2009年7月12日 (日)

ベルギーの鉄道地図

Blog_belgium_railmap120年ほど前にパリからベルギーの首都ブリュッセルBruxellesへ旅したときは、EC(ユーロシティ)で2時間半、野を越え丘を越えて行く旅だった。現在は、高速線を経由するタリスThalysで1時間22分、ずいぶん速くなったものだ。その頃参考にと買ったポスターサイズの路線図Carte du résaeu(写真はそのタイトルと凡例)が、筆者の持っている唯一のベルギー鉄道地図だ。縮尺1:300 000で、1988年11月1日現在の全線全駅が表示されている。駅は等級別の管理駅、被管理駅に分類され、路線は電化・非電化、単線・複線を記号化している。貨物線や休止線も載っているので、地形図で鉄道の軌跡をたどるときにも参考になる資料だった。残念だが、最近はこのような紙地図を目にしたことがない。それで本稿では、ウェブで見られるものを紹介しておきたい。

Blog_belgium_railmap_page1 ベルギー国鉄SNCBの公式サイトに、インタラクティブ形式の路線図がある。ベルギーの公用語であるオランダ語、フランス語、ドイツ語のほかに英語版も用意されていて、抵抗なく使える。さらに、表形式の時刻表のリンクもあるので、鉄道旅行に最低限必要な情報が揃う。ところが、公式サイトの英語版ではなぜかリンクが欠落していて、英語版の路線図を見るのに、わざわざオランダ語(NLと略記)かフランス語版(FR)から入っていかなければならない。

■参考サイト
ベルギー鉄道SNCB(フランス語版)
http://www.sncb.be/ または http://www.b-rail.be/main/F/
 路線図はページ左下 "Carte réseau (= network map) "から
 表形式の時刻表は同じく "Brochures horaires (= timetable brochures)"

路線図の初期画面は全国図だ。部分拡大するにはCtrlキーを押しながら、任意の範囲をマウスでドラッグする。縮小するには右メニューの虫眼鏡ボタンを使う。また、右メニューのスケールバーでも倍率を変えられる。画面移動は同じ並びの一番左、八方向の三角印(▲)をマウスオーバーする。クリックすると移動速度が早くなる。路線をクリックすると対応する時刻表が見られる...、などと説明してはあるのだが、筆者のパソコンの性能が低いのか、使い方が間違っているのか、Ctrlキー+ドラッグの範囲指定拡大は反応がひどく鈍いし、対応する時刻表もいっかな出てこない。いろいろ機能を盛り込んだのはいいが、便利さを追求するあまり、かえって操作性を低下させてしまったようだ。

Blog_belgium_railmap_page2 幸いなことに、路線図の古いバージョンがまだ残っている。こちらの方が機能が少ない分、ストレスなしに作動する。デザインを見る限り旧バージョンとは信じられないが、2007年開通のアントウェルペンAntwerpen中央駅を通過する新線が描かれていないので、それ以前の製作のようだ。

■参考サイト
SNCB路線図旧版(リンク切れご容赦)
http://www.b-rail.be/nat/F/common/netcard_flash/index.php

インタラクティブマップは一覧性の点で不満が残るという方に、個人サイトに挙がっている「1枚もの」を紹介しておこう。

Blog_belgium_railmap_page3 一つは、駅舎を写した古い絵葉書を集めた「昔のベルギーの駅Les gares belges d'autrefois」というサイトにある。トップページの最下段に、「草創期から今日までのベルギー鉄道地図Carte du réseau belge depuis sa création jusqu'à nos jours」と「ベルギー旅客鉄道地図(2002年)Carte du réseau voyageurs belge (2002)」がリンクされている。特に前者は、廃止線を含めた普通鉄道の全路線を描きこんだ力作で、全盛期の鉄道網を回顧できる。

■参考サイト
昔のベルギーの駅 http://users.skynet.be/fa058639/

Blog_belgium_railmap_page4 もう一つは、「ベルギー鉄道非公式サイトChemins de fer belges - Site non officiel」というベルギーの鉄道を紹介する個人サイトで、その中に「国鉄路線網地図Cartes du réseau SNCB」という鉄道地図を集めたページがある。最上段にある時刻表の添付地図をはじめ、多くは紙地図をスキャンしたものだが、唯一、「鉄道網の変遷Évolution du réseau」は、1830~2000年までの鉄道網の変遷を1年1秒の速度で見せるユニークな動画像だ。

■参考サイト
ベルギー鉄道非公式サイト「国鉄路線網地図」
http://www.belrail.be/F/infrastructure/index.php?page=cartes

ベルギーは、ヨーロッパ大陸でも早期に鉄道を導入した国の一つに数えられる。1830年、オランダから一方的に独立を宣言したことで、ベルギーは北海に通じるスヘルデ川Schelde河口の封鎖に遭い、大きな打撃を受けた。水運に代わる輸送手段として、イギリスで成功を収めていた鉄道に注目し、1835年にブリュッセル~メヘレンMechelen間を開通させたのが始まりだ。動画像に目を凝らしていると、1870年ごろまでに、路線が全国に張り巡らされる様子がよく分かる。時が流れた1950年代からは、直流3000Vの電化区間がずんずん延びていき、最後に交流25KVの高速線が西からすうっと現れて、全編が終わる。

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2009年7月 5日 (日)

アイルランドの鉄道地図

Blog_ireland_map アイルランド共和国の鉄道網を運営しているのは、国有のアイルランド鉄道だ。英語ではIrish Railだが、正式にはアイルランド語によるイルンロード・エールンIarnród Éireann(読み方はウィキペディア日本語版による)と称している。Iarnródは英語のIron Roadから来ていて、Iarnród Éireannはエール(アイルランド)の鉄道という意味をもつ。運行路線は首都ダブリンDublinから放射状に広がり、内陸を貫通して沿岸の主要都市に達している。

一方、1922年のアイルランド共和国独立に際して袂を分かった北アイルランドでは、北アイルランド鉄道NI Railwaysが鉄道事業を行っている。1990年代に極端な民営化が推し進められたイギリスで、唯一残る国有かつ上下一体経営の鉄道会社だ。首都ベルファストBelfastから延びる長短4方向の路線を維持する。

鉄道が盛んに建設されていた19世紀はまだ全島がイギリス領だったので、主要路線は1846年の鉄道規制法で定められた1600mm(5フィート3インチ)軌間、いわゆるアイリッシュ・ゲージで統一された。最盛期であった1920年には、島全体に狭軌を含めて計5500kmもの路線が存在したという。1950~60年代に不採算となっていた多くのローカル線が廃止された結果、路線規模は1/3にまで縮小した。現在の運行形態は首都中心で、アイルランド鉄道はDARTなどの近郊通勤列車、50~80km圏の郊外列車、地方都市へのインターシティを走らせている。また、ダブリンとベルファストの首都間は、両鉄道が共同で、ユーロスターなみの設備をもつ「エンタープライズEnterprise」号を投入している。

鉄道地図でもアイルランド島は、1つのくくりで扱われることがほとんどだ。単独の出版物になっているものでは、1997年にアイアン・アラン出版社から刊行された「ジョンソンのアイルランド鉄道地図帳・地名録Johnson's Atlas & Gazetteer of the Railways of Ireland」が知られているが、残念ながら今は絶版で、古書店を当るしかない。グレートブリテン島と合冊・併載になっているものは数種ある。下記リンクの記事を参照願いたい。

・トーマス・クック社の鉄道地図 Railmap Britain & Ireland
 アイルランド島は縮尺1:1 000 000(100万分の1)。駅の表示は主要駅のみ。旅行地図の性格をもつため、長距離バスルートも記載。
 http://homipage.cocolog-nifty.com/map/2007/10/i_7b92.html

・アイアン・アラン社の「Rail Atlas 1890」
 1890年当時(イギリス領時代)の全線全駅を表示。とうに廃止された路線が多数描かれた貴重な資料。ダブリンは拡大図あり。
 http://homipage.cocolog-nifty.com/map/2007/10/ii_6b6b.html

