2012年5月17日 (木)

旧 東ドイツの地形図 II-国民経済版

1960年代は、ベルリンの壁建設(1961年)やキューバ危機(1962年)に見られるように、資本主義体制のいわゆる西側諸国と、共産主義体制の東側諸国間の対立が頂点に達した時代だ。すでに1950年代に、アメリカやカナダ、西欧各国は軍事同盟である北大西洋条約機構(NATO)を結成し、対抗するソ連と東欧諸国は、ワルシャワ条約機構を組織していた。高まる緊張を背景に1966年から、同 条約加盟国の域内では地形図が国家機密に分類され、使用が厳しく制限されるようになった。

前回紹介したとおり、ドイツ民主共和国(以下、東ドイツ)では、これらの軍用地形図を便宜上「国家版Ausgabe Staat」(略称AS)と称した。これに対して、1978年以降、官庁・国営企業などの業務用に別の地形図シリーズが作成されるようになる。これが「国民経済版Ausgabe für die Volkswirtschaft」(略称AV)と言われるものだ。名称が表題部に明記されているので、「国家版」とは容易に区別できる。

ベルリン自由大学地理学研究所Institut für Geographische Wissenschaften, Freie Universität Berlinの研究資料(下記参考サイト)に沿って、今回は「国民経済版」の実態を見てみたい。

■参考サイト
ベルリン自由大学地理学研究所「1945年から今日までのブランデンブルク州の地形図製作Die topographischen Kartenwerke des Landes Brandenburg von 1945 bis heute」
http://www.geog.fu-berlin.de/2bik/Kap7/kap7_3-01.php3

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1:200 000地形図(国民経済版)
ドレスデン 1984年版

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地形図の機密表示
(国民経済版)

「国民経済版」の地形図にも、左肩に「Vervielfältigungen Unzulässig!(不許複製)、除外項目は地理地図機密法を参照のこと」、右肩に「Nur für den Dienstgebrauch(公務用に限定)」あるいは「Vertrauliche Dienstsache(機密公務用)」などと記載がある。このことから察せられるとおり、これは行政機関や国営企業の業務遂行上の資料、あるいは計画経済用に作られる主題図の原図という扱いにとどめられ、一般市民の利用に供されるものではなかった。一般向け旅行地図などで製作の際に参考資料とされたとしても、原図がそのまま印刷に用いられることはなかったのだ。

「国家版」の所管は国防省だったが、「国民経済版」のほうは、内務省測量・地図局Ministerium des Innern, Verwaltung Vermessungs- und Kartenwesenだ。編集は、シュヴェリーンSchwerinとドレスデンDresdenに拠点を置く国営企業「測地・地図作成国営コンビナートVEB Kombinat Geodäsie und Kartographie」が行っていた。

「国民経済版」シリーズは「国家版」に準じて用意されたので、必要な縮尺を網羅している。すなわち1:10 000、1:25 000、1:50 000、1:100 000、1:200 000は「国家版」と同じように全土をカバーし、次が1:750 000(「国家版」は1:500 000)、そして1:1 500 000(「国家版」は1:1 000 000)と全部で7種類あった。1978年に開始された刊行作業は、1986年をもって完了した。「国民経済版」が「国家版」に基づいて作成されていたことは言うまでもないが、両者の内容はどこが違うのだろうか。

まず、投影法については、両者ともガウス・クリューゲル図法を用いている。しかし、投影の対象とする地球の形、すなわち地球楕円体の定義が異なる。「国家版」の場合、東欧諸国間の共通基準であるクラソフスキー楕円体Ellipsoid von Krassowskiだが、「国民経済版」は、戦前の帝国時代から採用されてきたベッセル楕円体Ellipsoid von Besselに拠っている。このため、表示されている座標系の目盛も両者は全く合わず、「国民経済版」の座標系は、むしろ西ドイツの地形図と共通だ。

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国民経済版の付番方式
(ブランデンブルク州測量局
地図目録より)

また、「国民経済版」には、図郭の四隅に通常記される経緯度の表示がない。図郭自体は同じ切り方のように見えるが、実は両者の間で最大で10mmのずれがあるという。経緯度を含め、地物の正確な位置がわからないようにしてあるのだ。図番も、「国民経済版」は旧帝国方式に似た4桁のコード(下注)を用いており、「国家版」と全く共通性がないのも意図的なものだろう。

*注 前2桁が南北方向、後ろ2桁が東西方向を表す(例0905)。ただし、現行ドイツの付番方式が1:25 000の図郭を基にしているのに対して、東ドイツの「国民経済版」は1:100 000の図郭が基本だ。1:50 000は0905-1、1:25 000は0905-11、1:10 000は0905-111のように枝番で区別する(右図参照)。

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「国家版」(上)と
「国民経済版」(下)の比較
(メクレンブルク・フォアポンメルン州測量局地図目録より)

さらに、前回紹介した軍用地図ならではの道路や橋梁の細かなデータの記載が、標高点を除いて「国民経済版」ではすべて消されている。空港、軍港といった軍事関連施設はもとより、貨物駅その他の施設名称、そして隣国の領土(西ベルリンや西ドイツを含めて)もすべて抹消の対象になっていた。右図では、シュヴェリーンSchwerinの町を描いた1:50 000地形図の2つの版を並べている。中央の橋や右端の運河、あるいは教会の塔の高さなど、数値の表示が「国民経済版」にないことが確かめられる。

更新作業についても「国家版」ほど定期的に行われなかったと見え、「国民経済版」の製作年次は、手元にあるものでも1970~80年代とかなり幅がある。

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1:25 000地形図(国民経済版)
ドレスデン
(上)1978年初版
(下)1988年地形市街図版
(ザクセン州測量局地図目録より)

国際的に図式を共通化していた「国家版」と比べ、東ドイツ独自の「国民経済版」は、各縮尺間でも仕様に差異が見られる。

1978年に完成した1:25 000の初版は、きわめて簡素な表現に改変されており、利用者の不評を買った。機密事項を省いたばかりか、居住地も範囲を大雑把に囲ったに過ぎず、1:100 000の総描と大差がなかったからだ(右図上)。ようやく1986年から、「国家版」と同じ版を使用して編集されることになったが、全図葉の改訂が完了しないままドイツ再統一を迎えたため、後に市場に出回った「国民経済版」には、改良前後の図葉が混在した。

改訂版では、「国家版」と同じように、都市部で街路名が入った地形市街図Topographische Stadtplanの図式が使われている(右図下)。さらに1:10 000を単色で拡大して住居番号(ハウスナンバー)を加えた縮尺1:5 000の地形市街図もあった。

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1:50 000地形図(A-S-E版)
ポツダム 1973年第2版
(上記参考サイトより)

1:50 000は、1978年初版の時点ですでに「国家版」と同じ版から編集されており、他の縮尺とは扱いが異なる。また、これに先立つ1970年代に、特殊目的すなわち民衆警察や、たとえば災害防備や民間防衛といった警察行動のために、A-S-E版(Ausgabe "Ausbildung-Schulung-Einsatz"、訓練教育用の意)と呼ばれる地図が、東ドイツ全域にわたって作成されたことがあった。1:50 000の編集方針が他の縮尺とは異なる背景には、こうした用途が想定されていたのかもしれない。

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1:200 000地形図 ドレスデン
(上)国家版 1986年版
(下)国民経済版 1984年版

1:100 000以下の小縮尺図では、また集落表現の総描が強化されている(右図下)。市街地は一面山吹色に塗られ、道路にもオレンジや黄色を配しているので、「国家版」に比べて一見華やかな印象だ。しかし、街路網の思い切った簡略化など、情報量はかなり削減されてしまっているのが実態だ。

ところが1980年代になると、情勢に明らかな変化が現れる。知られているように、1985年にソ連の共産党書記長に就任したミハイル・ゴルバチョフは、硬直した体制の立て直し、いわゆるペレストロイカを進める一環で、「グラスノスチ(情報公開)」を提唱した。その余波で、東ドイツでも1988年に地理地図機密法Geo-Kart-Sicherheitsanordnungが改正され、地形図の利用制限が初めて緩和されたのだ。1:100 000以下の「国民経済版」は、当局の承認を受ければ利用可能となり、翌年には、まだ「業務用」と断りがあるものの、申請書式のついた地形図目録が刊行されるに至った。とはいえ、価格の高さが申請のハードルとなり、まだ普及を妨げていたようだ。

結局、大縮尺図を含めて機密が完全に解除されるのは、1990年のドイツ再統一を待たなければならなかった。新連邦州となった旧東ドイツ地域では、1991年から地形図の一般販売が始まり、「国民経済版」にとどまらず、「国家版」も分け隔てなく民生用に広く提供された。東ドイツ政府が膨大な量の地形図を密かに整備していたことは、このとき一般市民の知るところとなった。同年、新たに各州で測量局が設立されて、現在も続く更新維持体制ができあがった。当初は旧体制時代の地形図をそのまま頒布していたが、数年のうちに、旧体制時代の地形図をベースにしながらも西側仕様の図郭に合わせた地形図が、順次刊行されるようになった。当地域の地形図体系は、こうしてようやく新時代を迎えたのだ。

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2012年5月 4日 (金)

旧 東ドイツの地形図 I-国家版

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1:25 000地形市街図(国家版)
ドレスデン 1986年版

1990年に実現した東西ドイツの再統一は、地図の領域にも大きな変化をもたらした。新連邦州Neue Bundesländerと呼ばれた旧東側の各州でも、西側と同様に州の機関として測量局が設立され、地形図の頒布を行うようになったのだ。更新準備が整うまでの間、旧体制下で製作された膨大な地形図のストックが、民間利用にも供された。ほんの少し前まで国家機密として持出しが厳しく制限されていたこれらの資料が、一個人の要望に応じて国外へも簡単に届けられる状況に、隔世の感を覚えたのは筆者だけではないだろう。

それから早や20年以上が経過し、もはや東部様式の地形図を見かける機会はほとんど無くなったが、ドイツの地形図の概要を知る上で、一時代を画したこれらのシリーズも見過ごすわけにはいかない。幸いにも、ベルリン自由大学地理学研究所Institut für Geographische Wissenschaften, Freie Universität Berlinがウェブ公開している研究資料がある(下記参考サイト)。ブランデンブルク州を中心にした記述ではあるものの、秘密のベールに覆われていたドイツ民主共和国(以下、東ドイツという)の地形図製作の状況を知ることができる。この資料を手掛かりに、東ドイツの地形図について紹介してみたい。

