2017年2月18日 (土)

ウェールズの鉄道を訪ねて-ヴェイル・オブ・レイドル鉄道

アベリストウィス Aberystwyth ~デヴィルズ・ブリッジ Devil's Bridge 間 18.91km
軌間 1フィート11インチ3/4(603mm)
開業 1902年、保存鉄道化 1989年

Blog_wales_rheidol1
デヴィルズ・ブリッジ駅構内を遠望

カンブリア線のアベリストウィスは頭端式のターミナルだ。乗降用は1線だけの簡素な配線だが、ホームには幾何学模様をあしらった美しい屋根がかかる。正面には、大都市によくあるように、通りに面して間口の広い、垢抜けた雰囲気の石造りの建物が建っている。これは旧駅舎で、今はアル・ヘン・オルサーヴ Yr hen Orsaf(旧駅の意)という名の洒落たパブ兼ホテルだ。カンブリア線の切符売り場は、ホームに隣接した煉瓦の建物の中にある。

Blog_wales_rheidol2
アベリストウィス駅
(左)通りに面した旧駅舎、今はパブ兼ホテルに (右)頭端式の発着ホーム

今から乗るヴェイル・オブ・レイドル鉄道 Vale of Rheidol Railway(下注)はこの駅が起点で、レイドル川 Afon Rheidol の谷を遡ってデヴィルズ・ブリッジ Devil's Bridge まで、18.9kmの路線だ。軌間は1フィート11インチ3/4(603mm)の狭軌で、イギリスでは他に、南ウェールズのブレコン・マウンテン鉄道 Brecon Mountain Railway にしか例がない。もっとも、開通当時はフェスティニオグなどと同じ1フィート11インチ半(597mm)だったとされ、途中で微妙な調整が加えられているようだ。

*注 ヴェイル Vale はヴァレー Valley と同系語で、谷を意味するため、鉄道名は「レイドル渓谷鉄道」とも訳される。

ホームに出ると、標準軌線と狭軌線の線路が、頭端駅へ並んで入ってきている。それで、切符売り場もてっきりカンブリア線の隣にあるのだろうと見回したが、ない。慌てて近くの係員氏に聞くと、ホームの先だよ、と言う。線路に沿って通路が続き、200mぐらい歩いたところに、ようやく売店併設の小屋があった。切符を買った後、乗場へはまた本駅舎のほうへ戻るので、それだけで結構歩かされる。ついでに言うと、帰りも同じで小屋を経由しないと外に出られないため、出入口がしばらくの間混雑した。

Blog_wales_rheidol3
(左)ヴェイル・オブ・レイドル鉄道のホームは長い通路の先
(右)旧カーマーゼン線のスペースが転用された

2007~08年ごろの写真には、本線と機回し線の間に嵩上げしていないホームが見え、切符売り場も線路先端のすぐ右にある。以前はずいぶん手近な場所に、旅客用設備がまとまっていたのだ。ただこの場合、ホームへの通路が機回し線を横断して危険なのと、客車にステップで乗り込む不便さがある。その対策の結果が現在の形なのだろうか。

車庫の方から列車を牽く機関車がやってきた。スラウェリン Llywelyn の名をもつ8 号機だ。サイドタンクに "GREAT WESTERN" と大書されているのは、この路線がグレート・ウェスタン鉄道 Great Western Railway (GWR) の一支線になった1923年に、自社のスウィンドン工場 Swindon Works で製造されたことを意味している。落ち着いた緑の塗装も当時の再現だという。機関車は、開通当時からいた旧型機を参考に、長所は引き継ぎ、短所は改良する形で造られたいわば2世機だ。

Blog_wales_rheidol4
8号機スラウェリン、デヴィルズ・ブリッジ駅にて

客車は、屋根つきオープン車両3両、箱型車両3両、1等車1両という構成だった。乗客の人気がオープン車両に集中するのは学習済みなのだが、ホームで写真を撮っているとつい出遅れてしまう。箱型車両のほうに回ると、座席横の窓は締め切りで、両側に3か所ずつあるドアだけが皮ベルトのついた落とし窓になっている。往きはまだ席に余裕があったので、ドアの前をしっかり確保した。

この客車には貫通路はない。ドアはそれぞれ、車内で3分割されている区画(コンパートメント)の専用出入り口だ。各区画には向い合せのシートが2~3組配置され、ドア前のシートは2人掛け、ほかは3人掛けになっている。軌間はタリスリン鉄道より狭いのに、客車の内寸は逆にこちらのほうが広いような気がする。

Blog_wales_rheidol5
簡易なベンチが並ぶオープン客車

Blog_wales_rheidol6
箱型客車の内部は3区画に分かれ、各区画に向い合せのシートを2~3組配置

Blog_wales_rheidol_map1
ヴェイル・オブ・レイドル鉄道(赤で表示)と周辺の鉄道網

ヴェイル・オブ・レイドル鉄道は今でこそ、公益財団 Charitable Trust が所有する保存鉄道だが、その前はれっきとした英国国鉄 British Rail の路線で、1968年からは国鉄最後の蒸気鉄道として知られていた。年譜を遡ると、本来は1902年に、谷で伐り出した木材(下注)と鉛鉱で産出する鉱石を搬出するために造られた鉄道だ。貨物はアベリストウィスで標準軌線の貨車に積み替えられるか、港への支線を通って船に引き継がれていた。しかし、輸送の主軸はまもなく貨物から、悪魔の橋やその周辺を訪れる観光客に移る。

*注 木材は南ウェールズの炭鉱で、坑道の支柱に使われた。

1913年にカンブリア鉄道 Cambrian Railways に吸収されるが、1922年の4大会社(ビッグ・フォー The Big Four)への集約で、グレート・ウェスタン鉄道の路線となる。グレート・ウェスタンは起点駅の移転や、先述した機関車の更新など、路線に積極的な投資を行った。一般旅客の道路交通への移行で1931年に冬季の運行を中止してからは、オープン客車の増備など観光列車の充実に力を注いだ。

Blog_wales_rheidol7
駅名標、ヴェイル・オブ・レイドル鉄道乗換の記載も

第二次世界大戦後の1948年に4大会社は国有化され、英国国鉄に統合された。路線は、1963年の有名な「ビーチング報告書 Beeching Report」(下注)が巻き起こした嵐の中でも生き残ったが、中間の待避所は撤去され、全線1閉塞となった。1966年にはアベリストウィス駅で、廃止されたカーマーゼン線 Carmarthen line の敷地を使ってルート変更が実施され、幹線の機関庫が狭軌用に転用された。標準軌線の隣のホームを使う現在の形になったのはこの時だ。

*注 リチャード・ビーチング博士 Dr. Richard Beeching による、英国鉄道の徹底的合理化を進言した報告書。これに伴う大規模な路線廃止は「ビーチングの斧 Beeching's Axe」と呼ばれた。

しかし、大鉄道の傘下で続けられた路線の歴史は、サッチャー政権時代に幕を閉じる。国鉄合理化策の一環で経営を切り離すことになり、1989年に民間に売却されたのだ。しかし、ウェールズの他の多くの保存鉄道と異なるのは、ボランティアの手を借りずに、有給のスタッフだけで運営されている点だという。観光鉄道としてそれだけの集客力があるということだろうか。

Blog_wales_rheidol_map2
アベリストウィス~アベルフルード間の地形図
1マイル1インチ(1:63,360)地形図 127 Aberystwyth 1960年版 に加筆

雲の隙間から薄日もさす中、列車は12時15分定刻に発車した。車庫の脇をすり抜け、構内から出て、しばらくはカンブリア線の線路と並行する。これまで訪れた保存鉄道と雰囲気が違うように感じるのは、都市郊外の倉庫や工場が見える一帯を通っていくからだ。一つ目の停留所スランパダルン Llanpadarn もそのエリアにあるが、列車交換がないのに何分も停まった。再び走り出すと、カンブリア線が左に離れていく。レイドル川を木製トレッスルで渡って、線路は左岸に移った。この後はずっと左側に景色が開ける。右手の線路際にはまだ殺風景な工業団地が続いているが、左は茂みの間に河原が顔を出す。

Blog_wales_rheidol8
(左)しばらくカンブリア線と並走 (右)レイドル川を木製トレッスルで渡る

Blog_wales_rheidol9
カペル・バンゴル駅 (左)工事用車両を留置する側線 (右)小さな駅にもフラワーポットが

二つ目の停留所グラナラヴォン Glanyrafon が、ちょうど開発地と田園風景との境目だ。列車は、広い谷の中の牧草地を突っ切っていくが、のんびりと寝そべる牛たちはびくともしない。次はカペル・バンゴル Capel Bangor 駅で、対向設備とともに工事用の車両を留置しておく側線がある。起点から7.2km、すでに20分ほど揺られてきたが、標高はまだ23mに過ぎない。線路が載る地形としてはここまでが平地で、この後は、ヴェイル・オブ・レイドル Vale of Rheidol(レイドル川の谷、ウェールズ語ではクーム・レイドル Cwm Rheidol)の南壁にとりついて、じわじわと高度を上げていくことになる。

Blog_wales_rheidol10
(左)のどかな牧場の風景 (右)乗馬教室?の生徒たちが手を振ってくれる

駅を出ると、まず右の車窓に森になった谷壁が迫ってくる。それから少しずつ川が流れる谷底を離れていく。すでに1:50(20‰)~1:48(20.8‰)の急勾配が断続していて、せわしないドラフト音が数両隔たったここまで届いてくる。時折、ポーッポッという甲高い汽笛が山にこだまする。いっとき森が途切れて、のびやかな牧場の風景が開けたと思ったら、ナンタローネン Nantyronen の停留所だった。待合所とベンチは作りたてのような艶を保ち、真っ赤なゼラニウムがアクセントをつけている。ホームの端に設置された水タンクから、機関車は往路最後の給水を受けた。

Blog_wales_rheidol11
絵のように美しいナンタローネン駅では給水停車

Blog_wales_rheidol12
刈取りの済んだ草地にヘイロールが転がる

次のアベルフルード Aberffrwd は起点から12.5kmで、すでに全線の2/3を走ってきたことになる。標高も85mまで上がり、周囲は森で、いよいよ山の気配が漂ってきた。ここも対向設備がある駅だ。風景に集中していたせいで、谷を降りてきた列車に気づくのが遅れ、機関車の写真を撮り損ねた。現在、この鉄道で稼働中の蒸機は2機しかなく、牽いていたのは黒光りの9号機「プリンス・オブ・ウェールズ Prince of Wales」に違いないのだが、結局拝めずじまいだった。

Blog_wales_rheidol13(左)アベルフルード駅 (右)山の気配が漂ってきた

谷の底は平地で、おおかた生垣で区切った放牧地に利用されている。その草の絨毯に割り込むようにして、クーム・レイドル貯水池が現れた。斜面の深緑と薄曇りの空を静かな水面に映している。日差しは途絶えたが、天気はなんとか持ちそうだ。谷の斜面を切り欠いて造られた線路は、細かいカーブを繰り返す。左カーブのときが狙い目なので、カメラを構えた。車両の前の方にも中年の鉄道ファンが乗っていて、同じタイミングで窓から大きな体を乗り出している。そのつど「こんなのが撮れた」と言うように隣席の奥さんにモニターを見せるのだが、あいにく奥さんの反応はそっけない。他人事とも思えず、苦笑してしまう。

Blog_wales_rheidol14
(左)クーム・レイドル貯水池を見下ろす (右)奥に見える川べりの建物は発電所

Blog_wales_rheidol15
レイドル谷の斜面を上る。窓から大きな体を乗り出す鉄道ファン

Blog_wales_rheidol_map3
アベルフルード~デヴィルズ・ブリッジ間の地形図
1マイル1インチ(1:63,360)地形図 127 Aberystwyth 1960年版 に加筆

アベルフルードからは本格的な上りで、終点近くまで1:50の勾配が途切れることがない。機関車を操る機関士にとっては正念場だ。途中にレイドル・フォールズ Rheidol Falls とリウヴロン Rhiwfron の2か所の停留所があるのだが、どちらも速度を緩めることなく通過した。谷底からの高度差はすでに120mほどになり、いつのまにかレイドル川も森の陰に沈んでしまった。最後は、河川争奪で生じたV字の渓谷(本稿末尾で図解)を左に見送って、比較的なだらかな台地の上へ這い上がる。切通しをくぐれば終点のデヴィルズ・ブリッジだ。

Blog_wales_rheidol16
(左)レイドル・フォールズ停留所の東方、緑の谷底に小さな採掘跡
(右)カーブも勾配も厳しさを増す

Blog_wales_rheidol17
レイドルのV字谷を左に見送る

Blog_wales_rheidol18
(左)台地の上へ這い上がる (右)終点デヴィルズ・ブリッジ到着

アベリストウィスからちょうど1時間、時刻表どおり13時15分の到着だった。駅は広場と一体になっていて、着いた客と乗り込む客で屋台も土産物屋も繁盛している。その隣では、子供たちが小型機関車マーガレット Margaret の乗車体験を楽しんでいた(冒頭写真)。

Blog_wales_rheidol19
デヴィルズ・ブリッジ駅
(左)機関車は帰路の準備 (右)機回し線は切通しの中へ続く

駅名になっているデヴィルズ・ブリッジ(悪魔の橋)というのは、駅前の道路を左手に400mほど下っていったところにある。マナッハ川  Afon Mynach が刻んだ深い谷に、3本の橋が上下に重なって架かっている。ここは近辺の観光名所で、沿線にほとんど集落のない小鉄道が廃止を免れてきたのも、これがあるおかげだ。一番下にあるのが悪魔の橋の伝説をもつ11世紀の石造アーチ橋で、その上にあるのが1753年建造の石造アーチ橋、現在使われている一番上の鉄製の桁橋は1901年に架けられた。

Blog_wales_rheidol20
(左)現 悪魔の橋。2代の石橋はこの直下に
(右)デヴィルズ・パンチボウルへ降りる遊歩道(橋上から撮影)

Blog_wales_rheidol21
(左)有料遊歩道の入口 (右)時間のない人は向かいのパンチボウル入口へ

悪魔の橋伝説は、ヨーロッパ各地で語り継がれている(下注)。たいていは村人の前に悪魔が現れて、橋を架ける話を持ち掛けるところから始まる。この橋を請け負った悪魔も、最初に橋を渡った者の魂を報酬にもらうと宣言するのだが、橋が完成したとき、老婆が投げたパンを追って犬が先に渡ってしまう。悪魔は約束が違うと腹を立てて立ち去り、橋だけが残ったというストーリーだ。

*注 本ブログ「MGBシェレネン線と悪魔の橋」で扱ったスイスアルプス山中の石橋もその一つ。

橋は親亀子亀のように重なっていて、しかも上の橋ほど道幅が広いので、古い橋を見たければ谷へ降りるしかない。それで、橋の北詰の道路脇に、溪谷を巡る有料遊歩道の入口がある。左側のそれがメインルートで、3代の橋を仰ぎながら、さらに渓谷の底の、マナッハ川がレイドル川に合流する地点まで降り、対岸に上ってくる。要する時間は少なくとも45分だ。地形図によれば高度差約100mの往復が必要で、かつ、滝のしぶきで濡れて滑りやすい石段が続くから、結構ハードなコースに違いない。

それでガイドブックは時間のない人、脚力に自信のない人にもう一つのルートを薦めている。道路右側にある別の入口から入って、大型の甌穴デヴィルズ・パンチボウル Devil's Punchbowl を見に行くというものだ。これは10分で往復できるが、橋は直下から見上げる形になる。

Blog_wales_rheidol22
渓谷を巡る2本の遊歩道の見取り図
橋から見て左入口がメインルート、右入口がパンチボウル見学の遊歩道

Blog_wales_rheidol23
3代重なる悪魔の橋とマナッハ川溪谷
Photo by William M. Connolley from wikimedia. License: CC BY-SA 3.0

折返し列車の発車まで1時間の余裕があるのだが、駅の周辺で写真を撮っていたら、遊歩道にチャレンジする時間がなくなってしまった。残念だが、悪魔の橋がどのような形をしているのかは、ウィキメディアの写真でご覧いただくことにしよう。

■参考サイト
3代重なる悪魔の橋(Wikimedia、右写真)
https://commons.wikimedia.org/wiki/
File:Devils-bridge-pano.JPG

2代目現役時代の写真(Wikimedia)
https://commons.wikimedia.org/wiki/
File:Devils_Bridge_Aberystwith_Wales.jpg

ヴェイル・オブ・レイドル鉄道(公式サイト)
http://www.rheidolrailway.co.uk/

本稿は、「ウェールズ海岸-地図と鉄道の旅」『等高線s』No.13、コンターサークルs、2016に加筆し、写真、地図を追加したものである。記述に際して、"Vale of Rheidol Railway Visitors Guide" Vale of Rheidol Railway および参考サイトに挙げたウェブサイトを参照した。

★本ブログ内の関連記事
 ウェールズの鉄道を訪ねて-カンブリア線
 ウェールズの鉄道を訪ねて-フェスティニオグ鉄道 I
 ウェールズの鉄道を訪ねて-フェスティニオグ鉄道 II
 ウェールズの鉄道を訪ねて-タリスリン鉄道
 ウェールズの鉄道を訪ねて-アベリストウィス・クリフ鉄道

 

【参考】デヴィルズ・ブリッジ付近の河川争奪

左図:
1.当地点から上流は、かつてはるか南のカーディガン Cardigan へ流れ下るタイヴィ川 Teifi の流域だった。
2.第四紀の間に、イストウィス(アストウィス)川 Ystwyth が、谷頭侵食によってタイヴィ川の上流部を争奪した。
3.次いでレイドル川 Rheidol が谷頭侵食によって、イストウィス川となった上流部を争奪した。デヴィルズ・ブリッジ付近ではレイドル谷の下刻が進行し、V字谷が生じた。

右図:
デヴィルズ・ブリッジ以南の、もとのタイヴィ川の流路(推定)を矢印で示す

Blog_wales_rheidol_map4
タイヴィ川流域の河川争奪過程
Blog_wales_rheidol_map5
デヴィルズ・ブリッジ~トレガロン湿地北部Tregaron Bog Northの地形図
1マイル1インチ(1:63,360)地形図 127 Aberystwyth 1960年版 に加筆

