2016年9月10日 (土)

お知らせ

2016年9月10日 「マン島の鉄道を訪ねて-マン島鉄道」の記事を更新し、写真を追加しました。

2016年9月7日 「マン島の鉄道を訪ねて-スネーフェル登山鉄道」の記事を更新し、写真を追加しました。

2016年9月4日 「マン島の鉄道を訪ねて-マンクス電気鉄道」の記事を更新し、写真を追加しました。

2016年8月30日 「マン島の鉄道を訪ねて-ダグラス・ベイ馬車軌道」の記事を更新し、写真を追加しました。

2016年7月30日 「イギリスの旅行地図-ハーヴィー社」の記事を更新しました。

2016年8月25日 (木)

イタリアの鉄道地図 III-ウェブ版

EUの基本政策に従って、イタリアでも旧 国鉄 Ferrovie dello Stato, FS の鉄道事業が上下分離された。移行段階を経て最終的に、インフラ管理は RFI(イタリア鉄道網 Rete Ferroviaria Italiana、2001年設立)が、列車運行はトレニタリア Trenitalia(2000年設立)が担う形に落ち着いた(下注1)。さらに旅客輸送についてはオープンアクセス化に伴い、2012年に NTV(新旅客輸送社 Nuovo Trasporto Viaggiatori)が深紅の高速列車イタロ italo を投入し、トレニタリアのフレッチャ(Freccia、矢の意)シリーズとサービスを競い合っている。また、アルプスの北側諸国に比べて、地方路線に私鉄(下注2)が多いのも特徴だ。この稿では、こうしたイタリアの鉄道網を、ウェブサイトで提供されている鉄道地図(路線図)で見ていくことにしたい。

*注1 RFIもトレニタリアも、国が出資するFS(国有鉄道会社 Ferrovie dello Stato S.p.A.)の子会社。
*注2 私鉄といっても、FSや州、地方自治体が多く出資しており、公営鉄道の性格が強い。

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ミラノ中央駅に勢ぞろいした高速列車
手前からE414機関車(フレッチャビアンカ)、AGV575(イタロ)、
ETR1000、ETR500(いずれもフレッチャロッサ)
海外鉄道研究会 戸城英勝氏 提供、2016年5月撮影

まず、RFIとその線路を使う鉄道会社のサイトから。

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RFI
http://www.rfi.it/
営業路線網 Rete in esercizio を示す全国図と州別図があり、それぞれインタラクティブマップ(対話式地図)とPDF版が用意されている。

・全国図
伊語版トップページ > Linee stazioni territorio > Istantanea sulla rete
または、英語版トップページ > The Italian rail network in figuresのバナー

路線は、幹線 Linee Fondamentali が青色、地方線 Linee Complementari(直訳は補完線)が水色、都市近郊線 Linee di Nodo が橙色で表される。全国の路線網を一覧できるのはいいが、駅の記載が少なすぎて実用的とはいえない。また、自社管理外の私鉄線は描かれていない。

・州別図
伊語版トップページ > Naviga nella rete RFI(RFI路線網へ移動)のクリッカブルマップで州を選択
または、伊語版トップページ > Linee stazioni territorio > 左メニューの Nelle regioni > クリッカブルマップかドロップダウンリストで州を選択

州(レジョーネ Regione)ごとに作成された路線図だ。さすがに全国図より詳しく、ベースマップでおよその地勢もわかる。路線は上記全国図の3分類に加えて、電化/非電化と複線/単線の組合せで区分している。記載する駅の数も決して十分ではないが、全国図よりは多い。

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RFI営業路線網図 トスカーナ州の一部

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トレニタリア Trenitalia
http://www.viaggiatreno.it/

上記URLは、トレニタリアの列車時刻表や発着状況を調べることができる「ヴィアッジャトレーノ Viaggiatreno(列車の旅の意)」というサイトだ。初期画面では、全国旅客路線網が現れる。残念ながら地図を拡大しても、多少駅名表記が増える程度で、情報量はさほど変わらない。なお、右上の言語選択では日本語を含む9か国語に対応している。左から伊(イタリア)、英、独、仏、西(スペイン)と来て、次の青・黄・赤の見慣れない三色旗はルーマニア語を意味している。イタリア語と同じラテン語系の言語なので、イタリアへの旅行者が多いのだろうか。

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NTV(イタロ Italo)
http://www.italotreno.it/

トップページ > Destinazioni e orari(英語版はDestinations & Timetable)
高速列車イタロのサイトには、簡単な系統図しかなかった。走行ルートが限られており、主要都市にしか停まらないから、これで用が足りるのだろう。

 

地方私鉄はどうだろうか。

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フェッロヴィーエノルド(北部鉄道)Ferrovienord
http://www.ferrovienord.it/

トップページ > La rete(路線網)
または直接リンク http://www.ferrovienord.it/orari_e_news/mappa_interattiva.php

ミラノMilanoとブレッシャ(ブレシア)Brescia から北へ路線を広げる主要私鉄で、ミラノ北駅 Milano Nord ~サロンノ Saronno 間21kmは堂々たる複々線が敷かれ、北イタリアの空の玄関口ミラノ・マルペンサ空港 Aeroporto di Milano-Malpensa へも乗り入れている。路線図はコーポレートカラーの黄緑を使って、運行系統を示すものだ。

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チルクムヴェズヴィアーナ(ヴェズヴィオ環状鉄道)Circumvesuviana
http://www.eavsrl.it/

ナポリからヘルクラネウム Herculaneum(伊語:エルコラーノ Ercolano)やポンペイ Pompei、ソレント Sorrentoなど著名観光地へのアクセスにもなっている歴史ある鉄道だが、現在はナポリ地下鉄などとともにヴォルトゥルノ公社 Ente Autonomo Volturno, EAV の一部門だ。残念ながらEAVのサイトには系統ごとの図しか見当たらないので、ウィキメディア収載の図を紹介しておこう。
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Circumvesuviana_maps.png

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スド・エスト鉄道(南東鉄道)Ferrovie del Sud Est
https://www.fseonline.it/

トップページ > Orari e tariffe(時刻表と運賃)> / Download linee e orari
または直接リンクhttps://www.fseonline.it/downloadorari.aspx

南部プッリャ(プーリア)Puglia 州の幹線網を補完する役割の鉄道で、長靴形をしたイタリア半島のかかとに当たるサレント半島に路線網を築いている。上記ページの Le nostre linee(自社線)に系統図(png画像)と路線網のPDFがある。系統図のほうが色分けされてわかりやすいが、拡大はできない。

 

都市交通では、代表的な3都市を見てみよう。いずれも地方鉄道に比べればしっかりしたデザインで、好感が持てる。

ミラノ Azienda Trasporti Milanesi, ATM
http://www.atm.it/

トップページ > Viaggia con noi > Schema Rete
または直接リンク http://www.atm.it/it/ViaggiaConNoi/Pagine/SchemaRete.aspx

ページの最下段の、マウスオンすると "Scarica lo schema di rete(路線網図をダウンロード)" と出る画像からリンクしている。地図は、メトロ(地下鉄)の色を目立たせ、連絡するトレニタリアの列車系統は控えめに描くという、オーソドックスなデザインだ。

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ローマ ATAC
http://www.atac.roma.it/

トップページ > per te
またはトップページ > Linee e Mappe(路線と地図)

市街地や郊外のバス路線図、メトロ路線図など、充実したラインナップを提供していて見ごたえがある。

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ナポリ Azienda Napoletana Mobilità, ANM
http://www.anm.it/

トップページ > Metro(Mのマーク) > Linee metro e funicolari > 本文中の "rete metropolitana" のリンク

自社運営する2本のメトロと4本のケーブルカーだけでなく、トレニタリアやEAVなど他社線も分け隔てなく描いた総合路線図にしているところを特に評価したい。

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ANM市内路線図の一部

個人サイトでは、「ヨーロッパの鉄道地図 V-ウェブ版」で紹介したウェブ版鉄道地図帳である「Railways through Europe」のサイトに、イタリア編もある。
http://www.bueker.net/trainspotting/maps_italy.php

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非常に有益な旧版鉄道地図のコレクションも見つかる。
http://www.stagniweb.it/

トップページ > 左メニューの MAPPE STORICHE(歴史地図)> Carte ferroviarie(鉄道地図)

ここには最も古いもので1876年、新しいもので1989年の、イタリアの鉄道網を描いたさまざまな図面が収集されている。各図の Apri la mappa ad alta risoluzione / Open full size map のリンクから拡大画像をダウンロードすれば、より詳細に路線網の構成や変遷を追うことができる。眺めているうちに、時の経つのを忘れてしまうだろう。

★本ブログ内の関連記事
 イタリアの鉄道地図 I-バイルシュタイン社
 イタリアの鉄道地図 II-シュヴェーアス+ヴァル社

 近隣諸国のウェブ版鉄道地図については、以下を参照。
 フランスの鉄道地図 III-ウェブ版
 フランスの鉄道地図 IV-ウェブ版
 スイスの鉄道地図 IV-ウェブ版
 オーストリアの鉄道地図 II-ウェブ版
 ヨーロッパの鉄道地図 V-ウェブ版

2016年8月13日 (土)

イタリアの鉄道地図 II-シュヴェーアス+ヴァル社

専門家やコアな鉄道愛好家向けに、魅力的な鉄道地図帳を刊行し続けてきたドイツのシュヴェーアス・ウント・ヴァル社 Schweers+Wall (S+W) が、ヨーロッパアルプスの南の路線網に初めて取り組んだのが、この「イタリア・スロベニア鉄道地図帳 Atlante ferroviario d'Italia e Slovenia / Eisenbahnatlas Italien und Slowenien」だ。192ページ、横23.5×縦27.5cmの上製本で、2010年1月に初版が刊行された。

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イタリア・スロベニア鉄道地図帳 表紙

鉄道地図には大別して、列車や路線のネットワークを表現するものと、路線のインフラ設備を詳述するものの2種類がある。S+W社の鉄道地図帳シリーズは後者に相当し、対象国内の全鉄道路線、全駅を含む主要鉄道施設が、正縮尺の美しいベースマップの上に表現されている。徹底的に調査され、細部まで描き込まれた鉄道インフラの最も詳しい地図帳として定評を得ている。

本書はタイトルのとおり、イタリアと東の隣国スロベニアの鉄道がテーマだ。イタリア半島にあるサンマリノとバチカン市国はもとより、歴史的に関連が深いイストラ半島(イタリア語ではイストリア Istria、大部分がクロアチア領)や地中海のマルタ島 Malta も範囲に入っている(下注1)。イタリアの鉄道地図は、長い間ボール M.G.Ball 氏の地図帳(下注2)以外に満足できるものがなかったので、S+W版の参入で一気に書棚が充実した印象がある。