■参考サイト
ベルリン自由大学地理学研究所「1945年から今日までのブランデンブルク州の地形図製作Die topographischen Kartenwerke des Landes Brandenburg von 1945 bis heute」
http://www.geog.fu-berlin.de/2bik/Kap7/kap7_3-01.php3

第二次世界大戦が終結したとき、ドイツの官製地形図も深刻な被害を受けていた。地図の原版は大部分が破壊されるか、連合軍に押収されて利用できなくなっていたからだ。それでも戦後1年目から、印刷図からの複製品が、新しい行政界など若干の訂正を施して多数刊行された。当面は地籍図と、戦前の地形図シリーズ、主として1:25 000と1:200 000の更新が測量機関の任務だった。

しかし、東西陣営間の対立が表面化するなか、ソビエト連邦は、政治経済への介入や武力による民衆への抑圧を通じて体制内の締め付けを強化していく。1952年、後にワルシャワ条約機構に加盟する東欧諸国間で、地図作成にソ連式の統一的な測地基準を採用することを決定したのも、その延長線上にあった。すでに1949年、東西ドイツが相次いで成立し、以後40年にわたる分裂国家の歩みが始まっていた。西ドイツが戦前の帝国時代に確立された測地地図体系を継承したのに対して、東ドイツは1953年から、この新たな測地基準の導入に踏み出した。こうして東西ドイツは、地図作成の分野でも別々の道を進んでいくことになる。

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東ドイツ地形図の付番方式

地図の縮尺体系では、測量原図から製作する基本図の縮尺を1:10 000とした(1961年に決定)。戦前の基本図は縮尺1:5 000で整備されていたので、東ドイツの方針はこの点でも独自だった。ここから1:25 000、1:50 000、1:100 000、1:200 000、1:500 000そして1:1 000 000(100万分の1)の各シリーズが編集される。各縮尺の4面分の収載範囲が、次に小さい縮尺の1面分になるという合理的な地形図体系だ。

各図葉を特定するための図番についても、1:1 000 000国際図の図郭を基準にしたソ連の付番方式を準用している(下注、右上図参照)。東欧諸国の地形図は同一基準で作成されるので、国境を越えても問題なく地図を接続できる。ソ連は世界中の軍用地図を秘密裏に製作していたことが知られているが、後で見るように、東欧諸国については各国が作成した図版を直接利用することができた。

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1:10 000地形市街図
エアフルト
(ザクセン・アンハルト州
地図目録より)

*注 ソ連図の付番方式については、本ブログ「旧ソ連軍作成の地形図 II」参照。ただし東ドイツでは、図番中のキリル文字がローマ字や数字に置換えられている。

さて、基本図1:10 000は、1956年から製作が始まった。1958年からドレスデン工科大学に技術者の養成課程を設けてまで量産に努めた結果、1970年までに国土全域をカバーしている。各図葉は経度3分45秒、緯度2分30秒の区域を範囲とし、4色刷で刊行された。なお、都市部では仕様が異なり、道路や地物の色を薄めにした5色刷の「地形市街図Topographische Stadtplan」(TSP) になっている。色を薄めたのは、市街図特有の街路名表示などを読み取りやすくするためだ。さらに裏面には街路名の索引が付けられた。これで住所がほぼ特定できるところに重要な意味があったと考えられる。

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1:25 000地形図 ポツダム
(上)1956年版
(下)1966年版
(上記参考サイトより)

次は1:25 000だが、こちらは図式の変遷がある。1955年に着手された初版は、帝国が残した「メスティシュブラットMeßtischblatt(平板測量図)」をソ連図式に応じて置換えた作業の結果だ。旧図を継承して密集市街地は網掛け(ハッチング)で済ませているが、網が格子状にされているのが目を引く。それが1964年からの改訂版では、地図記号体系が他の縮尺と共通化された。市街地も黒抹家屋中心になり、サンプル図を見る限り、初代より表現が詳細になった印象を受ける。鉄道記号はこの図式で、太い実線(1本線)に直交する短線を等間隔で置くデザインに変えられた。また、1:10 000と同じように、都市部の図葉は5色刷の「地形市街図」仕様で、地名注記や特定の建物を強調するために、道路や地物には鶯色を充てている。

1:50 000は1950年代半ばに粗い表現の初版が出た後、1964年から新図式に対応した改訂版が刊行されていった。また、1:100 000の初版は1958~1960年で、これも1964年から同じく新図式となった。

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1:200 000地形図 ベルリン
(上)国家版 1989年
(中)2か国語版 1989年
(下)ソ連製 1987年

1:200 000は1959~1963年に初版が刊行されている。1970年以降、改訂版が刊行されたが、興味深いのは、駐留ソ連軍に向けたものと思われる2か国語版が存在することだ。図郭内の注記はロシア語(キリル文字)で表記され、地名だけドイツ語表記が紅色で加刷されている。参考までに、ソ連が自国で作成したロシア語表記のみの版と並べてみよう。図版は、明らかに3種とも同じものを使い回している。地名その他の注記も単純に置換えただけのようだが、西ベルリンの表記が、2か国語版ではドイツ語を音訳したБЕРЛИН(ВЕСТ) (ビェルリン・ヴィエスト)のところ、ロシア語版はЗАПАДНЫЙ БЕРЛИН(ザーパドニ・ビェルリン)と意訳されている。

地形図には、地図記号に付記する形で、軍事行動に必要なさまざまな数値が記載されていたことが知られている。その例を以下に挙げておこう。なお、具体的な地図記号と数値の表現法については、右下の2図を参考にしていただきたい(和訳は必ずしも正確とは言えないのでご了承を)。

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地形図の凡例抜粋
(交通網、標高点など)

まず道路については、アウトバーンから村々を連絡する田舎道に至るまで、幅員の記載がある。さらに主要道では、舗装の材質がアルファベットで付される(A=アスファルトAsphalt、B=コンクリートBeton、P=敷石Pflasterなど)。トンネルには、断面の高さ×幅員と長さ、同じく橋梁は、材質に始まり、幅員と長さ、制限荷重まで示され、隘路での軍用大型車両の通行可否が即座に確認できるようになっている。

三角点、水準点、標高点は地形図の必須項目だが、それ以外に、目印になるような構築物の高さ(比高)が記される場合がある。送電用鉄塔の高さの表示もそのたぐいだ。

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地形図の凡例抜粋
(植生、水部)

植生では、広葉樹林、針葉樹林を記号で区別するだけでなく、樹種もアルファベットで記される(Bu=ブナBuche、Ei=カシEiche、Fi=ドイツトウヒFichte、Ki=マツKieferなど)。さらに樹高、幹の平均的な直径、樹間の距離など、およそ森林の諸要素が把握できる。湿地や沼地では、葦が茂っているか、沼の深さはどれくらいか、牧草地では乾燥しているか湿っているかなど、歩兵や車両の横断可否を判断するための情報が揃っている。

水部は青色で表示され、川や運河の幅、深さの数値とともに、底質がアルファベットで区分される(st=岩石質steinig、k=礫質kiesig、s=砂質sandig、schl=泥質schlammigなど)。さらに流速(秒速何m)が流水方向を示す矢印とともに、水面標高が位置を示す小円とともに、それぞれ表示される。ダムに関する材質、長さ、堤頂幅の表示があるが、これは水位や湛水量のデータとは別に、ダムを利用して川を横断できるかどうかを伝えるためだろう。水門や運河の閘門についても、数、長さ、幅、閘室(船を上下させるプール)の深さのデータが添えられている。なお、これらの地図記号や数値表示は縮尺を問わず共通に使用されていた。

膨大な情報を盛り込んだ地形図シリーズはいずれも、最新の1:10 000を資料にして、5年周期で更新が行われた。刊行は当初、内務省測量・地図作成局Ministerium des Innern, Verwaltung Vermessungs- und Kartenwesenが担当していたが、1956年から国防省軍用地図部Ministerium für Nationale Verteidigung, Militärtopographischer Dienstに移管された。そのためか、編集を内務省、発行を国防省と切り分けて記載した図葉もある。

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地形図の機密表示
(国家版)

東ドイツの地形図は大きく2つの群に分けられる。ここまで説明してきたものは、「国家版Ausgabe Staat / Ausgabe für den Staat」(略称AS)と通称される軍用地図だ。東西間の冷戦が緊張の度を加えていた1966年、ワルシャワ条約機構加盟国の域内では、地形図の利用に制限がかかり、厳格な管理が徹底された。「国家版」地図の右肩には、「機密禁帯出品Vertrauliche Verschlußsache」(略称VVS)あるいは「公務用Dienstsache」などと注記が付けられ、ものものしさを漂わせている。

これに対して、官庁・国営企業などの業務用として作成された地形図は、「国民経済版Ausgabe für die Volkswirtschaft」(略称AV)と称された。「国家版」とはどう違うのか。次回はその点について詳述しよう。

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2012年4月30日 (月)

ドイツ ナウムブルク鉄道-トラムと保存蒸機の共存

Blog_lossetalbahn_map1ドイツ、ヘッセン州北部には、新型トラムとクラシックな蒸気機関車が線路を仲良く共有している区間がある。カッセルの西郊へ通じているカッセル・ナウムブルク線Bahnstrecke Kassel-Naumburg、通称「ナウムブルク鉄道Naumburger Bahn」だ。両者は線路軌間こそ同一だが、車両規格、特に車両幅の差は大きい。いったいどうやってこの差を克服したのか。そしてあまりにも対照的な新旧車両はなぜ競演することになったのか。ユニークな性格をもつローカル線を、その歴史を絡めて見ていこう。

ナウムブルク鉄道は長さ33.4kmの標準軌線だ。1903年にカッセル・ヴィルヘルムスヘーエ支線駅Kassel-Wilhelmshöhe Kleinbahnhof(あるいは同 西駅Kassel-Wilhelmshöhe West)から途中のエルガースハウゼンElgershausenまで、翌1904年に残るナウムブルクまでの全線が開通した。ヴィルヘルムスヘーエの支線駅が起点だったのは、当初カッセル・ナウムブルク鉄道Kassel-Naumburger Eisenbahn (KNE) という私鉄だったからだが、その後、1966年に会社はヘッセン州立鉄道Hessische Landesbahnに合併され、列車は1970年からカッセル中央駅Kassel Hbf発着するようになった。