・M.G.Ball氏によるabc英国鉄道地図帳abc British Railways Atlas
 ポケット版の鉄道地図帳。アイルランド島は縮尺約1:1 670 000(167万分の1)で4ページを充てる。全駅表示。ダブリンは拡大図あり。
 http://homipage.cocolog-nifty.com/map/2007/10/iii_4389.html

・M.G.Ball氏によるヨーロッパ鉄道地図帳
 アイルランド島に1ページを割く。縮尺約1:2 220 000(222万分の1)。駅の表示は主要駅のみ。分冊版はイギリスと合冊で「Atlas of Britain & Ireland」となる。
 http://homipage.cocolog-nifty.com/map/2009/01/i-0b3a.html

・S.K. Baker氏による鉄道地図帳
 アイルランド島は1:495 000で全線全駅を表示。コークCork、ダブリン、ベルファストは拡大図あり。数年おきに改訂版が出されるので、直近の状況がチェックできる。
 http://homipage.cocolog-nifty.com/map/2007/11/iv_6a46.html

ウェブ版では、鉄道会社のサイトで提供されているものしか見当たらなかった。

Blog_ireland_railmap_page1 アイルランド鉄道
http://www.iarnrodeireann.ie/your_journey/intercity_map.asp
旅客営業している全駅を結んだだけの簡素な鉄道地図だ。ダブリン近郊と、南岸のコークCork~コブCobh間の支線は別図になっている(左メニューで選択)。ただし、このサイトは旧版かもしれない。下記のサイトでは、時刻表検索Reservations & Timesでポップアップ表示される。また、起終点を選択するときにも使われている。
http://www.irishrail.ie/

Blog_ireland_railmap_page2 北アイルランド鉄道
北アイルランド鉄道の持株会社のブランド名であるTranslinkのサイトに、路線図NI Railways Route map(PDF)へのリンクがある。地図は系統を色分けしたもので、実際の距離は考慮されていない。
http://www.translink.co.uk/translinknetwork.asp
また、直接のURLは次のとおり(リンク切れご容赦)。
http://www.translink.co.uk/resources2005/20060821routemapnir.pdf

ヨーロッパ全域の鉄道地図を提供するTrainspotting Bükkesのイギリス諸島編も参照。
http://www.bueker.net/trainspotting/maps_british-isles.php

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2009年6月28日 (日)

イギリスの鉄道地図 VI

人気を博した「日本鉄道旅行地図帳」は、現役の鉄道を描いた地図もさることながら、今はなき路線を網羅した廃線地図にも大きな反響があったようだ。鉄道が陸上輸送を独占した時代、その存在は地域の都市形成や産業構造に計り知れない影響を与えている。廃線地図を見たことをきっかけにして、もっと詳しく歴史を知りたい、軌跡を追いたいという探究心が芽生えても不思議はない。

Blog_britain_railatlas7 同じような思いを抱いた人がイギリスにもいて、彼は、自らの半生をかけて類まれな鉄道地図帳をまとめあげた。「英国の鉄道-歴史地図帳The Railways of Great Britain - A Historical Atlas」、スリップケースに入った全2巻、地図646ページ(両巻の間に8ページの重複あり)、資料・索引47ページにもなる大作だ。トレヴィシックTrevithickが最初の機関車を走らせた1807年から、国鉄British Railが民営化された1994年までに存在した鉄道路線と駅を、地形図上にすべて描き込んでいる。ベースマップにしているのは、1:50 000地形図が登場する以前のイギリスの代表的な地形図である1マイル1インチ地図(いわゆるワンインチマップ1-inch map、縮尺1:63 360)だ。イギリスの鉄道地図は何種類も刊行されているが、全国版でこれほど大縮尺のものは他に例がなく、いわば究極の鉄道地図帳だ。

なぜ、古い地形図を使ったのか。序文によれば、地名、道路網、河川など地誌的背景は、その場所に鉄道が計画された理由や駅が設けられた理由を読み取る際の参考になる。しかし、最近の地形図では、廃線跡に新しい道路や建物が載って、位置が不明瞭になっていることがある。その点、1971年限りで刊行が止まったワンインチマップには、改変前の状態が残っているというのだ。地形図原図は多色刷りだが、地図帳では黒と青の版だけを抽出してグレー1色で印刷してあり、等高線は入っていない。あくまで主題を引き立てる役回りということだ。

鉄道線は、1948年の国有化以前の4大会社、いわゆるビッグフォーThe Big Fourを構成した路線ごとに塗り分けている。ロンドンから東海岸を北上するロンドン・アンド・ノースイースタンLondon & North Eastern (LNER) は緑、西海岸を北上するロンドン・ミッドランド・アンド・スコティッシュLondon, Midland & Scottish (LMS)は赤、西方へ向かうグレート・ウェスタンGreat Western (GWR) は青、南部一帯のサザンSouthern (SR) は茶色だ。路線が輻輳する場合は色の濃淡で識別できる。さらに開業時の所有会社名、途中で会社が変わったものは継承した会社名と年、軌間(後に改軌されたものは年も)、区間ごとの開業年、廃止年(clo 1900のように)が図上に注記される。

駅もしかり。すべての旅客駅が地形図と同じように丸印で示され、営業しているものは白抜き、廃止駅は中に斜線を施してある。路線と同時に開業したものは駅名の後にアスタリスクがつき、それ以外は開業年が(1872)、廃止年が[1972]のように注記されている。改称があった場合は、その履歴も付されている。

詳しい変遷を図示できるのも、この縮尺なればこそだ。鉄道のない地域はもとから省略されているが、そうでなくても周辺部では、見開きページに路線が1本のみということもしばしばある。しかし、縮小表示などはあえて行わず、読者に交通網の疎密度を実感させるに任せている。改廃のデータを表形式にしたものなら他にも存在するのだろうが、これは単なる文字の記録とは一線を画する。幹線の成立から培養線の拡大、はたまたライバル会社との絡み合いなど鉄道網のさまざまな事情が、空間と時間のコンテクストを通して把握できる、目で見るイギリスの鉄道発達史というべきものだ。

著者のマイケル・コッブ大佐とはどんなプロフィールをもった人なのか。書評の略歴によると、第2次大戦に従軍した後、軍で測量と地図製作に携わり、除隊後は陸地測量部Ordnance Surveyに勤めた。同時にイギリスの鉄道全線を乗り尽くした愛好家でもあったので、1978年に人に勧められて、この仕事に着手した。1916年生まれで当時62歳だった彼は、やり遂げるには今の一生と、次の一生の半分が必要だと言ったそうだ。資料の完成には18年かかり、さらに篤志家の援助を得て出版に漕ぎ着けたのはその7年後の2003年だった。右上の写真は、誤りなどを修正した第2版(2006年)だ。大佐は2008年、この業績が評価されて母校のケンブリッジ大学から博士号を贈られたが、満91歳の授与は同大学では最高齢の記録だったという。

書評では、150ポンドという価格にもかかわらず、この地図帳は熱いケーキのように、つまり飛ぶように売れていると書くが、同時に、本屋へ自転車で買いに行こうとする人に対して、持ち帰るには大きくて重すぎると警告している。もちろん、アイアン・アラン出版社のサイトで注文すれば、遠く日本までも届けてくれるので、興味と資金を持ち合わせている限り億劫がる必要はないのだが。

■参考サイト
アイアン・アラン出版社による同書の紹介記事
http://www.ianallanpublishing.com/product.php?productid=55161
 書評へのリンクあり。ページの下部に地図のサンプル画像がある。

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2009年6月21日 (日)

ラ・ミュール鉄道、終着駅のその先へ

前回紹介したフランスのラ・ミュール鉄道には続編がある。60年前はラ・ミュールが終着駅ではなく、その先へまだ30km以上も線路は延びていたのだ。まとまった資料を持ち合わせないが、ウェブ上の断片的な記述を照らし合わせると、全貌は以下のようなものだった。