*注1 現在、マルタ島には鉄道はないが、1931年まで1000mm軌間の鉄道がバレッタ Valetta から内陸に延びていた。
*注2 ボール鉄道地図帳については、「ヨーロッパの鉄道地図 I-ボール鉄道地図帳」参照。

さらに、旧ユーゴスラビア連邦の一部だったスロベニアまで範囲が広げられているのも嬉しい。もちろんこの国もボール地図帳のほかに詳しい鉄道地図はなかった。電化方式がイタリア在来線と同じ直流3000Vなので、今回一体的に取り扱ったものと推測するが、そもそもスロベニアの地はハプスブルク帝国領の時代が長い。最初に開通した鉄道は、帝国の首都ウィーンとアドリア海の港町トリエステ(現 イタリア領)を結んだ東部鉄道 Südbahn だ。その史実からすれば、オーストリア編のときに出ていてもよかったくらいだ。

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ローマ~ナポリ間カッシーノ Cassino 付近 (表紙の一部を拡大)

イタリア・スロベニア編のページ構成だが、地図のセクションは全部で157ページある。縮尺1:300,000で描いた全国区分図のほかに、路線網が錯綜する主要都市とその周辺について1:100,000、一部は1:50,000の拡大図がかなりの数挿入されている。余白にはそのページの図に記載された私鉄の社名、軌間、電化方式、開業年/廃止年のメモがつく。地図ページに続いては、駅その他の鉄道施設の名称索引が24ページある。

内容については、まず本書ドイツ語序文の該当箇所を引用させてもらおう(迷訳ご容赦)。

「路線は、各図でインフラの所有権と関係づけて描かれている。その際、記号や配色はドイツ、スイス、オーストリアの地図帳からおおむね引き継がれている。

RFI(下注)の非電化線は黒で、私鉄はオレンジで描かれる。電化線は、適用される架線電圧方式に応じて、異なる色で記される。直流3000VのRFI国鉄路線網の路線は青、私鉄は明るい青で描かれ、交流25kVの路線(高速線)は緑で描かれる。それ以外の電圧、例えば1500Vまたは1650Vは紫で示される。引込線は茶色の破線、狭軌鉄道や路面軌道は独自の記号をもっている。イタリアに多数ある私鉄は、地図の縁にあるテキスト欄で簡潔に説明している。略号は地図で使用される略号を示している。」

*注 RFI(イタリア鉄道網 Rete Ferroviaria Italiana)は、旧 国鉄の線路等インフラ管理を担う企業。

イタリアの在来線の電化方式は直流3000Vなので、図を支配するのは青色(印刷色はウルトラマリン=紫味の強い青)だ。交流15kV 16.7Hzの赤色が目立つドイツ語圏の国々とは違って、落ち着いた雰囲気を醸し出す。イタリアと言えば、鮮やかな赤をまとう高速列車が目に浮かぶが、高速線の交流25kV 50Hz(下注)も緑色で、クールなイメージは崩れない。

*注 最初に完成したフィレンツェ~ローマ間の高速線(直流3000V)を除く。

その高速線は、本書の時点(2009年秋)ですでにトリノからミラノ、ボローニャ、フィレンツェ、ローマを経てナポリまで延び、さらにミラノから東へ、ヴェネツィアの手前までが予定線(下注)として描かれている。在来線でも、山が地中海に迫るジェノヴァ Genova~ヴェンティミーリア Ventimiglia 間やアドリア海岸のペスカーラ Pescara~フォッジャ Foggia 間、アルプスの谷間のウディーネ Udine~タルヴィジオ Tarvisio 間やブレンネロ/ブレンナー Brennero/Brenner~ボルツァーノ/ボーツェン Bolzano/Bozen 間などで、長大トンネルを含む大規模な別線建設が行われていることがわかる。

*注 2016年現在、すでに一部区間が供用中。

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ミラノ拡大図 (裏表紙の一部を拡大)

序文はさらに続く。「廃止線は灰色で描かれる。インフラはまだ一部残っているがもはや運行できない路線(例えばポイントの欠如)も廃止線として扱っている。廃止線では、すべての旧 鉄道施設が図面に表されているわけではなく、キロ程も同様である。さらに言えば灰色の路線記号は、かつて線路がどこを通っていて、鉄道網とどのように接していたかだけを示そうとするものである。鉄道地図帳の重点は、現在運行中の路線網に置かれている。したがって視認性を優先するため、主要都市におけるかつての接続カーブまたは線路位置の再現は断念した。」

表示は完璧なものではないとは言うものの、今は無き廃線のルートや廃駅の位置がわかるのも、この地図帳の大きな特色だ。灰色で示される廃止線は、ほぼどのページにも見つかる。中には極端な蛇行を繰り返し、ときにはささやかなスパイラルまで構えて高みをめざすものがある(下注)。筆者にとって、その軌跡をさらに縮尺の大きい官製地形図や空中写真で確かめるのは、大いなる楽しみの一つだ。

*注 その一例を本ブログ「サンマリノへ行く鉄道」で紹介している。

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凡例の一部

このように実際に列車が走れる線路だけでなく、建設中や計画中の路線を拾い上げ、廃止線が自転車道に転換されればその記号まで付して、鉄道網の過去・現在・未来を一つの図面に示そうとする。この実直で緻密で徹底した編集方針は、類書の遠く及ばないところだ。なにぶんドイツの刊行物のため、序文と解説はドイツ語とイタリア語のみだが、凡例(記号一覧)には独・伊・仏語とともに英語表記があり、読図に大きな支障はない。イタリアの鉄道路線について調べるつもりなら、まず座右に置くべき書物の一つだろう。

なお、刊行から時間が経ち、初版の入手はやや難しくなっているようだ。古書店に当たるか、改訂版の刊行を待つ必要があるかもしれない。

■参考サイト
シュヴェーアス・ウント・ヴァル社 http://www.schweers-wall.de/

★本ブログ内の関連記事
 イタリアの鉄道地図 I-バイルシュタイン社

シュヴェーアス・ウント・ヴァル社の鉄道地図帳については、以下も参照。
 ヨーロッパの鉄道地図 VI-シュヴェーアス+ヴァル社
 ドイツの鉄道地図 III-シュヴェーアス+ヴァル社
 スイスの鉄道地図 III-シュヴェーアス+ヴァル社
 オーストリアの鉄道地図 I
 フランスの鉄道地図 VI-シュヴェーアス+ヴァル社

2016年8月 7日 (日)

イタリアの鉄道地図 I-バイルシュタイン社

アルプスの麓の谷間から、乾いた風が吹く地中海の岸辺まで、イタリアの鉄道の守備範囲はとても広い。路線網の総延長は19,400km、営業中のものに限定しても16,700kmあるという。その性格も、フレッチャロッサ Frecciarossa(赤い矢)やイタロ Italo が最高時速300kmで突進する高速線から、半島の周辺部や離島の山懐を健気に走る950mm狭軌のローカル線まで、変化に富んでいる。

イタリアの鉄道網を一定の詳しさで表した印刷物の鉄道地図(路線図)は、2016年現在、筆者の知る限りで3種ある。

1.ボール M.G.Ball 氏の「ヨーロッパ鉄道地図帳 European Railway Atlas」の地域シリーズ Regional Series の1巻「イタリア編」
2.バイルシュタイン社 Beilstein の「レールマップ・イタリー Railmap Italy」
3.シュヴェーアス・ウント・ヴァル社 Schweers+Wall の「イタリア・スロベニア鉄道地図帳 Atlante ferroviario d'Italia e Slovenia」

1については、すでに本ブログ「ヨーロッパの鉄道地図 I-ボール鉄道地図帳」で全般的なレビューをしているので、そちらを参照いただくとして、今回と次回で残りの2種を紹介しておきたい。

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レールマップ・イタリー表紙

2015年4月の新刊である「レールマップ・イタリー Railmap Italy / Carta Ferroviaria Italia(イタリア鉄道地図)」は、1枚ものの鉄道地図だ。横75cm×縦113cmの大判用紙に印刷され、折図にしてハードカバーがつけられている。冊子形式の他2種とは異なり、1枚でイタリア全土を一覧できるのがポイントだ。地図のデザインは一見地味だが、よく練られていて、主題となる路線情報がしっかり目に飛び込んでくる。

バイルシュタインの名はあまり聞き慣れない。実は、キュマリー・ウント・フライ(キュメルリ・フライ)社 Kümmerly+Frey (K+F) 刊行の「レールマップ・ユーロップ Railmap Europe(ヨーロッパ鉄道地図)」(2008年)と「ドイツ鉄道旅行地図 Rail Travel Map Deutschland」(2009年)の製作を担当したスイスの地図製作会社だ(下注)。これらはシートや表紙にバイルシュタインのロゴが見られるものの、あくまでK+Fブランドの出版物だった。それに対して、イタリア図はK+F社と関係なく、バイルシュタインが独自に企画制作、刊行したもののようだ。

*注 K+F社のレールマップ・ユーロップについては本ブログ「ヨーロッパの鉄道地図 IV-キュマリー+フライ社」で、また、ドイツ鉄道旅行地図は「ドイツの鉄道地図 V-キュマリー+フライ社」で紹介している。

内容はどうだろう。用紙寸法に収めるために、縮尺は1:1,300,000(130万分の1)と、少し小さめだ。ベースマップはベージュのぼかし(陰影)で地勢を手描きし、そこに水系(川や湖)を加えている。シンプルながら、色合いといい、明暗を際立たせた描法といい、イタリア官製1:100,000を彷彿とさせる美しさがある。森の緑に細かいぼかしで錯雑感が出てしまったドイツ図に比べると、はるかに見やすい。

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サンプル図(ローマ付近)
画像は http://beilstein.biz/ から取得

主役たる鉄道路線はまず、色で電化方式を表す(上図参照)。イタリアの在来線は直流3000Vで赤色が使われているが、高速線や一部の私鉄は緑や橙になっていて、方式が異なることがわかる。また、非電化線は黒色だ。色分けによって、周辺諸国の路線との接続状況も明らかになる。たとえば、国境のトンネルをはさんでどちら側で電源が切り替わるかも一目瞭然だ。

線の形状は、高速線や標準軌/狭軌を区別するのに用いられる。高速線は太い二重線、標準軌は太線、狭軌は輪郭つきの破線だ。建設中または計画中の路線は細い二重線になる。また、旅客列車の走らない路線は、たとえば非電化線なら黒をグレーにするなど、トーンを落として表現する。これらも感覚的に無理のない設定だ。

高速線の記号は目立つので、路線が輻輳している地域でも識別が容易だ。筆者は、イタリアの高速線は交流25kV 50HzのフランスTGV方式だとばかり思っていたのだが、この地図で、最初に開通したフィレンツェ Firenze~ローマ Roma 間だけが在来線と同じ直流3000Vであることに初めて気づいた。また、在来線では、北西部ピエモンテ州のいくつかのローカル線や、アペニン山脈南部の山岳路線で、旅客列車が廃止されているという現実も教えられる。