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ナウムブルク鉄道のルート

これで乗換えの煩わしさが解消されたとはいえ、所詮は小さな町をつなぐ行き止まりのローカル線に過ぎない。早くも1977年には旅客輸送の休止措置がとられ、貨物輸送も1991年に大部分の区間で取止められた。唯一の例外は沿線の自動車工場による利用で、起点から7kmのアルテンバウナAltenbauna(現 バウナタールBaunatal)にあるフォルクスワーゲンの主力工場を発着とする貨物輸送が、その後も継続された。

定期列車が消え去り、保存蒸機(後述)がたまに通るだけの鉄道に、カッセル市街からトラムが乗入れるようになったのは、1995年のことだ。成功したカールスルーエ・モデルに倣って、カッセル地域で最初に導入されたトラムトレインの事例だったことはいうまでもない。それまでカッセル南西郊ではマッテンベルクMattenberg止まりだった路線を、ナウムブルク鉄道の一部3.3kmの活用で、5.5km延長した。駅でいえば、バウナタールの南からグロッセンリッテGroßenritteまでが乗入れ区間で、中間に停留所4か所が新設された。ちなみにこれは、フォルクスワーゲンの貨物輸送ルートと重ならないように設定されている。

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HP「トラムがバウナタールにやってくる」の一部

鉄道線への乗入れに際しては、車両面で、脱線に対する安全性と台車の安定性、施設面では、信号設備と建設・運行規則の違いによる規格差のカバーといった種々の条件を満たす必要があった。その中で素人にも興味深いのは、プラットホームで両者の規格差をどのように克服したかという点だ。下記サイトにはトラムと機関車のサイズを比較した図がある(右HP中の上図を参照。URLは下記参考サイト)が、機関車は断面積でトラムの2倍ほどもあり、ホームの端の位置もトラムの規程(路面軌道建設・運行規程BOStrab)では線路の中心線から1.23mであるのに対して、鉄道(鉄道建設・運行規程EBO)では1.60mとなる。

■参考サイト
「トラムがバウナタールにやってくるDie Tram kommt nach Baunatal」
http://www.kvc-kassel.de/index.php?id=28

この課題に対して、費用と実用性を考慮した3つの解決策が採用された。1番目は、棒線(単線)の停留所で採用された張出しホームの設置だ。説明より写真(右上HPの中写真)を見た方が早いが、トラムの乗降扉が来る位置に限って、EBO規格のプラットホームからさらに線路寄りにホームを張出させたのだ。ここまで立入ることができるのは乗降時のみとされ、黄と黒の警戒色が塗られている。それでもEBOに支障するため、乗降のバリアフリーに必要なレール面からの高さ250mmが確保できなかった。レール面からの高さは115mmで、トラムの扉との間に段差が生じている。また、危険防止のため、通過する鉄道車両の速度は時速20kmに制限された。ただ、鉄道車両は観光用の保存列車と整備のために移送される機関車に限られるので、最小限の影響にとどまった。

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トラム5系統と乗入れ区間

2番目は、列車交換駅のバウナタール市中央Baunatal Stadtmitteで採用された4線軌条だ(右上HPの下写真)。ホームを延ばすのではなく、レールを二重に設置してそれぞれの建築限界に対応したのだ。トラムはホーム寄りのレールを、鉄道車両はホームから遠いほうのレールを走行する。4線軌条が複線の片方にしかないのは、鉄道車両の対向が想定されていないからだ。

3番目は、終点グロッセンリッテの例で、鉄道線とトラム線が完全に分離されている。トラムは専用ホームで客を降ろした後、転回線(ループ)を回ってカッセル方面へ戻っていく。現在この区間には、カッセル中心街へ行く5系統が、平日の日中15分毎に(土日は減便)あるほか、ヴィルヘルムスヘーエ回りの7系統も平日の朝夕に限って運行されている。

バウナタールで実用化されたトラムトレイン運行のための方策は、続いて、東郊のロッセタール鉄道計画へと応用されていくのだが、そのことは本ブログ「ドイツ ロッセタール鉄道-6線軌条を行くトラム」に詳述したので参考にしていただきたい。

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ところで、定期列車が休止となって久しいグロッセンリッテ以西の区間も、捨て置かれていたわけではない。休止前の1972年からすでに、鉄道愛好家の手で旧型車両の運行が試みられていたのだが、この活動はやがて保存鉄道「ヘッセン・クーリエHessen Courrier(下注)」として知られるようになる。

*注 ヘッセン・クーリエは、ヘッセン急行便といった意味。Courrierはフランス語の綴りが用いられているので(ドイツ語の綴りはKurier)、日本語表記もそれに合わせた。

しかしこの間にも、路線自体は繰り返し廃線の危機に曝された。途中にあるエルガースハウゼン橋梁で、老朽化が進行していたのだ。保存鉄道を地域の観光振興の柱の一つとみなす沿線自治体は、保存鉄道団体とともに州政府に働きかけを続けた。州は運営組織が確立されるという条件で、橋梁の補修費用を負担すると表明した。こうして1992年に、関係自治体や鉄道会社、団体が出資して、路線を維持運営する保存鉄道協会が設立されることになった。

現在、協会は、路線をリースしたうえ、現在月1回程度の頻度で、カッセルとナウムブルクの間に保存列車を走らせている。かつて同鉄道で活躍した動輪5軸のタンク式機関車HC206をはじめとする蒸気機関車群が、旧型客車を牽引する。起点はカッセルと言っても、ヴィルヘルムスヘーエ駅から徒歩で南へ10分ほどのところにある貨物駅跡だ。ICEが停車するヴィルヘルムスヘーエ駅は今やカッセルの表玄関なので、国内各地からの足場はすこぶるよい。

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峠越え周辺

最後に、保存列車が通るルートを少しなぞっておこう。本線から右に分かれてしばらくは平野部で、標高もノルツハウゼンNordshausen(廃駅)付近で最も低い170mを示す。最初の停車駅バウナタールBaunatal(旧アルテンバウナAltenbauna)を出ると、トラムの線路が右手から合流してくる。左側は、フォルクスワーゲンの工場敷地が続いている。この先は架線が張られ、スマートな停留所が整備されているので、保存列車の乗客は、逆にトラムの新線に乗入れたかのような感覚に陥るだろう。

共用区間はグロッセンリッテで終わり、トラムの転回線と車庫を見送ったあとは、峠越えにさしかかる。線路は最小曲線半径200mで山裾を巻きながら、1:60(16.7‰)から最急1:35(28.6‰)の勾配で高度を上げていく。峠の駅ホーフHoofの標高は403mに達する。ここまでが沿線随一の見どころで、峠の向こう側は再びなだらかな丘陵を縫っていく行程だ。終点ナウムブルクまでの所要時間は、上り坂に奮闘する往路が95分、復路は90分となっている。

本稿は、参考サイトに挙げたウェブサイト、Wikipediaドイツ語版の記事(Bahnstrecke_Kassel–Naumburg, Baunatal, Naumburg (Hessen))、ドイツ語版に対応する英語版の記事を参照して記述した。
地形図は、ドイツ連邦官製1:200 000 CC4718 Kassel(1983年版)を用いた。 (c) Bundesamt für Kartographie und Geodäsie.  http://www.bkg.bund.de/

■参考サイト
ヘッセン・クーリエ http://www.hessencourrier.de/
ヘッセン・クーリエ自転車道
http://www.hb-internetservice.de/rad/hessencou.htm
グロッセンリッテ付近のGoogle地図
http://maps.google.com/maps?f=q&hl=ja&ie=UTF8&ll=51.2522,9.3908&z=17

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2012年4月 6日 (金)

ウィスキー・ウォッカ線-国境を動かした鉄道

国境が移動したため、鉄道の敷地だけが他国の領土になった事例を、以前紹介したことがある(下注)。今回は、大砲鉄道探求の番外編として、その近所で生じた別の史実を取り上げよう。すなわち、他国に占領されてしまった鉄道の敷地を取り戻すために、互いの占領地を交換したという話だ。土地の交換によって境界線が引き直され、その後、各占領地の上に西ドイツ、東ドイツという2つの国家が樹立された。結果として、鉄道の存在が国境を移動させたことになる。

人々は鉄道のことを「ウィスキー・ウォッカ線」と呼んだが、ドイツだというのに、ビールでもワインでもなく、他国産の酒の名が使われたのはなぜなのか。ドイツ中部の現場に視点を移そう。

*注 本ブログ「ベルギー フェン鉄道-飛び地を従えた鉄道の歴史」参照

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アイヒェンベルク(図左上)付近の
1:200 000地形図

カッセルの東30~40kmにあるヴェーラ川Werra沿いでは、現在、ニーダーザクセン、ヘッセン、テューリンゲンの各州が接している。時代を遡ると、この境界線は、1815年のウィーン会議で確定したハノーファー王国、ヘッセン選帝侯国、プロイセン王国の国境だった。三者は1866年、他の諸邦とともに北ドイツ連邦Norddeutscher Bundを結成し、さらに1871年の普仏戦争で連邦国家ドイツ帝国に統一された。その時点で国境としての重要性は薄れたといってよい。

地域に鉄道が敷かれたのも、ちょうどこの時期だ。ハレ~カッセル鉄道Halle-Kasseler Eisenbahnが1867年、ライネ川Leine沿いに東方から延長されてきて、北方のゲッティンゲンGöttingenにつながった。続いて1869年には、同線のアレンスハウゼンArenshausenで分岐して、アイヒェンベルクEichenbergを通り、ハン・ミュンデンHann. MündenからカッセルKassel方面への連絡線が開通した。

これを横糸とすると、少し遅れて1876年に、縦糸となるゲッティンゲン~ベブラ線Bahnstrecke Göttingen–Bebraが南から延びてくる。ドイツ統一で増加することが確実視された南北間の交通需要に応えるために、路線は構想されていた。横糸と縦糸はアイヒェンベルクで交差し、同駅が連絡駅となった(下注)。かつての国境は建設の障害でなくなったと見え、鉄道のルートは駅の南で、入り組んだ境界線を堂々と横断している。

*注 連絡駅設置によって、アレンスハウゼンArenshausenからゲッティンゲン方面へ北上するもとのハレ~カッセル鉄道本線は、1884年に廃止された。

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連合軍による占領地域

第二次大戦前の時点では、境界線は帝国内の行政区分により、ハノーファー州Provinz Hannover、ヘッセン・ナッサウ州Provinz Hessen-Nassau、ザクセン州Provinz Sachsen(下注)の州境となっていた。1945年、戦争が終結すると、ドイツはポツダム条約に基づき、連合国による分割占領下に入った。ハノーファー州はイギリスの、ヘッセン・ナッサウ州はアメリカの、そしてザクセン州はソ連の占領地域(ゾーンZone)に属するとされた。