サン・ジョルジュ・ド・コミエSt-Georges-de-Commier~ラ・ミュールLa Mure 延長30km、1888年開通~現存。
ラ・ミュールLa Mure~コールCorps 延長32km、1932年開通~1949年休止、1952年廃止。
コールCorps~ガップGap 延長48km、未成のまま1942年、公式に工事中止。

また、ラ・ミュール~コール間には次の支線があった。
シエヴォSiévoz~ヴァルボネValbonnais 延長3km、1932年開通~1949年休止、1952年廃止。

Blog_lamure_railway2 グルノーブルGrenobleから地中海岸方面へ抜ける街道は2本ある(右図参照)。ラ・ミュールからドラック川Dracを遡りガップを経由するナポレオン街道Route Napoléon(現在のN85号線)と、西側のラ・クロワ・オート峠Col de la Croix Hauteを越えるルート(D1075号線)だ。古くからの主要道路は前者だが、標準軌鉄道は後者を選択し、1878年にグルノーブル~ガップ間(アルプス線Ligne des Alpes)が完成した。これに対してナポレオン街道沿いの村々でも、鉄道の建設を求める声が高まる。1888年のラ・ミュール鉄道(起終点の頭文字をとってSG-LMという)はその先駆けとなったが、ガップまでの延長(同じくLM-G)は1906年の県による公共事業化まで待たなければならなかった。工事は1910年(1911年とも)から始まり、1932年にようやくコールまで部分開通を果たした。

着工から22年もかかったのは、第1次大戦の影響とともに、この区間が山間部で、人口的にも産業的にも投資効果が疑問視されて、資金調達が難航したためだ。加えて、途中の深い谷を越える難工事に時間と資金を費やしたという。いったいLM-Gはどんなルートを通っていたのだろうか。

ナポレオン街道は、ラ・ミュールの町を出ると、ドラック川の支流が刻んだ深さ200mの峡谷を横断するために、つづら折りの道を谷底まで降りては登る。こうした芸当ができない鉄道は、街道から大きく東にそれて、距離にして約2倍の迂回を強いられた(右下図参照)。それでも、その間に横たわるロワゾンヌ川とボンヌ川の谷に、大きな石造アーチ橋を構える必要があった。2つの橋は、短命に終わった鉄道の最大の遺構で、歴史遺産となっている。

そのうち、ロワゾンヌ橋Viaduc de la Roizonneは長さ260m、中央の大きなアーチが谷を80mの幅でまたぎ、岸と接続する小さなアーチが北側に2個、南側に6個並ぶ。川床から路面までの高さは110mもある。日本で最も高い高千穂鉄橋(廃線)が105mだから、石造なら相当の迫力だ。

一方、ボンヌ橋Viaduc de la Bonneは長さ180m、高さ55mで、7つのアーチが規則正しく並び、ラ・ミュール側から見て大きく右にカーブする(いずれもデータは下記参考サイトより)。いずれも設計は、ピレネーを上るトラン・ジョーヌLe Train Jaune線上の美しい橋で知られるポール・セジュルネPaul Séjournéだ。着工は1913年と1921年だが、完成したのは1928年で、その間に橋梁は鋼製が主流となっていたため、フランス最後の大型石造橋といわれる。いずれの橋も廃線後、道路橋に再利用されて、今も渡ることが可能だ。

また、ボンヌ橋の北詰めからは、橋を渡らずに谷を遡る支線があった。終点のヴァルボネ村は高山に囲まれた小盆地の中心だが、十分な需要は得られず、本線廃止時に運命をともにした。

■参考サイト
2つの記念碑的橋梁については、Wikipédiaフランス語版で概要がつかめる。写真もある。
ロワゾンヌ橋 http://fr.wikipedia.org/wiki/Viaduc_de_la_Roizonne
ボンヌ橋 http://fr.wikipedia.org/wiki/Viaduc_de_la_Bonne

ボンヌ橋付近のIGN 1:25 000地形図
http://www.geoportail.fr/visu2D.do?
 中央を流れるボンヌ川にかかる弓なりの橋(695mの標高点がある)がそれ。

Blog_lamure_railway3 SG-LMと違って、LM-Gの開通区間にはトンネルが一つもない。かといって、平坦な行程とはとうてい言えず、曲線の最小半径50m(SG-LMは100m)、最急勾配60‰(ヴァルボネ支線は73‰)が許容されていた。電気運転だからこそ可能な厳しい規格といえる。早くからアルプスの豊富な水量を利用して電力開発が行われており、ローカル鉄道もその恩恵を受けられたのだ。

線路敷は現在、ほとんど道路に転用されてしまっている。しかし、谷を回り込む個所は、道路がヘアピンで短絡するため、大回りしていた鉄道用地が取り残されて、地形図に痕跡をとどめる。レ・コート・ド・コールLes-Côtes-de-Corpsの下手では逆S字状にうねりながら坂をのぼっているし、コールCorps手前のそれはハイキング道になって、市街まで続いているのがわかる。

終着駅コールはラ・ミュール以来のまとまった集落だ。ダムで堰き止めたソーテ湖Lac du SautetとオビウーObiouの山塊を遠望する丘の上に、こじんまりと載っている。駅跡は集落の西側に隣接し、駅前広場Place de la gareの名はそのままに、催し場や駐車場に使われているようだ。実はLM-Gがコールまで開通したとき、そこから南の区間はすでに工事が中断してしまっていた(1930年)。ガップとの直通輸送の夢が潰えた以上、鉄道はこの村を経由する貨客に頼って、生き延びなければならない。この地域の中心地とはいえ、村の人口は近年では400人台、1962年の調査でも608人だったというから、かなり小さな村だ。どうやって採算をとるつもりだったのだろうか。

案の定、鉄道は赤字がかさんで休止に追い込まれていくのだが、文字通りの救いはコール近傍の山中にあった。1846年、山中で2人の羊飼いの子どもの前に聖母マリアが出現したという奇跡に基づいて、その地に築かれたノートルダム・ド・ラ・サレット教会Basilique Notre-Dame de la Saletteだ。コールから15kmの山道を登り詰めた標高1760mにある教会には、今も年20万人が訪れるという。鉄道が現役の時代も、遠路はるばるやってくる巡礼者たちが重要な顧客だった。

しかし、石炭輸送という安定収入が得られるSG-LMに比べて、LM-Gの運営には常に困難がつきまとった。1939年に運行が一時止まり、第2次大戦後に再開したものの、1949年に再び休止、1952年2月に正式に廃止となり、地域開発に賭けた夢はついに消えた。

■参考サイト
コール付近のIGN 1:25 000地形図
http://www.geoportail.fr/visu2D.do?
 
コールの市街図 http://www.paysdecorps.fr/blog/articles.php?lng=fr&pg=82
ノートルダム・ド・ラ・サレット教会(公式サイト)http://lasalette.cef.fr/

最後に未成線のままとなったコール~ガップ間に触れておこう。工事が進んでいたのはショファイエChauffayer村付近とサン・ボネ・アン・シャンプソールSt-Bonnet-en-Champsaurに近いブリュティネルBrutinel以南だ。特に後者は路盤が完成していた。廃線跡はまっすぐガップに南下する国道から離れ、勾配がより緩くなるマンス峠Col de Manseを越えており、ガップ駅に至るまでのほとんどの区間を地形図や空中写真でたどることができる。

■参考サイト
ラ・ミュール鉄道(ファンサイト)http://www.crdp.ac-grenoble.fr/cfm/pages/histoire2.htm
 前回紹介したファンサイトの中に、コール延長区間に関する記述 "De La Mure à Gap par Corps" がある

Wikipédiaフランス語版 シャンプソール鉄道 http://fr.wikipedia.org/wiki/Ligne_du_Champsaur
 LM-Gの未成区間に関する記述。なお、シャンプソールはドラック川上流の地域名称(Champのpは発音する)。

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2009年6月14日 (日)