1:1,300,000という縮尺の制約上、すべての駅や停留所を表示するのは難しい。他の資料と見比べると、旅客駅、すなわちかつての基準で駅舎があって駅員がいる(昨今は条件を満たさないものも多いが)という、イタリア語でいうスタツィオーネ stazione だけが表示の対象のようだ。停留所(フェルマータ fermata、英語の stop, halt)や貨物駅などは描かれていない。一方で各路線には、トレニタリア(旧 国鉄)の時刻表番号、地方の時刻表番号、ヨーロッパ鉄道時刻表の路線番号といったインデックスが丁寧に振られ、時刻表とのリンクが配慮されている。

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サンプル図(メッシーナ海峡)
画像は http://beilstein.biz/ から取得

また、観光大国の鉄道地図とあれば、沿線の旅行情報にも抜かりはない(上図参照)。路線に緑の点線が添えられているのは、景勝路線だ。アルプスの谷間や湖沿い、アペニンの山越え、地中海岸など、目を凝らせばかなりのルートで記号が見つかり、旅心を刺激する。また、保存鉄道を示す蒸気機関車のマークも各所にある。そのほか、著名観光都市には星印が打ってあり、郊外には城、古代遺跡、修道院、景勝地など多数の記号が配されている。鉄道網と合わせてこうした周辺情報を追っていけば、地図を読む楽しみも倍加するだろう。

価格は19.90ユーロ(1ユーロ120円として2,388円)と少々高めの設定だ。しかし、列車で旅をしたいのだが、ウェブサイトにあるような主要路線と主要駅だけのラフな路線図では物足りないとか、イタリア全体を一覧できるものがほしいという向きには最適ではないだろうか。この地図は、バイルシュタイン社の自社サイトのほか、ドイツのアマゾン(Amazon.de)などで発注できる。

■参考サイト
バイルシュタイン社 http://beilstein.biz/

★本ブログ内の関連記事
 イタリアの鉄道地図 II-シュヴェーアス+ヴァル社

バイルシュタイン社の作品群
 ヨーロッパの鉄道地図 IV-キュマリー+フライ社
 ドイツの鉄道地図 V-キュマリー+フライ社

2016年7月31日 (日)

ダグラスの馬車軌道に未来はあるのか

140年もの間、マン島 Isle of Man の首都ダグラスのプロムナードを走ってきたダグラス・ベイ馬車軌道 Douglas Bay Horse Tramway (下注)に今、転機が訪れている。

*注 ダグラス馬車鉄道と呼ばれることも多いが、ここでは tramway を軌道と訳した。同 軌道の詳細は「マン島の鉄道を訪ねて-ダグラス・ベイ馬車軌道」参照。

島に残る主な古典的鉄道4本のうち、蒸気鉄道、マンクス電気鉄道、スネーフェル登山鉄道の3本は1978年に国有化(下注)されたが、馬車軌道だけは1900年にダグラス市が買収して以来、一貫して市営で運行されてきた。ところが、2015年12月に厩舎移設のために市議会に提出された資金計画が、慢性的な運営赤字への批判と重なって紛糾し、とうとうトラムの運行を中止するという提案が採択されてしまったのだ。国が乗り出して2018年まで運行が継続されることになったものの、近々予定されるプロムナードの全面改修工事と絡んで、将来的な見通しはまだ示されていない。

*注 本稿で「国」「政府」という場合、イギリスではなく「マン島自治政府」を指している。

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ダグラスのプロムナードを行く(2007年8月撮影)

ことの発端である厩舎というのは、もちろん運行の主役である馬たちがねぐらにしている場所だ。1891年からの古い建物で老朽化しており、ストラサラン Strathallan の軌道終点にある同じく改修が必要な運行拠点に統合して、敷地は売却するという構想が練られていた。そのための改築費用およそ290万ポンドは、30年の市債を発行して確保する予定だった。ところが、議会の審議の中で、トラムの運行で生じている年26万3千ポンドの赤字に、この返済負担が上乗せされることが問題視された。

議会関係者はこう述べている。「議会は常にダグラスの納税者の最善を考えて行動しなければならない。馬車軌道の運行を続けることは、翌会計年度だけでなく近い将来においても、納税者に受入れがたいレベルの重荷を背負わせることになる。」「議会も、馬車軌道の運行に対して島内や世界中から寄せられる愛情を認めてはいるが、こうした背景がある以上、残念だが馬車軌道は存続できない。」(ダグラス市議会ニュース 2016年1月21日)。

運行終了の決議は今年(2016年)1月27日に行われたのだが、あと3か月もすれば次のシーズンが始まるという時期で、しかも今年は馬車軌道140周年の記念行事が計画されている。馬車軌道は島の重要な観光資源の一つであり、将来のあり方よりも、まず当面の対策を急ぐ必要があった。決議当日、市議会と関連の政府部局、保護団体の代表者による会議が持たれ、問題を調査するための委員会が立ち上げられた。

3月24日になって、政府の社会基盤省 Department of Infrastructure から、2016年のシーズンは同省が馬車軌道の運行の責を果たすと、公式発表があった。つまり、市が放棄した運行事業を国が肩代わりするということだ。しかし、国から特別の支出はないため、持出しとなる費用は、他の保存鉄道を含めた運営予算の中から捻出しなければならない。そこで、運行費用の削減と増収を目標とする計画が実行される。ハイシーズンでも月曜を運休日として、馬や要員の運用を減らす一方で、増収のために運行期間が拡大され、昨年5月11日~9月13日だったものが4月30日~11月30日になった。

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馬車軌道の時刻表リーフレットが経営者の交代を物語る
(左)2015年、右肩にダグラス市議会 Douglas Borough Council の文字
(右)2016年、左下にマン島鉄道 Isle of Man Railways(国有鉄道) の文字

実は、この難しい一件がなくても、馬車軌道は一時休止になる予定だった。プロムナードを全面改修する計画が進行しており、本来なら2015年を全面運休して工事を行い、140周年の2016年に華々しく再開されるはずだったのだ。計画図面では、現在道路の中央に敷かれている複線の線路が、海側の歩道の脇に寄せて単線化され、途中に「列車交換」するための待避線(パッシングループ)が設けられている。これによって景観は今とかなり変わってしまうが、乗降の際の安全性が高まるとともに、自動車の通行も円滑になるとされた。

しかし、調整が難航して2015年の着工が見送られ、市議会での紛糾によって、工期はさらにずれ込むことになる。この不透明な状況下で、4月12日に改修計画の修正案が公表された。そこには、馬車軌道の準備を除外した上で、「馬車軌道の将来が保証されるならば、運行をヴィラ・マリーナ Villa Marina ~ダービー・カッスル Darby Castle 間とする申請が別途提出される」と書かれている。裏を返せば、存続する場合でも、中心街で交通量が多いヴィラ・マリーナ以南には線路を敷かないと言っているのだ。

今月(2016年7月)のマン島議会で本件が審議されることになり、成り行きが注目されたが、23日付のブリティッシュ・トラムズ・オンライン British Trams Online は次のように報じた。

「長時間の討論と修正提案を経て、ティンヴァルド Tynwald(マン島議会)は今週、マン島鉄道 Isle of Man Railways(国有鉄道)が今後2年間(2017~18年)ダグラス・ベイ馬車軌道を運行し続け、一方で今後のより詳細な問題については、軌道の長期にわたる将来のために社会基盤省が準備することを承認した。議論された当初の提案は、プロムナードの改修工事の一部として軌道全線を再敷設することに何ら言及のないものであったが、議論の間に修正が加えられ、シー・ターミナルからダービー・カッスルの全区間に単線の軌道を完全に再敷設することへの言及が見られた。」

つまり、2018年までは運行され、改修工事後も区間短縮はしないということが、なんとか保証されたようだ。

さらに提案には、国が正式に馬車軌道の経営を行うとともに、市から運行に用いる施設設備を買い取る(=国有化する)旨の内容が含まれている。ただし同時に経営の見直しが図られ、車両については、現存の25両中11両のみを引継ぐという。このうち7両を運行の中核部隊とし、4両は「保存 museum」車両として特別行事にのみ使用する。市の所有に残される14両は、遠からず処分される運命にある。

また、厩舎と車庫は、2年間現状のまま使用するが、その後の統合改築については議論が継続される。プロムナード改修計画に軌道工事が含まれていないため、施設の移転改築を含めた工費の見積額は540万ポンドに上る。巨額の資金をどのように工面し、返済していくのかが議論の最大の焦点になるのは間違いない。

馬車鉄道の存続危機が全英に伝わり、今年はマン島の鉄道遺産を訪れる人が急増しているそうだ。シーズン前半、7月3日までの馬車軌道の乗客数は22,173人で、昨年同期比7,707人、率にして52%も増えたという。また、運行コストの縮小も報告されている。特需が後押しした面はあるが、政府がとった再建策も一定の効果を生んでいるのだろう。

保存鉄道の支援団体も、保存鉄道行政が一本化される今回の措置には協力を惜しまないとする。しかし一方で、オリジナルの厩舎と車庫を建て替え、ルートを変更し、車両をスクラップにして、馬車軌道のいったい何を維持しようとしているのか、という疑問の声も上がっている。マン島議会の寛大な決定で一息ついたとはいうものの、何も知らずに仕事にいそしむ馬たちを前に、馬車軌道とその経営者の悩みはかつてなく深い。

■参考サイト
ダグラス湾馬車軌道友の会 Friends of Douglas Bay Horse Tramway
http://www.friendsofdbht.org/
IOM Today  http://www.iomtoday.co.im/
ダグラス市公式サイト(ニュース) http://www.douglas.gov.im/index.php/news
マン島政府公式サイト(ニュース) https://www.gov.im/news/
ブリティッシュ・トラムズ・オンライン http://www.britishtramsonline.co.uk/

★本ブログ内の関連記事
 マン島の鉄道を訪ねて-ダグラス馬車軌道

2016年7月23日 (土)

サンマリノへ行く鉄道

長靴形をしたイタリア半島の東の付け根に近いところに、その国はある。地図で見ると、国土はイタリアの中にぽっかり浮かんでいて、似た境遇のバチカン市国などとともに、エンクラーヴェ Enclave(包領)と呼ばれる特異な地理環境の独立国だ。正式国名をサンマリノ共和国 Serenissima Repubblica di San Marino(下注)といい、アドリア海沿岸のリミニ Rimini の町から内陸へ約10km走ると、その国境に達する。豊かに波打つ丘陵地を突き破るようにそそり立つティターノ山 Monte Titano、その上に、古くからある町の城壁が見えるはずだ。

*注 イタリア語の発音に従えばサン・マリーノだが、外務省の表記に倣ってサンマリノと記す。

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サンマリノ市街のあるティターノ山を遠望
Photo by Annunziata from wikimedia. License: CC BY-SA 3.0