2017年2月11日 (土)

ウェールズの鉄道を訪ねて-アベリストウィス・クリフ鉄道

Blog_wales_abercliff1
コンスティテューション・ヒルを上る
アベリストウィス・クリフ鉄道

延長237m、高度差130m、開業1896年

ポースマドッグ滞在中で一番の長旅をして、南60kmにあるアベリストウィス Aberystwyth を訪れた。往きはカンブリア線を使ったのだが、ポースマドッグ方面からアベリストウィスへの直通列車はなく、途中で乗換えが必要だ。しかし、乗換駅ダヴィー・ジャンクション Dovey Junction は、寂しい原野のまん中の、常に風に吹き曝される場所にある。ここで20分近くも待つのはつまらないと思った。

実際、上下列車の交換は次のマハンレス Machynlleth で行われる。ダヴィー川沿いでは一番大きな町の玄関口だ。定時運転されているようなので、そこまで乗って折り返すことにした。時刻表ではわずか3分の接続だったが、問題なく乗り継ぐことができてほっとする。

Blog_wales_abercliff2
立派な駅舎が残るマハンレス駅での列車交換

カンブリア線は、アベリストウィス方面が実質的な本線だ。それを反映して、列車本数もいくらか多い。ダヴィー・ジャンクションから先は、まずダヴィー川 Dovey River (Afon Dyfi) の三角江の左岸に沿って海岸近くまで走る。ポースマドッグ方面への線路が川を渡る古い鉄道橋が、しばらく見えている。対岸のアベルダヴィー(アバダヴィー)Aberdovey の町を見届けた後、ボルス Borth を経て内陸に入っていく。波打つ丘陵地を越える切通しが終わると、左からヴェイル・オブ・レイドル鉄道 Vale of Rheidol Railway の狭軌線が寄り沿ってきて、いっしょに終着駅へ滑り込む。

*注 カンブリア線については本ブログ「ウェールズの鉄道を訪ねて-カンブリア線」も参照。

Blog_wales_abercliff3
ダヴィー川を渡る鉄橋(ポースマドッグ方面の路線)が見え続ける
Blog_wales_abercliff4
(左)ヴェイル・オブ・レイドル鉄道の狭軌線が寄り沿う (右)アベリストウィス駅に到着

アベリストウィスは、カンブリア山地から流れ出るレイドル川 Afon Rheidol とイストウィス(アストウィス)川 Afon Ystwyth が合流する河口近くに位置する町だ。地名もイストゥイス川の河口(Aber + Ystwyth)から来ている(下注)。人口は1万数千人だが、中部ウェールズでは最大規模で、商業の中心地であり、1872年創立の大学を擁する教育センターの一面も持っている。

Blog_wales_abercliff_map1
アベリストウィス・クリフ鉄道(星印の位置)と周辺の鉄道網

Blog_wales_abercliff_map2
アベリストウィス市街周辺の地形図
1:25,000地形図 SN68 1954年版 に加筆

行止りの線路の正面に建つ駅舎を出ると、目の前が市街地だ。北ウェールズの町に比べて都会的な雰囲気があるのは、通りの建物が黒い石積みではなく、煉瓦や漆喰の色壁だからだろう。駅前からテラス・ロード Terrace Road を直進し、目抜き通りを横断した先に、海が見えてくる。

Blog_wales_abercliff5
アベリストウィスの市街地 (左)テラス・ロード (右)ノース・パレード North Parade

カーディガン湾に臨むこの浜辺には、スランディドノで見たような弧状のプロムナード Promenade(海岸遊歩道)が延びる。なにしろ、鉄道が開通した当時、「ウェールズのビアリッツ Biarritz of Wales」(下注)と謳われて評判になったという町だ。高さの揃ったパステルカラーの建物やロイヤル・ピア Royal Peer のドーム屋根が、当時の面影を伝えている。だが、残念なことに今朝は曇り空で、リゾート気分に浸ろうにも、人影がほとんど見られない。

*注 いうまでもなくビアリッツは、フランス南西部ビスケー湾に面した高級リゾート。

Blog_wales_abercliff6
プロムナードを遠望。右端がロイヤル・ピア Royal Peer

Blog_wales_abercliff7
アベリストウィス・クリフ鉄道のリーフレット

アベリストウィスに来た主目的は、さっきの駅を起点とするヴェイル・オブ・レイドル鉄道という蒸気鉄道だが、その前に、近くの丘に上っていく別の鉄道に乗ろうと思っている。プロムナードの北端、コンスティテューション・ヒル Constitution Hill(ウェールズ語:クライグ・グライス Craig Glais)にあるアベリストウィス・クリフ鉄道 Aberystwyth Cliff Railway という鋼索鉄道(ケーブルカー)だ。

鉄道は、市街地と丘の上の公園を結んで1896年に開業した。こうした丘や崖の、麓と頂の間を行き来する鋼索鉄道は、その時代盛んに建設されていて、設計の第一人者がマークス卿 The Lord Marks と呼ばれたジョージ・クロイドン・マークス George Croydon Marks だった。

彼が手掛けた鋼索鉄道はイギリス各地に今も残っている。ノースヨークシャーのソルトバーン・クリフ・リフト Saltburn Cliff Lift(1884年開業)、ブリストル海峡に面したリントン・アンド・リンマス・クリフ鉄道 Lynton and Lynmouth Cliff Railway(1890年開業)、あるいはセヴァーン川 Severn 沿いのブリッジノース・クリフ鉄道 Bridgnorth Cliff Railway(1892年開業)などがそうだ。

*注 その他、廃止されたものでは、ブリストル Bristol のクリフトン・ロックス鉄道 Clifton Rocks Railway(1893年開業、1934年廃止)、スウォンジーのコンスティテューション・ヒル斜行鉄道 Swansea Constitution Hill Incline Tramway(1898年開業、1901年廃止)などがある。

Blog_wales_abercliff8
プロムナードから見たコンスティテューション・ヒル
Photo by Lesbardd from wikimedia. License: CC BY-SA 3.0

アベリストウィスの鋼索鉄道も、彼の主要な業績に数えられてきた。なぜなら、2001年12月にスコットランドのケアンゴーム登山鉄道  Cairngorm Mountain Railway が開通するまで、イギリス諸島における最長の鋼索鉄道だったからだ。

開通当時はウォーターバランスといって、上の駅で車両に設けたタンクに水を注ぎ入れ、その重みで斜面を下りる方式で運行されていた。下の駅にいる車両は水を抜かれて軽くなっているので、連動しているケーブルで引き上げられる。上の駅で必要とされる大量の水は、近くの泉や井戸から引いていた。地形図でも、上の駅の東方に "W"(井戸 Well の略)や "Spring" の注記が数か所見つかる。しかし、鉄道は1921年に電気動力に転換され、今に至っている。

Blog_wales_abercliff_map3
上の駅(サミット駅)の東方に井戸や泉の注記(青の円内)がある
1:25,000地形図 SN68 1954年版 に加筆

現在の運行は4月から10月の毎日で、始発が10時、最終は17時だ。その始発時刻が近づいてきたので、山麓駅(プロムナード駅)のほうに足を向けた。市街地の北端、プロムナードから右に折れて少し上っていくと、"RHEILFFORDD Y GRAIG / CLIFF RAILWAY" とウェールズ語と英語で書かれた古めかしい煉瓦壁の建物が見つかる。これが乗り場だ。中の出札で4ポンドの往復乗車券を買い、階段ホームへ出ると、日曜大工で拵えたような飾り気のない車両が待っていた。

Blog_wales_abercliff9
山麓(プロムナード)駅 (左)煉瓦造りの外観 (右)飾り気のない車両が発車を待つ

定員は30名だが、初回の乗客は私のほかに、女性が一人のみ。景色には目もくれずスマホをいじっていた彼女は、山上のレストランの従業員だった。発車の合図があったかどうかもわからないうちに、車両は動き出した。時速は4マイル(6.4km)、ケーブルの動く音がするだけで、静かに上っていく。線路は全線複線で、車両がすれ違う区間だけ、線路の間隔を拡げてある。

延長778フィート(237m)のルートの大半が、掘割の中だ。しかし、麓側の窓から、アベリストウィスの市街地と弧を描く海岸線が見えている。それを写真に撮ろうとするのだが、上空を木柵の跨線橋が何本も横断しているので、そのたびに視界が途切れる。実は、線路設計に際して、以前からあった丘を巡るフットパスを切断しないように、わざわざ線路を切通しにして跨線橋を渡したのだそうだ。そのために、工事では12,000トンもの岩を切り出す必要があった。

Blog_wales_abercliff10
(左)山麓駅を後にする (右)海岸線の眺望はしばしば跨線橋で遮られる

正味の乗車時間は5分程度だろう。麓の駅に比べて、サミット駅は掘っ立て小屋のような簡素な造りだ。駅の外にはコンスティテューション・ヒルの高台が広がっている。遊戯施設やレストランが立ち並び、ちょっとした遊園地の雰囲気がある。朝早いので、どこもまだ稼働していないが、それでも続行便で、カップルや家族連れが何組か上がってきた。

Blog_wales_abercliff11
(左)山上(サミット)駅に到着 (右)山麓駅に比べて簡易な造り

この丘は、地形的に見れば、東のカンブリア山地から延びてきた丘陵が海に没する先端部に当たる。上からは見えないが、足元の海岸には高さ数十mの波蝕崖が連なっているはずだ。それだけに展望は抜群で、市街地とプロムナード、その南端の古城がある岬や、市街の背後に横たわる丘陵地まで一望になる。風のない穏やかな日で、陸上は靄でかすんでいるが、滞在中に少しずつ晴れ間が広がってきた。

ケーブルカーを前に置いてこの風景が眺められる場所を探し回った。上ってくる車内では疎ましく思ったのに、最適のお立ち台になってくれたのは、あの跨線橋だった。

Blog_wales_abercliff12
コンスティテューション・ヒルからの眺め (左)南方向 (右)北方向
Blog_wales_abercliff13
アベリストウィス市街のパノラマ

次回は、ヴェイル・オブ・レイドル鉄道の蒸機列車に乗る。

■参考サイト
アベリストウィス・クリフ鉄道(公式サイト)
http://www.aberystwythcliffrailway.co.uk/
アベリストウィス観光サイト https://www.aberystwyth.org.uk/

★本ブログ内の関連記事
 ウェールズの鉄道を訪ねて-カンブリア線
 ウェールズの鉄道を訪ねて-ヴェイル・オブ・レイドル鉄道
 ウェールズの鉄道を訪ねて-グレート・オーム軌道

2017年2月 4日 (土)

ウェールズの鉄道を訪ねて-フェアボーン鉄道

フェアボーン Fairbourne ~バーマス・フェリー Barmouth Ferry 間 3.2km
軌間 1フィート1/4インチ(311mm)
開業 1895年、保存鉄道化 1916年

Blog_wales_fairbourne1
機関士が巨人に見えるフェアボーン鉄道の機関車。背景はバーマス鉄橋

タリスリン鉄道訪問の後、フェアボーンに移動した。タウィン Tywyn から列車でほんの20分ほどだが、この間に、山が海に直接落ちるヴリオグの断崖 Friog cliffs という難所がある。線路は、海面から高さ約30mほどの崖の中腹に通されている。過去、落石による機関車転落事故が2度発生した現場で、列車は時速25~30マイル(40~48km)の徐行を強いられる。その代わり、眺望は何度見てもすばらしい。南から行くと、湾の向こうにバーマスの町が見え、次に長く延びる砂浜が近づいてきて、列車はそれに向かって飛行機が着陸するように高度を下げていく。

Blog_wales_cambria10
(左)カーディガン湾に沿って北上
(右)マウザッハ川の河口に接近(フェアボーン南方)
「ウェールズの鉄道を訪ねて-カンブリア線」に使用した写真を再掲
Blog_wales_fairbourne2
ヴリオグの断崖を振り返る(翌日撮影)

フェアボーンの村はその砂浜に載っている。降りた駅も棒線上の無人駅だ。対するフェアボーン鉄道 Fairbourne Railway の始発駅は、通りの向かいに敷地を構えている。早めに乗車券を買い、施設をひととおり見て回った。鉄道は、ここから砂嘴の先端まで3.2km延びているが、軌間は1フィート1/4インチ(311mm)と、フェスティニオグやタリスリンの約半分だ。機関車はフルサイズ鉄道のそれを縮小して造られていて、分類としてはミニチュア鉄道(鉄道模型)になるそうだ。英語では Ridable miniature railway、つまり人が乗れる鉄道模型だ。

しかし、駅構内は立派に駅の要件を満たしている。並行する3本の線路に沿って、管理棟らしき長い建物が2棟建つ。中は切符売り場を兼ねた売店があり、その奥は本物(?)の鉄道模型のレイアウトスペースだ。建物の裏を覗くと、整備工場と留置線が見えた。小さな待合所だけのカンブリア線の駅とは、比べものにならない。ただ、なぜか客用のトイレはなくて、駅前の公衆トイレを案内された。旅客営業しているというより、趣味で動かしている鉄道だけれど乗ってもいいよ、というスタンスかもしれない。

Blog_wales_fairbourne3
ミニチュア鉄道とはいえ、整備された構内をもつフェアボーン駅
Blog_wales_fairbourne4
フェアボーン駅 (左)機回し用側線が分岐 (右)奥はヤードと機関庫につながる

ちょうど前の列車が帰ってきたところだった。牽いていたのは、759のナンバーをつけた「ヨー Yeo」号、デヴォン州リントン・アンド・バーンスタプル鉄道 Lynton and Barnstaple Railway の同名の機関車のハーフサイズモデルだ(下注)。1978年製で、後述するように、フランスの廃止線から移籍してきた。どれだけ小さいかを実感するには、下の写真を見ていただくのが一番だろう。

*注 ヨーは、バーンスタプルを流れる川の名。

つないでいる客車は7両で、コンパートメントの箱型車両の間に、オープンタイプの屋根付きが1両、屋根なしが1両挟まっている。席は、当然そこから埋まっていく。ベンチシートは大人なら2人しか掛けられない狭さなので、現地の人たちは大きな身体を折り曲げて、かろうじて車内に納まる。

Blog_wales_fairbourne5
車両の小ささを実感 (左)機関車「ヨー Yeo」号 (右)箱型客車

フェアボーン鉄道は、もともと1895年に、2フィート(610mm)軌間で造られている。フェアボーンの村を造る建築資材の運搬が敷設の目的だったが、まもなくフェリー乗り場へ行く観光客を乗せるようになった。1916年には、観光開発に専念するため、1フィート3インチ=15インチ(381mm)の蒸気鉄道に改軌された。所有者は何度か替わり、1940年にはいったん運行休止となっている。

第二次世界大戦を挟んで、鉄道は、実業家ジョン・ウィルキンズ John Wilkins により1947年に再開された。1960~70年代初期にはリゾート客の人気を集めて、利用者数がピークに達したものの、その後、実績が落ち込む。1984年には、エラートン家 Ellerton family に売却された。

ジョン・エラートン John Ellerton は、鉄道を立て直すために思いきった梃入れを図った。フェアボーンの駅舎を新設するとともに、機関車も一新しようと、ブルターニュのレゾー・ゲルレダン観光鉄道 Réseau Guerlédan Chemin de Fer Touristique の余剰機関車を調達した。この鉄道は、メーターゲージ線の廃線跡を利用して1978年に開業したのだが、資金不足で翌年あっけなく休止となり、新製間もない機関車の引取り先が求められていたのだ。軌間が1フィート1/4インチ=12インチ1/4(311mm)だったため、フェアボーンではそれに合わせる改軌工事が行われた。代わりに、働く場をなくした1フィート3インチ軌間の機関車のほとんどが、世界各地に放出された。

しかし、エラートン時代も長くは続かず、1995年にトニー・アトキンソン教授 Professor Tony Atkinson らが新たなオーナーに就任した。それ以降、機関車の信頼性を高め、線路の状態を改良するために、相当額の資金が投じられた。2011年に彼が亡くなったため、鉄道はまたも拠り所を失ったが、スタッフの削減や寄付の奨励によって、何とか今まで運行が続けられている。

線路が延びているのは、マウザッハ川 Afon Mawddach の三角江を閉ざすように延びる砂嘴の上だ。それ自体はただの砂山なのだが、先端のペンリン・ポイント Penrhyn Point からカンブリア線の名橋、バーマス鉄橋 Barmouth Bridge が正面に見える。また、そこに発着するフェリーを使って、対岸にある人気の観光地バーマス Barmouth へ渡ることもできる。単純に往復するもよし、旅に変化をつけるパーツにするもよし、愛好家はもとより、一般旅行者も十分楽しめる保存鉄道なのだ。

Blog_wales_fairbourne_map1
フェアボーン鉄道(赤で表示)と周辺の鉄道網

Blog_wales_fairbourne_map2
フェアボーン鉄道沿線の地形図
1マイル1インチ(1:63,360)地形図 116 Dolgellau 1953年版 に加筆

後の列車で来た家族と合流して、次の列車に乗り込んだ。機関車は「シェルパ Sherpa」号だ(冒頭写真の機関車)。レゾー・ゲルレダンから来た蒸気機関車の1両で、ブルーの塗装を含めてダージリン・ヒマラヤ鉄道のB形タンク機関車をモデルにしている。ただし、運転士の載るスペースからテンダーにかけては追加仕様だ。

15時40分、定刻に発車した。駅構内を抜けると、まずはビーチ・ロード Beach Road に沿う直線路を進んでいき、海岸に突き当たって右に折れる。そこが最初の停留所ビーチ・ホールト Beach Halt で、駅名が示すように、目の前に護岸堤防がある。その形から「ドラゴンの歯」と呼ばれるコンクリートの固まりの列は、第二次世界大戦中に造られた対戦車ブロックだ。

Blog_wales_fairbourne6
バーマス・フェリー駅に向けて出発
Blog_wales_fairbourne7
ビーチ・ロードに沿う直線路へ
Blog_wales_fairbourne8
(左)最初の停留所ビーチ・ホールト
(右)大戦の記憶をとどめるコンクリートブロックの列「ドラゴンの歯」(カンブリア線車窓から撮影)