フランス ラ・ミュール鉄道

Blog_lamure_railway_minimap ラ・ミュール鉄道Chemin de Fer de La Mureは、フランスアルプスの西縁に広がる山岳地帯のダイナミックな風景が堪能できることから、一般旅行者にも人気が高い保存鉄道だ。サン・ジョルジュ・ド・コミエSt-Georges-de-Commiers ~ラ・ミュールLa Mure間、延長は30.1 kmある。起点駅の標高は315mだが、終点では881mにもなり、メーターゲージ(1m軌間)で、18のトンネル、あまたのアーチ橋に半径100mの急曲線が延々と続くと聞けば、いかにも登山鉄道の要件を満たしている。しかし、意外にも勾配は27.5‰と、緩くはないものの幹線にもある規格だ。それというのも、これはもともと沿線で産出した石炭を運搬するために敷かれた産業鉄道だったからだ。公式ウェブサイト以外にも詳しいデータを収めたファンサイトがある(下記参考サイト)ので、それらを参考に鉄道のプロフィールを紹介してみたい。

Blog_lamure_railwayラ・ミュールの町が載るマテジーヌ高原Plateau de la Matheysineは、グルノーブルGrenobleの南20~30kmにある標高1000m前後のエリアだ。東西を山脈にはさまれ、北と南は深い谷で周囲と隔絶されている。そして南北に細長い平坦部には、氷河期の痕跡である小湖が連なる。ここは中世から、石炭の中でも純度の高い無煙炭を産する土地だったが、競合する他の産炭地に比べて交通の便が悪く、19世紀半ばから鉄道の開通が待たれていた。1878年、ようやくグルノーブルGrenobleから南下する鉄道がPLM(パリ・リヨン・地中海鉄道Chemins de fer de Paris à Lyon et à la Méditerranée、1938年に国有化)によって敷設されたが、ルートは川向こうに設けられ、高原を経由しなかった。

そこでまもなく、この路線がドラック川Dracを渡る手前のサン・ジョルジュ・ド・コミエで分岐して、高原に上る鉄道が企画される。建設工事は1882年に始まり、ドラック川が削り出した比高300mの断崖に、対岸から103発の大砲を撃って建設の足場をつくるという途方も無い難工事の末、1886年に路盤が完成した。車両その他の設備の調達が遅れたため、開通式が行われたのは2年後の1888年7月24日だった。当初は蒸機が牽引していたが、1日17往復が限界で輸送力の不足をきたした。1907年に峠の手前まで直流2400Vという高電圧電化が実現し、1912年に全線の電化を終えた。

標準軌のPLM線へは積替え作業を介するという弱点はあったものの、高品質炭の需要の高まりは鉄道を一気に活性化させていった。輸送量は第一次大戦前後から目に見えて増加し、1916年には30万トン、1940年には57万3千トン、ピークの1966年には79万1千トンに達した。しかし、燃料の主役が石油に移行し、外国産の低価格品の流入もあって、国内の炭鉱は急速に衰退する。1974年のオイルショックがなかったら、当時吹き荒れていた不採算路線閉鎖の嵐がここにも襲いかかったに違いない。石炭輸送が維持されたことで、鉄道は細々と命脈を保つことができた。結局、この地方の炭鉱は1997年に完全に幕を閉じたが、それより早く1988年10月に鉄道輸送は廃止され、ラ・ミュール鉄道は観光用として第二の人生を歩み始めていた。

現在(2009年)の運行スケジュールは4月~10月の間、毎日1~4往復(月によって異なる)、所要は途中のフォトストップを含めて往路110分、復路は90~95分となっている。

Blog_lamure公式サイトは、訪れればここがなぜ「アルプスで一番美しい路線la plus belle ligne des Alpes」と呼ばれるかがわかる、と誘っている。いったいどんな景色が待つというのだろうか。地形図を見ながら、起点サン・ジョルジュ・ド・コミエ(標高315m)からラ・ミュール行きの列車に乗ったつもりで追っていこう。(IGN 1:25 000地形図なら、3336OT "La Mure"に全線が収まる)

起点駅では、意外にも列車はグルノーブル方、すなわち北向きに出発する。右回りしながらトンネルに突っ込み、180度向きを変えて始発駅の真上に現れる。しばらくは木の間に畑地を見ながら、時速30kmで上っていく。ノートル・ダム・ド・コミエNotre-Dame-de-Commiersの村の手前にはトンネルと組合せたS字状の蛇行部があるが、こうした高度のかせぎ方は後で大きく展開されるだろう。村の駅(標高471m)から遠くに、アリゾナのモニュメント・ヴァレーを思わせる切り立った岩山が初めて眺められる。西を限るヴェルコール山地Vercorsの中でもひときわ異様な風貌で知られる2086mのモンテギュイーユ(エギュイーユ山)Mont Aiguilleだ。ドーフィネ地方の七不思議sept merveilles du Dauphinéに数えられる。

■参考サイト
モンテギュイーユの写真
http://photos-dauphine.com/Photos/Vercors/Trieves/Mont-Aiguille.html
モンテギュイーユの地質構造
http://www.geol-alp.com/h_vercors/lieux_vercors/mont_aiguille.html

駅を過ぎると、右手車窓はしばらく、ドラック川を堰き止めた深い青色のダム湖が延びる。線路は谷の斜面にへばりつきながら、じわじわと上っている。ドラックDracとは土地の言葉でドラゴンを意味し、洪水でグルノーブル盆地を苦しめる荒れ川だったことをしのばせる。支谷を利用した180度転回のトンネルを抜けた後はいよいよ高度が増して、水面との高低差は280mにもなり、対岸の山を見下ろせばまるで空中を飛んでいるような感覚だ。

2つ目のダムを過ぎたことは、長めのトンネルを連続で抜けたところで気づくだろう。右後方にアーチの堤が見えるこのダムは、流域で最大規模のモンテナール・アヴィニョネダムBarrage de Monteynard-Avignonetで、堤高153m、湖は上流10kmにも及ぶ。これが1962年に完成するまで、リヴォワール橋梁Viaduc de la Rivoireを通過する線路は、谷底まで300m以上の高さがある斜めの崖に張り出していた。対岸から陸軍の大砲を打ち込んで足場を確保したというのはここだ。湛水してから高さの恐怖は多少減じただろうが、息をのむ景観は変わらず、緑青の湖水とベルコールの山並みを俯瞰する「大バルコニーGrand balcon」として、乗客期待のフォトストップがある。

■参考サイト
ラ・ミュール鉄道の写真があるサイト
http://www.linternaute.com/sortir/chemins-de-fer/chemin-fer-mure/diaporama/1.shtml

起点から寄り添ってきたドラック川ともこれでお別れだ。線路は大きく左へ向きを変え、支流ペライエ川Péraillerの谷へ入っていく。ラ・モット・レ・バンLa Motte-les-Bainsの駅跡(標高705m)は、全行程のおよそ中間地点にあたる。終点まで直線距離であと8kmに迫っているのに、まだ線路長が15kmもあるのは、これから何度も折返しながら峠まで200mの高度をかせいでいくからだ。

最初の折返しは長さ170mのヴォー川橋梁Viaduc de Vaulxで、路線中最長、かつ全体が右に急カーブしているので、誰もがカメラを構える。少し行くと、これも名所になっている上下並んだルーラ橋梁Viaducs de Loulla aval et amontにさしかかる。列車は下の橋を渡った後、180度転回して脚が長く伸びた上の橋を通過していく。上手にアヴェイヤンAveillansの村が見えてくるが、そこまで一気には上れない。広い谷を大回りし、さらにトンネルで180度方向を変えてようやくラ・モット・ダヴェイヤンLa Motte-d' Aveillans(標高867m)の駅に到着する。ここでは15~20分停車する。駅から北向きにノートル・ダム・ド・ヴォーNotre-Dame-de-Vaulxの炭鉱へ行く2kmの支線が分岐していたが、電化対象からもはずされたまま1936年に廃止された。地形図にはサン・ジョルジュ方向に少し戻った地点から、廃線跡が明瞭に描かれている。