現在、この国に公共交通機関だけで向かおうとすると、FS(旧 イタリア国鉄)線でリミニまで行き、駅前で路線バスを待つしかない。しかし、第二次世界大戦で中断されるまで、リミニ駅の1番線にはサンマリノ行きの電車が停まっていた。白と空色のツートンカラーをまとう車体を見れば、誰しも目的地の国旗を思い浮かべたに違いない。

路線はリミニ=サンマリノ線 Ferrovia Rimini-San Marino といい、31.5kmの長さがあった。国鉄線の一つであり、2国間を連絡するという意味で国際路線でもあったが、軌間はイタリアのメーターゲージである950mm軌間で、幹線との直通は想定されていなかった。急勾配路線のため、最初から直流3000Vで電化され、TIBB社の子会社カルミナーティ・エ・トセッリ Carminati & Toselli 製の電車4両、AB01~04が運行を担った。

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復元された電車AB03
Photo by Aisano from wikimedia. License: CC BY-SA 3.0

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サンマリノに鉄道が通じたのは古い話ではない。建設認可は1913年に下りていたものの、話が進んだのは、ムッソリーニのサンマリノ公式訪問がきっかけだ。1927年に二国間協定が締結され、建設費は全額イタリア政府の資金で賄われることになった。翌28年12月から建設工事が始まり、4年後の1932年6月、市民の歓喜に包まれて開通式が挙行された。

しかし、鉄道が市民に貢献した時間はあまりに短かった。というのも、第二次世界大戦末期の1944年6月26日、連合軍によって空爆の標的にされたのだ。サンマリノは1920年代からイタリアの影響でファシスト政権下にあったとはいえ、戦争に対しては中立を宣言していた。しかしドイツ軍が越境して備品や弾薬を集積しているという誤った情報が伝わり、攻撃の対象になった。鉄道施設が破壊されたため、7月4日から全線で運行が停止した。列車が来なくなったトンネルはイタリアから逃れてきた人の臨時の避難所になり、チフスが流行した秋には、車両も患者を収容するためにあてがわれた。

戦後、鉄道復旧の要望は多々あったものの、当局の動きは鈍く、部分的な修復が行われるにとどまった。道路整備が優先された時代であり、後述するように線形の制約が大きいこの路線には将来性を見出せなかった、というのが本音だろう。そのうち1958~60年に、イタリア側で道路用地に転用するために線路の撤去が始まり、市民の一縷の望みも絶たれた。結局電車は12年間走っただけで、2両は博物館の展示品になり、2両は他の鉄道に売却されてしまった。

路線の起点リミニ国鉄駅は標高3m、一方、終点のサンマリノ駅は標高643mだ。この大きな高低差をレールと車輪の粘着力だけで克服するために、ルートはすこぶる変化に富んでいる。地形的に見ると、平地に直線を引いただけのリミニ~ドガーナ Dogana 間、山の裾野を蛇行しながら上るドガーナ~ボルゴ・マッジョーレ Borgo Maggiore 間、山本体にとりつき、ぐるぐる巻いていく最終区間の3つに分けられるだろう。いったいどんなところを走っていたのか、当時の地形図や空中写真で追ってみることにしたい。

*注 駅の標高は、同鉄道の保存団体「白青列車協会 Associazione Treno Bianco Azzurro」の資料に拠ったため、地形図記載の標高数値とは若干の相違がある。

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リミニ=サンマリノ線路線図

第一区間(リミニ~ドガーナ)

リミニを出て約1.2km、最初の停留所リミニ・マリーナ Rimini Marina までは、アンコーナ Ancona 方面の国鉄幹線に沿って走る。リミニ・マリーナにはこの路線の車庫と修理工場が置かれ、運行の拠点になっていた。構内は種苗園に転用されたが、駅舎は今も残されている。線路は右に大きくカーブした後、アウーザ川 Ausa の平たい谷をまっすぐ山をめざして進んでいく。

次のコリアーノ=チェラソーロ Coriano-Cerasolo 停留所の手前まで、直線が8km以上も続く。今は住宅や工場が点在しているが、当時は一面葡萄畑に覆われていた。3つ目の駅が、税関を意味するドガーナ Dogana(標高69m)だ。線路はすでにサンマリノ領内に入っているが、地名が示すように、道路はここで国境を越えてくる。車窓景観としては、実質的に2kmほど先のメリーニ橋 Pont Melini が転換点になる。

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ドガーナ~ドマニャーノ間の1:25,000地形図
イタリア官製1:25,000 109-IV-NO Montescudo(1948年改訂版)

第二区間(ドガーナ~ボルゴ・マッジョーレ)

メリーニ橋で正面に見える丘の上の村は、セラヴァッレ Serravalle という。線路は左手から回り込み、町の真下をスパイラル(ループ線)で一周巻いて、標高135mのセラヴァッレ駅に達する。今は丘全体がすっかり宅地に埋まっているが、湾曲した街路の一部はスパイラルの廃線跡を転用したものだ。駅の手前にあるサンタンドレアトンネル Galleria Sant' Andrea(長さ258m)は通り抜けることができ、その先に旧セラヴァッレ駅舎も修復されて残っている。

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セラヴァッレ付近のルート。図中×印のトンネルは通行不可(以下同じ)
空中写真はGoogle Mapより取得(2016年7月)

線路はこの後、ティターノ山の裾野を舞台に、のた打ち回るような軌跡を描いて上っていく。第二区間の平均勾配は30‰あり、半径100mの急カーブによる折返しもたびたび現れる。折り返すごとに視点が上昇して、車窓の見晴らしもよくなっていったことだろう。幸いにも、セラヴァッレの少し上手から、リジニャーノトンネル Galleria Lisignano(長さ246m)を経て次のドマニャーノ Domagnano 停留所(標高315m)の手前までは、自転車道として整備されており、当時の車窓を追体験できる。

ヴァルドラゴーネ Valdragone 停留所(標高393m)をやり過ごす頃には、目の前に、ティターノ山の絶壁が威嚇するように立ちはだかる。まもなく共和国のメルカターレ Mercatale(ショッピング街)、ボルゴ・マッジョーレだ。駅の標高は493mで、高度でいえば全体の3/4まで来たことになる。

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ドマニャーノ~サンマリノ間の1:25,000地形図
イタリア官製1:25,000 108-I-NE S.Marino(1949年改訂版), 109-IV-NO Montescudo(1948年改訂版)

第三区間(ボルゴ・マッジョーレ~サンマリノ)

現在は、もと駅前から右手に少し上ったところにロープウェーの乗場があり、空中を伝ってサンマリノの町へ一気に着地できる。しかし、鉄道はそうはいかなかった。山裾に取り付き、裏側に回り込んで高度を稼がなければならず、平均勾配は40‰に達した。実はティターノ山は、表と裏で表情が違う。人を寄せつけない険しさを見せる表(東)側に対して、裏(西)側は比較的緩やかな斜面で、サンマリノの市街もそちらに展開しているのだ。

ボルゴ・マッジョーレ駅の先にあった道路をまたぐ高架橋は解体されたが、その先のボルゴトンネル Galleria Borgo(長さ173m)とモンタルボトンネル Galleria Montalbo(長さ186m)は遊歩道に活用されている。線路はそれからすぐ、第二のスパイラルであるピアッジェトンネル Galleria Piagge(長さ515m)に突入するが、これは現在通行できない。

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ボルゴ・マッジョーレ付近のルート
空中写真はGoogle Mapより取得(2016年7月)

次の1km強の間は、アペニーノの支脈モンテフェルトロの山並みをはるかに望みながら、斜面に忠実に沿って走る区間だ。最後にモンターレトンネル Galleria Montale の中で半回転して、サンマリノ駅に到着する。

駅前広場 Piazzale della Stazione は名称ともども健在だが、ロータリーは鉄道廃止後に拡張されたものだ。当時の駅舎は、現在の広場の南半分を占めており、その南側の駐車場になっている区画に、1面2線の発着ホームや車庫等が配置されていた(下の空中写真に、駅舎等の配置を書き添えてある)。施設はすべて取り壊され、跡形もない。広場の西に面するホテルジョリ Joli のレストランが、旧駅 Ristorante Vecchia Stazione を名乗っているのがせめてもの慰めだ。

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サンマリノ駅付近のルート
空中写真はGoogle Mapより取得(2016年7月)

最近サンマリノでは、鉄道を一部復活させようという動きがある。2012年が鉄道開通80周年に当たることから、それに向けて、保存団体である白青列車協会が中心になり計画が進められた。まず、駅の200m南にあるモンターレトンネルの前後、距離にして800mの区間で、線路の復元工事が実施された。架線柱はオリジナルの様式を再現し、直流480Vに減圧されはしたものの、架線も張られた。その間にサンマリノの博物館に保存されていた電車AB03が全面改修を受けて、現地に復帰したのだ。

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復元区間の起点に電車が配置され、当時を彷彿とさせる
Photo by Aisano from wikimedia. License: CC BY-SA 3.0

この事業はサンマリノ政府の支援を受けていて、次の段階ではボルゴ・マッジョーレまでの延長を検討していると伝えられる。すでに廃線跡の大半は車道や遊歩道に転用されており、前進は容易ではないだろうが、開通すれば新たな観光資源としての活用も期待できる。短命に終わった鉄道だけに、国旗色の電車に再び山を上らせるという夢が、サンマリノ市民の誇りとして実現することを祈りたい。

(2006年2月28日付「サンマリノへ行く鉄道」を全面改稿)

■参考サイト
リミニ=サンマリノ ある国際鉄道の日々
Rimini - San Marino  Una Ferrovia Internazionale di Ieri
http://www.clamfer.it/02_Ferrovie/Rimini/Rimini-San%20Marino.htm
リミニ=サンマリノ線 LA FERROVIA RIMINI- SAN MARINO
http://www.ferrovieitaliane.net/ferrovia-rimini-san-marino/
Structurae - Rimini-San Marino Railway
https://structurae.net/structures/rimini-san-marino-railway
 廃線跡に残る構造物の写真多数
サンマリノ:鉄道の旧線跡 San Marino: il vecchio percorso della ferrovia
http://www.viaggi-lowcost.info/cosa-fare/san-marino-vecchio-percorso-ferrovia/
ferrovie.it(イタリア鉄道情報サイト) http://www.ferrovie.it/portale/

2016年7月11日 (月)

カールス鉄道-百年越しの夢の跡

何の変哲もないローカル線が、思いもよらぬ来歴を秘めていることがある。ヴェーザー川上流の小さな港町で行止りになる16.4kmの支線は、その名をカールス鉄道 Carlsbahn と言った。すでに廃止され線路も撤去されているが、そのルートは昔、ドイツが統一される前に存在したヘッセン選帝侯国にとって非常に重要だった。その証拠にこの鉄道は、1840年代というかなり早い時期に、同国で最初に開通した路線なのだ。それがなぜ、発展することもなく消えてしまったのだろうか。その経緯と現況を探ってみよう。