短いルートながら、途中に4か所の停留所があり、列車は律儀に停まっていく。次は9ホールのゴルフ場の最寄りとなるゴルフ・ホールト Golf Halt だ。駅名標に、アングルジー島の有名な世界一長い駅名(下注)よりも長い副駅名が記されているので注目したい。 "Gorsafawddachaidraigodanheddogleddollonpenrhynareurdraethceredigion"、全部で67文字ある。ウェールズ語の意味は、「カーディガン湾の黄金の浜の上のペンリン・ロードの北の平和な地にあるマウザッハ駅とそのドラゴン」、ドラゴンとはもちろん先述のドラゴンの歯のことだ。

*注 ノース・ウェールズ・コースト線のスランヴァイルプール Llanfairpwll 駅、正式名は、"Llanfairpwllgwyngyllgogerychwyrndrobwllllantysiliogogogoch"(58文字)

Blog_wales_fairbourne9
(左)67文字の副駅名が添えられたゴルフ・ホールトの駅名標
(右)砂嘴に広がるゴルフコース
Blog_wales_fairbourne19
(参考)スランヴァイルプール駅の駅名標(2007年撮影)

続いてはループ・ホールト Loop Halt 。ループはパッシング・ループ passing loop(待避線)のことで、ここで列車交換がある。地図上ではずっと海岸線を走るように読めるが、海側は草の生えた砂の丘が終始続き、列車から大海原は見えない。逆に内陸側では、このあたりから砂嘴が細まってきて、潮の引いた三角江とそれを横断するバーマス鉄橋の眺望がどんどん開けていく。

Blog_wales_fairbourne10
(左)ループ・ホールトで列車交換 (右)右手にバーマス鉄橋が見えてくる

最後の停留所はエスチュエリー・ホールト Estuary Halt 、エスチュエリーは三角江を意味する。一般道路はここが終端となり、先に進める乗り物は列車だけだ。

カルバートの短いトンネルを抜けて右カーブし、次いで左に大きく回り込みながら、列車は停止した。終点バーマス・フェリー駅に到着だ。客が全員降りると、さっそく機関車を前後付け替える機回し作業が始まった。線路は本来バルーンループになっていて、機回しの必要がなかったのだが、現在ループの合流部は閉鎖され、飛砂に埋もれかけている。

Blog_wales_fairbourne11
(左)終点バーマス・フェリー駅に到着 (右)さっそく機回しが始まる
Blog_wales_fairbourne12
バーマス・フェリー駅全景

右手、砂浜の向こうに、長さ699mのカンブリア線バーマス鉄橋が延びる(下注)。真正面で500mほどしか離れていないので、あまりに長く、カメラもパノラマモードでなければ全貌を写し取ることは不可能だ。今は干潮なので北端の水路を残してほとんど砂に覆われているが、潮が満ちてくれば海に浮かぶ橋になるのだろう。眺めていたら、南からちょうど列車が渡ってきた。

*注 バーマス鉄橋については、本ブログ「ウェールズの鉄道を訪ねて-カンブリア線」も参照。

Blog_wales_fairbourne13
バーマス・フェリー駅から見たバーマス鉄橋のパノラマ
Blog_wales_fairbourne14
カンブリア線の列車が渡ってくる
Blog_wales_fairbourne15
バーマス鉄橋側から見た、フェアボーン鉄道が走る砂嘴とバーマス・フェリー駅舎(中央の建物、満潮時に撮影)

対岸との間を結ぶバーマス・フェリーが、目の前の浜辺でこちらへ渡ってきた客を降ろしている。フェリーと言っても、クルマを積込むような船を想像してはいけない。実態はふつうのモーターボートを使った渡し舟だ。潮位が高いときは、町の護岸の下まで行ってくれるのだが、干潮の今は、突堤の海側の砂浜が船着き場になっている。ボートは砂に乗り上げるようにして止まり、鉤のような道具を舟先に引っ掛けて踏み板が渡される。客は、船頭氏に手を添えてもらって乗り降りする。チップほどの運賃を渡して、私たちもボートに乗り込んだ。

天気予報が言っていたとおり、昼過ぎから薄雲が出始め、3時ごろには日差しも途切れて、空全体が雲に覆われた。その分、海風が涼しい。乗船時間はものの数分だが、到着した地点から町まで、砂の上を延々歩かなくてはならなかった。

Blog_wales_fairbourne16
バーマス・フェリー(渡し舟)で対岸へ

バーマスの町はよく賑わっていた。山と海と三角江に臨むシチュエーションは、かのワーズワースも賞賛したと言われ、今もなおカーディガン湾屈指のレジャースポットだ。行列ができていた店で買ってきたフィッシュ・アンド・チップスを、川沿いのテラスでほおばる。

Blog_wales_fairbourne17
こじゃれた雰囲気をもつバーマス市街

家内たちがささやかなショッピングを楽しんでいる間、私は町はずれの高みまで行って、バーマス鉄橋の再俯瞰を試みた。列車はさきほど通ったばかりなので、主なき構図になってしまうのは承知の上だ。夕方というのに、鉄橋に併設されているフットパスを、人がけっこうぞろぞろと歩いている。

18時のプスヘリ Pwllheli 行きで帰るべく、カンブリア線のバーマス駅まで移動した。山側にある本来の駅舎はすでに閉まっていて、海側のホームへ廻れと案内が出ている。列車交換がないので、夕方以降は片側のホームを使用していないようだ。レジャー帰りのにぎやかな人たちに混じって、私たちも鉄橋のほうからやって来た気動車の客になった。

Blog_wales_cambria11
マウザッハ川の三角江を横断するバーマス鉄橋
「ウェールズの鉄道を訪ねて-カンブリア線」に使用した写真を再掲
Blog_wales_fairbourne18
カンブリア線バーマス駅、駅舎はすでに閉まっていた

次回はさらに南下して、アベリストウィスの鋼索軌道(ケーブルカー)に乗る。

■参考サイト
フェアボーン鉄道 http://www.fairbournerailway.com/
バーマス観光案内(公式サイト)http://barmouth-wales.co.uk/

本稿は、「ウェールズ海岸-地図と鉄道の旅」『等高線s』No.13、コンターサークルs、2016に加筆し、写真、地図を追加したものである。

★本ブログ内の関連記事
 ウェールズの鉄道を訪ねて-カンブリア線
 ウェールズの鉄道を訪ねて-フェスティニオグ鉄道 I
 ウェールズの鉄道を訪ねて-フェスティニオグ鉄道 II
 ウェールズの鉄道を訪ねて-タリスリン鉄道

2017年1月28日 (土)

ウェールズの鉄道を訪ねて-タリスリン鉄道

タウィン・ワーフ Tywyn Wharf ~ナント・グウェルノル Nant Gwernol 間 11.67km
軌間 2フィート3インチ(686mm)
開業 1866年、保存鉄道化 1951年

Blog_wales_talyllyn1
タウィン・ワーフ駅の機回し風景

ポースマドッグ Porthmadog から、7時47分発のカンブリア線気動車に乗り込んだ。車内は見事にすいていたので、海側に座って、カーディガン湾の開放的な景色を思う存分眺めることができた。今朝もすっきりと晴れ渡り、空気はひんやりしている。酷暑の国から来た身にはまるで別世界だ。当地で快晴が3日も続くのは珍しく、テレビの天気予報も、さすがに午後からは雲が出てくると言っていた。

タウィン Tywyn で下車する。きょうの前半は、タリスリン鉄道 Talyllyn Railway(下注)を往復するつもりだ。小型蒸機が活躍する保存鉄道で、海岸の避暑地タウィンから、東の山中のナント・グウェルノル Nant Gwernol に至る12km弱を走っている。軌間は2フィート3インチ(686mm)と、フェスティニオグほどではないにしろ、かなり狭い。

*注 Talyllyn は Tal-y-llyn とも書かれ、終点が属する教区の名だ(山間の美しいタリスリン湖にあやかったとも言われる)。タラスリン、タル・ア・スリンと表記すべきところだが、慣用に従いタリスリンとした。

Blog_wales_talyllyn_map1
タリスリン鉄道(赤で表示)と周辺の鉄道網

Blog_wales_talyllyn_map2
タリスリン鉄道沿線の地形図
1マイル1インチ(1:63,360)地形図 127 Aberystwyth 1960年版 に加筆

始発駅タウィン・ワーフ Tywyn Wharf は、カンブリア線のタウィン駅から少し距離がある。駅前の道を右へとり、線路に沿って300mほど歩くと、次の交差点の傍らに小ぶりの駅舎が建っている。屋根はスレート葺き、壁は煉瓦積みの伝統的な外見だが、実は2005年の再開発事業による新築だ。平屋部分が事務所、切符売り場、売店等で、隣の2階建部分は鉄道博物館になっている。

Blog_wales_talyllyn2
(左)カンブリア線でタウィン駅下車 (右)タウィンの小さな市街地
Blog_wales_talyllyn3
タウィン・ワーフの駅舎は2005年に改築された
Blog_wales_talyllyn4
タウィン・ワーフ駅
(左)ささやかな始発駅の構内
(右)標準軌線に並行する側線はスレート貨物を積替えていた跡

さっそく乗車券を買った。特に言わなければ、寄付金つき一日券 Donation Day Rover の運賃になるようだ。その代わり、乗車券と一緒に渡される運賃15%分のバウチャーが、売店やカフェでの支払いに使える。私はウェールズ・パスを見せたので、運賃自体が20%オフになった。

Blog_wales_talyllyn5
往復乗車券

ホームに出ると、短いながらもポースマドッグのハーバー駅を思わせる明るい庇屋根とフラワーバスケットの列が迎えてくれる。すでにコンパートメント形の客車がホームにつけられていた。扉が片側にしかないが、これには深い訳がある。

150年前、鉄道の建設工事の最終盤のことだ。商務省検査官による完了検査の結果を聞いた鉄道会社の役員は青ざめた。跨線橋の内寸が車両限界より小さいため、跨線橋の下で列車が立ち往生したときに、乗客が車両から脱出できない、として改善命令が出たからだ。従わなければ運行が開始できない。とはいえ、いまさら車両も跨線橋も造り直すわけにはいかない。そこで、会社は苦肉の策をひねり出した。跨線橋の下の線路位置を右にずらして左側に規定の空間を確保し、そのうえで車両は右扉を閉鎖して、左扉のみ使用するという妥協案だ。これでかろうじて検査に合格し、鉄道は開通を果たした。片側扉はその名残なのだという。

Blog_wales_talyllyn6
(左)客車は片扉 (右)貫通路はなく、ボックスごとに扉がある

始発列車の出発は10時30分で、まだ1時間近くある。隣の鉄道博物館を覗くと、小型機関車にスレート貨車、硬券乗車券その他の小物と、狭軌鉄道のコレクションが充実している。しばらく見学しているうちに、時間はたちまち過ぎていった。

Blog_wales_talyllyn7
鉄道博物館の展示品

タリスリン鉄道もまた、スレート運搬のために開設された鉄道だ。この地域では、1840年代からタウィン(下注)の北東7マイル(11km)のブリン・エグルイス Bryn Eglwys で、本格的な採掘が営まれていた。しかし、そのスレートは駄馬で南の山を越え、ペンナル Pennal から川舟でダヴィー川を下り、河口で貨物船に積み替えるという非常に手間のかかるルートで輸送されていた。そのため、さらなる増産は困難だった。

*注 タウィン Tywyn は、1975年まで Towyn と綴った。

1864年にイングランド北西部の工場主の一人ウィリアム・マッコーネル William McConnel が、商売の多角化のために採掘場の経営に乗り出した。彼は、輸送路を確立しようと、当時標準軌の鉄道が来ていたタウィンまで、軽便鉄道の敷設を計画した。採用された2フィート3インチ(686mm)という軌間は今では珍しいが、当時、近隣のコリス鉄道 Corris Railway ですでに使われていた規格だ。目的地のブリン・エグルイスは標高250mの山中にある。それで鉄道は、2か所のインクライン(斜行鉄道)を連ねて、必要な高度を稼いだ。

*注 コリス鉄道は、マハンレス Machynlleth(標準軌線開通以前はさらに下流のデルウェンラス Derwenlas)からコリス Corris やアベルスレヴェンニ Aberllefenni のスレート鉱山へ延びていた軽便鉄道。1859年開通。現在は、山中のコリスに1.2kmの短い保存鉄道が復元されている。

鉄道は1866年に完成し、同じ年に労働者や一般旅客の輸送も始まった。スレート生産がピークを過ぎると、近所のタリスリン湖やカデア・イドリス(カダイル・イドリス)山 Cadair Idris と組み合わせたグランド・ツアーを企画して、旅行客の掘り起こしにも努めた。

1910年にマッコーネルが手を引いた後は、地元の地主で下院議員だったハイドン・ジョーンズ Haydn Jones が採掘場と鉄道を引き継いだ。第一次世界大戦が終結すると、旅行者は再び増加に転じた。客車不足を補うために、スレート貨車に板張りの座席をしつらえて急場をしのいだことさえあった。観光輸送は運営費用の足しになったが、しかし十分な利益をもたらすほどではなかったようだ。

鉄道の経営を支えていたのは依然、スレート貨物だった。しかし、第二次大戦後の1946年に大規模な崩壊が起きて、採掘場は閉鎖のやむなきに至る。ハイドン・ジョーンズは、自分が生きている間は列車を動かすと公言していたので、鉄道は週2日に限って、細々と走り続けた。だが、1950年に彼が亡くなると、運行休止の懸念が現実のものとなった。

今から思えば、鉄道を救うための社会活動は、彼の死をきっかけにして動き出したのだ。バーミンガムの新聞社の協力で、考えを同じくする人々が集い、準備作業が始まった。鉄道会社の株式は持ち株会社に移し、運営は保存協会が担うことにして、早くも1951年のシーズンには、保存鉄道としてのスタートが切られた。

ハイドン・ジョーンズの最晩年に稼働していた機関車は、2号機ドルゴッホ Dolgoch だけだった(下注)。そこで、先ごろ休止となったコリス鉄道から2両の機関車が購入され、3号サー・ハイドン Sir Haydn、4号エドワード・トーマス Edward Thomas と命名された。小さな鉄道は1957年にBBCの番組で紹介されたことで人気が高まり、運営が軌道に乗ったと言われている。

*注 1号機タリスリンは、戦時中酷使されたために故障し、修理待ちの状態だった。

Blog_wales_talyllyn8
2号機関車ドルゴッホ

今年(2016年)の運行期間は、3月中旬から10月末と、冬季の一部の日だ。ピークシーズンには1日6便が運行されている。所要時間は往路が55分、復路が82~87分だ。復路のほうが長くかかるのは、途中のアベルガノルウィン Abergynolwyn で休憩タイム refreshment break があるためだ(下注)。

*注 最終便は往路に休憩タイムが設定されており、所要時間は逆転する。

博物館の中では、ほとんど一人だった。ところが、出発15分前にホームに戻ると、すでに客車のどの区画にも客の姿がある。私も、母と娘とおぼしき3人連れがいる区画に入れてもらったが、発車直前に、途中の信号所へ赴くという老スタッフ氏も乗り込んできた。向い合せのシートは一応片側3人掛けではあるものの、大人5人が入ると少々窮屈だ。スタッフ氏は「狭くて悪いね」と恐縮していたが、繁盛しているのだから結構なことだ。

Blog_wales_talyllyn9
フラワーバスケットで飾られた始発駅のホーム

前につく機関車はそのドルゴッホ。1866年製で、ずっとこの鉄道を仕事場にしてきた最古参機だ。列車は、出発するといきなり掘割の中を行く。タウィンの町は背後の山から続く微高地に載っていて、線路はこれを切り通して造られているからだ。

一駅目のペンドレ Pendre は、機関庫、車庫、整備工場が置かれて、鉄道の管理拠点になっている。それからしばらく、広々とした牧場の中を進んでいく。明るい光が一面に降り注ぎ、羊たちが無心に青草を食むのどかな景色に心が和む。リダローネン Rhydyronen という野中の小さな駅にも、列車を待つ人の姿があった。無人の待合室のように見えた建物は、驚いたことに切符売り場兼売店で、人が配置されているらしい。

Blog_wales_talyllyn10
(左)機関庫のあるペンドレ駅 (右)タウィンの町を抜けるとのどかな牧野が広がる
Blog_wales_talyllyn11
(左)リダローネン駅では降車客あり (右)ナナカマドの木が見送ってくれる(帰路撮影)

次のブリングラス Brynglas には待避線があり、帰りはここで列車交換が行われた。閉塞は通票方式で、信号扱所に詰めている係員がポイントを操作し、手旗で閉塞区間への進入を許可している。商業鉄道ではとうに失われた暖かな手作り感が、ここではボランティアの手で連綿と維持されているということが、だんだんとわかってきた。

やがて左手の車窓にも、巨大なコッペパンのような山塊が見え始める。線路は緩やかな上り勾配で、浅いU字の谷に入っていく。機関車のドラフト音がせわしくなり、長く鋭い汽笛がときおり山にこだまする。林の中に、ナント・ドルゴッホ Nant Dol-goch の谷川を渡る高さ16mの高架橋がある。渡り終えると、左カーブしながらドルゴッホ駅に停車した。けっこう降りる人たちがいるのは、谷川にある3つの滝を見ながらハイキングを楽しむつもりだろう。機関車もここで給水を受けた。

Blog_wales_talyllyn12
ドルゴッホ西方。緩やかな上り勾配が始まる
Blog_wales_talyllyn13
(左)ナント・ドルゴッホの谷川を渡る (右)ドルゴッホ駅の発車風景(帰路撮影)

クォーリー・サイディング・ホールト Quarry Siding Halt では、帰りに列車交換をしたが、やってきたのはお面をつけた「ダンカン Duncan」だった。1918年製、動輪2軸の6号機で、ダグラス Douglas が本名なのだが、ずっと絵本「きかんしゃトーマス」の登場人物の扮装で走っている。トーマスの作者ウィルバート・オードリー牧師 Rev. Wilbert Awdry はタリスリン鉄道の保存協会の会員で、1952年からしばしば家族で現地を訪れて、ボランティアとして働いた。トーマスシリーズに登場する狭軌のスカーロイ鉄道 Skarloey Railway とその機関車は、タリスリン鉄道のそれをモデルにしているのだそうだ。