*注 1938年から帝国大管区Reichsgauに再編され、区域・名称が変更されたが、ここでは便宜上、それ以前の行政区分で記述する。なお、ここでいうザクセン州は、1815年にザクセン王国からプロイセンに割譲された地域(現在はテューリンゲン州の一部)であり、残された王国領を引き継いだ形の現ザクセン州とは別。

そのことが俄然、ゲッティンゲン~ベブラ線の存在を際立たせることになった。なぜなら、南ドイツを占領したアメリカが、北海に通じるブレーマーハーフェンBremerhavenを陸揚げ港に確保して、南部まで物資を輸送しようとしたからだ。さらに、従来南北交通の主流だった東回りのルートが、ソ連ゾーンに組み込まれたため、利用が難しくなっていたという事情もあった。

とはいえ、ゲッティンゲン~ベブラ線自体も決して万全ではなかった。先述のとおり、アイヒェンベルクのすぐ南で州境をまたいでいるからだ。そのため、延長にして4kmあまりが、ソ連ゾーンに含まれてしまった。赤軍兵士は、この区間に入ってきた列車を停車させ、積荷を略奪したり、乗客に危害を加えるといった露骨な妨害手段に出た。高まる緊張を解くために、米ソ間で会談が持たれることになった。会場として用意されたのは、現場から南東20数km、ヴァンフリートWanfriedにある貴族の屋敷「カルクホーフKalkhof」だった(冒頭地図の右下に位置する)。

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ヴァンフリート協定による
境界変更

協議の末、1945年9月17日に調印されたいわゆるヴァンフリート協定で、鉄道が通過しているソ連ゾーンのヴェルレスハウゼンWerleshausen周辺8.45平方kmと、アメリカゾーンにあるアスバッハ・ジッケンベルクAsbach-Sickenberg他3村の7.61平方kmの交換が決定した。これにより、鉄道は晴れて全線がアメリカゾーンに編入されることになった。調印に立ち会った関係者らは、協議が無事整ったことを祝して会場で杯を交わした。アメリカ人はウイスキー、ロシア人はウォッカの瓶を空けた。こうして土地交換の原因となったゲッティンゲン~ベブラ線のことを、地元の人々は「ウィスキー・ウォッカ線」と呼ぶようになったという。

このときは単なる占領地の線引きと考えられていたかもしれない。しかし、後に東西ドイツが成立したことで固定化され、世界地図に数十年も残る内部国境になってしまった。同じ州の隣村が、協定のために遠い異国となった。アイヒェンベルクの東で境界をまたいでいた線路は撤去され、鉄条網と緩衝地帯で閉ざされた。駅も、境界に沿って走る鉄道も、長い間、東ドイツの監視塔の視界に入っていた。「ウィスキー・ウォッカ線」の呼び名には、他国に運命を変えられた土地の人々の複雑な思いが込められているのだ。

連合軍による軍政期には、ほかにもこうした小規模な境界整理が実施されたが、占領国間の協定という形をとったのはヴァンフリート協定だけだ。おそらく南北輸送路としての鉄道の重要性が、ポツダム協定と同じ形式での問題解決を要求したのだろう。

本稿は、参考サイトに挙げたウェブサイト、Wikipediaドイツ語版の記事(Bahnstrecke Göttingen–Bebra, Halle-Kasseler Eisenbahn, Wanfrieder Abkommen)、ドイツ語版に対応する英語版の記事を参照して記述した。
地形図は、ドイツ連邦官製1:200 000 CC4718 Kassel(1983年版), CC4726 Goslar(1987年版), CC5518 Fulda(1983年版), CC5526 Erfurt(1988年版)を用いた。 (c) Bundesamt für Kartographie und Geodäsie.

■参考サイト
東西冷戦史-ウイスキー・ウォッカ線
http://www.coldwarhistory.us/Cold_War/The_Whisky-Vodka-Line/the_whisky-vodka-line.html
アイヒェンベルク付近のGoogle地図
http://maps.google.com/maps?f=q&hl=ja&ie=UTF8&ll=51.3762,9.9270&z=14

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2012年3月20日 (火)

ドイツの1:200 000地形図

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1:200 000地形図表紙
(左)ベルリン 1985年ぼかし版
(中)ロストック
1992年暫定版(東部様式)
(右)ライプツィヒ
2011年版(改訂図式)

各州が地形図作成に責任を負うドイツでも、1:200 000以下の小縮尺については連邦政府の所管下にある。担当しているのは、内務省に属する連邦地図・測地局Bundesamt für Kartographie und Geodäsie(略称BKG)という部局だ。ここで1:200 000(略称TÜK200)、1:500 000(同TK500)、1:1 000 000(TK1000)の各地形図、それにDTK250とDTK1000の地図データベースが製作されている。地形図のなかで1:200 000だけ、TKではなくTÜKと略称が異なる。それは「地勢図Topographische Übersichtskarte」の頭文字を取っているからだが、名称は戦前から存在した。

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1:200 000帝国地勢図
アーヘンAachen 1901年版
(GeoGREIFのHPより)

TÜK200の前身は、19世紀の終わりから第二次大戦にかけて製作されていた「ドイツ帝国地勢図Topographische Übersichtskarte des Deutschen Reiches」だ。前回紹介した1:100 000帝国図の4面分を1面に収める縮尺なので、名称に、見通しとか概要を意味するユーバージヒトÜbersichtの語が付加されたのだろう。2色(黒、青)または3色刷(黒・青・茶)で、地勢表現には1:100 000のようなケバではなく、20m間隔の等高線を用いた近代的な地形図だった(右図参照)。帝国地勢図は、第一次大戦以前の帝国全土を196面でカバーした。

第二次大戦後、地形図体系を再編する過程では、まず縮尺の選択が議論の対象になった。というのも、1:200 000は世界的に見れば少数派で、ドイツの戦後処理に関わった連合国(英米仏)をはじめ、西側諸国では1:250 000が一般的なのだ。しかも、米国陸軍地図局AMSは、戦時中からドイツを含む西ヨーロッパ全域の1:250 000地形図(M501シリーズ)を作成しており、これをベースにすれば編集作業も捗るはずだった。試作図も検討されたが、最終的に採用されたのは1:200 000のほうだった。資料(下注)はその理由を、米軍に1:250 000の図式規程を改訂する用意がなかったためとしている。

*注 Hermann Seeger et al. "Geschichte des Instituts für Angewandte Geodäsie" Deutsche Geodätische Kommission, p.211

1950年にフランクフルトFrankfurt am Mainに設立されていた応用測地研究所Institut für Angewandte Geodäsie (IfAG) が、TÜK200をはじめとする小縮尺図を担当した。TÜK200の製作は1958年に着手され、早いものは1963年に、最後まで残っていたベルリンBerlin、ゴスラーGoslar、エアフルトErfurt図葉も1973年に完成して、西ドイツ全土をカバーする44面が出揃った。

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バイエルン州
1:200 000地形図表紙
(左)ミュンヘン
1978年通常版
(ぼかしなし)
(右)ニュルンベルク
1989年通常版
(ぼかしあり)
州の紋章が配されている

ただし、バイエルン州との間には一悶着があった。これも上記資料によると、「1961年にバイエルン州から管理協定解除の通告があり、すでに試し刷りもできていた同州5面の作業が中止された。1962年、同州の図葉については、バイエルン州測量局Bayerisches LandesvermessungsamtがIfAGに編集作業を委託し、刊行は自ら行う形で作業が再開された」。このような経緯で、1998年に両者の間で改めて協定が結ばれるまで、バイエルン州12面だけは表向き、同州測量局の製品として販売されていた(下注)。

*注 後述する東部各州(新連邦州)の図葉作成に際しても、ザクセン州Sachsenで同じ問題が起こった。当時の一覧図には、ザクセン州2面は同州測量局が刊行すると記されているが、間もなく撤回された。

地図は黄色の表紙をもち、図番の前にローマ数字の200を意味するCCをつけている(例:CC 1510)。図郭はTK100の4面分に当たる経度1度20分×緯度48分の範囲だ。通常版Normalausgabeは焦茶、黒、青、薄茶、濃緑、淡緑、赤の7色刷だが、これとは別に、地勢のぼかし(陰影)を加えた10色刷のぼかし版Schummerungsausgabeもあった(下注)。なお1980年代後半に、(旧)通常版は作業版Arbeitsausgabeに、(旧)ぼかし版が通常版に改称されたため、通常版の仕様が製作年次によって異なるという現象が生じた。

*注 平野部の図葉はぼかしが付けられていない。また、ベルリン図葉のように、東西国境を紫で強調した8色刷(ぼかし版は11色刷)もある。

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ブランデンブルク周辺
(上)旧東独 国家版
(下)TÜK200暫定版

TÜK200は連邦の機関が製作しているので、全ての図葉で仕様が統一されるはずだ。しかし、ドイツ再統一後、新連邦州となった旧東独地域については、この原則が守られなかった。共産圏の図式に準じ、図郭を連邦式に変更した暫定版vorläufige Ausgabe (TÜK200 VA) が作られたからだ。暫定版は、1978~88年の旧東独1:200 000地形図(国家版Ausgabe Staat)をベースにして1992~93年に製作された。オリジナルは黒、青、淡緑、赤(実際はキャロットオレンジに近い)の4色刷だが、分版により7色刷(黒、焦茶、薄茶、青、淡緑、赤、黄)とされた。色が変わった以外、旧東独図と暫定版の間で記載内容の異同はない(右図参照)。

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クヴェドリンブルク周辺
(上)旧図式1987年版
(下)改訂図式2010年版

この、西部の従来図式と東部の暫定版が並存した時代は意外に長く、10年続いた。この間、1997年8月に応用測地研究所IfAGは、現名称の連邦地図・測地局BKGに改称されている。

ようやくTÜK200の改訂図式が適用されたのは、2003年版からだ。従来図式に一部手が加えられた程度だが、見た目はけっこう違う。変更点の第一は、他の縮尺と同様に、市街地の表現を黒抹家屋からベタ塗りに変えたことだ。この時点では色がアンバー(褐色)だったため、図面全体が重苦しかった。しかし、後にサーモンピンクに代わり、他の色も明度が上がって、印象が一変した。第二はぼかし効果の見直しだ。黄色を弱めた(あるいは省いた)せいで、ぼかしが旧版ほどくっきりと目立たなくなった。新版の発売は2004年夏から始まり、暫定版が優先的に置換えられた。現在は全59面が改訂図式になり、地形図の世界でもドイツ再統一が完了している。