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カールス鉄道最大の遺構、ダイゼルトンネル

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ヘッセン選帝侯国 Kurfürstentum Hessen、略してクーアヘッセン Kurhessen は、19世紀のドイツ中部にあった領邦だ(下注)。カッセル Kassel(当時の綴りは Cassel)が首都で、そのためヘッセン=カッセルという呼称もある。いうまでもなく内陸国で、外海との交易は北海に注ぐヴェーザー川 Weser に頼っていた。船は河口から450kmこの川を遡って、ミュンデン Münden(現 ハン・ミュンデン Hann. Münden)の港で荷を下ろす。ここで川が二手に分かれて水量が減るため、荷船は上流へ進めなかったのだ。

*注 ダルムシュタット Darmstadt を首都とするヘッセン大公国 Großherzogtum Hessen は別の領邦。

しかしハン・ミュンデンは、名前がハノーファーのミュンデン Hannoversch Münden を意味するとおり、隣国ハノーファー王国 Königreich Hannover の領地だ。荷揚げされた物資には、カッセルへ送られる前に王国によって関税が課された。喉元を他邦に押さえられた形のクーアヘッセンにとっては、ミュンデンをバイパスする交通路を開拓することが、かねての宿願になっていた。

自国にも、ヴェーザー川に面する唯一の港町がある。カールスハーフェン Karlshafen というその町は、ヘッセン=カッセル方伯だったカール1世が、1699年にユグノー教徒の入植地として創設した由来をもっている(下注)。願いを達成する方法はただ一つ、ここを陸揚げ港にすることだったが、カッセルへは、ディーメル川の谷を遡り、鞍部を越えて、40~50kmの陸路を克服しなければならない。

*注 プロテスタントのユグノー教徒は、カトリックから迫害を受け、母国フランスを脱出して多くがドイツ各地に移住していた。町は創設当時ジーブルク Sieburg という名だったが、1717年にカールスハーフェン(当時の綴りは Carlshaven)に改称されている。現在の正式名称はバート・カールスハーフェン Bad Karlshafen。

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バート・カールスハーフェンのヴェーザー川

カール方伯はこの間に運河を開削しようとしていた。1710年に発表された計画は、さらに南へ延長してラーン川Lahnに接続し、結果として首都カッセルを南北物流の中心にするという壮大なもので、後にカール方伯運河 Landgraf-Carl-Kanal と呼ばれるようになる。しかし港から順次着工したものの、カッセルどころか途中の鞍部までもたどり着かないうちに、カールは亡くなった。指導者を失った計画は、未完のまま放棄されてしまう(下注)。

*注 1730年の彼の死までにホーフガイスマー Hofgeismar 近くのシェーネベルク Schöneberg まで完成しており、後述のように、ルート上には水路や水門などの遺構が存在する。

クーアヘッセンを含む近隣諸邦の間で東西連絡鉄道の建設構想が持ち上がったのは、それから1世紀を隔てた1840年のことだ。今度はハレ Halle ~カッセル~ヴェストファーレン Westfalen を結ぶというもので、各邦が領内に建設した路線をつないでいくことになっていた。クーアヘッセンは、これこそカールの遺志を実現するまたとない機会と考えた。それに、鉄道建設に必要な資材や設備は船で運ばれてくるため、いずれにしても港まで線路を延ばす必要があったのだ。

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19世紀半ばのヘッセン北部における河川と鉄道の位置関係
ハノーファー王国領の河港ミュンデン Münden を避けるために、カールスハーフェン Carlshafen (Bad Karlshafen)~カッセル Cassel (Kassel) 間の鉄道が計画されたことがわかる

決定したルートは次のようなものだった(上図参照)。カッセルから北上して、ヒュンメ Hümme(現 ホーフガイスマー=ヒュンメ Hofgeismar-Hümme)に至る。そこで分かれて一方は東西連絡のために西へ進み、もう一方は北上を続けてカールスハーフェンで河港に臨む。後者がカールの鉄道を意味するカールス鉄道と呼ばれるようになるのは、ごく自然なことだ。最初は馬車鉄道で計画されたが、後で蒸気機関車を導入することが決まった。

工事はカールスハーフェンから始まり、南へ進められた。ヒュンメを経てグレーベンシュタイン Grebenstein(仮駅)までが1848年3月30日に完成し、クーアヘッセンで最初の鉄道になった(下注)。引き続き、カッセルへの延長線が同年8月18日に開通、ヒュンメから西へ、邦境を越えてヴァールブルク Warburg に接続したのは、3年後の1851年2月だった。

*注 開通式は1848年4月3日に挙行された。ちなみにこの経緯は、中山道鉄道の資材運搬のために敷設され、東海地方で最初に開通した武豊線(正確には武豊~熱田間)に似ている。

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開通間もない頃のカールスハーフェンの1:25,000地形図
ヘッセン選帝侯国作成 1857年版

ついに実現した念願の短絡路だったが、残念なことに、鉄道が思いどおりの効果を発揮した期間はごく短かった。どうしてだろうか。

クーアヘッセンは当時すでに、プロイセンが主導するドイツ関税同盟 Deutscher Zollverein の一員だった。そこへ1851年にハノーファー王国も加わったことで、両邦間にあった関税障壁が解消されてしまったのだ。船のコストが安くなり、荷揚げは再びカッセルにより近いミュンデン港で行われるようになった。さらに決定的だったのは、1856年にゲッティンゲン Göttingen、ミュンデンを経てカッセルに至るハノーファー南部鉄道 Hannöversche Südbahn が全通したことだ。水量の季節変化に影響を受けがちな川船に比べて、速くて安定した輸送が可能になった。ヴェーザー川の水運は大打撃を受け、カールス鉄道を利用する貨物も、域内発着のわずかな量に絞られてしまった。

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1960年代のカールスハーフェン左岸駅の眺め(ディーメル・エコ歩道の案内板の写真)

川で行止まる路線では発展が見込めないと、カールスハーフェン以遠への延長が画策されたが、資金不足のため、一向に話が前に進まない。そうするうちに1878年、ヴェーザー川対岸にゾリング鉄道 Sollingbahn が開通し(下注)、進出の余地さえ奪われてしまった。ゾリング鉄道にもカールスハーフェン駅が設けられたので、併存していた時代は、そちらを右岸(レヒテス・ウーファー Rechtes Ufer, r.U.)駅、カールス鉄道のほうを左岸(リンケス・ウーファー Linkes Ufer, l.U.)駅と呼んだ。

*注 ゾリング鉄道は、オットベルゲン Ottbergen ~ノルトハイム Northeim 間64.0kmで、カールス鉄道が狙っていた東西連絡を先に実現した。この路線は現在も運行中。

カールス鉄道は、カッセルへの直通列車の増便など地元の需要をこまめに拾いながら、第二次大戦後もなんとか命脈を保った。しかし、所詮ローカル線の域を出ず、戦後、自動車交通の興隆で不採算路線が整理される局面になると、抗うすべはなかった。1966年9月25日、最後の旅客列車が運行されて、カールスハーフェン駅は閉鎖された。トレンデルブルク Trendelburg にあった砂利採取場のために、ヒュンメとの短区間が貨物線で残されたが、これも1986年9月に終了し、ついに全線が廃止となった。

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カールス鉄道周辺の1:50,000地形図
ニーダーザクセン州測量局1:50,000 L4322 Höxter 1996年版
ヘッセン州測量局1:50,000 L4522 Hannoversch Münden 1992年版

カールス鉄道の線路はまもなく撤去され、今は多くの区間が、ディーメル自転車道 Diemelradweg、ディーメル・エコ歩道 Eco Pfad Diemel として活用されている。根元のヒュンメから見て行こう。

ヒュンメへは、カッセル市内からレギオトラムRT1(旧RT3)系統が通っている。レギオトラム RegioTram というのは、市内の路面を走るトラムがそのままDB鉄道線に乗り入れて郊外まで足を延ばすサービスだ。アルストーム Alstom 社製の白い低床車レギオツィタディス RegioCitadis がその役を担っている。カッセル中央駅に設けられた専用ホームから乗込むと、40分弱で終点ホーフガイスマー=ヒュンメ Hofgeismar-Hümme 駅に到着する。ここがカールス鉄道廃線跡探索の起点だ。

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ホーフガイスマー=ヒュンメ(旧 ヒュンメ)がカールス鉄道の分岐駅

地図を見ると、ヒュンメ駅前後で線路が不自然な馬蹄形に曲がっている。西から張出す山脚を回り込むという理由もあるにせよ、ヒュンメでの分岐を前提にしたルート設定なのは間違いない。廃線跡は、駅の北側で右にカーブしていく並木の小道だ。目の前に広がるブライテ・ヴィース Breite Wiese の盆地は、大雨が降るたびに、トレンデルブルクの狭い谷に阻まれた水が溢れて地面を覆った。洪水を避けるために線路は、盆地を最小限の距離で横断し、東の山際に沿ってシュタンメン Stammen 集落の東側を抜けていく。

一方、自転車道のほうは、ヒュンメの集落を貫いた後、エッセ川に沿った小気味よい直線路を使うが、これは廃線跡ではなく、未完となったカール方伯運河の側道だ。左側の窪みが運河の跡になる。古地図には、並行する3列の水路が描かれているが、中央が運河で、両側は排水用の水路だ。洪水の際に、運河航行に与える影響を和らげるための工夫だそうだ。

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(左)ディーメル・エコ歩道の案内板
(右)未完に終わったカール方伯運河の側道を行く。左側の窪みが運河跡
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案内板の古地図。ブライテ・ヴィース(右半)に3列の直線水路が描かれている

さて、トレンデルブルク付近からは、自転車道が廃線跡に載ってくる。ディーメル川の谷に忠実に従って、線路は大きく蛇行している。道端にはトレンデルブルクの旧駅舎が残っているが、今は銀行の支店だ。村の中心部は、狭まる谷を窺う丘の上にある。

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(左)トレンデルブルクの旧駅舎。線路跡は標識柱の後ろ、青い柵に沿って左へ入る小道
(右)トレンデルブルクの村が丘の上から谷を見下ろす
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ディーメル川の谷越しにダイゼルベルク Deiselberg を望む
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廃線跡はディーメル川に沿って下る

2つ目の山脚ケッセルベルク Kesselberg を回り込むところに、最も重要な遺構が存在する。カールス鉄道唯一のトンネルだった長さ202mのダイゼルトンネル Deiseler Tunnel だ。長らく放置されていたが、再整備のうえ2014年に通れるようになったばかりだ。案内板には「ヘッセン最古の鉄道トンネル、蝙蝠の楽園、夏の半年間(4~10月)、自転車と歩行者に開放」と書かれている。