Blog_wales_talyllyn14
(左)クォーリー・サイディング・ホールトで列車交換
(右)対向相手はダンカン(いずれも帰路撮影)

次は、アベルガノルウィンだ。森に囲まれ、近くに人家はなく、石切工とその家族が住んでいた同名の村へは1kmほど坂を下りていかなければならない。それにもかかわらず、長いホームと側線と、切符売り場、売店、カフェを収容した立派な駅舎がある。旅客列車は、鉱山軌道の時代からずっとここが終点で、拠点駅の雰囲気があるのはそのためだ。この先の貨物線だった線路をナント・グウェルノルまで旅客用として復活させる計画は、1968年に着工され、1976年にようやく完成した。

Blog_wales_talyllyn15
アベルガノルウィンの村を遠望

アベルガノルウィンで降りた人はほとんどおらず、皆、終点まで行くようだ。傍らの谷が下りに転じる一方で、線路はなおも上り続ける。村へ直降していたインクラインの跡には、錆びた線路とワイヤを巻き取るドラムが残されていた。列車のスピードが落ち、崖際を回り込んでいくと終点だった。

Blog_wales_talyllyn16
(左)村へ降りていたインクラインの跡
(右)アストウィスト・インクラインの図(タウィン・ワーフ駅前の案内板を撮影)

ナント・グウェルノルは、狭い岩棚の上にホームに面する本線と機回し線があるのみの、簡素な駅だ。先に延びていたアストウィスト・インクライン Alltwyllt Incline は撤去済みのため、鉄路としては完全に行止りになっている。機関車は切り離され、隣の機回し線をバックしていって、反対側に付け直された。列車は10分間停車の後、折返していく。ホームには、小屋が建つほかには土産物屋一つないので、乗客もとんぼ返りするのかと思ったら、そうでもない。多くの人はホームに立ち、戻る列車を見送っていた。周辺には遊歩道が整備されているので、ゆっくりと散策に出かけるのだろう。

Blog_wales_talyllyn17
(左)ナント・グウェルノル駅に到着 (右)10分で機回しして折り返す

帰りの列車は、さっきのアベルガノルウィンで30分ほど停車する。小さな客車に1時間以上揺られてきたので、体を伸ばすのにちょうどいい。機関士や車掌らスタッフも同様らしく、駅舎の端のテーブルに用意されたコーヒーとサンドイッチを囲んで、談笑している。時計を見たら、もうすぐ12時だ。私も、もらったバウチャーを使って何か食べ物を仕入れに行くとしよう。

Blog_wales_talyllyn18
アベルガノルウィン駅に到着
Blog_wales_talyllyn19
アベルガノルウィン駅 (左)復路に30分の休憩タイムがある (右)出札窓口

次回は、マウザッハ河口のフェアボーン鉄道に乗る。

■参考サイト
タリスリン鉄道 http://www.talyllyn.co.uk/

本稿は、「ウェールズ海岸-地図と鉄道の旅」『等高線s』No.13、コンターサークルs、2016に加筆し、写真、地図を追加したものである。記述に際して、"Talyllyn Railway Guide Book" Talyllyn Railway Company, 2016 および参考サイトに挙げたウェブサイトを参照した。

★本ブログ内の関連記事
 ウェールズの鉄道を訪ねて-カンブリア線
 ウェールズの鉄道を訪ねて-フェスティニオグ鉄道 I
 ウェールズの鉄道を訪ねて-フェスティニオグ鉄道 II
 ウェールズの鉄道を訪ねて-フェアボーン鉄道
 ウェールズの鉄道を訪ねて-ヴェイル・オブ・レイドル鉄道

2017年1月21日 (土)

ウェールズの鉄道を訪ねて-グレート・オーム軌道

下部区間:ヴィクトリア Victoria ~ハーフウェー Halfway 間 800m、開業 1902年
上部区間:ハーフウェー~サミット Summit 間 750m、開業 1903年
軌間 3フィート6インチ(1,067mm)

Blog_wales_greatorme1
グレート・オーム軌道の古典トラムが急坂を行く

アイリッシュ海に臨むスランディドノ Llandudno は人気のある海岸保養地だ。白い瀟洒な建物が建ち並ぶプロムナード Promenade(海岸遊歩道)は、休暇を過ごす多くの人で賑わう。その町の西側を、灰色の高い崖が限っている。草地の間にドロマイト(苦灰岩)が層状に露出して、まるでミルフィーユのような容貌のこの崖は、グレート・オーム Great Orme と呼ばれる台地の側面だ(下注)。

*注 ちなみに、グレート・オームに対するリトル・オーム Little Orme が、スランディドノ市街の東側にある。これらの岬は、船乗りたちにとって格好の目印だった。

Blog_wales_greatorme2
スランディドノの市街地の背後を、ミルフィーユのようなグレート・オームの崖が限る

東西3.5km、南北2km、標高207mのグレート・オームは、地形的に見ると、スランディドノの市街地が載る砂州によって陸地とつながれた島(=陸繫島)だ。海に突き出して、眺めがいいので、昔からスランディドノの滞在客に手近な気晴らしの場を提供してきた。これから乗るグレート・オーム軌道 Great Orme Tramway も、そこへ上る足として親しまれているケーブルトラム(トラム車両のケーブルカー)だ。

軌道は下部区間と上部区間に分かれている。それぞれ独立して運転され、乗客は両区間が接続するハーフウェー駅 Halfway Station で車両を乗換える。開業したのは、下部区間が1902年、上部区間が1年遅れて1903年のことだ。1932年に下部区間で車両がケーブルから外れて脱線する事故を起こし、2年間運休となった以外は、2度の大戦中も含めて110年以上走り続けてきた。その間に運行権は、1949年に民間会社からスランディドノ市に移り、その後の自治体再編によって、現在はコンウィ特別市 Conwy County Borough が運営主体となっている。

Blog_wales_greatorme_map1
グレート・オーム軌道(赤で表示)と周辺の鉄道網

Blog_wales_greatorme_map2
グレート・オーム周辺の地形図
1:25,000地形図 SH78, SH88 いずれも1956年版 に加筆。高度はフィート単位。

乗り場のヴィクトリア駅 Victoria Station は、町を南北に貫くグローザイス通り Gloddaeth Street から300mほど山手へ上った、台地の麓にある。駅名は、この敷地にかつて建っていたヴィクトリアというホテルが由来だという。主要道路から引っ込んでいて場所がわかりにくそうに思ったが、心配は無用だった。青い大きな看板のかかる乗り場の前の歩道に、すでに次のブロックまで達する長い行列ができていたからだ。

案内板によると、4~9月は始発10時、最終便が18時で、通常20分毎、繁忙時は10分毎に運行されている(下注)。真っ青な空が広がった今日は、もちろん10分間隔でフル稼働していたが、定員48名の小さな車両なので、並んでいる間も列は解消するどころか、次々と加わる人で長くなる一方だった。

*注 3月と10月は10~17時の運行で、冬場は全面運休となる。

Blog_wales_greatorme3
ヴィクトリア駅の前には長蛇の列が

車両が発着する様子を眺めながら1時間近く待って、ようやく大屋根の下の切符売り場までたどり着いた。ここまで来れば、あと1~2便で乗れる。たまたま前の便が私たちの直前で満席になったので、次に来た車両には先頭で乗込めた。できるならこの手の乗り物は、上るにつれて眼下の景色が開けていく最後尾の席を取りたい。

車両は開業時からいるオープンデッキ付き側窓なしのボギー車で、コバルトブルーの外壁に、クリーム色でクラシックな装飾や文字が描かれている。車内は通路の両側に、2人掛けの狭い木製ベンチが向かい合わせに並ぶ。乗り込んだ客が全員着席すると、すぐに発車した。

Blog_wales_greatorme4
開業時からの古典車両
(左)オープンデッキ付き側窓なし (右)2人掛けの木製ベンチが並ぶ

ヴィクトリアからハーフウェー Halfway までの下部区間は、長さが800m、最急勾配1:3.7(270‰)で、標高差123mを6分で上りきる。大部分が道路との併用軌道で、車両を引き上げるケーブルは、路面に埋められたZレールの溝の中に敷かれている。そのため、地表では車輪が走行する2本のレールと、その間にZレールの平たい頂部が見えるばかりだ。教えられなければ、ケーブルカーとは気づかないだろう。

見かけは有名なサンフランシスコ市内のケーブルカーに似ているが、あちらは、動いているケーブルを車両側の専用装置で掴むことにより移動する循環式だ。対して、こちらは車両がケーブルに固定され、ケーブルとともに移動する。普通のケーブルカーと同じ交走式と呼ばれる仕組みだが、併用軌道で残存しているのはイギリス唯一で、世界でも貴重な存在だそうだ(下注)。

*注 同じ方式がポルトガルのリスボン市内で3路線稼働している。

Blog_wales_greatorme5
駆動システム図解。動力装置はハーフウェー駅で集中管理されているため、左の下部区間と右の上部区間で方式が異なる

線路は、駅を出るとすぐにオールド・ロード Old Road と呼ばれる家並に囲まれた坂道に入り、そのまま急勾配で上っていく。歩く人でさえ、車両が通るときは石積みの側壁に身を寄せてやり過ごさなければならないほどの狭い道だ。クルマとの対向はとうてい不可能なので、運行時間帯は沿線の住宅への出入りを除いて、車両通行が禁止されている。

Blog_wales_greatorme6
下部区間は4号車と5号車が担当。最初は狭いオールド・ロードを行く
Blog_wales_greatorme7
上るにつれ、スランディドノのプロムナード(海岸遊歩道)が見えてくる

高度が上がるにつれて、弓なりになったプロムナードと波打ち寄せる海岸線が視界に入ってくる。くねくねと曲がったあと、ようやく2車線のティー・グウィンロード Tŷ Gwyn Road(Tŷ Gwyn は白い家の意)に躍り出た。ここでは道路の中央ではなく進行方向右端を走るので、最初に車道を横切らなければならない。その間、警報機が鳴り、道路側の赤信号が灯って、クルマの通行は遮断される。

帰りはここを歩いて降りたのだが、警報機が鳴り出すより前に、地面からガラガラと賑やかな音が響き始めた。ケーブルが溝の中で移動し、滑車が回転する音だ。そしてしばらくしてから車両が現れる。ドライバーはともかく歩行者にとっては、この音が車両の接近を知らせる一番の合図になった。

Blog_wales_greatorme8
ティー・グウィンロードに出る。警報機が鳴り、クルマは停止

まもなく下部区間の中間地点だ。線路が複線に分かれ、降りてきた車両とゆっくりすれ違う。交換所の先は、線路が一種のガントレット(単複線)になるのがおもしろい。走行レールのうち内側2本は近接し、かつ位置が逆転(左車線のレールが右側にある)しており、フランジが通る溝は左右車線で共用になっている。

Blog_wales_greatorme9
道路わきの列車交換所を通過
Blog_wales_greatorme10
(左)交換所より下は単線 (右)交換所より上はガントレットに
Blog_wales_greatorme11
スランディドノ湾が大きく広がる。湾の先の断崖がある山がリトル・オーム

道路とともに右へ大きく曲がると、勾配は輪をかけて急になった。道端の建物が坂上側へ傾いて見える。トラムが涼しい顔で上る隣を、クルマがローギアでエンジンを唸らせながらやっとのことで追い抜いていく。そんなに気張らなくても、と思わず同情したくなる。後ろに開けていたスランディドノ湾の眺望は、いつしか山かげに隠れた。

Blog_wales_greatorme12
カーブを曲がると目に見えて急勾配に。左写真は坂上から、右写真は坂下から撮影

今度は左へカーブする。公園のゲートがあり、並行道路が線路から離れていった。まもなく、ケーブルカーも、ハーフウェー駅の切妻屋根の下へ半分吸い込まれ、そこで停車した。ハーフウェーは文字どおり道の中途なので、山頂へ行く乗客はここで上部区間の車両に乗り換えなくてはいけない。

駅舎は2001年の改築で、見かけはまだ新しい。半円の屋内通路の壁には、軌道の歴史や構造を説明したパネルがかかり、ガラス張りの内壁からケーブルを巻き上げたドラムも間近に見える。それはそれで興味深いのだが、接続する便に乗りたければ、残念ながらじっくり見ている時間はない。

Blog_wales_greatorme13
(左)ハーフウェー駅到着 (右)停車位置の先にある車両検査ピット
Blog_wales_greatorme14
(左)ガラス越しにケーブルの巻上げ機が見える (右)隣接する上部区間の発着場

ハーフウェーからサミット Summit までの上部区間は、750mの長さがある。最急勾配1:9.3(107.5‰)で、標高差44mを4分半で上ってしまう。すでに台地の上に出ているので、勾配は比較的緩く、速度も若干速めだ。下部区間とは違って終始単線(交換所を除く)の専用軌道で、ケーブルも露出している。

Blog_wales_greatorme15
上部区間 (左)ハーフウェー駅を発車 (右)終始専用区間のため、ケーブルが露出

駅を出ると、聖ティドノ教会(下注1)へ降りる道路と交差した後、ヒースが淡い彩りを添える緑の草原をそろそろと上っていく。海側を小さな空中ゴンドラが行き来しているのが見える。スランディドノ・ケーブルカー Llandudno Cable Car という名称のため紛らわしいが、グレート・オームへ上るもう一つの公共交通機関だ(下注2)。後で乗ろうとしたのだが、乗り場に山麓で見たのと同じような長蛇の列ができていたので諦めた。

*注1 ちなみに、聖ティドノ St. Tudno はスランディドノの守護聖人で、町の名の由来でもある。
*注2 公共交通機関としては、スランディドノの市内循環バス(26系統)も山頂まで1時間毎に走っている(日祝日を除く)。

Blog_wales_greatorme16
上部区間の列車交換所で6号車と7号車が交換。背後は空中ゴンドラ
Blog_wales_greatorme17
交換所のあとは少し急な勾配で山頂までひと上り

中間地点を過ぎると、交換した下り車両が、日差し降り注ぐのどかな景色の中を遠ざかっていく。線路には柵がないので、群れからはぐれた羊や牛が入り込むこともままあるそうだ。線路は左右にカーブを切りながら、短い切通しで起伏を乗り越えた。今度は左手に青いコンウィ湾が見えてきて、乗客の視線がそちらに注がれる、と思う間に早くも終点だった。

Blog_wales_greatorme18
(左)左手にコンウィ湾が開ける (右)サミット駅に到着

標高198mのサミット駅は、呼び名にたがわず山頂直下にある。右手の小道を少したどれば、ビジターセンターやショップ、レストランのある山頂の休憩施設だ。しかし、天気のいい日は何よりもまず、遮るもののない陸と海の眺望を楽しみたい。

南側は弧をなすコンウィ湾の後ろになだらかなスノードニアの山並みが続き、西はアングルシーの島影が長く尾を引く。北は、羊が放たれた山上牧場の向こうに、アイリッシュ海の大海原が目の届く限り広がり、そのまま明るい空に溶け込んでいる。こんな気晴らしの場所がすぐ近くにあるスランディドノの滞在客は幸せだと、心から思った。

Blog_wales_greatorme19
山頂から、コンウィ湾とスノードニアの山々を遠望
Blog_wales_greatorme20
(左)山上の台地はのびやかな放牧地 (右)カモメの楽園でもある

次回は南に転じて、鉱山軌道だったタリスリン鉄道に乗る。

本稿は、Keith Turner "The Great Orme Tramway - Over a Century of Service" Gwasg Carreg Gwalch, 2002および参考サイトに挙げたウェブサイトを参照して記述した。

■参考サイト
グレート・オーム軌道(公式サイト) http://www.greatormetramway.co.uk/

★本ブログ内の関連記事
 ウェールズの鉄道を訪ねて-コンウィ・ヴァレー線
 スノードン登山鉄道 I-歴史
 スノードン登山鉄道 II-クログウィン乗車記
 ウェールズの鉄道を訪ねて-アベリストウィス・クリフ鉄道

 マン島の鉄道を訪ねて-スネーフェル登山鉄道

2017年1月14日 (土)

ウェールズの鉄道を訪ねて-コンウィ・ヴァレー線

スランディドノ Llandudno ~スランディドノ・ジャンクション Llandudno Junction ~ブライナイ・フェスティニオグ Blaenau Ffestiniog 間 49.6km
軌間 4フィート8インチ半(1,435mm)、開業 1858~79年

Blog_wales_conwy1
保養地スランディドノを遠望

今日も晴れるというので、ウェールズ北海岸にある有名な保養地スランディドノ Llandudno へ行くことにした。グレート・オームという岬に上がるケーブルトラムに乗り、それから世界遺産のコンウィ城へ回るという行程だ。ポースマドッグからスランディドノへは、ブライナイ・フェスティニオグ経由で山を越えていくのが速い。

7時55分、私たちはポースマドッグの公園前にあるバス停から、1B系統の路線バスに乗った。例のフェスティニオグ鉄道 Ffestiniog Railway は早朝には動いていないし、なにより鉄道で70分かかるこの区間を、バスならわずか30分で走り切ってしまう。移動手段として見た場合、後者の選択になるのはやむをえない。バスはドゥアリド川 Afon Dwyryd に沿って進み、谷底からいきなりスラン・フェスティニオグ Llan Ffestiniog(フェスティニオグ本村)のある山の中腹へ攀じ登り始める。鉄道とはまったく別のルートをたどるので、興味の尽きることがない。

ブライナイ・フェスティニオグ駅の構内は、がらんとしていた。最も山側の標準軌ホームに、連接気動車がぽつんと停まっている。この路線の旅客輸送を担うのは、カンブリア線と同じアリーヴァ・トレインズ・ウェールズ Arriva Trains Wales で、車両も同形だ。この便の接続時間は12分と、十分余裕がある。バスからの乗継ぎ客が車内に収まると、人影の消えたホームにアイドリングの音だけが響いた。