休憩を終えた列車は村の家並みをかすめ、峠の下を貫通するラ・フェスティニエールLa Festinièreトンネルに入って行く。長さ1021mはいうまでもなく路線で最も長く、暗闇を利用して鉱山の歴史を紹介する影絵のアトラクションがある。出口付近が路線の最高地点924.53 mで、ついに列車は24kmも続いた片勾配を上りきって、マテジーヌ高原の上に到達した。後ろの山を振り返ると、もう一つのドーフィネの七不思議、ピエール・ペルセーPierre Percée(穴あき岩)が見えるそうだ。最後の区間はこれまでとは違って開けた土地を淡々と走るが、車窓右手にはこの地方で最後まで稼動していた鉱山の廃虚が点在している。終点ラ・ミュールはまもなくだ。

ところで、もしグルノーブルからクルマでラ・ミュールを訪れるなら、N85号線が近道だ。ナポレオン・ボナパルトが1815年に幽閉先のエルバ島から帰還する際に通ったルートで、別名ナポレオン街道Route Napoléonという。ヴィジールVizilleでロマンシュ川Romancheを渡って、マテジーヌ高原の北端ラフレーLaffreyへ、高さ600mの谷壁を斜めに這い上がる。ナポレオンと王党派の軍隊が対峙した有名な「出会いの草原La Prairie de la Rencontre」を過ぎた後は、点在する湖のへりを行く平坦な道だ。ラ・ミュール鉄道が最初から旅客用だったら、きっとこのルートに沿っていたに違いない。6kmのラフレー坂をラックレールで克服すれば、残り17kmは平地に線路を敷くようなものだからだ。貨物鉄道だったがために、勾配を一定にできるルートを探さなければならず、険しいドラック峡谷が選択された。後世に残された大胆で巧妙な設計図を列車でたどれば、ドーフィネの8つ目の不思議がここにあると確信するだろう。

■参考サイト
ラ・ミュール鉄道(公式サイト) http://www.trainlamure.com/
 英語版あり。基本的な情報はここでわかる。

ラ・ミュール鉄道(ファンサイト)http://www.crdp.ac-grenoble.fr/cfm/
 詳しいデータが盛り込まれており、本稿のデータの多くはこれに拠っている。

ラ・ミュール鉄道(ファンサイト) http://www.railfaneurope.net/lamure/
 英語版あり。本稿で省略した車両に関するデータはこのサイトを参照。

Wikipediaフランス語版Chemin de fer de la Mure
http://fr.wikipedia.org/wiki/Chemin_de_fer_de_la_mure

ラミュール鉄道の紹介ビデオSpectaculaire chemin de fer de la Mure en Isère
http://www.youtube.com/watch?gl=FR&hl=fr&v=Ca4oNuRL44U

「大バルコニー」付近のIGN 1:25 000地形図
http://www.geoportail.fr/visu2D.do?
 上(北)へたどれば起点サン・ジョルジュ方面、右(東)へたどればラ・ミュール

「ラ・ミュール鉄道、終着駅のその先へ」

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2009年6月 7日 (日)

フランスのワイン地図

フランスという国は、温暖な気候のもと、豊かな農産物に恵まれている。中でも種類といい、品質といい、名実ともに世界の特産品の地位を確立しているのがワインだ。生産地域は海岸から内陸まで全土に広がっていて、その分布を表した地図を眺めながら、グラスを傾けるのも一興だろう。このような地図はフランス語でカルト・デ・ヴィニョーブルcarte des vignoblesと呼ばれ、直訳すればブドウ畑地図だが、以下の記述ではワイン地図(ワインマップ)としておく。

Blog_france_winemap1 フランス国土地理院IGNのカタログには10点ものワイン地図が含まれている。そのうち、「フランスのワインVins de France」(写真左)は全国版で、縮尺1:1 000 000(100万分の1)で統一されたフランス発見Découverte de la Franceシリーズの1点だ。大判用紙全面を使ったメインの地図には、主要道路や水系(川、湖)、地名を表示したベースマップの上に、アペラシオンappellation(正確には原産地統制名称A.O.C.)ごとの栽培地の範囲が塗り分けられている。余白には生産地域別のアペラシオン一覧があり、白、ロゼ、赤の別とともにワイン、スパークリングワインvin effervescent、ヴァン・ドゥー・ナチュレルvin doux naturelの種類がわかる。さらに、仏、独、英の3ヶ国語によるセパージュcépage(ブドウの品種)の紹介や、生産地域別に1985~2005年の作柄を20段階で評価したヴィンテージ・チャートも用意されていて、参考地図の域を超えて楽しめる。

IGNの残り9点は生産地域région viticole別の地図で、ボージョレBeaujolais、ジュラJura、シャンパーニュChampagne、トゥレーヌTouraine、プロヴァンスProvence、ブルゴーニュBourgogne、アルザスAlsace、ボルドーBoldeaux、コート・デュ・ローヌCôtes du Rhôneと主な産地を揃えている。いずれも等高線かぼかし(陰影)の地勢表現を施したベースマップに、アペラシオンの詳しい分布を示したものだ。

手元にあるブルゴーニュのワイン地図を例に紹介すると、タイトルは「ブルゴーニュのワイン-コート・ドールVins de Bourgogne - Côte d'Or」(写真右)。縮尺1:55 000で、コート・ドール(黄金の丘の意、斜面のブドウ畑が一斉に黄葉する様から)、あるいはラ・グランド・コートLa Grande Côte(大いなる丘)と呼ばれるディジョンDijon南郊からボーヌBeaune、シャニーChagnyにかけての一帯を掲載範囲とする。

当地方は畑を厳格に格付けしていて、優れたものから順にグラン・クリュgrand cru(特級)、プルミエ・クリュpremier cru(一級)、村を示すコミュナルcommunale、それ以外の地域のレジオナルregionaleと区別がある。地図でもこれを赤、白の別と組み合わせて塗り分けている。この縮尺ならアペラシオンごとの畑の位置まで特定できるので、たとえば高名なシャンベルタンChambertinやロマネ・コンティRomanée-Contiの区画がどこにあるのかを探すのも訳はない。20m間隔の等高線と照らし合わせると、特級畑は、栽培地の中でも山裾の緩斜面に狭い帯状に分布していることが読み取れる。テロワールterroirs(産地の個性)の理解にも役立つだろう。

国の測量局がこのような地図群を刊行するというのは、ワイン文化が浸透したフランスならではだが、地図の表紙のロゴが示すように、地図原版は、ワイン地図を専門とするエディシオン・ブノワÉditions Benoit(ブノワ出版社)が提供したものだ。

Blog_france_winemap2 エディシオン・ブノワ自体からも、同じようなワイン地図が目にも鮮やかな表紙を付けて刊行されている。IGNのようにフランス全図(正式名は「原産地別フランスワイン及びブランデー地図Carte de France des Vins et Eaux-de-Vie d'Appellation d'Origine」)や生産地域ごとの地図があるが、内容はIGNと全く同じというわけではない。フランス全図(写真左)は使われているベースマップも生産地表示のデザインも別物だし、ブルゴーニュ編(写真右)はIGNの地形図データベースによる非常に詳細な等高線が入れてある。よく見ると、等高線の版が他の版とは1cmほどもずれていて役に立たないのだが、ともあれブノワのオリジナル仕様であることは確かだ。公式HPには地図の縮小画像が挙がっているから、およその雰囲気はつかめるだろう。

写真は折図carte pliéeだが、もともとポスター、つまり壁貼り用として製作されたものなので、折らずに丸めて筒に入れたものcarte posterや、額縁つきcarte contrecollée sur support boisでも販売している。白地図に色だけ置いたものとは違い、栽培地をはぐくむ地勢が浮かび上がって見栄えがする。好みの生産地の地図を部屋のインテリアにすれば、客人との話が弾みそうだ。

IGNと重複しないものでは、「フランスワインの品種地図Principaux Cépages des Vignobles de France」や「ヨーロッパワイン地図Vignobles d'Europe」があるが、極めつけは、1冊にまとめた「フランスワイン大地図帳Grand atlas des vignobles de France」だ。18の生産地域の450を超えるアペラシオンの地図とデータ、4000の生産地のリストと場所が掲載された320ページの大作で、フランスワインマップの決定版となっている。