自転車道からそれ、標識に従い坂道を上ると、南口にたどりつく。森の中に、赤い砂岩で築かれたポータルが静かにたたずんでいる。扁額はないものの、両側に太い付け柱が立ち、洞口はアーチ環を重ねて輪郭を強調したデザインだ。小鉄道には不釣合いな威厳を放つ姿は、当時の人々の鉄道に託した思いをよく表している。

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ダイゼルトンネル (左)南口 (右)再整備が終わったトンネル内

ヴュルマーゼン Wülmersen 停留所跡の手前で、ホルツァペ川 Holzape という小川を横断する。ここに架かる3連の石のアーチも、見逃せない遺構の一つだ。このあたりからは、谷を囲む斜面がしだいに高さを増し、自転車道は川端の緑濃い林の中を行くようになる。ヘルマースハウゼン付近にも、川を短絡する形で運河(ケーゲルスグラーベン Kegelsgraben)や水門が残っている。

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ホルツァペ川を渡る3連アーチの石橋

ディーメル川に沿う緩い左カーブを流していくうちに、目的地のバート・カールスハーフェンに近づく。川岸にあった駅の構内は、そっくりマリー・デュラン学校 Marie-Durand-Schule の校地に転用されている。校庭の一角に静態展示されているのは、DBで走っていたVT2.09形のレールバスだが、雨ざらしのため塗装の傷みが目につく。

駅前からは、その名もカール通り Carlstraße という広い通りがヴェーザー川の方へ延びている。往時は貨物線がこの通りを川べりまで進み、埠頭に並行する荷揚げ用側線に接続していた。貨物線と側線は直交していたため、貨車は2基の転車台で向きを変えて相互に行き来した。

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カールスハーフェン(左岸)駅跡に建つ学校の校庭にレールバスが

町の中心部はハーフェン Hafen(港)と呼ばれて、広い船溜まりがそのまま保存されている。周辺一帯はバロック様式を引き継ぐ白壁の建物が立ち並び、田舎町らしからぬきりっと引き締まった風情が美しい。南側のひときわ目立つ建物は、もと税関 Packhaus で、市役所や観光案内所が入居している。

傍らのカフェで少し休憩した後、ヴェーザー川をまたぐ橋で対岸に渡れば、DB線(ゾリング鉄道)のバート・カールスハーフェン駅(下注)まで、ほんの500mほどだ。平日はおよそ1時間ごとに、北ヘッセン交通連合 Nordhessischer VerkehrsVerbund (NVV) のRB85系統の列車が停車する。これに乗って東の終点ゲッティンゲンまで行くと、旅の起点カッセルへ戻る列車を捕まえられる。

*注 NVVのRB85系統は、ゲッティンゲン~オットベルゲン Ottbergen 間を運行する。

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(左)カールスハーフェンの旧税関、前の船溜まりは水が抜かれて工事中
(右)白壁の建物が立ち並ぶヴェーザー通り Weserstraße
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対岸のバート・カールスハーフェン(旧 カールスハーフェン右岸)駅

掲載した写真は、2015年5月に現地を訪れた海外鉄道研究会のS. T. 氏から提供を受けたものだ。ご好意に心から感謝したい。

■参考サイト
北ヘッセン交通連合 http://www.nvv.de/
カッセル郡エコ歩道 http://www.eco-pfade.de/

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2016年7月 3日 (日)

新線試乗記-北海道新幹線で函館へ

「この列車は13時31分発、北海道新幹線新函館北斗(しんはこだてほくと)行きです。」東京から乗り通してきた「はやぶさ13号」の車内にアナウンスが流れた。何気なく聞いてはいても、北海道新幹線ということばの響きが新鮮で、耳に残る。

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(左)東京駅に新函館北斗行き「はやぶさ13号」が入線
(右)開業を知らせるJR東日本のパンフレット

今、列車は新青森駅に停車している。京都駅を出たのは朝7時半で、東京で30分弱の乗継ぎ時間をとったとはいえ、すでにお昼を回った。新函館北斗まではトータルで7時間かかる計算だ。ずっと座りづめで、そろそろお尻が痛くなってきたが、日本海側を走る特急「白鳥」や寝台の「日本海」で1日がかりの長旅をしていたころに比べれば、贅沢な悩みかもしれない。

北海道新幹線の新青森~新函館北斗間148.8kmは、2016年3月26日に開業した。上下各13本の列車が設定され、両駅間は最短61分になった。運用車両は、東北新幹線で使われてきたE5系とJR北海道所有のH5系だ。どちらも基本的に同じ仕様で、明るい緑と白のツートンをまとっているが、側面の帯はE5系のピンクに対して、H5系はご当地色のラベンダーを巻く。

新青森を発車した後も、アナウンスは続いた。「これから青函トンネルを通り、チューリップの春を迎えた北海道へと参ります」。乗車したのは5月20日、春到来の北の大地を想像して心が弾む。6年前に東北新幹線が新青森まで延びた時、駅の北方にある車両基地へ去っていくはやぶさを見送りながら、新幹線が見る夢はまだ当分続くと思った。その夢に現実が追いついたのだ。線路が右手に分かれていき、その車両基地が車窓をよぎった。

*注 東北新幹線の新青森延伸については、本ブログ「新線試乗記-東北新幹線、新青森延伸+レールバス見学」参照

線路は、津軽半島の東岸を北上する。右手には水が張られた田んぼが続き、その向こうにJR津軽線と沿岸集落、それから青い陸奥湾を隔てて夏泊半島の山々がくっきりと見えている。それはまるで新旧交通路の交代劇をなぞるようだ。集落の手前の線路には、ほんの2か月前まで函館をめざす特急列車の姿があったし、30年前にはあの海を国鉄の青函連絡船が行き交っていたから。

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新青森から津軽半島東岸を北上する
陸奥湾の向こうに夏泊半島、その左後方は下北半島のシルエット

しかしこの眺めも長くは続かない。海峡に達するまでに両手に余る数のトンネルが控えている。闇と明かりをいくつか過ぎたところで、電車は減速し始めた。狭軌との合流地点にさしかかったらしい。

青函トンネルを含む「海峡線」区間は、1988年の完成時から在来線として旅客・貨物の輸送に使われ続けてきた。特に貨物は大動脈で、北海道の産業にとって生命線になっている。新幹線の開通によって旅客輸送は完全に移行するが、貨物列車は依然在来線から乗入れてくる。高速ですれ違った場合、風圧がコンテナ貨物に与える影響が懸念されて、新幹線列車は時速140kmまで速度を落として走ることになったのだ。

在来線の線路が高架に上がってきて、シェルターの中で合流した。あっという間だった。新幹線は標準軌(1435mm)、在来線は狭軌(1067mm)と軌間が異なるので、この区間はレールが3本並ぶ3線軌条に改築されている。素人目には珍しい光景程度の感覚だが、その開発と保守作業の舞台裏は想像以上に大変らしい。

JR北海道のサイトによれば、3線軌条に対応するため、1台19億円のレール削正車をはじめ特別仕様の作業車を揃えた。また、地上設備は12か所の3線分岐器(ポイント)のほか、限界支障報知、レール破断検知、饋電区分制御など特殊な装置を開発して設置した。日常作業でも、線路の点検個所が1.5倍に増える上に、貨物列車が深夜早朝に走行するため、実質2時間弱しか確保できない。また、レールが近接する側は作業がしにくく、冬はこの部分に氷塊がはさまって分岐器の不転換(ポイントが切り替わらない)が起こらないよう警戒する必要があるのだそうだ。

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(左)狭軌の在来線が合流 (右)3線軌条で青函トンネルへ

はやぶさ13号は、中間にある2駅にも停車する。一つは本州側の奥津軽いまべつ、在来線時代の津軽今別駅だが、全面屋根のかかった立派なホームに変身していた。知らぬ間に発車する。

しばらくしてまたアナウンスがあった。「これから青函トンネルに入ります。右側に赤い鳥居と展望台が見えましたら、次が青函トンネルです」。新幹線にはビジネスライクな印象を抱いていたが、「スーパー白鳥」と同じような観光案内が続いているのは嬉しい。とはいえ、トンネルに突入しても、「入りました」のアナウンスと、トンネルを紹介する電光掲示が流れるのみで、窓が一斉に曇ったりはしない。昼間だからか貨物列車のすれ違いもなく、53.85kmの闇を走り抜ける25分間はひたすら静かに過ぎていく。

10年以上も前、ここの竜飛海底(たっぴかいてい)駅で降りたことを思い出した。あのときは斜坑に設置されたケーブルカーで龍飛崎まで上がり、津軽海峡を眺めながら、北端まで来た感慨にふけったものだ。残念なことに新幹線の工事開始に伴って、駅は閉鎖されてしまった(下注)。

*注 現在も龍飛崎の青函トンネル記念館やケーブルカー(斜坑線)は利用可能だが、地上からしか行けない。

次に地上に顔を出すのは、知内町湯ノ里付近で、左の車窓に、瑞々しい春の山々と初めての北海道の集落が見える。二つ目の中間駅が木古内(きこない)だ。ここは後刻、在来線の列車で訪れた。新幹線開業と同時にJRから切り離され、道南いさりび鉄道という第3セクターの運営になったが、キハ40が担う通勤通学の風景は変わらない。

山側の新幹線駅舎が威容を見せつけているが、本来の正面である海側に立ついさりび鉄道の駅舎も建て直されている。内装には木材を多用して、昔の学校の廊下を思わせるところがおもしろい。正面入口から新幹線に乗ろうとすると、いったん在来線をまたいで降りて、地表にある新幹線の改札を入り、再び3階相当のホームへ上ることになる。もちろん地元の人は、ダイレクトに山側の駅舎へ回るだろうが。

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木古内駅 (左)新幹線ホームの駅名標 (右)在来線側の駅舎も新築

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木古内駅 (左)在来線側の改札入口 (右)在来線は道南いさりび鉄道に転換された

木古内を出てから2km半ほど、新幹線は海岸沿いに走る。しかし、防音壁に阻まれて、海はほとんど見えない。新幹線は建設の時代が下がるほど平地の用地取得が難しくなってトンネルが増え、さらに最近の新幹線は防音対策が厳重で、少しでも家並みがあるとたちまち高い壁でブラックアウトにされてしまう。

終点まであと13分。トンネルをいくつか抜けると、南向きに広がった函館平野に出る。アナウンスが「函館山がご覧になれます」と告げるのだが、実際は例の防音壁によって、細切れの眺めしか得られない。在来線のときは、湾を隔てて島かと見まごう函館山がどんどん大きくなり、終点の近いことを教えてくれた。あの感動を味わうことは難しい。

100名定員の広い車内に、もう数組しか乗っていない。前にいた中年グループの一人が、軽く伸びをしながら「は~るばるきたぜ函館へ」と口ずさんだ。東京から4時間乗ってきたのだとしたら、歌い出したくなる気持ちもわかる。まもなく車体が左に傾き始め、右手に横津岳の西麓が近づいてくる。車両基地の建物群が横に並び、はやぶさ13号は新函館北斗駅の真新しいホームに滑り込んだ。

