷が常に前進している。

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野田付近の180度パノラマ
右奥(北方向)に見える太平山から流れてきた太平川は、かつて左奥(南方向)へ流れていたが、河川争奪により現在は、正面の野田集落から奥(西方向)へ流れ去る

田んぼの先に、まだ冬の装いから目覚めていない雑木に囲まれて、深さが10m近くある窪地が姿を現した。これが谷頭だ。太平川に去られた南の谷(下注)では、下流の岩見川の基準面低下によって、谷頭の浸蝕力が強まっている。集水域がごく狭いのに、これだけの高低差を造る力があるとすると、将来、土砂の押出しとの闘いに打ち勝って、上流に谷を延ばしていき、最終的に太平川を奪い返すこともありうるのではないか(上図4)。そんな想像が脳裏をよぎった。

*注 無名の川だが、掲載の図では下流の地名を借りて「繋沢」としている。

上記「地図の風景」では、堀さんも共著者に名を連ねているが、「野田の河川争奪は籠瀬さんの担当だったので、私は来ていないんです。ようやく現地を見ることができてよかったです。」

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繋沢の谷頭
(左)旧流路(北方向)を望む、奥に太平山 (右)谷頭の上から南を望む
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谷頭を観察するメンバー

その南の谷に沿って県道を下りていくと、岩見川に三内川が合流するこの一帯の中心地、岩見三内だ。秋田駅西口からここまで、私たちが通ってきたルートでバス路線も維持されている。野崎の駐在所前の交差点にあるバス停は「貯木場前」。すでに新しい住宅が建ち始めているが、以前、道路の北側は、岩見川水系で産する木材を集積する岩見貯木場があった。貯木場には、奥羽本線の和田駅から森林鉄道(正式名「岩見林道」)が通じ、さらにここで三内支線が分岐して、北に広がる山林の中へ延びていた(下注、全体のルートは下図参照)。

*注 岩見林道(本線)29.4km、1923年開設、1967年廃止。三内支線24.9km、1921年開設、1967年廃止。大又支線13.4km、1933年開設、1967年廃止。その他延長線、分線がある。出典:林野庁「国有林森林鉄道路線データ」

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岩見三内の貯木場前バス停。正面奥の貯木場跡は払い下げられて宅地に

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秋田市東部の森林鉄道路線網、赤の矢印が岩見三内
1:200,000地勢図「秋田」(昭和35年編集)に加筆。原図は今尾恵介氏所蔵

私のもう一つのリクエストは、林鉄遺構の現状確認だった。三内支線は、貯木場から先で河岸段丘の崖際を走った後、上三内集落の北で三内川を渡っていた。その鉄橋は、平成18年更新図までは描かれているのに(下図参照)、2017年5月現在の地理院地図では消されている(下記サイト参照)。水害か何かで流失してしまったのだろうか。実態を自分の目で確かめたいと思った。

■参考サイト
上三内付近の1:25 000地理院地図
http://maps.gsi.go.jp/#15/39.728630/140.305000

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森林鉄道跡
1:25,000地形図(平成18年更新)に林鉄のルートを加筆
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1:25,000地形図(昭和13年修正測図)に描かれた林鉄のルート

私たちは一つ上流の小橋を渡って、廃線跡である農道からアプローチしたのだが、小橋の上から、遠くに朱色のガーダー橋が架かっているのが見えて、ホッとする。農道は、急曲線の築堤で鉄橋につながっていた。「トロッコは小回りが利くから、これぐらいのカーブは何ともないでしょう」「勾配はきつすぎるので、後で切り崩したのかもしれないですね」などと話しながら、軽便のレールを土留めに使った築堤を上る。

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上三内に残る三内支線の鉄橋

橋脚と橋桁(ガーダー)は、鉄道橋そのものだ。2連のガーダーの縦寸法が異なるのが気になるが、橋脚がそれに合わせて造られているので、もともと他からの転用品なのだろう。路面は一人分の幅しかないが、歩けるようにセメントを流し、簡易な欄干が取り付けてある。だが、橋の手前で、秋田市道路維持課のバリケードが通路を塞いでいた。通りかかった農作業帰りの女性に聞くと、「畑へ行くのに、車道は遠回りだからここを通ります。手すりが壊れて、通行止めになってますけど。直すのは来年になるらしいですよ。」