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幻の1:250 000
表紙(見本図)

ところでTÜK200の図式は、前回までに見てきたTK100やTK50のようなアトキスATKIS仕様ではない。なぜなら、アトキスは1:200 000のデータを持たず、最も近いのは縮尺が1:250 000(DTK250)だからだ。まるで1950年代の選択結果が仇になったような話だが、データベースの縮尺をあえてそうしたのには理由がある。欧州共通のユーロリージョナルマップEuroRegionalMap(下注)が1:250 000で設計されており、各国はそれにデータを供給する必要があるのだ。実は、DTK250の紙地図フォーマットも試作され(右図参照)、2006年に公表されたのだが、使われないままになっている。

*注 ユーロリージョナルマップは、欧州各国の測量機関が参加する組織ユーロジオグラフィクスEuroGeographicsが開発した、欧州全域をカバーする1:250 000汎用ベクトルマップ。

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(左)1:500 000表紙
東南部 1985年初版
(右)1:1 000 000表紙
2009年版

BKGが製作する地形図には、このほか1:500 000(TK500)と1:1 000 000(TK1000)がある。TK500も、TÜK200と同じく、対応するアトキスデータが存在しないため、従来図式のままだ。オリジナルは図郭の重複がない国際図1404シリーズWorld Serie 1404だが、1980年代で廃版となり、それを集成した横98×縦127cmの大判図Großblattが4面で全土をカバーした。これは図郭の重複がかなりあったが、用紙サイズを78×102cmに縮小し、図郭の重複を少なくした改訂版が2005年に刊行された。

一方、TK1000は、1面で全土をカバーするので、都市の位置関係や地勢などドイツの地理を概観するのに適した地図だ。アトキス図式に置換えられたことにより、以前のような等高線ではなく、ぼかし(陰影)のみで地勢を表現している。

使用した地形図の著作権表示 (c) Bundesamt für Kartographie und Geodäsie.

■参考サイト
BKG製作地形図のサンプル画像  http://www.bkg.bund.de/
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2012年3月17日 (土)

ドイツの1:100 000地形図

1:100 000地形図(以下、現在の略称であるTK100を用いる)は、これまでに三度、図式の大きな改革を経験してきた。今回はこの図式の変わり目に着目して、都合4期にわたるTK100の進化の過程を振り返ってみたい。

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1:100 000地形図表紙
(左)ケンプテン(アルゴイ)
1984年バイエルン州応急版
(中)カッセル
1999年通常版(黒抹家屋なし)
(右)ズール
2010年アトキス版(新図式)

TK100の直接のルーツをたどると、19世紀前半、プロイセン王国が初期測量事業Preußische Uraufnahmeの成果をもとに編集した手彩色の地図群に行き当たる。ブラシのような微細な短線を並べるケバ式の地勢表現、分類された道路網、森林や庭園を示す緑の塗りなど、地形図の主な要素はすでにここで盛り込まれている。第1期というべきこの時代、地図は純粋に軍事作戦を立案し、遂行するためのもので、軍用機密として扱われていた。

プロイセンではその後、1860年代に改測事業が開始された。ここからが第2期に当たる。この事業は、ドイツ統一後の1878年に同盟諸邦間で結ばれた協定によって、帝国全土に拡張された(下注)。TK100は民間にも公開されていき、戦前の地形図体系における代表的なシリーズとなる。「ドイツ帝国図Karte des Deutschen Reiches」が正式名称だったが、人々はもっぱら出処を意識して「参謀本部地図Generalstabskarte」と呼んでいた。

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1:100 000ドイツ帝国図
ドレスデン
3色刷 1919年版

複製頒布を前提として、図式は銅版1色刷りに適したスタイルに改められた。地勢の表現は依然としてケバ式を用いるが、より精緻化されている。後年の3色刷(右図参照)では50m間隔の等高線も付加されたとはいえ、あくまで補助手段の扱いで、主体がケバであることに変わりはなかった。第2期の地図は、2度の大戦を通じて現役を務めたが、ドイツの東西分割により、状況は一変した。

*注 地形図の系譜の概略は、本ブログ「ドイツの地形図概説 I-略史」参照

西ドイツでは、戦後復興期の旺盛な需要に応じる形で、地形図体系の再編が実施され、TK100もその対象となった。第3期の始まりだ。変更点の第一は、図郭が見直されたことだ。旧図は、1面で経度30分×緯度15分のエリアを描いている。しかし、サイズは小ぶりで、別途、4面を貼り合せた大判図Großblattが作られていたほどだった。また、緯度の区割りがTK25と合致せず、番号体系も連番方式のままになっていた。それに対して再編後は、各縮尺の図郭の区割りが揃えられ、TK100の1面は経度40分×緯度24分に拡大された。また、番号体系も各縮尺で共通化された。TK100の場合、図郭の左下に相当するTK25の図番の前に、ローマ数字で100を意味するCをつけて(例えばC 1114のように)区別することになった。変更点の第二は、地勢表現が等高線に置き換えられたことだ。ケバでは土地の高度が表現できない。TK25やTÜK200ではとうに等高線方式が採用されており、変更は必然だった。

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TK25とTK100の
教会と鉄道に関する地図記号

しかし、その他の地図記号はおおむね新図式でも踏襲されたので、TK25との相違は解消されなかった。例を挙げると、鉄道の記号は、TK100が棒を白黒に塗り分けた旗竿状であるのに対して、TK25は中の黒塗りがない。教会の記号は、TK100では十字が正立しているのに対して、TK25は横向きになっている(右図参照)。もちろんこれには相応の理由がある。TK100の鉄道記号は1色刷の時代に、中を黒く塗ることで濃いケバの中でも目立つようにしたのだろう。また、教会は通常、西を正面にして(東西方向に長く)建てられる。TK25のような大きな建物の実体が描ける縮尺では、記号もそれに見合った形状にし、TK100のように建物の位置を示すことしかできない縮尺では、象徴的な形にとどめたのだと思われる。とはいえ、利用者に対する親和性の点で、図式の不整合は課題を残した。

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(上)通常版
(下)TK50 50%縮小の応急版
1:100 000 ヴァイルハイム
Weilheim i. OB
(バイエルン州測量局
地図リーフレット1990年版より)

連邦が製作を支援したTK50に比べて、TK100の刊行は遅々として進まなかった。初版が1950年代のものがあるかと思えば、1970年代まで下るものも見つかる。それどころか、バイエルン州はついに、正式なTK100を完成させることはなかった。すなわち、同州の担当地域43面(当時)のうち、図式規程どおりに製作されたのはミュンヘンMünchenとニュルンベルクNürnberg周辺の計8面に過ぎない(下注)。残りはすべてTK50を50%縮小し、文字サイズだけ拡大した応急版Behelfsausgabeだったのだ(右図参照)。この縮小率では、拡大鏡の助けを借りないと、地図記号はほとんど読取れない。

*注 ミュンヘンとニュルンベルクについては、TK100の正式図を大判用紙に集成した「都市周辺図Umbebungkarte」も製作された。

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1:100 000黒抹家屋なし版
(左2点)ヴュルツブルクWürzburg
(右下)シュリュヒテルン
Schlüchtern
(バイエルン州測量局HPより)

1980年代に入ると、市街地の総描を、黒抹家屋ではなく塗りの色だけで表現する異版が登場した。中心市街地を赤、周辺市街地をピンク、商工業地をグレーの、それぞれ塗りだけで表すもので、後の図式(アトキス新図式)の試作と目されていた。ヘッセン州は1985年以降、TK100をこの改訂図式に切替えていった。それ以外しばらく追随の動きはなかったが、バイエルン州が2010年から、この図式による刊行に踏み切っている(右図参照)。

一方、東ドイツでは、他の縮尺と同様、東欧共産圏(ワルシャワ条約機構加盟国)共通の基準で製作された1:100 000が全土をカバーしていた。これは、縮尺間で図式の整合性が保たれているだけでなく、図式が国を越えて共通化されていたのだ。1990年のドイツ再統一以降は、新連邦州(旧東独地域)でも連邦式のTK100が刊行されていったが、図郭が変わっただけで旧東独の図式が準用されていたのは、他の縮尺と同じだ。オリジナルは地勢を等高線だけで表しているが、テューリンゲンやザクセン州では第2版から、これにぼかし(陰影)を加えることで、視覚面で改良を施した。

最後の第4期は、デジタル図化に対応した新図式の登場で幕を開ける。TK100の各要素はデジタルデータ(DTK100と呼ぶ)に分解され、地図情報データベース、アトキスATKISによって管理されるようになった。TK50の項でも紹介したように、図式の特徴は、土地利用を色の塗りで表現すること、地勢のぼかし(陰影)を排したこと、民軍共用版Zivil-Militärische-Ausgabe(M649シリーズ)としてUTMグリッドを付加したことなどだ。ぼかしの消えた概観図というだけでも魅力に欠けるが、それ以上に、図面を覆う1cm間隔の方眼線(1kmグリッド)が、網越しに風景を見ているようで、相当に目障りなものとなった。

各州におけるアトキス図式への切替状況(下表参照)を見ると、TK25からTK50、TK100と縮尺が小さくなるに従い、旧図式(第3期の図式)の残存率が少しずつ増していくのがわかるだろう。バイエルン州は結局、応急版の置換えに際し、アトキス図式を全面的に取入れるという選択をしなかった。現状を見る限り、この縮尺ではアトキス図式があまり好まれていないようだ。

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使用した地形図の著作権表示 (c) Landesamt für Vermessung und Geoinformation Bayern.