Blog_wales_conwy2
朝のブライナイ・フェスティニオグ駅で発車を待つ

Blog_wales_conwy_map1
コンウィ・ヴァレー線(赤で表示)と周辺の鉄道網

ここブライナイ・フェスティニオグからスランディドノに通じる路線は、コンウィ・ヴァレー線(コンウィ渓谷線)Conwy Valley Line と呼ばれている。スランディドノ・ジャンクション Llandudno Junction を起点に、ノース・ウェールズ・コースト線(ウェールズ北岸線)North Wales Coast Line から南と北に分岐する本来別の2本の路線を、統一名称で売り出しているのだ。呼称だけではなく運用上も、ブライナイ・フェスティニオグ発着の列車は一部を除き、スランディドノへ直通する。

歴史をたどると、海側の方が登場が早く、避暑客の利用を見込んで1858年に、スランディドノ・ジャンクション~スランディドノ5.1kmが開通している。

一方、コンウィ川の谷を遡る山側区間は、1863年に、コンウェー・アンド・スランルースト鉄道 Conway and Llanrwst Railway(Conway はコンウィの英語における旧綴り)の手で、ノース・スランルースト North Llanrwst まで建設されたのが最初だ。これがロンドン・アンド・ノースウェスタン鉄道 London and North Western Railway に引き継がれ、1868年にベトゥス・ア・コイド Betws-y-Coed、1879年にようやくブライナイ・フェスティニオグの仮駅に通じた。その後、1881年に新設された本駅まで延伸され、ようやく44.5kmの全線が完成した(下注)。

*注 仮駅は、トンネルの出口近くに造られた。1881年の本駅(国有化後はブライナイ・フェスティニオグ北駅 Blaenau Ffestiniog North と称した)も現在の位置ではない。

最後の開通区間には、モイル・ダルノギズ Moel Dyrnogydd の下を貫く長さ3,520mのフェスティニオグトンネル Ffestiniog Tunnel がある。わざわざイギリスでも有数の長大トンネルを掘ってまで線路を延ばそうとしたのは、それまでフェスティニオグ鉄道が独占していたスレート輸送に参入するのが目的だった(下注)。そのために鉄道会社は、スランディドノの手前の、コンウィ川河口デガヌイ Deganwy に専用の積出し港も整備した。

*注 ブライナイ・フェスティニオグでの路線網と駅の変遷については、前回「ウェールズの鉄道を訪ねて-フェスティニオグ鉄道 II」参照。

しかしその後、採鉱事業の斜陽化が進んで貨物輸送は廃止されてしまい、今はアリーヴァの気動車が旅客輸送だけを続けている。海側区間は、マンチェスター Manchester 方面からの直通列車を含め、1時間に1~2本と比較的高頻度で運行されているが、山側区間では平日・土曜に一日6往復、日曜は3往復(冬季は運休)が走るのみだ。

Blog_wales_conwy3
スレドル川の谷から見るモイル・シャボード Moel Siabod

始発駅の車内でも1列おきに座席が埋まっていて、ローカル線とはいえ、この時間帯はそれなりの需要があるのが見て取れる。8時35分定刻に走り出すと、列車は、うず高く積まれたスレート屑の山をすり抜け、フェスティニオグトンネルに突入した。長い闇の中から解放された後は、スレドル川の谷 Dyffryn Lledr に沿って下っていく。眺めはおおむね進行方向左側の車窓に開け、濃淡の緑をまとう山麓の上に、岩がちのどっしりした山塊が朝日を浴びている。途中に小駅がいくつかあるのだが、リクエストストップのためすべて通過した。

谷が狭まったところで、川を斜めに横切っていく。石造アーチのゲシン高架橋 Pont Gethin を渡るのだが、列車に乗っていたのでは気づかない。帰りは路線バスを使ったので、思いがけなくも、城壁のような重厚な石積みをカメラで捉えることができた。

まもなく、ベトゥス・ア・コイド Betws-y-coed だ。渓流が岩をはむ佳景で知られた小村で、以前車で通ったことがある。駅の裏にはコンウィ・ヴァレー鉄道博物館 Conwy Valley Railway Museum があって、15インチ(381mm)軌間のミニチュア鉄道も運行されている(下注)。一度ゆっくり訪ねてみたいものだ。

*注 同館サイトによれば、ミニチュア鉄道は2015年12月に洪水の被害を受け、運行休止中。

Blog_wales_conwy4
(左)石造アーチのゲシン高架橋(帰りの路線バスから撮影)
(右)ベトゥス・ア・コイド駅裏の鉄道博物館

この後は山がしだいに遠のき、牧場や畑を森が縁取る穏やかな風景が車窓を支配するようになる。コンウィ川 Afon Conwy と名を改めた流れを渡ると、スランルースト Llanrwst に停車した。かつて羊毛交易で栄えたコンウィ谷の中心地だ。左側に見える川もその幅を広げていき、やがて川と海の境があいまいな三角江の様相を呈し始めた。小さな干潟で水鳥の群れが羽を休めている。線路が川岸から離れる直前、遠方にコンウィの鉄橋と古城がその姿を現した。

Blog_wales_conwy5
スランルーストから下流は川幅が広がる
Blog_wales_conwy6
川と海の境があいまいな三角江に
Blog_wales_conwy7
三角江の先にコンウィの鉄橋と古城が見えた

コンウィの町は、スランディドノからの帰り途に立ち寄った。町の東側に、13世紀後半、イングランド王エドワード1世がウェールズ征服に際して築いた古城、コンウィ城 Conwy Castle があり、世界遺産にも登録され、観光名所になっている。それとともに鉄道ファンには、傍らに架かるコンウィ鉄橋 Conwy Railway Bridge も見逃せない。ロバート・スティーヴンソン Robert Stephenson が設計し、1848年に竣工、翌49年に開通した橋だ。クルー Crewe ~ホリーヘッド Holyhead 間の幹線鉄道ノース・ウェールズ・コースト線 North Wales Coast Line が通っている。

Blog_wales_conwy8
コンウィ城
(左)コンウィ川を渡るA547号線から城を見る(2階建バスから撮影) (右)塔が立ち並ぶ城内

鉄橋はチューブラーブリッジ(管状橋)といわれる構造で、スパンを長くとるために橋桁を鋳鉄製の四角い箱にし、その中に線路を通している。両岸には城の一部かと見紛う立派な橋楼(バービカン barbican)が建ち、列車はそのたもとに開いた門口から箱の中に吸い込まれていく。せっかく名城が背景を固めているというのに、列車が橋を渡る姿は見えない。それで、鉄道写真の被写体としてはインパクト不足なのが惜しいところだ。

ちなみに、西のメナイ海峡を渡る同線のブリタニア橋 Britannia Bridge も当時同じ構造で造られたのだが、1970年に火災で損傷し、再建に際してトラスアーチ橋に変更された。それでコンウィ鉄橋は、管状橋の現存する唯一の作例になっている。コンウィ城の塔の上からは、眼下にこの珍しい鉄道橋と、トーマス・テルフォード Thomas Telford 設計の優雅な吊橋が並ぶさまを眺めることができる。

Blog_wales_conwy9
(左)城のすぐ横をノース・ウェールズ・コースト線が通る
(右)コンウィ川を渡る3本の橋。右からスティーヴンソンの鉄道橋、テルフォードの吊橋、改修中の道路橋

鉱山町を出て約1時間で、スランディドノ・ジャンクションまで下ってきた。ここは駅名のとおり、本線格のノース・ウェールズ・コースト線との乗換駅だ。乗ってきた客の多くがここで降り、コースト線ホームへ移動していく。駅舎は上下線の間のホーム上にあり、レトロな風情の中央階段で、駅前広場へ通じる跨線橋につながる構造だ。本線の接続列車を待ち合わせるために15分停車したので、観察時間はたっぷりあった。いっとき人の動きが止まったホームを、カモメが一羽、わがもの顔で散歩していた。

Blog_wales_conwy10
スランディドノ・ジャンクション駅
(左)ノース・ウェールズ・コースト線ではヴァージン・トレインも運行中
(右)レトロな風情の中央階段
Blog_wales_conwy11
ホームを一羽のカモメが闊歩

Blog_wales_conwy_map2
コンウィ~スランディドノ間の地形図(図中のConwayはConwyの旧綴り)
1マイル1インチ(1:63,360)地形図 107 Snowdon 1959年版 に加筆

9時48分に再び発車、列車は上り線をゴトゴトと横断して、コンウィ・ヴァレー線の海側区間へ進入した。左手はコンウィ川の広い河口で、水面越しにもう一度コンウィ城と、それに続く石造りの街並みを遠望できる。デガヌイに造られたスレートの積出し港はもはや跡形もなく、ヨットがもやる優雅なマリーナに変身していた。列車は、ゴルフコースの横をかすめたかと思うと、早くも終点だった。この間わずか8分だ。

Blog_wales_conwy12
デガヌイ駅付近から河口を隔ててコンウィの町の眺め

スランディドノはアイリッシュ海に臨む夏の保養地で、19世紀には「ウェールズのリゾートの女王」と称され、上流階級の人気を集めていた。煉瓦造りの現駅舎は、利用者が増えて初代駅舎が手狭になったため、1892年に新築されたものだ。建設当初は待合室や軽食堂を擁し、頭端式のプラットホームが5番線まであったそうだ。

その後、鉄道輸送が縮小するにつれ、設備を持て余すようになったことから、2014年に大改修が行われた。旧駅舎は半分撤去され、総ガラス張りのモダンな待合室に生まれ変わった。ホームも3面3線に縮小されたが、かつて送迎車両が乗り入れていた構内車道、ロンドン・ミッドランド・アンド・スコッティシュ鉄道 London, Midland and Scottish Railway (LM&S) のモノグラムを埋め込んだ改札柵、ホームを覆っていた大屋根の一部は残されていて、最盛期の威容をしのばせる。

Blog_wales_conwy13
スランディドノ駅
(左)フェスティニオグからの列車が到着 (右)LM&S のモノグラムのある改札柵
Blog_wales_conwy14
(左)大屋根の架かるホームの中央はかつての構内車道
(右)駅正面。中央部は総ガラス張りに改築された

Blog_wales_conwy15
駅前に立つアリスの木像

駅前に出ると、天気予報の言ったとおり、町の上には雲一つない青空が広がっている。スランディドノには、不思議の国のアリスのモデルになったアリス・リデル Alice Liddell 一家の別荘があり、彼女はよく家族と訪れていたそうだ。駅の向かいの角に立つ大きなアリスの木像に見送られて、私たちは保養地の瀟洒な通りをグレート・オームの方角へ歩いていった。

次回は、グレート・オームのケーブルトラムに乗る。

■参考サイト
Cambrian Lines http://www.thecambrianline.co.uk/
Arriva Trains Wales  https://www.arrivatrainswales.co.uk/

★本ブログ内の関連記事
 ウェールズの鉄道を訪ねて-グレート・オーム軌道
 ウェールズの鉄道を訪ねて-カンブリア線
 ウェールズの鉄道を訪ねて-フェスティニオグ鉄道 I
 ウェールズの鉄道を訪ねて-フェスティニオグ鉄道 II

2017年1月 7日 (土)

ウェールズの鉄道を訪ねて-フェスティニオグ鉄道 II

フェスティニオグ鉄道 Ffestiniog Railway(以下、FR)の旅を続けよう。

機関車リンダ Linda が牽く列車は、リウ・ゴッホ Rhiw Goch 信号所を後にすると、高い石垣で谷を渡り、苔むした森に入っていく。この辺りは、かなりの急斜面だ。1830年代という早い時期に、起伏の多い山地で20kmもの勾配線路を築いていくのは、大変な工事だったに違いない。

Blog_wales_fr21
フェスティニオグへ向けて列車は上り続ける

Blog_wales_fr_map3
タン・ア・ブルフ~ブライナイ・フェスティニオグ間の地形図
1マイル1インチ(1:63,360)地形図 116 Dolgellau 1953年版 に加筆

プラース・ホールト Plas Halt(ホールトは停留所の意)の手前に、「タイラーのカーブ Tyler's Curve」と呼ばれる半径2チェーン半(50.3m)の最小カーブが控えている。線路横に立つ「W」と書いた標識は、「警笛鳴らせ」の意味だ。車輪をきしませながら回り込む間、ドゥアリド川が流れるフェスティニオグ谷 Vale of Ffestiniog と、それを隔てて向かいに大きな山塊が見晴らせた。谷底で軒を寄せ合うマイントゥログ Maentwrog の村のたたずまいも美しい。

Blog_wales_fr22
(左)リウ・ゴッホ信号所を通過 (右)マイントゥログの村を遠望

列車は、続いてマイル湖 Llyn Mair のある支谷を巡り始める。その途中に、タン・ア・ブルフ Tan-y-bwlch (下注)の駅がある。森に囲まれたS字状の島式ホームに軽やかな跨線橋が架かり、FRでは一番絵になる中間駅だ。ミンフォルズから20分奮闘し続けてきた機関車は、しばらく停車して水の補給を受ける。帰りはここで列車交換も行われて、眠ったようなホームがいっとき生気を取り戻した。

*注 タン・ア・ブルフ(峠下の意)は、ふつう続けてタナブルフと読まれるが、分かち書きの地名は中黒でつないで表記した。

Blog_wales_fr23
タン・ア・ブルフ駅 (左)森の中の島式ホームと跨線橋 (右)列車交換(帰路写す)
Blog_wales_fr24
坂を上る列車はここで給水を受ける(帰路写す)
Blog_wales_fr25
眼下にマイル湖。線路は対岸の山を回ってきた

ガルネズトンネル Garnedd Tunnel(55m)の短い闇を経て、しばらくはカンブリア山地を見渡す高みを走っていく。すでに谷底との標高差は160m以上あり、開いた窓から強めの風が入ってくる。タン・ア・ブルフから10分、そろそろ次の見どころ、ジアスト Dduallt のオープンスパイラル(ループ線)だ。ジアストの駅を過ぎると、線路は右へぐんぐん回り込み、今通った線路の上を乗り越える。そしてモイルウィントンネル Moelwyn Tunnel(262m)を介して、北側のアストラダイ Ystradau の谷へ抜けていく。

Blog_wales_fr26
フェスティニオグ谷を隔ててカンブリア山地の眺望が開ける
Blog_wales_fr27
ジアストのオープンスパイラル (左)ジアスト駅 (右)駅を出ると右へぐんぐん回り込む

あたかも鉄道模型を実地で再現したような構造だが、これはオリジナルのルートではない(下図参照)。1836年の開通当初は、インクライン(斜行鉄道)でこの山を越えていた。1842年に、山を貫く長さ668mの(旧)モイルウィントンネルが完成して、産業鉄道の時代はこのトンネルを行き来した。スパイラルになったのは、意外にも保存鉄道になってからで、正確にいうなら、鉄道を復元するためにわざわざ建設されたのだ。その理由を知るには、少し20世紀のFRの歩みを振り返る必要があるだろう。

Blog_wales_fr_map4
ジアスト~タナグリシャイ間の路線の変遷
(左)開通当初はインクラインで山越え("Old Tramway" と注記)
   旧モイルウィントンネルの完成で全線重力運行が可能に
    1:25,000地形図 SH64 1953年版に加筆
(右)現在は、貯水池の水位を超えるまでスパイラルで高度を稼ぐ
    1:25,000地形図 OL18 2015年版に加筆 © Crown copyright 2017

ウェールズのスレート産業が絶頂期を迎えたのは1880年代だ。世紀が変わると、タイルのような新素材の普及や、世界大戦に起因する労働力不足と販路の途絶、経済不況など、いくつも悪条件が重なって、凋落の傾向がはっきりしてくる。フェスティニオグでも採石場の閉山が相次いだため、ついにFRは1939年9月に旅客輸送を中止、1946年8月にはスレート輸送も断念せざるを得なくなった。鉄道施設が撤去を免れたのは、路線の建設を許可した19世紀の法律に、休廃止に関する規定がなかったからに過ぎない。

鉄道愛好家のグループが鉄道の復元に取組み始めたのは、それから5年後の1951年のことだ。まず1954年にボストン・ロッジ工場で機関車の修復に着手し、翌55年にはザ・コブ(築堤)の区間で保存走行を開始した。線路は山に向かって段階的に復旧されていき、1968年にはここ、ジアストまで到達した。

しかし、そこからが難関だった。鉄道が休止している間に、線路が通るアストラダイの谷では、揚水式水力発電所の建設計画が進められていたからだ。谷をダムで締め切って調整池にしたため、線路は2km近くにわたって水没してしまった。モイルウィントンネルの北口も使えなくなり、より高い位置にトンネルを掘り直す必要があった。足掛け18年2か月に及ぶ長い法廷闘争で英国中央電力庁CEGBから補償金を獲得した彼らは、ボランティアを動員して約4kmの新線建設を敢行した。これは1978年に最終的に完成し、保存鉄道は調整池の北端にあるタナグリシャイ Tanygrisiau まで延長されたのだ。

列車がループを回りきって新トンネルに入る直前に、旧線を載せていた築堤が右車窓の下方に見える。オープンループで稼いだ高度はわずか11mに過ぎないが、これがなければFRの復元は尻切れトンボで終わっていたに違いない。

Blog_wales_fr28
ジアストのオープンスパイラル
(左)今通って来た線路を乗り越える。左奥にジアスト駅が見える
(右)石積みが残る旧線の築堤

トンネルを出ると、その調整池が右手に姿を見せる。きょうは水位が下がっていたので、旧トンネルに突っ込む廃線跡も確認できた。列車は、発電所の建物の裏をかすめた後、坂を下りてタナグリシャイ駅に入っていく。ここでも列車交換があった。先頭に立っていたのは、同じダブル・フェアリーで赤塗装の12号機「デーヴィッド・ロイド・ジョージ David Lloyd George」だ。

Blog_wales_fr29
発電所の調整池の向こうに、スレートの採掘跡が残る山々
Blog_wales_fr30
(左)池の底に旧線跡が露出。旧トンネルの入口(封鎖)も見える
(右)揚水式発電所の裏手をかすめる

Blog_wales_fr31
タナグリシャイ駅
(左)駅の手前にあるクーモルシン滝 Cwmorthin Waterfall
(右)最後の列車交換は赤塗装の12号機と