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縦寸法が異なるガーダー
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(左)鉄橋に向かう上流側の築堤 (右)築堤の土留めに古レールが使われていた

橋が地理院地図から消された理由は、それかもしれない。しかし、歩くには支障がなさそうなので、私たちも通らせてもらう。鉄橋の下を、緑味を帯びた水が川幅いっぱいに滔々と流れている。じっと見つめていると吸い込まれていきそうだ。対岸の築堤も切り崩されていたが、線路跡は明瞭で、集落から下りてくる小道と交差した後、緩いカーブを切りながら段丘崖の陰に消えていく。

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(左)鉄橋は対岸の農地へ行く歩道橋に (右)欄干の一部が破損
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三内川の上をそろりと渡る
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(左)築堤脇の神社。左奥に見えるバリケードの先が鉄橋
(右)反対側を望む。舗装道の右が廃線跡で、段丘崖の下へ続いている

築堤の脇に、八幡神社という小さな社があった。今日も天気に恵まれて、日なたはけっこう暑いのだが、見事な杉木立の下は、涼風が吹き通って心地よい。鳥居前の大きな石に腰を下ろして、昼食休憩にした。

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「ぼだっこ」おにぎり

朝、秋田駅のコンビニで見つけた「ぼだっこ」おにぎりを取り出す。中身を知らないまま買ったので、「これ何が入ってるんでしょうね」と皆も興味津々だ。私は漬物を想像していたのだが、かじってみたら、塩鮭の切り身が出てきた。後で調べると、ぼだっこの「ぼだ」は牡丹のことで、ベニザケの身の色から来ているそうだ。塩がよく効いているものの、梅干しや塩昆布と同じで、ご飯に添えればおいしく食べられた。「北海道で甘納豆の赤飯おにぎりを食べたのを思い出しました」と私が言うので、真尾さんが丹羽さんにそのことを説明する(下注)。たとえコンビニであろうと、ご当地ものを探すのは楽しい。

*注 甘納豆の赤飯おにぎりを食べたのは、夕張での話。「コンターサークル地図の旅-夕張の鉄道遺跡」参照。

真尾さんは、アイヌ語地名の痕跡を探している。このすぐ上流に岩谷山(いわやさん)という、おにぎり形の山がある。地元では三内富士とも呼ばれているようだが、「モイワと同じように、神聖な山を意味する「イワ」と関係があるんではないでしょうか」と真尾さん。麓の砂子渕集落まで車を走らせた。実際、太平山との関わりで「お山かけ」(山岳信仰)の対象になっているためか、自然の植生が残されている。ヤマザクラや芽吹いたばかりの木々が、パステル調のグラデーションで山肌を彩り、ことのほか美しい。

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パステル調のグラデーションが美しい岩谷山

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岩谷山周辺の1:25,000地形図

その後、大又川流域へ移った。岨谷峡(そうやきょう)を越え、山間の小盆地にある鵜養(うやしない)集落へ。ナイはアイヌ語で沢の意で、漢字で「内」と書かれて、北海道の地名には頻出する。さっき通ってきた三内などもおそらくそうだが、「養の字を当てたのは珍しいです」。地名を記したものはないかと探したら、バス停の標識が見つかった。バス会社が撤退してしまい、ジャンボタクシーが巡回しているようだが、小さな集落に、鵜養下丁、鵜養中丁、鵜養上丁と3か所もある。

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鵜養 (左)鵜養下丁のバス停標識 (右)陽光を跳ね返す用水

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鵜養周辺の1:25,000地形図

静かな山里で動いているものと言えば、そよ風のほかに足もとを勢いよく流れる用水路の水ぐらいだ。堰板のところで流れが膨らんで、初夏の陽光をちらちらと跳ね返している。目覚ましい光景に出会ったわけでもないのに、きょう一日の行程が脳裏に蘇り、満ち足りた気分になった。

掲載の地図は、国土地理院発行の2万5千分の1地形図岩見三内(大正元年測図、昭和13年修正測図、平成18年更新)、20万分の1地勢図秋田(昭和35年編集、平成5年編集)を使用したものである。

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