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2012年3月10日 (土)

ドイツの1:50 000地形図

縮尺1:25 000の「メスティシュブラットMeßtischblatt(平板測量図)」、同1:100 000の「ゲネラールシュタープスカルテGeneralstabskarte(参謀本部地図)」と、ドイツの地形図シリーズには戦前からの通称がある。ところが1:50 000、略称TK50はそれを持たない。なぜだろうか。

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1:50 000地形図表紙
(左)ドルトムント
1989年通常版(旧図式)
(中)ベルリン中央部
1998年通常版(東部様式)
(右)バート・ライヘンハル
2008年アトキス版(新図式)

わが国の1:50 000の場合、一部の離島を除いて全国整備を完了したのは1924(大正13)年だ。以来、2008年に更新が終了するまで、戦前戦後の80年以上にわたって国民に親しまれた歴史がある。しかし、ドイツのそれは事情が違う。19世紀から百数十年も使い込まれてきた上記2種に比べて、TK50は戦後生まれの新参者なのだ(下注1)。おそらくそれが通称が与えられなかった主な理由だろう。

ただし、資料(下注2)によると、第一次大戦よりも前から1:50 000製作の計画はあり、1925年には帝国測量庁Reichsamt für Landesaufnahmeが実際に作業に着手していた。しかし、この「ドイツ地図Deutschen Karte 1:50 000」は財政上の理由で刊行中止となり、残されていた原版も第二次大戦中に失われてしまったという。

*注1 なお、縮尺1:50 000で作成された地図は19世紀にも存在した。たとえば、ヘッセン選帝侯国地図Karte vom Kurfürstentum Hessen(1840~1858)、バイエルン王国地形図集成Topographischer Atlas vom Königreich Bayern(1812~1867)など。しかし、現代のTK50と直接のつながりがあるわけではない。
*注2 Landesvermessungsamt Schleswig-Holstein "Topographischer Atlas Schleswig-Holstein/Hamburg", Karl Wachholtz Verlag, 1979, p.210

その敗戦の荒廃から西ドイツが急速に復興を遂げ、「経済の奇跡Wirtschaftswunder」と形容された1950年代になって、TK50の刊行計画は再浮上した。時あたかも国土開発に関する法的整備が進められており、それに合わせて地形図の需要も高まっていたのだ。すべて完成させるのに20年かかるという見積りに対して、連邦が州に資金面で援助することで、計画の具体化が急がれた。手元の刊行図では、ノルトライン・ヴェストファーレン州のドルトムントDortmundからデュイスブルクDuisburgにかけての図葉が1952年初版とあり、最初期のものになる。1955年に図式規程Musterblattが発表されてから、各州で製作が本格化し、1965年までに558面の全図葉が出揃うことになった。

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各縮尺の図郭の関係

ここでTK50の基本概要を記しておこう。表紙の色は、緑のTK25、赤のTK100に対して、TK50は青色をまとう。図郭は、TK25の4面分に相当する経度20分、緯度12分となる。1999年の一覧図によると779面で全土をカバーしている。図番は、図郭の左下のTK25の図番を用い、前にローマ数字で50を意味するLの文字が付されて、L 4510のように表示される(右図参照)。

デジタル化以前に適用されていた旧図式は、TK100(1:100 000)の拡大版といったイメージだった。しかし、TK100と比較すると地形や地物が細部までよく描かれていたし、地勢を表わすぼかし(陰影)が入ったものは一段と見栄えがよかった。それで、筆者にとっては、イギリスにおける1インチ地図(後に1:50 000に変更)のように、TK50がドイツの地形図の代表的存在だった。

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上半分がぼかし版
下半分が(旧)通常版
1:50 000 ダウンDaun
(ラインラント・プファルツ州
測量局地図目録1991年版より)

旧図式の最終版は黒、青、赤茶、濃緑、淡緑、黄、灰、赤の8色刷りだ。基本はTK25と同じ4色(黒、青、茶、淡緑)なのだが、多くの州では、植生を線描(濃緑)と塗り(淡緑)に分けた5色刷が標準とされた。さらに後年、ぼかしのために黄と灰を加え、道路区分の塗りにも黄と赤(下注)が使われて、文字通りの多色刷となった。

*注 主要道路Fernverkehrの塗りは見た目には橙色だが、これは黄と赤を混色したもの。

旧図式を美しく見せているポイントはやはり、ぼかしの効果だろう。灰色で影を作るだけでなく、光の当たる部分に黄色を置くことで、地形の起伏をより強調している(右上図参照)。これは北部の低地を除く図葉に一律に適用されているが、1980年代までぼかし入りはいわば特別仕様で、通常版Normalausgabeに対してぼかし版Schummerungsausgabeなどと呼ばれて区別されていた。

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旅行情報の凡例の一部
(図式規程より)

また、単にぼかしを加えるだけでなく、ハイキングやサイクリングのルートなど旅行情報を表示する場合も多かった。書込みのために色を制限する作業用地図に対して、レジャー向けは色をフルに活用するという方針だったのだろう。今も各州測量機関からさまざまなデザインの旅行地図が刊行されているが、そのルーツは、TK50のこのハイキングルート加刷版Ausgabe mit Wanderwegenだ。ちなみに、自由なデザインのように見えるこうしたルート表示や駐車場、宿泊施設などの地図記号も、実は図式規程の補遺に統一基準として定められたものだった(右図参照)。

1990年のドイツ再統一以降、新連邦州(旧東独)でもTK50が作成されることになった。東独時代にも1:50 000は整備されていたので、TK25と同じように、これをベースに、図郭を連邦式に変更して刊行されていった。多くはぼかしを加えない6色刷(黒、青、赤茶、緑、赤、黄)だったが、エルツ山地を擁するザクセン州の図葉だけは、旧西独風にぼかしを加えてあり、ちょうど前回紹介したバイエルン州の新しいTK25に似た美しい仕上がりを見せていた。

ちょうどその1990年に地図情報データベース、アトキスATKISが始動したが、そこで用いられた新図式によって、TK50の地図デザインは一変した。前回も使った新図式への切替え状況を下に掲げる。東独様式をひきずる暫定版だった新連邦州はすでに切替えを完了しているが、旧西独の州では2012年現在、切替えが進行中、あるいは旧図式のままというところがある。

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1:50 000アトキス版
(上2点)ミュンヘン
(左下)ファルFall
(右下)アウクスブルク
(バイエルン州測量局HPより)

図式の特徴は前回TK25の項でも記したが、TK25に補助的に適用された市街地における黒抹家屋の付加は、工場や大規模建物を除いて、TK50では行われていない。市街地はピンクの色面で広がりがわかるだけだ。また、ぼかしが全面的に省かれ、地勢表現は等高線のみとなったため、立体感が失われた。表示の転移を伴うためか、道路や鉄道の築堤、切通しもほとんど描かれていない。このため、土地の形状を直感するすべがなくなった。塗りに使用された色は柔らかいトーンで統一されていて、全体から受ける印象は決して悪くないが、画面表示を前提にした図式は、精緻に描き込まれた旧図式とは、見た目にかなりの違いがある。

民生用と軍用を分けない民軍共用版Zivil-Militärische-Ausgabeとされたのも、アトキス新図式の特色の一つだろう。図面にUTMグリッドが付加され、凡例は独、英、仏の3か国語併記となった。実用性の改良は歓迎すべきことだが、黒いグリッドのせいで図面がいささか見にくくなったのも事実だ。もっとも、シュレースヴィヒ・ホルシュタイン州やザールラント州は旧図式の初版からこの方式のM745シリーズを市販していたし、新図式に切替えていない各州もこの要件だけは整えている。

筆者がつねづね称賛していたドイツの地形図TK50は、近年、このように劇的な変貌を遂げた。ドイツに限らず各国で、地図の利用法の変化に対応した刷新がこのところ着々と進行している。しかし、図法の開発にあたっては、プリントした場合に人間の目でどう認識されるか、というアナログの視座も忘れないでもらいたいものだ。地形や市街の密度が読み取りにくくなるようでは、せっかくの改良の意義が薄れてしまう。旧図式の時代に言及するのは、単なる懐古の情からだけではないのだ。

使用した地形図の著作権表示 (c) Landesamt für Vermessung und Geobasisinformation Rheinland-Pfalz . (c) Landesamt für Vermessung und Geoinformation Bayern.

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 オーストリアの1:50 000地形図

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2012年3月 1日 (木)

ドイツの1:25 000地形図

前回までの概説を踏まえて、これからドイツの地形図の特色を縮尺別に見ていきたい。デジタル地形図データベース「公式地形・地図情報システムAmtlichen Topografisch-Kartografischen Informationssystem(アトキスATKIS)」にはさまざまな縮尺の地図データが管理されているが、全土をカバーするものでは1:25 000が最大だ。今回はこれをテーマに取り上げよう。

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1:25 000地形図表紙
(左)ツークシュピッツェ
1972年森林域加刷版
(中)リューベック 1995年通常版
(右)ガルミッシュ・パルテンキルヘン
2007年アトキス新図式版

紙地図なら緑の表紙の1:25 000地形図は、通常TK25という略号で呼ばれる。TKはトポグラフィッシェ・カルテTopographische Karte(地形図)の頭文字、25はもちろん25000のことだ。すでに多くの州でデジタル図化版に切り替わっており、それらは正確にはデジタルの頭文字を加えてDTK25とすべきだが、紙地図の場合、ひとまとめにTK25ということが多いようだ。

その歴史については、本ブログ「ドイツの地形図概説 I-略史」でも紹介したが、各期の特徴とともにもう一度まとめておこう。TK25のルーツは19世紀前半に実施されたプロイセン王国の地形測量(初期平板測量図Urmeßtischblatt)に遡る。経度10分、緯度6分で区切る現在の図郭は、このときに確立されたものだ。

■参考サイト
1:25 000彩色平板測量図の画像
ベルリン北部Berllin Nord
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Urmesstischblatt_3446_(Berlin_Nord)_um_1840.jpg

ドイツ統一後、1876年に改めて測量事業が開始され、1931年までに、改測を含めて整備を完了した(下注)。当時の測量方式は地上で平板(ドイツ語でメスティシュMeßtisch)を用いるものだったので、地図に対して「メスティシュブラットMeßtischblatt(平板測量図)」という呼称が広まった。まだ紙地図にデジタル図化版を採用していない州では、今なお、この19世紀以来の伝統を保つ旧図式が使われている。

*注 なお、バイエルン州地図目録(1990年版)によれば、同州域全558面が完成したのは、もっと後の1960年で、製作には空中写真も併用されたとしている。

当初は黒1色で刷られていたが、1920年代には等高線を赤茶色に、水部を青色に分版して3色化したものが、さらに第二次大戦後の1950年代から、森林を緑でベタ塗りした4色刷のものが登場した。通常版Normalausgabe(略号TK25N)に対し、後者は森林域加刷版Normalausgabe mit Waldflächen(略号TK25NW)と呼ばれていた。その異版として、庭園や植生記号も分版して緑色を当てた図葉もある(下注)。1色刷に比べればずいぶん見栄えが改良されたが、初めから多色刷を前提に設計されたTK50(1:50 000)などと比べると、まだ十分とは言えなかった。

■参考サイト
1:25 000平板測量図の画像
ボンBonn 1906年追補版
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Bonn1906.jpg
ドレスデンDresden 1904年版(ザクセン王国による刊行図)
http://de.wikipedia.org/wiki/Datei:Messtischblatt_Dresden_1904.jpg
シュヴィーブスSchwiebus、現ポーランド シフィエボジンŚwiebodzin 1933年修正版
http://de.wikipedia.org/wiki/Datei:Messtischblatt_nr_3759_(Schwiebus)_z_1933.jpg