いよいよ次が終点になる。最後の区間は、大きく崩された山肌や赤鼠色の巨大なボタ山を眺めながら、ブライナイ・フェスティニオグの町の方へゆるゆると向かう。見ての通り、ここはスレート鉱山の町だ。長い地名はフェスティニオグの上手(かみて)という意味で、本村であるスラン・フェスティニオグ Llan Ffestiniog から約4km北に位置する。

Blog_wales_fr32
(左)ボタ山を眺めながら行く
(右)左はディナス Dinas 方面の引込線。正面はグラン・ア・プス Glan y Pwll の旧機関庫

かつて町がどれだけ栄えていたかは、ここに3方向から鉄道が集中したことからも想像できる。ブライナイ・フェスティニオグの路線網と駅の変遷図(下図)をご覧いただきたい。

Blog_wales_fr_map5
ブライナイ・フェスティニオグの路線網と駅の変遷

一番乗りしたのは、もちろんフェスティニオグ鉄道だ。北を向いているのが本線で、東へ出ているのは支線の扱いだった。客扱いを始めた1865年から数年間、列車は、本線上のディナス Dinas 駅と東支線のディフス Duffws 駅へ交互に通っていた(図左上、1860s の欄)。しかし町から遠いディナスが1870年に休止となった後は、全旅客列車がディフスを終点とするようになった(下注1)。一方、1868年にFRと同じ軌間でフェスティニオグ・アンド・ブライナイ鉄道 Festiniog and Blaenau Railway が開通し(下注2)、FRディフス駅の近くに駅が造られた。

*注1 FRの本線もディナス駅も、その後成長したボタ山の下に埋没した。
*注2 ブライナイ・フェスティニオグ~フェスティニオグ Festiniog 間。で、鉄道はフェスティニオグ本村の周辺で採掘されたスレートを輸送する目的で敷かれた。FRと直通し、貨車もFR所有で、実質的にFRの支線だった。なお、当時は "Ffestiniog" ではなく "Festiniog" と綴った。

狭軌の路線網しかなかったこの町に、1879年、標準軌のロンドン・アンド・ノース・ウェスタン鉄道 London and North Western Railway が北から到達した(図左中)。現在のコンウィ・ヴァレー線 Conwy Valley Line だ。こちらもスレート輸送が目的で、わざわざコンウィ川の河口デガヌイ Deganwy に自前の積出し港を築いての進出だった。1881年に町の北西に本駅が完成し、FRも自社線上に乗換駅を設けた。

間を置かずして1883年には、ライバルたるグレート・ウェスタン鉄道 Great Western Railway も進出を果たす。バラ=フェスティニオグ鉄道 Bala Festiniog Railway という別会社を立てて、既存のフェスティニオグ・アンド・ブライナイ鉄道を買収し、改軌の上で接続したのだ。駅の位置は狭軌時代を踏襲したので、FRはここにも乗換え用のホームを用意した。

FRのディフス駅は1931年に休止となり(図左下)、グレート・ウェスタンとの乗換駅がその代替とされた。スレート輸送の衰退で1939年にFRの旅客輸送は途絶してしまうが、大手2社の路線はこの地に残った。

*注 ディフス駅の旧駅舎は当時の位置に残っている。

第二次世界大戦後、鉄道の国有化が実施され、標準軌線は英国国鉄 British Railways となる。それに伴い、旧ロンドン・アンド・ノース・ウェスタン(当時はロンドン・ミッドランド・アンド・スコッティシュ鉄道 London, Midland and Scottish Railway)の駅は北駅 Blaenau Ffestiniog North、旧グレート・ウェスタンは中央駅 Blaenau Ffestiniog Central と改称された(図右上)。後者は1960年に休止となったものの、1963年にフェスティニオグ本村の南に建設が決まった原子力発電所への物資輸送用として一部が復活し、北駅から接続線が造られた(図右中)。もとよりこれは貨物専用であり、旅客輸送は従来どおり、北駅を終点としていた。

復元されたフェスティニオグ鉄道が、数次の延長を経て、鉱山町に帰ってきたのは1982年だ(図右下)。これに合わせて旧 中央駅の位置に、新たに国鉄とFRの共同使用駅が設けられ、開業式が華々しく催された。これが、現在のブライナイ・フェスティニオグ駅だ。ジアストのオープンスパイラルと同様、終点駅もまた保存鉄道のために造られた施設なのだ。

Blog_wales_fr_map6
ブライナイ・フェスティニオグにあった旧駅の位置
1:25,000地形図 SH64 1953年版、SH74 1953年版 に加筆

Blog_wales_fr33
終点ブライナイ・フェスティニオグ駅に到着

小柄なリンダが1時間10分かけて牽いてきた列車は、グラン・ア・プス Glan y Pwll の旧機関庫を見ながら右に大きくカーブした後、その新駅に進入する。到着は定刻の15時40分。やはり遅れていたのではなく、途中駅の時刻表がおおまかだったようだ。国鉄(現 ナショナル・レール)コンウィ・ヴァレー線 Conwy Valley Line(下注)のホームは片側1線、対するFRは島式ホームの両側を使っている。線路幅は並ぶと大人と子供ほども違うが、FRのホームにはしっかり屋根がかかり、簡素ながら切符売り場兼売店の入った建物もある。先駆者のプライドを示しているのかもしれない。

*注 コンウィ・ヴァレー線は、この路線の観光開発にあたり、運行会社のアリーヴァ・トレインズ・ウェールズや沿線自治体が用いている線路名称。

Blog_wales_fr34
跨線橋から見た終着駅。右の線路は標準軌のコンウィ・ヴァレー線
Blog_wales_fr35
(左)線路幅は倍以上違う(597mmと1435mm) (右)構内踏切を渡れば町の中心部へ

ただ、利用実態は、コンウィ・ヴァレー線が地元の一般客、FRはほとんど観光客で、まったく異なっている。そのため、時刻表上も相互連絡しているとはいいがたく、この日もFRの列車が滞在中、隣のホームに標準軌の気動車は現れなかった。

実はFRに並行するポースマドッグとの間には路線バス(1B系統、下注)が1時間ごとに走っており、コンウィ・ヴァレー線に接続しているのはそちらのほうなのだ。一時は狭軌の伝統が途絶した鉱山町に、今は再びナロー蒸機の鋭い汽笛がこだまするようになった。せっかく便利な乗車券もできているのだから、うまく周遊旅行が組めるように、鉄道各社も協調してくれるといいのだが。

*注 Express Motors http://www.expressmotors.co.uk/ が運行。

次回は、コンウィ・ヴァレー線を北上して、スランディドノへ向かう。

■参考サイト
フェスティニオグ及びウェルシュ・ハイランド鉄道(公式サイト)
http://www.festrail.co.uk/

本稿は、「ウェールズ海岸-地図と鉄道の旅」『等高線s』No.13、コンターサークルs、2016に加筆し、写真、地図を追加したものである。記述に際して、"Ffestiniog Railway, A Traveller's Guide" Ffestiniog Railway Company, 2016および参考サイトに挙げたウェブサイトを参照した。

★本ブログ内の関連記事
 ウェールズの鉄道を訪ねて-カンブリア線
 ウェールズの鉄道を訪ねて-フェスティニオグ鉄道 I
 ウェールズの鉄道を訪ねて-コンウィ・ヴァレー線
 ウェールズの鉄道を訪ねて-タリスリン鉄道

2016年12月31日 (土)

ウェールズの鉄道を訪ねて-フェスティニオグ鉄道 I

ポースマドッグ・ハーバー Porthmadog Harbour ~ブライナイ・フェスティニオグ Blaenau Ffestiniog 間 21.93km(下注)
軌間 1フィート11インチ半(597mm)
開業 1836年、休止 1946年、保存鉄道開業 1955~82年

*注 公式数値13マイル50チェーンをメートル法に換算

Blog_wales_fr1
ポースマドッグ・ハーバー駅の新ホームで発車を待つ列車

Blog_wales_fr_map1
フェスティニオグ鉄道(赤で表示)と周辺の鉄道網

ポースマドッグに到着した日、ホテルに荷物を置いて、私はさっそく一つ目の保存鉄道、フェスティニオグ鉄道 Ffestiniog Railway(以下 FR)に乗りに出かけた。同じポースマドッグが起点でも、FRの駅はカンブリア線のそれとは1kmほど離れ、市街地をはさんで反対側の、港の脇に位置している。名称もポースマドッグ・ハーバーだ。もちろんこれは、鉄道が山から積出し港までスレート(下注1)を運ぶために敷かれたからで、開業も1836年と、カンブリア線(1867年開通)より30年以上も先輩になる。それどころかこの鉄道会社は、現存するものでは世界最古(下注2)というから只者ではない。

*注1 スレートは頁岩、粘板岩で、板状に加工して屋根を葺く材料などに用いられた。
*注2 運行中の世界最古の鉄道は1758年創業のウェスト・ヨークシャーのミドルトン鉄道 Middleton Railway だが、当時の会社はすでになく、保存団体(会社組織)が運営している。

Blog_wales_fr2
(左)ポースマドッグの市街地 (右)かつてのスレート積出し港はマリーナに転身

駅舎は通りから少し引っ込んでいるが、すぐにわかった。黒ずんだ石積みに濃赤とアイボリーのラインが入った独特の配色で、「フェスティニオグ鉄道ハーバー駅」と側壁に大書してある。この駅は2011年から、もう一つの保存鉄道ウェルシュ・ハイランド鉄道 Welsh Highland Railway (WHR) の終着駅にもなったので、入口には2つの鉄道の時刻表が掲げてあった。駅舎の中は切符売り場と、品揃えの豊富な売店、その隣はパブのようだ。グッズ漁りは後回しにして、さっそくエクスプローア・ウェールズ・パス Explore Wales Pass (下注)を見せて、ブライナイ・フェスティニオグ往復の乗車券(50%引き)を購入した。

*注 エクスプローア・ウェールズ・パスについては、前回「ウェールズの鉄道を訪ねて-カンブリア線」で詳述。

Blog_wales_fr3
ポースマドッグ・ハーバー駅
(左)駅舎は石積みに赤とアイボリーでアクセント (右)入口には2つの鉄道の時刻表
Blog_wales_fr4
紙カードに印字した乗車券

駅舎に接したホームには大きな庇屋根がかかり、満載のフラワーバスケットが彩りを添えている。これは南北に向いた旧1番線だ。ちょうど、給水を終えて持ち場に向かう緑色の小型蒸機「リンダ Linda」が通りかかった。1893年製で、最初はペンリン Penrhyn の採石場鉄道で働いていたが、1962年にフェスティニオグに輿入れした機関車だ。

その後ろ姿を目で追うと、ホームは急カーブで向きを変え、2014年にお目見えしたばかりの新1・2番線につながっている。これはウェルシュ・ハイランドの列車を受け入れるために実施された、敷地を海側へ拡張しての大改修の成果だ。このホームがなかった2011年当初、列車は入換機関車に託されて、スイッチバックで旧1番線に入っていた。1本きりのホームを、FRとウェルシュ・ハイランドが交替で使っていたのだ。新ホームと機回し線の完成で、両線の列車を一度にさばくことができるようになり、FRの列車もこちらを使うことが多い。

Blog_wales_fr5
(左)フラワーバスケットが飾られた旧1番ホーム (右)小型蒸機「リンダ」が持ち場に向かう
Blog_wales_fr6
ポースマドッグ・ハーバー駅のパノラマ
左が旧1番線、右はウェルシュ・ハイランド鉄道が入ってくる新2番線
Blog_wales_fr7
新2番線から背後のカンブリア山地を望む(上の写真の反対側)

この日のFRのダイヤは、10時05分発から15時45分発まで計6便だ。私はリンダが牽く14時30分発の列車に乗り込んだ。狭軌線なので、3等室は中央通路の片側が1人掛け、もう一方が2人掛けのテーブルつきボックスシートだ。隣の1等室を覗くと、肘掛つきの1人掛け席が用意されている。しかし、午後の山行きは客車1両につきせいぜい2~3組しか乗っていないから、1等室でなくてもゆったりした旅ができるだろう。

Blog_wales_fr8
発車を待つブライナイ・フェスティニオグ行き列車
Blog_wales_fr9
車内 (左)3等室は1人掛けと2人掛けのボックス席 (右)1等室は肘掛つき1人掛け席

Blog_wales_fr_map2
ポースマドッグ~タン・ア・ブルフ間の地形図
1マイル1インチ(1:63,360)地形図 116 Dolgellau 1953年版 に加筆

列車はまず、ザ・コブ The Cob と呼ばれる築堤の上を走っていく。グラスリン川 Afon Glaslyn の三角江を締め切り、内側の干拓と同時に、水流を集中させて港の水深を確保するための長い築堤だ。線路は並行する道路(A497号線)より一段高く敷かれているから、眺めがいい。とりわけ左の車窓は、スノードニアの山並みを背景にして、広大な湿地の風景が展開する。左奥に見える尖峰が、ウェールズの最高峰スノードン Snowdon(標高1,085m)だ。右の尖った山はクニヒト Cnicht(標高689m)と言うのだが、近いだけに目立つので、私は滞在中、ひそかに偽スノードンと呼んでいた。湿原は一面丈の高い草に覆われ、グラスリン川の水辺では鳥たちが集まって羽を休めている。

Blog_wales_fr10
ザ・コブを行く。線路の左側は道路が並走、右側は遠浅の海
Blog_wales_fr11
左車窓に広がる湿地とスノードニアの山並み。左端奥の最も高い尖峰がスノードン山

ザ・コブを渡り終えると、扇形に開いたボストン・ロッジ工場 Boston Rodge Works が右手をかすめる。FRの車両整備を一手に引き受けている基地だ。1893年生まれのリンダも、ここで解体修理を受けて2011年に復帰した。窓の外に集中していると、ウェイトレスさんから、お飲み物はいかがと声がかかった。何等車の客であろうと、注文したものはトレーを提げて持ってきてくれる。

Blog_wales_fr12
FRの整備基地ボストン・ロッジ工場

次のミンフォルズ Minffordd は、石造りの趣ある駅舎と、ホームに陰を作る大きな樹が印象的な駅だ。それに気を取られてつい見逃してしまうのだが、駅の下をカンブリア線がアンダークロスしている。両鉄道の間でスレート貨物を受け渡していた側線も、左側に残っている。ここで最初の列車交換があった。時刻表には14時35分発とあるのだが、対向列車はなかなか現れず、交換したときには45分になっていた。よく考えてみれば、ポースマドッグを30分に発車して、ここまで10分はかかっている。35分に交換できるはずがない。ほかの駅でもほぼ同じ調子だったから、どうやら時刻表はかなりサバを読んでいるようだ。

イギリスの鉄道は原則左側通行だが、FRは開通当初から右側通行だ。それで、対向列車は左の線路を進んでくる。車両限界が思いのほか小さいから、切符の注意書きのとおり、うかつに窓から乗り出していると危ない。ドアには鍵が掛かり(下注)、ホームにも出られないので、おとなしく通過を待つのが無難だ。対向列車の先頭は、ダブル・フェアリーの11号機「メリオネス伯爵 Earl of Merioneth」だった。デザインは19世紀のものだが、1979年にボストン・ロッジで新造されている。

*注 途中駅で降りる客のいるボックスには、車掌がホームから開けに来た。検札の際に覚えているのだろう。

Blog_wales_fr13
カンブリア線と接続するミンフォルズ駅に接近
Blog_wales_fr14
ミンフォルズ駅にて
(左)山を下りてきた列車と交換 (右)車両限界が小さいので、写真撮影には注意!