■参考サイト
新函館北斗駅付近の最新1:25,000地形図
http://maps.gsi.go.jp/#15/41.904700/140.648600

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新函館北斗駅
(左)E5系が並ぶ (右)右側に線路増設スペースがある。上階コンコースはガラス張り

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新函館北斗駅 (左)駅舎と駅前広場 (右)2階改札内、在来線は右へ

この駅は、もと渡島大野(おしまおおの)という無人駅で、函館駅から17.9kmの距離にある。札幌に直通する新幹線として、在来線のようにスイッチバックするわけにはいかないとしても、立地はかなり遠い。用地買収や線形の制約があったのだろうが、せめて七飯駅に接続しておけば、下り優等列車が使っていた藤代線も活用できたのにと思う。

それで函館との連絡は、733系電車による「はこだてライナー」が担うことになった。首都圏から訪れる旅行者にも違和感のない新型車両なので、受け入れ態勢としては万全だ。3両編成で、おおむね下りの新幹線と10分程度の接続時間で発車する。走りもいたって軽快で、五稜郭までノンストップの便なら最速15分で函館に着く。

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733系はこだてライナー (左)新函館北斗駅で発車を待つ (右)車内広告も開業を祝う

ただ、10分接続は結構忙しい。乗り遅れると、次の列車は森方面から来る単行気動車ということがままある。筆者がホームにいたときも、「エーッ、1両!」とスーツケースを引いた旅人風の夫妻が呆れて声を上げた。冷房はないし、走りものろいのに加えて、時間帯によっては結構混むので、旅の第一印象を損ねないかちょっと心配だ。

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森方面から来た単行気動車。乗降口にステップがあり、大荷物の人には辛い

そのキハ40に揺られて函館駅に到着した。いうまでもなく函館市の主たる玄関口だが、新幹線開通で本州方面を結んでいた特急がいっさい消えてしまった。交通の結節機能を、新幹線駅に半分譲り渡した格好だ。札幌方面の特急「北斗」が従来どおり発着しているとはいえ、改築された立派な駅舎と長距離列車用の長いプラットホームが、心なしか手持無沙汰に見えた。

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函館駅到着 (左)0キロポストのオブジェ (右)駅舎正面

さて、北海道新幹線に乗ってみて、印象はどうだったか。憧れの北海道に上陸したというのに、車窓から海峡も函館山も大して見えず、在来線のような楽しみは得られなかった。記念の初乗りはともかく、乗ること自体が旅の目的にはなりそうにない。

移動ツールとしての利用はどうか。新函館北斗までなら、到達時間は1時間早くなった。東京から列車が海を越えて直通するという心理的効果も無視できない。団体旅行だと新駅の前から観光バスを出して、そのまま目的地に向かえる。レンタカーもしかり。信号の多い市内の道を走らなくていいから好都合だ。一方、筆者のように函館市内へ行く個人客は、どのみち在来線に乗換えなくてはならない。ライバルとなる空港は市街に近く、羽田へ1時間20分で飛んでいく。駅が空港より立地が悪いようでは、闘う前からすでに競争力に疑問符がついてしまう。

目下JR北海道は、JR東日本とも連携しながら、イベントを打ったり割安な乗車券を売り出すなど、観光需要の喚起に懸命だ。新幹線はこの後札幌まで延伸される予定だが、開通は2031年と、15年も先の話になる。道央に出れば何らかの展開が期待できるとしても、それまであの厄介な線路施設を延々と維持していかなくてはならないのだ。悲願の新幹線とは知りながらも、一筋縄ではいかない重い荷物を預かったものだと思わざるを得ない。

■参考サイト
JR北海道-北海道新幹線特設サイト http://hokkaido-shinkansen.com/
JR北海道-青函トンネル http://www.jrhokkaido.co.jp/seikan/

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 北海道の新線
 新線試乗記-札幌市電ループ化

 コンターサークル地図の旅-晩生内の三日月湖群
  1日1往復になった札沼線新十津川駅のレポートを含む

2016年6月25日 (土)

新線試乗記-札幌市電ループ化

札幌市電のミッシングリンクが埋められる日が、ついにやって来た。2015年12月20日、駅前通に敷設された真新しい線路に、営業運転の電車が走り始めたのだ。路面軌道の新設は、駅前延伸のケースを別にすると、2009年の富山市内環状線以来(下注1)とあって、これに乗らないわけにはいかない。コンターサークルS(下注2)の席でそのことを話したら、堀淳一さんが「札幌に住んでいても乗る機会がないから、一緒に行きましょう」と、案内してくださることになった。以下は、今年(2016年)5月に堀さんと敢行した試乗の記録だ。

*注1 富山市内の環状線については「新線試乗記-富山地方鉄道環状線」参照。
*注2 コンターサークルSについては「コンターサークル地図の旅-中舞鶴線跡」参照。

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西4丁目電停から駅前通に出てきた電車

札幌市電は1960年代が最盛期で、総延長が25kmあった。しかし1972年の冬季オリンピック開催に向けて地下鉄の整備が始まると、それと引換えに次々と廃止されていき、1974年には現在の8.5kmまで縮小してしまった。最後に残された路線(成り立ちから言うと3路線の部分接合)は、上辺が右に突き出た縦長の矩形をしているのだが、地下鉄南北線と並行するために廃止となった西4丁目~すすきの間だけが途切れている。そのわずか400mの失われた環が今回接続されて、めでたく環状線として再生されたのだ。

■参考サイト
西4丁目電停付近の最新1:25,000地形図
http://maps.gsi.go.jp/#15/43.058900/141.352100

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路線図。右上の西4丁目~すすきの間が新設区間
札幌市交通局リーフレット「路面電車のループ化で変わること」より

三越前でタクシーを降りて、さっそく西4丁目の電停(正式には停留場)へ向かった。以前、この電停は1本の線路を2本のホームがはさみ、電車は折返し運転されていたと思うが、今は外回り(下注)専用だ。ホームが拡幅され、白塗りのしっかりした屋根と横壁も設置されている。

*注 路面電車はクルマと同じく左側通行なので、駅前通を南下するほうが外回り。

一方、内回り線の乗場はこの南1条通ではなく、直交する駅前通の4プラ(4丁目プラザ)前に移された。駅前通では、軌道が道路の中央でなく、サイドリザベーションと言って両側の歩道に寄せて敷かれている。それで、電停も歩道に直結だ。乗降に際して信号待ちや車道の横断が不要になり、便利で安全性も高まった。道路脇だと冬は雪がたまるので、軌道上や路肩にはロードヒーティングも入っているらしい。

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西4丁目電停
(左)外回りホームは元の位置で全面改修 (右)内回りホームは駅前通の4プラ前に移設

電停にやってきたのは、広告を巻いた旧型電車だった。札幌にもポラリスと名付けた新しい低床連接車(A1200形)が導入されているが、まだ3編成で断然少数派だ。「低床車が入るといっても、1年に1編成ですから」と堀さん。時刻表によると、1時間に片道1本程度しか走っておらず、平日日中に巡りあえる確率は1/7に過ぎない。旧型車は乗降ステップの段差が大きく、踏面も狭いので、お年寄りには大変だ。手間取るばかりか、降り口では転倒の危険もぬぐえない。新型車は最終的に11編成まで増備されるそうだが、行政が事業の採算性を気にかけるあまり、不便の解消がなかなか進まないのは問題だ。

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低床連接車ポラリス

扉が閉まり、出発の準備が整った。しかし、路面電車用の黄色の右折信号が表示されず、交差点に出るのにだいぶ待たされた。ぐいっと大回りして、南行車線の最も左側につける。新設区間では、片側3車線のうち左端の1車線が軌道敷に転用され、クルマは通行禁止の措置が取られた。荷捌き停車やタクシーの客扱いもできなくなり、その機能は東西の通りに移されている。

それで電車の進路に支障物は見当らない。大きく成長した街路樹の葉陰を滑らかに走り始めたが、すぐに狸小路(たぬきこうじ)の停留場が見えてくる。札幌を代表するアーケード街の前なので、乗降が少なからずあった。ここでも信号に引っかかる。「信号が多いですね」と言うと堀さんが、「一つ一つの通りが広いので、そのたびに信号で停められるんです」。それに歩車分離式のため、信号1個の待ち時間自体も長いのだ。

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駅前通を北上する内回りの車内から

外回りは駅前通の出入りが右折になるので、とりわけこの区間の通過に時間がかかる。後日、西4丁目電停のそばで、信号の切替えパターンを観察してみた。外回りの乗降が完了した段階で、南1条通(電車が待機している東西の通り)の信号が青だったとする。進む順番として次は電車だと思いたいが、残念ながら、先に駅前通(南北の通り)が青になる。それから車道が全赤に変わるとともに、歩行者信号が全青(スクランブル)になる。

もうこれで発車するだろう、と誰しも思うが、そうではないのだ。また南1条通の青、駅前通の青、歩行者の青と、ひととおり繰り返され、その後ついに電車の黄色矢印が出る。結局この車両は、交差点前にスタンバイしてから、優に6分は待たされていた。これは極端な例かもしれないが、少なくとも狸小路が目的地の人は、西4で降りて歩いたほうが早く着くに違いない。優先信号を再考できないものかと思ったことだ。

南東角に立つニッカウヰスキーのローリー卿に見守られながら、電車はすすきの交差点で右折して、月寒通へと進む。すすきの電停は、従来どおり道路の中央に両方向のホームがあるが、環状化に伴い2線に拡張された(下注)。また、西側の折返し用中線にも別の乗場が設けてあり、後日見たら、貸切電車専用停留場の札が掛けてあった。ポラリスの貸切もできるらしい。

*注 従来は、西4丁目と同じ折返し2面1線の構造だった。

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(左)すすきの交差点を曲がる (右)すすきの電停はもとの位置で2面2線に改修

新設区間はここまでだ。「降りて写真を撮りますか」と聞かれたので、「せっかくですからまず全線に乗りましょう」と、既設区間に踏み込んだ。広い月寒通はすぐに左折して、西7丁目通を南下する。「この辺に住んでいた頃は、これに乗って大学へ通ってました」と堀さんは目を細める。市電沿線には母校もあって、若い頃の思い出がたくさん詰まっているのだろう(下注)。車窓からはほとんど見えないが、中島公園や創生川もすぐ近所だ。

*注 「地図の中の札幌-街の歴史を読み解く」(亜璃西社、2012)の224ページ以下に、堀さんの札幌市電の思い出が綴られている。

幌南小学校前電停を過ぎると、軌道は右へ曲がる。そして藻岩山を左前方に眺めながらしばらく進み、また右折すると電車事業所前電停だ。「ここから車庫にいる電車が見えますよ」と教えていただいた。この後は、福住桑園通を北上する。「西側は住宅街ですから、単調な駅名が多いんです」。学校名や直交する通り名が付された東側に比べて、西側は、西線何条というナンバー電停が続く。かつてこちらは別の系統で、お古の電車が回されていたそうだ。