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旧図式の凡例
(鉄道と道路)

*注 かつてはこのほか、1色刷の作業用(TK25E)、ハイキングルート加刷版(TK25W、バイエルン州など)といった各種のバリエーションがあった。現在残っている旧図式の地形図では、緑を加えた4色刷が通常版Normalausgabeと呼ばれている。

ちなみに、TK25に対して筆者が違和感をいだいていたのは、鉄道の記号だ。ドイツのそれは、わが国の地形図が影響を受けたこともあって、棒を白黒に塗り分けた旗竿式のイメージが強い。だが、実はこれは1:100 000帝国図で用いられた様式だ。TK25のほうは、旗竿の中の黒塗りがなく、梯子のようなデザインになっている(右写真の上)。複線の場合、梯子の横木を二重にして表し、狭軌線は、横木の間隔を2倍に延ばす。しかし、このデザインは旗竿に比べて、線描主体の図中ではあまり目立たないのだ。後発の帝国図は地勢表現がケバ式であることもあって、設計者は視認性を高めようと隙間を黒塗りにしたのだろう。ただ、駅構内や操車場など線路が何本も並ぶ区間は、帝国図やその流れを汲むTK50の図式でも、梯子式を使っている。

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1:25 000
ケーニヒスベルク(現ロシア領
カリーニングラード)東部
1937年追補版

それはさておき、ドイツが東西に分割されていた冷戦時代、西側の市民が、東側の作成した地形図を目にする機会はまずなかった。しかし、そのような状況下でも、東側の地形をつぶさに知ることは難しくなかった。連邦の測量局である応用測地研究所Institut für Angewandte Geodäsie (IfAG)(現 連邦地図・測地局BKG)が、第二次大戦以前に作成された地形図を複製・頒布していたからだ。対象範囲は、共産圏に取り込まれた第一次大戦以前の領土全域とされたので、東ドイツのみならず、ポーランドやソ連領となった旧 東プロイセンOstpreußenにまで及んだ。もちろんその中で最大縮尺であり、等高線の入った唯一の地図がTK25だった。東欧民主化に伴って各国で地形図の公開が進んだことで旧図が持つ貴重性は薄れたが、現在でも頒布サービスは継続されている(下注)。

*注 ドイツ領内の旧図は各州の測量機関が、東部の旧領土についてはBKGが頒布している。

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旧図式(東部様式)の凡例
(鉄道、道路、植生)

その東ドイツでは、東欧共産圏(ワルシャワ条約機構加盟国)で共通の図郭・図式で地形図が製作されていた。1990年の再統一後、図郭はもとに戻され、西側と接合されたが、図式については、共産圏時代のものがおおむね引継がれた。そのため、地名のフォントや記号デザインだけでなく、等高線の計曲線が25m刻み(TK25は20mまたは50m)というように、西側のTK25とは大きく異なっていた。ただ、主要道路を示す赤茶色の塗りを省き、居住地の範囲を示す塗りも黒のアミに変えるなど、細部ではTK25の図式との整合が取られたようすも窺える。

新連邦州(旧東独地域)ではこれが通常版とされていたが、それもアトキスによる新図式に切り替わるまでのつなぎで、実質的に暫定版だったといってよい。冒頭で紹介したアトキスの出力イメージを使用した新たなTK25の準備は、1990年代からすでに着手されていたからだ。ブランデンブルク州の場合、旧図式の更新は2001年が最後で、同じ年に新図式での刊行が始まっている。

それでは、現在の州別の状況はどうなっているのだろうか。下表にまとめてみた。北部のシュレースヴィヒ・ホルシュタイン州(ハンブルク州域を含む)と南西部のバーデン・ヴュルテンベルク州以外は、新図式に切替えられた。TK50やTK100 に比べてもTK25の切替え率は高く、古い図版から早期の移行が求められていたことが読み取れる。

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新旧図式には決定的な違いがある。旧図式は、銅版に彫ることを前提にして、線ですべてを表現する。たとえば密集市街地でも、斜線を用い、決して塗りつぶすことはない。それに対して新図式は、土地利用景のような面的な広がりを色面で表現している。森林や耕作地はもとより、居住地や工場地域も塗りの色で区別し、黒抹家屋のような総描方法は用いない。

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1:25 000 オスナブリュック
アトキス新図式版
(ニーダーザクセン州測量局
HPより)

これはデジタル地図では一般的な表現方法なのだが、1:25 000のような大きめの縮尺で印刷物にすると、甚だ締まりのない図になってしまう。実際にこのイメージを使ったヘッセン州やテューリンゲン州(下注)のTK25を、細部まで描き込んでいた旧図式と並べると、前者はまるでラフスケッチだ。さすがに作成側もこの落差に気づいていたのだろう。多くの州では、居住地の塗りの上に黒抹家屋を重ねる措置を施している(右図参照)。確かにこうでもしなければ、見る側も落ち着かない。

*注 テューリンゲン州も、2010年以降に刊行されたTK25は黒抹家屋を加えたものになっている。

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バイエルン州1:25 000
(上)パッサウ
(下)ガルミッシュ・パルテンキルヘン
(バイエルン州測量局HPより)

TK25には、さらなる発展形も出現している。バイエルン州では2007年以降、新図式のTK25に地勢を表すぼかし(陰影)が入った(右図参照)。コンピュータグラフィックと多色化で格段に明瞭性を増した図面に、今度は立体感が加わったわけだ。地形図のデジタル化では、機能性を重んじるあまり、デザイン面の配慮が不足しがちだが、バイエルンのTK25はそうした懸念を払拭する出来栄えだ。特に南部バイエルンアルプス一帯の図葉は、陰影に富んだ美しい仕上がりで、観賞にも耐える。

同州ではそれとは別に、ぼかしは掛けないが、図郭を拡大して旅行情報を付加したATK25と称する新シリーズも、州全域で展開の予定だ。TK50(1:50 000)が魅力の乏しい図面に変質(次回詳述)する一方で、今後はTK25が、ドイツの地形図体系の主役を担っていくのかもしれない。

使用した地形図の著作権表示 (c) Bundesamt für Kartographie und Geodäsie. (c) Landesamt für Geoinformation und Landentwicklung Niedersachsen. (c) Landesamt für Vermessung und Geoinformation Bayern.

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2012年2月25日 (土)

ドイツの地形図概説 III-カタログおよび購入方法

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各測量機関のカタログ

外国の官製地形図を手に入れたい、というときにどうしたらよいか。ヨーロッパの他の国なら、おそらく数行で片付いてしまうような実用的話題でも、ドイツの場合は一項目設けるだけの価値がある。

まずは各測量機関が作成している製品カタログを一読することをお勧めしたい。ドイツ語でKartenverzeichnis(カルテン・フェアツァイヒニス=地図目録)あるいは外来語そのままにProduktkatalog(プロドゥクト・カタローグ)などと題されている。たいてい公式サイトの、地形図を解説しているページかその近くにPDFファイルで上がっている(下注)。

*注 各測量機関サイトのURLは、「官製地図を求めて」のドイツhttp://homepage3.nifty.com/homipage/map/map_germany.html および各州のページにあるURL欄に記載している。

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ヘッセン州製品カタログ
(左)第1号、(右)第2号

たとえばヘッセン州の場合、製品カタログは5分冊になっていて、第1号Heft 1が地図(現行の)とCD-ROM/DVD製品Karten und CD-ROM/DVD-Produkte、第2号が旧版地図Historische Karten、第3号が空中写真製品Luftbildprodukte、第4号がデジタル地理基礎データDigitale Geobasisdaten、第5号が一般情報Allgemeine Informationenという構成だ。

ドイツの測量機関が刊行する地図製品は、現行の地形図やデジタルデータにとどまらない。ハイキングやサイクリングのルート、休憩施設などを加刷した旅行地図が州域をおおむねカバーしているし、旧版地図つまり過去の地形図は、18世紀の初期測量図から複製品のストックがある。製品カタログには、こうした製品の特徴、一覧図(図番、図名、製作年などを含む)、価格などが詳しく記載されていて、頼もしい道案内を務めてくれる。

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カタログ集成版

しかし、惜しいことにカタログには自局の製品しか載っていない。連邦各地の地形図がほしいと思えば、それぞれの測量機関のカタログに当らなければならない。かつては、全測量機関(当時は旧西独地域)のカタログをリング綴じしたファイルが存在した(右写真)。これは、前回紹介した協議機関、ドイツ連邦共和国州測量機関作業委員会Arbeitsgemeinschaft der Vermessungsverwaltungen der Länder der Bundesrepublik Deutschland (AdV) がヘッセン州測量局に委託して作成した集成版Sammelbandだった。厚さが5cmもあって、わが家に郵送されてきたときは予想外のボリュームに腰を抜かしたものだ。

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総合地図目録
1995/96年版

しかしこの形式は1992年で終了し、翌1993年から、新連邦州(旧東独地域)の製品を含めて1冊に編集した総合地図目録に切り替わった(右写真)。収録内容は現行地形図と、その集成図である地方図Gebietskarte、旅行地図などの特別地図Sonderkarteに絞られたが、これまで目にしたことのなかったドイツ全土のTKシリーズと東独全域のAS、AVシリーズの地図一覧図が添付されていたので、たいへん重宝した。写真は第2版に当たる1995/96年版の表紙だ。残念ながらこれも、知らない間に廃刊になってしまった。

現在、国内すべての公式地図製品を概観できる資料やサイトは見当たらない。州が製作を担っている1:100 000とそれより大縮尺の地形図については、一覧図も州別でがまんするしかないようだ。

さて、入手したい地形図の目星をつけたら、次は発注にとりかかることになる。方法は2通りある。一つは各測量機関への直接発注、もう一つは民間の地図店への発注だが、それぞれメリットとデメリットがある。

前者のメリットの第一は、カタログ掲載の地図が在庫切れでない限りすべて揃っていることだ。特に旧版地図の複製品や空中写真などは、地図店でほとんど扱っておらず、直注が前提だし、ノルトライン・ヴェストファーレン州のように市販しなくなった場合(下注)もほかに選択肢がない。メリットの二つ目は、定価で買えることだろう。地形図の価格はヘッセン、バーデン・ヴュルテンベルク、バイエルンなどの各州を除いて5ユーロに設定されているが、これは測量機関での販売価格だ。地図店の店頭では、1~2割のマージンを上乗せした価格になる。