13分の遅れ(?)でミンフォルズを発車した。5分ほどでペンリン Penrhin 駅を通過。集落の近くを走るのは当面これが最後だ。牧場のように大仰な柵で封じた踏切を横切ると、列車は山中へ入っていき、気がつくと、いつのまにか結構高いところを走っている。ボストン・ロッジ以降、1:82(12.2‰)~1:96(10.4‰)の勾配を保ちながら、等高線をなぞるように上り続けているからだ。

Blog_wales_fr15
(左)牧場のような柵で封じた踏切を通過 (右)有人踏切で、柵は落とし錠で固定

線路に一定の勾配がついているのには理由がある。もともとFRは、機関車を使わない重力鉄道だった。小型貨車に整形スレートを積み、山の上から自然の力で転がすという実にエコロジカルな方式で運行されていたのだ。スレートは重いので、下り坂が続くと結構なスピードが出る。それを手動ブレーキで調節しながら、港まで送り届けた。1856年の時刻表によれば、この方法でフェスティニオグからボストン・ロッジまで、途中3駅各10分の停車を含めて1時間32分で下りきっている。最盛期には、連結される貨車が80両以上になるのも普通で、3名の制動手が乗り込んでこれを操った。

下りはいいが、帰りの上り坂はどうしたのだろうか。実は、列車にはスレート貨車8両につき1両の割合で、馬を載せた貨車も連結されていた。港で荷を下ろして身軽になった貨車は、今度はその馬に牽かれ、約6時間かけて山へ戻っていったそうだ(下注)。

*注 ボストン・ロッジ~ポースマドッグ間のザ・コブはレベル(水平)のため、坂を降りてきた列車が停まってしまったときは、同じように馬に牽かせていた。

Blog_wales_fr16
線路には一定の勾配がついている

スレートの増産が続き、鉄道会社としては蒸気機関車を使った効率的な輸送を模索していた。しかし、狭軌用の小型機関車は開発が難しく、馬に代わる最初の蒸気機関車マウンテニア号 Mountaineer が導入されたのは、開通から27年後の1863年だった。これでようやく列車の長編成化が可能になり、1865年から人も乗せ始めた。用意されたのは小さな2軸客車で、「虫篭 bug box」と揶揄されたとはいえ、イギリスの狭軌鉄道では初めて実現した旅客輸送だった。続いて1869年には、ダブル・フェアリー式機関車(下注)も導入されている。

*注 スコットランドのロバート・フランシス・フェアリー Robert Francis Fairlie が1864年に発明した、ボギー台車に動輪をもつ関節機関車。

山へ帰る列車はこうして機関車が牽引し、輸送力と速度の飛躍的向上が果たせたのだが、おもしろいことに、山を下る列車は相変わらず重力に頼っていた。それも、荷を積んだスレート貨車、一般貨車、客車、仕事をせずに走る機関車の最大4群に分割され、順番に坂を下っていく。車間を適切に保って転がすのが、制動手の腕の見せどころだったようだ。危険性が指摘されて、一般貨車と客車は機関車に連結するようになったが、スレート貨車は実に1939年まで自力で転がされていたという。

Blog_wales_fr17
ザ・コブ区間(写真前方)は水平路のため、途中で止まってしまった貨車は馬で牽いた(帰路写す)

重力列車が実際にどのように走ったのか。運行のようすを再現した実験映像がある(下記参考サイト)。開通当時とは違って現在は、途中のジアスト Dduallt ~タナグリシャイ  Tanygrisiau 間に逆勾配があるため、全線で重力走行させることはできない。それで、1つ目の実験はモイルウィントンネルの南口から、2つ目はトンネルを抜けた先にある水力発電所の裏手からのスタートだ。機関車で坂の上まで引き上げられた貨車の列が、連結を解かれた後、どんな走りっぷりを見せるのか、興味のある方はご覧いただきたい。

■参考サイト
重力列車が実際にどのように走ったのかを再現したイベントの動画
BBC Countryfile - Gravity Train  https://www.youtube.com/watch?v=scD0B7Gczp8
Slate train - 1863 and all that!  https://www.youtube.com/watch?v=B5xzUsNbZ-g

次回も、ブライナイ・フェスティニオグへ向けて、旅を続ける。

■参考サイト
フェスティニオグ及びウェルシュ・ハイランド鉄道(公式サイト)
http://www.festrail.co.uk/
Festipedia https://www.festipedia.org.uk/

本稿は、「ウェールズ海岸-地図と鉄道の旅」『等高線s』No.13、コンターサークルs、2016に加筆し、写真、地図を追加したものである。記述に際して、"Ffestiniog Railway, A Traveller's Guide" Ffestiniog Railway Company, 2016および参考サイトに挙げたウェブサイトを参照した。

★本ブログ内の関連記事
 ウェールズの鉄道を訪ねて-カンブリア線
 ウェールズの鉄道を訪ねて-フェスティニオグ鉄道 II
 ウェールズの鉄道を訪ねて-コンウィ・ヴァレー線
 ウェールズの鉄道を訪ねて-タリスリン鉄道

2016年12月24日 (土)

ウェールズの鉄道を訪ねて-カンブリア線

シュルーズベリー Shrewsbury ~アベリストウィス Aberystwyth 131.2km
ダヴィー・ジャンクション Dovey Junction ~プスヘリ Pwllheli 86.6km
軌間 4フィート8インチ半(1,435mm)、開業 1859~67年

Blog_wales_cambria1
朝の光に浮かぶバーマス鉄橋のシルエット

まだひっそりとした朝のバーミンガム・インターナショナル Birmingham International 駅5番線から、私たちのウェールズへの旅が始まる。ここはバーミンガム空港の最寄り駅だ。ホームにはすでに、西海岸へ直通する4両編成の列車が停車している。側面をピーコックブルーに塗った気動車158形エクスプレス・スプリンターだ。きょうは終日いい天気になると、テレビの予報が言っていた。車両の屋根越しに射し込んでくる朝日がまぶしい。

今回(2016年8月)の旅では、西海岸のポースマドッグ Porthmadog に宿を取っている。そこを足場に、ウェールズの北・中部に残る小鉄道群を訪ね歩く計画だ。バーミンガム・インターナショナルからポースマドッグまでは253km、列車で4時間40分もかかる。小縮尺の地図では近そうに見えるのだが、本州に住む人が北海道の距離感覚にとまどうのと同様、グレート・ブリテン島も想像以上に広い。

Blog_wales_cambria_map1
中部ウェールズ直通列車の走行ルート、シュルーズベリー以西はカンブリア線を通る
基図は "National Rail Timetable Map 2003-2004" を使用  (c) Network Rail, 2016

ウェールズのローカル線は、2003年からドイツ鉄道(DB)の関連会社アリーヴァ・トレインズ・ウェールズ Arriva Trains Wales が運行している。列車はシュルーズベリー Shrewsbury を経由して途中マハンレス Machynlleth で分割され、前2両が北のプスヘリ Pwllheli 行き、後ろ2両が南のアベリストウィス Aberystwyth 行きだ(下注)。私たちの目的地はプスヘリ方面だが、耳慣れない地名ばかりなので、乗り間違えないように注意しなくてはいけない。

*注 これは始発駅での編成。後述のようにシュルーズベリーで進行方向が変わるため、以降は前後が逆になる。なお、2016年現在、平日のプスヘリ方面は2時間間隔、アベリストウィス方面は1~2時間間隔の運行。

Blog_wales_cambria2
バーミンガム空港とインターナショナル駅を直結するエアレール・リンク AirRail Link(無人運転のシャトル)
Blog_wales_cambria3
朝のバーミンガム・インターナショナル駅
Blog_wales_cambria4
中部ウェールズ直通列車はアリーヴァ・トレインズ・ウェールズが運行

切符は、駅の窓口でウェールズの公共交通のフリーチケットを買った。「エクスプローア・ウェールズ・パス Explore Wales Pass」といって、ウェールズ内のナショナル・レール(下注)と路線バスに使える。価格は大人99ポンド。有効期間は連続8日で、鉄道にはその中で4日(自由選択)、バスには8日間とも乗れる。鉄道は本数が少ないので、それを補完する路線バスが自由に乗れるのはありがたい。それに、各地の保存鉄道もこれを見せると所定の割引が受けられる。通常20%引きだが、距離の長いフェスティニオグとウェルシュ・ハイランドでは50%引きという寛大さだった。

*注 「ナショナル・レール National Rail」は実体のある事業者名ではなく、旧イギリス国鉄 British Rail (BR) の路線を主に運行する旅客輸送事業者 TOCs が共通的に使用しているブランド名。日本でいえば総称としてのJR(ただし旅客輸送のみ)のようなもの。

ちなみに北ウェールズあるいは南ウェールズだけを回るなら、これより安い地域版(66ポンド)があり、さらに短期滞在用に有効1日のローヴァーチケットも用意されている。いずれも現地でしか買えないが、ブリットレールパス(下注)よりずいぶんと安く上がるのは確実だ。

*注 ブリットレールパス BritRail Pass は、ナショナル・レールの外国人旅行者専用フリーパス。

ただし、ウェールズ・パスにも難点がある。指定のローカル線を除いて、平日は9時15分以降有効、つまり朝の通勤通学時間帯には使えないのだ。きょうは月曜日。駅の改札機が時間までチェックするとは思えないが、車内検札でペナルティを払わされるのは避けたい。それで、列車が有効時間帯に入るシュルーズベリーまで、別に自販機で乗車券を購入しておいた(下注)。

*注 蛇足ながら、帰りはこの切符でバーミンガム・ニューストリート駅の改札機を出入りできたので、イングランドでもアリーヴァの運行区間なら有効のようだ。

Blog_wales_cambria5
エクスプローア・ウェールズ・パス、これとは別に利用日付を記入する副券あり

列車は、インターナショナル駅を定刻の8時09分に発車した(下注)。渡り線をゴトゴト渡って左の線路に移り、速度を上げていく。予約の札が立っている座席はざっと半分で、始発駅ではまだ座る場所を選ぶ余地があった。しかし、バーミンガムの中央駅であるニュー・ストリート New Street である程度の乗車があり、シュルーズベリーでは、ついに通路を含めて満杯になった。のんびりしたローカル線を予想していたのに、大外れだ。隣に座ってきた老婦人はロンドン在住で、今はウェールズ西海岸のタウィン Tywyn に避暑に来ている、と話した。彼女によればこの集団は、シュルーズベリーで開かれていたフラワーショーを見て帰る人たちなのだそうだ。

*注 この中部ウェールズ直通列車は、かつてニュー・ストリート駅止まりだったが、2008年にインターナショナル駅まで延長された。空路との乗継ぎがスムーズになっただけでなく、大ターミナルでのタイトな折返しで多発していた遅延も減って、運行実績が改善したという。

Blog_wales_cambria6
イングランドの麦畑の中を行く

シュルーズベリーで進行方向が変わり、列車はこの先、カンブリア線 Cambrian Line(下注)と呼ばれる中部ウェールズで唯一廃止を免れた旧国鉄線に入っていく。ウェルシュプール Welshpool の手前に「国」境がある。車窓はまだ、イングランドと同じのびやかな田園地帯が続いているが、駅名標は2言語併記になって、異国に入ったことを無言で告げていた。

*注 カンブリア Cambria は、ウェールズ(ウェールズ語でカムリ Cymru)のラテン名。ちなみに地質時代区分のカンブリア紀は、英国でこの時代の岩石の露出が最も多い地域であったことに由来する。

Blog_wales_cambria7
(左)シュルーズベリー駅で多数乗車
(右)ウェールズ最初の駅ウェルシュプール、駅名標は2言語併記

列車は、建設当時世界一と言われた深さ37mの切通し(タレルジッグ切通し Talerddig cutting)でカンブリア山地 Cambrian Mountains の分水界を越える。森を掻き分けるように坂を降りていくと、ダヴィー川 Dovey River (Afon Dyfi) の広い谷に出た。点在する建物が、赤煉瓦からグレーの石積みに変わっていることに気づく。ウェールズの建築様式だ。中部ウェールズの入口に当たるマハンレス駅では12分停車して、列車の切離し作業が行われた。

*注 アベリストウィス方面については、本ブログ「ウェールズの鉄道を訪ねて-アベリストウィス・クリフ鉄道」で触れている。

先行するアベリストウィス行きを見送って数分後、私たちのプスヘリ行きも発車した。実際に線路が分岐するのは次のダヴィー・ジャンクション Dovey Junction 駅で、西を目指してきた線路が、片方は南へ、もう片方は北へと進路を変える。実は海岸までまだ10kmほどあるのだが、ダヴィー川の河口は広大な三角江(エスチュアリーまたはエスチュエリー estuary)になっているため、川幅が狭いうちに渡っておく必要があるのだ(下注)。

*注 当初は河口(アニスラス Ynyslas ~アバーダヴィー Aberdovey 間)に長大な鉄橋を架ける計画で、一時、港までの仮線を敷いて渡船連絡を行っていた。しかし架橋は実現せず、代わりに現在のダヴィー川右岸(北岸)を縫うルートが造られた。

Blog_wales_cambria8
(左)マハンレス駅でアベリストウィス行きを切離し
(右)実際の分岐駅ダヴィー・ジャンクション、直進はアベリストウィス方面、右に曲がるのがプスヘリ方面
Blog_wales_cambria9
海岸沿いの湿地帯は野鳥の楽園(タウィン Tywyn ~トンヴァナイ Tonfanau 間)

保存鉄道に乗るのが主たる目的なので、ナショナル・レールの車窓風景には大して期待していなかった。ところがどうして、これはイギリスでも指折りの海景ルートだ。列車は、カーディガン湾の波打ち際を舐めるように走るかと思えば、断崖の上から白く煙る大海原を眺め下ろす。往路、遠浅の河口には目の届く限り砂浜が広がっていたのに、帰りは満潮で線路際まで水が押し寄せていて、まったく別の風景に写った。

Blog_wales_cambria10
(左)カーディガン湾に沿って北上
(右)マウザッハ川の河口に接近(フェアボーン Fairbourne 南方)

中でも絶景と言えるのが、マウザッハ川 Afon Mawddach に架かるバーマス鉄橋 Barmouth Bridge の前後区間だ。この川も例に洩れず広い三角江をなしていて、カンブリア線は河口近くでこれを横断する。1867年に完成した鉄橋は、長さが699m(下注)。113本の鋳鉄製橋脚が木造トレッスルを支え、その後に、河道をまたぐ2連の下路アーチが続いている。アーチ橋は、当初船を通すために跳上げ式の構造になっていたそうだが、1899年に旋回式に改築され、それが現存している。速度制限の標識が建っていたが、列車は平然と通過していった。渡り終えた後、左の車窓から振り返ると、橋の全貌が見渡せる(冒頭写真)。黒ずんだ頑丈そうなアーチと、整然と並ぶ華奢な橋脚の取り合わせが絶妙だ。

*注 長さには諸説あるため、ここでは英語版ウィキペディアの数値を記した。

Blog_wales_cambria11
マウザッハ川の三角江を横断するバーマス鉄橋
Blog_wales_cambria12
バーマス鉄橋。木造トレッスルに旋回式のトラス橋が接続

列車がバーマス Barmouth 駅に到着すると、多数の人が下車した。ホームの賑わいが、沿線でも人気のある観光地であることを教えている。路線も末端に近づいてきたからか、走行音が短尺レールのそれに変わり、速度もやや落ちたようだ。列車はリクエストストップ扱いの小駅にも、けっこう律儀に停まっていく。フィーンフォーンと聞こえるユーモラスな警笛は、都会ではちょっと間が抜けているのだが、開放的な海岸の景色にはマッチするような気がする。

車窓最後の名所は、ハーレフ(ハルレッフ)駅に程近い丘の上に立つハーレフ城 Harlech Castle だ。13世紀ウェールズ王国を征服したエドワード1世が拠点にした城の一つで、世界遺産にも登録されている。列車の窓からもその威容が拝めるが、訪れた家内によると、城の上から一望できるカーディガン湾の景色はまた格別なのだそうだ。

Blog_wales_cambria13
丘の上に立つハーレフ城の足元を列車は走る

架け直された道路併用橋でドゥアリド川 Afon Dwyryd を渡ると、列車の針路は再び西へ変わる。三角江の岸辺をなぞり、後で乗るフェスティニオグ鉄道と交差し、湿地を横断する長い直線路を渡りきれば、目的地のポースマドッグだ。2面2線のがらんとした無人駅にも、それなりの客が降り立った。プスヘリの終点まであと20km走り続ける列車を見送って、私たちは宿へ向かった。

Blog_wales_cambria14
ポースマドッグ駅に到着

■参考サイト
Cambrian Lines  http://www.thecambrianline.co.uk/
Arriva Trains Wales  https://www.arrivatrainswales.co.uk/

【付記】 ウェールズ語の表記について

ウェールズの公共の表示は、英語とウェールズ語の併記が原則だ。地名も概してウェールズ語由来だが、読み方は一様でない。"Porthmadog" は、バーミンガムの切符売り場でポースマドッグ(スは[θ])と聞いたが、現地の列車の車掌氏は巻き舌を効かせてポ「ル」スマードッグと発音した。カーナーヴォン Caernarfon も、現地読みはカイルナルヴォンだ(「ル」は巻き舌)。また、"Aberdovey" は、ウェールズ語で河口の意の Aber(アベル)と、ウェールズ語による川の名 Dyfi(ダヴィー)を英語化した Dovey(ダヴィー)との合成で、車掌氏はアバドーヴィーと発音した。現地でそうだから、日本語表記はなおさら混乱している。

Blog_wales_cambria15
路面に記された「徐行」の文字も2言語で

加えて、日本語では書き表しようのない音があり、中でもエルを2つ重ねた "ll" が難題だ。本稿では原則として、語頭に来るときは「ス+ラ行音」(例:スランディドノ Llandudno)、語中で母音の前では「ラ行音」(例:マハンレス Machynlleth)、語中で子音の前では「ス」(例:プスヘリ Pwllheli)で表記した。ただし、慣用の読みがある場合はそれに従う(例:スランゴスレン Llangollen)。もちろんウェールズ語の発音が位置によって変化するのではなく、日本語での書き分けに過ぎない。

次回は、ここポースマドッグを拠点にするフェスティニオグ鉄道に乗る。

★本ブログ内の関連記事
 ウェールズの鉄道を訪ねて-フェスティニオグ鉄道 I
 ウェールズの鉄道を訪ねて-フェスティニオグ鉄道 II
 ウェールズの鉄道を訪ねて-コンウィ・ヴァレー線
 ウェールズの鉄道を訪ねて-タリスリン鉄道
 ウェールズの鉄道を訪ねて-フェアボーン鉄道
 スランゴスレン鉄道乗車記

2016年12月17日 (土)

メキシコ チワワ太平洋鉄道 II-ルートを追って

午前5時過ぎのロス・モチス駅。真っ暗な中にここだけ蛍光灯が煌々と灯る待合室には、スーツケースを引いてきた旅行者が10数人、列車の搭乗を待っていた。隅の出札窓口は1等急行とエコノミー(普通列車)に分かれている。2016年3月1日から1等急行の切符は車内では発売しないので事前に購入のこと、と注意書きが見えた。駅で買って乗るように、ということだ。ところが目を疑うことに、窓口には昼間の取扱時間しか書かれていない(下注)。列車は早朝に1本だけなのだが。

*注 掲示によると取扱時間は、月・木 10:30~14:30、15:00~17:30、火・水・金 9:00~12:00。

がらんとしたホームに、チワワ Chihuahua 行き1等急行列車はすでに据えつけられている。フェロメックス Ferromex(メキシコ国鉄)のいかつい顔をしたディーゼル機関車の後ろに食堂車1両、客車3両という簡素な編成だ。発車時間が近づくと、ぞろぞろと客が集まってきて、係員氏が搭乗のチェックを始めた。客はみな旅行社かどこかで予約を入れてきているらしい。切符を持っていないと告げると、スペイン語で答えが返ってくる。だが通じないと見た係員氏は、とにかく乗れと身振りで示してくれた。

Blog_elchepe21
夜明け前のロス・モチス駅で発車を待つチェペトレイン
Blog_elchepe22
ロス・モチス駅 (左)待合室に人が集まり始める  (右)乗車開始

6時00分、定刻にチェペトレインはホームを後にした。チェペ Chepe というのは、チワワ太平洋鉄道 Ferrocarril Chihuahua al Pacífico(英訳 Chihuahua-Pacific Railway)の愛称だ。駅や列車のあちこちでそのロゴを見かける。車内に入ると、通路を挟んで2人掛けのゆったりしたリクライニングシートが並んでいるが、始発駅ではまだ空席が多い。車掌が回ってきたので、手書きの乗車券を切ってもらう。