Blog_france_winemap3 市街図で知られたブレー・フォルデ社Blay Foldexにも、「フランスワイン地図Carte Vins de France」がある。両面使用で、片面に生産地域ごとの拡大図をコラージュし、もう片面は一般的な全国道路地図を使った索引図になっている。拡大図のデザインはブノワとは一線を画したおしゃれなスタイルで、壁貼りしても美しいし、IGNでは省かれ、ブノワでも軽く扱われているブランデーの二大産地、コニャックCognacとアルマニャックArmagnacが、ワインと同じ詳しさで図示されているのが特徴だ。特定の産地にこだわる人でなければ、1枚で全土のアペラシオン分布が把握できるブレー版はお薦めだ。

■参考サイト
IGN http://www.ign.fr/
 フランス語版なら検索窓(Je recherche :)で、"vins"を検索するとよい。検索結果のBoutique loisir (レジャーショップ)> Produits(製品)のVoir tous les résultats(全結果を見る)をクリック。ここからオンラインショッピングも可能。

エディシオン・ブノワ http://www.benoitfrance.com/
 自社製品のオンラインショッピングが可能。

ブレー・フォルデ社 http://www.blayfoldex.com/
 Nos produits のページで"vins"を検索するとよい。購入はアマゾンフランスやFNAC(フランスの有力ショップ)にて。

ヴォーヌ・ロマネVosne-Romanée付近のIGN 1:25 000地形図
http://www.geoportail.fr/visu2D.do?
 ロマネ・コンティの畑は、村の西はずれ「260」の数字(標高260m)が書かれた一角にある。

フランス政府観光局オフィシャルサイト(日本語) http://jp.franceguide.com/
 テーマ別の旅 > ワインをめぐる旅
 少々画像が粗いが、ワイン地図も見ることができる。

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2009年5月31日 (日)

フランスのハイキング地図-ランド・エディシオン

フランス南部の国境地帯には、3000~4000m級の白銀輝く山脈が長く延びている。東はいうまでもなくアルプス山脈Alpes、西(南)はピレネー山脈Pyrénéesだ。その山歩きが目的なら、国土地理院Institut Géographique National (IGN)が情報満載の地形図を揃えていて、申し分なく案内役を果たしてくれる。そのせいか、民間会社は正面から挑むことを避けて、IGNの品揃えの間隙に活路を見出そうとしている。というのもIGNの地形図の中で唯一、縮尺1:50 000のいわゆるセリ・オランジュSérie Orange(オレンジシリーズ)は旅行情報が付加されず、日本の地形図と同じように一般図の純粋さを保っているからだ。ここに、民間会社が旅行地図を投入する余地がある。

Blog_randoeditions 今回紹介するのは、出版グループ、シュドゥエストSud Ouest(南西の意)の傘下にある旅行書専門のブランド、ランド・エディシオンRando éditionsが出しているハイキング地図Carte de randonnéesだ。縮尺1:50 000のこのシリーズは、現在22点が刊行されている。

アルプス6点(A1~A6)がカバーするのは、フランスアルプスの北半分、すなわち、アルプス最高峰モンブランMont Blancとその周辺から、最も南の4000m峰であるバール・デゼクランBarre des Écrinsを含むペルヴー山塊Massif du Pelvouxまでの地域だ。一方、ピレネー16点では、大西洋岸のバスク地方Pays Basqueから地中海に面したルシヨンRoussillonまで山脈全体に網が掛かる。セリ・オランジュに比べると1図郭の面積が4倍もあるし、GR(長距離歩道)や山小屋、キャンプ場、そしてロッククライミング、ハンググライダー、カヌー、スキーなどのスポーツ適地と、旅行情報もふんだんに盛り込まれているので、お徳かつ実用的であるのは間違いない。

Blog_randoeditions_index 筆者がランドに注目するのは、何よりも公的機関である測量局が作成した正式地形図をベースとしている点だ。多くの図ではフランスIGNがベースマップを作成し、ランドが旅行情報を受け持っている。ただし、一部の図幅を除いて、セリ・オランジュそのものは使用されていない。地勢表現として20m間隔の等高線にぼかし(陰影)をかけるのは共通だが、等高線を詳細に読むとセリ・オランジュとは微妙な位置のずれがあるのだ。それに地図記号もずっとカラフルで、おそらく1:100 000の新版のように、ディジタルデータベースを使って新たに描き出したものだろう。高峰に見られる氷河の表現は滑らかで美しく仕上がっているが、岩場や砂礫地は案の定というか、画一的なパターンを貼り付けただけの無粋さが際立ち、自動化の限界を露呈している。

また、すべての地図をIGNが手がけるわけではない。ピレネー山脈の南斜面、スペイン側は、カタルーニャ州の測量局であるカタルーニャ地図学研究所Institut Cartogràfic de Catalunya (ICC) の担当だ。

こちらは表紙デザインが異なり(IGNの旧1:100 000に似ているが)、図番もIGNの1~11番に対して、20番台(20~25番)を与えられている。地図の内容も各々特徴がある。IGNは伝統的にサンセリフsans-serif(文字端の止め線がない)の文字フォントを好むが、カタルーニャICCはそうではない。地勢のぼかし(陰影)はICCの場合、スウェーデンの山岳地図を髣髴とさせる繊細で深めのトーンだ。全体としてIGNからはカジュアル、ICCからはフォーマルな印象を受ける。用紙も互いのオリジナル地形図と同じものを使っているので、ICCのほうは光沢があり、刷り色が映える。両者は図郭の一部が重複していることもあって、図らずも1つのシリーズの中で官製図の競作を繰り広げているのだ。

(写真上で、左からICC作成のピレネー図、IGN作成のピレネー図、IGN作成のアルプス図の例。写真下で、左がピレネーの索引図、右がアルプスの索引図)。

ランド・エディシオンのハイキング地図は、各国の主要地図商で扱っている。

■参考サイト
Rando éditions  http://www.editions-sudouest.com/nos-editions/rando-editions.html

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2009年5月24日 (日)

フランスの1:25 000地形図

国土全域をカバーしていて、かつ市中で容易に入手できる最大縮尺の地形図が、1:25 000(2万5千分の1)という国は数多い。中でもフランスはこの縮尺を、汎用という名の漠然とした用途ではなく、旅やレジャーといった具体的な需要に応じられる地図へと特化させた国の一つだ。(写真は歴代の1:25 000。左からセリ・ブルー(ニース 1982年)、TOP25(パリ 1993年)、TOP25(コルシカ島モンテ・ドーロ 2004年))

Blog_france25k 発行元である国土地理院IGN Institut Géographique National(IGN)の意思は、図郭の切り方に強く現れている。通常、1:25 000の図郭というのは、1:50 000を4分割したものになる。測量成果から基本図(たとえば1:25 000)を完成させ、それを縮小編集する形で小縮尺図(1:50 000)を作成するという手順からすれば、こうするのが合理的だ。しかし、フランスでは、両者の対応関係が限定的になっている。都市や活動圏ができるだけ1枚に収まるように、自由な図郭設定が進められてきたからだ。

少々煩雑になるが、まず基準となる1:50 000の体系を説明しておこう。1:50 000の図郭は東西0.40gr、南北0.20grの範囲だ(grはグラードと読む。下注参照)。図番は東西をローマ数字、南北をアラビア数字の組合せで表わしていて、パリ起点の西経9gr(ブルターニュ半島沖を通る子午線)に左辺を接する図郭をIとして東へ順に振り、北緯57grに上辺を接する図郭を1として南へ順に振っていく。これにより、例えばパリParis図幅の図番は東へ23、南へ14のXXIII-14となる。後にセリ・オランジュSérie Orangeの名称で折図にする際に、アラビア数字の4桁表記に改めて2314としている。