*注 ノルトライン・ヴェストファーレン州は、地形図の刊行を廃止し、直注のオンデマンド方式でのみ頒布している(前回の記述参照)。また、ヘッセン州は、2012年1月1日から地形図の市販(地図商・書店での販売)を行わなくなった。旅行地図等はこの限りではない。反対にバイエルン州は直販を行っておらず、市販のみ。

では、いいところばかりかというと、そうでもない。カタログと同じく、原則的に自局の刊行物しか取り扱っていないのだ。地形図の場合は、隣の州が製作したものでも、図郭に自分の州域が含まれれば販売しているが、例外措置はその範囲にとどまる。全国各地の地図がほしいと思えば、それぞれの州とコンタクトをとる必要がある。これはいかにも不便だ。さらに問題なのは代金の支払いで、ネットショッピングのサイトがある場合でも、たいてい即時決済はできない。請求書が郵送されてくるので、そこに書かれている銀行口座に対して、市中銀行か郵便局の窓口から指定金額を振込むことになる。請求書はドイツ語だし、送金手数料も数千円かかる。手続きとしてはたいへん煩雑で、特に初心者にとってはハードルが高い。

一方、民間の地図店の場合は、上記のメリット、デメリットが逆転する。特殊なものは扱っていないし、少々価格は高くなるが、全国の地図が買え、支払いにクレジットカードやペイパルPayPalが使える。ただし、ドイツ国外の地図店の場合は概して価格が高く(下記のような例外はあるが)、需要度を反映してか、扱っているのは旅行地図が中心になる。さまざまな種類の地図をできるだけ早く入手するには、同国内の地図店に依頼することだ。

筆者は、時々の事情に応じていくつかの店を使い分けている。急がないときは、手近な紀伊國屋書店BookWebをまず探す。ここのレパートリーは主として旅行地図だが、バイエルン州やバーデン・ヴュルテンベルク州の地形図もリストに上がっている(Topographische Karteなどの語句で検索するとよい)。すべて取寄せのため届くまでに3~4週間かかるが、日本語で手続きでき、価格も現地とほぼ同じなので、お勧めだ。

急ぐ時やここにないアイテムは、ドイツ国内の地図商MapFox.deかKarten-Schriebに注文を出す。前者はオンライン画面で発注し、添付メールで送られてくる見積書に従って、ペイパルで決済する。画面表記はすべてドイツ語なので、その知識が必要だ。後者は発注画面が用意されていないので、最初から英語でメール発注する。あとは前者と同じように、見積書に従ってペイパルで決済する。いずれも現地価格(店によって価格設定は異なる)だが、日本への送料が7~20ユーロ加算される。現物は2週間もあれば到着する。

他に、クレジット決済ができる地図店サイトもある。地図購入に関する情報は、上記「官製地図を求めて」各ページの現地販売の項を参照されたい。

次回からは、縮尺別にドイツの地形図の特色を探っていく。

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2012年2月18日 (土)

ドイツの地形図概説 II-連邦と州の分業

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ドイツ各州の位置関係

インターネットで流れる情報がまだ多くなかった1990年代、筆者は地形図のカタログを取り寄せるために、各国の測量機関にせっせと手紙を書いていた。中でもドイツとのやりとりは頻繁だった。というのも、日本なら公の測量機関といえば国土地理院のことだが、連邦制を採用するドイツの場合、連邦政府だけでなく、州(ラントLand)にも測量機関があり、自州の地形図を作っていたからだ。これがドイツの地形図体系を特徴づけるもう一つの要素で、歴史の縦軸に対して地域性の横軸というべきものだ。

連邦の測量機関は、名称を「連邦地図・測地局Bundesamt für Kartographie und Geodäsie(以下、BKGと略す)」という。本拠を首都ベルリンBerlinに、地理情報部門をフランクフルト・アム・マインFrankfurt am Mainに置いている。片や、州の測量機関はそれぞれ州政府が設置していて、名称もさまざまだ。ドイツの州は、歴史的経緯から市に州と同格の権限を付与しているベルリンBerlin、ハンブルクHamburg、ブレーメンBremenを含めて16を数える。連邦と16州、計17もの測量機関がひしめいていて、いったいどのように分業しているのだろうか。

ドイツの憲法に当たる基本法Grundgesetzでは、土地利用計画の策定について各州の権限(下注)としている。州は自ら土地測量を実施し、現地資料を収集し、その成果をもとに地形図の製作を行う。地籍管理についても同様だ。

*注 2006年の基本法改正で土地利用計画の策定は、いわゆる競合的立法権Konkurrierende Gesetzgebung(連邦が法律で定めない範囲で州が立法権を有する)から大綱的立法権Rahmengesetzgebung(連邦の大綱法の範囲内で各州に詳細を委ねる)の範疇に変更された。

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地図表紙の州紋章

地形図には大小さまざまな縮尺があるが、1:100 000とそれより大縮尺のもの(1:50 000、1:25 000など)は、州が自らの州域について製作の責任を負うことになっている。これはもちろん、全国共通の図式規程Musterblattに則り、図郭や図番を含めて基準の一律化を図った上での分担制だ。ただし、州と同格の上記3市はエリアが小さいため、中・小縮尺図については隣接する州の測量機関に業務を委託している(下注)。また、2つ以上の州にまたがる図葉は、含まれる面積が大きいほうの州が作る。もし、手元にドイツの地形図がおありなら、表紙の下部に注目されたい。製作した測量機関名が、州の紋章とともに記載されているはずだ。

*注 ベルリン州の州域はブランデンブルク州、ハンブルク州の州域はシュレースヴィヒ・ホルシュタイン州、ブレーメン州の州域はニーダーザクセン州の各測量機関に業務委託されている。

一方、連邦BKGが受け持つのは、より小縮尺の図に限られる。すなわち1:200 000、1:500 000といった広範囲を概観する地形図は、BKGが、各州が製作した地形図などから編集のうえで刊行してきた。このような連邦と州の分業は、アトキスATKISと呼ばれる地形図データベースの維持更新作業でも全く同じルールだ。

統一基準が定められているとはいえ、技術革新その他に伴って改定が必要になった場合はどうするのだろうか。各測量機関が協議する場として設置されているのが、ドイツ連邦共和国州測量機関作業委員会Arbeitsgemeinschaft der Vermessungsverwaltungen der Länder der Bundesrepublik Deutschland (略称AdV)だ。地理情報に関する基本事項や州域を越えた重要事項はここで決定される。地形測量に関するさまざまな基準・規則を策定し、地図情報データベースの開発と応用の分野でも中心的な役割を担っている。

ところが、この枠組みで一糸乱れぬ統制がとれているのかというと、各論では必ずしもそうではない。特に紙地図は最近、種々の規格が入り乱れて混沌とした状況に陥っている。その原因は、アトキスの導入に伴って施行された図式変更にある。これによって、新旧2種類の異なる図式が併存することになったからだ。地形図の表紙に通常版Normalausgabeと記載されているのは旧図式、アトキスのマークが入っていれば新図式が適用されている。1990年にデータベースの構築が始まってから20年以上になるが、紙地図の対応は州によって温度差が甚だしく、そのため旧図式の地図もまだかなり流通している。

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現状を表(上の画像)にまとめてみた。州・縮尺別にOは旧図式、Nは新図式を表しているが、17ある測量局の間で、また7種の縮尺の間でも全く統一がとれていない状況が見てとれるだろう。シュレースヴィヒ・ホルシュタイン州やバーデン・ヴュルテンベルク州のように旧図式にこだわり続けているところもあれば、東部各州のようにあらかた新図式を普及させたところもある。さらに、新図式も一様ではなく、黒抹家屋を描くか否か(下注)、地勢を表すぼかしを入れるか否かといった細かなバリエーションがすでに生まれているのだ。詳しくは縮尺別に稿を改めて紹介するが、この状況を移行期として片づけるにはあまりに長すぎるし、規模から見てもこのカオスが収束するのはかなり先になりそうだ。

*注 黒抹家屋Einzelne Gebäudeは黒の小さな矩形を並べる集落の表現法。「実際の大きさ、家の数とは無関係に、既定の大きさで」(武揚堂『図説地図事典』1984  p.297)描く総描法の一つ。

また、北隣のデンマークで実施されているような紙地図刊行を見直す動きも、一部の州で起きている。たとえば、ノルトライン・ヴェストファーレン州の州域の地形図は、もはや市中の地図販売店では取り扱っていない。なぜなら、測量局機能の整理に伴って、オフセット印刷による通常の刊行を中止し、オンデマンドでの対応に切替えてしまったからだ。各州の測量局は地形図を利用した旅行地図を作っているが、同州はこれも民間会社に委ねてしまい、地図のストックを持たなくなった(下注)。

*注 ノルトライン・ヴェストファーレン州は行政改革の一環で、2008年に州政府直轄の測量局を廃止し、その機能をケルン県庁Bezirksregierung Kölnの一部局に置いた。地図刊行事業はこのとき廃止された。

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オンデマンド印刷の地形図
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オンデマンドの地形図とはどのようなものかと、該当部局に直注したところ、厚めの用紙にデジタルプリンタで出力したものが送られてきた。内容は地形図そのものだが、体裁はずいぶん違う。表紙部分もなければ、地図記号・凡例、道路・鉄道の到達注記先なども省かれ、整飾部分には図番・図名と縮尺、それに著作権表示程度しかない。図郭も、経緯度ではなくUTM座標系で区切っているため、従来図郭とずれが生じる分、広めに取られていた。

これほど徹底的な例でなくても、地図刊行物のデジタル印刷への切替えなどはヘッセン州でも始まっている。ただ、こうした動きは全国一斉ではなく、各州の裁量に任されているのがドイツらしいところだ。統一されたデータベースと図式規程がありながら、紙地図のような製品になると考え方の違いが表れる。連邦制における州間の協調と独自性の微妙な関係は、地形図体系にも少なからぬ影響を及ぼしているのだ。

それでは、こうした地形図はどうやって入手したらよいか。次回はその実践法を紹介したい。

■参考サイト
ドイツ連邦共和国州測量機関作業委員会(AdV)
http://www.adv-online.de/
連邦地図・測地局(BKG)
http://www.bkg.bund.de/
ケルン県庁第7局(ノルトライン・ヴェストファーレン州基礎地理局)
http://www.bezreg-koeln.nrw.de/brk_internet/organisation/abteilung07/

官製地図を求めて-ドイツ
http://homepage3.nifty.com/homipage/map/map_germany.html

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