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(左)既存区間の南西端、電車事業所前電停 (右)車庫に集う車両群

師範学校付属小の跡地を突っ切る西15丁目の斜めの道を経て、南1条通に帰ってきた。商業施設が増えてきたように思ったら、もう振出しの西4丁目電停に着くところだった。ループツアーを無事終えて、再び駅前通を南へ去っていく電車を見送った。堀さんが「新しいルートはどうでしたか」と尋ねる。「全然違和感がなくて、昔からあったように見えます」と答えると、堀さんは笑いながらも、「ここまで来るのが大変だったんですよ」としみじみと言った。

札幌市の資料によると、今回のループ化は、中心市街地の活性化に寄与する公共交通政策の一つのステップで、今後も札幌駅方面や創生川以東、桑園地域などへ軌道の延伸を検討していくのだそうだ。欧米の都市では一般的な施策だが、日本ではクルマ中心の固定観念や財源捻出のハードルが高くて、なかなか実現しない。札幌のメインストリートに進出した路面電車がショーウィンドーの役割を果たし、人々の気づきを喚起してくれるといいのだが。

■参考サイト
札幌市交通局 https://www.city.sapporo.jp/st/

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 新線試乗記-仙台地下鉄東西線

2016年6月19日 (日)

新線試乗記-仙台地下鉄東西線

緑に囲まれた国際センター駅の建物は、ガラス張りのフリースペースが広く取られ、開放感にあふれている。2階東側のテラスに出ると、ご丁寧にもお立ち台まで用意してあった。聞いていたとおり、ここからは広瀬川をまたぐ東西線が遮るものなく俯瞰できる。しばらくすると、対岸の木立の陰から側面にライトブルーの帯を通した2000系電車が現れた。真新しい橋梁の上をほとんど音もなく近づいてくる。そして前面を飾る三日月のラインを一瞬光らせた後、滑るように足もとの駅構内へ消えていった。

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広瀬川橋梁を渡ってくる2000系電車(国際センター駅2階テラスから)

仙台市営地下鉄東西線は、八木山動物公園~荒井間の13.9kmで、2015年12月6日に開業した。名前が示すように、仙台市内を東西に貫く路線だ。訪れたのは今年(2016年)6月、開業時のフィーバーはとうに治まって、ふだんどおりの日曜の午後だった。券売機で地下鉄の一日乗車券を買ったら、土・日・祝日は620円の特別価格になっている。これだけで何度も乗り降りするのはなんだか恐縮だ。起点は西側の八木山動物公園駅だが、今回は東側の荒井駅から、途中下車もしながら、八木山動物公園のほうへ向かうことにしよう。

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(左)開業を知らせるパンフレット (右)路線図、ライトブルーが東西線

荒井駅の周りはまだ開発中だ。駅正面(南側)にはバスターミナルがあり、住宅やマンションも建つが、北側には農地が広がっている。地図で見ると仙台東部道路がすぐ東を走っていて、市街地の東端にいることがわかる。ホームは地下にあり、線路はその後地上に出て、車両基地に続いている。駅舎は新幹線の駅さえ思わせる立派な2階建てだ。大震災とその復興の記録を展示した3.11メモリアル交流館が開いていたので、しばらく見学させてもらった。

スタジオ風のしゃれた天井のコンコースを降りて、上り電車に乗る。土休日の日中も南北線と同じ7分30秒間隔の設定で、15分もあれば中心部に着けるのだから便利だ。しかし4両編成の電車に、客は数えるほどしか乗っていない。

■参考サイト
荒井駅付近の最新1:25,000地形図
http://maps.gsi.go.jp/#15/38.244900/140.948400

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荒井駅 (左)駅舎 (右)1階コンコース
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荒井駅 (左)駅の周りは開発途中。左奥に車両基地がある
(右)せんだい3.11メモリアル交流館の展示室

2000系車両は全長16.5m(中間車)、全幅2.5m、都営大江戸線などとほぼ同じ小断面、リニアモーター方式の車両だ。南北線を走る1000系は全長20m(同)、全幅2.9mあり、そちらから乗換えると確かに狭く感じる。ところが、おもしろいことに床下の線路幅は東西線の方が広い。南北線の軌間がJRと同じ1067mmであるのに対して、東西線は標準軌の1435mmを使っている。

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2000系電車
(左)側面はホームドアに隠れない位置にアクセントを施す (右)車内はやや狭い

3つ目の薬師堂駅で降りてみた。駅名に合せたのか、地上出入口が和風のデザインだ。ここも屋根付きのバス乗り場が接していて、公共交通の接続改善が図られている。東北貨物線をくぐったところにある陸奥国分寺跡の薬師堂を見ようと思ったのだが、広い境内にひと気はなく、物寂しい雰囲気だった。

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薬師堂駅の和風出入り口とバス乗り場
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(左)薬師堂仁王門 (右)ひと気のない薬師堂境内

次の連坊(れんぼう)駅は寺町らしい地名で、仙台一高前でもある。ライバル校の仙台二高は国際センター駅から歩いて数分だから、図らずも東西線で簡単に往来できるようになったわけだ。エスカレーターがやたらと長いのは、一部で民地の下を通ることもあって、線路の位置が深いのだろう。

ルート図を見ると、ここから青葉通一番町までは直角カーブを繰り返し、まるであみだ籤をたどるようだ。中に半径105mという最急曲線も何か所か含まれている。宮城野通りの下を貫くJR仙石線との競合を避けたのかもしれないが、せめて新寺通りを直進すれば、楽天スタジアムへの足にもなったのにと残念に思う市民もいることだろう。とはいえ、線形が悪い割には、乗り心地がいい。急カーブにありがちな車輪がレールと摺れる不快音がほとんど聞こえてこない(下注)。

*注 異音が少ないのは、急曲線対策として国内のリニア地下鉄初となるボギー角連動リンク式操舵台車を用いているからだという。(「仙台市営地下鉄東西線が開業」鉄道ジャーナル2016年4月号p.128)

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連坊駅 (左)一高前のエレベーター出入口 (右)駅名の由来を記す特設案内板

仙台駅で車内の客が一斉に入れ替わった。やはりJRと地下鉄とバスが集中する公共交通の一大結節点だ。静かな時が流れていたこれまでの駅構内とうってかわり、コンコースを歩く人の流れも速くて激しい。急に都会に放り出されたような気がして、ちょっと面食らう。

ここでは、地下化されたJR仙石線の下を地下鉄南北線がくぐり、その南北線の下を東西線が交差している。東西線の線路の深さは推して知るべしだ。JR仙台駅から来ると地下鉄の東改札を入ることになるが、手前に東西線のホームへ降りる長いエスカレーターがあった。南北線のエスカレーターはその奥になる。慣れれば何でもない話だが、南北線に乗ろうとしてうっかり東西線に行ってしまいそうだ。

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地下鉄仙台駅東改札
正面が東西線ホームへ降りるエスカレーター、南北線は奥へ進む

東西線が地上に顔を出す大町西公園~国際センター間は、駅を出て歩いてみた。桜の名所でもある西公園は、整備工事で閉鎖中だった。ならばと広瀬川を渡る大橋の上に立ち止まり、北側に見えるスマートな鉄道橋を渡ってくる2000系を待つ。運転間隔が短いから、チャンスはすぐにやってくる。

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地下鉄広瀬川橋梁を大橋から望む

大橋の西のたもとから国際センター駅へは、川沿いに桜の小径(こみち)という名の気持ちのいい散歩道が延びている。鉄道に乗りに来ていることをつい忘れてしまいそうだ。冒頭でこの駅の2階にあるお立ち台のことを書いたが、線路の直上にあるため、架線を支える太いビームがいささか目障りだった。視点は少し下がるものの、むしろこの小径からの方が車両をきれいに捉えることができる。

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国際センター駅 (左)ガラス張りの駅舎 (右)改札の中にも緑が見える
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桜の小径から見た広瀬川橋梁

次の川内(かわうち)と青葉山は、東北大学のために造ったような駅だ。これまで仙台駅からバスで優に20分はかかった山の上のキャンパスまで、電車は10分足らずで駆け上がってしまう。そのために、この間には57‰(水平距離1000mで57m上がる)という急勾配があるのだが、乗っていてもモーターの唸りが特別高まることもなく、坂の気配はほとんど感じなかった。

青葉山駅のホームもかなり深くて、キャンパスのど真ん中にある地上出入り口までエスカレーターを何度も乗り継がなければならない。昼夜を問わず学生の姿がある理系学部の敷地とはいえ、さすがに日曜日は閑散としている。ホームまで降りるのに階段の段数を数えたら、205段あった。親切にも途中に休憩用のベンチが用意されている。

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青葉山駅 (左)土壁を模した階段の壁面 (右)地上出入り口はキャンパスの中に

上り電車は終点に着く直前に、竜の口渓谷をまたぐ。青葉山と八木山を分けている深い谷だ。本来ならここに架かる竜の口橋梁は沿線随一の眺めになるはずだが、残念ながら期待に応えてはくれない。その理由は、橋がダブルデッキトラスと言って、線路の上に道路が被さる二重構造のトラス橋だからだ。さらに、現場は森に阻まれて外からの眺望が利かず、接続道路も開通の見通しが立っていない。車窓からは谷の斜面のうっそうとした森が垣間見えるが、それだけだ。トラスが視界をよぎり、あっという間にまた闇に閉ざされる。

到着した八木山動物公園駅では、ホームのエレベーター乗場に、さっそくお目当ての表示を見つけた。「136.4m(軌条面)、日本一標高の高い地下鉄駅」と、動物公園の最寄駅らしくキリンやライオンやペンギンたちのイラストとともに記されている。改札階の床にも動物の足跡が描かれ、雰囲気を盛り上げる。

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八木山動物公園駅 (左)ホームにある「標高日本一」のイラスト (右)コンコース

地上1階はバスターミナルだが、特にバスに用事のない人は、エレベーターで一気に5階まで上がることをお奨めしたい。そこは大規模な駐車場の屋上で、動物公園の西口に平面で接続している。反対側は展望テラスになっていて、八木山の斜面全体に広がる住宅街とかなたの仙台平野が一望になる。透明フェンスにホームと同じイラストがあった。ホームで見たときはまるで実感が伴わなかったが、ここに立って初めて「日本一」の意味するところが腑に落ちた。

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屋上テラスは仙台平野を見晴らす展望台

■参考サイト
仙台市交通局-地下鉄 http://www.kotsu.city.sendai.jp/subway/
八木山動物公園駅付近の最新1:25,000地形図
http://maps.gsi.go.jp/#15/38.243000/140.843400

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