注:グラードは、フランスが提唱した10進法による角度の単位で、直角の1/100を1grとする。1度≒1.11grとなる。メートル法は当初、北極から赤道までの子午線長(100gr)の1000万分の1を1mと定義したので、子午線上では1grが10万m=100kmに対応するはずだった。したがって1:50 000図郭の南北0.20grは距離にして20kmぶんである。東西0.40grの距離も赤道直下では40kmになるはずだが、極に向かうにつれ逓減する。

1:25 000はもともと、この1:50 000の図郭を縦横とも2分割した東西0.20gr、南北0.10grの範囲で、図番は、対応する1:50 000の図番の後に、左上から右下へ1-2、3-4のように振っていた(例 XXIII-14 1-2)。しかし、セリ・ブルーSérie Bleueとして折図化するに当って、取扱いの効率も考慮し、南北の隣接図幅を接合した大判に変更した。1面は海岸部など一部を除き、東西0.20gr、南北0.20grの範囲となり、図番も2314ouest(ouestは西の意、近年は2314Oと略す)、2314est(同じく東、2314E)となった。これが現在も踏襲されている基本体系だ。

Blog_france25k_index複雑なのは、その後、この一部が図郭をさらに大型化したTOP25シリーズに置き換えられてきたことだ。これは旅行情報を充実させた特別版で、ヴォージュ山脈からアルプス、プロヴァンスにかけての東縁部、パリ周辺、ローヌ川、中央山地、ピレネー山脈、大西洋沿岸、地中海岸、コルシカ島など、およそフランスの旅行適地を網羅するように設定された。図郭の大きさはセリ・ブルーの2倍弱にも相当し、隣接図幅と一部重複させていることが多い。図番は、末尾がT(例:2314OT)になる。(写真はノルマンディー地方の索引図、左は旧図とセリ・ブルーが混在していた1987年、右は沿岸部がTOP25で揃った2003年)

TOP25は、1:100 000(TOP100)と並んでIGNの地図スタイルを象徴するシリーズといえる。凡例を英語併記にして国際性に配慮し、プロセスカラー(CMYK)による印刷で多色化して、地図記号の識別度を高めた。たとえば道路を種別で塗り分け、地勢表現にぼかし(陰影)を併用し、GR(長距離歩道)をはじめとするハイキングルート、スキールート、山小屋、キャンプサイト、ウォータースポーツエリア、観光名所などを赤や紫の目立つ記号で加えている。情報の提供元は全国や地域の観光関連組織で、表紙には組織のロゴが配されて、信頼性をアピールする。

1987年のカタログで「フランスを2000面でLa France en 2000 cartes」と紹介されていた1:25 000地形図は、TOP25の登場により、総面数が1800以下にまで減少した。今後これらすべてをTOP25に揃えるつもりはないようだが、残ったセリ・ブルーにも改革の波が及んでいる。

筆者が偶然購入したカルカソンヌ図幅(2345E Carcassonne)は、ベースマップがディジタル化され、印刷もプロセスカラー方式に変わっていた。図式の改定で文字フォントや集落描写が一新されたばかりか、驚いたことにTOP25と同様、道路の塗り分け、ぼかし(陰影)の付加、GRルートの表示がなされ、GPS互換のグリッドも入っている。もはや、TOP25との相違点は、図郭の大きさと赤や紫で示される旅行情報の有無ぐらいだ。参謀本部地図Carte d'État-Major時代を引きずっていた数十年前から1:25 000の変貌過程を振り返ってみると、めざましい進化に隔世の感を禁じえない。

■参考サイト
IGN  http://www.ign.fr/
IGN地図の閲覧サイト http://www.geoportail.fr/
 画面上で縮尺Échelleが1:16 000のときに1:25 000の画像が使われている。

なお、TOP25には、両面印刷でサイズを縮小した「ミニ・カルト・ド・ランドネMini Cartes de Randonnée(ハイキングミニマップの意)」というシリーズもあり、現在、アルプス、ピレネーおよびフォンテーヌブローの9面が刊行されている。

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2009年5月17日 (日)

フランスの1:100 000地形図、新シリーズ登場

「近年のTOP100の山岳表現は、コピーを繰り返したように線が太く荒くなり、周囲と調和していない。カラー印刷の方式が変わって、等高線も鮮明さを減じている。1:25 000に比べても、1:100 000は美的水準の低下が顕著なように思われる。(文章一部略)」と記事を書いたのは、今年(2009年)の1月のことだった。筆者はまだ知らなかったのだが、そのときフランス国土地理院IGNの内部では、1:100 000新作地形図の準備が最終段階を迎えていた。

Blog_france100knew まもなく、公式サイトに告知が挙がる。以下、HPから直訳すると、「新TOP100発売 Lancement de la Nouvelle Top 100。2009年3月初めに、IGNは新しい10万分の1地図を刊行する。これは本院がもつ多くのノウハウと、利用者のニーズに応えるべく絶えず革新し続ける意思を形にしたものだ。」

リード文に続いて、開発の経緯が紹介されていた。「90年代、IGNはさまざまな地図群を生成するディジタルデータに関する研究を始めていた。並行して、10万分の1地形図の基図を旅行情報も加えて進化させ、利用価値を高めて、1997年に、地形図と旅行地図の機能を併せ持つTOP100シリーズ(旧版)を生み出した。しかし、内容の更新や追加のために保存と画像形式での製作を繰り返した結果、残念ながら徐々に基図の劣化を招き、修正が難しくなってきた。そこで1999年、IGNはディジタル地形図データベースによる10万分の1図の再製作に着手する。より正確で判読しやすく、更新も容易で、ユーザーの意見を今まで以上に汲み取れる新しい基図を速やかに得るために、新たな製作プロセスが2005年に実施された。ここに新しいTOP100シリーズは誕生した。」

Blog_france100knew_index 告知にはスイス国境に近いレ・ルスLes Rousses周辺の新旧画像が掲げられているが、コンピュータ描画らしいクリアな線や文字といい、配された色数の多さといい、一瞥しただけでは同じ場所とは思えないほど印象が違う。そこでさっそくIGNから数点の新図を送ってもらったが、原版の疲労が目立った最近の旧図に比べて、賑やかだがすっきりと細部まで読み易く、新図でもう一度全国を眺めてみたい気にさせる出来栄えだった。

地図はどのように新しくなったのだろうか。凡例を見ると、まず道路は、有料高速道が藍の中央に赤線、無料高速道が青、主要道が赤、地方道が黄、その他が無彩色と、前々回紹介した道路地図帳と同じ区分でたいへんカラフルだ。ドライブだけでなくサイクリングやトレッキングにも、と多目的をうたっているので、自転車道も独自の紫色を与えられている。集落は土地利用の一形態として扱われ、大都市も村落もオレンジの総描で統一された。レモン色で表される工業地域は新設された区分だ。

山のほうに目を移すと、等高線は鮮明になり、起伏を表すぼかし(陰影)とともに地形の読み取りは容易になった。一方、岩場の写生的な描写は消え、等高線の色をグレーにすることで代えられてしまった。とはいえ、IGNがデータを提供する別の旅行地図(後日紹介予定)のように画一的なパターンをかぶせてお茶を濁されるよりは潔い。急傾斜でも等高線は省略されていないので、その間隔を読めば断崖のありかは想像できるだろう。植生は、森林と藪を緑の濃度で分け、果樹園とブドウ園は一つにまとめたので3種類(旧図式は4種類)となった。緑といっても暗めのアップルグリーンで、その上に載る道路や集落を引き立てる配慮が感じられる。

新シリーズは、表紙も黄緑(シャトルーズグリーン)に変えて、刷新をアピールする。注意すべきは、旧シリーズがフランス全土を74面でカバーしたのに対して、こちらは76面に切り直していることだ。新旧の図郭は多くで一致せず、従来の索引図は使えない。混同を避けるため、図番も100番台で区別されている。この3月に新シリーズ47面が一気に刊行されたが、首都圏を含むフランス中央部の残り29面の出来は1年後の2010年3月になる。その日が待ち遠しい。

■参考サイト
IGN  http://www.ign.fr/
 新TOP100に関する記事は、フランス語トップページ > découvrir l'IGN > Actus > 2009 > Lancement de la Nouvelle Top 100