Blog_elchepe23
(左)1等急行車内、始発駅からの乗客はまだ少数
(右)座席配置図(備え付けの安全のしおりに掲載)

出発したときは薄暗かったのに、東の空が見る見る明るんできた。きょうも快晴のようだ。食堂車へ行くと、テーブルにはすでにクロスが敷かれ、食器とナプキンがセットされている。ほかの乗客も朝食を求めて次々と客車から移ってきた。

夜が明けると、列車は遠くに小山を望む平原を走っている。ほかに見えるのは、林と空地と雑多な建物群ぐらいだ。本来、貨物鉄道なので、軌道はロングレールでバラストも厚く、速度が上がっても乗り心地は悪くない。南北幹線との分岐駅、多数の貨車が休むスフラヒオ Sufragio を通過。車内に朝日が差し始め、食事を終えたテーブルに濃い影をつくった。

Blog_elchepe24
走るうちに東の空が白み始める
Blog_elchepe25
朝食
(左)朝食メニュー、通貨単位はメキシコペソ
(右)ウエボス・チェペ Huevos Che Pe を注文。説明によれば、農場風ソースをかけたマチャカ(乾燥肉)入りウエボス・エストレジャードス(フライドポテトの目玉焼き載せ) Huevos estrellados con machaca bañados en salsa ranchera

8時20分、エル・フエルテ El Fuerte 着。フエルテ Fuerte とは砦(英語の fort)のことで、16世紀の探検時代に軍隊の駐屯地だった。駅からかなり離れているが、旧市街はプエブロ・マヒコ Pueblos Mágicos(下注)にも選定されている。それとセットのツアー客なのだろう。簡易屋根の待合所にたむろしていた人たちが大勢乗り込んできて、車内はにわかに活気づいた。

*注 プエブロ・マヒコ(スペイン語で魔法の村の意)は、魅力的な市街や村を選定するメキシコ政府観光局の観光振興プログラム。

Blog_elchepe26
エル・フエルテ駅 (左)8時20分到着 (右)多数の乗車がありほぼ満席に

線路にカーブが目立ち始め、大サボテンがまるで記念碑か何かのように、周りの灌木を圧して突っ立つ。列車は信号場のような小駅をいくつか通過した後、9時半過ぎにフエルテ川 Río Fuerte に差し掛かった。部分上路トラスのリオ・フエルテ橋梁は、長さが499mと路線随一だが、それだけでなく水面から結構な高さもある。自然のまま流れる泥色の大河に影を落としながら、列車は飄々と通過した。

*注 本稿記載のトンネルと橋梁の長さは、Glenn Burgess and Don Burgess "Sierra Challenge - The Construction of the Chihuahua al Pacífico Railroad" Barranca Press, 2014, p.123 のリスト掲載のフィート数値をメートルに換算した。

Blog_elchepe27
(左)灌木の生える丘陵地を行く (右)記念碑のように立つ大サボテン
Blog_elchepe28
路線最長のリオ・フエルテ橋梁を渡る

橋梁を境にして、西シエラネバダ山脈の西斜面を上る山岳線区間に入る。まずは東西に横たわる前山を越えなくてはならない。灰青色の油煙を勢いよく吐きながら、機関車は勾配のついた線路に挑み続ける。エル・デスカンソ El Descanso の無人駅を見送ると、まもなくトンネルに突っ込んだ。海側では初めてのトンネルとなるこの第86号(エル・デスカンソトンネル)は、前山を一気に抜けるもので、1,807m(現地標識は1,823m)と路線では最長だ。

Blog_elchepe29
(左)山並みをめざして (右)信号場の小駅にも簡易のベンチ(ロス・ポソス Los Pozos)
Blog_elchepe30
(左)前山を抜ける第86号トンネル
(右)トンネルを出るとウィテスダム湖が広がる。正面奥の谷がこれから上るセプテントリオン川の谷

闇が晴れると、やがて右手に湖面が現れる。フエルテ川を堰き止めて1995年に完成したウィテスダム Presa Huites(正式名 ルイス・ドナルド・コロシオダム Presa Luis Donaldo Colosio)の湖だ。対岸には重量感のある山塊が居座り、ところどころ剥き出しの岩肌を見せて威嚇している。峡谷の入口に到達したと実感させる光景だ。10時過ぎ、列車は右に大きくカーブして、湖面の上を鉄橋で一跨ぎした。さざ波立つ青い湖水が緑の山並みに映えて、予想外のいい眺めだった。このチニパス橋梁 Puente Chinipas は、全長291mで路線第二の長さがある。湛水した現在はともかく、完成当時は谷底からの高さが105mもあったそうだ。

Blog_elchepe31
(左)ダム湖を渡るチニパス橋梁 (右)橋上からは予想外のいい眺め

いよいよ列車は、セプテントリオン川 Río Septentrión の谷を上流へ遡っていく。湖はほどなく後ろへ去り、川は渓流となって谷底を這う。両岸の切り立った断崖が牙をむき、見上げると山上で尖った岩の塔が青空に列をなしている。このあたり、谷は非常に深く刻まれ、頂との高低差は1,500mにもなる。急傾斜の岩は脆くて落石が多いので、主要列車が通る前に、軌陸車(下注)が線路の点検に回るのだという。

*注 軌陸車は、トラックなどの道路車両に軌道用の車輪を装備した保線用車両。これにより道路と同様、線路でも走ることができる。英語ではハイレール hi-rail(ハイウェーとレールからの造語)などと呼ばれる。

Blog_elchepe32
セプテントリオン川の谷に分け入る
Blog_elchepe33
(左)線路を巡回する軌陸車に遭遇 (右)落石防止の工事施工中
Blog_elchepe34
(左)谷が深まる中流部ではトンネルと橋梁が多数 (右)川床からかなりの高さがある

20を超えるトンネルと無人駅を3つ通過した後、線路は川を渡って左岸(谷の東側)に移った。すると、左の席の乗客が外を指差して何か言っている。見ると、高い岩山の中腹に、鉄橋の朱いガーダーと巨大な銘板が架かっている(下写真)。資料によると、古い鉄道レールで組んだ銘板には、こう記されているそうだ。「チワワ太平洋鉄道は、メキシコ革命50年を記念してアドルフォ・ロペス・マテオス共和国大統領により開業した。1958年までの投資額3億9千万ペソ、1959~1961年の投資額7億4,400万ペソ。公共事業大臣。」(下注)

*注 原文は次の通り。"F. C. Chihuahua al Pacífico fue puesto en servicio por Adolfo López Mateos, Presidente de la República, en conmemoración del cincuentenario de la Revolución Mexicana. Inversión hasta 1958 $ 390,000,000.00. Inversión en 1959-1961 $ 744,000,000,00. Secretaria de Obras Públicas."

Blog_elchepe35
テモリスに接近
(左)セプテントリオン川を渡りながら反転。上段に橋梁と巨大な銘板が見える
(右)古い鉄道レールで組んだ開通記念の銘板

ここが鉄道の名物景観の一つ、テモリス Témoris の3段ループだ。線路はまず大きく左に回りながら、長さ218mの鉄橋で川を渡り、向きを反転した形でテモリス駅へ滑り込む。エル・フエルテ以来の停車駅で、時刻はもう11時20分だ。駅を出ると、そのまま斜面を上っていく。そして、長さ932mの第49号トンネル(ラ・ペーラトンネル Túnel la Pera)の中で右に半回転してから、最上段のテラスに飛び出す。そこから見下ろす峡谷の風景は、あたかも良くできた鉄道模型だ。聳え立つ岩山が影を落とす緑の小盆地、その縁を廻るように敷かれた単線の線路。急カーブしたガーダー橋と、貨車が休む小さな駅。

■参考サイト
テモリス付近のGoogle地図
https://www.google.com/maps/@27.2561,-108.2598,15z?hl=ja

Blog_elchepe36
テモリス駅
(左)列車は南を向いている (右)チェペ全通50周年(2011年)の記念碑
Blog_elchepe37
テモリスの3段ループ全景
線路は右下から来て、奥の鉄橋を渡り、左の駅を手前に進み、トンネルで半回転してこの写真の撮影地へ出てくる。さらに左の山腹を進み、奥の山塊をトンネルで抜ける
Blog_elchepe38
ループ最上段を走る列車から下の鉄橋を望む。モニュメントのような岩山が印象的

この迂回で高度をかなり稼いだはずだが、傍らの川はかなりの急流で、長いトンネルを抜けたところで、もう線路の近くまで上ってきている。またしばらく、谷川とのおつきあいが続く。次のソレダー Soledad 駅の先にもオメガループの寄り道があるが、走るにつれて、周りの景色は溪谷から高原へと表情を和らげていった。

12時20分着のバウィチボ Bahuichivo では、久しぶりに大きな集落に出会うことができた。下車した人たちは、きっと南方にある峡谷観光の拠点チェロカウィ Cerocahui を訪れるのだろう。赤屋根の家と果樹園が点在するクィテコ Cuiteco の村を見送った後は、また溪谷の中だ。オメガループが計3回。最後のそれを回り終えると、3時間かけて遡ってきたセプテントリオン川は見納めになる。

Blog_elchepe39
(左)車窓は高原の様相を帯びてくる (右)チェロカウィへの最寄りとなるバウィチボ駅
Blog_elchepe40
赤い屋根と果樹園が点在するクィテコの村

この後鉄道は、激しい浸食を辛うじて免れた形の、回廊状の高原の上を伝っていく。地勢としては尾根筋だが、鉄道を通すには手ごわい起伏も待っている。最初の試練は、峠のトンネルを出てすぐのラ・ラーヤ La Laja だ。だが、概して羊腸の山岳ルートでは例外的に、ここの線形は大胆だ。大きく口を開けた谷を長さ212mのPC橋梁でひとまたぎし、立ちはだかる山を長さ465mのトンネルで貫いていく。

Blog_elchepe41
ラ・ラーヤ橋梁 (左)木の間越しに橋梁がのぞく (右)線路は珍しく直線的

Blog_elchepe_map5
1:1,000,000(100万分1)地形図で見るチワワ太平洋鉄道第二区間(山岳区間)のルート、図中の枠は下図2の範囲
米国国防地図局DMA発行ONC H-23(1988年改訂)
image from University of Texas at Austin Perry-Castañeda Library collection

Blog_elchepe_map6
クリル~ラ・ラーヤ間の拡大図(縮尺1:250,000)
赤で加筆した鉄道ルートは、"Maps and Guide to the Chihuahua-Pacific Railroad" に基づいているため、原図とは一致しない
米国空軍航空図・情報センター発行JOG NG12-3 Ciudad Obregon(1968年編集)、JOG NG13-1 Creel (1969年編集)を使用
image from University of Texas at Austin Perry-Castañeda Library collection

13時15分、サン・ラファエル San Rafael 駅に到着。機関車を転回する三角線が備わり、山岳区間の運行基地を任されている。乗務員も交替するので、列車は10分ほど停車する。鮮やかな原色の服をまとった地元タラウマラ族の売り子たちが、列車の周りに集まってきた。手編みの籠や袋詰めの果物を両手いっぱい持っているが、一様におとなしくて商魂には欠けるようだ。

Blog_elchepe42
手編みの籠と果物を売るタラウマラ族の女性。サン・ラファエル駅にて

次は、珍しく棒線駅のポサダ・バランカス Posada Barrancas だ。峡谷の宿という意味の駅名どおり、宿泊施設が集中するアレポナプチ Areponápuchi 地内に設置されている。線路をはさんで両側にプラットホームがあった。人気の観光地で利用者が多いので、乗車ホームと降車ホームを分離しているのだ。秘境のはずが、これではまるで都会の駅ではないか。エル・フエルテから乗ってきた客も大方ここで降りた。

Blog_elchepe43
ポサダ・バランカス駅 (左)1線2面の駅 (右)乗車と降車でホームを分離。写真は降車用

出発してまもなく、フランシスコ・M・トーニョ Francisco M. Togno 信号場で、対向待ちのロス・モチス行き列車と行違う。トーニョは、山岳区間の建設工事を指揮した主任技師だ。チワワ~トポロバンポの中間に近い場所に、功労者の名が残されているのも故ないことではない。

Blog_elchepe44
フランシスコ・M・トーニョ信号場 (左)ロス・モチス行きと交換 (右)束の間の出会い

14時、列車はもう片方の観光拠点、ディビサデロ Divisadero に停車する。前回も記したように、厳密に言うと、鉄道はバランカ・デル・コブレ Barrancas del Cobre(コッパー・キャニオン)の中を通っていない。険しく複雑な断崖が続くため、とうてい線路を敷く土地がないからだ。それで、絶景を見渡せる唯一の場所が、崖っぷちに最接近する当駅ということになる。列車はここでも20分停車するから、展望台に出て、ウリケ川 Río Urique が刻んだ大峡谷の奇跡的な景色を堪能することができた。

■参考サイト
ディビサデロ付近のGoogle地図
https://www.google.com/maps/@27.5345,-107.8245,17z?hl=ja

旅行書ロンリー・プラネットは書く。「駅には土産物屋や色鮮やかな屋台村もあるので、時間には気をつけたい。間に合わせのオイルドラムストーブで調理されたゴルディタス gorditas(マーサケーキ、ブルーコーンで作られたものもある)、ブリートー burritos(肉・チーズなどのトルティーヤ包み)、チレ・レジェーノ chiles rellenos(トウガラシのチーズ詰め)だけでも、足を止めるに値する」(下注)。

そればかりか、近所にはジップライン、ラペリング、ロッククライミングなど、冒険的アトラクションも揃っている。一日ここで過ごせればいいのだが、そうでない場合は、絶景を記憶にとどめて先へ進まなくてはいけない。

*注 残念ながら、飲食物を客車へ持込むことはできないそうだ。

Blog_elchepe45
ディビサデロ駅では峡谷展望のために15~20分の停車がある
Blog_elchepe46
バランカ・デル・コブレのパノラマ
コブレ(銅の意)の名は、岩肌が地衣類に覆われて緑(青銅色)に見えることから
Blog_elchepe47
ディビサデロ駅前に色鮮やかな土産物屋や屋台が並ぶ

14時20分、ディビサデロを発車。カーブだらけの線路をしばらくのろのろと走った後、15時ごろ、エル・ラーソ El Lazo(スパイラル、日本でいうループ線のこと)を通過した。上り勾配の途中で、下の線路は切通しと短いトンネル、上の線路はそれをアーチ橋でまたいでいる。アーチの直下は切り通しなので、オープンスパイラルと言って間違いない。

■参考サイト
エル・ラーソ(スパイラル)付近のGoogle地図
https://www.google.com/maps/@27.6549,-107.7390,17z?hl=ja

Blog_elchepe48
エル・ラーソ(スパイラル)通過中

次のオヒトス Ojitos 信号場が、路線の最高地点となる。標高はおよそ2,438m(約8,000フィートの換算値)に達している。後はおおむね下り坂だ。エル・バルコン El Balcón と呼ばれる長いオメガループを廻ると、右車窓に人里が見えてきて、まもなく一帯の中心地クリル Creel に到着した。時刻は15時40分、ほぼ定刻の運行だ。クリルも峡谷観光の拠点なので、残っていた乗客もここであらかた下車してしまった。

Blog_elchepe49
クリル駅 (左)町は一帯の中心地で峡谷観光の拠点 (右)チワワ行きの入線

クリルから先は、西シエラマドレ山脈の東斜面になる。しかし実態は、今たどってきた高原地帯の続きと言ったほうが正確だろう。列車はまだしばらく、山中の気配が漂う中を行く。
クリルを出発してすぐ、路線で2番目、長さ1,260mの第4号トンネル(コンチネンタルトンネル)をくぐる。その名が示すように、カリブ海と太平洋を分かつ大陸分水嶺の下を抜けるトンネルだ。全通の際にルートが変更された区間で、以前は25‰の急勾配と数度のオメガループを駆使して峠を乗り越していた。その跡はダート道路になっているようで、空中写真でも追跡することができる。

また上り勾配に転じて、サン・ファニート San Juanito に16時20分着。峡谷圏はここまでで、以降、チェペトレインは沿線に点在する地方の町や村に目もくれない。支線と合流するラ・フンタ La Junta 駅も通過してしまうので、残る中間停車駅はクアウテモック Cuauhtémoc のみだ。

Blog_elchepe50
潤いのある渓谷と乾燥した広大な盆地が交互に現れる

残っていた客もクリルであらかた降りてしまい、あれほど賑やかだった車内は嘘のようにがらんとしている。ツアー客はおそらくハイライト区間だけつまみ食いして、帰りは観光バスに身を任せるのだろう。人口の張り付く平野や盆地では閑散としているのに、人気のない山中に入ると賑やかになるというのも皮肉な現象だ。

少し早いが夕食を取ろうと思い、食堂車に足を向けた。ロス・モチスの出発直後のように、ここでも人影は数えるほどしかない。赤い夕日が差し込むテーブルに着き、キンキンに冷えた缶ビールを開けて、メキシコ唯一の長距離列車旅を締めくくろう。終点チワワの到着予定は20時54分だ。時間はまだたっぷりある。

Blog_elchepe51
チワワ駅 (左)夜のとばりが降りた駅構内に接近 (右)20時54分全行程終了

写真はすべて、2016年10月に現地を訪れた海外鉄道研究会の田村公一氏から提供を受けたものだ。ご好意に心から感謝したい。

■参考サイト
チワワ太平洋鉄道(公式サイト) http://www.chepe.com.mx/
ロンリー・プラネット-コッパー・キャニオンとチワワ太平洋鉄道
https://www.lonelyplanet.com/mexico/the-copper-canyon-ferrocarril-chihuahua-pacifico

本稿は、Glenn Burgess and Don Burgess "Sierra Challenge - The Construction of the Chihuahua al Pacífico Railroad" Barranca Press, 2014、"Maps and Guide to the Chihuahua-Pacific Railroad" International Map Co., 2008 および参考サイトに挙げたウェブサイトを参照して記述した。

★本ブログ内の関連記事
 メキシコ チワワ太平洋鉄道 I-概要

«メキシコ チワワ太平洋鉄道 I-概要

2017年2月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28        

BLOG PARTS


無料ブログはココログ