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2009年5月10日 (日)

門司港レトロ観光列車に乗る

Blog_mojikoretroline1
JR門司港駅正面
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九州鉄道記念館

JR門司港駅の改札を出て右へ歩けば、レトロ観光列車の始発駅はすぐに見つかる。ゴールデンウィークのさなかで、まだ朝一番の列車が出る前というのに、けっこうな人数が集まってきている。小さな駅舎に1本きりの線路と片側ホームがあるだけの簡素な施設だが、その傍らに列車待ちの人たちのためにテントが並んで、開業間もない鉄道に対する人気の高さが想像できた。

私たちはローソンチケットで午後の列車を予約してある。乗車まで4時間以上もあるが、界隈には見るものがいろいろ用意されていて、時間を持て余すことはない。まずは、隣接する九州鉄道記念館だ。規模はそれほど大きくないが、この地と縁が深いC59の1号機やEF10といった機関車、気動車、電車が整列する車両展示場があり、レンガの旧九州鉄道本社を活用した本館には模型レイアウトや展示資料も揃っていて、一見に値する。こどもたちからは、JR九州の多彩な車両を模した3人乗りのミニ鉄道にリクエストが集まった。

駅西側の通りを渡ってウォーターフロントに出てみると、開放的なプロムナードをリゾートよろしく人々がそぞろ歩いている。テラスのテーブルについて名物の焼きカレーを賞味した後、跳ね橋が上がるのを見学し、大道芸を取り囲む輪に加わり、建ち並ぶレトロな洋館を眺めてから、駅に戻ってきた。自由席の順番が回ってきた客がすでに狭いホームを埋めている。私たちも指定券のチェックを受けて、ホーム前方へ移動した。

Blog_mojikoretroline3
列車入線
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混み合う車内
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港に沿って
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トンネル内の
アトラクション
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めかり駅付近

門司港レトロ観光線(やまぎんレトロライン)は2009年4月26日に開業したばかりの鉄道だ。この周辺は「門司港レトロ地区」と称し、観光拠点として整備が進められてきたが、北の和布刈(めかり)地区の入れ込みはまだ少ない。鉄道は、自然の残るこの地区への回遊性を高める役割を担ってスタートした。路線は、門司港駅から延びていたJR貨物支線と臨港鉄道を転用したもので、施設の北九州市が所有し、運行を第三セクターの平成筑豊鉄道が行う上下分離方式をとっている。

列車が走る区間は、門司港駅横の九州鉄道記念館駅から、古城山の裏側にある関門海峡めかり駅までの2.1kmで、途中2駅に停まっても所要時間はわずか10分だ。朝9時45分のめかり行きを始発に日中30~60分間隔(臨時便を除く)で13往復して、最終は17時10分に記念館へ戻ってくる。特定目的鉄道事業、すなわち観光に特化した鉄道とあって、今年の営業は11月29日までの土日、祝日とGW、夏休み期間に限定されている。

出発5分前、小型DLを前後に立て、海辺の風景に溶け込む鮮やかな青色をまとったトロッコ列車が入ってきた。客車は2両で、めかり側が指定席車、記念館側が自由席車だ。車内には小さな簡易テーブルを挟んで向い合せの座席が全部で42席ある。めかりに向って左が海側になり、当然景色もいいのだが、出入口がある分、座席数は少ない。しかもローソンチケットでは座席の希望を聞いてくれず、機械にお任せだ。指定席車は座席定員しか乗せないはずだが、この日は立席承知の客を詰め込んで、自由席の長い待ち行列をさばいていた。

13時45分、定刻の発車だ。門司港駅前に通じる桟橋通の踏切をそろそろと渡り、両側を道路に囲まれた専用線を歩み始める。緩く左にカーブしていくと船溜りが見え、出光美術館前駅に停車する。左手には、門司港で唯一の高層ビルがそびえ立つ。展望塔を兼ねているらしいが、あまりに突出した高さのために手前の洋館が押しつぶされそうだ。

ビルや倉庫や駐車場が雑多に並ぶ車窓もつかの間、次の左カーブではいよいよ開いた水辺が現れる。現在の門司港が築かれる前から存在していた、その名も旧門司の港だ。漁船がずらりと岸に舫い、海峡を行く貨物船と大吊橋の関門橋が背景を引き締める。少しの間その眺めを鑑賞しながら行くと、反転するカーブの途中に2つ目の中間駅、ノーフォーク広場がある。

行く手は、海峡に突き出した尾根を抜けるトンネルだ。たかだか200m強の短いものだが、車中の客には思いがけないお楽しみがある。客車の天井が魚の形に光り出すのだ。暗闇を抜け出すと、風景が先ほどとはがらりと変わっているのに気づく。人家が去り、広い海原が現れ、列車が海峡の外側、周防灘沿いへ出たことを教えてくれる。街中、港、トンネルと車窓の変化を追ってきて、今またこの新たな展開を楽しみたいと思うのだが、残念ながらすぐに終点、関門海峡めかり駅に到着だ。線路はまだ車庫まで続いているものの営業列車の延長予定はなく、体験運転や手漕ぎトロッコなどを配したレールパークの構想が持たれているという。

さて、観光鉄道のレポートはこれで幕になるところだが、復路について言及しておきたい。というのも、よほど急ぎの旅程ならともかく、この晴れ晴れとした海景を前にして単純往復という選択肢はないからだ。

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ルート概略図
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観潮遊歩道
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海底トンネルの県境
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火の山ロープウェイ
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火の山山頂からの眺望

駅前に、めかり絶景バスが客待ちしている。これに乗れば、背後の古城山中腹にある標高100m程度の展望台まで運んでくれるのだが、関門橋の橋脚(141m)より視線が低いため、インパクトに欠ける。お薦めは、対岸の本州に渡って火の山(標高268m)に上ることだ。間近に仰ぐと圧倒的な関門橋も、山上からでは、海峡を一望する大パノラマのアクセントに収まってしまうだろう。利用者減で一時運休になっていたためか、九州側の観光案内ではたいてい黙殺されているが、めかり駅から火の山ロープウェイの乗り場(壇の浦駅)までせいぜい1.5kmと歩ける距離だ。しかも、海底を自分の足で横断するまたとない体験ができる。

その行き方だが、めかり駅から波打ち際に遊歩道(観潮遊歩道)が整備されている。海峡を行き交う船を眺めながら潮風に吹かれて10分程度で、海峡最狭部、早鞆の瀬戸に面する和布刈神社にたどり着く。山側の道路の向かいにある人道トンネル入口からエレベーターで地下へ降りる。関門海峡の下を行く長さ780mの歩行者専用路を歩いて約15分、下関側の人道出口からは長府方向へ交差点を渡る。山手への少々きつい小道と階段を5分も登れば、火の山ロープウェイの乗り場に達する。ロープウェイは季節運行なので、事前に下関市の観光HPで日程を確認しておいたほうがいいだろう。最下段の写真が山頂からのパノラマだ。正面が関門橋、その奥に門司港、左の対岸に並ぶ石油タンクの右、青緑の屋根がレトロ観光線の終点になる。

帰りは、山上を毎時20分に出るロープウェイに乗ると、山麓駅の前で国民宿舎から来る1時間に1本のサンデン交通バス(9~18時まで毎時26分発。停留所名は「火の山ロープウエイ」)をちょうど捕まえられる。海岸の御裳川(みもすそがわ)まで歩かずに、門司港行き渡船がある唐戸やJR下関駅へ直接出ることができて便利だ。

■参考サイト
門司港レトロ観光列車 潮風号 http://www.retro-line.net/
Wikipedia日本語版「外浜駅」 http://ja.wikipedia.org/wiki/外浜駅
 レトロ観光線の前身

九州鉄道記念館 http://www.k-rhm.jp/
JR門司港駅付近の1:25 000地形図
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=335650&l=1305750
 レトロ観光線はJR駅の東側(右)から北へ延びている休止線の記号

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